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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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41.  イングロリアス・バスターズ 《ネタバレ》 
ナチと連合軍の争いを描いたハリウッド映画で、「正義」のイデオロギーがまったく感じられないのは珍しい。狂気と復讐の殺戮のみが展開していく。レジスタンスはあっさり密告し、仲間を裏切らないナチはバットであっさり撲殺される。今までのドラマだと助かる立場の人、子どもが生まれた兵や心の呵責を覚える狙撃兵も、仲間を裏切らなかったナチと同じく猶予されない。この「あっさり」感が、この人の持ち味(かつてのタランティーノだと、ブラピも中盤であっさり死ぬ筈なんだけど)。善悪を判断する余地がない狂騒の場に観客は拉致される。多言語が行き交うのも、その善悪が渾然としている状況にふさわしい。言葉のなまりや、映画が通じないことなどが、次に続く殺戮のステップになっている。とりわけいいのは、地下酒場のシーン、ここにこの監督のエッセンスが詰まっていた。作られた笑顔の中でじわじわと高まっていく緊張、殺意と殺意とが寄りかかって固まっている状況。このキングコングを当てるナチ役の俳優もよかった、この映画でおそらくユダヤ・ハンターの次に記憶に残る、笑顔の不気味な二人だろう。ここのところタランティーノ監督、映画中毒者のための映画遊びにのめり込んでいた印象で不満だったんだけど、私でも楽しめる世界へ戻ってきてくれたようだ。
[DVD(字幕)] 7点(2010-08-29 09:45:50)(良:2票)
42.  犬の生活
パントマイム芸が見事。たとえば職安の窓口をすぐ奪われてしまうギャグ。行列の先頭にちゃんと立っていたのに、二つの窓口交互にうろついて、ついに締め切られてしまうまで、同じパターンを繰り返すんじゃなくて、ちゃんとそれらしくやっている。それと店先での盗み食いギャグ。これも至芸。もっていった手をわけもなく払うしぐさしたり、後ろ手でつかんだり。もう一つ、悪漢二人の一方を殴っておいて、二人羽織するギャグも傑作。気を戻しかけたとこを、もう一度相棒が見てない隙に殴ったりしてるの。とまあパントマイムの連続で描かれるものは、社会に対する「要領の悪さ」と、逆に「したたかさ」と言うようなもので、マルクス社会学者が見れば「民衆の底力」ってなことになるのだろう。冒頭の要領の悪さで共感させといて、それに活躍させ、ほどほどの成功へ至る。当時の多くの人々にとってリアリティある夢だったのだな。あの「ほどほど」ってのが大事で、あれぐらいの成功なら俺にだってチャンスがあるかも知れない、って気にさせる。夢と現実の連続感を大事にしている。
[映画館(字幕)] 7点(2010-08-23 09:49:02)
43.  119
前作との比較で言うと、前作は山・本作は海、ってことが一番気づくが、前作は都会生活者・今回は地方の人、ってことのほうが大きかったかも知れない。この人は、侘しさからおかしみを取り出すのが趣味みたいで、前作はそれがうまくいった。ただ今回は、もともと侘しい地方を舞台にしているので、その侘しさがユートピア的なイメージで覆われ、ちょっとじかに触れられなくなってしまった感じがある。侘しさが剥き出しになってくれない。そこらへん物足りない。久我美子に小津調で語らせるギャグ。わっと子どもが走り抜けていくと、そっちから赤井英和がかけてくるシーン(ここらへんは寅調)。完全にうつ伏せに倒れているマルセ太郎。本当はラスト、退屈したカットのとき、向こうの窓を消防車が動き出すところを一緒に映したかったのではないか。
[映画館(邦画)] 6点(2010-08-14 10:03:11)
44.  依頼人(1994)
グリシャムものでは、映画に向いていたほう。アメリカ映画の基本である「正義を行なう勇気」の話なんだけど、おそらくこの国ぐらい「法」というものをあれこれ考えているところはあるまい。かつて「無法時代」がそう遠くない過去にあったからだろうか。法というものの光と影について、社会として常に考察してるなあ、ということが、こういう娯楽作品を観てもひしひしと感じられる。そのことが国の成熟を意味するのか、未成熟を意味するのかはわからないけど、法を絶対視する社会よりは健全だろう。依頼人個人を助けることと、しかしそのことが悪人を助けることになってしまってはいかん、いうところに緊張がある。少年を馬鹿にする警官の存在などがいい。たしかに眼目は弁護士と検事のチョーチョーハッシだろうけど、悪人をもう少し魅力的にしても邪魔にはならなかったのではないか。
[映画館(字幕)] 6点(2010-08-02 09:45:17)(良:1票)
45.  イヴォンヌの香り 《ネタバレ》 
波を追っていたカメラがゆっくり上昇し、船、甲板の女の脇に移っていく出だしは結構ドキドキしたんだけど。けっきょくこの監督は女には興味がないのね。女にうつつをぬかしている男の心理が好きなんだ、ヘンなの。世の中から逃げてる無職、いうのも『髪結い』に同じ。ドンファンの対極というか、いい大人たちが少年のように憧れるの、この人の映画では。でもそういう話では『髪結い』という傑作があるんだからもういいんじゃない、と思ってしまう。この人の映画ではレコードが回ると、物思いに沈んでいく。若い日は帰らない、っていうようなシャンソン。役者があんまり良くなかった、とりわけ女、危なっかしさが感じられない。スタッフがカメラに写らない脇で、一生懸命スカートに風送ったりしてたんだろうけど。「だから目を離すなといっただろ」「離さなかった、見つめすぎたんだ」だって。
[映画館(字幕)] 6点(2010-07-16 09:49:44)
46.  愛しのタチアナ
少年や青年にもっともふさわしかるべき心情を、あえて中年に移して楽しむのが、この監督の趣味。そこから生まれる「照れ」とか、それを隠そうとする「ブッキラボー」が味わいになる。人と視線を合わせられない照れくさがりの純愛を、中年が演じる。侘しいことは侘しいんだけど(だって中年だもん)、でもそういう人生を肯定している。ミシンを踏む中年男の、こうでありたかった自分の妄想かもしれないけど。ホテルやカフェの入口・受付のあたりになると、この監督らしい雰囲気が立ち込めてくるのは何なのか。ブッキラボーだからか。客との応対のように人々のドラマが進行して、そのなかで不意にタチアナが寄り添うからいいのか。やや俯きながら画面に入ってくるとことか。フィンランドの「フィン」て、ハンガリーの「ハン」と同じく、フン族の「フン」から来てるそうで、こちら東洋の流れを汲んでるらしい。こういう「侘しさ」にこだわるとこなんか、同根を感じる。原題は「タチアナ、スカーフに気をつけて」か、そっちのほうがいいじゃないか。
[映画館(字幕)] 7点(2010-06-29 11:57:26)
47.  刺青(1966) 《ネタバレ》 
照明が近いので影が大きくなる。また横向きの場合コントラストが強く、正面の場合ノッペリとする。それでなにか非常に「狭い」感じが出てくる。人物も凝縮していく感じ。あんまり大らかな人物は登場しない話だし。「伝奇もの」でもないんだよなあ。女郎蜘蛛を彫られてから女が変化していく、ってんでもなく、その前からそういう感じで演出してた。だからいくら若尾文子が「だました男に復讐してやるんだ」って言っても、口実みたいになっちゃう。それでいいんだろうね。口実なんだよ。魔性の女には違いないけど、それは彫りもののせいなんかじゃなく、女の本質なんだろう。それを映画は怖がってるだけじゃなく、突き放して笑って見ているところがある、もちろんまわりの男たちも含めて。女がそそのかし、男が「またやってしまった…」と青ざめる繰り返しに、何か、夫婦漫才みたいな感じがチョロッとある。
[映画館(邦画)] 7点(2010-05-05 11:57:23)
48.  居酒屋ゆうれい
京浜急行沿線って、なにかいい意味での場末的な雰囲気を残している。消えていく幽霊はなぜ哀れなのか。幽霊ってのがそもそも、死別を自己完結できないとこから来ているわけで、それを何とか納得させたいときに、哀れに消えていく幽霊が必要になってくるのだろう。生き残ったものの後ろめたさ、ってことが底にありそう。舞台が場末ってことがしっくりくるのだ。死別と生別の二人、死別のほうが優しく、生別のほうが冷たい。女同士のほうがなにやら仲良くなっていってしまう。あの世とこの世のけじめが曖昧になる。のりうつったりもする。男にとって、妻も死者も同じものなのだ。演出はあまり奇をてらわないのがよく、鏡の中に座って映る室井滋、時計の振り子越しに夫婦を眺め下ろしたり、転がるビー玉など。トルコの軍楽隊みたいのも聞こえるが、島倉千代子の「愛のさざなみ」が場末感充溢していて嬉しい。くりかえす~、くりかえす~、さざなみ~の、ように~。
[映画館(邦画)] 7点(2010-03-13 11:58:53)
49.  インスタント沼 《ネタバレ》 
流行を追う雑誌の世界がまずあり、それから一時は最先端だったものが古物になりかけているツタンカーメンの占いマシンがあり、さらに後ろに骨董・折れ釘が控えていて、その背後には蔵・何者かを潜ませている沼、そして河童の世界につながっている。そんな世界観。雑誌の世界を追われたヒロインの、最後の世界までのオデュッセイ、ってなところか。「本当の父親探し」なんてのもほとんど骨董の世界の物語だ。そういった古いものとインスタントなものの対比、というか混交。ラストは、「インスタントの中からでも空駈けるものは出てくる」と肯定的に見るのか、「現代では空駈けるものもインスタント」とショボンと見るのか、どっちにも取れる。冒頭のシークエンスなんかすごく凝っていて、手間暇かかってる。“どうだ、ささいなクスクス笑いのために、これだけ手間かけてるんだぞ”といった自慢げな意気込みが感じられる。ほかにもけっこう手間かけてるなあ、と思うシーンがあったんだけど、ほら、もう思い出せない。瞬発的には感心するんだけど、けっきょくクスクス笑いの元なので、さして記憶に残らない。そこらへん、なにか映画としてもインスタント感が漂ってしまった、意図したものなのかどうかは知らないけど。
[DVD(邦画)] 6点(2010-03-08 11:58:28)
50.  EAST MEETS WEST 《ネタバレ》 
どうも焦点がボケているためにハズんでくれない。真田とそれを追う竹中いう設定が、あまり活きなかったんじゃないか。いっそラストの悪の街に乗り込むとこだけに焦点を絞ったほうが、シャキッとしたと思う。喜八らしさは、忍術で体をクネクネして牢格子を抜けるあたり、老人たちに銃を持たせたとこ、インディアンの歌と木遣りが重なる音響効果、など。刀とピストルで対決するってのは、『用心棒』を初めいろいろ試みられているが、どうもスッキリするアイデアは生み出せていないようだ。二人が対決する距離設定が難しいんだろうな、両者有利不利なしの対等な距離ってのが思い描きづらい。これ、永遠のテーマ。
[映画館(邦画)] 6点(2010-01-09 12:02:05)
51.  怒りの葡萄 《ネタバレ》 
ラストの決意がちょっと抽象的に跳びすぎていたように思うんだけど、でもパン買うシーンが(実に具体的で)大好きなので、忘れられない映画です。主人公の一家が旅の途中15セントのパンを10セント分だけ売ってくれって言うと、いいよ全部持っていきな、と店主が言う。老人は乞食じゃないんだと反撥するわけ。そこで店主は古いパンだからと「譲歩」するの。と子どもが飴ほしそうにしていて、これ1本1セントかね、って聞くと、パン売るときはしぶしぶそうだった女店員が、2本1セントです、って答えるの。一家が去ったあと別の客が、1本5セントじゃねえかよ、と笑って、釣りはいらねえぜ、と勘定をすませる。店員が金額を見て、まああの人ったら、というように微笑む。人情ドラマの一景として完璧でしょ。山田洋次が『家族』で笠智衆に似たようなエピソードやらせたのは、これへのオマージュなんじゃないかと思ってる。アメリカ映画って、けっこうウエットなところあるんだよね。ペキンパーなんかにも感じるし。そこらへん太平洋をはさんで日本と共通する感性があるみたい。
[映画館(字幕)] 7点(2010-01-05 12:06:18)(良:1票)
52.  イントレランス
趣向に内容が追いつけなかった、ってところがあります。フランス篇などお荷物になってしまった。風紀を緩めるとバビロン篇、キツすぎると現代篇、程良いのがよろしいようで、といった教訓付き。ラスト、銃を捨てて抱き合い、地上には天使が現われるあたり、ちょっと感動というより、その楽天主義に馬鹿馬鹿しくなってしまう。これは当時の観客が素朴だったっていうより、作者の態度がそれだけ安直だったってことじゃないかな。構想だけで煮詰めずに始めちゃったとか。この映画の意義は、金をかければ、その金をかけたってことが見ものになる、って前例を作ったことだろう。これはある程度映画史に見られるジャンルで、そういう見世物的スペクタクル性ってのも映画の重要な要素ではある、「う~ん、金をかけてるなあ」というレベルではしみじみ感動できる、でもお話が弱すぎた。彼のメロドラマは今でも映画作品として十分鑑賞の対象になれるが、こっちは映画史のお勉強として見る、ってとこ。まあまあ観られるのは現代篇で、子どもを矯風会みたいのに取られちゃうとことか、真犯人の情婦がおろおろするとことか。
[映画館(字幕)] 6点(2009-11-26 11:59:11)
53.  生きる
前半一人称、後半三人称、という仕組みは、たとえば死の直前を目撃した警察官が「とても楽しそうでした」というところで生きてくる。動き回る前半、室内ドラマの後半という対比は、後に引っ繰り返されて『天国と地獄』になるわけだ。黒澤作品で初めて主人公が死ぬ、ということでも重要な映画だし、立派な出来のフィルムだが、社会批評性の濃さが今となるとちょっともたれる。たしかに今でも社会はこのように、いや、もっと悪化してシステムに組み込まれているだろうし、助役が自分の名誉にしそれを下っ端がおだてるあたりの痛烈さは見事なんだけど、この映画で一番普遍性を持ち続けているところは、案外「初老の男の若い娘への傾斜」の部分かも知れない。その切実さと気味悪さがじっくりと迫るのだ。後に『どですかでん』でも養女にいたずらする父さんが出てくるが、ストイックな黒澤さんのなかにあるドロッとしたものを垣間見てしまったような感じがある。小田切は聖女的なものではない、主人公に再生の一言をハッピーバースディの歌をバックに投げるが、あとはもう登場しない。あの二人がもうしばらく付き合い続けたらどうなったか、という興味が少し残る。帽子がパリッとし、ラストで公園の土にまみれる、という小道具の使い方。ドンチャン騒ぎのあと老人の歌声が聞こえてくる不気味な感じ、ああいうとこはうまいなあ。
[映画館(邦画)] 8点(2009-11-18 12:04:54)
54.  いつか晴れた日に
ジェームズ・アイボリーにしろカズオ・イシグロにしろ、けっこうイギリス的な気分てのは非イギリス人によって継承されていて、台湾の監督がジェーン・オースティン撮ったって不思議はあるまい。クラシック音楽の担い手が西欧に限らなくなっているのと同じことだ。でイギリス的とは何ぞやというと、馬車の似合う風景、婚期を逸した娘、大団円の満足感、といったところか。ささやかな不幸とささやかな幸福の家庭劇、分別過多の娘も多感な娘も、それぞれ幸せを得ましたとさ、って。とかく“いいかげん”と見なされがちなハッピーエンドも、“大団円”としか呼べないようなツボにはまる正確さを伴えば、よしよし、と心が満ちる。一度陰った気持ちが曇りなく晴れ渡る。二度目に大佐に抱かれて雨の中を戻ってくる次女、反復の妙。画面の遠くの庭師たち、あるいは働く下僕らの足音など。もひとつハッとする瞬間がほしいという気もするが、そういうことするとレースの手触りのようなトーンの傷になってしまうのかも知れず、エドワードが女性二人を見るとこなども、実に淡々と、笑いを取ろうとしてないのが、かえって好感。イギリス的だ。
[映画館(字幕)] 7点(2009-09-06 11:59:49)(良:1票)
55.  イントゥ・ザ・ワイルド 《ネタバレ》 
これってつまり「出家遁世」願望なんじゃないか。自然に帰る、って、昔から一番近場の逃げ道だった。たぶん、仕事も家族も捨ててタヒチに逃げたゴーギャンも、同じ出家遁世者だったんだと思う。だからそう特殊な物語ってわけじゃなく、彼をもう少し突き放して、そういう現代の出家願望の根を探ってもらったほうが、私としては興味が持てた。でも映画は、彼の自己陶酔に寄り添い、自然絵巻を繰り広げていく。かつて日本の西行は、すがる子どもを縁側から突き落として出ていったが、あちらは親の嘆きを振り捨てて出ていく。ただ親の嘆きをどれほど痛みとして理解できていたかは疑わしい。不定形な未来へ彼はそれでもなおかつ進んだのだ、という勇ましさより、未来から目をそらす軽はずみな感じのほうが強く、革細工のじいさんが「何から逃げてるんだ?」と問うとこで、やっと突っ込むのかと思ったら、逆に彼がじいさんに説教を始めてしまい、自己陶酔から醒めない。彼は未来を恐れ、ソローの時代へ、さらに開拓の時代へと過去へ向かって逃げ続け、そして周囲の人の気持ちを傷つけて回ったあげく、自己陶酔の極みで死んでいく。彼のこの幸福な一生を、アメリカの「未来恐怖」の一症状として見ればいいのだろうか。ヘラジカの肉の保存に失敗したところで(ここはいいシーン)、彼は=アメリカは、もう過去に帰れないことを認めるべきだったんだ。演出について一言。主役の激ヤセは大変だっただろうが、あそこで主人公の青年より俳優のダイエットのほうが意識され、私はドラマから醒めてしまった。映画におけるリアルさの演出とは難しいものだ。
[DVD(字幕)] 5点(2009-08-22 11:59:31)
56.  インビジブル・ターゲット 《ネタバレ》 
アクションシーンが多ければアクション映画は充実するのか、っていうとそうでもなく、なにか空回り感が生まれてしまう。緩急のリズムが大事。といってもこれが見る人それぞれで、難しいのだろう。私には詰めすぎに思えた。そのアクションもやたら爆発で、あれ派手で景気づけにはなるけど、そのわりには索漠感もあるのよね。かえって町中での高低差のある追っかけに香港映画ならではの力が入っていた。あるいは酒場でのチンピラとのケンカ。アクション自体はチンピラが青竜刀振り回したりして、やっぱりちょっと索漠系なんだけど、3人のチームが出来上がる段取りという意味が裏打ちになっていて、あとの2人が加わっていくあたりがワクワクさせてくれる。なにも映画でハッとさせるにはアクションばかりが必要なのではなく、たとえば「バスが爆発しない」というとこも、反アクションとしてハッとさせることが出来た、ここも悪漢の心が見えてくるという裏打ちがあってのこと。そこらに比べるトラストは長いわりに大味、火の粉が振りまかれるとこはきれいだった。
[DVD(字幕)] 6点(2009-07-06 11:59:44)
57.  いのちの食べかた 《ネタバレ》 
おそらくワンシーンだけ取り出せば、企業PR映画にも使えそうな映像。「我が社はこのように完全オートメーションで、清潔に食品を提供しています」って感じで。でもそれがこれだけ連なると、ちょっとグロテスクな様相を帯びてくる。ドキュメンタリーの面白さだ。大量消費社会と頭では理解していたつもりでも、その大量ぶりのハンパじゃなさ、それに驚いておくことも無意味ではないだろう。コッココッコやっていた鶏たちが機械に吸い取られ、どんどん処理されて、吊るされたまま“製品”になっていく。ベルトコンベアーのヒヨコなんか、コントのワンシーンみたい。木を揺すって実を落とす機械も、なんか笑えた。そう、専門化した珍しい機械の数々も見どころで、ここらへんはSF映画の世界だった。牛の乳搾り用メリーゴーランド、牛のエサ噴射機、惑星探査機のように両腕を広げていく畑の農機、無駄のない豚や魚の内臓摘出装置、エレベーターでの長い長い降下後、地下深くに広がる岩塩採掘場のシーなんか、あそこだけ見せられたら絶対にSFだ。食卓の向こうにSFが広がっていたとは知らなかった。屠殺機で静かに殺される牛、抵抗する牛、個性のあったどれもが、処理されれば同じ肉塊になっていく。考えてみればこの映画、よくテレビの自然もの番組なんかで目にするチータの狩りのシーン、あれの人間版なんだな。あの必死の迫力、食うか食われるかの緊張から、なんと我々は遠くまで来ているんだろう、という感慨が湧く。シンメトリーで捉えた透視画法の無機的な構図が静かに続き、その中で有機物が食製品へと変えられていく。でもそれはチータの狩りと本質的には全然違っていないはずなのだ。まったく言葉に寄りかからず、目で追跡する92分間は、映画の基本の驚きを改めて体験する新鮮な時間に満ちていた。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2009-06-09 12:14:09)(良:2票)
58.  いそぎんちゃく 《ネタバレ》 
カラーのポスターの印象が強かったけど、白黒映画だったんだ。白黒だと最初のクリーニング屋なんか70年代直前とは思えない昔の風景に見え、それとも高度成長期と言っても木場のあたりはまだこんな感じだったのか。この映画ではミ♯レ♯レミという音楽が流れると、男はムラムラッとして渥美マリに悪さをするキマリになっていて、それを見つけた亭主の妻が「あたし、出ていく、いいのっ!」って怒ると、亭主が「すまん、いいよ」って言うのがおかしかった。そしてとにかく男を渡り歩いていくの。大辻伺郎はもちろん、加藤嘉や牟田悌三ですら、ミ♯レ♯レミが流れ出すと、ムラムラッとする。強調されているのは渥美マリの食欲で、ラーメンをズズズーッとすするわ、別れるときもモリモリ食って「ご馳走さまでした」と去っていくわ、眼をギラギラさせてる老人の接待の料理屋でもパクパクするわ、と色気より色気以前の動物的食い気を強調、男に対してはただただ不貞腐れている。思えば渥美マリとは、60年代の今村昌平の春川ますみの食欲から、70年代の神代辰巳の伊佐山ひろ子の不貞腐れへとつないだ存在のようである。田舎の貧困や世間への怨みがモチーフとしてあるが、とりあえず掲げたという感じで、60年代末ではあまり説得力がなかったのではないか。
[映画館(邦画)] 6点(2009-06-02 12:15:44)
59.  イングリッシュ・ペイシェント
メロドラマの背景は非日常でなければならない、それが探検と戦争と二つもそろえば申し分ない。故郷ハンガリーを離れた主人公は、イギリスにもドイツにも帰属できない存在となり、まさに男として愛のみに生きられる絶好のメロドラマポジションを獲得したわけだ。まだ国籍などというものを持たなかった古代人は、砂漠の中でゆらゆらと自由に泳いでいた。これと対になるのは、空中に吊られたビノシュが中世の壁画を眺めるシーンで、空中を泳ぐ彼女の自由さが中世からさらに古代にも通じていく。映画としてはこのシーンが一番優れていた。あとビノシュがケンパケンパケンケンパする音から、砂漠の民の音楽に移っていったりするあたり。やや文学性に寄った映画だったが、大メロドラマを楽しめた。アタマで双葉機が飛んでたので、あれ? 第一次世界大戦か、と思ったら、やっぱり第二次大戦で、北アフリカではそんな感じだったのか。でも第一次大戦が舞台でもいいような古風な味の映画。
[映画館(字幕)] 7点(2009-04-20 12:03:40)(良:2票)
60.  インデペンデンス・デイ
出だしは無駄がなくていい。何やら巨大なものが覆ってくる感じ。SFとしては、このまま停まってじっとこちらを観察してるみたいなほうが面白いのだけれど、ハリウッドではそうもいかないのか、攻撃してくる。ここで得体の知れなかった対象物が、単なる“敵”にしぼんでしまう。さらにそのエイリアン姿を見せて、さらにさらにしぼむ。「相手が分かる」ということは、実に興を削ぐ。実際問題、月の四分の一の体積物があんなところにあったら、重力に変調が起こるのではないだろうか、それともよっぽど軽い物質でできているのか。人類の滅亡かという大きなストーリーと、主人公の身辺の世話物的なストーリーとだけがあって、中間部分がない単純さの上に、「共通の敵がいればすべての民族が仲良くなれる」という単純なメッセージが堂々と語れる。アメリカのある種の単純さは嫌いじゃないし美点だと思うことも多いんだけど、ここまでくるとちょっとなあ。かつての『宇宙戦争』でのウィルスを思い出させるコンピューターウィルスが登場するのは、ユーモアなのか先人への敬意なのか。アメリカ映画のUFOのマザーシップ内部は、独特の宗教的空間になっているのが特徴で、あの国が根深く宗教の国であることを確認させてくれる。
[映画館(字幕)] 6点(2009-04-10 12:08:39)
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