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プロフィール
コメント数 115
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから8年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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1.  オルカ 《ネタバレ》 
 レンタル店で、ふと【発掘・良品】という帯のついたDVDを目にしました。それが当作品で、すぐレンタルしました。  当作品は、私が小学校高学年時に日本で公開されました。私にとっては、床屋の待合室で、少年誌に掲載されていた【内容紹介の漫画】を読んだときの印象が強烈でした。その漫画には「自分も交通事故で妻と子供を失った。だからオルカの気持ちがわかるんだ」と漁師ノーマンが語る場面がきちんと描かれており、私の頭に「この映画は、しっかりとしたドラマなのだ」と刻み込まれました。  その後、中学生になりTVの月曜ロードショーで観たときは、結末がわかっていたとはいえ「もし、ノーマンが、オルカの奥さんと子供の命を奪ったことに何も感じない悪人なら、観ていてどれほど気楽だったろう…」とやるせない気持ちで一杯になりました。  今回レンタルしたDVDには、月曜ロードショーの吹替えが収録されており嬉しく思いました。字幕でも観ましたが、以下、吹替えでの言葉を引用して書きたいと思います。   今回の再見で、少年時代の気持ちが蘇ったのは勿論ですが…感情のある存在としてのオルカの描写に加え、人間ドラマもあらためて丁寧に作られていると感心しました。  まずノーマンは、人前では作り笑いで取り繕いながらも「罪とは自分に対して犯している」という神父の言葉を真摯に受けとめ、「自分はオルカにとって、不埒な運転(字幕版では飲酒運転と明記)で女房を殺した奴と同じだ」「みんな俺のせいだ…許してくれ」と、自責の念にさいなまれる人物として描かれており、リチャード・ハリスが熱演していると思いました(吹替えた宮部昭夫氏は、私にとってカーク・ダグラスの声で馴染みがありましたが、ノーマンの人柄には合っていると感じました)。しかも今回の再見により、開始42分めで【オルカの妻の流産と、ノーマンの妻に起きた不幸な事故とが、フラッシュバックする場面】を認識できました。一瞬のシーンですが、ノーマンの心情を上手に表現していると思いました。  そして、当初、ノーマンを非難していた海洋学者レイチェルが、次第に彼の理解者になっていくプロセスも見事だと思いました。  それとは対照的に「あんたのオルカのせいだ」と責め続けた漁業組合長スウェインが、村人達と冷たい視線でノーマンの船出を見送るシーンは、漁村の死活問題で無理ないとはいえ、“よそ者”への集団心理を象徴的に映像化していると感じました。   一方、オルカの怒りは、ノーマンだけでなく、他の乗組員達にも及びます。このように【家族を失った怒り・憎しみの矛先が、原因となった相手だけでなく、次々と拡大していく】という現象は、この【フィクション】に限らず【現実】の対人関係や、戦争・テロにも通じているのでは…と思いました。それだけに、最後の闘いでノーマンがオルカに対し「お前はいったい何者なんだ!」と叫ぶシーンでは、【復讐】という言葉だけでは言い表せない、何か空恐ろしいものを感じずにはいられませんでした。   ところで、皆さんのレビューを拝読して「ジョーズ(1975年)のパクリか否か」という文面を幾つも目にしました。この点について私は「パクリという言葉を、どのような意味合いで定義するか」によって変わるかな…と思います。  つまり、最近、よく使われている【あるヒット作品に触発されて作られたもの・インスピレーションを得たもの】というザックリした意味合いなら、確かにパクリに該当するかもしれません。何故なら、↓の【鱗歌】さんのご指摘の通り、冒頭でホワイトシャークを撃退するシーンは、明らかにジョーズを意識し、そこのBGMも似ていると思うからです。  一方、古典的な【盗作/ヒット作品に便乗して儲けようという、その場限りの安易な作品】という意味合いなら、パクリではなく、ジョーズに触発されつつも独自性を確立した成功作品だと考えます。少なくとも私にとっては、海洋パニック映画という枠を越え【家族愛の裏返しとしての憎しみ/罪/排他的な集団心理】など、勧善懲悪や予定調和では割り切れない、人間の普遍的なテーマについて静かに訴えかけてくる力作だと思います。   さて、採点ですが…鑑賞環境は、DVD(吹替え)とし、マイケル・アンダーソン監督をはじめ、今は亡きリチャード・ハリスへの敬意を込め、10点を献上させていただきます。これからもエンニオ・モリコーネの哀愁に満ちたテーマ曲と共に【オルカの瞳/オルカの気持ちがわかるからこそのノーマンの苦渋に満ちた表情】が、いつまでも私の脳裏に浮かび続けることでしょう。 *字幕版だけで聞けるエンディングのボーカルも味わい深いです。  そして最後に、【発掘・良品】の帯をつけて下さった見識の高いレンタル店のスタッフさんに感謝したいと思います。
[DVD(吹替)] 10点(2018-02-15 22:22:26)(良:4票)
2.  スーパーマン(1978) 《ネタバレ》 
 この作品が日本で公開されたとき、私は中学生でした。「ヒーローものだが、幼児向けではなく、正統派の娯楽大作の風格を備えている」という前評判通り、大変見応えがありました。まず、少年時代の抒情的な田舎町の場面は「アメリカの人々にとって郷愁をそそられるのではないか」と、中学生なりに感じ入ったものです。そして遂にスーパーマンとして空を飛び、ロイス・レーンの救出をはじめ、泥棒を捕まえ、子猫をも救うたびに、映画館内は好意的な笑いに包まれました(後に知りましたが、劇場によっては、活躍のたびに敬意を込めた拍手が沸き上がったそうです)。私を含め当時の観客の多くが、当作品の真っすぐな作風と、主人公の真っすぐなキャラクターに、共感を抱いたからこその笑いであり、拍手だったのではないか…と思われます。  当作品が歓迎されたのには、当時の世相が反映されていたと思います。あの時代は、米ソの冷戦、そして泥沼化したベトナム戦争(1975年に終戦)などを背景に「どんなに頑張っても、我々に明るい未来はない」とでも言わんばかりの厭世的な雰囲気の作品が映画界でも支配的でした。【考えさせられる映画】と言えば聞こえはいいものの【重たく暗く悲しい気持ちになる作品】ばかりで、私を含め、当時の観客は「もう、うんざり」していたように思われます。そんな中、スターウォーズ(1977年)と共に、当作品も追随するように大ヒットしました。それは、当時「子供じみている」と敬遠されていた、往年のハリウッド映画のワクワクさせる理屈抜きの面白さを復活させたからに他ならないと思われます。数年後、日本でも両作品はTVで吹替え版が放送され、一時期は【スターウォーズ派とスーパーマン派】に二分されるほどの人気を博しました。両作品とも、根底に流れる面白さが共通していたからではないか…と思います。  さて、当時から問題視されていたのは、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ロイス・レーンを生き返らせるために、地球の自転を反転させ時間を巻き戻すシーンです。私は個人的に「育ての親・ジョナサンを救えなかった後悔と悲しみを背景に“二度と愛する人を失いたくない”という爆発的な感情によって起きた奇跡」と考え、違和感はありませんでした。むしろ巻き戻った後、本当ならロイスの車は地割れに遭遇するはずなのに、そうはならず、エンディングへと向かうことに違和感を持ちました。一応「巻き戻したことで、少し事実が変わったんだろう」と割切ることにしましたが…。  さて、採点ですが…、バットマン(1989年)以来、「ヒーローものは、ダークな面も描かなければならない」とでもいうようなお約束?が浸透しています。しかし1970年代の厭世的でダークな「うんざり感」を打破したスターウォーズとスーパーマンを機に、予定調和の娯楽大作が次々と製作されるなど映画が多様化したからこそのバットマンだと思います。その歴史的な意義を踏まえ、さらに、今は亡きクリストファー・リーブへの敬意を込め、10点を献上します。
[映画館(字幕)] 10点(2015-11-28 20:11:50)(良:3票)
3.  時をかける少女(1983) 《ネタバレ》 
 当作品の公開時、私は高校生でした。原田知世さんの大ファンだったクラスメートが観に行き「大半の観客は、同時上映の【探偵物語:薬師丸ひろ子さん主演】が目当てで、当作品の上映中は苦笑・失笑ばかりだったけど、俺は応援するような気持ちで観たぞ。内容や雰囲気など作品自体も良かったぞ」と熱く語っていたのを覚えています。  しばらくしてTV放映されたので観たのですが、私も好感を持ちました。全編にわたるノスタルジックな雰囲気をはじめ、それまでの大林監督作品の【ハウス:1977年】や【ねらわれた学園:1981年】などに典型的なギャグ要素(そのセンスに私はついていけなくて…)が皆無の作風に安心しました。若手俳優さん達の演技は、確かにお世辞にも上手いとは言えませんでした。しかし既にそれまでの評判でわかっていましたし、特に【実写映画版・火の鳥:1978年】から知っていた尾美としのりさんの喋り方からは「主演に合わせたのか、それとも作風に合わせたのか、演出で意図的に棒読み調に統一したのかな…」という印象を受けたので、私は気にしませんでした。また、数々の台詞についても【1970年代の青春ドラマ・スポ根ものの台詞や演出を“くさい”とお笑いのネタにする】という当時のTVバラエティーの風潮に懐疑的だった私は、逆に真っすぐな気持ちで受けとめました。   その後も、深夜放送等でたびたび観ていたのですが、今回、某ローカルTV局でノーカット放送していたので録画し、20数年ぶりに再見しました。さて結果は…。  まず、障子に映るシルエットで表現されたオープニングタイトルからして「単なる学園SFものではない」とあらためて思いました。この場面に限らず、光と影を基調とした映像の数々には【当作品公開の数年後、ホームビデオカメラに押され生産中止の危機にあった8ミリフィルムについて、映像表現の媒体としての価値を力説していた大林監督の姿】を思い起こしました。タイムリープの場面には【実写のコマ撮り】や【スチール写真の切り抜き風に演出した人物のアニメーション】を複合させた、言わば【8ミリフィルムカメラの限定的な機能でも可能だった映像表現の再現】のような一面を感じました。そして、主人公をはじめとする若者像や風景描写は、リアルな学生や現実の街並みというより、大人が懐かしさをもって思い出すプライベートなイメージのように思いました。これらのことから【商業(アイドル)映画という体裁で製作した個人映画・自主映画】という印象も受け、大林監督のキャリアがあればこそ実現した贅沢な作品とも言えるかな…と思いました。  なお、ストーリーについては、現在、子供を持つ親となった私には、切なさを通り越してつらいものを感じました。主人公は「普通の女の子に戻りたい」と言っていたのに、未来人との出会いで本来の【幼なじみと結婚し、母となり…】という【普通の営み・人生の喜び・命のつながり】が断ち切られたように思います。このことと、交通事故で息子夫婦や孫の命を奪われた隣の老夫婦の姿とが重なったのです。そして「ひとが、現実よりも、理想の愛を知ったとき、それは、ひとにとって、幸福なのだろうか?不幸なのだろうか?」というオープニングの字幕が、重苦しくのしかかってきました。それだけにエンディングは「これは、フィクションですよ。気楽な気分で現実に戻って下さいね」と感じられ、救われた気持ちになりました。【それまでの雰囲気のぶち壊し】が、私にはプラスになったわけです。   さて、採点ですが…個人的には10点にしたいところですが、当作品を好意的に観られるかどうかは「演技や台詞をとりあえずスルーできるか」「ストーリーを追うよりも雰囲気を味わえるか」「ゆったりした展開を、詩的なものとして受け入れられるか」「タイムリープの場面を、アマチュア的な手作り映像へのオマージュとして好意的に捉えられるか」「エンディングで気持ち良く気分転換できるか」にかかっているかな…と思います。このように、万人受けする作品ではない点を差し引きつつ、それでも大林監督が生んだ名作として9点を献上いたします。
[地上波(邦画)] 9点(2017-03-12 14:18:36)(良:3票)
4.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》 
 ゴジラ (1984年)に続き「原点回帰を目指し、現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトのもと、ゴジラが単体で登場する作品としては32年ぶりとなった第3段。なお、GODZILLA(1998年)も単体での登場作品ですが、製作側が「原子怪獣現わる(1953年)のリメイクを作りたかったが、資金集めのため、ゴジラのネームバリューを借りました」と言っているので除外します。  私は1984年版を「コンセプトは良いのに表現力が伴わず、非常に残念」と思っているので、以下、主に【1984年版との比較】という観点でお伝えします。  まず一つ目。1984年版に比べ、危機的状況の臨場感がはるかに上回っていると思いました。他の皆さんがおっしゃる通り、東日本大震災-2011年-の記憶がまだ遠いものでないからでしょう。ゴジラ1作目(1954年)も、太平洋戦争終結時-1945年-から9年しか(人によっては“9年も”のようですが…)経っていませんでした。その点、1984年版は、こうした生々しい記憶・体験の空白期での製作だったので、どうしても【頭の中でのシミュレーション】に留まっていたように思います。ある意味、当時は、幸せな時代だったのかもしれません。  次に二つ目。1984年版に比べ、シミュレーションとしての情報処理が洗練されていると思いました。1984年版は、膨大な情報量を消化しきれず、説明で一杯一杯で平板な展開になっていました。一方、シン・ゴジラは、前半に【会議や手続きなど諸々の理屈っぽい情報】を集約して【もたつき・まどろっこしさ】として表現し、後半になるに従い【対策実行のシミュレーション】に絞って【シャープ・スピーディー】な展開になっていたと思います。  三つ目として【本筋に影響しない恋愛ドラマ】を挿入しなかったことも気持ち良かったです。1984年版で一生懸命に演じていた田中健さんと沢口靖子さんには申し訳ないですが、登場シーンのたびに映画の流れがもたつきました。一方、シン・ゴジラの、長谷川博己さんと石原さとみさんとのやりとりは【対立から協働へ】とまとまり、恋愛感情も芽生えず、清々しさを感じました。  四つ目として、1984年版の【スーパーX】のような架空のメカを使わなかったことも嬉しく思いました。あれから32年経ちますが、スーパーXと思しきものは未だ自衛隊に存在していません。シン・ゴジラの【血液凝固剤】も架空ですが、スーパーXほど突飛な印象は受けず“あり得る”と思えました。  さらに五つ目。音楽も、1984年版はドキュメンタリータッチにしたかったのか?一部を除いて使い方が控えめで、音楽と共にその都度、映画の流れが途切れてしまう印象を受ける箇所が多々ありました。その点、シン・ゴジラの音楽は【普通】に劇的効果を上げていると思いました。この【普通】が1984年版では【普通】ではなく「音楽を下手に使うと却って展開を邪魔する悪い手本」のように感じていただけに、シン・ゴジラでは安堵しました。  最後に六つ目。これは比較ではなく私の推測ですが…1984年版は製作発表時こそ「現在にゴジラが現れたら…」というコンセプトで出発したものの、途中から「華が無いから、東宝シンデレラ(1984年に発足したオーディション。第1回グランプリが沢口靖子さん)が出演する場面を入れよ」「火山に誘導する対策だけでは地味だから、スーパーメカを出せ」といった会社からの営業上の注文が出てコンセプトがぼやけ、現場は混乱し、映像と音楽を十分にリンクさせる時間もなく…といった事情で、上記のような残念な仕上がりになってしまったのでは…と思ったりしています。そして樋口真嗣氏は当時19歳で、特殊造形助手として1984年版の製作に携わっていました。そうした製作現場の実情(あくまで私の推測ですが…)を痛感した樋口氏は「いつか、会社からの注文に振り回されない、本来めざした現代版ゴジラを作ってやる」と思ったかもしれません。だとしたら、今回、庵野秀明氏という最強のパートナーを得てその宿願を果たした…きっと、今は亡き橋本幸治監督をはじめ1984年版の作り手さん達も「樋口よくやったぞ!」と褒め称えているのではないか…そんな【32年越しのインサイドストーリー】を想像するぐらい、シン・ゴジラには感激しました。  さて、採点ですが…物心ついたときからCG特撮が当たり前の若い人達にはショボいと感じる部分があるにせよ、1984年版をタイムリーに知っている私としては、↓の【どっぐすさん】と同様に「これがずっと望んでいたゴジラだ!1984年版だってこのように作れば傑作になり得たはずなんだ!」と庵野・樋口両監督への感謝の思いで一杯です。私が勝手に想像するインサイドストーリーも加味し10点を献上させていただきます。
[映画館(邦画)] 10点(2016-08-17 21:20:19)(良:3票)
5.  スター・トレック(1979) 《ネタバレ》 
この映画は、私が中学の夏に「スターウォーズ・帝国の逆襲」と同時期に公開されました。当時のキネマ旬報では「スターウォーズとは一線を画した本格的なSF映画」という趣旨で特集が組まれました。しかし私はTVシリーズを知らなかったので、映画館には足を運びませんでした。その後、テレビ朝日でシリーズの再放送が始まり、すっかり夢中になりました。  こうして高校生になり、某名画座で、ようやく観られました。バトルで解決するのではなく、議論を通じ【論理と感情/機械と人間】を対比させながら、明るい未来と人間性を示唆する展開は、スタートレックの初心者だった私にとって、まさにスタートレックらしさと感じました。また、製作時間の制約のためにドラマ部分とのバランスが悪いと言われていた特撮場面も、悪い印象は受けませんでした。むしろ、エンタープライズの美しさは勿論、ヴィジャーの張る磁界や本体の外観は、映画館のスクリーンでは非常に広大・巨大感があり、食い入るように見つめたものです。見終わったときは、スターウォーズとは異なる満足感に包まれました。  その後しばらくして、日曜日にテレビの地上波で放送されたときには、翌日「特撮もいいけど、それ以上に内容も素晴らしく、まさにSFらしい映画だった」と我がクラスでは大評判になりました。上記のアンドレ・タカシさんがおっしゃっている通り、短くカットされて小気味よいテンポになっていたこと、吹替えの台詞が字幕よりも丁寧だったことで、全体にわかりやすくなっていた(もちろん、短縮に無理があって唐突に場面が飛ぶ箇所も一部ありましたが・・・)のが、プラスになったように思います。特に、小型宇宙船でエンタープライズ号へ近づいていく台詞なしの数分間の場面は、劇場版ではBGMを流しているものの「ファンや、ジェリー・ゴールドスミスの音楽が好きな者以外には退屈ではないか」と世間での評判は、この冒頭の部分から意見が分かれていたものです。一方、このTV吹替え版では【恒星日誌】という体裁で場面設定に関する解説ナレーションを被せていました。劇場版よりも観やすく上手い演出だと思いました。  ただし、その後、日本でのビデオソフトとして普及したものは、1983年に米国で放送されたテレビ放映版でした。映画公開時にカットしていた場面を復活させたのには感心しましたが・・・私には、ただでさえ劇場版は長くて賛否両論があるのに、前後のつながりが不自然で却ってくどくなっている印象を受けました。「あくまでも模索版であり、これが映画版のスタートレックと思われるのは、マイナスではないか。これなら自分が高校時代に放送された日本のTV吹替え版のほうが、よほど良いのではないか」と釈然としない思いをしたものです。  幸い、2001年に、ロバート・ワイズ監督の再監修による【ディレクターズ・エディション】として真の完成を遂げました。この完成版を見ると…副音声等による当時の苦労話の情報と相まって「スタートレックの生みの親であるジーン・ロッデンベリー氏の思いと、ワイズ監督の堅実さが見事に結実した作品」だとあらためて思いました。ただし、以後の映画シリーズと見比べると【ロッデンベリー氏&ワイズ監督の考えていたスタートレックらしさ】と【多くのファンの求めていたもの】には違いがあることも否めないと思われます。  さて採点ですが、商業・娯楽映画という制約がありながらも、正統派のSF映画としての作風を貫き通した、今は亡きロッデンベリー氏とワイズ監督、そして、この作品に携わったスタッフの皆さんに敬意を表し、10点を献上します。  *以前は入力に字数制限がかかって、やむなくカットしていた文面があったのですが、アンドレ・タカシさんのレビューを拝見し、更新・復活させていただきました。
[DVD(字幕)] 10点(2015-01-11 19:24:25)(良:2票)
6.  三大怪獣地球最大の決戦 《ネタバレ》 
 昨年末に、あるレビュアーさんが当作品を再投稿(変更レビュー)されていたのを機に、全員の方のレビューを拝読しました。その結果、無性に観たくなったので、DVDをレンタルして観てみました。  実は、私にとって初めて観た【ゴジラ映画】が当作品です。当時、私は小学生。その頃は夏休みの夕方にフジテレビで、往年の特撮映画を放送していました。その中で観て、すっかり夢中になりました。ドラマ部分で言えば、王女の「私は金星人」、進藤・兄の「私は日本の警察官。あなたのボディーガード!」という台詞が記憶に残りました。  その後も、放送されるたびに観たものですが、ここ30年ほどは観る機会もなく歳月が流れました。また、↓の【へちょへちょ】さんがおっしゃる通り、赤ひげ(黒澤明1965年)の製作が遅れたために急遽つくられた【埋め合せ作品】ということも、私も近年に知っていました。   そして今回、再見したわけですが…  まず、印象に残ったのは【埋め合せ映画】とは思えない熱の入れようだと思ったことです。単なる【埋め合せ】なら、大半を既存のフィルムをもとに再編集した作品を公開する選択肢もあったはずです。確かに構想に3年かけたと言われる【モスラ:1961年】に比べて、市街地のミニチュアは小規模であり、自衛隊との攻防シーンは皆無、しかも決戦の舞台が富士の裾野なのは、製作が短期間だったことを物語っているように思います。しかし、それはあくまで“見比べたら”の話。キングギドラという新怪獣を創造した時点で「時間などの制約はあっても、決して安直な作品にはしない!」と宣言して製作を始めたのも同然だったのでは…と思いました。  そのギドラについて言えば、現在では「ギドラが金星を滅ぼした理由が描かれていない」と批判されそうですが…そんな理屈抜きに、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ギドラが威風堂々として格好いいです。ゴジラ達を弾き飛ばしたりする姿は、まさに凶悪無比の宇宙怪獣!これこそキングギドラの真の姿だ!と私の中に眠っていた【ガキ】の心が蘇りました。ギドラの設定からも分かるように、核の警鐘といった従来の重々しい路線から離れて娯楽に徹した【冬休み・お正月映画】に相応しい作品だと思いました。  またドラマについても特撮同様に手を抜かず【進藤・兄:王女の探索と護衛】【進藤・妹:預言者(王女)と小美人の保護】【村井助教授:隕石調査とキングギドラの登場】の3つが、クライマックスに向けて一つにまとまっていく構成は、あらためて上手いと思いました。なお、個人的には、前半の、進藤宅の居間でのやりとり=兄をからかう妹→怒って妹を掴む兄→「おかあちゃ~ん」と言う妹→「およしよ、2人とも、いい歳して」と諫める母親…という何気ない日常シーンに非常に親しみを感じました。本多監督の怪獣映画では、こうした生活感や温かみのある描写が伝わってくるものが多いように思います。     さて採点ですが…当作品が公開された1964年(昭和39年)は、東京オリンピックが秋に開催された年だとあらためて気づきました。当時の日本全体に溢れていた勢いとエネルギーが当作品にも反映されていたのかもしれません。製作の追い込み時期は、まさにオリンピックの真っ只中だったでしょうから、スタッフの皆さんは「今、オリンピックで日本勢が大検討している。我々も負けずに良い作品に仕上げよう!」「我々が頑張れば、きっとオリンピックでも日本勢は勝てる!」と活き活きと取り組んでおられたのではないか…と想像したりしています。  このようなわけで、一般的な感覚でなら7~8点の作品かもしれませんが、昭和のエネルギー満載の元気が出る映画として、大甘で10点を献上させていただきます。
[DVD(邦画)] 10点(2018-01-11 21:32:40)(良:2票)
7.  スター・トレック2/カーンの逆襲 《ネタバレ》 
 この映画は、製作総指揮が、TVシリーズの生みの親であるジーン・ロッデンベリー氏から、手際よくこなすヒットメーカーのハーヴ・ベネット氏に交代しました。既に「本来のスタートレックらしさを取り戻した作品」として、ファンから不動の評価を得ています。しかし「以下のような話もあり得たかも…」と個人的に思っているので、お伝えしておきます。   私が一番、引っかかっているのは、TVエピソードの結末を壊している点です。TVエピソードの原題は「Space Seed=宇宙の種」と言います。カーンはラストで、惑星セテイ・アルファ・Ⅴへの追放を前に「私は星を手に入れることを望んでいた。立派な帝国を築いてみせる」と誇り高く宣言して去っていきました。カークとスポックはカーン達の入植を「宇宙の種」に見立て「今日、蒔いた種が、どんな実を結ぶことになるか、いずれ訪問しよう」という明るい未来への展望をもって幕を閉じました。したがって当映画も「優性人間達のその後の動向を再調査するため、惑星を訪れた」という設定でも十分、話は成立したのでは…と思われます。それなのに、映画では「隣の惑星が爆発して不毛の土地になってしまった」だったのです。蒔いた種を根こそぎにしたように私は感じてしまったのです。  こうした変更は、製作の実権がベネット氏に変わったことが一因かな…と思ったりしています。もしロッデンベリー氏なら【カーンは、当時の屈辱をカークに吐露し衝突しながらも、惑星に訪れた危機に対し協働で乗り越え…】といった和解へつながるコンセプトの物語にしたのでは…と思ったりしています。  ただし、製作当時は、ソ連との冷戦を背景に、レーガン大統領により「強いアメリカ」が標榜され、映画界にも少なからず反映されていた時期でした。そのためか?最初のレギュラー陣による映画版(1~6作目)のうち「アーミー色が強い作品」とも言われています。したがって、仮に上記のようなコンセプト案があったとしても、当時は作り難かったのかもしれません。こうしたコンセプトの映画は、冷戦終結を背景にしたスタートレックⅥ(1991年)で実現することになります。まさに「映画は時代を映す鏡」と思われます。   さて、採点ですが…私自身、スポックが亡くなる場面に涙したものの、上記の【引っかかっている部分】を差し引き、ファンの皆さんには申し訳ありませんが、9点とさせていただきます。  令和3(2021)年6月13日(日)追記:↑の【鱗歌さん】のレビューを拝読してみて、公開当時の映画館での思い出が甦りました。それは、寄生生物が耳から出てくるシーンに場内がザワつき、映画が終わった後も「あの虫が気持ち悪かったね」という感想が飛び交ったことです。【鱗歌さん】のおっしゃる『小技も(というかむしろ小技の方が)効いてます』は、まさに言い得て妙だと感じました。なお、当時、スタートレックといえば、TVシリーズのTOSと映画版1作目のみの時代。場内の「気持ち悪い」を耳にして、当時の私は内心『そもそも、TVのSpace Seedの設定を壊している感じがするだけでも腑に落ちないのに…スタートレックは、気持ち悪さを売りにする作品ではなかったはずなんだけど…こういう路線変更って嫌だな…』と寂しく思ったものでした。当時を思い出して何だか減点したくなってきましたが…とりあえず9点のままにしておきます。 *追記を機に、改行や段落が不自然だったので修正してあります
[映画館(字幕)] 9点(2015-01-11 19:40:49)(良:2票)
8.  スター・トレック3/ミスター・スポックを探せ! 《ネタバレ》 
 この映画も、1作目・2作目に続き、映画館で見ました。2作目は、もともとTVのスペシャルムービーとしての企画を、途中から映画公開へと変更したそうで、1作目のカットを使い回したり、音楽(オーケストレーション)のスケールがこじんまりしていたりと、当初の企画の名残りが垣間見える印象を受けました。一方、当作品は佳作レベルながら、音楽に奥行きがありスケール感がありました。また、宇宙艦隊のドッグは、映画1作目のヴィジャーのようにじっくり見せなくても、巨大感は十分、伝わってきました。「1作目当時に比べて、特撮の見せ方も随分変わったな…」と思ったものでした。  さて、映画自体への感想ですが…映画館で見たときはその日の最後の上映時間であり、たまたまファンの皆さんが集っていたのでしょうか、各キャラクターが活躍する見せ場など、ファンサービスの場面のたびに、映画館内は好意的な笑いに包まれました。スポックも復活して私も安堵しました。しかも、最後に登場するバルカン星の女性祭司は、ヒッチコック作品・レベッカ(1940年)で、ヒロインをジワリジワリと追い詰めていく家政婦長・ダンバース夫人を熱演した名女優ジュディス・アンダーソンさんでした!。アンダーソンさんであることは、映画を見終わってから知りましたが、ご健在ぶりをとても嬉しく思ったものです。  ただし、当時、私の周囲(高校)では以下のような感想もありました。「惑星のセットがテレビっぽくて、如何にもスタートレックらしかったよ」…これが誉め言葉でないことはおわかりいただけるかと思います。このように、当時から、この映画シリーズは、2作目以降、ファンには好評でも、それ以外の観客からは低い評価を受けていた面があり、米国でも同様だったようです。こうした【身内受け】的な面を打開すべく作られたのが4作目(1986年)だったわけです。  さて、採点ですが、ファンの皆さんには申し訳ありませんが、【身内受け】的な面を差し引き、9点とさせていただきます。  平成30(2018)年10月8日(月)追記:↑の【Tolbieさん】のレビューを拝読してみて、ロードショー公開当時に私の耳に入った別の感想を思い出しました。それは…「エンタープライズは廃艦で、新鋭艦のエクセルシオールが登場するという設定は、さらば宇宙戦艦ヤマトでの【ヤマトは廃艦-新鋭艦のアンドロメダが登場】という設定と似ている。それに、キャラを死なせてファンの涙を誘っておきながら、都合良く生き返らせるし…。スタートレックとは、まさにヤマトのアメリカ版だ」というものです。この感想も、決して誉め言葉ではなく“当時低評価だったヤマトシリーズの二番煎じ”という意味合いでした。私は「スタートレックの誕生は1966年で、ヤマトより先なんだけど…」と反論したものの「確かに映画版の2・3作は、何かしらヤマトの影響を受けているのかも。○作とは言わないまでも…」と否定しきれず、つい、スタートレックシリーズに危機感を抱いていましたっけ…あれから30年以上。危機感は一時的なものに終わり良かったです。遠い昔のお話です。
[DVD(字幕)] 9点(2015-01-11 19:42:39)(良:2票)
9.  八甲田山 《ネタバレ》 
この映画は、封切り当時、雪山の恐ろしさを私に伝えたい父に連れられて映画館で見ました。当時の私は小学校の高学年でした。以下、当時の感想を、他のレビュアーの皆さんの感想も絡めながら書きます。まず、大画面で見たからでしょうか、雪山での登場人物の顔は、概ね区別できました。青森5連隊と弘前31連隊の場面上の区別にあたっては、「31連隊は、少人数で耳当てをし、歩くときに小声で数を数える」を手掛かりにしました。そしてどんなに努力しても立ちはだかる山・木々・崖・吹雪の夜…という出口の見えない5連隊の場面展開には「絶望」を感じました。また「我々には磁石がある」と道案内を断ったことに端を発する大隊長の態度が事態を悪化させたことは、「組織論」を知らない子供の私でもわかりました。そして「5連隊の人達には一人でも多く助かってほしい。神田大尉は、徳島大尉と再会してほしい」と祈るように見ていたため、全く眠くなりませんでした。徳島大尉の子供時代の回想シーンも印象的でした。私の父も自分の故郷の山や川を自分の原点としていつも語っていたため「つらく苦しいとき、子供時代の故郷の思い出が、生きる力になるんだ」と子供心に思ったものです。このように大画面に没入していたため、遺体安置所で神田大尉の奥さんが「徳島様とお会いできるのだけを楽しみにしていました」と語った瞬間、私は生まれて初めて、映画・TVドラマで涙を流したのでした…。このように、小学生をも感動させる力が、この映画にはあったのです。 その後、年齢を重ねながらTV放映を見るたび、スタッフの皆さんや、実はオールスターキャストだった俳優さん達の、並々ならぬ情熱・苦労・忍耐にも思いを巡らせるようになりました。ただし、最近、DVD(特別愛蔵版)で見たときには、雪山での登場人物の顔が黒くつぶれてしまって違和感がありました。同時収録の予告編での顔はそれほどでもなかったので、おそらくディスク収録上の問題と思われます。私はテレビ画面を一時的に明るく調整して対処しました。もし今後、DVDでご覧になる方で、暗くて顔の区別がつかない場合には、同じようにしていただくと、少しはましになるかもしれません。 さて、採点ですが、最初に見たときの感銘そのままに「鑑賞環境」は「映画館」とし、10点を献上します。芥川也寸志さんの音楽と共にいつまでも鮮明に蘇る、私にとっては永遠の名作です。
[映画館(邦画)] 10点(2015-02-11 19:51:54)(良:2票)
10.  スター・ウォーズ 《ネタバレ》 
 この映画は、日本での公開前から「往年のハリウッド映画(西洋活劇・西部劇など)のワクワクさせる理屈抜きの面白さを、SFの設定で復活させた作品として、アメリカで社会現象と呼ばれるほど大ヒットしている」と話題になっていました。  私は当時、小学校の高学年でした。私はそれまで、テレビでよく放送されていた1950年代・60年代のハリウッド映画の名作に親しみを持っていたため、冒頭のフルオーケストラのテーマ曲を聴いたときから「かつての名作の雰囲気を復活させてくれている!」と感激しました。特殊撮影もそれまでの映像と一線を画すものであり、すっかりはまってしまいました。そして何度も映画館へ足を運んだものです。  しかし日本での公開当時(1978年)、邦画には強力なライバルがいました。それは「さらば宇宙戦艦ヤマト」です。男性客だけでなく10代の女性客の支持も集めてヒットしていました。そして私の周りは圧倒的にヤマト派でした。ある映画館では、この二つの作品を同時上映していたので見に行きましたが、やはりヤマトに好意的な観客が多かったのです。今でこそ、映画・漫画を問わず、スターウォーズのように現実の地球に囚われない架空の世界を舞台にしたファンタジーは当たり前ですが、当時の人達には理解し難かったようです。象徴的なのが、タトウィーンの二つの太陽が沈んでいく場面です。「これって何?地球じゃないの?」といった戸惑う声が客席から聞こえたものです。結局、当時の私の周りでは、ヤマトは賛美され、スターウォーズはこき下ろされました。内心「何で両方とも面白いね、というように考えられないんだろう?」と複雑な気持ちですごしたものです。  私と同様に公開当時に観たレビュアーさん達のコメントを拝見すると、私の体験はあくまでローカル的なものだったようです。この作品の魅力については、タイムリーに見た他のレビュアーさん達が、余すところなく伝えて下さっているので、私がここであらためて書く必要はないかな…と思いますが、時代を越えて当時の喜びを分かち合えて嬉しい限りです。  さて、採点ですが…、今の若い人達には「普通の映画」という印象に留まる場合もあるようですが、若い人達が面白いと感じる娯楽映画の原点こそ、スターウォーズなのだと思います。その歴史的な意義を踏まえ、10点を献上いたします。 
[映画館(字幕)] 10点(2015-02-23 21:49:13)(良:2票)
11.  恐竜・怪鳥の伝説 《ネタバレ》 
 【空の大怪獣ラドン:1956年】を投稿したとき、ちょうど【あばれて万歳】さんが当作品の投稿をされており拝読しました。それを機に、レンタル店でDVDを取り寄せてもらいました。時間はかかりましたが、その間に、他の皆さんのレビューも拝読した上で鑑賞・投稿させていただきました。   当作品が公開されたのは、私が小学校高学年のとき。ポスターの絵は格好いいと思いましたが…女の人が首長竜にくわえられており「この映画には、女の人が食べられるシーンがある」と直感しました。当時は【ジョーズ:1975年】などが流行っており、私は“人間が食い殺される”ということを想像するだけで怖くて仕方がなかったため、当然、当作品についても、映画館には足を運びませんでした。  後年、テレビ東京の午後に放送されたものを、途中(翼竜が町の人達を襲うシーン)から観ました。おそらく、↓の【さくぞう】さんが録画したときの放送では…と思います。私は「ああ、やっぱり…」と思いました。音楽にしろ特撮にしろ「日本映画低迷期(力作もありましたが…)である1970年代の映画の典型だな」と感じたのです。そして、木の枝で主人公達が繰り広げるラストシーンも「長い・くどい・見苦しい」と、悪い意味で印象に残り「映画館へ行かなくて正解だったな」と思いました。   今回、再見してみて、当作品の【特徴】は、他のレビュアーさん達が言い尽くして下さっていると思ったので、以下、【脱線話】を…。  今回、私は、ムク・ショウヘイを見るなり「あ…TVシリーズ・仮面の忍者 赤影(1967~1968年)の“白影のおじさん”じゃないか」と思いました。上述のテレビ東京の放送を観たときには、既に出番を終えていた(食い殺されていた)キャラクターだったんですね。観終わった後、白影こと牧冬吉さんをはじめスタッフさん達を調べたところ…監督の倉田準二さんと、脚本家の一人である伊上勝さんは【赤影】のコンビだと知りました。きっと牧さんは、お二人から声をかけられての出演だったのだろうと思いました。  ♪優しいおじさん白い影。三人揃って力を合わせ…これは【赤影】の主題歌の3番の歌詞の一部です。ムク・ショウヘイが単なる役柄だったとはいえ、“優しい白影のおじさん”が、あのような最期を遂げたのは、悲しかったです。   年配のレビュアーさんならご存知かと思いますが、【仮面の忍者 赤影】は、残酷描写が皆無の明朗で真っすぐな作風でした。赤影・青影・白影といった忍者達のデザインや繰り出される忍術は、時代考証は横に置き、自由奔放で無邪気さに溢れていました。今から数年前、我が子が幼い時にDVDで第1部(金目教篇)をレンタルして観たのですが、「監督、この忍術のアイディアはどうでしょう?」「お、いいね!やってみるか!」といった活き活きした製作現場が目に浮かぶようでした。一緒に観た子供も夢中になり、しばらく二人で“忍者ごっこ”に熱中したものです(残念ながら第2部以降は、レンタル店から無くなり、観られずじまいとなっております…)。  それに比べ【恐竜・怪鳥の…】は血生臭くアダルトな場面もあり…と、あまりにも【赤影】とは対照的だと思いました。推測にすぎませんが「ジョーズのヒットに便乗して儲かればいいから…あ、そうそう、サービスカットとして女性の下着姿もお忘れなく」といった上役さんからのお達しで、倉田監督達は仕方なく作ったのでは…と思えてなりません。  なお【恐竜・怪鳥の…】の開始22分めに、赤ちゃんを背負ったお婆さんが、昔から伝わる子守唄を歌う場面があります。もし、あのように、その土地に根づいた雰囲気をもとに【赤影】のような作風にしていたら…億単位の製作費をかけたようなので【昔々、湖に潜む“ホオズキのように赤い眼をした竜=実は首長竜”に挑んだ者達がいた。それが現在でも伝説・子守唄として西湖に残った】といった時代劇にするのも可能だったと思います。忍者が登場するかどうかは別にしても、そのほうが、倉田監督達は、伸び伸びと本領を発揮して【ドカベン】との同時上映に相応しい作品になり得たのでは…と思ったりしております。おそらく当作品とは違った意味で突っ込みどころ満載になったでしょうが、ずっと好印象のものになったかと思います。   さて、採点ですが…【赤影】と【恐竜・怪鳥の…】の隔たりは10年です。“お家芸の時代劇の要素を盛り込んだ東映初のカラーのTV特撮番組”という意欲作だった【赤影】から10年の間に、映画会社・東映に及んだ諸事情を象徴する“迷作”が、この【恐竜・怪鳥の…】と言えるかもしれません。率直な印象は2~3点ですが、倉田準二監督・伊上勝さん・牧冬吉さん達に【赤影】で楽しませてもらった感謝の気持ちを込めて1点を加え、計4点とさせていただきます。
[DVD(邦画)] 4点(2018-02-22 22:46:04)(良:2票)
12.  ファンタスティック・プラネット 《ネタバレ》 
 私が当作品を知ったのは中学生のとき。スターウォーズ(1977年)を発端に出版されたSF雑誌に、日本未公開作品として紹介されていました。私は「このような独特の絵が動くのを観てみたい。日本のアニメのように、セル画に起こして原画とは違う質感になるのかな?でも、一般受けしそうな絵じゃないから日本公開は無理か…」と思いました。その雑誌にはアニメートに関する技術は解説されていなかったのです。  あれから約40年…皆さんのレビューの拝読を機に、とっくに日本でもTV放送され、DVDも販売…と知りました。レンタル店に行ったら、あっけなく見つかり、早速、鑑賞。    さて結果は…目に焼き付いていた独創的な絵が、質感そのままに動くことに感激しました。他のレビュアーさん達が解説して下さっていますが、切り絵による表現だそうで…おそらく、当時の日本で製作しようにも「こんな手間暇のかかる技術では、採算がとれない」とボツになったことでしょう。否、絵柄自体でボツですね、きっと…。  しかも10分程度の実験映像ではなく、長編劇映画として完成できたことは、お国柄が違うとはいえ、ルネ・ラルー監督にとって作家冥利に尽きるのでは…とも思いました。また、作家性が強い作品の場合、ストーリーが難解のものがありますが、当作品はストーリー(あらすじ)がわかりやすいぶん、私は映像のイマジネーションの世界に浸れました。  そもそも当作品の独自性は、文字情報でも表現可能な【ストーリー性】よりも【絵柄=映像/音=BGMや効果音】によるところが大きく、まさに映像作品ならではと思われます。原作は未読ですが、もしドラーグ人を始めとする惑星イガムの様相が【原作通り=文字情報が基】だとしても、それを視覚化し得たことは、やはり価値があると言えるのではないでしょうか。  敢えてストーリーの物足りなさに言及するなら…テールを育てたティバの存在が、テールが家から逃げた後、それっきりになったことです。リメイクしたら、ラストで再登場するなど締め括りに重要な役割を担いそうですが…リメイクはしないですね、きっと…   なお、他のレビュアーさん達から「気持ち悪い」といった感想が多く寄せられていますが…実のところ、ルネ・ラルー監督ら作り手の皆さんも、観客の皆さんが「気持ち悪い」と感じるよう、めざしていたように思えます。  それを示唆していると感じたのは、映画の開始後、約13分頃に登場する【シン知事ら4名の瞑想の場面】です。知事達の身体が歪んでいく様子を目撃した主人公・テールは、口元を押さえ、あたかも“オエッ”と嫌悪感を露わにしている印象を受けました。このことから「作り手の皆さんは意図的に、気持ち悪い場面にしようと考えて表現したのでは…」と私も思ったわけです。他の場面についても、大なり小なり、同様だったのでは…と推察します。  ひょっとすると「私たち地球人が気持ち悪いと感じるものこそ、ドラーグ人やイガムに住む人間達は美しいと感じるはず…と想像しながらデザインしました」といった趣旨のインタビュー記事が、どこかにありそうな気もします。仮に「テールが、シン知事たちの瞑想を“オエッ”と気持ち悪がっている場面がありますけど…」と突っ込んでも「あのときのテールはまだ幼く、初めてのものを見て驚いただけ」と言われちゃいそうです。いや、ちょっと考え過ぎ?…   それにしても、私にとって当作品は【記憶の片隅にあった、遠い異国の幻の映画】でした。上述の通りレンタル店であっけなくDVDを発見したときは「当作品の情報から隔絶されていた自分の生活環境って何なんだ?陸の孤島か?」と思いましたが…思春期のときに観たらドキドキしそうなアダルトな絵も多かったので、“歳を重ねた現在”での鑑賞で、ちょうど良かったかもしれません。  いずれにせよ、当サイトが無ければ、私は、一生、観ず仕舞いだったことでしょう。ありがとう、シネマレビュー!   さて、採点ですが…いつもなら「万人受けしない点を差し引き…」としますが、他のレビュアーさんもおっしゃっている通り【唯一無二の作品】だと思いますし、少年時代の夢が叶ったという思い入れも加味し、大甘かもしれませんが、10点とさせていただきます。  ~備考~  余計なお節介かもしれませんが、当作品をご覧になるか検討している方々へ。もし可能なら、事前にDVDなどのパッケージやインターネットに掲載されている絵(静止画像)をご覧いただき「この絵が動くなんて、想像しただけで気持ち悪い」と感じた方は、観ないほうがいいのでは…と思います。せっかく観てもトラウマになるのでは、心身の健康に良くないと思いますので…もっとも「気持ち悪い」と思っても、つい観たくなるのが当作品の特徴(魅力?)なら、それまでですが…
[DVD(字幕)] 10点(2021-07-24 17:41:30)(良:1票)
13.  ジャイアント・ウーマン 《ネタバレ》 
 レンタルDVDで【妖怪巨大女:1958年‐以下、オリジナル版と表記します】を観た後、このリメイク版も取り寄せ可能と知り、引き続き鑑賞しました。   元々、オリジナル版の存在は、少年時代に読んだSF雑誌で知っていました。その解説文は「浮気した夫を、巨大化した妻が追いかけてくる…恐ろしいと言えば恐ろしいが…」という意味深なものでした。  そして、実際に観たオリジナル版は、ドラマ自体は真面目なものの、特殊撮影の“質”があまりにも低いために、作り手の皆さんが意図していないシーンで笑いを触発してしまう残念な仕上がりになっていました。   さて、当作品は…予想外に(失礼…)リメイクとしては良く出来ている印象を受けました。   まず【夫は、主人公の財産を我がものにしようとする/主人公はUFOとの接触を機に巨大化する】といった大筋や「女性を撃つのは抵抗が…」「ハリー(夫)は、やっとナンシー(主人公)のものに」といった台詞が継承されています。しかも、クライマックスにおいてドライブインシアターで上映されていたのは、オリジナル版であり、粋な計らいだと思いました。    登場人物も、主人公のナンシー・アーチャーを始め、概ね、同じ名前で登場します。違いは、①オリジナル版で主人公を守ろうと尽力する執事‐ジェスの代わりに、父親のコブが配されている、②精神科医のクッシングと保安官助手のチャーリーは女性、ということです。  ①により【自信が無い主人公の性格の背景には、強権的な父親の影響があること】を示唆していると私は感じました。また、②により【クッシング医師:専門家として独立して生活している/チャーリー:女の子らしく育ってほしいという親の願いとは裏腹に保安官をめざしている】というように、主人公とは異なる女性像を提示することで、このリメイク版ならではのテーマを強調しているようでした。  そのため、父親や夫へ初めて本音をぶつけた主人公が、気持ちの高ぶりと共に巨大化する場面(父親と夫はたじろぎ、クッシング医師は微笑む)に対し、私は痛快な気持ちに!しかもオリジナル版と異なりコミカルな演出を加味しているので、良い意味で笑うこともできました。この場面に限らず、オリジナル版を鑑み【真面目に演出しても笑われてしまう】のを予測し、敢えて笑えるようにしたかのような印象を受けるところが多々あり、その意味でも上手にリメイクしているな…と思いました。   特殊撮影もきちんとしています。オリジナル版のような【合成された人物に対し、背景が透けて見える】は皆無です。  また、巨大化してラストまで約40分ありますが、その大半は、主人公と関係者との会話にあてられています。そして同じフレーム内にしろ、交互にカット割りで表現するにしろ、会話する者どうし、互いに視線が合うよう配慮してあります。これは本編(ドラマ)班と特殊撮影班とが綿密に打ち合わせた賜物でしょう。  これらのことは“当たり前”かもしれませんが…オリジナル版では、それがやれていなかったわけで…ある種“当たり前”が如何に大事かを再認識できました。    もっとも、全面的に肯定できるわけでもありません。オリジナル版自体、SF作品としては非常にアバウトで、UFOが主人公に近づいた理由も、主人公が巨大化した理由も、説得力ある説明がなされているとは、到底、言えないものでした。リメイク版も同様であり「そういうところは継承しなくてもいいのに」と残念に思います。    勿論、製作にも携わったダリル・ハンナさんを始め、作り手の皆さんが伝えたかったのは【SFとしての緻密さ】ではなく【男の従属物ではない、自立した女性像や新たな女性の生き方】と思われるので、さほど重要ではなかったのかもしれません。   なお、当作品が発表されて今年で30年経つわけですが…作品に反映されている女性に対する世相が、現在はすっかり過去のものになったかというと…まだ、そうとは言えない印象を受けます。そのため当作品のテーマは、目新しさは無いものの、現在でも十分通じるのでは…と思われます。     さて、採点ですが…リメイク作品の佳作として、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品=8点】に…いや、実のところ「あまりにも出来の悪い(失礼…)オリジナル版との比較で、好印象になっているだけでは…」という面は否めず1点減。また、楽しめるかどうかは【女性が巨大化する設定自体を、陳腐と感じてしまう気持ちを乗り越えられるか】にかかっていると思います。そのハードルは、巨大化した主人公の身長を遥かに超えるほど高く「誰にでもお勧めできるわけではないよなぁ…」という意味でも1点を減じ、6点とさせていただきます。それでも高得点すぎ?…
[DVD(字幕)] 6点(2023-09-15 16:05:50)(良:1票)
14.  ジュラシック・パーク
 まず、はじめに。上から目線を承知の上で、当作品を観賞する上での私なりの注意点から。  当作品の魅力の根幹は【恐竜が本当に生きているように見える臨場感】であって、これがあってこそのサスペンス・迫力・盛り上がりでないか…と思われます。  極端な例えを申し上げるなら…もしミュージカル映画に対し「歌やダンスに興味が無い自分としては、観ていて魅力を感じなかった。歌やダンスを見るなら、わざわざ映画でなくてもいいのでは?」という感想を述べる方がおられるとしたら、【ピント外れ】と言わざるを得ないのでは…と思われます。  もっとも、当作品は、同名原作小説の映画化であり、【文字情報】ならば【恐竜が生きているように見えるかどうか】という要素を抜きに楽しめるでしょう。したがって【恐竜が生きているように見えること】に興味が無い方は、原作小説をお読みになることをお勧めします。   さて、私にとって当作品は、恐竜の名誉を回復してくれた作品であり、この映画を機に、日本でも、現在に至る【活発な恐竜像】がポピュラーになったのでは…と思っています。   私が幼児期・少年時代をすごした1960年代後半から1970年代の恐竜像と言えば…たとえフィクションでは怪獣のように勇ましく描かれたとしても、メディアでは「本当は身体が大きいだけでノロマ」「知能が低く、ある個体が動くと、それにつられて他の個体も何となく動くことはあっても、哺乳類のような群れの行動は出来なかったと考えられる」「劣った生物だったから、地球環境の変化に適応出来ずに滅んだ」と散々な言われようでした。実際には、私が産まれる前の時期にデイノニクスの化石が発見されて以来、【活発な恐竜像】を提唱する【恐竜ルネッサンス】という新たな研究の潮流が産声をあげていたようですが…少なくとも日本では一般的ではなかったのです。  1980年代になると、一応、【尻尾は地面に引きずらずに水平に立てて、歩行時のバランスをとっていた】というスタイルが紹介され始めましたが…あくまで恐竜好きの一部の人々の間だけの情報に留まっていたようです。  それだけに、当作品を映画館で観たときの、周りの観客さん達の感激ぶりは嬉しかったです。映画が終わり、劇場が明るくなった後のドヨメキと共に「すげー恐竜!」「カッコいいぞ、恐竜!」という声が次々と聞こえてきました。今なら“やばい”と表現されることでしょう。  以降、【活発な恐竜像】は、NHK特集をはじめ、メディアで積極的に紹介されるようになり、現在に至ることは、皆さんもご存知の通りです。   なお、特殊撮影についても【恐竜が本当に生きているように見える臨場感】を可能にしたCGが用いられた革新的な作品だったことは、私が詳しく言うまでもないでしょう。  それ以上に私が貴重だと思うのは…当作品が発表されてもうすぐ30年近く経とうとしている今日にあって、CG技術は当作品に比べて格段に進歩しているはずなのに、当サイトでは、さほど【時代遅れ/チープ】呼ばわりされず、肯定的なレビューが寄せられていることです。単に【最新技術の映像だけが売りの見世物映画】だとしたら、急速に古びてしまうはずです。そうならなかったのは、たとえアラがあるにしても【娯楽映画としての普遍的な面白さ/恐竜への愛情】が詰まっている証ではないか…と思われます。   さて、採点ですが…鑑賞環境は【映画館】とし、これまで申し上げた通り【活発な恐竜像をポピュラーにした/CGを本格的に取り入れた革新性】という歴史的な意義に加え【普遍的な面白さ/恐竜への愛情】が込められていることを踏まえ、10点を献上します。  ~備考~   私は、当作品へのレビュー投稿以前に、恐竜グワンジ(1969年)に10点を献上していますが、現在も、この点数には変わりはありません。CGが皆無だった時代に、暗さやスモーク等でごまかさず、サンサンと太陽光が降り注ぐ明るい画面で、活発な恐竜と人間の動きが見事にシンクロした特撮の数々は、私にとって、けっして色あせることは無いからです。  キングコング(1933年)に感化された少年・ハリーハウゼン氏が大人になってグワンジをはじめとする恐竜・モンスターを産みだし、それに感化された子供達の中から【ジュラシックパーク】の作り手さん達が現れた…というように、世代を越えた“つながり”を感じながら、私は一連の作品群を観ています。
[映画館(字幕)] 10点(2020-07-26 17:31:08)(良:1票)
15.  燃えよドラゴン 《ネタバレ》 
 志穂美悦子さん主演の【女必殺拳シリーズ】を観て、その製作のきっかけにもなったブルース・リーさん主演の映画を、これまで観てこなかったのは誠意がないと思い、BDをレンタル。【ドラゴン怒りの鉄拳:1972年】の次に鑑賞しました。   ブルース・リーさんのアクション自体は素晴らしかったです。【怒りの鉄拳】にも明記しましたが、某漫画からのフレーズをかりると…技の切れ・流れ・速さ、どれをとっても非のうちどころがありません!。  一方、【劇映画】としては…私にとって【怒りの鉄拳】の【個人的なインパクト】があまりにも強すぎたこともあり、【ハリウッドで無難につくられたアクション映画】という印象に留まりました。  とはいえ、最初に日本で【怒りの…】を公開しようとしても、受け入れられなかっただろうことは想像に難くありません。【燃えよ…】だったからこその大ヒットであり、その後の【空手ブーム】、そして【怒りの…】も無事に公開、さらに【女必殺拳シリーズ】へ…と、つながったのだと思われます。その意味で【歴史的な意義】には、計り知れないものがある作品であることは間違いないでしょう。   さて、採点ですが…ブルース・リーさんのアクションと歴史的な意義を踏まえると10点にしたいところですが…先に観た【怒りの鉄拳:9点を献上】のほうが、個人的に心に響いてしまった(というか、心に突き刺さった)もので…かといって8点以下というのも釈然としません。そこで【怒りの…】と同じ9点とさせていただきます。  それにしても、【個人的な事情】とはいえ、昭和に生きていながらリアルタイムで当作品を観られず、当時、熱狂できなかったのは、ちょっと寂しいですが…今回、観ることが出来て良かったです。  *【ドラゴン怒りの鉄拳:1972年】は、別途、レビューを投稿しております。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2021-01-17 12:45:48)(良:1票)
16.  スーパーマンII/冒険篇 《ネタバレ》 
 スターウォーズと共に、1970年代前半までの厭世的でダークな「うんざり感」を打破し、往年のハリウッド映画のワクワクさせる理屈抜きの面白さを復活させた娯楽大作の2作目。私は1作目と同じく映画館で観ました。  オープニングタイトルと共に1作目の名場面が挿入されています。まだホームビデオが普及していなかった当時、私にとっては1作目の感動を想起させた上で本編へとつなげていく心憎い演出だと思いました。また、1作目は【時間的な流れ】という意味で、子供時代→少年時代→スーパーマンとしての活躍…について、やや飛び飛びに展開し“ダイジェスト”のような面がありました。一方、当作品は、①ロイスとスーパーマン(クラーク・ケント)、②レックス・ルーサー、③三悪人、の場面を、時系列に沿って交互に描きながら、最後のクライマックスに向けて一つに集約させていく構成も、わかりやすいと思いました。  当作品は、製作サイドの意向により、リチャード・ドナー監督から、途中でリチャード・レスター監督へと変更になったことは有名です。最近、ドナー監督の意向を反映して再編集した【ドナー・カット版】を観る機会がありました。予想通りだったのは、レスター監督ならではのギャグシーン(メトロポリスでの戦いの場面が典型的だと思います)が削除されていたことです。ただし、私はすでにレスター版のリズムに慣れ親しんでしまったために違和感がありました。そして、スーパーマンの正体を知ったロイス・レーンの記憶を無かったことにするために、地球の自転を反転させて時間を巻き戻すシーンが再現されていましたが…いまだにこの“解決策”は、1作目の欠点として挙げられていますので、レスター版による差し替えのほうが無難かな…と思います。  さて、採点ですが…、私にとっては、1作目と2作目はセットの作品です。本来の娯楽映画の面白さを復活させ、一時期は【スターウォーズ派とスーパーマン派】に二分されるほどの人気を博した歴史的な意義を踏まえ、さらに、今は亡きクリストファー・リーブへの敬意を込め、1作目同様、10点を献上させていただきます。
[映画館(字幕)] 10点(2015-11-28 20:16:34)(良:1票)
17.  レイダース/失われたアーク《聖櫃》 《ネタバレ》 
 当作品が、10/28(土)に地上波放送されたのを機に投稿します。   日本での劇場公開当時、私は中学生でしたが、私の周囲では、オールスターキャストが売り物の【キャノンボール:同じく1981年】という映画が話題でした。これは私の中学だけでなく全国規模だったようで、実際、当時の日本では【レイダース~】よりもヒットしました。  当作品がポピュラーになったのは、私が高校生になった1984年に【インディ・ジョーンズ魔宮の伝説】が大ヒットしてからだと思います。その興行収入は【レイダース~】を遥かに凌いでいました。この【魔宮の伝説】の影響力は絶大で、その証拠に【レイダース~】が初めて地上波放送された1985年の吹き替え版において、マリオンが主人公に対して初めて発した名前は、原版の「インディアナ・ジョーンズ」ではなく「インディー・ジョーンズ」でした(因みに、今回の地上波放送では「インディアナ・ジョーンズ」と言っていました)。   以下、私の推測ですが…確かに当作品の日本公開当時、「ジョーズ(1975年)や未知との遭遇(1977年)のスピルバーグと、スターウォーズ(1977年)のルーカスが手を組んだ」と話題になりました。しかし、あくまで洋画ファンの間での限定的な話題に留まっていたように思います。幸い、翌1982年にスピルバーグ監督のE.T.が日本中で大ヒットをし、さらに翌1983年にスター・ウォーズが地上波放送され、スピルバーグとルーカスの名前が、洋画ファン以外の一般にも広く知れ渡ったところに、1984年の【魔宮の伝説】の日本公開…と、つながっていったのかも…と思ったりしています。   さて、当作品の魅力は、他のレビュアーさん達がおっしゃってくれているので、私が書くまでもないと思いますが…ただ、私の中で【ナチス・ドイツ】とは、小学高学年で親に連れられて行った【アンネの日記展】のインパクトにより【恐ろしくも生々しい現実】であり続けています。そのため初見から現在に至るまで【ワクワクドキドキの冒険活劇の敵役】には落とし込めません。それに「場合によっては、日本軍が敵役になったかもしれず、そうしたら日本未公開だったかも…」とも思ってしまいます。このように、変に【第二次大戦】が頭をよぎってしまい、映画の世界に没入しきれないのが、歯がゆいです…。   さて、採点ですが…本当は10点にしたいのですが、上記の歯がゆさを反映し9点とさせていただきます。なお、現在、日本では「ナチスって何ですか?」とおっしゃる若者の皆さんが増えているとか…ある意味、いい時代なのかもしれませんが、あくまで噂の類であれば…と願っております。
[映画館(字幕)] 9点(2017-11-01 21:38:25)(良:1票)
18.  ドラゴンへの道/最後のブルース・リー 《ネタバレ》 
 志穂美悦子さん主演の【女必殺拳シリーズ】を観て、その製作のきっかけにもなったブルース・リーさん主演の映画を、これまで観てこなかったのは誠意がないと思い、BDをレンタル。【ドラゴン怒りの鉄拳:1972年】→【 燃えよドラゴン:1973年】に続けて鑑賞しました。  正直、レンタル前は全く期待していませんでした。今回、一連のBDをレンタルする際、当サイトのレビューを参考にしたのですが、当作品の最近のレビュー(2020年投稿のもの)を拝読した限りでは「つまんない/イマイチ」という言葉が並んでいたからです。  それでも観ようと思ったのは…【ドラゴン危機一発:1971年/死亡遊戯:1978年】は【リーさんのアクションスタイルが確立する前の作品/リーさんが途中で亡くなり、代役をたてて完成させた作品】という予備知識があって、劇映画としての完成度は期待できず、そのため「リーさん主演の映画を観るのは当作品を最後にしよう」という、半ば、義務感にすぎませんでした。   さて結果は…まず第一印象は「あのリーさんが笑っている!」ということ。それまで観たシリアスな2作品とは対照的な明るさが新鮮で「皆で笑いながら楽しくご覧下さい」というメッセージが込められているように感じました。そして、たまたまですが、BDの字幕での主人公名【トン・ロン】という響きに、私は“とろい”という言葉を連想したのですが、ヒロイン・チェンを演じるノラ・ミャオさんの表情も、当初はまさに『何よ、この“とろい田舎者”は…』という印象。その後、彼が【本領】を発揮するや、彼女の表情が一変して輝いたのは痛快でした。  また、悪役のうち、特に手下のリーダー格・ホーは、【怒りの鉄拳】で通訳のウー役だった俳優=ウェイ・ピンアオさんだとすぐわかり、しかも、身体をクネクネと楽しそうに演じていて、ウーよりも適役だと思いました。さらに、怪しい日本人空手家の「オマエハ、トンロンガ~」「ア~、イタ…ア~、イタ…」は、少なくとも日本では、爆笑を誘うある意味【迷セリフ】のような気がします。  なお、明るい雰囲気は、ジョセフ・クーさん作曲のBGMも貢献していたと思われます。   このように明るい作風に対し、シャープな【ブルース・リー・アクション】は画面を引き締め、一層、際立っていると感じました。リーさん自身が監督だけあって?何気に上半身の肉体美をアピールする場面が挿入されているのも粋な演出だと思います。  また、銃を封じる【投げ矢】も魅力的。もし私が小学生のときに観ていたら、鉛筆や割箸をナイフで削って「投げ矢だー!」と学校で投げ、先生に怒られていたことでしょう。  そして、最後のチャク・ノリスさん(失礼ながら、髭が無いお顔が可愛い!)との対決は、某漫画からのフレーズを借りると、まさに漢(おとこ)と漢(おとこ)の正々堂々とした一騎打ちであり、最後に道着をかける締め括りは、強敵(とも)への敬意の表れでしょう。そして「はい、カット!」と撮影が終わった後「お疲れさま、チャック。君が出演してくれたおかげで、素晴らしいクライマックスが撮れたよ」「こちらこそ、いい体験をさせてもらったよ、ブルース。この映画の成功を祈っているよ」と、称え合う二人の姿が目に浮かぶようでした。   ただ、個人的に唯一残念だったのは…明るい作風でずっと【死人ゼロ】で展開していたのに、終わり際で、一気に登場人物の数人が亡くなってしまったことです。作風が変わる引き金になった年配調理師・ウォンについて言えば、演じたウォン・チュンスンさんは【怒りの鉄拳】で“実は敵の回し者”という役だったので「ひょっとしてこの役も…」と予感はしていました。しかし“闘いに否定的なオジサン”のままでも、物語に支障はなかったと思います。  そして、いっそ、チャック・ノリスさんは、手足を痛めて動けなくなった時点で「機会があったら再戦しよう」と決着にし、ホーも、ボスと共に逮捕され…と【死人ゼロ】を貫いてほしかった…というのは、私が求め過ぎでしょうか…。   さて、採点ですが…特に前半のユルイ展開は好みが分かれそうですが、私は【個人的に残念だったこと】で1点のみ差引き、9点とさせていただきます。あらためて他の皆さんのレビューを遡って拝読すると、実は高評価が多いとわかり、当初の【半ば、義務感で】という鑑賞動機が、如何に無礼だったか、猛烈に反省しています。  最後に…墓参りを済ませてチェン達のもとを去り、上り坂の並木道を歩きながら遠く小さく消えていくラストシーンは、今となっては【天国へ旅立って行く姿】のようにも見えました。亡くなられて半世紀近く経っても、いまだに私達に感動を与え続けてくれるブルース・リーさんへの畏敬の念をもって、後姿を最後まで見送らせていただきました。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2021-02-23 15:27:40)(良:1票)
19.  ある日どこかで 《ネタバレ》 
 公開当時、私は中学生でした。某ラジオ番組でテーマ曲が紹介され「作曲者ジョン・バリーらしい美しい音楽だな」と思いましたが、映画館に足を運び損ねているうちに、某SF誌の書評で「観客の入りが悪く、短期間で打ち切られた」と知りました。さらに「タイムトラベルものだが、タイムマシンも出ないし派手な特撮も無いため、日本の配給会社は宣伝に困ったらしい。しかし恋愛映画として良く出来ている」と書いてありました。その後、高校性になり、クラスメート(男です)が、某名画座でローマの休日(1953年)を観に行ったときに同時上映されていたそうです。「ローマの休日はもちろん良かったけど、こちらも素晴らしかったよ!今まで全然知らなかったけど、何で有名じゃないのか不思議だよ!」と感激ぶりを熱く語ってくれました。   それから数年後…ようやくTVの深夜放送で、当時、買ったばかりのビデオデッキに録画して観ました。展開はクラスメートの説明通りだったので、もし【ストーリーだけで見せる映画】なら退屈したはずです。しかし他のレビュアーさん達と同様、ジェーン・シーモアの美しさは勿論、音楽と一体になった端正な映像が醸し出す【雰囲気】に魅了されました。また、主演のクリストファー・リーヴは、スーパーマンシリーズで有名ですが、けっして【マッチョ俳優】ではありません。役作りのために体格づくりをしたのであって、もともと演技力には定評がありました。この作品ではその実力を如何なく発揮していると思いました。お年頃だった妹にも観せると、最初は「なんだ、スーパーマンの人じゃない」と苦笑交じりでしたが、すぐ引き込まれていきました。   あれから約30年後…巷でスターウォーズ・フォースの覚醒(2015年)が公開中に、妹一家と会いました。そのとき妹が「子供の頃、スターウォーズと共にスーパーマンもヒットしたけど、スーパーマン役のクリストファー・リーヴさんと言えば【ある日どこかで】も良かったね」と言ったのです。妹は映画を熱心に観るタイプではありませんが、この作品は心に深く刻まれていたのです。「あの写真を撮るシーンが…/あのコインさえ無ければ…」と次々と名場面に話が弾みました。私たち兄妹にとっても【時を越えた作品】と言えるかもしれません。また、この30年間で、世間では、ゴースト/ニューヨークの幻(1990年)がヒットするなど、ファンタジーの要素を含む恋愛映画はポピュラーなものとなり、当作品も受け入れられやすくなったように思います。私にとって、今観ても全く色あせない作品であり、ラフマニノフのラプソディーを聞くたびに思い出し、つい涙腺が緩んでしまいます。他のレビュアーさん達と感動を共有できることを嬉しく思います。   さて、採点ですが…ヤノット・シュワルツ監督は、私にとって、ジョーズ2(1978年)などアクション映画の続編監督の印象が強いのですが、当作品が最高傑作だと思います。【雰囲気】にはまれるかどうかで好みが分かれると思いますが、今は亡きクリストファー・リーヴやジョン・バリーをはじめ、当作品に携わった方々への敬意を表し、10点を献上させていただきます。
[地上波(字幕)] 10点(2016-01-10 15:24:20)(良:1票)
20.  ゴジラ(1984) 《ネタバレ》 
 シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。テレビ東京でも8/2(火)の昼に放送されました。他のレビュアーさん達のおっしゃることと内容が被る箇所もありますが「思いは同じ」ということでご勘弁を…。  当作品が製作発表された1983年当時、高校生だった私の周囲では「原点回帰を目指し、現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトに期待感を持ち、完成を楽しみにしていたものです。しかしスーパーXという架空のメカが登場するとわかり、一同、劇場へ行く気持ちが萎えました。そして公開時の1984年の冬は、↓のあばれて万歳さんがおっしゃっている通り「ゴーストバスターズ」「グレムリン」と共に「クリスマス・お正月映画‐3G決戦!」と宣伝されたものでしたが…観客の皆さんの評判は、良いものではありませんでした。そして、その後のTV放映を観て「ああ、やっぱり…」と思ってしまったものです。  今回、あらためて観直して「残念」な作品だと思いました。以下、三つの点から述べます。  まず一つ目。「現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトを完遂するなら、スーパーXを出さずとも【ゴジラを倒すにあたり、米ソが何と言おうと、被爆国として二度と核兵器は使わない→しかし自衛隊の総力を挙げても倒せない→渡り鳥の発する超音波を再現し、ゴジラの帰巣本能を刺激して誘導し、見事に成功する】だけでも、十分、見応えのあるものになったのでは…と思います。当作品が公開されてから30年以上経ちましたが、いまだにスーパーXと思しきメカは作られていません。たとえ「ゴジラが実際に現れた後の日本」という設定だったとはいえ、やはり実際の科学水準に比してスーパーXは突飛な存在であり、せっかくのコンセプトを壊してしまったと言わざるを得ないと思います。作り手の皆さんの間でも、スーパーXについては、意見が分かれたのでは…と推察しています。  そして二つ目、何よりも致命的に感じたのは、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、展開が単調・平板すぎることです。まず各シーンについて、俳優さん達は、経験値により上手い・下手の差はあるにしても、皆、熱演していると感じましし、特撮も頑張っていたと思います。しかし各シーンどうしのつながりや場面転換がぎこちない印象を受けました。さらに音楽も、ごく一部を除いて控えめな使い方をしており、各シーンと共に消えがちでした。ときには、あるワンシーンの中でさえ【特撮のカットで流れていた音楽が、実写(本編)のカットになった途端、突然消えてしまう】という箇所もありました。その結果、映画の流れも、音楽と共にその都度ブツッと途切れてしまう印象を受ける箇所が多々ありました。映画音楽には、シーンやカットどうしの流れを円滑につなぎながら盛り上げていく効果もあると思います。映画監督さんの中には、この効用を「安易」と嫌って音楽の使用を極力避ける場合があるようですが…ドキュメンタリータッチをねらって控えめにしたのでしょうか?。  最後に三つ目、これは総論となりますが…ゴジラと銘打ちながら実は、原子怪獣現わる(1953年)のリメイクをつくりたかったというGODZILLA(1998年)よりも(→詳しくは、GODZILLA(1998年)のレビューをご覧ください)、「ゴジラを復活させたい」という作り手の皆さんの思いはずっとピュアだったと思うのです。それなのに、GODZILLAのほうが【劇映画・娯楽映画】としては無難に仕上がっているのが残念でなりませんでした。↓のアングロファイルさんがおっしゃっている通り、コンセプト(アイディア)はいいものの、表現力が伴っていなかったようです。おそらく、スタッフの皆さんも「本当はもっとハラハラドキドキの映画になるはずだったんだけど…」と物足りなさ・悔しさが残ったのではないかと、推察しています。シン・ゴジラ(2016年)を観た当時のスタッフさんの中には「そうそう!本当はこういう風にしたかったんだ!」と思う方もおられるかもしれません。  さて採点ですが…【劇映画・娯楽映画】としての出来映えだけなら3~4点ですが、結果はどうあれ、ゴジラが単体で登場する貴重な作品の一つであり、原点回帰を目指した点は素晴らしいと思います。そして「ゴジラを復活させたい」というスタッフの皆さんの情熱が、後の「VSシリーズ」、そして、同じく原点回帰をねらったシン・ゴジラ(2016年)へとつながったのだと思います。その情熱を加味し、大甘で6点を献上いたします。
[地上波(邦画)] 6点(2016-08-06 15:15:51)(良:1票)

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