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パブロン中毒さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 914
性別 女性
ホームページ http://ameblo.jp/cluttered-talk/
自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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21.  阿弥陀堂だより 《ネタバレ》 
映画が料理だとすると、ここに使われた食材はすべてもともとが「生」「死」「癒し」なのである。「他のものが一切入っていない料理」という、ある意味珍品といえるかも、のメニュー。例えば、「憎しみ」「妬み」「嘘」「偽善」「怠慢」などはこの映画のどこを探しても出てこないでしょう。 ということで「いい人しか出てこない」というより、「3つの要素だけで作ってある」なのだ。 「仕事」というのは「他人の要求に応えることである」と言ったのは橋本治。そして、「他人の要求に応えすぎる」と、人は「消耗」する。たとえ他人の死を見取りすぎたという特殊な職業下でなくたって、「他人の要求に応えすぎる」のは不健康なことで、職業としてであっても「消耗」は避けられない。私はそれが身にしみてわかる。美智子先生の置かれた状況がよーーくわかる。 村に着いても、最初は発作も起こして「これで診察できるのかいな」という頼りなげだった美智子先生が、次第にキャリアウーマンぶりを取り戻してバリバリになっていくのがおもしろい。比べてダンナのほうは一貫して同じペース。いいかげん寺尾は見飽きたけれど、孝夫役は彼でなければならなかったというのはうなずける。 さてこの村の人々がいたずらに死を恐れず穏やかに生きているのは、梅さんの存在ゆえである。 死んだ経験のある人は誰もいないので皆「死」が怖いのだけれど、「限りなく死に近いところに生きる梅さん」の存在によって、人々の「死の恐怖」は緩和されることになる。昔の船旅に不可触の人柱を乗せたように、梅さんは「不吉なもの(死穢)を全部引き受けてくれる」身代わりのような存在だ。 よくできたシステムだと思うが、このような存在は昔は賤しまれていたのではないかと考えるのが妥当だ。最も卑なる聖=アンタッチャブル=有形無形に疎外(隔離)する、というのが日本の文化だ。 映画ではそんなことはみじんも描かれないが、私は「梅さん=アンタッチャブル」という意識で見たほうがいいと思う。それで初めて「なぜ一人であんな便所もないところに住んでいるのか」「なぜ家族の訪問が無いのか」「人が死んだ時しか村人が訪れないのはなぜ」などの疑問が解ける。 偉すぎるニョーボの亭主であるというのも実は努力と技術が居るのでバカにしたもんではなく、どんな男でもなれるというものではありませんね。たまにはこんな珍品も、の一作。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2008-07-01 15:14:37)(良:1票)
22.  ある子供 《ネタバレ》 
人は成長過程でどうやって「道徳心」を持つに至るのか? これは「道徳心の育たなかった人間は、社会で生きていけるのか」という実験的な映画に思える。 ブリュノは金髪で青い目、標準の知能と健康な体を持たされているが、これは偶然じゃないと思う。 「他人と同程度かちょっと上」くらいの条件を与えられていても、「道徳心」が欠如していた場合は人間社会で生きるに困難である、ということのためのあえての条件なのだ。 どういう理由からか、ブリュノには道徳心が育たなかった。 で、ブリュノは「他人の持つ道徳心」があまりよく理解できないので、他人が「怒ったり」「泣いたり」するタイミングが予測できない。だから、彼はしばしば「急に怒る他人」とか「急に泣く他人」とか「急に無視する他人」とかに驚かされてきた。 そして、他人の反応を「学習」して、それに対処しながら生きてきた。「嘘がバレた時は他人は怒る」「自分の物を盗まれた時は他人は怒る」「借りた金を返さなかった時は他人は怒る」とかいう具合にだ。だから、「嘘をついた相手には会わないようにするか、またはさらに嘘をつく」「盗んだ相手からはひたすら逃げる」「金を借りた相手には会わないようにする」とかいう、彼なりの対処をしてきたのだ。 けれど、「子供を取り上げて売ったら怒る」かどうかは、彼のこれまでの経験には無かった。学んでいなかったから、知らなかっただけ。 ブリュノが自首した理由は、「スクーターのガソリンがなくなって」「ごはんが食べられず」「寝るところがなく」「シャバに居れば日曜日ごとに借金取りにオカマを掘られる」のと、ムショ暮らしを天秤にかけたからである。道徳心がないかわりにケチな損得勘定ばかりが発達している彼は、「ムショ」のほうがマシだと判断した。共犯の少年のためならもっと早く自首している。 さて作り手はブリュレをムショに放り込んだところで映画を終わらせる。ブリュレも彼女も泣いている。なぜ?お互いの未熟さが情けなくて?今後はどうなるの? 私の予想はこうだ。ブリュレはひとつ学んだ。「母親から子供を取り上げて売ったら怒る」ということを。次の時は、子供がさらわれたことにしたらどうかな。いや、雑踏に連れて行ったら迷子になったっていうのはどうだろう。彼女を怒らせないために、次はうまくやらなくちゃ。 道徳心が急に育つものなら誰も苦労しないのだ。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2008-06-20 15:59:59)(良:1票)
23.  秋のソナタ 《ネタバレ》 
自らも娘を捨てた過去をもつバーグマンが、あえて挑んだ母親役なのだと思う。バーグマンが見て欲しかった相手は、捨てた娘だけであろう。 娘役のウルマンはどこまでも母を責め、母のバーグマンは一応は許しを乞うがまた元の生活に戻っていく。接近した惑星どうしが、また遠ざかっていくような感じがある。 娘というのは母親に完璧を求めるもので、特に母親が「女」を発揮すると一生許さない。娘にとって、母親は「女」であってはならないのだ。 娘は「あんたはこんなにひどかった」と言いつづけてネタに事欠かないが、それは「こうであってほしかった、ああであってほしかった」という際限の無い要求の裏返しで、ヨソのお母さんと比べたらひどいということではなく結局のところは「母親として完璧でなければ許せない」なのだ…けれど、完璧な母親が存在しないということはいくらなんでも娘もわかっているだろう。どこの世界でも、娘は妥協して生きている。 けれど、エヴァにはヘレーナが居た。かつてヘレーナが母親の恋人に恋したとき、母親はあてつけに4日も早く旅立って恋人を取り戻した。意地悪をして、ヘレーナの恋心を踏みにじったのだ。それが原因でヘレーナの病状が悪化したとエヴァはいう。もともと母の恋人だろうが、母は娘であるヘレーナに対し「成熟した女」としてまともに威力を発揮してしまった。これは大マチガイだ。母親が娘と張り合ってはいけない。母が女を発揮するだけで娘は許せないというのに、これは最悪だ。だから、許せない。幼少の頃から構ってもらえなかったとかいうことだけなら、たぶんエヴァもヘレーナも母を許せたのだと思う。 そんな情けない母親でも、エヴァは過去を直視してほしい、少しでも母親らしくなってほしいという希望を捨てられない。無視しきれないのだ。けれど、作り手ベルイマンも、演じ手バーグマンも、こう思っているのではないかと思う。「母親に何かを期待するのは無駄である。」と。 完璧な母親はいない、すべての母親はシャルロッテほどひどくはなくとも足りないところがある、そして母親であろうとも一人の女として好き勝手に生きていく。娘は母親の人生に対して干渉しようにも完全に無力であり、それを傍観せざるを得ないのですよ、という意味のエンディングだと思う。 それにしても、リブ・ウルマンという女優さんは首が太くて肩もガッシリしてごついなあと思った。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-12-13 19:42:45)(良:1票)
24.  アダム -神の使い 悪魔の子- 《ネタバレ》 
デニーロさんはけっこう安い映画に出ているのである。アンジェラ・バセットがスチュワーデスでデニーロの彼女だったやつとか。もう題名も忘れたが。 で、グレッグ・キニアが主役を張るなどそんな…と思ったとおり、変な映画。 グレッグ・キニアは脇役でよく出てくる俳優さんで、「ユーガットメール」のメグ・ライアンのボーイフレンドが記憶に残る。もちろん主役感はゼロである。 そこになぜデニーロさんが。もはやデニーロといえば、即座にどうよのテルとかリチャードホールとかを思い浮かべてしまう、かわいそうな(日本では)デニーロさん。 そんでまた、ここにもキャメロン・ブライトが。ここんとこ立て続けにこの子が出るんだよなあ。いいかげん見飽きた。 最後の教会の場面で、デニーロとキニアが言い争うシーン、かなり情けない気がした。もう、演技がぜんぜん噛み合ってないように思う。質と格が違いすぎる。 この「尻切れとんぼ」風な終わり方は、間違っても続編の事を考えているのではなく、単なる「風変わりなエンディング」を目指したと思われる。あざとい。
[DVD(字幕)] 5点(2007-05-03 20:58:56)
25.  アマデウス ディレクターズカット 《ネタバレ》 
評判どおりの、よくできた映画だった。 サリエリは老けメイクが変だったが、回想場面ではキリッとした紳士面で「嫌らしさ」「人間くささ」を見事に演じ切り、爽快。モーツァルトは他の役者でも良かったように思うが、オペラを指揮している時は、可愛くて好きだ。コンスタンツェは美化しすぎ。 さて世の中は、「天才」と「天才ではないが天才を見抜く能力を持つ者」と「そのどちらでもない者」に分かれる。その割合はきっと、1:10:10000(変?)くらいなのだろうが、どこに入る人が一番苦しい人生を送るかというと、真ん中の人だ。 誰もが「サリエリ」かというと、全然そうではなくて、「サリエリ」になるのも大変なのである。「自分はサリエリだ」と思うのは、概ね勘違いだ。 私は、映画「アマデウス」において、サリエリ本人が思うほど、サリエリは劣っていなかったのではないか、と思っている(音楽的根拠はない)。 というのは、サリエリは、田舎者から成り上がって、皇帝のお気に入りの宮廷作曲家にまでなった男。よろしく立ち回るのが得意だったとはいえ、無能の人間にできることではない。 サリエリは、モーツァルトと出会ってその才能に打ちのめされ、「必要以上に己の才能を卑下」してしまったのだと思う。「自滅」である。あくまで映画の中のサリエリについての解釈だ。 「憎しみ」と「愛情」は近距離にあり、「愛情」の反対は「無関心」だ。サリエリは、モーツァルトを無視することすらできない。スパイを投入するほど、彼に関心があって仕方ない。これが「愛」でなくてなんであろう。滑稽である。そして悲しい。 「報酬には代償が必要である」とは、サリエリが経験から学んだ(と思っていた)玉条だったが、「代償」に対し「報酬」を期待するのは、相手が神様である場合に限っては、間違いなのである。 そしてサリエリの意地悪が無かったとしても、生きているうちにモーツァルトが認められることは無かったと思う。天才によくあるように、社会人としては行動が破綻しているからだ。モーツァルトが野たれ死ぬのは、自然の流れだった。でも、意地悪をしたサリエリには、「罪」の意識が残った。…本当は神様への一打にすらなってなく、すべてはサリエリの一人芝居、空回りであったようにも思う。 もうひとつ、人間性と、その人が作ったアートとの間には、関係がないことも、この映画は良く教える。
[DVD(字幕)] 9点(2007-04-21 21:48:02)(良:3票)
26.  アンビリーバブル 《ネタバレ》 
ホアキンは出すぎではないだろうか。一時のニコール・キッドマンに感じたような「見飽きた」感がそろそろ湧いてくる。 売れっ子ホアキンにしてみれば箸休め的な参加とも思われるこの作品、余裕の表情で語るホアキンに比べ、クレア・デインズはかなり消化不良でストレスがたまっているように見うけられた。不条理には向かない女優さんかもしれない。 しかし、見るほうにしたってこれを消化するなどということはほとんど無理。消化など考えずに「雰囲気」だけ味わうのが無難である。 監督・脚本のヴィンターベアが飛行機で世界中を飛び回るという地に足の着かない生活を送るうちに、このアイディアを思いついたという。 それは何かというと「この世界が自明のものではなくなるのではないかという漠然とした不安」であり、それを映像化したということだ。「不条理」である。 「孤独になると心臓が悪くなって死ぬ」も「7月に雪」も「ウガンダで人が飛ぶ」も「妻のそっくりさんが3人出現」も、それ自体に大した意味があるわけではなく、すべて「漠然とした不安」の現実化なのである。しつこいようだが不条理なんである。 がここに、「不条理」と「退屈」は紙一重である、という危険がある。 例えばスコセッシの「アフターアワーズ」では、「不条理」を描いて「退屈」を遠ざけるに足る「芸」が凝らされていたと思う。「不条理」を描くには「だからなんなの」と観客に言わせない「芸」を必要とする。 残念ながら、「雰囲気」は充分出した本作だが「芸」があったとは言えない。 「スケート」という要素にしても、「なぜスケートでなければならないのか」を観客に納得させるだけのものがなく、「単なる思いつき、監督の趣味」の範疇を出ない。 「孤独になると心臓が悪くなって」の部分などは、それこそ邦画「回路」のパクリとしか思えぬ。 「回路」のテーマは「生きてる人間は助け合え」で、本作の場合は「愛こそすべて」。…似たり寄ったりである。 全体としては、「回路ヴィンターベアバージョン」といっていい作品である。が、やはり経験不足ということなのか、資質の問題か、己の思いつきを適当に散りばめたのみ、という結果。おしゃれな店などで、バックグラウンドに流しておくにはいいかも、という程度。「不条理」から「退屈」を遠ざけるには、この監督さんには荷が重過ぎた。
[DVD(字幕)] 5点(2007-03-10 00:01:21)(良:1票)
27.  アメリカ,家族のいる風景 《ネタバレ》 
私にはつまらなかったです。 単に面白くないというだけでなく、サム・シェパード(主演・脚本)とベンダースコンビに対して、「私にこんなもの見せるな」という嫌悪感を感じたのだった。だったら見なければいいのだけれども。商業映画として公開された以上は、想定外の〝彼らの価値観〟を見せられてしまったことについて、言わねばならぬと思うことがある。 もう、ストーリーなんてものはあんまりにもくだらないのでどうでもいいのだが、「自分の知らない間に何人子供が生まれていた」とか「たとえ一度も会ったことがなくても、血がつながっていれば何かを感じるはず」だとか、つまんない男性の幻想を2時間もの映画にしてしまうことも、大御所のオジサン2人が顔を寄せて考えたとは思えぬあまりにも幼稚な発想だなあ。まさか本気で言ってるんじゃないよなあ。 それから、作り手が「目に見えぬ家族の絆というもの」を持ち上げたいばかりにこれでもかと「物質否定」を繰り返し見せること、これが私には耐えられない。 なにも「家族の絆」を強調したいからって、「モノなんかどうでもいいんだ。モノに意味なんかなにもない。モノなんかこうしてしまえ!」という描写に走るのはあまりにも芸がないうえに短絡的。 〝モノ〟に罪はありません。ハワードにしろアールにしろ、物を粗末にしすぎます。食べ物だって、おいしくいただかなければかわいそうです。お母さんが用意してくれた朝食くらい、素直にいただきなさいよ。お母さんが、大切に磨いて乗っている車は、もっと大事に乗りなさいよ。ゴミをそこらへんにポイするのはいけませんよ、ハワード。それに、たまにはシャワーを浴びて体をきれいにしなさい。 人様に借りているアパートの窓ガラスを、故意に割ったりしてはいけませんよ、アール。そのうえ、窓から家具を放ったりしては、よその人にケガをさせるかもしれないから危ないでしょう。それに、まだ使えるものを、わざわざ壊したりしてはいけません。モノは、使われるために誰かが作ってくれたものなんだから。それに、あなただけの道ではないのだから、自分で散らかしたら、ちゃんと片付けなさい。………と、私の言いたいことは生活指導の先生のようになってしまい、そうか、ハワードもアールも中学生並みの精神年齢ということなんだなあ、などと思う。 シェパードとベンダースコンビには日本のこの言葉を知ってほしい。〝もったいない〟
[DVD(字幕)] 0点(2006-11-29 12:49:18)(良:3票)
28.  アルフィー(2004) 《ネタバレ》 
リメイクらしいけれども。御本家のことは全く知らない。 己のルックスに激しく自信のあるアルフィーくんが、〝女は顔と体〟と割り切って遊んでいたところ、あるときを境にすべての女からNOを食らって、ハタと己の人生を見つめなおす。というお話です。 私はアルフィーの話というのは、特別かっこよくて遊んでいる男の人に対する警告ではなくて、ほとんどすべての男性に向けたものなのだと思うのです。 「何を言う、俺は小谷野敦も真っ青のもてない男だ。アルフィーとは何の共通点もない」とおっしゃるなかれ。結婚相談所に来るような男性でも、アルフィーはちゃんと飼っています。要するに男の人は、女性がクモの巣を張って自分をターゲットにしていると感じると、本能的に逃げ出したくなるようにできている。教則本〝ルールズ〟はその点では全くもって正しい。 たぶんアルフィーというのは、何万人に1人のプレイボーイなどではなくて、フツウの男の人の中にも少しずつ住んでいる普遍的な存在だと私は思う。アルフィー含有率には個人差がある、というだけのことでしょう。 映画の主人公アルフィーはそれが度を越している男で、その原因は母親の愛情に恵まれなかったことにあるということになっているらしい。が、くどいようだが男性の方は、みんな間違いなくアルフィーを飼っている。〝特定のもてる男〟の遠いお話、という鑑賞法は違うと思います。 恥ずかしながら私は昔、何度もアルフィー化した男性にふられたことがありますが、その中でも最もアルフィーだった男性と、2番目にアルフィーだった男性および全くアルフィーぽい容姿でないけれどどたんばで逃げた男性までもが、皆幸せに結婚したと聞いています。だからというわけでもないが、映画アルフィーのような悲惨な結果になるというケースは少ないのではないかという気もする。ということで、映画のアルフィーが女たちに総スカンを食らっている状況は個人的にちょっと気分がよくなるのでした。 ジュード・ローといえば女を口説いているところしか思い出せない、という彼は、アルフィー役にぴったりだったといえます。若さを保つのがギリギリのところの年代であったことも、はまっていたと思う。
[DVD(字幕)] 8点(2006-11-18 22:11:12)
29.  the EYE 【アイ】 《ネタバレ》 
やはり2度目に見ても、この手のホラーサスペンスでは群を抜いている。パン兄弟というのは本当にアイディアの宝庫だ。右脳の発想と思う。思考と記憶の作業を視覚で行っているように思える。 ただラストの爆発のところが個人的には気に入らない。「プロフェシー」とかぶっているし(どっちが先にせよ、話を収めるにあたってあまり洗練されたもって行き方とは思えない)それまでのストーリー展開からするとあまりにもイージーに過ぎる。 で、ここのところはトム・クルーズがプロデューサーとなって映画化した際には、きっとこうなると思われるので皆様にはどうでもいいでしょうがお伝えしたい。 まず、主人公は白人男性。そしてカウンセラーは美人の女医さん。まさかマッチョなトム本人が盲目男性を自ら演じることはないと思われるので、オーランド・ブルームあたりをもってくる。そして、ラストではオーランドはご本家と同じように、車の窓を叩いて逃げるよう説得するのだが、誰も耳を貸さない。そこで切羽詰ったオーランドは、後部座席にぬいぐるみを抱えて乗っている女の子を無理やり連れ出し(ぬいぐるみは絶対ですね)、走り出すのだが、それを両親が事故の交通整理の警官へ通報し、警官に追いかけられたオーランドは必死に走る。ここで警官が空に向かって発砲(子供が一緒なので)したりして危機感を煽る。その時まさに大爆発が!オーランドは女の子を守って自分が犠牲になり、再度失明したのであった。そんなオーランドをあたたかく迎える美人の女医さん。…こんなことだと思うのですがー。もうアメリカナイズするとどうなっちゃうかだいたい想像つくよね。そこがよりつまらなさを加速する今日このごろでした。
[DVD(字幕)] 7点(2006-10-14 00:00:18)(笑:1票)
30.  アフター・アワーズ 《ネタバレ》 
数年前に見ていたら間違いなく途中でやめていただろう。 そして現在。なんとも味のあるスコセッシ印のこの作品、愛らしいと思うのだった。 この手の作品はテンポが絶対。冗長に感じられたら終わりだ。スコセッシでなければどうしようもない出来になっただろう。どっかの大学生が書いた脚本を安く買い取って、ティム・バートンも監督候補に挙がっていたという。ああスコセッシで良かった。 80年代に作られたこの作品には、スコセッシがこだわっているものがいっぱい詰め込まれていて、「救命士」の根っ子はこのころから芽生えていたのだなあ、と改めて感じます。ニューヨーク、真夜中の彷徨、交差する人々、交差しているように見えるだけの人々、混沌、錯乱、そして一夜明ければ何事もなし。 道端にはゴミの山、アパートのドアはボロ、登場人物ひとりひとりの部屋も個性的でリアルに描かれ、画面の中からそこに暮らしていることを主張してくる。ジュリーの部屋なんてすごく可愛くて凝っている。部屋中なめるように見つめてしまった。そしてどの役者さんも「撮影中」という感じは皆無であり全員が「地」であるかのような臨場感。とにかくスコセッシのリアリズムは「空気」を運んでくる。 帰れない、お金が無い、というシュールなストーリーはまさに筒井康隆の「俺は裸だ」を思い出させる。噛み合わない会話、通じない意思、こんなシュールが楽しめるのはある程度年を食ってからかもしれないなあ。ひとことでいってしまえば「悪夢」、ということになるのだけど、これをどういうふうに味わうか、楽しむか、人それぞれですね。 
[DVD(字幕)] 7点(2006-09-30 23:13:18)
31.  アガサ・クリスティー/謎の失踪 失われた記憶<TVM> 《ネタバレ》 
これはけっこう拾い物と思う。 老女となってインタビューを受けるアガサ、発見後に催眠療法を受けているアガサ、失踪したアガサを捜索中の警視、さらにそれぞれの回想シーンと、まったく手の込んだ語り口で、複数の主体と時間軸で話を進める割には混乱もなくすんなり見られるのは見せ方やつなぎがうまいからであろう。まるでタペストリーのようだが完成されていてなんか手品のようだ。 アガサ・クリスティー、決してこんな美人ではなかったはずだ。なぜならこれだけ見た目が良ければ男がほっとくはずはなく、じっとり家で小説を書く暇なんてあるわけがない。だいたい書いたものを見るに人を見る目がシビアで意地悪。本人が美女ならこうはなるまい。 そういう意味では美人の俳優さんの起用によりアガサの人生が激しく水増しされているといえよう。 催眠療法によって徐々に彼女の心が解き明かされていくというなんとも興味をそそられる展開。あのギョロ目の怖いおっさんは一体なんなのか、という好奇心。もうぐいぐいひっぱられていきますね。こういうのに弱いんです。 ギョロ目のおっさんの正体については最後まで明かされないのだが。アーチーが階段を登って来たシーンにかぶせたところから考えるに、べつにビューティフルマインドのナッシュの見たような幻覚ではなく、「不吉な予感」を視覚化したもののように思いますが。 これだけお膳立てして気をもたせておいて、蓋を開けてみたら旦那が浮気して離婚を迫られた、というだけのことだったんですか、それがちょっとなあ。もっと突飛な解釈に走ってもよかったのではと思う。最後の方がバタバタしておざなりな感じがするのも惜しい。 でも全体としては隠れた名品と思います。
[DVD(字幕)] 8点(2006-09-26 22:20:29)
32.  アンダーワールド/エボリューション 《ネタバレ》 
「1」よりいいぞ。 驚くとともにワイズマンを少し見直す気持ちになった。 これだけの要素(ストーリー性、アクション性、CGと実写やミニチュアを組み合わせた映像性、キャスティングの妙、アイディア)をあの若さでなぜ出せるのか。キューブリックのような奇人変人でなさそうだから、つまりこういうことではないだろうか。 彼自身は特定の分野に秀でたオタクではなく、作品のイメージとか許容点におけるジャッジを下す役割に徹する。それから、「求める答えを知っていそうな人間、求めるものを作れそうな人間」を嗅ぎ分ける嗅覚に優れている。それから、「こういうふうしたいんだけどどうしたらいいかな」といって、あとはその人間に任す。そして、おそらくは「褒める」技術に優れている。(ライカンのスーツ製作者が、「前回のも監督は大変喜んでくれた」という言い方に現れてると思う。) 「任す」に徹した場合、ソダーバーグの「アウトオブサイト」のような失敗も有り得るが、ワイズマンの場合は「イメージを伝える技術」と「相手の気を損ねずダメ出しする技術」にも優れているのだろう。映画の監督さんには色々なタイプがあると思うが、これまでの数々の名作における「監督だけが突出した天才で映画はひたすら自分印」という固定観念に当てはまらない新しいタイプの監督さんではないだろうか。 前作同様キャスティングもすばらしい。前作ビル・ナイの次はデレク・ジャコビを出してくるという、いったいどういうコネがあるのか感心する。 普通なら「1」の成功によりマーカスにはハリウッドの有名どころをもってくるところだが、ワイズマンが蹴ったのだろう。ヨーロッパの俳優にこだわったところが正解である。。「1」では誰もが疑問視したケイト・ベッキンセールの起用も、このお人形さんのようにカンペキな容貌=人間離れを求めてであったのだな、と納得。(シワ、たるみ、しみや吹き出物があってはならないですね。) 映像も申し分ないが、ご都合なところが一箇所、ウィリアムの牢獄にコルビナスの部下を連れて行く必要があるのか?と思っていたら、死んだあと変身させてもうひとバトルさせるためだったのか、強引だな。もうひとつ難を言えば、鑑賞中「3を作ることは決定的だから、主役の2人が死ぬことは有り得ないよな」という確信を抱いてしまうこと。ううむ。
[DVD(字幕)] 8点(2006-09-17 15:20:44)
33.  アウト・オブ・サイト
…ゆるい。 メイキング映像から察するに、出演者から脚本家、原作者にいたるまで皆が勝手なアイディアを出したあげくにそれぞれの要望をモザイクのように実現した結果に見える。こういう場合はゆるーいものができますね。 ソダーバーグか?ほんとに? これがソダーバーグだというなら例のデビュー作「セックスと嘘とビデオテープ」や「イギリスから来た男」はなんだったのか。ソダーバーグの作品は当たり外れが激しいというか、「ソダーバーグ印」という安定感が皆無。 「ソラリス」でもコケたようにソダーバーグがクルーニーを出すとロクな事にならないようだが。 だいたい私はクルーニーの出ている映画で良かったものがひとつもないような気がするけど。「オーシャンズ11」もつまらなかったなあ。「シリアナ」はよかったけどクルーニーなんて居ても居なくてもどうでもよかったし。それに一時期全アメリカ女性をとりこにして一人勝ちしていたというクルーニーだが、そのフェロモンも私にはなぜか全然無効なので不感症かと悩んでしまう。 とにかくコント以下。茶番。 
[DVD(字幕)] 3点(2006-08-13 00:11:39)(良:1票)
34.  愛についてのキンゼイ・レポート 《ネタバレ》 
…。…。これは失敗だ。 と思う理由それは、まずリーアム・ニーソンとローラ・リネイという俳優としては地味な二人組を中心に据えたこと。ほんとうに画面に華が無いのよね。サースガードが入ると少しは毒気がしてマシにはなるが、彼一人ではとてもじゃないがもたない。「エミリー・ローズ」でも思ったけど、ローラ・リネイは悪くないけど主役を張る女優さんではないと思う。彼女の一挙一頭足に目が釘付けになりますか? それにリーアム・ニーソンのつまらなさ。この人も主役を張る人ではない。しかもキンゼイという稀代の変人を演じるにはあまりにも「フツー」っぽい。もっともっともっと変な人だったと思うのよ、本物は。見てくれだけのことでなく。 そんな「フツー」っぽい二人組に無理して「乱交」だの「絶頂ウォッチング」だのさせるから、見てるほうは「いくらなんでも」とついていけなさを感じざるを得ない。 それと、同性間の性交だのスワッピングだの家族の異常な団欒風景だのの描き方がすごく意地悪だったと思う。これは映画をつくってる人間が、キンゼイの行動のうち、こういった部分を理解も受容もできていないがかといって批判もできないというものすごく中途半端な状態であることをあらわしている。キンゼイ先生は墓の下でどう思っているだろうか。 あまり関係ないが、故中島らも先生は「アマリタ・パンセリナ」の中でこんなことを言っていた。 「必要なのは受容と同化」「観察でも研究でもなく受容と同化」なんと深みのあるお言葉。もちろんこれは各種嗜好品について語っているのであるが。私はキンゼイの異常な行動を見るに、この言葉を思い出してしまうのです。そこのところを単に、「あーあ、学者センセイは世間知らずで変な方向へ突っ走っちゃうからなあ」っていうふうに撮ってたのがこの作品だと思う。だから、キンゼイに対する理解が足りないまま、キンゼイの行動のみを羅列しただけみたいになっちゃって、彼に失礼じゃないかあ? …キンゼイという上ネタを料理したというのに映画としてはやっぱり失敗だ。 
[DVD(字幕)] 4点(2006-08-05 23:40:32)
35.  悪魔の棲む家(2005) 《ネタバレ》 
お約束どおり。あと女優さんがスタイルいいのにブス。(男優さんもマッチョだった) シャイニング後の映画界においては、「一家の主がとりつかれる」てのは、まんまやってくれてもほとんど喜びはない。例えば「エコーズ」では夫婦の機微を細かく描くとか、ケビン君の「掘り芸」を見せるとか工夫をしていた。(それでもパッとしなかったな)マイケル・ベイが得意気にからんでいるからいけないのだろうか。
[DVD(字幕)] 4点(2006-07-23 23:48:34)
36.  愛は危険な香り
これ好きだったんです。もはや埋もれた作品となり果てていることが悲しい。なんでかなあ。カントクが有名じゃないからかな。ともあれ、これはシワひとつないプリプリイケイケ時代のダイアンレインを最も魅力的に撮った映画といえましょう。ショウウィンドーのデコレーターであるダイアンが、自分から精力的に仕事を売り込むうえに、毎回毎回、セクシーでビューティフルなデコレーションを作ってしまう。→ヒロインは「都会に住む自覚的な現代女性」であるところがよいですね。ま、このままいくと、堂々の負け犬へ進みそうだが。そしてまた、体力仕事であるにもかかわらず、ハミ乳すれすれなセクシー衣装で仕事に励んだりする。そんなカッコしているからバスの中で痴漢にあうんだよー。衣装もヘアスタイルもとっかえひっかえ、ダイアンの都会的な魅力をこれでもかと見せまくります。それでまた、住んでる部屋がカッコいいことといったら。とんでもなく広いワンルーム。そんでワードローブがダーッと並べてあってその中に何気にバスタブもあるし!この部屋にあこがれましたよ。日本人のOLで、こういうところに住むには年収どのくらいあればいいワケ。このころ自分は20㎡くらいのところに住んでたし。誰がなんと言おうとやっぱり日本は貧乏だ、と思った瞬間です。女性の一人暮しの描き方も、リアルでした。ほら、セキュリティに外敵の危険を感じた時って、なぜか急にふだんは放ってある掃除とか家事に精を出したりするじゃない?経験あるしよくわかる。これって女の本能なのか、洋の東西を問わなかったのね。これまた、ちまちまと掃除機なんてかけないで、コンクリの床にザーッと水を流してモップでごしごし。カッコいいね。たぶん、男の子も映画の中の主人公の生活スタイルに自分の理想を見つけると思うけど、私の場合はこれなんか強烈でしたね。そんであの猿顔のボーイフレンド。それはないでしょうよ。これだけおしゃれな人生なのにい。しかもブリーフをはくな、白いブリーフをー!(確か白だったと記憶している)あの猿顔としょぼいストーリーは無視して、おしゃれでアートな雰囲気を楽しむ映画です。女性の方必見です。ダイアン・レインは女性に支持されるという稀有な魅力をもつ女優さんです。
[ビデオ(字幕)] 8点(2006-03-02 21:18:27)
37.  アイ,ロボット
はっきり言って、大人向けに作られた作品ではない。ターゲットはずばりティーンエイジャー。アシモフの作った「3原則」というジレンマも、主題としなければ話が成り立たないのに「脇役」扱いされているし。それに、過去の色々な作品からのパクリのつぎはぎが目立つ。「しゃべる大看板」は「ブレードランナー」、「サニー」は「A.I.」(特別に丁寧に作られた男の子)、「お菓子をつくるばあさん」は「マトリックス」、「ヴィキ」は「JM」からなどなどなど。ベースはもちろん「アンクルトムの小屋」。こういう言い方もどうかと思うが、黒人であるウィルスミスが「トム」から出世して「差別する側(ロボットに対して主人階級)」に立つ主役を演じるのは皮肉だ。「アンクルトムの小屋」の逆は「アラビアのロレンス」「ダンスウィズウルブス」「ラストサムライ」であり、「新奇なストーリー展開」は誠に得がたいようで手垢のついた話を繰り返していることであるなあ。どうしても見なければならない作品でもないが、ウィルスミスの立派な体を鑑賞するには適した作品。彼の今後の課題は「軽さ」を克服して「深み」を出すこと。 サニーの顔面造型の可憐さは誉めておく。
[DVD(字幕)] 5点(2006-02-18 00:47:28)
38.  アンダーワールド(2003) 《ネタバレ》 
セレンディピティなケイトは、こういう方向に行っていたのか。アクションとケイトベッキンセール、微妙だ。でもアンジェリーナジョリーでなくてよかったと思う。面と向かって「ダメ」というほどの作品でもないが、「ここがすばらしい」というほどのシーンもなし。脚本のユルさが悲しい。ヴァンパイアが鏡に映ることと、生殖能力があること(ビクターの娘は吸血鬼なのに狼男の子供を妊娠していた。)はどう考えたらいいのか?単なる調査不足ではないでしょう。鏡に映って、子供がつくれるなら、日光を浴びられず、血を吸うだけでほとんど人間と同じじゃん。ただ一点、ビル・ナイにたまげる。ヴァンパイアの親玉はかくあるべし、「ポーの一族」に出てきても不思議ではないそのたたずまい(マンガだけど)。メイクなしでもイケるほど吸血鬼なビル・ナイ、これ以上の適役が考えられないほど。シリーズ化するなら(されてるみたいだけど)監督と脚本は変えたほうがよい。
[DVD(字幕)] 7点(2006-02-15 17:16:30)
39.  悪夢の夜に震える事実 《ネタバレ》 
どうしてこういう悪趣味な邦題つけるかね。ともかく、タイ映画界の星、オキサイドパンだ。これは「濃い」「グロい」。3つの話が入っているが、3人の女性が喫茶店で怖い話をしている設定もこじゃれている。2つめのヤリ○○女の話。すごいんだー、もう性欲旺盛で。「女豹」みたいに狙ってるし。あんな満員電車の中で体すりつけて痴漢する女、いるのかタイに。住んでる部屋はなかなかしゃれたインテリアだった。あの香水を手に入れたとしても、及川光博が現れない限り私は絶対につけぬ。3つめの話。なんですかこの「濃ゆーい顔」の俳優さんは。そんであの顔でものすごく足が短いのよ。なんてことだ。この3つめの話は、グロくて痛いうえに、自殺の設定に完全に無理がある。そんでつなぎが乱暴でよくわからなすぎてつらい。話としてはどうということもないのだが、とにかく、とにかくこの「濃ゆーい顔」の俳優さん、顔と足の長さのギャップについ見とれてしまいました。それが言いたかったの。
[DVD(字幕)] 7点(2006-02-11 01:37:32)
40.  愛がこわれるとき 《ネタバレ》 
冒頭からすっごく痛い。主役の女優さんが鼻血ブーなのは「エイリアン」以来の伝統。DV夫から逃れるには殺すしかないのか。こんなに「たかがタオル」に対する意識を変えた映画は他にない、という意味でスゴイ。解決策をひとつ。「前後不要なラベルのついてないタオルを使用する」。ところで結婚前に「もう殴らない」て約束した場合は、必ず結婚後も殴りますから。間違いない。
[ビデオ(字幕)] 6点(2006-01-21 17:07:42)
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