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1.  アポロンの地獄
かつて名画座という文化があったころ、イタリア映画の最後の黄金期に立ち会え、フェリーニ・ヴィスコンティ・パゾリーニ三羽烏の追っかけを随分した。フェリーニの幻想、ヴィスコンティの風格に対して、パ氏の粗削りな現代彫刻のような手触り。本作の、オイディプスがテーバイにたどり着くまでが、とにかく好きだった。パゾリーニの映画によく出てくるニヤニヤ笑いをする民衆、ってのが、王を巡る物語だけにとりわけ効いている。荒涼とした風景に不意に雅楽の笛の音が流れてきて、トントンと太鼓(?)が刻み出すと、“運命”が世界を覆ってしまう。こんなにも民族音楽が効果を持った例は少ない(『王女メディア』では三味線が聞こえたが、これは日本人には四畳半的に響いて失敗だった)。しかもこの“運命”はあきらかに悪意を持っており、託宣によって積極的に主人公を不幸に導いていくのだ、そもそも赤子を“不憫”と思う気持ちに乗じて、運命はことを始めたのだし。もっともこの映画、古典悲劇の分析よりも、一つの世界の提示として強烈で、どこかの名画座に掛かっていると、好きな音楽を繰り返し聴きたくなる心境で、ついフラフラ行ってしまう麻薬のような力があった。非道な運命に対抗する荒ぶる王をやったフランコ・チッティ、パ氏の常連となったが、監督の没後はどこをさすらっているかと思っていたら、『ゴッドファーザーPARTⅢ』にチョイ役で出てきたのにはグッとさせられた。
[映画館(字幕)] 10点(2010-04-20 12:05:16)
2.  雨に唄えば
シド・チャリシーが死んだ。『バンド・ワゴン』もとても好きな映画で、彼女のダンスシーンはどれも完璧だけど、ただミュージカルの相手役としてのドラマをこなすには、やや愛嬌が欠けていた。デビー・レイノルズが愛嬌を振りまいた後で、都会の女(ギャングの情婦)として踊る『雨に唄えば』のクールな彼女のほうが、印象としては強烈。それにしてもあれは奇跡のような映画だったなあ。初めて見たとき、映画館を出ても心のウキウキが止まらないので、ただただ道を歩いてたら(とうぜん頭の中ではタップを踊っている)直線距離にして7kmほどある家まで着いてしまい、直射日光の炎天下の日だったのでバファリンが必要になったものだ。ミュージカルの楽しさが映画の秘密を握っているのではないか、とそれ以来疑っている。たとえば発声練習の早口言葉からダンスになっていくあの一瞬のスリル、ああいう日常の光景の中で不意に踊り出す瞬間に、映画の秘密があるような気がしてならない。アステアやケリーのミュージカルを見るたびに、その秘密を見極めてやろうと思うのだが、でも見始めるともう向こうに完全に乗せられてしまって、分析しようなんて気持ちはどこかにすっ飛んでしまう。映画がサイレントからトーキーになったのは退歩ではないか、としばしば思わされることが多いが、でも『雨に唄えば』を思い起こすと、その考えを打ち消さなければならなくなる。
[映画館(字幕)] 10点(2008-06-19 12:19:19)
3.  ああ爆弾 《ネタバレ》 
私はこれが喜八で一番好きな作品。どういう組み合わせだったのか安部公房/勅使河原宏の『おとし穴』との二本立てで名画座で見た(次の週には『下町の太陽』と『気違い部落』の二本立て見てる。名画座文化の良かったのは二本立て制度で、ついでに見たもう一本で世界がどんどん広がっていったことだ)。今思っても、喜八監督のリズム感が全開した名作ではないだろうか。ドンツク・ドンツク・ポッポーなんてたまらない。砂塚秀夫や中谷一郎など常連が生き生きしており、ミュージカル合戦にもなっていて、和ものとあちらものが対決する。とりわけ和ものの使い方が秀逸で(邦楽ミュージカルってあんまりないから)、勧進帳の「毒蛇の口を逃れたる」がバキュームカーのホースになぞらえられたりする。三百万三百万と心の声が呟いたり、ドンツク・ドンドン・ツクツクに合わせて体が起きてきたり、楽団員がみな眼帯してたり、私の趣味がカタヨッていったのに、大きく影響した作品だったなあ。
[映画館(邦画)] 9点(2013-11-30 09:38:07)
4.  有りがたうさん
おそらくこれを初めて見たときは誰も、登場人物の喋りにびっくりすると思う。ゆっくりした棒読み。なんだこれは! そういう喋り方をする土地なのか、とオロオロしていると、上原謙や桑野通子もそう喋る。トーキー初期の録音技術では普通に喋ると言葉が聞き取れなくなるのか、と気を回す。いや、これより古い『隣の八重ちゃん』は普通に会話してた。呆然としながら考えた末に結論はただ一つ、監督の指示としか考えられない。そしてそう判断したころは、このリズムにこちらが合ってしまって、大変心地よい境地になっている。お年寄りが昔話を語っているような、宮沢賢治の世界のような。トーキー初期はこんな思い切った演出冒険も出来たのだ。子どもらはバスの後ろに飛びつき、女歌舞伎のお披露目と遭遇したり、桃源郷を思わせる。ところが描かれる内容は厳しい不況下の世情なのだ。226の年で、青年将校らを決起させた地方の娘の身売りが、上原謙に「葬儀運転手の方がよっぽどいい」とぼやかせるまでに、車内を重くしている。映画の結末は飛躍のある展開で作品の傷かとも思えたが、あのゆっくりとした喋りで世界が変容されていると、峠を越えることで善意が勝つんだ、と素直に受け入れてしまえた。この前々年に満州国が誕生し、五族協和と「仲良し」が強制的に偽装される時代になったが、本作では朝鮮人の苦衷がキチンと語られていた。まだ厳しい検閲はなかったのか、もし検閲官が見逃していたのなら「ありがとー」だ。車窓風景の映像史料としての価値は計り知れない。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-01-04 09:53:22)
5.  アッシャー家の末裔
空間の広がりの薄ら寒さと言ったらない。友人が犬を呼ぶが逃げていくあたりの閑散とした感じ。カーテンのそよぎ、スローモーションで本棚から崩れ落ちてくる本。レースの死に装束が風で揺れだすあたり。時を告げる鐘が鳴るとホコリがさらさらと落ちていって。アッシャー氏がギターを爪弾くと外の荒涼とした風景と共感していく。ちょっと目まぐるしすぎるかな、ってとこもあるけど、映像の音楽性を極めている。ギターの弦がぶつんと切れるなんて、日本の怪談でもよく三味線であったけど、世界共通の怪奇趣向なのね。黒猫やら振り子やらも出てくる。次第に嵐になっていくとこのカッティング。音が重要な役割りをする原作を、サイレントで映像に翻訳したという意味で、無声映画のひとつの「結論」を提示したような作品になった。姫の登場の盛り上げ。世界がブレだしてくるの。開かれたドア、狂ったようにひらめき続けるカーテン、振り子の脇からのアップ。映像によって、凍りついた音楽に耳を傾ける、いや目を凝らすという映画芸術の達成。
[映画館(字幕)] 9点(2012-07-28 09:28:41)
6.  歩いても 歩いても
このシナリオは、そうとう手間が掛かってるんじゃないか。さりげない言葉の採集に時間を掛け、それの構築にも時間を掛けていそう。それだけの成果が上がっている。大勢の中で言われた言葉へのこだわり・言い返せなかった文句が、二人になったときに不意にこぼれるのが、ザクッザクッと映画に刻みを入れて、表面では何も起こらない時間に確かな手触りを与えている。そのくすぶってる場所としての家族。「おばあちゃんちじゃないぞ、俺が建てた家だ」とか「それ(トウモロコシで気の利いたこと)を言ったのは兄貴じゃなくて俺」とか。その遅れて言い返せた言葉とは別に、“ちょっと間に合わなかった”言葉も山のようにあり、でもそこにこそ一回限りの家族の会話の味が、後悔が懐かしさに変質しつつ隠されている。あるいは墓参りの帰り、暗黙の了解のように二組の母子に自然に分かれ、どっちも他方の前では交わせない会話が紡がれる、そのスリル。不意に顔を覗かせる残酷さと怖さ。「隠れて聴く曲ぐらい誰にだってありますよ」と妻の夏川結衣にあんな含み笑い顔で言われた日には、夫たるもの気になって仕方がないでしょうなあ。こっちの「普通であること」と人の「普通でないこと」がときに重なりあい、するとその場の時間が急にボッテリと厚みを増す。「普通」を形作っているものの裏には、なんとたくさんの折れ曲がった思いが複雑に絡み合っていることか。最近の日本映画でこれだけ詰まってる時間を味わった作品はなかった。原田芳雄はおそらくまだかくしゃくとした老年を描くために起用されたのだろうが、かつての無頼を演じてたイメージが残ってて、たしかに夫婦の過去を思えば似合ってはいるのだが、現在の父としてはもう少し固いぐらいの実直さを出せる役者でもよかったかも知れない(「“すばる”は演歌じゃありませんよ」の語り口は絶品だったけど)。それとラストが付いたことで、見ているほうがその後を自由に想像する楽しみはなくなってしまった。でも傑作です。
[DVD(邦画)] 9点(2009-08-31 12:15:54)(良:2票)
7.  悪魔の手毬唄(1977)
これが白石加代子の映画デビューだとずっと思い込んでたが、今確認したらこの前に「さそり」シリーズの一本で出てるのね。なんか「王女メディア」を連想させるような凄まじい役で、見てないけど彼女の狂気演技が想像できる。で本作だが、当時私は動いて演技をする彼女を見るのが初めてだったので、おそるおそる期待とともに観賞した記憶がある。雰囲気充満だけど、意外におとなしい印象。「白石加代子」を突出させず、崑さんの作り物の世界にピタリはめた、と感じた。日本的怨念をジワッと過剰に滲ませる人で、崑さんがもっぱら日本的な装置にバタ臭い女優(岸恵子とか草笛光子とか)を配置する趣味なのに、さらに逆の方向からアクセントを一つ加えてアンサンブルに厚みを出している。草笛光子はこのシリーズを通しての助演女優賞ものだと思っているのだが、おどろおどろしい日本的情念の世界に和服の草笛光子を配置すると、全体の「作り物」感が際立つ。そこにさらに背景であったおどろおどろしさいっぱいの白石加代子を置くと、調味料に砂糖と塩を混ぜて入れたようで、コクが出るんですな。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2014-03-01 09:20:08)
8.  あさき夢みし
これは本当に美しい映画だった。スクリーンでなければ味わえないぎりぎりの暗さの美で、のちにDVDで再見したら全然違う映画のようになってたので、ここでは映画館で観たときの記録で書く。今様伝授の場。花ノ本寿と東野孝彦の烏帽子のシルエットのゆがみとか、ピン送りによる枝の撮影、膨らんだり縮んだりする感じ。外の宴の画面の上半分のにじみ。湖面のさざなみ。それを断ち切る舟の漕ぎ渡ったあと。こう書いていくと神経質っぽい映画と思われるかもしれないが、そういった神経質っぽい画像を塗り重ねることで、中世の宮廷の脱力感が出たように思う。勃興しつつある民衆の圧力への憧れもあるが、いまさら宮廷を飛び出す意志もない公家たち。その淀み切った気分が見事に美としてスクリーンに満ちた。志ん朝は定家のせがれをやっていた。偉大な父の跡取りの役。
[映画館(邦画)] 8点(2013-12-19 09:17:45)
9.  アラクノフォビア 《ネタバレ》 
南の異国から来た邪悪なものが、スモールタウンを恐怖に落とし入れる。まずその蜘蛛の来訪が順々に描かれていて楽しい。最初の犠牲者の棺に付いてきて、ここから出るとき画面の隅で見せるの。瞬間だけチョロッと。烏に運ばれたりして、幼年時の体験のせいで蜘蛛恐怖症になっている医者の新居に到着するわけ。医者もそこの新入りで、ワザワイと一緒にされる。蜘蛛だから壁を這ったり二次元的な行動かと思うと、糸に伝わって三次元的に現われたりもする。ぴょんと飛び掛ったり。屋上パーティで紙コップが動くのなんかもいい。「最近コオロギが鳴きませんなあ」なんて会話も補強する。あわやの瞬間に踏まれちゃうなんてフェイントもある。田園讃歌・田舎讃歌をコケにしているようなスタンスがいいですね。地震があってもサンフランシスコのほうがいい、って。最後倒れたワインが蜘蛛の糸のように流れるのも粋。
[映画館(字幕)] 8点(2013-11-03 09:24:58)
10.  あの夏、いちばん静かな海。
恋愛ものに特有の「気分の波立ち」は描かれない。言葉の必要のないカップルとして登場し、あとは恋愛の安定した幸福感を描き続け、しかし実は男は少しずつ海に吸い寄せられていっていた、ってな話。耳の聞こえない恋人同士ってのがよく、『非情城市』をちょっと思い出したが、さらに遠くサイレント映画時代の恋人同士にも通じていたか。Tシャツを畳むだけで幸せな恋人。人が通過した後の風景をしばらく押さえておく余韻の効果がよく、視線と対象との間の距離をちゃんとわきまえてますよ、という礼儀正しさを感じる。対象を追いすぎないで、ちょっと目をそらしたり伏せたりしてる感じ。サーフィン大会で男が呼び出しに応じられないところで、本作で唯一障害がクローズアップされ、それだけに効果満点。静かに仲間外れにされてしまう。そこには悪意さえもない。こういう角度から障害者の痛みを描けたのが発見。その後もこの監督はしばしば障害者を画面に登場させるが、本作が最初だろうか。
[映画館(邦画)] 8点(2013-03-01 12:31:29)
11.  あなたに恋のリフレイン 《ネタバレ》 
アレック・ボールドウィンのラヴストーリーなんて、あんまり期待しないで見たんだけど、これがいいの。ボールドウィン君は「遅れてきた二枚目」って感じで、先はないなあと思ってたが、こういう活路があったのか。プレイボーイのお坊ちゃんで、ラスト落ちぶれてぼんやりと・しかし夢心地でキム・ベイシンガーを見てるとこなんか、いい感じ出てました。粋な小噺。結婚離婚を繰り返す腐れ縁の話。上り坂下り坂ですれ違い続ける。けっきょくこの二人は「合ってるんだ」。愛って不思議。ニール・サイモンの本は練れていて、「銃で脅されたもんで」というせりふが後で「今度は大砲で脅されたのかね」と生きたり、病床の父にキムが会いに行ったところはかなり笑った。キムがちょっとトイレに立ったすきに意識を戻して「嫁は、嫁は」と言って、彼女が戻ったと途端にパタンと死んじゃうの。ラヴストーリーは二人の間のいい感じを描くのが大事で、それがちゃんと出来てました。小道具としての指輪もいい。歌詞の訳が付かなかったのが残念。
[映画館(字幕)] 8点(2013-02-26 09:38:57)
12.  アモーレ
これはバーグマンでは無理な映画。アンナ・マニャーニの一人舞台。第一話は、ちょっと感情露出が派手目かなと思うところもあったが、第二話とのセットで女優の凄味を分からせる。この監督は長い話に興味がないらしく、いつもエピソードの連鎖になるが、これは堂々と最初から二つの話と割り切っている。個人的には第二話に堪能。何かを切実に求めて走り回るってのは『ドイツ零年』の再現で、迫害とからかい。丘の上の修道院(清浄さ)への憧れ。第一話の閉じた愛から、こっちは開かれた神々への愛、子への愛となる。丘の上まで追い詰めていく、というか追い上げていく力が圧倒的。もともと斜面てものがエネルギーを蔵しているんだな。冒頭も山羊の斜面で始まっていた。フェリーニが出てくるのも楽しい。私が観たのでは空き缶が階段を落ちるカットが繰り返されたが、あれは斜面のモチーフの変奏で深い意図があるのか。単なる編集ミスだろうと思うんだけど。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-11-22 09:53:11)
13.  愛怨峡
これは彼の演出法がいちいち納得できた作品ということで、私にとっては記念すべき一本。室内で俯瞰にするのは人物(おもに男)の弱さや卑小さを強調し、また運命といった視点も導入できる。いさかいなどのシーンは、一つ奥の部屋でしていることが多い。一部屋遠くから撮る。俯瞰と同じような効果もあるが、さらに表情を隠す効果もある。剥き出しの表情を消せる。表情が急変するところをドラマチックに見せたくないという慎み深さ、そういうところを近づいて捉えては失礼だという意識もあったか。あるいは逆に、その人物にとっては大事件でも世間には大して関係ないよ、といった客観視とも取れる。芸人たちの小屋へ貰い子に出していた赤ん坊が帰ってくるところ、ワーッと仲間たちが囲んで、母と子の姿をカメラから隠してしまう。次にカメラが脇から捉えるときは、最初の出会いの瞬間の剥き出しの喜びは消え、穏やかな慈愛の表情になっている。こういう礼儀正しさが彼の演出法にはあるんではないか。しかしインテリ男に対する作者の目の厳しさは隠さない。都会に出りゃ何とかなると出てきて、しかし何も出来ないで、女のほうがしっかりしてて、けっきょく家長に絶対服従の駄目男。男に対する厳しさは剥き出しで描いているな。
[映画館(邦画)] 8点(2012-09-29 10:02:31)
14.  アギーレ/神の怒り
舞台は南米でも、ニーチェの国の映画。圧倒的な意志の肯定者。意志即反逆、自然の征服なの。面白いのはアギーレの意志が次第に膨らんでくるのに反比例して、河が穏やかになっていくとこ。アギーレに対抗して荒れ狂ってもいいのに、静まっていく。そこがこの映画の一番怖いところ。アギーレがいくら意志を膨張させても、河(自然)のほうはびくともせず、より静かに包み込んでくる。それでいて樹の高くに引っかかった船でちらっと実力を見せびらかす。それを見てアギーレはますます対抗意識を燃やすわけ。インディオの襲撃にしても、ほとんど姿を見せずに森そのものが攻めてくるみたいになってる。大自然そのものと戦ってる感じ。自分の意志の力で世界を変形させようとした男、そういう人物が歴史をときに危険に導き、また進歩させていったのが人類史なんだ。全体ドキュメントタッチのカメラで、レンズに水しぶきがかかってもそのままでいっちゃうの。
[映画館(字幕)] 8点(2012-07-11 14:50:19)(良:2票)
15.  青い山脈(1949)
そりゃ観てて気恥ずかしくなるところはありますよ。でもその恥ずかしさも込めて、日本と民主主義の蜜月の空気が伝わってくるじゃありませんか。理想を単に空中に掲げるだけでなく、それを実現させていこうという熱気がみなぎっている。以後の学園ものだと、多くの生徒が簡単に熱血教師側につくのじゃないか。しかし本作の愛校精神を叫びヒステリックに泣く生徒にリアリティがある。旧弊な社会の陰湿さやそれに対する無力感に実感がある(これが当時の多くのGHQお墨付きの民主主義啓蒙映画と比べて、優れているところ。ただ上から与えられたテーマを語っているのではなく、本当に当人たちが新しく始めようと願っている)。それがあって初めて、それを越えようとする理想が歌えるんだな。自転車に乗って。自転車ってのがまたなぜか希望にふさわしい乗り物なんだ。引っかかるところはたくさんありますよ。理事会に送り込んだニセモノがばれそうになるのが、先生のプライバシーをほのめかしてチョンになるのは、良い筋運びとは思えないし、直接ボスには手が届いていないのもサッパリしない。にもかかわらず全篇を覆う民主主義への渇望にすっかり胸熱くなってしまった。当時の心性のドキュメンタリーになっている。若山セツ子がかわいいが(この時代ならこんなにも健康でいられたんだ)、演技賞ものは校長だね。
[映画館(邦画)] 8点(2012-06-05 10:25:18)
16.  圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録
息苦しいこの映画でフッと息が抜けるのは、金子君が山歩きの靴はいて尾瀬に行くと言って仲間たちに呆れられるところ。このとき監督の目は、金子君に共感してはいなかったか。小川が描き続けることになったのは、人々が分かれていく酷薄さだった。一緒に戦っていた者たちが離れ、互いに非難し糾弾し合う残酷さみたいなものだった。『三里塚』でも、空港建設側に行った元村仲間に土をかけるようなシーンがあった。そういうときのカメラは微妙なタッチになる。「強圧的な権力に反対」というテーマに即して言えば糾弾する側に加わるべきかも知れないが、どこかでためらっている気配が感じられる。この金子君のシーンでも、呆れつつ「でもいい奴じゃないか」って思いも感じられるのだ。この金子君ってお父さんに説得されてた学生だよね。映画が息苦しく狭いところへ入り込んでいたとこで、息が抜けた。と言うより映画が膨らんだ。この学生たちに共感するでも非難するでもない場所が見えかけてくる。小川は「そうじゃない」と言うだろう。そういうドキュメンタリーの中立主義に反発した監督で、あくまで非権力の側に付いているんだ、って。でもこの金子君による世界の思わぬ拡張を、ドキュメンタリストとして待ち伏せてたってところもあるんじゃないか。新聞会の学生を追い詰めるところや、警備のおじさんをホールから締め出すところなんかも、迫害されてたはずの人間の集団が、やはり人間の集団の業を持ってしまうみたいな視点が感じられた。金子君はその集団の業から軽く離れている。夏休みの校舎に演説してて噴水がフッと弱まるところ、襟の汚れを丹念に追うカメラ。夏の暑さの感触がフィルムに染み渡っていた。その暑さの中で彼らが追い詰められていく・あるいは自分で追い詰めていく悲壮さ。権力の作為に乗せられて、というよりも、権力の意志に関わりなく、抵抗者が必然的にそう動かされていってしまうような気配があり、かえってそこに、大学当局や公安のレベルを超えた「権力」というものの気味悪さが感じられてくるのだ。そのとき金子君的な個人の振る舞いを生かす第三の道はなかったのか。
[映画館(邦画)] 8点(2012-03-07 09:52:19)
17.  或る夜の殿様 《ネタバレ》 
だいたい敗戦直後の邦画は民主主義啓蒙のメッセージ性が強くて、当時の雰囲気を知る面白さはあるものの、あんまり楽しくないのが普通なんだけど、これは違った。こんなシャレたコメディが、この混乱期に作られていたとは。ヨーロッパ的で、なにかタネ本でもあるのかな。山田五十鈴の存在がさらに膨らみをつけている。いいシーンとしては、長谷川一夫がわざとコップの水を飯田蝶子に引っ掛けるとこ。そのあとの女中の顔が実にいい。アリガトウゴザイマスと驚きとがうまくミックスされた感じ。階級的恥辱感とでも言うのか、ああいう細やかさが日本映画のいいところなんだよね。観てるほうでもスカッとするし。ニセモノを作った志村喬ら三人組のワルガキぶりもなかなか面白い。舞台から下がってから笑い合うあたり。画面の奥のほうでほかの人の表情を見せるのもうまい。吉川満子が渋面作ってたりする。三人組がバレそうになって慌てるあたり。長谷川がいちいちカワしていくおかしさ。「私は一介の浮浪児ごときものと申し上げたはずです」。そしてすべては額縁から始まって額縁に収まっていくという趣向。シャレてるなあ。
[映画館(邦画)] 8点(2011-05-09 09:56:31)
18.  あらくれ(1957)
彼女の亭主になりたいとは思わないが、脇で見ているぶんには実に小気味のいい女の半生もの。不機嫌な人物を見ていると、普通はその不機嫌が伝染してきてしまうものなのだが、彼女の場合は違う。共感でもないの。小さいのによく動き回る相撲取りを見ているときの快感、と言っちゃ女性の高峰秀子に対して失礼か。森雅之との関係はあいかわらず「ズルズル」の世界で、でも『浮雲』みたいに黴の生えるようなジメジメした雨じゃなく、爽快な夕立であることが本作の魅力(あの夕立はホースで撒かれた水の延長線上にあるんだろう)。全編にあふれる物売りの声も、いつもながらとは言え、いい。変に好きなのは、洋服屋の下働きをしてるとき、からの大八車を引いての帰り道、ちょっと置いて一服する、そのしゃがみぶりというか、いや、いったい何がいいんだか分からないんだけど、成瀬の映画ではこういう瞬間を心待ちに待っている。「道行きシーン」と勝手に呼んでて、一人歩きものと二人歩きものと二種類あるんだけど、とにかく道を行きながら放心しているシーンてのが、私は成瀬映画では無性に好きでたまらない。
[映画館(邦画)] 8点(2011-01-03 14:54:10)
19.  アラビアのロレンス 完全版
前半に比べて、後半がどうも弱い。長いからこっちが疲れちゃうのかもしれない。『風と共に去りぬ』も、後半が駄目だった。でもあれは、原作がそもそも後半、南部歴史修正主義者の信念吐露みたいなものが入り込んできて気色悪いんだけど、こっちはどちらかというと後半のほうがロレンスの屈折に焦点が当たり、ドラマとしては面白くなれるはずだった。その屈折が映画としてうまく膨らんでくれてない気がする。というより前半が良すぎたのか。前半の「清潔な砂漠」の魅惑と脅威を描いては、絶品である。ロレンスが、これに魅せられたのが映像だけで納得できる。飛砂の舞いとなだらかな造形の妙。一度足跡つけてNG出しちゃうと、撮り直しするのが大変だっただろうなあ。それと砂漠の奥の深さの描写。オマー・シャリフの登場シーンを筆頭に、「果てしのなさ」を二次元でちゃんと描けている。3Dは、いらない(『戦場にかける橋』のジャングルや『ライアンの娘』の海のように、人間の愛憎を凌駕していく大自然を描くと天才的な監督)。シナリオも丁寧で、マッチを吹き消すとこや、こだまの反響なぞ、いい。後半では、そういうシナリオの綾が、あまりなかった気がする。
[DVD(字幕)] 8点(2010-10-23 09:59:23)
20.  アンナと過ごした4日間 《ネタバレ》 
男が忍んでいるときのアンナの顔が初めてはっきり見えたのは、ヘリコプターのシーン。鏡越しにこちらで隠れている男と目が合うんじゃないか、とハラハラさせつつ、指輪をうっとりと眺め男の心を歓喜で満たしている場面。それまでは、ただいればいいという役どころで、スタッフの一人を使って演出しても安上がりに済んじゃうんじゃないか、などと思っていたが、このシーンから彼女は「対象」として生命を吹き込まれ、終盤やはり演技の力を見せる。裁判の場のアンナが素晴らしい。視線のそらしと凝視だけなんだけど。ああ東欧の女優さんの顔だ、と思う。なにか耐えに耐えて硬くなったなかに、人間味を潜めている顔。風景も久しぶりに、旧体制下の東欧を思い出させる陰鬱な静まりを見せてくれて、とても美しい。裁判の場で、寡黙だった男が「愛」という言葉を口にする。その場違いな唐突さ、驚き、その上で「この言葉以外にないな」と深く得心させられる。これレンタルビデオ店では「ラブストーリー」に分類されていたけれど、間違いなくラブストーリーなのだ。同じ姿勢でレイプされたもの同士の共感からスタートしたのかも知れないが(皿洗いから記憶がよみがえる趣向)、「愛とはこういうものだった」と、すごく極端な設定で普遍の本質を提示されたような感動があった。
[DVD(字幕)] 8点(2010-08-20 09:57:42)(良:1票)
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