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41.  金星人地球を征服 《ネタバレ》 
まあこういった映画は笑いながら見ればそれでいいんで、なんのかんの言うのは野暮なんだけど、でも当時の反共的空気を感じる資料としても見られますな。もっとも56年というともうマッカーシーは退場していて、赤狩りのピークは過ぎてるけど、そういう雰囲気はまだあったんでしょう。金星人を、人類を高める“彼”として招き入れる科学者。『宇宙戦争』でも似たような牧師が出てきてた(あれは53年でまさにマッカーシー絶頂期。『グッドナイト&グッドラック』の年)。ちょっとでも理解を示すと付け入れられるぞ、というメッセージ。共産主義は理解を越えた敵、なの。エネルギーを吸い取られるってのは、ゼネストを暗示してたのかもしれない。怖いのは、その敵の金星人は新聞編集長を殺しただけだが、主人公は自分の妻も含めてそうとう多数のゾンビ化した仲間を殺している(コウモリに首の後ろを突っつかれるとゾンビになっちゃう)。正義のグロテスクさのほうが、金星人のグロテスクさよりまさっているあたり、映画というものが意図を越えて表現してしまうことがある証明。
[映画館(字幕)] 5点(2008-03-22 12:20:16)(良:2票)
42.  クイズ・ショウ 《ネタバレ》 
しょせんテレビってこんなもんさ、とか、娯楽なんだから、という言葉の下に、ある種の倫理の頽廃を描いている。こういう大衆時代の腐臭を嗅ぎ取る敏感さがアメリカの最良の部分で、本作のような映画が生まれる限り、あの国をなかなか見限れない。決して倫理的に低劣だったわけではない主人公が、インチキに引きずり込まれていく怖さ。俺の知ってた問題なんだから、から、答えを自分で調べる、になって、なら結局教えてもらっても同じだし、となっていく。父の時代にはあった真っ当な倫理観「教わったことを答えて金を貰ってたのか」、が「こんなもんさ」に堕ちていく。有名になりたいという欲望、しかし有名になると大衆は脅威になっていく。ラストシーンで笑い続ける大衆が、主犯であり共犯であり、被害者であり傍観者である。そういう社会像を突きつけた映画。すべて台本と演出の時代。委員会での懺悔に続く拍手をロブ・モローが何かしっくり来ずに立ち会っている場が印象的。何でもすぐに「感動のドラマ」の演出になってしまい、さらに次のドラマが用意されるのだろう。タトゥーロが向かないってことを「ラジオ・フェイス」と言ってたな。
[映画館(字幕)] 7点(2010-04-03 11:59:24)(良:2票)
43.  ファイナル・プロジェクト 《ネタバレ》 
クールで泰然自若としたアクションスターの系譜もあるが、ジャッキー・チェンは、オロオロしながらコトを為していくキートンやロイドの喜劇の系譜の人で、水中カンフーなどどうしたってキレがなくなるのを、逆手にとってギャグにしてしまうのが偉い。サメはじっとしていると襲わない、というネタで、闘っていた二人がサメが近寄ってくるとそのままジッと停止するおかしさ。あるいは血の匂いを出さないために、傷を受けた指を口にくわえる、その合い間には酸素ボンベの口を取り合ったりと無駄がない。ほかにも、タケウマをしたままのケリを何度かやって、はずした後も長いつもりでケリを空振りする、とか。このころは年齢的にアクションは厳しくなってきているのに、それをカバーしようという工夫が随所に見られて、けっこう感動的だった。白装束白マントの悪漢どもがスキーで追いかけてくるあたり、ああ悪漢とはやはりこうでなくちゃならない、と懐かしい興奮が胸に満ちたものだった。
[映画館(字幕)] 7点(2009-06-10 12:07:38)(良:2票)
44.  ラヴソング
大メロドラマの醍醐味。まず、このころの香港情勢があって、大陸から香港へ、香港からアメリカへ、という中国人の流れがあった。戦争などと比べれば穏やかなものだが、やはり一種の激動期、メロドラマの背景にふさわしい。そこにもう一つ、テレサ・テンの文化圏としての香港と、ウィリアム・ホールデンの『慕情』の文化圏としての香港との拮抗が重なる。そういう混淆の物語は、ラストでテレサ・テンの歌がニューヨークに流れて決まりをつけるわけだ。この二人はどちらも大陸から来て香港に根を下ろそうとしていて、いわば戦友のような感情で結びついている、それがいいなずけには乗り越えられないものだった。友だちよ、友だちなのよ、と釘を刺しつつ愛が深まっていくあたりがいいの。だんだんと沈黙が濃くなり、寒いからと重ね着させてボタンをかけ…、なんてあたり。すれ違いもちゃんとあり、これはかなり堪能できたメロドラマだった。
[映画館(字幕)] 8点(2009-03-11 12:13:10)(良:2票)
45.  英国王のスピーチ
これはもう「あがり症の王様」って設定が秀逸で、実話なんだろうけど、よくぞ取り上げた。人生のほとんどを公式の場にいる王族が吃ったら、そりゃ地獄だわな。職業が「公人であること」なんだもん。普通の対人恐怖症は「笑われる」ことを気に病むんだけど、彼の場合は「哀れまれる」という地獄。だから彼が気の毒だという視線が、さらに彼を傷つけてしまう。大観衆の視線から先祖の肖像画までが脅威となって迫ってくる。転職も出来ない(兄貴に先を越されてしまった)。脅威の対象だった一般市民との間に、次第に友情が育ってくるところがポイント。映画は結果が分かっている展開を、淡々と進んでいった。それが物足りなくもあるが、たとえばもし「演説の天才ヒットラーに対する怒りによって流暢に語れた」なんて話になったら、それはそれで安っぽく感じてしまっただろう。こういう「人生の不安」に対しては特効薬はなく、彼のようにただただ匍匐前進していくしかないのだ、という勇気をたたえる物語でいい。それにしても先代の王様が卑猥語を狂ったように叫ぶ映画が作れる国はいいなあ。もし昭和天皇が卑猥語を叫ぶ映画を日本で作ったら(あの人も幼少時にプレッシャーきつかったのか、しゃべりが流暢ではなかった)、街宣車が走り回ってスクリーンはズタズタにされるんじゃないか。
[DVD(字幕)] 6点(2011-12-11 09:53:12)(良:2票)
46.  髪結いの亭主 《ネタバレ》 
主人公アントワーヌに、竹取りの翁を思った。不意に訪れたかぐや姫が成長していくのを喜びながら、別れの予感の不安とともに見守っている。今現在の幸福を忘れさせるほどの、時間の経過に対する不安。翁はついにその時間との戦いに敗れ、姫の昇天を目にしなければならなくなったが、このフランスの竹取りの翁も同じだった。彼は自分の理髪店から時間の流れを感じさせるものを排除していく。目の前で成長していく子どもは作らない、思い出になる旅行には出かけない、今日が昨日とまったく同じ日であるように心がけ、また明日が今日と同じ日であるように理髪店に立て籠もり、同じ音形を繰り返すアラブ音楽を聴きながら時間を溜め続けていった。しかし常連客は少しずつ老けていく。目を背けていても、時間は室内に溜まり続け、そしてついにマチルドが夕立の気配のなかで「人生って嫌ね」と呟き、自分たちの敗北を認めた瞬間、溜まりに溜まっていた時間が濁流となって溢れ、彼女を押し流していってしまう。この映画の中のアントワーヌは少年か初老かだ。夫婦の愛の日々を描く映画でありながら、少年の憧れと老年の思い出だけがあって、そのなかの壮年の人生が抜けている。つまり、「まだそこには存在しない」と「もうそこには存在しない」ものとしてのみ、夫婦の愛の日々は捉えられるのだ。幸福であるとは、なんと不安なことだろう。この映画で最も凶々しいシーンは、オーデコロンを飲んで酔い潰れ“死んだ”ようになって迎えた朝、少年時代のアントワーヌがこの店を覗き込んでいるところ。憧れの女性理髪師の死を夕立の予感の中で発見したときのポーズで。これは妻である女性理髪師マチルドにも昇天の日が近づいていることの予言なのだろうか。アントワーヌは自分の戦いが負けることを最初から、少年の時から分かっていたのだろう。それを承知しながら、彼は幸福を究めようとした。人生とはこういうものなのだ。ほんの80分ほどの映画なのに、しみじみと人生の詠嘆を描ききって感服させられた。
[映画館(字幕)] 9点(2009-07-02 12:22:12)(良:2票)
47.  ベイブ
豚と心を通わすのが子どもでなくてじいさんというのがいいな。これでずいぶん奥行きが出せた。食われるための豚も牧羊犬も、つまるところ人間の奴隷ではあるんだけど、「尊厳」というモチーフを持ち込めたわけだ。そしてあくまで動物の世界が主で、人間の世界を背景にしたのもスッキリしている。目覚まし時計始末のあたりの演出もなかなかのもので、引っかかって揺れるペンキや転がる毛糸玉、それに足を引っ掛けそうになるところなど十分緊張を高めといて、その瞬間は見せない。あとの乱れた室内と足跡で笑わせる仕掛け。猫の嫉妬による告げ口がポイント。母犬が、そんなことはないのよ、でなく、そうよ、と言うところが立派。豚は食べられるために存在する社会、これを諦念とするか、革命への心準備とするか。おそらくドラマとしてこれ以上突っ込むと、娯楽作品の枠を壊してしまうので、けっきょく「けなげなヤツが尊厳を見せる」といった地点でまとめてしまうんだけど、たとえばこれを見た子どもが、その先を考えるきっかけにはなっただろう。子ども向け映画はそれでいい。でコンテスト、それが豚であるというだけで場内は笑いに包まれ、そのなかでけなげなベイブを見ていると、やっぱり涙ぐんでしまうのであった。
[映画館(字幕)] 7点(2009-08-12 12:06:30)(良:2票)
48.  ゾディアック(2007) 《ネタバレ》 
主人公の漫画家ギレンホールの言う「とにかく犯人の目を見てこいつだと確信したい」っていう気持ちに、こちらも同化する。最初の事件のなんともいやらしい車の動きぶり、あれだって覆面しているようなもので、それ以来ずっと、こういうことする奴はどういう顔してるんだろう、いう興味がつのっていく。容疑者リー・アレンに警察が会うシーンが、この映画で一番ドキドキした。やってることはどうってことないんだけど、こいつかもしれない、こいつでないかもしれない、そういう宙ぶらりんの気持ちのまま、こいつかもしれない容疑者の顔を見つめることの緊迫。こういうシーンで映画としての充実を覚えたのは珍しい。この映画、犯人の分析や事件の社会へ与えた影響などにはあまり関心を示さず、犯人に関心を示した人たちへの関心を持ち続ける。ラストに主人公が犯人(というか濃厚な容疑者)の目を見つめるシーンが置かれるのも、その流れだろう。首尾一貫してはいるが、これだけの長尺を持ちこたえるには、ちょっと物足りなくもあった。
[DVD(字幕)] 6点(2008-02-05 12:23:35)(良:2票)
49.  歩いても 歩いても
このシナリオは、そうとう手間が掛かってるんじゃないか。さりげない言葉の採集に時間を掛け、それの構築にも時間を掛けていそう。それだけの成果が上がっている。大勢の中で言われた言葉へのこだわり・言い返せなかった文句が、二人になったときに不意にこぼれるのが、ザクッザクッと映画に刻みを入れて、表面では何も起こらない時間に確かな手触りを与えている。そのくすぶってる場所としての家族。「おばあちゃんちじゃないぞ、俺が建てた家だ」とか「それ(トウモロコシで気の利いたこと)を言ったのは兄貴じゃなくて俺」とか。その遅れて言い返せた言葉とは別に、“ちょっと間に合わなかった”言葉も山のようにあり、でもそこにこそ一回限りの家族の会話の味が、後悔が懐かしさに変質しつつ隠されている。あるいは墓参りの帰り、暗黙の了解のように二組の母子に自然に分かれ、どっちも他方の前では交わせない会話が紡がれる、そのスリル。不意に顔を覗かせる残酷さと怖さ。「隠れて聴く曲ぐらい誰にだってありますよ」と妻の夏川結衣にあんな含み笑い顔で言われた日には、夫たるもの気になって仕方がないでしょうなあ。こっちの「普通であること」と人の「普通でないこと」がときに重なりあい、するとその場の時間が急にボッテリと厚みを増す。「普通」を形作っているものの裏には、なんとたくさんの折れ曲がった思いが複雑に絡み合っていることか。最近の日本映画でこれだけ詰まってる時間を味わった作品はなかった。原田芳雄はおそらくまだかくしゃくとした老年を描くために起用されたのだろうが、かつての無頼を演じてたイメージが残ってて、たしかに夫婦の過去を思えば似合ってはいるのだが、現在の父としてはもう少し固いぐらいの実直さを出せる役者でもよかったかも知れない(「“すばる”は演歌じゃありませんよ」の語り口は絶品だったけど)。それとラストが付いたことで、見ているほうがその後を自由に想像する楽しみはなくなってしまった。でも傑作です。
[DVD(邦画)] 9点(2009-08-31 12:15:54)(良:2票)
50.  THE 有頂天ホテル
こうキチンと娯楽を提供する能力を評価したい。大団円に至る心地よさ。「やり直す・生まれ変わる」といった取敢えずの前向きなテーマがあって、人間の出入りという映画自体のモチーフを上滑りさせない。この「取敢えずのテーマ」ってのが、映画の後味ではけっこう大事で、映画の味わいは「純粋」に煮詰めないほうがいいところもあるようだ。映画が芸術でありつつ娯楽であってきた来歴があるわけで、純粋に煮詰める派がある一方、娯楽を提供する職人でもあり続けてきた。そこらへんが「映画」の足腰の強さになってるのではないか。その二派がきれいに分離できないところがいいんだ、映画って。盗んだスチュワーデスの制服着てロビーをうろつくか、といった素朴な疑問を持ってもいい、伊東四朗・西田敏行がちゃんと使い切れていない、という不満を持ってもいい。それでも最後にニンマリできたら監督の勝ち。
[DVD(邦画)] 7点(2013-11-08 09:48:40)(良:2票)
51.  山椒大夫
立派な作品です。水辺のシーンは、誘拐の場、入水の場、母との再会の場(ラストのパンより厨子王が駆け寄るところ)と、どれも素晴らしいし、セットも重厚、厨子王を探して松明かざした追っ手が寺の境内に詰めかけるあたりの空間処理は見事の一語。でもそれがどこか、クラシック歌手がスマして童謡歌ってる時のような、ピタリと合ってない違和感もある。テーマとしても、社会的に固まってしまっているシステムへ反抗することの困難さ、つまり革命の難しさをけっこう詰めて描いている一方、主人公周辺は“昔話”のトーンで進められる。溝口作品では珍しく、男女の恋愛が描かれない。女っけのない、母と妹しか頭にない主人公って、これやっぱり昔話の登場人物だよね。だから彼がやったことは昔話としては納得いくんだけど、社会変革者としてみると、自己満足というか単に意趣がえしでしかなく、あの解放された下人らの未来もあんまり明るそうではない。そこらへんのトーンのブレが気にかかる。ただ人さらいの毛利菊枝の怖さは別格で、この監督は悪い女を描くと変に染み入って記憶に残るんだ。『夜の女たち』って、作品自体は部分的にしか記憶に残ってないんだけど、転落のきっかけになる古着屋のおかみさんの、親切ごかした悪意の描写は染み入った。関西人ならではのねっとり感があって、いやーな薄暗い感じが滲んでくる。そうか、どっとも親切めかして田中絹代を“遊女”に落としたわけか。この種の酷薄さを描くと、凄い監督だった。
[映画館(邦画)] 7点(2009-07-18 12:01:25)(良:2票)
52.  ボンボン 《ネタバレ》 
主役のおっさんが実にいい。どこにいても感じてしまう居心地の悪さを、はにかみ笑いを絶やさないことでごまかそうとしているような風情。というか、この人たぶん人生そのものに居心地悪く感じているのだろう。ある時期のマルチェロ・マストロヤンニが漂わせていた雰囲気すら思い出させる。人生の悲哀と、それゆえの味わい。そういうおっさんと、これまた何かにじっと耐えているようなブサイク犬(犬のくせにトラウマ持ち)とのコンビで、哀愁が掛け合わされるとマイナスとマイナスでプラスになるように、滑稽が生まれてくる。詳しくは言えないけど、犬と再会する場面が傑作で、映画はどんな突飛なシーンでも、そこへの持っていきようで感動させることができるという見本のような場面だった。
[DVD(字幕)] 6点(2008-03-18 12:20:44)(良:2票)
53.  全然大丈夫 《ネタバレ》 
話の枠組みはいたって古風、でも登場人物たちの造形の誇張がそれぞれの俳優たちに合っていて、私はかなり楽しめた。荒川良々の、幼稚と言われて怒る幼稚ぶり。「上から目線で…」とブツブツ拗ね、「一億兆円払え!」なんて叫ぶ。ゾンビで驚かせてそれを隠し撮りする悪趣味の持ち主だが、なんか憎めない。岡田義徳は、いい人ぶりっ子って言われるとシュンとなってしまういい人で、荒川といいコンビ。ここに劇的に不器用な木村佳乃が絡む。ティッシュペーパーの箱も開けられない人(私も不器用だが箱は開けられる、ただし最初の一枚目は必ずちぎれる)。古本屋の店番してるときの、エロ本買いにきた客との場が笑えた。当然仮想三角関係の結末は第三者田中直樹の登場となり、顔にアザのあるその人物が、コンプレックスに悩んでいる人としてでなく、ごく普通の隣人として描かれているのが、気持ちいい。荒川・岡田のゾンビメイクの対照という意味があったのかもしれないけど。欝のお父さん蟹江敬三の休業広告、マジックインキが途中で出なくなり、細く薄い鉛筆文字に変わる、それが回復すると、筆文字の葉書を寄越してくるわけだ。みんなもうちょっとだけ宙ぶらりんのままでいたいんだよな、憩いまくらなくってもいいから。
[DVD(邦画)] 7点(2009-03-02 12:19:03)(良:2票)
54.  ゾンビ大陸 アフリカン
ゾンビ映画最初のころは、なぜ死者が蘇るのかいちいち説明してたよな。化学物質による汚染だったり、特殊な宇宙線の照射だったり、「科学的」な説明が付いていた。そのうち面倒になったのか、見るほうも「そいうのはいいから早くやれ」という無言の圧力を強めたのか、最近は自然現象のように死者が蘇ってくる。ゾンビ映画という世界中で作られるジャンルが一つのシリーズもののように、後続は細部を説明しなくなった。これって映画史的に見て珍しいことなんじゃないか。自然現象となったゾンビ発生は、とうとう人類の故郷アフリカにまで広がった。主人公が白人男性なので、なんか植民地時代の差別観が根底に来るかと思ったが(海岸で襲われるあたりは「人食い土人の島への漂流もの」をほうふつ)別にそうでもなく、今はアフリカなら内戦多発地帯ということで、死体がごろごろしてるのが自然なんだ。昔風のゆっくり歩くゾンビが嬉しく、主人公の車がエンコしたりすると、近所の村人たちが暑さしのぎに散策してるような感じで、ジワジワとやってくるのが風情。グチャグチャドロドロの描写はあるが、全体爽やかなサバンナの風に吹かれていて、腐臭が漂う感じがない。湿度が低い。腐肉をあさる猛獣や猛禽類の存在を思うと、早晩ここのゾンビは絶滅するのではないかと心配だ。
[DVD(字幕)] 5点(2013-05-02 09:45:12)(笑:1票) (良:1票)
55.  どこまでもいこう 《ネタバレ》 
画面ではまだ何も起こっていないが、何かを待っている時間の緊張がしばしば描かれる。たとえば冒頭のヤクルト奪取のとことか、公園での逃走。悪い報告をする前の先生のためらいも含めていい。こういう待機の時間の緊張がいい映画だ。これがあって走るシーンが生きてくる。花火も似たようなものだな、点火からしゅるしゅるまでの間。爆弾紙飛行機も。女の子たちがときどき一輪車で軽やかに通過するのが、緊張して待機したり走ったりしている男の子たちといい対照。拾った金を川岸で山分けしている写真が、マスコミによって「ミズスマシがいた」というホノボノ記事になるのがおかしかった。
[映画館(邦画)] 7点(2008-10-04 12:15:52)(良:2票)
56.  シザーハンズ
まずFOXタイトルのとこに雪が降っている。子どもに昔話を語る老嬢、窓の外に古城。一転してピンクやイエローのカラフルなおもちゃのような非現実的な町。古城だけでなくそれを際立たせる世間の造形がちゃんとある。抜けるような青空。そしてD・ウィースト。うまい人だなあとは思ってたけど、「単純」を的確に演じられるうまさってあんまりないよ。化粧品のセールスに荒れ果てた古城に入っていく人を自然に演じられる。でエディの登場。他人に触れることが出来ない、一種の加害妄想の現実化なわけ。社会適応の訓練。学校で紙切りやるのなんか楽しい。その彼が盗みを手伝わされちゃうとこからフランケンシュタインの怪物的哀しみが出てきます。武器を捨てて出てきなさい、って言われたってね。群衆によって化け物にされていく。芸術家の不幸の話でもあるか。人に触れる手の代わりに、創造するハサミを得てしまった男。寓話の映像化として最良の成果。
[映画館(字幕)] 9点(2013-07-31 09:40:03)(良:2票)
57.  バンド・ワゴン(1953)
エンタテイメントの決意表明のような映画で、芸が芸術より優位にあるという宣言。ミュージカル映画というジャンルが煮詰まってきてて、次の手が難しくなっていた時期だ。実際、翌年の『略奪された七人の花嫁』あたりから別の方向を探り出し、その延長線上にロバート・ワイズのミュージカルが出てくる。本作が、一番ミュージカル映画が無理なくイキイキ出来た時代の、最後に生まれた傑作だろう。行き止まりは覚悟の上で、あえて踏みとどまった者の栄誉が輝いている。自分をコケにしかねない役柄をこなし、その路線に殉じるような姿勢を見せたアステアが立派。冒頭で落ち目を強調し(顔を隠して登場するのは『トップ・ハット』で新聞で顔隠して登場したのの回想)、しかし靴を磨くことによって活力を取り戻す段取りに、希代のタップダンサーへの敬意が感じられる。そもそもこの映画全編が彼への敬意で貫かれていて、自虐ネタの痛々しさなど感じさせない。ラストの「ザッツ・エンタテイメント」はエンタテイメント讃歌であるが、同時にアステアへの敬意と感謝のセレモニーであり、ウキウキさせることに眼目があった前半での同ナンバーと違い、ここでは儀式の改まった感じが伴っている。表彰されるものを中心に主要メンバーがただ立っている記念写真のような構図に泣かされる。そして全編に渡ってダンスの素晴らしさ。ハードボイルドパロディの洒落っ気にはニコニコさせられ(ただギャングどもが酒場に入っていくオットセイ歩きのあたりは、モダンダンスとして純粋に興奮する)、あと夜の公園のダンスの優美なこと。並んで歩いていたのがごく自然にクルリと回るともうダンスに入っている。カメラも近づいたり離れたりしながら一緒に踊っているような動き。そしてそのダンスからまたごく自然に馬車に乗り込む動作につながって、馬車が動き出す。ダンスの練習をしたとリアリズムで捉える次元から、二人の恋の発生を表現したと捉える次元までが、重層的に畳み込まれていて、映画における表現の豊かさとはこういうものでなければならない、とつくづく思わされる。
[映画館(字幕)] 9点(2011-08-13 10:20:54)(良:2票)
58.  イングロリアス・バスターズ 《ネタバレ》 
ナチと連合軍の争いを描いたハリウッド映画で、「正義」のイデオロギーがまったく感じられないのは珍しい。狂気と復讐の殺戮のみが展開していく。レジスタンスはあっさり密告し、仲間を裏切らないナチはバットであっさり撲殺される。今までのドラマだと助かる立場の人、子どもが生まれた兵や心の呵責を覚える狙撃兵も、仲間を裏切らなかったナチと同じく猶予されない。この「あっさり」感が、この人の持ち味(かつてのタランティーノだと、ブラピも中盤であっさり死ぬ筈なんだけど)。善悪を判断する余地がない狂騒の場に観客は拉致される。多言語が行き交うのも、その善悪が渾然としている状況にふさわしい。言葉のなまりや、映画が通じないことなどが、次に続く殺戮のステップになっている。とりわけいいのは、地下酒場のシーン、ここにこの監督のエッセンスが詰まっていた。作られた笑顔の中でじわじわと高まっていく緊張、殺意と殺意とが寄りかかって固まっている状況。このキングコングを当てるナチ役の俳優もよかった、この映画でおそらくユダヤ・ハンターの次に記憶に残る、笑顔の不気味な二人だろう。ここのところタランティーノ監督、映画中毒者のための映画遊びにのめり込んでいた印象で不満だったんだけど、私でも楽しめる世界へ戻ってきてくれたようだ。
[DVD(字幕)] 7点(2010-08-29 09:45:50)(良:2票)
59.  トゥルー・グリット 《ネタバレ》 
世の東西を問わず、父親の仇を討つのはもっぱら息子の役割りだった。その姉なり妹なりが、留守の間の家を守っていた。しかし娘が仇討ちに出たっていいだろう。男の時代だった西部劇の中に家長意識の強い少女を投げ込んでみた旧作(私は未見)のリメイク。少女の「けなげ」は、もっぱら家の中で描かれていたのが、ここではほとんど「したたか」と紙一重に社会の中で描かれる。縛り首の罪人が揺れる町で、大人と同等に権利を主張する。父のような大人を雇い、仇捜しの旅に出て行く。その一種のロードムービーで、旅の途上のあれこれに、西部劇時代末期の、無法者の時代が終わろうとし、同時に自由な時代の終わりでもある索漠とした空気がある。少女は父の仇を撃ち、その反動で穴に落ち込むという、初めて子どもらしいしくじりを経験する。それまで家長代理として気張ってきた彼女が、無力な子どもとなって穴ぼこの中で助けを求め、ジェフ・ブリッジスが父のように救出する。蛇に咬まれていた彼女を運ぶシーンが、本来あるべき西部劇の本当の父娘の幻想のように美しい。ずっと旅を共にしてきた馬は、西部劇の時代が終わったのを告げるかのように力尽きて倒れ、鉄道の走る味気ない近代に入る。そんな段取りの映画だからアクションの陶酔はあまりないが、女子どもをはなから脇役にイメージしがちな西部劇ってものに疑問を呈してみたみたい。
[DVD(字幕)] 6点(2013-03-13 10:09:55)(良:2票)
60.  ロイドの要心無用
若いころリバイバルが盛んで、キートンに狂喜し、以後の公開予定のリストの新聞広告を切り抜いて眺めてはニコニコしていたものだが、全部は上映されなかった。客足がそれほど伸びなかったらしい。途中で立ち消えた。ロイドはもっと悲惨で、たしかこの一本だけだったんじゃないか。たしかにロードショー料金でリバイバルされるのは、映画好きにとってもかなり悩める状況で、評価の定まった古い名作より同時代の新作を見るべきじゃないか、と迷わされたものだ。そんなこんなで大型スクリーンで観た唯一のロイド作品(ビデオ・DVDで気軽に見られる時代が来るとは想像も出来なかった)。しかしこれに関しては、見てよかったと思っている。あの「とりあえず一階分だけのぼろう」という姿勢、その後の人生でしばしば思い返したなあ。ちょっと始めればなんかやれるもんなんだ、ということ。ほとんど座右の銘として心に残っちゃった。それも大スクリーンで観賞できたからかもしれない。コメディとしても、各階ごとに趣向があって、最後の風力計まで引き込まれること必定(ここで場内に拍手が湧き起こった喜びも映画館ならではの味)。都市が上を目指しだしたデパートメントストアの時代を告げているし、また広告の時代の到来でもあった。人集めが金になる時代になったのだ。スラプスティックとしても一級の作品だが、それらもろもろの時代の記録としても見事な傑作だったと言えるだろう。
[映画館(字幕)] 9点(2014-02-02 09:13:26)(良:2票)

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