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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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121.  アフター・ウェディング 《ネタバレ》 
日本映画が好みそうな話で、それをカラッとヨーロッパ風に演出してるかって言うとそうでもなく、やっぱりジメッとしている。ドキュメンタリータッチのドグマ風演出だけど音楽付きで、涙涙の場面が多い。いっそオーソドックスな演出のほうがこの話には合ったのじゃないかとも思うが、並べて比べられないので確証はない。夫が、妻と妻の昔の男との再会をプロデュースしている意図は何か、という謎で引っ張っている前半はけっこう興味深く見られた。視線の演出がスリリング。ヤコブのちょっと頼りない理想家肌と、ヨルゲンの酔いどれたしたたかぶり、欠点が傷つけ合っているような両者の絡み具合が面白い。ネタがばれた後は、どうしてもヨルゲンの話になってしまい、それはそれで感動的でなくもないんだけど、絡みの面白さは薄れてしまった。金持ちの婿に納まった男が自宅で浮気するかなあ。
[DVD(字幕)] 6点(2009-03-24 12:05:57)
122.  赤い風船 《ネタバレ》 
音も入ってるけどほとんどサイレント映画のノリ、実写映画だけど次第に風船に人格が感じられるあたりアニメーション映画のノリ(かくれんぼしたり青い風船に浮気したり)、だからこの作品、映像詩なんて曖昧な言葉でくくるより、映画そのものと言ったほうがいい。あの風船は何なんだろう。持ってると電車に乗れず教会からは追い出されと、社会生活に不便をきたすもの。大人の後ろからついてくると、みなに笑われる。ワルガキは奪おうとし、それがかなわなければ割ろうとする。あのラスト、考えてみればひどく厭世的な結末にも見えるが、見ているときの気分は最高にいい。カトリックの神なのか、童心の象徴なのか、いろいろ考えて、でも結論づけたくないモヤモヤしたものとしての赤い風船でいいのだろう。
[DVD(字幕)] 8点(2009-01-29 12:14:24)
123.  アヒルと鴨のコインロッカー 《ネタバレ》 
後半の種明かしのとこ、同じ構図で反復されるのが映画ならではの楽しみ。原作は読んでないけど、映画向きでないようでいて、かえってこれ映画向きの話だった。大きな仕掛けをくらませるために、小さな仕掛けをバレやすいように据えてあるのが憎く、少なくとも私は引っかかった。仕掛けとは、ただアッと驚かせるだけでは駄目で、ネタが分かった瞬間に「あ、なるほどね」と、いちいちの伏線が思い出され納得できるように仕掛けておいてもらいたいもの、これはそうなってた(ああ教科書ね、ああ広辞林ね、うんうんオニギリ買うとこね…)。また別方向の伏線として、鳥葬の話が終盤でイキるとこも見てて嬉しい。本屋襲撃のとき歌い続ける「風に吹かれて」にグッときた。復讐の歌というより追悼の歌であって、そしてもちろん相棒を導いてくれた神の歌でもある、照れくさくならないように時間計測の歌という名目が付いてるのもいい。大塚寧々の役割りがちょっと中途半端だったような。
[DVD(邦画)] 7点(2009-01-25 12:10:58)(良:1票)
124.  蟻の兵隊 《ネタバレ》 
ドキュメンタリーでいいのは、予定調和をカメラが裏切っていくところ。元日本兵の奥村さんが中国を訪問し、初年兵教育の最終試験として初めて人を殺した場所を訪れた後で、生き残った中国人の家族と対面するシーンがある。おそらくカメラは、謝罪と赦しのようなところを撮れればいいと思っていたのだろう。ところが奥村さんは、そのとき国民党軍と八路軍との間で妥協があったのではないか、ということを厳しく問い詰めだす。奥村さんの中に急に皇軍がよみがえったような感じ。もちろん司令官に裏切られ一部隊ごと中国側に傭兵として渡されたことへの恨み・悔しさ・死んだ戦友への義務などのもろもろが芯にあるのだが、彼の主張の根に感じられるのは、我々は皇軍として戦ったということを確認したい、という念願なのだ。あそこで奥村さんという個人が、兵士の経歴ごと・60年という歳月ごとまざまざと立ち上がり、彼の悔しさがひしひしと迫った。枯れるとか諦観とかの対極で深く怒っている老人像が、こちらのステレオタイプを砕いていく。ドキュメンタリー映画を見て良かったと思う瞬間だ。そしてこの司令官の卑劣さ・上部ほど無責任になり生き残る体質が、軍隊の本質なんだなあと思う。終わりの方、靖国で小野田さんとやりあう場は、いささかこしらえ過ぎかとも思ったが、どちらも残留者でありながら、小野田さんは中野学校出のエリート中のエリート、奥村さんは赤紙で引っ張られた一兵士、という違いが出た。皇軍教育を叩き込まれた小野田さんがあの戦争を自信を持って肯定するのに対し、奥村さんは「私は戦争を知らないかもしれない」という境地に至る。この境地が大事だ。元自衛隊の田母神某と小野田さんてそっくりに見えるんだけど、軍のエリートって同じ単線的な思考をして同じ顔になるものなのか、彼らには「私は知らないかもしれない」という謙虚な・しかし思考の始まりには必須な境地は訪れっこないだろう。
[DVD(邦画)] 8点(2009-01-20 12:23:38)(良:1票)
125.  アイズ ワイド シャット
最初のパーティー会場の冷え冷えとしたまぶしさに、一番この監督らしさを感じた。あとは夫婦の会話が、切り返しの積み重ねで緊張を高めていくあたり。まあこれだけでもけっこう満足できたが、ただ肝心の仮面パーティーがどうも弱い。その死を抱えた弱さそのものを描いたのかもしれないし、冒頭の見知らぬ者のパーティーの陰画かもしれないが、イタリアの監督だったらもっとノリノリで見せてくれるところだなあ、と思ってしまう。ここらへんで歯車が狂ったまま、うまく乗り切れずに見終わってしまった。この人はずっと理性の外側の世界に興味を抱き続けてきたわけで、制御不能なものに取り巻かれ・あるいは制御不能なものを抱え込んで生きている人間を見つめてきた。本作もその線はあるのだけど、キリキリと絞り込まれていくいつもの力は感じられなかった。これ原作読んでみたけど、世紀末ウィーンという背景の中で生きる物語って気がしたな。だから『バリー・リンドン』みたいな、克明に時代を再現する種類の映画にした方が良かったんじゃないか。まあそれをするだけの体力がもうなかったんだろうけど。ショスタコーヴィチの物憂げなワルツとリゲティのピアノ曲、ワルツとリゲティって言ったら『2001年…』と同じ組み合わせだ。
[映画館(字幕)] 7点(2008-11-15 12:03:01)
126.  暗黒街の美女
これが清順初のワイド画面作品だそうだ。題名の“美女”というのは、ほかに出ないところをみると白木マリのことらしい。ときどき人物が奇妙な姿勢をとるのが、この監督らしさ。うずくまるとか、木にしがみつくとか。部屋の中央に張られた幕をペーパーナイフで切り裂き、そのまましゃがむ。こういった部屋の分割ってのも好みらしく、ラストのほうでは二部屋を見渡すカットあり。一方で芦田伸介、一方で高品格と白木マリ。あの幕は風呂場のガラスにも通じていくか。腕に“クラブ”や“スペード”のいれずみをして“ダイヤ”を奪い合うという洒落。
[映画館(邦画)] 6点(2008-11-06 12:09:23)
127.  あの娘と自転車に乗って
東洋風の顔立ちで西洋風の髪の少女、それがごく自然に風景に溶け込んでいるキルギスタンの物語。じゅうたんや水に浮かぶお守り(?)や鳥などが、パッとカラーになる。この効果がいい。なにか土地の霊のようなものを刻印しているものに色が着いているような。まあ、カラーフィルム代の節約ってこともあるかもしれないけど。じゅうたんを巻いて何かしている、中に詰めて何かを作ってるのか洗ってるのか、そういう何かよく分からないとこが多いのだけど、分からなくっても、ただ風俗を見てるだけでけっこう楽しい。野の川での魚の追い出しとか、生活が自然と無理なく融合している。清水宏の世界みたい。ラストはカラーのあやとり、これは万国共通。
[映画館(字幕)] 6点(2008-10-23 12:10:03)
128.  あんにょんキムチ
21歳にして韓国の血に目覚めた監督、「だからそれが何なのよ」と言う妹、「ま、韓国って、暗いやな」とつぶやく父親、この三者のズレのおかしさ。ナレーションを妹にさせたのが正解で、自身を対象化し、映画をキチキチに息苦しくさせなかった。一世の祖父像が、伯母などへのインタビューを通して、複雑になっていくところがドキュメンタリーとしての面白さ。墓には日本名前を刻まさせ、正月の儀式は断固韓国風、とその複雑さが一世が生きてきたナマナマしさのあかしなのだろう。死に目に眠くて会いに行かなかった監督に「哲明のバカヤロー」と言って死んでいった祖父、その記憶が映画の原点。おそらくかつての差別がひどかった頃だったらもっと輪郭のキリリとした社会に向けたドキュメンタリーになっただろうが、現代では自分の心の違和感に向かっていく。その分、ドキュメンタリーとしての切実さは薄れた。なんで旅行の時もうちの一族はわざわざキムチを持参するんだ? というような、内向きのボンヤリした違和感を軸にした新しいドキュメンタリー。「あんたキムチ撮ってんの?」と親戚のオバサンに呆れられても、カメラをキムチに向けていく。
[映画館(邦画)] 6点(2008-10-21 12:12:04)
129.  アメリカン・ビューティー 《ネタバレ》 
みんな「こんな生活、もうヤ」と不満を持ちつつ、といって確固たる未来の夢がそうそうあるわけでもなく、永遠の過渡期のような“かけがえのある日々”に苛立ち、するとつい娘の友だちに恋心を募らせる中年男も出てくるわけで。どんな異常も平凡に回収されてしまうのが現代の悲劇なら、平凡が平凡であることを異常に嫌悪するのが現代の喜劇。ことさらアバズレを装った小娘とキレた中年男との間に、マゴコロが通じてしまったりもする。なんだか知らないけどあたしは、雨の部屋で、ねじくれた果てに、あたかも父と娘のようにちょっとだけ心が通い合う、男と娘の友人アンジェラの場にホロッとしてしまった。きっとこれピューリタン的には、邪恋を改心して歳の差にふさわしい正しい思いやりになった、と中年男の心理を解釈するのだろうが、どうだろう、ねじれが一回転してしまったとはとれないか。これはこれで邪恋の成就ではなかったか。
[映画館(字幕)] 8点(2008-09-26 10:58:17)
130.  あの子を探して 《ネタバレ》 
不機嫌な女の子って好き。女の子ったって代用教員なんだけど。不機嫌ではあっても不貞腐れているわけではなく、まっすぐゆえの仏頂面。とにかく彼女には生徒を一人も減らさない、という明確な目的がある。「…とか」といったイマドキの日本の若いモンの曖昧さが一切ない。逃げた生徒を捕まえるとなると、その目的だけに集中する。街にまで追いかけ、墨汁を薄めて尋ね人のビラをたくさん作る。目的の達成のためにあの手この手を使う。テレビ放送まで使う。局長さんがものわかりが良すぎるのが、この映画の唯一の欠点だが、ま、仕方がない。ずっと仏頂面だった彼女がブラウン管の中で泣き、自分を探している人物の存在を知ってホエクーも泣きだす、という名場面が、それがないと成り立たなかったのだから。
[映画館(字幕)] 8点(2008-09-15 12:13:12)
131.  アカシアの道
母と娘の激しい物語というと、ベルイマンの『秋のソナタ』などいろいろ思い浮かぶが、どうも和解に至るというより、どうやって感情に折り合いをつけたか、って物語になっているような。女同士って難しいらしい。主人公の子ども時代、トイピアノで遊んでいると、隣の部屋で習字の添削をしていた教師の母(渡辺美佐子・好演)が、ちょっと来なさい、と呼んで、襖の向こうからパチンという平手打ちの音が聞こえてくる、なんて、見せないことでかえって迫ってくる演出。ボケの症状がある種のサスペンスとなって描かれる。掃除機をかけている母の姿、しかし動いていくと、コードが入っていないのが見えてくる、なんてあたり。子どものとき、母に手をつないでほしかった娘(夏川結衣)が、今ボケた母の手をつなぐラストでホロッとした。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-13 10:10:23)
132.  愛のエチュード
『アイズ・ワイド・シャット』と同じ、ショスタコーヴィチのヒナびたワルツに乗って、ナボコフの物語が展開。真っ赤なドレスが映えるイタリアの風景が美しい。ルージンが置き去りにされる街にも奇妙な味わい。そういう半分非現実に呑み込まれているような世界に、黒シャツ隊が登場し、20世紀前半の空気が張りつめる。チェスの世界はそういう時代から超然としているようでいて、でもやはり無関係ではいられない。完全に超然とするためには、独りぼっちにならなければならない。一人で、チェスの完全なディフェンスの手を考えるという、孤独の極みに耐えなければならない。悪い時代に遭遇したとき、その中で暮らすのも地獄だが、その世界の外にも、また身がキュッと引き締まるような孤独の地獄が広がっている、ってことか。
[映画館(字幕)] 6点(2008-07-26 12:15:19)
133.  赤い橋の下のぬるい水
もう今村昌平が好むようなドロドロの土俗なんてなくて、過疎化が進む死んだような地方しかない。しかしそれでも、隅田川と対比すれば、まだ「ぬるい」程度の希望はあるってことか。東京の哲学書に対して、こちらには神のお告げのおみくじがある。海と立山が見える。ぬるい水は、川から海へと流れ出て、魚が群れる。まだ何かとつながっている。ここが隅田川と違うとこ。波消しブロックには虹も掛かる。エネルギッシュだった監督も、晩年になると(比較的)淡々とした世界を描くようになるのは、そういう世界が見えてくるのか、単に気力の問題なのか。高齢になると、監督ってロングの画面が多くなる気がする。
[映画館(邦画)] 6点(2008-07-17 10:59:11)
134.  アズールとアスマール
絵画的な美しさは、映画の感動の基準としてあんまり重要視していなかったのだが、それも程度の問題で、ここまで徹底して美しいとやはり乗せられてしまう。イスラム文化の幾何学的なデザインが満ち溢れ、それに色彩が氾濫する。最近のアニメは、平面の世界にいかに立体感を出し、自然物に近づけるかってことに腐心していたが、これは平面で結構と開き直っていて、影もない。樹木さえデザインのように垂直に描かれ、建物の柱と変わらず、平面の美に奉仕する。アールヌーボー的な自然美の再現の次には、こういったアールデコ的な美が興るのは歴史的必然か。その分、動きの面白味は制限されていて、天体観測台の場などもっと姫を縦横に動き回らせたい気もするが、ラストの盛り上がらなさも含め、全体として上品なおっとりした気分は出た。これはこれでアニメの一つの方向としていいと思う。日本にだって琳派などデザイン的な美はいっぱいあるのだから、こういう方面へのアニメの開拓ももっとあっていい。
[DVD(吹替)] 8点(2008-07-15 12:14:27)(良:2票)
135.  アザーズ
冒頭のヒロインの悲鳴が、終わってみると意味深長で。召使たちが怪しく、ヒロインも怪しく、観客はどこにも足を落ち着けられずに、この家を見守ることになる。最初のうちは姉のいたずらという可能性を残しているところも膨らみ。死者の写真は気味悪く、二階からの音も効果満点。でも終わって一番怖かったのは、カーテンを閉め切って太陽の光を避け、暗い部屋で息を殺してじっとしている存在って、いまここに集まっていた映画館の観客である我々のことではないか、と思ったとき。キャーッ。
[映画館(字幕)] 7点(2008-07-14 10:49:41)
136.  雨に唄えば
シド・チャリシーが死んだ。『バンド・ワゴン』もとても好きな映画で、彼女のダンスシーンはどれも完璧だけど、ただミュージカルの相手役としてのドラマをこなすには、やや愛嬌が欠けていた。デビー・レイノルズが愛嬌を振りまいた後で、都会の女(ギャングの情婦)として踊る『雨に唄えば』のクールな彼女のほうが、印象としては強烈。それにしてもあれは奇跡のような映画だったなあ。初めて見たとき、映画館を出ても心のウキウキが止まらないので、ただただ道を歩いてたら(とうぜん頭の中ではタップを踊っている)直線距離にして7kmほどある家まで着いてしまい、直射日光の炎天下の日だったのでバファリンが必要になったものだ。ミュージカルの楽しさが映画の秘密を握っているのではないか、とそれ以来疑っている。たとえば発声練習の早口言葉からダンスになっていくあの一瞬のスリル、ああいう日常の光景の中で不意に踊り出す瞬間に、映画の秘密があるような気がしてならない。アステアやケリーのミュージカルを見るたびに、その秘密を見極めてやろうと思うのだが、でも見始めるともう向こうに完全に乗せられてしまって、分析しようなんて気持ちはどこかにすっ飛んでしまう。映画がサイレントからトーキーになったのは退歩ではないか、としばしば思わされることが多いが、でも『雨に唄えば』を思い起こすと、その考えを打ち消さなければならなくなる。
[映画館(字幕)] 10点(2008-06-19 12:19:19)
137.  OUT(2002)
じっと働く賃仕事の主婦と、バカラで遊ぶ亭主。ケとハレの対比で始まり、しかしバラバラ殺人という最も非日常的なものが主婦の世界の方に入り込んでくるおかしさ。そこにはちょっとした爽快感もある。女たちの“したたか・しっかり”と“おろおろ”が交替し続けるのもユーモアを生んでいた。でも考えてみればこういう世界は日本映画の得意としたところで、市川崑は女たちの悪だくみを好んで描いたし、今村昌平の重喜劇だってこういうのだった。だからこれ、すごく日本映画の本道をいっているんだ。
[映画館(邦画)] 6点(2008-06-04 12:18:09)
138.  藍色夏恋
やっぱり青春は自転車だな。音楽もスカルラッティのソナタのような清潔なピアノの響きで、自転車に合う。学校の床に貼られたラブレターを剥がそうとする二人、最初のうちは丁寧に手でやっているのだが、あとは足になる。するとまるでダンスを踊っているよう。そういえば後半、講堂にきちんと並べられた椅子の間でのケンカも、しだいにダンスを思わせていく。やさしい接触は恐いけど、叩き合うなら自然に触れあえる。ケンカもダンスの一種なんだ。自転車という道具だてがありながら、相乗りはしないで、それぞれのチャリンコを走らせ続けているのもいい。
[映画館(字幕)] 7点(2008-05-11 12:21:37)(良:1票)
139.  あるスキャンダルの覚え書き 《ネタバレ》 
不満を先に言っとく。自分は傷つかぬ“天井桟敷”から世間を冷笑している人間のおぞましさをジュディ・デンチが完璧に造形したのに、レズビアンを絡めたことで彼女の孤独が特殊なものになってしまい、話を狭めてしまった。ラストの方では次の獲物をあさるサイコホラーのモンスター扱いで、これでは観客の方が安全な天井桟敷からバケモンを見物してる映画になってしまう。彼女の孤独は、誰もが共有しかねないもっと危険なものだったはず。そこらへんでこの映画、名作にはなりそこねたが、でもジュディ・デンチの演技の凄みだけに絞れば圧倒的だ。辛辣の限りを尽くすモノローグは、嫌な人だなあ、と思いつつ聞きほれてしまう。猫の死で狂乱しケイト・ブランシェットにすがるあたりの切迫と、夜ひそやかに日記に金星を貼り付けている不気味さとの対照。もう孤独が体の中心で芯のように固まっている人間なのに、それでも他人へつながりたいと思っている哀切が、あのいかめしい顔の中に埋め込まれていた。
[DVD(字幕)] 7点(2008-04-02 12:17:55)
140.  暗黒街の対決 《ネタバレ》 
これを見た日の日記を以下に再現する。『岡本喜八のリズムになりきってます。シーンの冒頭のカットでいつもハッとさせる。パッと踊り子に照明が当たったり、あるいはシーンの終わりを射撃場の“ダブル”で締めたり、キビキビしてる。それでいて殺し屋にコーラスさせる(やっちゃえやっちゃえ)なんてユーモアも忘れていない。ミッキー・カーチスが怪しげなライト浴びてギャーッと言うところまで。悪玉中丸忠雄が、あっさり手錠かけられちゃうなんてユーモアもなかなか。三船敏郎は、ちょっと「用心棒」を先取りしたような役柄で。』射撃場のダブルってのが何だったのかまったく思い出せないが、ミッキー・カーチスがギャーッと叫ぶってとこを再見したい気持ちが、いま激しく高まっている。
[映画館(邦画)] 7点(2008-01-07 12:20:28)
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