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61.  善き人のためのソナタ 《ネタバレ》 
ソナタを聴いたから主人公が「いいひと」になったという見方をしてしまうのは、やはり邦題のせいかもしれません。なぜ主人公がかわったのか?色々な意見があって、大変興味ぶかく読ませていただきましたが、やはり主人公は、盗聴という手段で、他人の生活を聴くことによって変わっていったのだと思います。そういう意味では「他人の生活」という原題のほうが、主人公の心変わりを理解するのには適していると思います。「他人の生活」を聴く前までの主人公は「孤独」の感覚が麻痺していたのでしょう。ゲーテの格言に「誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けて行く時ほど、痛切に孤独を感じるときはない」という言葉があります。しーんとした部屋の中で1人ぼっちでいても孤独は感じないものです。それよりも、騒音というのは、1人ぼっちの人間にとっては、恐ろしい孤独を与えるのです!「1人」では孤独は感じません。「人々」のなかに存在する1個の自分を確認したときに、孤独というものは気がつくものなんです。主人公は気がついたのです。気がついたときに、人はどう変わるのか?悪いほうに変わるとすればそれは嫉妬です。じつは主人公の行動は紙一重だったのかもしれません。もしかすると、濃密な人間関係を見せられた主人公は激しく嫉妬して、あの男女を破滅させようとしたかもしれません。だけど彼は、あまりにも自分とはかけはなれている他人の生活に、純粋に羨望を抱いたのだと思う。それでもなぜ主人公が劇的に変わったかわからない場合は、映画を思い浮かべればいいと思います・・・。映画を見ることも「他人の生活」を見ることなんです。この話は監視国家の恐ろしさなんて本当はどうでもよくて、人が変わることの意味を問いかけた究極のヒューマンドラマではないでしょうか。  
[DVD(字幕)] 8点(2008-02-13 19:16:11)(良:3票)
62.  マレフィセント 《ネタバレ》 
これは「ウィキッド」でしょう。ウィキッドは、誰も知らない、もう一つのオズの物語です。そして本作は誰も知らない、もう1つの眠れる森の美女です。どちらも共通するのは、歴史的に有名な悪女はじつは悪女ではなかったという点です。正直に告白すると、私はこの映画を観る前に結末を確かめました。もし、マレフィセントが死に、オーロラ姫が助かってメデタシメデタシというラストだったら私は観るつもりはなかった。それを私は心の底から恐れていた。しかし結末は完全無欠の予定調和だと知って、私は激しく安堵した。さすがディズニー。予定調和を嫌う観客もいるが、ハッピーエンドで何が悪い?リアルティが好きなら、映画を見ずに新聞でも読んでいろ。そう言いたくなってくる。映画は常にハッピーエンドであるべきだ。映画は希望だ、これが私の持論です。とは言っても、世間では罪には罰を与えよ!という意見があることも重々承知だ。つまりいくら悪人が更生しても悪人は最後にくたばってもらう。そして観客は悪人マレフィセントの死にざまに涙を流せという押し売り型の物語もよくある。私は断じてそのようなストーリーを受け入れるつもりはない。この映画のなかで悪役として登場するのはマレフィセントではなく王様だが、彼もマレフィセントを殺せるのに殺さなかった。生粋の悪ではないと思う。そういう何気ない描写も印象に残る。そしてマレフィセントの人物描写を決定づけるシーンはやはり憎むべきオーロラ姫をけっきょく愛してしまった描写だろう。オーロラ姫を憎みたいと思いつつ、どうしても憎めない。オーロラ姫は美人とは言えないまでも、どこまでも無垢な女性だ。彼女の心には悪も善も受け入れることができる純粋さがある。虚無に陥ったマレフィセントはオーロラ姫を救うことによって、自分自身が救われるという人生の1つの真実がそこに描かれている。つまり、人は人を救うことによって自分自身が救われるのだ。いずれにせよ、現実はもっと厳しいと思う人には向かない映画でしょう。いま、心が傷ついている人、将来に対する不安を抱えている人、失恋した人、優しい心を求めているすべての人に鑑賞してもらいたい。これぞファンタジー映画の王道です。久しぶりに泣きました。また、このような映画を泣ける自分の純粋さに満足しました。中年になっても私の感性はなかなかのものだ。いやぁ、映画って本当にいいもんですね。
[DVD(字幕)] 10点(2015-08-16 20:32:14)(良:3票)
63.  ゼロ・グラビティ 《ネタバレ》 
アバターのキャッチコピー「観るのではない。そこにいるのだ」←この思想こそが、3D映画の原点だと考えます。3D映画の最大の魅力は、「奥行き」という技術によって、観客にその場にいるように疑似体験させることです。ゼログラは観客に宇宙を疑似体験させることに成功した。そのために物語性を排除し、登場人物を2人に絞り、主観映像にこだわった。そのアイデアを高く評価したい。そしてたった2人の主観的視点から映し出される宇宙映像、その表現力が素晴らしい。まるで美術館で絵画を鑑賞するような感覚でした。宇宙旅行を疑似体験したいならば、なにを差し置いても3Dで観てください。宇宙酔いでゲロを吐いても3Dで観てください。テレビは無論のこと、2Dで観てもまったく意味がありません。なぜならば、3D技術の奥行き効果が、宇宙の深さと恐怖を演出しているからです。そしてこれはストーリーを楽しむための従来型の映画ではありません。その点を見誤ると、不満しか残らず、自己満足な低得点をつけて終わりになってしまいます。最近は自己破産した俳優でも宇宙旅行がいける世の中だ。しかし、さすがに宇宙漂流は体験できない。主観的な視点を通したプチ漂流は、レベルの高い拷問を受けているような恐怖でしたが、貴重な体験でした。まさに観るのではなく、わたしは宇宙にいました。映画館から出て、太陽の光を浴びたら、自分が宇宙から帰還したように感じます。やっぱり地球は素晴らしい。太陽ばんざい。人知れず、映画館を出てから感動しました。
[映画館(吹替)] 9点(2014-01-05 10:53:10)(良:3票)
64.  殺人の追憶
130分の映画がこれほど短く感じたことは珍しかったです。 画像が薄暗いセピア色で統一されていたのが幻想的な雰囲気を醸し出して非常に巧いです。ソン・ガンホの演技は初めて観ましたが、あの無能まるだしの田舎刑事役も、腹がたつと感じるよりも、なぜか親しみが持てます。もし彼以外の人間が同じ事をやったら、軽蔑や嘲笑の対象となるでしょう。 これは韓国の歴史や、韓国人の性質を知るための映画ではなく、「人間」を知るための映画だと思います。彼の顔はハンサムとはお世辞でも言えませんが、一度見たら、頭からこびりついて離れません。それだけでも俳優として才能があると思います。 それに比べて邦画の刑事映画は、宣伝ばかりに力をいれて、かんじんの作品は手抜きだらけです。 どうしようもありません。「どうして現場に血がながれるんだー」なんて言っている場合ですか!
[DVD(字幕)] 6点(2005-04-24 21:38:44)(笑:1票) (良:2票)
65.  ボウリング・フォー・コロンバイン
私はアメリカが大好きです。 ・・・しかし彼はアメリカを愛していないと思う。  最近はブッシュを批判することでお金を稼いでいる人が増えてきました。よく考えればアメリカは世界の敵だからアメリカを貶める映画をつくれば需要はあるわけですね。ムーア監督の真似をする人が増えてきたのは当然かも。 最近はラップ歌手も「反ブッシュ」の歌を歌う。 これが今の流行なのかな(笑)  日本人の私はこの映画を見て監督がアメリカに対する愛を抱いているとは感じられませんでした。
0点(2004-09-03 21:10:06)(良:2票)
66.  不都合な真実 《ネタバレ》 
温暖化防止の宣教師と化したゴアは情報伝達の手段として映画を利用した。そうすることで彼は1000回の講演を行なうよりも、大きな効果を得ることができたと思っている。少なくとも日本人は映画化にしたからこそ、ゴアの話を聞くことができた。聞いてどう思うかは人ぞれぞれだが、「より多くの人に自分の話を聞いてもらう」というゴアの当初の目的は達成された。その話のなかでも「ぬるま湯のかえる」の話は面白い。温暖化問題は今すぐ生活に影響を与えるものではない。だから冷え症の私は、少しぐらい温暖化になってくれたほうが冬は助かるとまで思っている。もし今すぐ私が温暖化でダメージを受けたならば、そういう甘い考えも吹き飛ぶはずだ。だが残念ながら温暖化問題はぬるま湯である。多くの人は当分温暖化によるダメージは受けないだろう。そして気がついたときにはかえるのように破裂している。私は「地球」というのは1つの生命体だと思っている。地球は人間と同様に免疫力を持っている。地球はいま、自身の生命が人間という悪質なウイルスによって脅かされていることに気がついた。いずれ自己防衛本能を発揮し、人間を淘汰しようとするのではないか。たとえばエイズ。あれは性の冒涜に対する神の罰ではない。熱帯雨林を破壊したことによって生まれた環境病である。エボラ、鳥インフルエンザもしかり。野焼きの一番の恐さは未知の病原体の発生である。このように温暖化問題にかかわらず、人類が地球にとって害のある存在である以上は、地球は自身を守るために、あらゆる手段を用いて人類の人口を調整しようと試みるだろう。エイズやエボラは地球の防衛本能なのだ。それが地球の免疫力だ。おそらく温暖化問題はエイズやあらゆるすべての問題と直結しているはずだ。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2009-02-25 19:07:19)(良:2票)
67.  レ・ミゼラブル(1998) 《ネタバレ》 
ジャベール警部を許したジャンバルジャンは、まさに「汝の敵を愛せ」を実践しました。主人公を徹底的に追い詰めたジャベールは嫌な奴でした。しかし彼は一貫した信念を持っていました。ジャベールは故意にジャンバルジャンを逃がした罪により、自らを罰したのだと考えます。最後まで法律の番人でした。これが罪を憎み続けた彼の生き様でした─。 そしてなぜ、ジャンバルジャンの行動は感動するのか?それは彼が立派な人間だからではありません。彼がオウムの逃亡者と同じ卑怯者だからです。しかしこういうと観客は「嘘をつくな、冤罪だろ、それに今は改心して善人だろ」と反論するでしょう。しかし、それは周りの評価です。ポイントは彼自身がそう思っていないことにあります。すなわち、罪を背負い、そして罰を恐れ、正体を隠して生きてきた卑怯な容疑者だと、ジャンバルジャン本人が自覚していたことに意味があるのです。従って彼の慈悲深さは、罪を持った愚かな人間と、自分が同類である、という前提から生じている。人間は、善人であるほど、悪人を赦すことができないし、罪を激しく憎む。だから我々自身が、ジャベールと同じ人間なのです。ジャベールが娼婦を激しく殴ったのは、彼女が罪の象徴だったからです。しかし「罪」を抱えた人は─すなわちジャンバルジャンのように罪の自覚のある人は、かえって他人の罪に寛大になれるものだ。赦せないのは、中国や韓国を罵倒する人たちと一緒で、単に相手の罪深さを指摘し、相手に罪を自覚させたい、という欲求があるからです。もしここで我々自身が、「罪の」自覚があるならば、もっと優しくなれると思います。罪を背負うという意味の本質は、ここにあるはずです。つまり赦すことにある。何回観ても新しい発見がある名作です。  
[DVD(字幕)] 10点(2003-10-14 21:24:32)(良:2票)
68.  遠い空の向こうに
子供がロケットで食べていこうと考えるなんて親としては当然反対するだろうと思う。あまりにも夢を追いすぎると思ってしまう。 現実に目を向けて真面目に働きなさいと親は考えるだろう。 しかしけっきょく一番大事なことは好きなことにチャレンジするということだと思う。 それが失敗しようが成功しようがとにかくチャレンジしたという事実そのものが大切なことではないだろうか。 最後にロケットに挑んだ少年たちの末路が紹介されたけど、そんなことはどうでもいいこと。 「私はそれを実行した」ということだけで成功失敗の有無に関わりなく、誇れる出来事じゃないか? 若いときの行動とは利己的なものではなくてこの映画の少年たちのように無謀と思えるくらい一途で純粋であって欲しいと素直に感じた。 成功すればそれは良いことだ。しかし大きな失敗を経験することも大事。 成功も失敗もしないで人生を終える人間に比べたら行動するということがいかに大事か分かると思う。
9点(2004-11-21 20:58:08)(良:2票)
69.  この森で、天使はバスを降りた 《ネタバレ》 
レイプされ、自分の子供を失い、殺人を犯し、傷ついた心を抱えたパーシーは、やっとの思いで刑務所を出所し、さあこれから再起するぞ!と頑張っていたのに、あえなく事故死という結末で終わり、挙句の果てに「天使」にまでされてしまったことに強い失望を感じた。 この映画は小さいときから虐げられて、とても不幸だった女性が、ついに最後まで幸せをつかめずに人生を終えたという話に見えてしまい救いがない。 それになんて冷たい田舎町だろうか。 彼女が死んだあとに、彼女を評価しても、もう遅いつーの! あのハナの甥の罪の告白は「自分の良心を満足させるためだけ」に行われたのはみえみえ。まわりの人間は、その甥の告白を聞いて感動している始末。 どういうふうに感動しているかというと、「私たちはみんな、パーシーに冷たかったけど、パーシーは私たちを癒してくれたわね!ああ、なんて可愛らしい少女だったのかしら。まるで天使だわ!!」「いまごろ天国でパーシーは私たちを見守っているはずよ♪」なんて感傷に浸ってるんじゃねーつーの! それで映画のタイトルが「天使」というわけですか!なんという自己陶酔の世界観でしょうか。 怒りを通り越して呆れてしまいます。「この地獄で天使に祭り上げられた女性はバスを降りた」としたほうが良いと思います。
0点(2005-01-30 00:53:12)(良:2票)
70.  レスラー 《ネタバレ》 
60歳まで現役だったジャイアント馬場を思い出す。60歳といえば還暦だ。クソジジイだ。見ていてスリルがありすぎる。対戦相手が間違って馬場を強く攻撃したら即死もありえる。彼は61歳でくたばったから生涯現役だったと言える。そういう意味ではたいしたものだ。ミッキーもラストで愛する彼女をふりきって、死ぬ覚悟でリングに上がったが、試合が終わって、まだ生きていたら格好悪いだろうな。ラストは必殺技ラム・ジャムの途中でぷっつり終わるが、あれで本当に死ねるのか?と逆に心配してしまった。このダメ俳優は猫パンチで日本人を激怒させたが、彼はああいう性格なので、ハリウッドでも総スカンを食らって干された。レスラーはまさに彼の「はまり役」といえる。かつての時代の寵児が落ち目になるという話はよくあるが、それをレスラーの体から流れる血や、ボロボロの体で表現する手法のことを、メタファーと言う。この手法がアカデミー賞候補に認められた理由だと思う。ドグマっぽい撮影方法も好感が持てる。ちなみに死にそうになったからと言って、数十年ぶりに娘の前に現れる父親ほど恐いものはない。私だったら、そんな父親が瀕死の状態で目の前に現れたら絶対にとどめをさしてやる。「おまえに嫌われたくない」とメソメソ泣く姿も、ただ感傷に浸っているだけで気持ち悪い。私の親だったら許さない。私自身が同じ経験があるので強くそう思った。親の身勝手な感傷などクソ食らえである。しょせんこういう男は家族など持てないのだ。不器用な生き方だねと言ってこのレスラーを愛することができるのはしょせん他人だからである。 
[DVD(字幕)] 3点(2010-03-07 12:13:17)(笑:1票) (良:1票)
71.  時をかける少女(2006) 《ネタバレ》 
少女漫画の世界でした。ようするにハンサムな男2人が1人の女の子をめぐるラブトライアングルムービーです。金髪のヤンキー兄ちゃんがいきなり「オレは未来からやってきたんだ」なんて言い出します。おまえはターミネーターか。 
[地上波(邦画)] 4点(2007-07-26 20:53:51)(笑:2票)
72.  ゼロ・ダーク・サーティ 《ネタバレ》 
アメリカの報復行為に関して私は断固としてアメリカを支持したい。復讐は意味がない、憎しみは憎しみしか生まないなんてありきたりな言葉で、アメリカを批判するほうがむしろ滑稽だ。拷問シーンを見てもCIAを批判するつもりはない。むしろ、「早く吐きやがれクソ野郎」とCIAを応援していた。法律を無視するテロリストに、法律で対抗するのは限界があるのだ。法律を超越するCIAのような機関が日本にあっても良い。最近は元CIA職員によって、CIAの法律無視ぶりが露見されているが、今回この映画を観てCIAを見直した人も多いだろう。日本を代表して私がCIAをぜんぶ赦す。テロの怖さは姿が見えないことだ。たまたまビンラディンが「ラスボス」という扱いにされたが、実際に彼にそれほどのリーダーシップがあったかどうか疑問を感じる。女性CIAはドラゴンクエストのようにラスボスを倒したら、とたんに敵がいなくなり、世界が平和になると思い込んでいた。しかしラストシーンの彼女の涙の意味、ラスボスを倒しても、「世界」は昨日と変わらないという現実─。喜びがないという悲しさからの涙だった。しかし私自身、それがむなしいとは思わない。ビンラディンを殺害した瞬間、ネイビーシールズを褒めたい気持ちになったし、気分が高揚した。日本人の私ですらそう思うのだから、アメリカ人の場合は特にそうだろう。ビンラディン急襲作戦は批判されるべきではないし、これはアメリカバンザイ映画でもない。またその逆の反戦映画でもない。右の映画でもないし左の映画でもない。アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のための映画だと感じました。なお、映画の視点は必ずしも多方向である必要はありません。私は主観的映像を肯定します。
[DVD(字幕)] 9点(2014-03-16 14:32:45)(良:2票)
73.  ヒトラー 最期の12日間 《ネタバレ》 
「怒る技術」という本を昔読んだことがあるのですが本当に腹がたつから怒っている人と、人身掌握のために巧妙に他人に対して怒りを表現している人がいるようです。ヒトラーは後者であり、その怒りはポーズだったと思う。ヒトラーは最後まで狂ってはいないしヒステリックだったわけでもない、最後の12日間における怒りは自分の身を守るための人為的な演技であり、彼はとうとう最後まで「怒る」という演技を貫き通したのだと私は思えてなりません。 ヒトラーとは何者なのか?我々は普段の生活でも「あいつはヒトラーのようなやつだ」ということを日常会話で使うことがありますが、ヒトラーは「独裁者」「悪魔」の代名詞に使われることが多い。しかしこの映画を観て、彼が「ふつうの人間」であったという事実に第3者の日本人は驚き、被害者のユダヤ人は「嘘だ!」と大声で叫び、当事者のドイツ人は「まずいことを言ってくれたな」と苦い顔をしたはずです。彼が悪魔ではなく人間であったという事実を提示しただけでこれだけ多くの人が心をかき乱す。ちなみに日本では東条英機を題材にした「プライド・運命の瞬間」という映画がありますが、これはA級戦犯を美化していると問題になった作品で日本人からさえも非難の嵐でもちろん中国からクレームがつきました。しかしあえて言わせていただきたいのは、加害者であるという立場を恐れず、また他国の誤解を恐れずに日本とドイツはこのような映画を作り続けて欲しい。 久しぶりに映画の「役割」について深く考えさせられました。 
[DVD(字幕)] 7点(2006-03-26 17:17:04)(良:2票)
74.  ぐるりのこと。 《ネタバレ》 
生きる技術を教えますという感じの映画でした。観ればきっと苦境から脱出するヒントを見つけることができるでしょう。夫は負け組みの亭主です。優しい男なのかもしれませんが、貧乏のオーラが体から漂っていました。まるで貧乏神の化身。まさに甲斐性の無い夫の象徴でした。こういう男の妻にだけはなりたくない。しかし世の中には、DV夫や、ギャンブル狂の夫が星の数ほど存在し、妻を苦しめています。それに比べたら、屁のツッパリでもないかもしれません。妻は家庭内で暴力をふるわれたり、社内でセクハラを受けていたわけではありません。しかし彼女がだんだん傷ついて壊れていく様子が、丁重に描かれており、うつに陥る人のことがよくわかりました。人によってはこの程度の不幸だったら、もっとがんばりなさい、と言うかもしれません。しかし借金地獄だったら納得できるのでしょうか。地雷で足を失えばいいのでしょうか?エイズを抱えて生きている人が本当の不幸を抱えているのでしょうか。人が感じる不幸というのは相対的だと思います。人生は素晴らしいとよく言われますが、あれは半分は嘘です。人生の本質はつらいのです。そういう前提で、先の見えない海の向こうを泳ぐときのように、人生を完走しなくてはいけません。それは簡単ではありません。生きる技術が必要です。ヘタレ亭主でもたまには名言を吐くようです。「おまえはみんなに好かれようとするからだめになる」 ・・・・。妻のように、ちょっと自分を否定されたら、すぐに落ち込む人は多い。こういうときは我が国の総理大臣を見習ってください。政治家というのは、選挙で当選して政治家になります。しかし誰1人として、満票で当選した人はいません。全員から好かれることは不可能なのです。必ず自分の存在を否定する他人が存在します。だからムリに人間関係を修復しようと、もがくのではなく、そういう事実を受け入れたうえで、自分を信頼してくれる人を大切にしたほうがいいですね。法廷を通して、人と人との関係性を丁重に描いたヒューマンドラマでした。  
[DVD(字幕)] 9点(2009-05-15 21:42:00)(良:2票)
75.  運動靴と赤い金魚
とにかく一言、ハリウッド映画のように最先端の技術がなくても、これほど映画を面白くすることができるんだということ示した素晴らしいイランの作品。 ストーリーは至って単純。FBIもテロリストも出てこないし、カーチェイスもない。 しかしそれが面白いのだ。お兄ちゃんがマラソン大会で必死で走っている姿は、アメリカ映画の過激な銃撃戦を見るよりも、観客を緊張させ興奮させるエネルギーがある。 このように思ったのは私だけではないはずだと考える。 これはただ単に妹の靴を不注意でなくしてしまったお兄ちゃんが、四苦八苦しながらマラソン大会で靴を取り戻そうとする物語だと言い切ることができない不思議な面白さがある。 それは人間がしっかり描かれているからだと思う。 そしてそれを作り上げるために必要不可欠な「生活」が素晴らしく丁重に扱われている。 そして妹と兄という関係性の中に父親がこれもまたいい味を出している。 たったこれだけのことを映画にしてしまうイラン映画は、映画にとって何が一番大切なのかをよく分かっていると感じた。 ぜひハリウッド映画の中毒に冒されそうになったときの解毒剤に試用してもらいたい秀逸な作品。
10点(2004-08-15 21:36:20)(良:2票)
76.  トンマッコルへようこそ 《ネタバレ》 
けっきょく戦争映画というのは、戦争の悲惨さを伝えるという大義名分のもとに作られた娯楽アクション映画です。本作は前半はファンタジー、後半は明らかにハリウッド映画によく見られるような戦争映画に変わっている。韓国人のツボは、北と南は、いがみあっていても、最後に仲直りするというパターンみたいですね。だけどアメリカ人だけは敵だというわけですか。なるほど笑えます。しかし私には、殺す必要のない人物を無理やり全員殺して、強引に感動させようとしているようにしか思えませんでした。まるで韓国版アルマゲドンです。自己犠牲の精神が感動するのかもしれませんが、彼ら兵士だって愛する家族や両親がいるでしょ?そういう人たちを守らずに何の因果で、数日お世話になっただけの村のために命を捨てるのかよく分からない。村人たちは「いい人」というよりも、全員ガンジーのように非暴力主義。そもそも村の象徴的な存在の不思議少女が殺されたときに、村人たちは怒らなくてはいけない。たんに悲しそうな顔をするだけでは「いい人」とは言わない。それは「お人好し」だ。争いのない社会が理想だと言いますが、平和はタダで手に入りません。愛する人を守るために戦うことも必要。トンマッコルの村人は銃の怖さも知らず、愛する人間が殺される悲しみも知らなかった。村人たちは、無垢なのではありません、無知だったのです。 
[DVD(字幕)] 3点(2007-10-22 18:23:04)(良:2票)
77.  ウォーターボーイズ
モラルがない映画。いくら映画のためとはいえ、なんで大量の魚をおもちゃにする必要があるのか? 魚を人間に投げてぶつけるシーンなどは不愉快極まりない。あれが笑えるというのだろか? 笑いが非常に下品だと思う。 青春とは馬鹿をすることだという意味を間違えているとしか思えない。 監督が「馬鹿な男たちの馬鹿な行動を笑いなさい、これが青春なんだから」といくら言われても困る。 そんなことを言ったら日本のお笑い馬鹿バラエティー番組はいつも青春ではないか?あれと同類だ。 どうせなら日本語に字幕でもつけたらいいだろう。そうしたら完全に馬鹿バラエティーと同じになる。 ついでに信号機で逆上がりでもさせればいい。ますます馬鹿を強調できる。 ストーリーはありがちな落ちこぼれ人間が頑張る姿を見せることによって感動させようという類のもの。 笑いあり、感動あり、そして若い男の裸も見せてやるぞ、という企みがみえみえの超商業的な映画となっている。 日本の映画は死んでいるのか? いい映画もあるのにこういう映画を見せ付けられると非常に残念。 こんなものは映画にせずとも、よしもとのコントのネタで充分ではないか? 「面白い」という言葉の意味を履き違えた究極の駄作だと考える。
[地上波(吹替)] 0点(2005-07-30 21:54:45)(笑:1票) (良:1票)
78.  エレファント
この事件を知っていてこの映画を観るのと、知らないで観るのでは全然違うと思います。私はこの事件を知ってからこの映画を観ることをお勧めします。知っている人がこの映画を観ると、平穏な学校生活を見せられても、のんきな青い空を見せられても、生徒たちの戯れた姿を見せられても1つも退屈しません。観客はあれが「いつ始まるのか?」ということをドキドキしながら緊張感を持って待ち続けることができます。 あのマイケル・ムーア監督はこのコロンバインの事件で「銃社会アメリカ」をクローズアップしていました。しかし「エレファント」では、人を殺すのは「銃」ではなく「人」だということを伝えていたように感じました。 自殺願望を持った人間だからこそ、この事件は生まれたのではないでしょうか。 大切なことは銃の問題ではなく、なぜ2人の少年が人生に絶望したのかということだと考えます。銃の問題やインターネットの問題は原因ではなくきっかけに過ぎません。 心の闇の深さは訴えかけた映画のように思いました。さすがにカンヌの頂点にたった作品だけのことはあります。
[DVD(字幕)] 9点(2005-09-04 02:49:48)(良:2票)
79.  フライトプラン 《ネタバレ》 
面白い!これは母親の物語でした。娘を見失った母親が必死になって我が子を探す。わめく、泣く、怒鳴る、威嚇する、とにかくみっともないジョディー・フォスターを意外な思いで眺めていました。しかし最後になってようやく彼女の演じた「母親」がとても母親らしかったことに気がつきました。一般的に母親というのは「いい人」ではありません。極端なことを言えば全世界が滅びようとも我が子だけは救い出そうと考えるのが母親の本能なんだと思う。だから母親は仏教の世界では餓鬼地獄に落ちると言われたりもする。ジョディーが演じた母親は、乗客たちの安全よりも、とにかく娘のことを最優先に考えていた。その自己中心的な姿に共感する人は少ないと思いますが、私はこれこそ真の母親の姿だと感じる。反対に「男」という生き物は、いつも世間体ばかり気にしてカッコつけようとする。今回のジョディーは、本能をむき出しにした母親を演じていたように思います。そこに偽善が一切ないのが好感が持てる。まわりの迷惑を一切考慮せずに停電騒ぎをおこしたり、逆ギレしてアラブ人を犯人扱いにしたり、謝りもせず、お礼もいわず、ひたすら「娘~~!!」と叫びながら鬼気迫る形相で、善人の機長に食ってかかる母親はもちろん「いい人」じゃありません。乗客全員から悪意のこもった拍手をされているシーンが特に印象的です。しかし彼女は悪びれる様子もなければ自分の行っている行動に微塵の疑いも持っていない。それは「ははおや」だからです。全世界を敵にまわしても我が子を守ろうとする強い意志を感じました。私はそこに潔さを感じる。最後に殺す必要も無い犯人を爽快にぶち殺して、さっぱりした顔で娘を抱いて出てきた母親をみたとき、私は呆れるよりもむしろ感動してしまいました。いやはや痛快です。これぞ母親!これぞジョディー・フォスター! 
[CS・衛星(字幕)] 9点(2007-02-12 20:56:58)(良:2票)
80.  コラテラル 《ネタバレ》 
孤高とは孤独である自分を受け入れることができる人だと思う、しかし孤高とは孤独であるという事が前提であり、ただの人間嫌いはけっして孤高とは言わない。タクシーの運転手は「孤独」であり殺し屋は「孤高」だと私は見ていた。2人の人物造形は見事としか言いようが無い。トムクルーズは私はやはりさすがだと思う。最近はゴシップネタに晒されることが多いが、彼が一流の俳優であることをこの映画は証明している。トムの作り出した殺し屋はありふれた冷静で天才的な殺し屋ではなくて、かなり人間臭い。むしろドジだと言えるくらいだ。饒舌でありながら人格も破綻していた。しかしだからこそ、この男の心の闇が夜の街を通して明確に表現されていたのではないだろうか。タクシーの運転手と殺し屋という組み合わせは異質だが2人の共通点は社会の底辺で這い蹲って生きているということだと思う。 「この街のどこかで野たれ死んでも誰も気がつかないよ」と言った殺し屋はすでに自分の死を暗示していたようだ。 ラストの電車内の撃ち合いはすべてを終わりにしようと考えた殺し屋の自殺だったのだと今になって思う。殺し屋は「孤高」を貫く自分に疲れ果てたのではないだろうか。 そしてこの映画の最大の見せ場はコヨーテの登場シーンだと私は考える。殺し屋と運転手はコヨーテが横切る姿を言葉を失くしたように唖然と見入っていた、私もそれを呆然と凝視してしまった。なぜか?それは共感したからだ。 コヨーテは「孤高」の隠喩として用いられていたのだった。孤高という言葉を使わずともこの映画には至るところにそれを象徴させるメタファーが散りばめられていた。 似たもの同士の2人。殺しあった運転手と殺し屋だったが、もし出会いが違えば無二の親友にもなれたかもしれない。
[DVD(字幕)] 10点(2006-03-18 12:16:09)(良:2票)

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