Menu
 > レビュワー
 > なんのかんの さんの口コミ一覧。3ページ目
なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2336
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234
投稿日付順1234
変更日付順1234
>> カレンダー表示
>> 通常表示
41.  薄化粧 《ネタバレ》 
川谷拓三も、取り調べられる側から取り調べる側になったんだなあ。で、この犯人像、いかにも緒形拳的で、もひとつ驚きがない。そういう自分専用の像を作ってしまったってことは、役者としてすごいことではある。蛇のような男と近所で言われて・補償金ぶとりで・女の喧嘩にはオロオロし・すぐカッとなり・長いトンネルを掘って脱獄し・女好きで(「ね、しよ、しよ」)・石に子どもの名前を書き付け・竹中直人にはいい人であり・小娘には馬鹿にされ・少女に化粧してやり…、といったキャラクター。緒形拳が演じてしまうことで、こっちがそういう型に分類して見てしまってるのかも知れないが。最初のうちは時代がよく分からなかったが、しだいに歌謡曲で絞られていった。昭和24年。ラジオの時代。駅の便所で化粧する緒形と、あと追ってくことを決めて化粧する藤真利子とがカッとバックされるあたりに、短編小説の佳篇的味わい。
[映画館(邦画)] 6点(2011-03-24 12:20:18)
42.  ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~ 《ネタバレ》 
男たちはみな自信喪失、活気がない。女は働いて金を得る喜びを知ってしまい、元気。その沈む男と浮く女の対比。椿屋に堤君が訪れたシーン、見合いしてきて松たか子への未練がつのり、料理屋にまで来てしまうってのも情けないが、メンメンと語りかけようとするといちいち客の呼び出しが邪魔に入る。しかし松さんのほうはもう社会で働く喜びでいっぱい。しょんぼり・いらいらする大のオトナの堤君、シャッキリせんかいと言いたくなる。またその状況を背中で聞いている妻夫木君のうじうじぶり。戦後の男女の対比を一筆で描いていて面白かった。男は女を大事に扱うってことでメンツ・誇りを感じていたのだが、それは女にとってはさほど嬉しいことではなかったってこと。夫がしくじった心中の薬をもてあそんではみたものの捨て去り、ヒロインはパンパンの口紅を塗っても生きようとする。戦後を描くと今まではだいたい闇市の沸騰する喧騒のエネルギーがベースになったものだが、これでは脱力している男に沿ったような静けさがベース。描かれた男女の対比はさして目新しくはなかったものの、それがこの静けさの中で展開し、浮き上がる女によりスポットが当たるようにしてあるのが新鮮だった。
[DVD(邦画)] 6点(2010-10-05 09:50:11)(良:2票)
43.  ウルフ 《ネタバレ》 
スクリーンに登場する怪人たちの中で、ドラキュラ・フランケンシュタインの怪物、の大物ぶりに比べ、狼男はやや弱い。アピールポイントが「満月になると顔に毛が生えます、遠吠えもします」と内向きである。「おまえはけっきょく何をやりたいんだ」と詰め寄りたくなる(日本の昔話で、桃太郎・一寸法師に比べ影の薄い金太郎と同位置にあるようだ。桃太郎らは業績がはっきりしているが、金太郎は子どものときに熊と相撲をとったこと以外はボンヤリしていて、どこか狼男と似ている)。で、この映画。そのぼんやりものの狼男に一本背骨を入れた。狼男とは「中年が若返る」なのだ。疲れが消え、気分爽快、生き生きとなるのである。人間関係の中で疲弊していた中年に、野生の血が紛れ込むのである。匂いに敏感になり、遠くの会話が聞こえるようになる、とリフレッシュとしての狼男化が面白い。あちらキリスト教圏の話は、つまるところ悪玉と善玉の展開になっちゃうところが物足りないけど、何か新しい視点・解釈を導入しようとする姿勢は偉いと思う。主役の二人は『バットマン』シリーズ1作目と2作目の仇役、ジョーカーとキャットウーマンで好演したもの同士、ラストは美女と野獣でもある。J・ニコルソンってこういう役になると本当に楽しそうにやってる。
[映画館(字幕)] 6点(2010-08-22 09:53:21)
44.  ウホッホ探険隊
乗り物がいっぱい。船、父と家族を結ぶ(隔てる?)大きなのから、夫婦あるいは恋人同士を乗せる小さなのまで。さらに家の中にも波の揺れる置き物つきの模型。飛行機もラジコンのおもちゃに本物がかぶさる。車が走る回りをカメラがまとい付き、ときに後ろから乗り越えて前にさかさまに回り込んだりする。だからどうだっていうものじゃないけど、作品の「家庭」というテーマを小さく固めないように揺さぶってたって感じ。この家の上には不吉な月が始終かかってて、いや、不吉っていうより何か薄い印象か。青空も同じで、手応えの薄い感じ。ただそういう「感じ」ばかりが先行し、作品の手応えも「薄く」なってた。ま、それが現代なんだって言えばそれまでなんだけど。ちょっと凝りすぎてて、でもあんまり効果のないいろいろのシーン、顔洗うとこを水中から撮ったり、冷蔵庫の中にカメラを収めておいたり、そういういろいろ、やらないよりはやったほうがいいのかも知れないけど、どうも単に意表を衝くってこと以上の、映画の興奮には至ってなかったように思う。
[映画館(邦画)] 6点(2010-08-11 09:54:11)
45.  ウルトラミラクルラブストーリー 《ネタバレ》 
DVDだったんで、津軽弁の洪水につい字幕付きで観てしまったが、あれはそのまま分かるとこだけを聞く態度で、ドキュメント的に受け取るべきだったかも知れない。発声練習の無意味な言葉とつながって響き合うように。全体ドキュメントタッチとミラクルストーリーが渾然としていて、ミラクルであるものがミラクルらしからぬ態度でひょいと現われてくるとこが面白い。そこが方言の力。唯一方言をしゃべらぬ町子さんて考えてみれば魔性の女で、周囲にいる男の頭を次々カラにしていくわけだ。人類は脳を発達させてしまったので、知力によって新たな危難を避けるようになり、これ以上身体の進化は起こらないだろう、という説があるが、脳をカラにしてしまえば、新たな奇跡が未来に開けてくる可能性もある、ってことか。進化は必然なのかミラクルなのか、ってテーマ? 長回しが多用され、自転車で二人帰る夕方のシーンなんかは楽しかった。サドルでメモしていると自転車が回ってしまうような動きが入り、アクセントになる。逆方向にいく夜のシーンでは、あれもっと花火が映える予定だったんじゃないかな、今ひとつであった。農薬倉庫での長回しは、さして趣向がなく面白くなかった。長回しをもたせるってのは難しいのだ。ラストの脳での子どもの遊びシーンはドキュメント調なので、自然に眺めていて熊につなげられた(前作でもそうだったが子どもをドキュメント的に捉えるのが好きみたい)。それにしても変な話を考えるなあ。
[DVD(字幕)] 6点(2010-06-13 12:11:09)
46.  ウォンテッド(2008) 《ネタバレ》 
イスラム過激派のリクルートを思った。そこらへんを意識してたんじゃないかな。惨めな日常にうんざりしている若者に、君は選ばれた者だという暗示を与え、厳しい訓練を課し、絶対者が悪と認定したのだからと迷わず見ず知らずの人物を暗殺できるまでに、組織に信頼を寄せさせる。この先にあるのは自爆テロリストへの道だろう。でもアメリカ映画のいいところは、組織に歯向かう個人のドラマになるとこで、途中の訓練の描写などの陰惨さ・ドギツさには不健全だなあと閉口させられたが、話の大枠はいたって健全であった。そしてなにより馬鹿馬鹿しさが救っている。最初のビルを飛び越える男が、廊下の奥のエレベーターから助走をつけるあたりで、すでに作品のトーンが決まり、以下馬鹿馬鹿しさが輝いているシーンのベスト3を順に挙げれば、まずアンジェリーナ・ジョリーが車で仰向けになって撃ちまくるとこ。次に、彼女の車が特急に追いつくとこ。特急の車掌も、あそこでは急停車させず、わざわざ崖の上の陸橋に来てブレーキをかけるという、事態を悪化させるのに協力的な態度をとるところが嬉しい。そして最後の二丁拳銃での殴り込み、ほとんど新体操の運動を見ているよう。そもそも気合いを入れれば曲がる弾道ってのが、根性ものの野球マンガに出てくる魔球みたいで、馬鹿馬鹿しくも懐かしかった。みなさんは絶対まねをしないでください、とテロップでも入れたいところ。
[DVD(吹替)] 6点(2009-06-23 12:06:14)
47.  右門捕物帖 拾万両秘聞 《ネタバレ》 
ああそうか、金田一シリーズの加藤武のルーツは、この志村喬の“あば敬”にあったのかもしれない。ヨシッ、分かった、とひとり合点し、見当違いの人間をしょっぴいていっちゃう、という役柄。志村喬の軽躁さと対照的に、アラカンはずっと大きな動きを見せずにムッツリ考え続け、「伝六、カゴを呼べ」で一気に動き出す。序破急の呼吸。時代劇でヒーローが悪漢を捕らえるときって、眉間にしわをよせ大仰に何かをこらえる表情をするのは、「てめえのような悪漢を含む世界全体を憂えてるんだ」ってポーズなのかなあ。それぐらい悲壮感に満ち満ちた表情になる。それとも「てめえのような汚ねえ野郎とは、仕事だからいやいや関わってるんだ」という軽蔑なのか。半世紀以上たってもテレビ時代劇の松平健あたりにまでつながっている伝統の眉間のしわだ。ドラマとしては、冒頭に刻限を決めた約束があり、ラストで切腹からのぎりぎりの救出があって、整えられている。十万両奪取の動機が複雑な政治的陰謀ではなく、恋のもつれというのがアッケラカンと分かりやすい。芝居小屋は時代劇ではよく背景に使われるが、味わいがあっていい。これでは犯罪で使われたシビレ煙幕と芝居の児雷也の仕掛け煙幕とが絡んでくる趣向で、ドラマの悪にも芝居の悪のようなおおどかな気分が添う。
[映画館(邦画)] 6点(2009-05-30 11:58:39)
48.  うなぎ
男たちがダラダラと床屋に集まっているあたりに味を感じたが、これは今村のものだろうか。男たちの集団は『果しなき欲望』とか『豚と軍艦』とかで描かれてるけど、それらはもっとギトギトしたものを持っていた。今回はサークルのような寛ぎの場で、船大工、やくざもん、UFOきちがいらによる浮世床の世界。この場を提供している役所は一歩退いていて、心的には外部の柄本明に近いのかも知れない。だからギトギトと煮詰まってはいかない。もちろん監督には自分の作品のトーンを定着させない権利があり、こっちに勝手に決められても困るだろうけど、うなぎと言えば『復讐するは我にあり』のドローンネチャネチャとしたカットが印象に残っているので、ついネバっこいものを期待してしまったのだ。人を見る目が優しくなったぶん、ドキッとさせる時間は減ってしまった。昔だったら、柄本明がもっと膨らんだだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-13 11:57:26)
49.  歌え若人達 《ネタバレ》 
木下恵介のコメディが好き。これが最後の純コメディになるのかな。松竹戦前からのお得意のスター誕生物語の枠組みだが、でもテレビで人気が出てから映画へというコースになっているのが60年代。永井智雄、大森義夫、坪内美詠子と、テレビ「事件記者」のレギュラーが顔を揃えたのは偶然か。他愛ない作品だけど、何となく現実と触れあえない気分や、もひとつたぎらない青春の血潮ってあたりに、脚本山田太一の色を感じる。東山千栄子に代表される田舎の重圧は木下のテーマ。特別出演の佐田啓二が「俺ら岬の…」を、田村高広が「女の園」を歌うというウチワオチあり。寮生活模様のスケッチ、いつもぶつかる手前のドアのギャグとか、若水ヤエ子管理人の放送などで笑わせる。ストリップ見た後ですぐに寮の男風呂のでぶのカットになるというギャグもあった。他愛ない作品ではあっても、いい加減な感じはない。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-26 12:15:15)
50.  ヴァリエテ(1925)
ドイツはこういう話好きだね。淫婦に振り回される男もの。5年後の『嘆きの天使』とか。あるいは時代の流行りだったのか。谷崎の「痴人の愛」もだいたいこのころ。若干先だから映画に影響されたってことじゃなさそうだ。しかもこういう淫婦の時代の後に、ドイツも日本も、病的に健全な男の時代に突入していってしまうんだな。それにしても無声映画の雄弁さ。水道のしたたりと、赤ん坊のおもらしのしたたり。二人の女を足先まで見比べる視線。あるいは耳を澄ませているそのアップ。テーブルのいたずらがきをめぐるサスペンス。ひそひそささやきあう人たち。ブランコシーンの緊張。無声映画のあらゆるテクニックが呼び集められている。ただの三面記事にしかすぎない出来事が、それ以上の物語に変わっていく。
[映画館(字幕)] 6点(2008-03-23 12:15:37)
51.  うつせみ 《ネタバレ》 
留守の家に男が忍び込んではいるのだが、どうも主体は男より家のほうに感じられ、その家の空気に男が溶け込んでいってるような感じ。むりやりの闖入者というより、空き家の空間が男を招き寄せたような。だからボクサーの部屋に入り込めば、男はグラブをつけてボクサーになってしまう。男の方に主体がないから、かえって男はその部屋の住人として違和感なく自在にふるまえる。特定の個人の部屋でない牢屋で、気配を消してしまえるのも当然のことかもしれない。現代人にとって夢のような、あるいは悪夢のような話。家に溶けてしまうこういう愛人を妻に持たれたら、もう亭主には手の打ちようがないのだ。
[DVD(字幕)] 6点(2007-11-03 12:20:13)
52.  美しい夏キリシマ
死に遅れた少年の目にうつる幻想の二週間。この監督、戦時下の日常にこだわってきた人だけど、リアリズムのようでいて、そこからちょっとはみ出すところがいい。ジャングルの湿気た雨の世界から生還してきた傷病兵が、こっちはずっと雨降っちょらんですねえ、とつぶやく。単に事実を述べただけなのだろうが、それだけで広がる青空がなにやら魔法にかかったもののように見えてくる。ラストの竹林の雷雨とそこにかかる虹が、単に虹としての美しさ以上のものに見えてくるのは、その魔法の効果だろう。
[DVD(邦画)] 6点(2007-10-03 12:22:25)(良:1票)
53.  ウェンディの見る夢は 《ネタバレ》 
夢の中に知らず知らず入ってしまってた、っていう仕掛けはあって、ラスト近くの運転手も含めた舞踏シーンなんかはある種の豊かな混乱が出てはいるんだけど、全体として「そつはないけど、それ以上でもない」っていうのの典型のよう。仕事仲間の連中のシーンが面白かった。仕事とられてちょっと嫌味なオールドミス。インチキで賭けをしては勝っていくの。庶民は自分にふさわしいささやかな夢で我慢しろ、ってな話にも思えてしまう。ロザンナ・アークエットさんは鼻がとんがりすぎてて、この人の顔見てると尖端恐怖症的不安を感じてしまう。
[映画館(字幕)] 5点(2013-12-24 09:41:00)
54.  宇宙大怪獣ドゴラ 《ネタバレ》 
宝石ギャングにかなりの比重がかかっているのが、子どものときは不満だった記憶がある。建物を壊すところ目当ての子どもには、橋だけってのは厳しい。でも怪獣・怪物・怪人に悪漢が絡むのは東宝ではごく自然なことであり、ギャングどもがみな(若林映子も含め)揃ってサングラスをかけている愛嬌を、子どもは味わい切れなかったのである。ダンディな悪漢天本英世がよい。権威の博士は中村伸郎だった。選択的に酔っ払いだけが浮いたり、悪漢が浮き上がったりするのは、けっきょくよく分からなかったが、石炭を吸い上げる場には、怪獣映画としての面白味があった。このころは火力発電所以外でも都市部で石炭が積まれている場所があったんだ。蜂の毒が弱点てのにエセ科学的なこじつけが欲しいところ。哀しいのは、映画で「宇宙大怪獣」と名乗ったのは、このドゴラとギララの覇気のない二匹(ニ頭?)だけだったらしい。
[DVD(邦画)] 5点(2013-09-18 09:42:59)(良:1票)
55.  美しさと哀しみと(1965)
人間に厚みが感じられないのは、川端作品を監督なりに無機質的に捉えようとしたってことか。日本的な湿り気を除いて(原作読んでないけど、もともと川端作品ってそれほど湿ってないな)、モダンに再生させようとしたら、ただ薄っぺらになっちゃった、って感じ。要になる作家が単なる俗物にしか見えず、音子さんの嫉妬が馬鹿馬鹿しいものになってしまう。それが狙いなのかな。息子の山本圭なんか、ほんとただの馬鹿扱いで可哀想なくらい。おそらく加賀まりこの静と動の対照が見どころの中心だと思うが、周りがこれだからあんまり生きてこない。こういうドラマはみな視野が狭い登場人物ばかりだから、その狭い内輪を一つの宇宙に感じさせなくちゃならないのに、そうなってないから、みんなウジウジしてるだけになっちゃう。そうやって全体を批評しているわけでもなく中途半端。長回しの多用(女二人の会話)や超望遠(橋の上の会話)などあり。カラーフィルムは褪色しちゃうとどうしようもなく濁る。
[映画館(邦画)] 5点(2013-04-17 09:36:48)
56.  海燕ジョーの奇跡
いつか面白くなるだろうと思いながら見ててとうとう最後まで来てしまった、っていう種類の映画。主人公に思ったほどの魅力がないんだ。混血やくざの親探しに、切実さがなかったし。かたぎになろうとした友人を殺されてカッとなるなんてのも陳腐だし。陳腐と言えば、海に向かって石を投げないでくれるかなあ、あと怒りで缶を潰すとかも。フィリピンのスラムでこっち見てニタニタ笑ってる人なんか、「本物」の凄味があった。当地でごろごろしている日本人のうさんくささが良かった。原田芳雄がよく、清水健太郎など脇が充実。島伝いにフィリピンまで行けちゃうっていう、国境を無視できる島の生活圏の広がりが実感として分かった。
[映画館(邦画)] 5点(2013-04-01 10:20:59)
57.  うみ・そら・さんごのいいつたえ
もっと祝歌(ほぎうた)として徹底すべきところを、へんにドラマが入って失敗してしまった、って感じ。水中撮影での蛸採りなんか、さして目新しくはないのになにやら神々しさがあったし、浜辺でオバアが踊っているところなどもいい。だからかえって「うた」になっていない部分の野暮が際立ってしまう。ヤマトの不動産屋(開発業者だったっけ?)とか、都会の女の子と地方の子の絡みとか。めずらし屋に子どもらがテレビゲームを売るの、あれつまり「沖縄の子は自然がいっぱいあるからテレビゲームなんか面白いと思いません」って型に当てはめすぎてる。子どもの好奇心ってのは、そう単純に割り切れるもんじゃないだろう。映画全体を「祝歌」に徹していれば、そう気にならなかったと思うんだけど。島に流れ着いた朝、太鼓の音が近づいてくるだけで、救出を描くところなんか正しいんだから。
[映画館(邦画)] 5点(2012-09-13 10:17:22)
58.  ウェインズ・ワールド 《ネタバレ》 
何も奥を感じさせない明るさってのも、不気味と紙一重で。でも『ホットショット』の方が笑えたし面白かったなあ。ウェイン君のニコニコ顔なんか、ほんと人格を感じさせないということで驚異ですらある。CMは嫌だと言いながら各社のコマーシャルをしているとこ、わけもなくビール工場見学をするとこ、道路でホッケーやってて車が来るといちいち脇へ持ってくとこ、隣の部屋での007、一同意気投合、助手の改心、などぐらいでは笑った。これだけ笑えば元は取ったか。最悪のラストから最良のラストまで三通り。アホの方のガースが「変わるのが怖いんだ」と言っていたところに唯一手応えを感じたな。やはり底にあるのは保守の気分なのか。社会はこちらに危害を加えるものであっては困る、という信頼。
[映画館(字幕)] 5点(2012-01-22 12:20:39)
59.  ウォーターダンス
病室ものの集団ドラマ。暴走族と黒人の対立が軸。前者はママが付ききりで事故の相手が悪いと信じ込まされてる。黒人のほうは家族の有り難みが分かりかけてきたところで逃げられる。ポイントは踊り子アナベル・リーを巡る賭けと、電話交換台への怒りの爆発のあたりか。水面で踊り続けていると溺れないという夢が、題名の意味。人生訓。まじめな映画だがその分小さくまとまっている感じは否めず、もひとつ大きな爆発が欲しいところだった。女医ローザのエリザベス・ペーニャが、それらしい。闖入してくるカントリー・ダンスの慰問、ああいうのあるんだね、あの国。車椅子でストリップ行けるアメリカのほうが偉いと思った。
[映画館(字幕)] 5点(2011-06-17 10:18:18)
60.  裏切りの季節
ベトナムでのアメリカ軍の暴虐と、SMとが対比されているらしい。60年代とは、政治と性を一緒に語るのが好きな時代だった(というより昭和40年代かな)。公の極限と私の極限。ただそれが一つの形式になってしまって、とりあえず政治と性を並べておけばサマになる、ってところもあった。その安直さを許す気分自体もあの時代っぽさ。今見ると、渋谷を初めとした都市のロケに資料的価値がある。室内の場になるとマダラな照明になるのは、『胎児が密猟する時』もたしかこんなだったが、カール・テホ・ドライヤーのタッチを模倣したというような美的効果より、写っちゃまずいところを不自然でなく見えなくする手段だったのではないか。あるいはもっと単純に照明費の節約だったかもしれない。またこの時期のこの種の映画ではSMが多く扱われるのだが、男の時代・暴力の時代であったというより、カラミを描くには制限が多すぎ面倒なので、映画の存在理由である女体を簡単に見せるのはSMが一番やりやすかったという面もあったかもしれない。ジャンルの様式とは、内的な芸術的必然性より、案外そんな外的要素に左右されてるとこがありそうだ。でもそういう職人仕事がかえって時代ならではの気分を反映するもので、全体に漂う息苦しさ・閉塞感はマガイモノではなかった。ラスト、風でズッていく広げた傘なんかに、つい時代を深読みしたくなってしまう。
[映画館(邦画)] 5点(2009-06-08 12:04:17)
000.00%
100.00%
200.00%
320.09%
4331.41%
52279.72%
691439.13%
773931.64%
834314.68%
9682.91%
10100.43%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS