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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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41.  スウィングガールズ
思い切り開き直って「ウォーターボーイズ」の二番煎じを描き出すその潔さが見事だ。そしてその強引さも、男子高校生の何倍ものパワーを持つ女子高生のエネルギーによって許さざるを得ない雰囲気に持ち込まれる。明らかに「ウォーターボーイズ」と比べるとストーリーの完成度には欠ける。しかしそんなものどうでもよくなる。彼女たちの底抜けの明るさと奔放さを前に「完成度」など何の意味も無い。“踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らりゃな損損”うーん、まったくその通りズラ。
8点(2004-09-22 18:49:52)(良:2票)
42.  スパイダーマン(2002)
巨大ビルディングの林を滑空するあの爽快感、それだけでこのエンターテイメント映画の価値は計り知れず、満足感というものはその瞬間に満たされる。躊躇のないアメコミの実写化に感服せずにはいられない。見事、サム・ライミ。
[映画館(字幕)] 8点(2004-01-13 16:01:15)
43.  スパイ・ゲーム(2001)
大雑把なアクション大作とは一線を画した、心理戦に優れたストーリー展開が非常に興味深く見応えも大きかった。ロバート・レッドフォードが挑むゲーム盤上の闘いのような手触りは、タイトルにふさわしく新感覚の緊迫感が楽しめる。映像的にも趣向が凝らされ集中が途切れない。完全に「殴られ役」に徹したブラッド・ピットの頑張りも評価したい。
8点(2003-12-24 01:07:21)
44.  スナッチ
衝撃性と珍妙さを併せ持つバイオレンスフルな展開による群像劇はとてもツボにくるものがあり楽しかった。軽快でスタイリッシュな映像感覚もクオリティ高く引き込まれる。ガイ・リッチー監督にはこれからも「笑えて、カッコイイ、バイオレンス映画」を作ってほしいと思う。
8点(2003-12-16 19:16:15)
45.  スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス
 スター・ウォーズ旧三部作を一応は観ていても、あまりこのシリーズ自体に魅力を感じていなかった者にとっては、初見ではそれほどの面白味を感じることができない。だが、今回また見直してみると、作り込まれたエンターテイメント性は流石のクオリティを見せ、物語自体の深みも増して見えた。希望に満ち溢れて見えるアナキン坊やがふいに見せる一寸の“不安”や続編への伏線となる“懸念”もしっかりと描かれており、映画としての完成度の高さをうかがうことができた。
[DVD(吹替)] 8点(2003-11-25 14:55:34)(良:1票)
46.  スピード(1994)
初見時はキアヌ・リーブスのアクション演技は別に悪く思わなかったけど、「マトリックス」を観てからはやはり若干のキレの無さは否めない。それに対してサンドラ・ブロックの魅力はこの映画がピークと言いたくなるほど躍動的で美しい。彼女は「スピード2」でコケてからなんとなく上のレベルに登れなかったね……。映画自体はタイトル通りスピード感に溢れ、秀逸なアクション映画に仕上がっている。
8点(2003-10-06 01:19:17)
47.  スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース
アニメーション作品であることの必然性と可能性を、文字通り「無限」に広げて、多元宇宙のありとあらゆるスパイディたちが織りなすマルチバースの世界を自由闊達に表現してみせた“スパイダーバース”シリーズの第二弾。 他のスパイダーマン映画と同じく、“続編”であることの優位性を活かしたアバンタイトルのシークエンスは、情報量が極めて多く、42歳の中年男性の脳内は早々にメモリ切れを起こしそうになり、情報処理能力が鈍化していたことは否めない。  前作が生み出した「革新」を更に突き詰め、その映画的な力量がパワーアップしていたことは間違いない。 めくるめくアイデアとイマジネーションの“渦”は、エンターテインメントを超えて、もはや芸術的ですらあった。  スパイダーマンとなり、大いなる力と大いなる責任を与えられ、同時に多大な喪失を経た10代の主人公マイルズ・モラレスは、多元宇宙のスパイディたちと共闘し、「一人ではない」という勇気を得る一方で、孤独を深めている。 そのキャラクター描写は、極めて特異な境遇でありつつも、多くのハイティーンの若者が抱える普遍的で“青臭い”心象を表現しており、とても興味深く、自分自身もそういう時期を経てきたことを思うと感慨深くもある。  マルチバースの更に深淵に引き込まれた主人公は、そこですべてのスパイダーマンに課された“宿命”を突きつけられる。 だがしかし、若きスパイダーマンは、“青臭い”からこそ、それに対して全力で抗い、多元宇宙を股にかけて逃走する。 それは、この現実世界の“大人”たちが知らず知らずのうちに手放し、許容し、諦観してしまっている「可能性」に対するアンチテーゼのようでもあった。   普遍的でありながらもとても深いテーマを物語の核心に孕んだエキサイティングな続編だったと感じる一方で、やはり作劇においてありとあらゆるものを詰め込みすぎている印象は強く残った。 それが自分自身の情報処理能力の低さ故と言われれば反論できないけれど、もう少しスマートにストーリー展開の“交通整理”をすることは可能だったのではないかとは思う。 思いついたアイデアやイマジネーションのすべてをビジュアル表現せずとも、観客である人間は空白を想像力で補えるわけで、その想像の余地を残すことが、もっと広い世界を創造する要素だとも思う。  そういう意味で、やはり本作は溢れ出るクリエイティビティが、ストーリー展開にそのまま呼応するように氾濫気味で、うまく収拾できていない。 でも、本作が次作最終章へのブリッジであるということを踏まえると、その氾濫に伴う混沌こそが布石なのかもなとも思える。 つまるところ、本作の正当な評価は、次作での物語の結実次第なのだろう。   果たして主人公マイルズ・モラレスは、逃走先の“世界”で、別の“可能性”の自分自身と衝撃的な対面を迎え、本作は終幕する。 とても宙ぶらりんな結末だけれど、別次元ではスパイダーグウェンが、“バンド仲間”を集結させて、我々の高揚感を煽る。 「可能性」の大渦に自分自身の思考がフリーズしないように、せっせとメモリ増設して次作を待つとしよう。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-11-19 01:20:18)
48.  スター・トレック/BEYOND
「亡き友へ」 と、死んでいったクルーたちを悼み、カーク艦長が献杯をする。 このラストシーンのシークエンスは、一体どの段階でシナリオに組み込まれていたのだろうか。 劇中、襲撃されたエンタープライズ号の多くのクルーたちが命を落としてしまう展開はあるので、最初から用意されていたシーンなのかもしれないが、このシーンの持つ「意味」が悲運にも深まってしまったことに、映画ファンとして泣くしかなかった。 往年のTVシリーズからスポックを演じ続けたレナード・ニモイの死、そして、不慮の自動車事故で今作の撮影直後に亡くなってしまったチェコフ役のアントン・イェルチンの死に、惜別の思いばかりが募った。  二人の俳優の死が重なってしまったことも多分に影響しているのかもしれないが、リブート版第三弾となる今作には、全編通して「死」そのものと、それに伴うそこはかとない“別れ”の悲しさが漂っている。 「宇宙」というあまりに壮大で果てしない空間の中で突如として生じる空虚感と望郷の念も、冒頭のカーク艦長の心情描写に端を発して随所に表されており、表面的な大エンターテイメントのすぐ裏に垣間見える「宇宙」そのものの“深淵”が興味深い仕上がりだった。  僕自身は、この新しいリブート版シリーズからのファンで、残念ながらTVシリーズは観られていないのだが、その宇宙に対する深淵なる哲学性こそが、「スター・トレック」の本質的な魅力なのだろうと思える。 そして、いつの日か“人類”が宇宙で生命を紡ぎ蔓延ることに想像をめぐらし、そうなった時に、我々人類が辿り着く「境地」までもを創造したことが、このシリーズの凄さなのだろう。  J・J・エイブラムスから引き継ぎ新監督を務めたジャスティン・リンは、想定以上にそつなくシリーズ3作目を纏め上げたと思う。 「ワイルド・スピード」シリーズで磨き抜かれたチェイスシーンの安定感は言わずもがなの出来栄え。 また、アジア系キャラの“ヒカル・スールー”の見せ場を増やし、彼のキャラクターにゲイという要素を加味したことなどは、新鮮だったし、そのキャラクター像の広げ方は、長きに渡り“多様性”をテーマとして謳ってきた同シリーズにとって相応しいものだったと思う。  英語を理解しない日本人として少々残念だったのは、今作から脚本にも参加しているサイモン・ペッグが繰り広げているのであろう台詞回しの妙が、字幕では今ひとつ伝わらなかったことだ。きっと随所で意味深で愉快な言い回しがあったに違いない。  喪失し、破壊され、それでもエンタープライズ号は旅を続ける。 引き続き、最新作を心待ちにはしたい。 しかしながら、もうそこにはチェコフ君がいないことを思うと、やはり寂しくて仕方がない。
[映画館(字幕)] 7点(2016-10-29 23:27:11)(良:1票)
49.  300 <スリーハンドレッド> ~帝国の進撃~
“インパクト”のみで勝負し、娯楽映画として見事に勝利してみせた「300<スリーハンドレッド>」から早8年。 8年越しの続編は、物語の時間軸的にはほぼ同時進行の「番外編」という立ち位置だった。 スパルタ王レオニダスの死闘の裏では、また別の死闘が繰り広げられていた!という話。  前作自体が好き嫌い大別される作品だっただけに、もはやこの第二作目においては“好きな人以外立入禁止”にすべきだろう。 まず最初に断言させて貰いたいのは、「セックスより上手ね」と、最後の死闘の最中に敵役の最強最悪の女傑に言い放たせた、この「番外編」の在り方は正しい!ということだ。  前作でスパルタ王を演じたジェラルド・バトラーが、あまりに熱苦しく、あまりに豪傑だっただけに、今作の主人公テミストクレスを演じたサリヴァン・ステイプルトンなる俳優の存在感が希薄だったことは明らかだ。 彼が率いるアテナイ軍も、豪傑揃いの精鋭300人だったスパルタ軍と比較してしまうと、当然ながら脆弱に映ってしまい、映画に添えるべきインパクトに欠けていたと思う。  しかし、その希薄さや脆弱さは、ある意味必然的なことだ。続編であり番外編である今作が、物語の本筋である前作に対して“同様”のインパクトで勝てるワケがないし、勝つべきではない。  その代わりに今作は、また別のインパクトをちゃんと用意出来ていた。 それこそが、前述の「台詞」を放つペルシャ帝国海軍指揮官アルテミシアなる最恐の悪女であり、それを演じたエヴァ・グリーンに他ならない。 彼女一人で、主人公率いるアテナイ軍はおろかペルシャ王すらも凌駕する存在感を放っている。 最近数作では印象的な悪女ばかりを演じているエヴァ・グリーンだが、彼女が現役最恐の“悪女女優”であることは間違いない。  彼女と主人公の「一戦」が、今作の最大のハイライトであることは言うまでもないだろう(ニヤリ)。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-05-17 22:56:52)
50.  スター・トレック(1979) 《ネタバレ》 
クライマックス、宇宙の果てで邂逅した機械生命体と人間が眩い光の中で「結合」する。  比喩でも揶揄でもなく、それは機械と人間との“セックス”だ。 字面だけを捉えれば、とても突飛でぶっとんだ表現だけれども、これこそがこのSF映画史に残るエンターテイメントシリーズの揺るぎない真髄であろうと思える。 必ずしも見栄えのいい娯楽性には流れず、宇宙そのものの姿と、その神秘を追い求める人間の姿を描き出していったからこそ、このシリーズは世界中のファンに深く愛され続けているのだろう。  J・J・エイブラムスによるリブート版で初めて「スター・トレック」の世界観に触れ、熱狂し、今回ようやく1979年の劇場版を観ることができた。 1966年〜1969年のテレビシリーズを経てからの劇場版なので、本当はそのテレビシリーズも観ることがベストなのだろうけれど、さすがに3シーズン79話もの映像作品を観る余裕はなかった。 主要キャラクター同士の関係性など、テレビシリーズを観ていればもっと楽しめたのだろうけれど……。  そういった世界観への馴染み難さも手伝って、特に序盤は非常にかったるい。 全体的にテンポも悪く、ストーリーテリングも上手いとは言い難いので、正直なところ映画の8割方はかったるいと言わざるを得なかった。  明確な徒労感を感じつつ映画は終盤に差し掛かる。 「退屈」の一言での酷評を心に決めかけたラスト20分、映画は突如として宇宙の神秘性に突き進む。 その展開自体はあまりに唐突で、やはり上手い映画だとは言い難いが、ラストの顛末はSFならではの衝撃性に溢れていて、それだけで印象的だった。  “創造主”の追求という宗教的な哲学性も加味しつつ、新しい進化の誕生を描いた顛末そのものは、SF映画史に残り得るものだったと思う。  この後の映画シリーズ、そして前段のテレビシリーズもやっぱり観たくなる。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2014-12-11 17:06:29)(良:1票)
51.  スーサイド・ショップ
日常生活の中で自殺が“風景”として多発する極めて陰鬱とした社会。そんな中で「自殺用品専門店」を営む家族の物語。 フランス産ならではの陰湿でブラックなユーモアに溢れたアニメーションが印象的。  まず舞台作品の映画化かと思えるくらいに、ミュージカルと舞台的な演出のクオリティーの高さが光った。 きっとこの脚本と演出のまま舞台化しても成功は間違いないと思える。  自殺が蔓延する社会の中で、それを助長する商売を生業とする主人公家族の面々。 映画の序盤、彼らのキャラクター性は、悪魔的に、ある種のファンタジーとして描かれる。 しかし、そこに彼らの存在性を根本から否定する天使のような次男が生まれ、この家族の人間性があらわになる。 悪魔的な陽気さが、実のところ陰鬱とした世の中を生き抜くために彼らが選ばざるを得なかった手段だということが描き出され、このファミリーの悲しさが見えてくる。  映画の中盤、店主と自殺志願者のやりとり。  「この“面倒”にもう耐えられない」 「“面倒”とは?」 「人生さ」  自分はまだ30年余りしか生きていないが、このやりとりは身につまされる。 世界中の誰しもが、その“面倒”と葛藤をし続けていることだろう。 ただそれでも、“生き続ける”こと以上に意味深いことなどないと、この奇妙なアニメ映画は高らかに歌いあげる。 ストーリー展開は稚拙ではあったけれど、語り口そのものには好感が持てた。   店主の名前が「ミシマ」。自殺の方法にやけに“ハラキリ”を推奨し、日本刀を振り回すこのキャラクターのモデルは、完全に三島由紀夫だよな……。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-11-15 09:31:12)(良:1票)
52.  スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団
想像以上に“可愛らしい映画”だった。  もっと単純に「オタク魂」に突っ走っただけの映画だと思っていたが、主人公のへなちょこ野郎の恋模様と、彼を取り巻く友人たちの人間模様が、とてもファニーに映し出されていて、それだけで充分に愛着を持てた。  “憧れの君”は、決して美人ではないけれど、主人公が問答無用に惹かれる魅力は醸し出されていたし、三角関係となる中国系女子高生の彼女もキュートだった。 また、主人公のルームメイトのゲイを演じたキーラン・カルキンが素晴らしく良かった。風貌から溢れる絶妙な“澱み”が抜群だった。実兄の近況も気になるところだが、今後役に恵まれれば良い性格俳優になっていくような気がする。  この映画には真っ当な美男美女は登場しないけれど、そういった一人一人のキャラクターの印象度の高さが、最大の魅力だったのかもしれない。  “売り”であるテレビゲーム感を存分に踏襲したバトルシーンは、やはり楽しい。 特に、"邪悪な元カレ”第一号のインド人の登場シーンのインパクトが良かった。 歌って踊るインド映画の世界観をしっかりと組み込み、この映画に相応しいテンションを与えていると思う。  残念なのは、そのバトルシーンが徐々に尻つぼみ気味になってしまうこと。 7人の元カレキャラはそれぞれ良い存在感を醸し出してはいるのだが、一人目のインド人キャラの“濃さ”を越えられなかった印象が残った。 ストーリー展開についても、同様のバトルシーンが羅列するだけと言えばそれだけの話なので、110分超えの尺は長過ぎたと思う。90分以内におさえて、もう少しテンポを上げれば、主軸に描かれる音楽の勢いも際立ったと思う。  難点は少なくないが、こういう本気でふざけた映画は嫌いじゃない。
[DVD(字幕)] 7点(2012-05-07 23:35:24)
53.  素晴らしき戦争
世に存在する「戦争映画」の全ては例外なく「反戦」を描いているだろう。 もちろんこの戦争映画もその例に漏れないが、これほどまでに高らかに「戦争」そのものを歌い上げ、それが巻き起こっている世界そのものを“テーマパーク”として表現しエンターテイメント化することで強烈に批判した映画は他になかろうと思う。  あたかもボードゲームに興じるように私利私欲を満たすために戦争を展開する上層部の人間たちの愚かさや、その駒のように盲目的に戦乱に巻き込まれ命果てていく民衆の虚しい様が、ミュージカルの中に盛り込まれその本質が露になってくる。 流行曲や賛美歌の替え歌の中で表現される「本音」の部分が、戦争におけるすべての愚かさをつまびらかにしていくようで印象的だった。  ある狙いを持ってのことだが、今作では第一次世界大戦の情勢が時に隠喩的に表現されるので、当時の世界情勢に詳しくない者にとっては正直分かり辛い部分も多く、退屈感に繋がってしまう要素も大いにある。 誰しもが映画として全編を通して楽しめる作品とは言えないが、明確で力強い「意思」をもって描き出された映画であることは間違いない。  監督のリチャード・アッテンボローは、今作が長編映画処女作らしいが、とてもじゃないが普通処女作で手にかけられる映画世界ではないだろうと、圧倒的な世界観に唖然とした。  ラストシーンでは、美しい緑の高原を文字通りに“埋め尽くす”無数の白い十字架の墓標が映し出される。 神々しいほどに静かで美しいシーンだけれど、そこにはこの映画でももっとも明確な“怒り”が表れていると思った。
[DVD(字幕)] 7点(2012-01-12 14:02:37)
54.  スカイライン-征服-
トレーラーを観て興味はそそられていたのだが、インターネット上にはことごとく酷評が並んでいたので、レンタルまで待とうかと思い始めていた。 しかし、昨夜、フォローしている某クリエイターのTwitterで、「面白いB級SF映画だ」と賛辞するコメントを初めて見つけ、やっぱり観に行くことにした。 B級SFであれば、酷評が賑わうことは、必ずしもマイナスポイントではないかもしれないと思ったからだ。  その映画ファンとしての思惑は幸運にも的中したと言える。  ウィル・スミスが出てくるような娯楽大作を観にきたつもりだったならば、確かに酷評は避けられないだろう。「糞映画」と言い捨てられても仕方が無い。 というか、「糞映画」であることは間違いないことかもしれない。 ただ同時に、これこそが「SF映画」であると高らかに宣言したい衝動にも襲われる。  それは、この映画が常に“規定路線”からの脱線を狙い続けているからだ。 いつ、観客が期待し想像している展開を裏切ってやろうか。と、この映画は終始“企んでいる”。 観客のイメージを超えることこそが、SFの醍醐味であり、最近はそういった気概に溢れた作品が少ない。  登場人物は極めて少なく、キャストは無名俳優ばかり。映像のクオリティーは極めて高いが、場面展開は最低限に抑えられ、製作費の根本的な少なさは嫌が上にも感じる。 しかし、その低予算の中で、“どんな形であれ”観客を驚かしてやろうという意志と「悪ふざけ」は評価に値すると思う。  また一方で、この映画の監督(兄弟)は日本の漫画に精通しているのではないかとも思えた。 エイリアンたちのグロテスクな触手や、主人公が異形のものと“混じりあっていく”描写は、岩明均の「寄生獣」を思い起こさせた。 そして、人間が光でおびき寄せた小魚を貪る様に捕獲するかの如きエイリアンによる「侵略」の様と、そこに見え隠れする“皮肉”は、藤子・F・不二雄の短編「絶滅の島」を彷彿とさせた。  そういう部分は、日本の漫画ファンだからこそ余計に無視出来ない面白味だと思う。  とにかく、大多数が蔑む映画であることは間違いないが、その大衆からの否定感が、殊更にこの映画のSF性を証明している様な気がしてならない。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-02 15:43:41)(良:2票)
55.  SUPER8/スーパーエイト(2011)
J・J・エイブラムス+スティーヴン・スピルバーグ、新旧のエンターテイメント作家が組んだ娯楽大作。 “実体”を見せない謎に溢れたトレーラーをはじめとするプロモーション。 映画ファンの好奇心をこれでもかとくすぐる魅惑的な要素に、鑑賞前の期待は大いに膨らんだ。 「一体、どんな映画世界を見せてくれるのだろう」と、無意識に「見たことがない映画」への期待が高まっていたとも言える。  まず言っておくと、無意識に期待してた“驚き”が存在する映画ではなかった。 いまやハリウッドのトップランナーと言っても過言ではないエイブラムス監督が描き出す映像の完成度は凄まじかったけれど、内容は、どこかで見たことがある映画とどこかで見たことがある映画が幾つも合わさって、どこかで見たことがあるストーリーが紡ぎ出されたという感じだったことは否めない。  正直、「面白くない!」と拒絶する人は大勢居るだろうし、「何て面白い映画だ!」なんて言う人には「もっと色々な映画を観てほしい」と思う。  でも、やっぱり僕は、「面白かった」と言っておきたい。 期待していたエンターテイメントとしての“衝撃”は殆ど皆無だったと言ってもいいが、「映画」そのものに対する“愛”は溢れている作品だったと思う。 過去の数々の映画の“使い回し”と切り捨てることもできるが、同時に名作に対する“尊敬”と"愛情”の表現と言えなくもない。 劇中で少年たちが自分たちの大好きなゾンビ映画を一生懸命に撮影することと同じように、気鋭のエンターテイメント作家が、かつて夢中になった数々の娯楽映画の自分なりの「再現」に挑んだのだと思えてならない。  もちろん、だからと言って映画として面白いポイントがなければ、それはただのクリエイターの自己満足であり「駄作」に間違いない。 僕にとっての今作の最大の魅力は、凄まじしい映像世界などではなく、子役たちのパフォーマンスだった。 エル・ファニングをはじめとする若い若い俳優たちの瑞々しい演技が素晴らしかった。 8ミリ映画製作に励む瞳、人間関係に悩む瞳、はじめての恋をする瞳、得体の知れない恐怖に怯える瞳、目の前で繰り広げられる様々な出来事に対して、純粋な感情をあらわす“瞳の光”が何よりも魅力的だったと思う。  完成度の高い映画とはとても言えないけれど、どうしても無下に否定することが出来ない。そんな映画。
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-26 21:59:02)(良:2票)
56.  スピード・レーサー
自宅で、ブルーレイディスクが見られるようになって、初めて見る映画を何にするか? それは、映画好き&家電好きにとってかなり重要な問題だったりする。  レンタルショップのブルーレイコーナーに集められた作品群を前に、暫し思案した結果、見る機会を失っていた今作を手に取った。  流石にスゴイ。映像に度肝を抜かれたのは久しぶりだ。しかもそれが自宅のテレビで味わえるのだから、スゴイ時代になったものだと思う。  ウォシャウスキー兄弟が持ち前の“オタク魂”を、良い意味で好き勝手に発揮した快作だと思う。 こういう映画は「中途半端」な部分があった時点で“負け”である。 ただそこは、「マトリックス」で映画自体の常識をひっくり返した同兄弟だけあって、そう文字通りとことん“突っ走っている”。  原作は往年の日本のテレビアニメ「マッハGoGoGo」である。 日本で生まれたアニメや漫画が海を渡り、ハリウッドで映画化されるという構図は、最近続発されているが、その中ではかなりレベルの高い仕上がりを見せているとも思う。  やはりこれくらい問答無用に突っ走れるだけの、原作に対するこだわりと愛着がなければ、映画化は成功しない。  人生初のブルーレイ鑑賞にふさわしい映画だったと思う。  P.S.ただ、真田広之の役どころはもう少しおいしくしてあげて欲しかった……。 
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2009-09-19 14:16:55)(良:1票)
57.  スラムドッグ$ミリオネア
クイズ番組が好きだ。  問題に答えるための「知識」は、自分がこれまでの人生の中で生み出した結晶で、クイズ番組はそれを確認できる一つの方法だからだ。  「知識」は、積極的な勉学の果てに得たものだろうが、偶然知り得たものであろうが、その価値は変わらないと思う。  自分だけのオリジナルの人生を経て、結果として“知っていた”ということ、それが最も重要なことだ。  そういう概念を根底に敷いて、スラム街に生まれ育った青年の一つの「運命」を、巧みな映画術で描き出した良い映画だったと思う。  前面的に描かれる“クイズショー”は、インドのスラム街の現状とそこに生きる子供たちの現実を如実に表現するための「縮図」で、出題される問題の一つ一つが、主人公の青年の人生にリンクしていく構成が見事だった。  当たり前の様にゴミ山の中を裸足で走り回り、当たり前の様に孤児になり、当たり前の様に物乞いをし、当たり前の様に犯罪に手を染めていく少年たちには、不思議なくらい陰惨さを感じない。 それは、彼らが自分たちが生きるその環境を「当たり前のこと」として受け入れ、生きる覚悟をしているから。  欺瞞に満ちたクイズショーで大金を手に入れることも「運命」。 銃弾を浴び札束で溢れたバスタブで果てることも「運命」。  そのさじ加減を一体誰が決められるというのだろうか。 
[映画館(字幕)] 7点(2009-04-28 23:58:40)(良:1票)
58.  スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師
暗黒のロンドンで暗躍する理髪師の殺人鬼“スウィーニー・トッド”を、ティム・バートン+ジョニー・デップの盟友コンビで、「ミュージカル」というスパイスをドギツク加えて相変わらずの“特異世界”の中に息づかせた。   鑑賞後まで“スウィーニー・トッド”というキャラクターを知らず、今作はティム・バートンの完全オリジナル作品かと思っていた。 実は創作の殺人鬼キャラクターとしてかなり有名で幾度も舞台化、映画化されていることを知り、ティム・バートンらしからぬ最後まで深い闇を秘めたラストにも頷けた。   全編通して悪趣味かつクオリティの高いビジュアルは、ティム・バートン監督ならではで、そこで惜しげもなく歌声を披露しながら、またもやアクの強いキャラクターを体現してみせたジョニー・デップと合わせて、作品から醸し出される雰囲気に反して安心して観られた。 ティム・バートン監督のパートナーでもあるヘレナ・ボナム・カーターも内にまがまがしい狂気を秘めたパイ屋の女主人を、妖しい魅力で表現してみせたと思う。   狂気に溢れた殺人鬼の物語をミュージカル調で映像化してみせたティム・バートンの力量にはもはや隙はなく、ジョニー・デップの魅力も合わせて概ね満足度は高い映画であると言える。 ただ、今作で6作目の監督&主演コンビとなる彼らの化学反応に、安心感を覚えつつもそろそろ新たな“爆発”を見せてほしいというのも映画ファンとしては正直な心情だったりする。   そういう意味では、題材の強烈さに反して今ひとつ“驚き”はない映画だったかもしれない。   
[映画館(字幕)] 7点(2008-01-19 21:25:42)(良:1票)
59.  スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ
今の日本映画を代表する蒼々たる豪華キャストを配し、さらにはハリウッドの鬼才クエンティン・タランティーノまで呼び込んで、そもそもの設定から無理がある「日本版西部劇」を押し通してしまえるのは、やはり三池崇史をおいては他にいない。というよりも、この監督が存在しなければ、“スキヤキ・ウエスタン”なんて企画はそもそも生まれ得なかったろう。  そういうわけで、この映画は、こうして「映画」として成立している時点で、“勝ち”だと思う。  相変わらずの毒々しさや、ナンセンスなユーモアには思わず眉をひそめてしまう部分もあるにはあるが、そこは「三池崇史の映画」である以上仕方がない。ストレートなエンターテイメントとしてまとめろというのは無理な話である。  「スキヤキ・ウエスタン」という根本的に破綻している環境設定の中で、曲者ぞろいながら実力派のキャストが揃ったことで、異色の娯楽映画としてまかり通していると思う。 佐藤浩市が横暴な悪役ぶり、安藤政信のキモ男ぶり、香川照之のキレっぷりなどなど、それぞれの俳優に見所は多い。  オープニングでタランティーノが、スキヤキをほおばって恍惚となる映画などこの先もう生まれまい(当たり前だが)。
[映画館(字幕)] 7点(2007-09-24 22:16:42)
60.  スパイダーマン3
サム・ライミという映画監督が描き出したこのスパイダーマンシリーズは、「ヒーロー」が必ずしも“完全無欠”ではなく、主人公のピーター・パーカーをはじめ登場人物たちがそれぞれ“未完成”であるということが、何よりも映画としての価値を高め、量産されるアメコミヒーロー映画の中で頭一つ抜け出した存在位置を確保し得た要因だと思う。  「スパイダーマン」というどこからどう捉えてもヒーロー映画的なタイトルを掲げながら、実のところは、ピーター・パーカーを中心とした成長映画であり、青春映画だったのだ。 そして、サム・ライミのシリーズとしては「完結編」であろう今作は、そういったこれまでの要素にふさわしいキャラクターたちの“葛藤”をとくとくと描いた作品に結した。 “ヒーローであることに対する慢心”、“ヒーローが恋人であることによる嫉妬”、“ヒーローに傷つけられたことに対する憎悪”、それぞれの人物たちが未完成だからこそ起こり得る心の乱れと苦悩。それらはまさに「スパイダーマン」で監督が描きたかった本質だと思う。  とまあ、概ね満足感は高い映画だったが、完結編の性なのかどうにも“詰め込み過ぎ”な印象もあった。 “ハリーとの対決”、“サンドマンとの対決”、“ベノムとの対決”、“MJとの確執”、そして“自分自身との対決”と、何せ今作のスパイダーマンは忙しすぎた。そのせいか、前作までと比べると明らかにテンポの悪さを感じてしまったことは否めない。ピーターが壊れていく様など、もちろん必要な描写ではあるけれど、少々くどかったのではないかと思う。  が、しかし、ヒーロー映画に不可欠な“テンポの良さ”やそれに伴う単純な“爽快感”に負荷を与えてでも、キャラクターたちの描写に力を入れたことこそ、このシリーズがただのヒーロー映画に留まらなかったことの「証拠」であろう。
[映画館(字幕)] 7点(2007-05-13 13:43:27)(良:1票)
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