Menu
 > レビュワー
 > なんのかんの さんの口コミ一覧。2ページ目
なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2336
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234
投稿日付順1234
変更日付順1234
>> カレンダー表示
>> 通常表示
21.  イタリア麦の帽子
人のちょっとした傷を描くのがいい。靴が合わない、手袋の片一方がない。妻にしょっちゅうネクタイの緩みを注意される、なんてのが傑作で、もうビクビクしちゃって条件反射的に首元に手がいくようになっちゃうの。悪夢の世界ということではキートンと同じだけど、質が違う。キートンの悪夢は荒々しく襲いかかってくるが、こちらは直接暴力の被害は受けない。あちらは第三者の目から見れば、ああ大変なことになってるなあ、と同情される状態なのに対し、こちらは孤独。絶望的なのだが場を取り繕おうと懸命なわけ。キートンが「恐怖の悪夢」であるのに対して、クレールは「不安の悪夢」と言えるかもしれない。当人に何の落ち度もないのだから不条理の悪夢には違いないんだけど、「関係」の形で出てくるので、キートンの悪夢が比較的サッパリしているようには行かない。粘つく。これがクレールコメディの特徴だろう。フランス映画の粋はしっかりあり、最後はピタリと収まる。絶品である。
[映画館(字幕)] 8点(2012-07-25 10:16:38)
22.  意志の勝利
演説と行進と整列。繰り返し繰り返し所属することの悦びを歌い上げ、今あなたが所属している党/ドイツという国家の確実性・正統性を保証してくれる。この時代のこの国に生まれたことは何と幸運なんだろう。大人数を捉えるときは俯瞰でその秩序正しさを描き、ヒットラーを初め指導者たちを捉えるときはやや下から見上げ偉大さを強調する。演説者を横移動でゆっくり撮るのは、ありがたい仏像を拝むときの気持ちに似通った効果を狙っているのかもしれない。ヒットラーはしばしば逆光で捉えられ、彼の黒髪があたかも純粋なアーリア民族の(彼が夢見た)金髪であるかのような錯覚を与える。ショーというものの力を最も有効に使った権力者だけのことはある。モンタージュによる作為、反復の陶酔、映像の力をフルに生かした点でプロパガンダ映像史上の一つの頂点であり、後世にも影響を残した。拍手が鳴り止まぬ熱狂を司会者の困惑で描くうまさなんて、以後の劇映画でも目にした気がする。これ東京の有楽町そごうデパート7階だったかに短期間存在した「映像カルチャーホール」ってんで見たんだけど、500円で海外のドキュメンタリーの名作を見られるいいところだった(いまはデパートそのものもない)。映画史の本に載ってるような英国サイレント期の傑作を、ここでずいぶん見られた。あれどこが運営してたのか、あれらのフィルムは今どうなっているのか、ほとんど日本語字幕が付いてたし、無駄なく活用されていればいいんだけど。
[映画館(字幕)] 8点(2012-06-23 09:45:48)
23.  E.T. 《ネタバレ》 
前半家庭内の部分がいい。ボールが投げ返されてきたり、ママといろいろすれ違ったり、たんすの中でぬいぐるみ人形と一緒に隠れてるのなんか最高。でもエリオットが学校に行って、E.T.との心の交感があらわになってくると、映画に不純なものが混じってくるようで、新鮮さが失われていく。心理学的な解釈が入り込んでくるというか、『未知との遭遇』までは感じられた「新しいもの」の感触が遠のいた。あっちにはあった臨場感が薄れてしまった。科学者たちが『未知…』ではこちら側の人間だったのが、これではあちら側に回ってしまって、大人が均一のノッペリした存在になってしまったからだろうか。子どもっぽい大人と、子どもとでの違いなのだろうか。いえね、けっして悪い映画じゃなくて、自転車が飛ぶときの爽快感はやっぱり見事だし(『ダンボ』?)、「人を見たら泥棒と思え」という話より「よその人には親切にしましょう」って話のほうが気持ちいいし、そういうのが甘い理想だとは思わないんだけど、なんちゅうか、以後もスピルバーグ映画にときどき現われてくる「子どもへの過剰な擬態」が、初めて気になった作品ではあった。
[映画館(字幕)] 7点(2012-06-01 09:58:46)
24.  インドシナ 《ネタバレ》 
長い連続ドラマの総集編って感じ。気分がつながらないところ、早回しされてしまったような感じがしばしばあった。ヒロインの気持ちの変化なんかゆっくり見せていくような気配を漂わせといて、あっさりナレーションで跳んだりする。ナレーションはうまく流れを作ってくれれば無駄を省くからやってはダメとは思ってないが、この映画の場合リズムを崩してるんだなあ。見せ場がつながっていってくれない。長編小説の醍醐味のひとつは、忘れていた登場人物が再登場するとこで、ドミニク・ブランは後半の思わぬとこで出てきて大活躍するだろう、と期待してたらただの情婦になっただけでガックリ。インドシナと言っても、「インド」はカンボジアまででベトナムは完全に「シナ」ですな。風景、村芝居のシーンなんか驚くほど日本情緒に近い。というわけで歴史を背景にした大メロドラマですが、興味深い人物に欠けてた。この全体ドローンとしたとこが植民地的なのかも知れない。欧米で植民地ものドラマとなると、近代に疲れた人の逃げ場所として描かれることが多かったが、そうでもなかった。退屈はしませんでしたが。
[映画館(字幕)] 6点(2012-02-13 10:24:56)
25.  いとこのビニー 《ネタバレ》 
前半はあんまり乗れなかったけど、裁判が進んでくるとやはり法廷ものの伝統のあるお国柄、けっこう楽しめた。一番のギャグは官選弁護士のアレでしょうな。ネタとしては別にどうってことはないものだけど。いかにも頼りがいのありそうな冷徹なポーズだったのが、いざ本番になるとアガってしどろもどろになるの。で弁護士席に戻って「しぶとい奴だ」とか言うの。南部ってのはコケにされるのね。早朝起こされる繰り返しのあと、留置場のがやがやの中でぐっすり眠っているジョー・ペシ。彼の衣装がだんだん真っ当になるにつれ、弁護の腕も冴えてくる。裁判長ってのはすべてを分かってて見逃すもんじゃないのか。
[映画館(字幕)] 6点(2012-02-12 10:01:15)
26.  イノセント・ブラッド
女ヴァンパイアが悪漢に食らいついて、それが増殖するのを防ぐために警官と協力して戦う、っていうの。話はつまんなくても部分にキラリとしたとこでもあればいいんだけど、とうとうラストまでおおむねダルかったなあ。どうもコミカル・ホラーってのは、笑わせるのも怖がらせるのも中途半端に逃げてる気がして、なかなか満足するのに出会えない。このヒロイン、A・パリローがコメディ出来る役者じゃなかったってことだな。サリーってのが生き返るあたり、ちょっとコメディ的感性が生きてるとこはあった。記者団の前を彼が走りぬけ、検視官やらなんやらが追っていくあたり。だいたい彼が出てるシーンのほうが面白かった。副大統領がテレビに映ると消されてしまうギャグ。中に出てくるテレビ番組は、みな怪獣・怪奇ものやってるのがおかしい。吸血鬼に関するいろいろなルールってのは興味深いんですけどね。愛と攻撃のメタファーとして。
[映画館(字幕)] 5点(2011-12-18 10:29:03)
27.  イン・ザ・スープ
この監督は海と父との取り合わせが好きらしい。ジョー(シーモア・カッセル)は友だちと言うよりも父的になっている。ニコニコ笑いながら悪いことに誘っていくジョーがなかなかいい。サンタのかっこして車を盗んだり。ブーシェミがキートン的な困惑に落ちいっていくあたり『ミステリー・トレイン』の彼を思い出させる。車の席の構図なんかも。おっかない男との対話、心の声に対してエッと言われたり。こういう被害妄想的ユーモアってこのころの流行のようでもあり、サイレント時代から連綿と続いていたようでもある。ジャームッシュの匂いが強い。本人も出てるし。前作『父の恋人』では男のオカマ役だったJ・ビールス(「こいつ女じゃねえ、男だぜ」って言われる役。ついでに言っとくとこのひどい役を設定した監督とビールスは結婚したが、やがて別れた)が今回は女性役。作品として面白い気分はあるんだけど、ちょっと物足りない。この監督はいっそセンチメンタリズムに徹したほうが、ジャームッシュとの違いを出せたか。
[映画館(字幕)] 6点(2011-09-25 10:12:32)
28.  イースター・パレード
ミュージカルシーンとしては、冒頭のおもちゃ屋とか、ステッキ持ってのスローモーションとか(ステッキの回転が美しい)、アステア一人の場に見どころ多し。それにしてもこの人は燕尾服が似合う。二人が成功を収めた乞食のダンスは、それほどだったかしら。かえって最初の下手なときのほうが、見事な芸になっていて堪能できた。首を絞めちゃったり、腕のヒラヒラでアステアの顔隠しちゃったり、止まるきっかけが分からなくなっちゃったり。戦前のロジャースとの『有頂天時代』でも、アステアがわざと素人のふりをする、ってのがあったけど、こういうのがミュージカルのひとつのパターンとしてあるな。別れた相棒を見返してやるつもりがいつのまにか…、若い男への恋心もいつのまにか…、と主人公同士の愛が育っていく展開。ラストが贅沢で、ほんのわずかなシーンのために時代を再現しきっている。CGでない時代。邦画だと、こういう場面を作ると「金かけたからじっくり見てってください」と、長々と未練たらしく映すが、サラッと見せて幕にしちゃうのがイキ。
[映画館(字幕)] 7点(2011-09-07 10:12:44)(良:2票)
29.  錨を上げて
ケリーの調子のよさ・プレイボーイ風とシナトラの弱気との対比。そしてアメリカ映画は、調子のよさのほうを最終的には肯定していく。くよくよするシナトラはあくまで脇。全体を覆うのはなぜかラテンの雰囲気で、「ジェラシー」あたりから入り込んできたのか。とにかくラテンは調子がいいから。話的にはもつれる四人の心の動きが見どころになってる。ミュージカルとしては、姫と山賊のナンバー。俯瞰で窓辺から見下ろす姫の視線で始まって、ラテン風の踊りがあり大袈裟に跳んだり滑り降りたりして現実の二人の抱擁に至る、っての。去ったあとの赤い床に赤い花。この時代のギトギトしたカラーがなぜかいいんだ。真赤な唇に真っ白な歯。そして真赤な花。あくまで人工の色彩で、世界全体のリアリズム離れをうまく誘ってくれてる。普段のようだが普段じゃない世界。おっと忘れてならないのは、やや強引な挿話で、「トムとジェリー」のジェリーとタップダンスするとこ。手をつないでいるところでは、ちょっとジェリーの腕が伸びすぎちゃってた。二人並んで踊るってのが基本なんだろうな。重なるとき美しいから。
[映画館(字幕)] 7点(2011-08-17 10:08:18)
30.  一年の九日
『野獣たちのバラード』の監督。原子物理学者が放射線に汚染されつつ戦う姿に感動せよ、というのがおそらく当時のソ連の公式の見方。それを越えた味わいとして、興奮の瞬間とそのあとの倦怠、ってのがある。実験の高揚、秒読みとオシログラフ、しかしそれも繰り返されていくうちに、日常の背景音になってしまう。ラジオを聞きつつ、タバコをくゆらしつつ。結婚もそう。放射線を浴びてることを知って、ある種の献身的高揚から結婚するリョーリャ。その高揚も、しだいに日常の中に溶けていってしまう。どんな興奮も倦怠に移ろっていってしまう。あっさりとしたセットの空白が印象的。研究所と対比されるのが、いかにもロシア的な田舎で雲がすごい。ラスト近く、病みながら研究所へ歩き出すシーン、ここにあるのは倦怠の対極の充実。驚いて立ち止まる仲間たちを、後退移動で眺めつつカメラは上昇していく。科学における悲観論と楽観論の戦い、と見るか。あるいは大衆論もあるか(「馬鹿は間違わない」でしたっけ?)。とにかくソ連の映画は言いたいことを率直に言えない環境で作られてるから、味わいも複雑になる。これを観たときは「チェルノブイリを知ってから見ると複雑」とノートしているが、フクシマを知った今、見直してみたい。
[映画館(字幕)] 7点(2011-08-12 09:51:06)(良:1票)
31.  偽れる盛装
『祇園の姉妹』を思わせるのは、もともと脚本の新藤兼人がオマージュとして書いたらしい。切りを重んじる母に、何言うとるねん、とやきもきする姉、このうちと小林桂樹んちのおっかさんとのイサカイのあたりはかなり小気味いい。溝口がぴったり女性の側について男社会を告発したのに対し、こっちはやや間を置いて、たとえば妹が町並みを眺めて「戦災に遭わなかったから封建制が残ってるんやわ」とか言うように、ちょっとヒトゴト風。こういうところが新藤さんの弱点かな。客観的であろうとして評論的になってしまう。進藤英太郎のとこの店で京マチ子がお酒を飲んでいると、カメラのすぐ前で盃のやり取りが始まって客の噂話につないでく、なんて演出もあった。この時代、自転車で走るってのは、健全の象徴だったのね。町のすいていること。進藤英太郎はつくづくいい。時代劇では平気で単純な悪役を嬉々として演じられるし、こういう役もやる。ただのアホじゃなくて、それ相応の仕事はしてきた男を感じさせる。好色でも開放的であって、東の森繁のようなヤサ男とは違う豪放さを持っている。日本の西の男のある典型なんだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2011-07-31 10:27:24)
32.  息もできない 《ネタバレ》 
てっきり娘の復讐が話の本筋になるのかと思ってた。母の仇。ヤクザモンに突っかかっていった態度は、その復讐心を秘めているからだと思ってたら、憎しみの感情は曖昧なまま、彼女は男に「癒しの膝」を提供してたりする。男は、娘の母と自分との関係を知らないまま最期を迎える。その最期を導く男と娘の関係さえ知らない。もちろん現実世界ではこういう知られない偶然は多々あるだろうし、作者は物語の綾を最後にはほぐさなければならない、という義務があるわけでもない。現実社会は物語ではない。でもそれなら甥を絡めるのは物語の定番過ぎないか。遊び相手になってやり、時にはマスクまで付けてジャレあってる。最後は幼稚園の学芸会だ。主人公の柔らかい内面への示唆だとしたら安易過ぎないか。そこらへんの作者の態度が不確かなので、観てて主人公やヒロインを「すっきり掴んだ」って気になれなかった。一番気に入った人物は、下につくチンピラ。お笑い芸人にでも似合いそうなヒョロッとした顔してて、主人公にはビクビクしてて、でも荒れると本気で、なんか一番現実にこういう環境にいそうな若者の空虚をリアルに感じた。
[DVD(字幕)] 6点(2011-06-12 10:44:27)
33.  インセプション 《ネタバレ》 
ハリウッドは、夢の世界に行ってもカーチェイスやドンパチしか出来ないのか。せっかく秀逸な設定なのに、かなりガックリきた。夢の世界での攻防戦でこそ、イマジネーションを膨らませる見せ場になるはずなのに、どうも意識の世界と変わらないことやってる。意識のレベルの定型に拘束されている。最初フランスの街角で世界がポンポン炸裂していくところなんかウキウキさせられたのに、だんだんシボんでいって、雪山の夢の層なんかいたって退屈。惜しいなあ。上の層の夢に下の層の夢が影響されるなんて設定はちょいと面白く、上の層で車が回転すると下の層のホテルの廊下がグルグル回り出すなんて、ああいう発想をもっと展開してほしかった(ま、あの無重力ホテルは見どころです)。けっきょくこの何層にもなった夢の世界の冒険って、ステージを進んでいくテレビゲーム的に遊ぶ感覚なんだろうな。意識の深淵を覗くオノノキを味わう、たとえば『惑星ソラリス』や『禁断の惑星』といった名作とは、別種のジャンルと見た。でも「植え付け」ってのは突っ込めば怖いテーマになったはず。これだけは「自分の意見」だと思っていたものも、実は植え付けられたものかも知れない、って。ニュースキャスターや映画評論家の言葉に「植え付けられた」ものだけで自分の意見は出来上がってないか、という不安。
[DVD(字幕)] 6点(2011-05-25 10:07:24)
34.  今ひとたびの
いかにもこの時代を代表するような作品で、メッセージ先行、あまりリアリティのない人たちがすれ違うメロドラマ。なんて言ったらいいか、主人公たちがひどく抽象的な苦悩を苦悩しているという感じ。苦悩っつうのはもっと具体的な手応えのあるものなんじゃないか。誕生日でのブルジョワの会話だって「だからプロレタリアって嫌い」って言うだけじゃミもフタもない。もっと工夫した会話を練れなかったのは、つまり観念的な操作だけで物語が出来ちゃってるからなんだろう(というか、参考になる本物のブルジョワが映画人の周辺にはいなかったってことか?)。高峰さんが波砕ける岩場で男の名を、竜崎君がダムで女の名をそれぞれ呼ぶシーンは、やっぱ見てて照れちゃう。でもサナトリウムのシーンでは、隣に座ってた年配の方が泣いていた。あの戦争の時代を通過した人には、その世代だけが理解できる胸を絞るようなツボがあるのであって、軽々に笑ってはいけない、と思いました。高峰さんは女学生からバーのマダムまで演じて、当時おいくつだったのか。ギリギリ20代には引っかかってるか。
[映画館(邦画)] 6点(2011-05-10 12:20:38)
35.  インビクタス/負けざる者たち
ここんとこ異人種間の摩擦をしばしばテーマにしてきた監督だから、南アを描くのは不思議でないし、孤軍奮闘する男の話という点でも間違いなくイーストウッド映画のはずなのだが、この質感のあまりの違いは何なんだろう。底にあるのは「スポ根もの」で、終盤、白人黒人のボディーガードが手を取って喜び合う「反撥→和解もの」定番カットがあったりすると、これじゃあまるでハリウッド映画じゃないか、とつい思ってしまい、そうだハリウッド映画だったんだ、と愕然とした。ゴミ拾いの少年と警官が勝利を喜びあうとこ。この少年の、パトカーからのラジオを聞かんがためにうろうろゆっくりゴミ拾いをしているあたりのおかしみ。おもしろいんだけど、でもイーストウッド映画だぜ、これ、とつい補注を付けながら見てしまう。なにしろ死人が出ない。いつもの悲痛さに収斂していくドラマじゃなく、こちらがオロオロしてしまうくらい素直で明るい。しかしその単純明朗を皮肉に冷笑する気分はちっとも生まれず、こちらも素直に観られたのは、題材が一番冷笑と無縁なスポーツだからか。根っからのイーストウッドファンには物足りなかったかもしれないが、私はこの楽しんでハリウッド定番をやってるような彼を、驚きながらもけっこう嬉しく見た。いいじゃない。政治の介入から独立したスポーツの輝き、でなく、政治の道具を自覚したスポーツの・それゆえの輝き、ってテーマも面白い。ヒゲのテレビキャスターがいい味。
[DVD(字幕)] 7点(2011-03-05 12:21:01)
36.  イレイザーヘッド
こういう悪夢ものってのは、非日常の世界に拉致されてそして日常の世界に戻ってきてヤレヤレってなるのが多いと思うんだけど、これ逆ね。日常のほうが悪夢なの。そしてラストで非日常の側に身を投げ出していってしまう。生活・暮らしそのものが悪夢だって言うんだよね。子どもに代表される鬱陶しさ。夜泣き・保護の義務、生活するってことはなんて鬱陶しいことなんだろう、というイメージを繰り返し見せつけてくる。子どもは積極的には主人公を攻めない、ただ弱々しく泣き続けるだけ、これがポイント。『エレファント・マン』でも舞台のイメージを重視していたけど、ここでも理想郷をそれで表現している。非生活の理想郷としての舞台。それと音響効果。スチームの音とか、遠くの工場の音とか、雑音がざわついている。妻がまぶたをグリグリやる音まで聞こえてくる。それとヌルヌルドロドロのイメージ。変な太ったヒルみたいのがピルンピルン動いていく。この人も好きですねえ。首から消しゴムなんて、どういう発想してるのか。コナをさっと払うとこがなんとも残酷・酷薄な感じ。全編を覆ううんざり感はハンパでなかった。D・リンチは日本ではまず『エレファント・マン』のヒューマンな監督として登場したのだが、次にこの処女作が紹介され、すぐに誤解が解けたのだった。
[映画館(字幕)] 7点(2011-02-22 10:16:18)
37.  刺青一代 《ネタバレ》 
河津清三郎邸の平気でリアリズム離れするすごさ。弟が殺されるところの花道的な使い方。長廊下。横移動。斬り込みシーン。雷に映る障子の影。延々と続く襖。待ち構える槍の列。奥の黄色い光。一人ずつ対戦するのも美しさのため。河津がいる部屋も、何か半階上にある抽象的な世界でググッと左に移動して影に入ったりまた戻ったり、と突如真下から見上げるの、エイッと突くとパタッと外は篠突く雨、…まあ見事でした。これ途中でちょっとでも休んじゃダメね、こちらにどうこう客観的に醒めた目で見る時間を与えない。ひとつひとつの安っぽさを塗り重ねていくことで、なんだか知らないけど異様な「たしかな手応え」を生んでしまっている。あと思い出すままに挙げると、野呂圭介が屋根で寝てるとこ、高品格とのけんか、船のあたりでの人の見え隠れとか、ラストの花札パラパラとか。話はけっこう定型踏んでるの。カタギの弟のためだったり、自分はやくざもんだからと和泉雅子の愛を振り切ったり、山内明が逃がしてくれるあたりの男と男の意気など、ごく普通の定型の物語なのに、それを全然定型でない映画に仕立ててしまっている。
[映画館(邦画)] 7点(2011-02-20 11:06:25)(良:1票)
38.  イージー・ライダー
なんか大昔のことみたいね、あの元気のないヒッピー・コミューンとか。ああいった人たちは今どこに行ってるんだろう。南部のいやらしいネトネトした部分だけ生き生きしてる。つまり「自由に生きる」というイメージの貧困さが、時を経てアラワになっちゃったってことか。結局あの時代のムーヴメントがたいした成果を残せなかったのも、そういう弱みを持ってたからだろう。オートバイの旅どまりじゃいけなかったのよ。もっと「寒さに震えるような自由」まで突き詰めるべきだったんだろう。あんな炎で祝福されるような死を与えてはいけなかった。全体に宗教に寄りかかっている気配もあった、それも限界。街のないアメリカ、風景だけのアメリカを見せてくれたっていう面はあった。などと不満をもっぱら述べたが、それも映画が時代を、作者の意図を越えて正確に写し取ってくれていたからで、これもフィルムの力だ。
[映画館(字幕)] 6点(2011-02-07 09:50:24)
39.  イヤー・オブ・ザ・ドラゴン
狭い奥まったとこへ行く感じはちょっとよかった。でも結局この監督で問題になるのは「偏見」でして、難しいところですな。『ディア・ハンター』は偏見と無関係な傑作だと思ったし、微妙なところをあえて扱う姿勢は支持したいと思うんですが、でも結果として本作、西洋人が東洋人に抱く薄気味の悪さにそのまま乗っかって、そのまま終わっちゃった映画になってしまった気がする。苦労を重ねた中国移民のエピソードは、本筋に組み込まれてなく、ただの傍注という感じどまり。妻とのゴタゴタやヒロインとの情事などの脇筋もつまんなかった。ジョン・ローンを軸にしたほうがもっと面白かったんではないか、と思うが、主人公を東洋系には出来ないところがハリウッド娯楽映画の限界か。話の終わりへの持って行き方はかなり雑。ミッキー・ロークがディスコの中やなんかを延々と追いかけていくあたりが、一番密度高かった。
[映画館(字幕)] 6点(2010-11-20 10:11:50)
40.  石中先生行状記(1950)
これは「成瀬的」というもののイメージをことごとく裏切りつつ、それでも観終わってみれば、やはり成瀬の映画を観た、という気分にさせてくれる不思議な作品である。まず成瀬的「うじうじ」がなく、「朗らか」である(多くの作品ではそのうじうじぶりがたまらなくいいんだけど)。これはまあ原作のせいかもしれない。次に狭い「下町の路地」を得意とするのに、これはいたって「牧歌的」。道を撮ると印象的なのは同じだが。そして「中年」の話で多くの名作を残しているのに、これは「若者」。若山セツ子と三船敏郎(当時は若者なのだ)の第三話など、愛すべき作品。でもみずみずしさがあまりほとばしらないところが、なんか成瀬らしい。加えて達者な役者たち。欲もあり人もよし、というところは進藤英太郎以外に考えられず、藤原釜足と中村是好のコズルサを出す会話の妙には堪能させられた。最終話の囲炉裏を囲むシーン、健康そのものの若山セツ子とブスッとしている三船敏郎の対比、それまで若い娘のいなかった家庭のこれまでを想像させてくれる(若山が『青い山脈』の自分のシーンを観ているなんて、似合わぬジョークもやっている)。成瀬の代表作ではないかも知れないが、こういう明朗・牧歌的・若者の作品もあるって嬉しい。
[映画館(邦画)] 8点(2010-09-24 09:53:03)
000.00%
100.00%
200.00%
320.09%
4331.41%
52279.72%
691439.13%
773931.64%
834314.68%
9682.91%
10100.43%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS