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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  紐育の波止場
夜霧の波止場。すさんだ人々の吹きだまり。これだけの状況設定なら話はこうなる、という風に淡々と進行していく、その確実さ。霧の中の逆光、女を部屋に運び入れるあたりが特に美しい。また、男の荒っぽさの描写がいいんだなあ。ただ荒いってだけじゃなくて、不器用な感じをにじませる。どんちゃん騒ぎの中での結婚式。酒場女からの指輪のプレゼント、あとで刃傷沙汰のときの口をつぐむことが、それへのお返しになる。この酒場の賑わいの合い間に、たとえば牧師がやってくるあたりの、外の暗い静けさがはさまるのが、いいんだよね。まわりの暗さからこの一角を必死に守ろうとしているような、いとおしさ。主人公の火夫の無表情ぶりもいい。戻ってくるところなんか。こういう「片隅の人情もの」は、そのまま松竹によって模倣され(島津保次郎の『上陸第一歩』ってのになった。小津の『出来ごころ』ともつながってるな)、日本の風土に見事に移し替えられていくわけだ。
[映画館(字幕)] 7点(2011-01-12 10:15:38)
22.  ニードフル・シングス 《ネタバレ》 
中世的な悪魔観を、現代に持ってきて押し通す、というのも趣向ではある。現代の怖さは、よそ者を悪魔に仕立て上げていくメカニズムのほうだと思うが、そういう昔の趣向で作られる話もあってはいいと思う。でもあえて古風な「よそ者=悪魔」観を持ってきた成果は感じられなかった。町の仲間たちの中の悪は「よそ者」によって操られていたということにして町の純潔は保たれ、やはり「よそ者」であったエド・ハリスは町の人間と結婚することで受け入れてもらえる。これならまだ中世の物語として作ってくれたほうが後味はいい。そもそもなんでそんな大物の悪魔がこんな小さな町に来たのだろう。まあ、大物の怪獣が小さな島国にやたらやってくる例もあるからな。
[映画館(字幕)] 5点(2010-11-15 09:33:26)
23.  人間の約束
しばしば画面は廊下や道路が奥へ延びているのだが、俯瞰の閉じた印象が枠を作っているので、広がる感じはない。深まる感じ。円錐状の穴ぼこみたいな世界。それと青や緑系の鉱物質の光に水のイメージが漂い、全編が沼の中の出来事のよう。ヤマ場は嫁が婆さんを風呂に置き去りにしちゃうあたりか。ふっと日常から跳んでしまう感じにリアリティがあった。罪という次元と違うところでカチッとスイッチが切り替わっちゃう感じ、これが怖い。ただボケ老人が、憐れなだけの存在になってるのが引っかかった。ちょうどこれ羽田澄子の傑作『痴呆性老人の世界』を観て、いわゆる「ボケ老人」の内面の豊かさに驚かされた後での鑑賞だったので、その豊かさが切り捨てられていることに不満を持った。介護する側から見れば、こうならざるを得ないのかも知れないが。それと三国連太郎は、ちょっと風格がありすぎるんじゃないか。あと、子どもたちの扱いが雑なこと。
[映画館(邦画)] 6点(2010-10-04 09:59:13)
24.  日曜日のピュ
イングマールの息子、ダニエル・ベルイマン監督作品だが、脚本担当の父の匂いが漂う、とりわけ『野いちご』。神の沈黙と湿疹ってのは『冬の光』にもあったモチーフだが、キリスト教に何か象徴があるのかなあ。孤独という罰、周囲に息苦しさを与えてしまう性格、息づまる家庭…、ただそれを少年に観察させたことによって、柔らか味が出た。父と子の不和と和解というテーマより、あくまで父を観察するものとしての子ども、というテーマ。つまりイングマールとその父の物語に、イングマール-ダニエルの親子が重なって、一興。『野いちご』が幼年時代の記憶にひたって幕を閉じたのの裏返しのように、この作品は終わる。そこが救いのような、甘さのような。『野いちご』のイサクに対するほど厳しく裁いてはいない。それでも息子を愛していたのだ、そういう形でしか息子を愛せない父だったのだ、っていう了解があり、それを子どもも知ってやる。せがれに対する贖罪のシナリオなのか、弁明のシナリオなのか。うまくいってない夫婦の会話を書かせると、この人はいくらでも書けるのね、どんな人生を歩んできたのやら。父と子の間にいい感じが出るとバッハが流れ出す。とりわけ朝の湖の場が美しい。あいかわらず、時計への偏執。どうしたってイングマールの映画という印象だ。かつて『冬の光』が公開されたとき、併映で『ダニエル』という短編も公開された。このダニエルの幼年時代を撮ったホーム・ムービー。そこではモーツァルトが流れていた。そして「たえず人と触れ合おう」というようなことが語られた。孤独な父の道を歩むな、といういましめの映画でもあったのか。あの子がこう、お父さんのシナリオで映画を撮るまで大きくなったのか、と時の流れに素直に驚嘆させられる。
[映画館(字幕)] 7点(2010-08-04 10:23:27)
25.  2012(2009) 《ネタバレ》 
切り上げどきの判断が出来ない映画。前半はいいのよ。見世物に徹していて、映画が誕生した当時のDNAを受け継いでいるなあ、とワクワクしながら観てた。小説でも芝居でも絵画でも出来ない映画ならではの興奮。重大な災厄へ導いていく些細な兆候のあれこれ。危機一髪の脱出も似たパターンの繰り返しながら、やはり嬉しく眺めた。でもそれも中国到着まで。あそこで切り上げる話に設定してくれてれば、ヨシッ、と膝をたたいたんだけど、ズルズルあと退屈な1時間が続く。「日本沈没」の拡大版か、と思ってたら、あちらはどうしても、ノアの箱舟と大洪水を出さないとならないらしい。いらない教訓シーンまで付けてガックリきた。こういう映画は2時間半を越さないといけない、という決まりでもあるのか。コンパクトにまとめて上映の回転数増やしたほうが、映画館だって嬉しいだろうに。見応えの前半、崩壊していく世界をうっとり眺めながら、しかし人々の間にこういうリセット願望が深まってるってのは、あんまりいい傾向じゃないな、と思わされた。日々のゴチャゴチャしたあれこれに埋め尽くされている日常からの解放への誘惑。渋滞した道路や街が海に飲み込まれていく晴れ晴れしさ。複雑になりすぎていた社会が、単純な重力の法則にのみ従ってものみな沈降していく。我々はこういった光景にスッキリするまでに、身辺が窮屈になっているわけだ。そして自分=主人公は生き残る側にいて当然と思っている。これが深まると変な宗教にハマったりするまであと一歩。
[DVD(吹替)] 7点(2010-06-05 12:04:30)(良:2票)
26.  日本侠客伝
仁侠映画のハシリだが、もう型が出来かけている。ラストが仇役の家でなく作業場ってのがやや踏み外しているほかは、石松的馬鹿役の長門裕之がチョロチョロしたり、大木実と品川隆二の友情が敵味方になるってのは『昭和残侠伝』の原型のようであり、分かりながらも泣きこらえつつ錦之助を送り出す三田佳子とか、すでに安定した型を成している。悪役は「近代」であり政治家や軍に近く、善玉は滅びることを意識している。自分たちをも邪魔ものと認識して、そこにラストの悲壮味が倍加する。『次郎長三国志』ではワッショイワッショイと担ぐ次郎長という元気な親分がいたが、これからの仁侠映画になるとそこが空になる。そこにニヒリズムというかペシミズムが生じる。「最後の親分」は途中で病死するか、悪役に卑怯な形で殺されるかするのだ。しかし何だな、これらの運送業者たちはやがて企業に吸収されていくのは目に見えており、仁侠映画の底にあるのは、近代で切り捨てられたものに対する共感なんだな、あるいはその怨霊鎮めというか。
[映画館(邦画)] 6点(2010-03-03 12:07:30)
27.  日本解放戦線・三里塚
シリーズ2作目。小川の主要なモチーフの一つが見えてくる。三里塚で起こっていることで最も痛ましいのは、国家権力が直接農民に振るう暴力ではなく、農民同士の間で起こっている人間関係の崩壊だ、という視点。実際本作で印象に残るのは、ドラマチックな対決のシーンよりも、農民たちが“裏切り者”へのののしりを浴びせる場面の、その容赦のなさだろう。かつての農民仲間が公団職員となって測量にやってくる、反対派農民たちは彼を取り囲み「人間じゃない」などと罵声を浴びせ、カメラから顔を隠し地に伏せているその男に土を掛ける。これは観ていてなんともやり切れなくなるシーンなのだが、小川はそのやり切れなさこそを手応えのある怒りの対象としてつかまえる。“裏切り者”を農民と一緒になって糾弾するのではなく、同じ土地で働いていた者同士の関係を、修復することが不可能になってしまうまで壊してしまったものをこそ糾弾しようとする。小川の67年の作品『圧殺の森』で印象に残るのも、人々が分かれていくこと・別れていくことの酷薄さだった。学生闘争をしていた仲間が当局の切り崩しにあってしだいに脱落し、主要な残ったメンバーが、非協力的な態度をとる新聞部の学生を追いつめていくところなど、この三里塚のシーンと似た痛みのようなものが画面から感じられた。一緒に働いていたもの、一緒に戦っていたものが離れ、互いに非難し糾弾しあう残酷さ、小川はそれにことのほか敏感に反応する。そういう残酷を仕組み操作するものとしての権力を憎悪するのである。
[映画館(邦画)] 8点(2010-01-19 12:24:22)
28.  日本解放戦線・三里塚の夏
シリーズ第1作。測量を急ぐ公団側と農民・学生との攻防が描かれる。この映画で強く印象されるのは、人々の顔であり手であり、TVのニュースだと共感的であれ批判的であれ無個性の集団となってしまう反対派農民たちが、それぞれ一人の人間として存在していることへの、作者の賛美・驚嘆である。始まってすぐの両者の衝突のエピソード、この映画はその激しくぶつかっている場面ではなく、農民たちの作戦本部をまず捉える。無線機によっていちいち報告される現場の状況、それを私たちは拡げられた手書きの地図を頼りに聞かされ、現場を遠くから想像しなければならない。そしてカメラがしばしば注目するのは農民たちの「手」、膝をいじったりタバコを揉みほぐしたり、落ちつかなげに動いている手である。現場に出て石を投げている手でもなく、もちろん農機具を動かしている手でもない。そういった明確な役割にたどり着けないで所在なげに行き場を失っている手の印象がまずある。そういう手を持った人間がその人ただ一人だけ存在している、という当たり前の事実が驚きのように伝わってくる。映画は「顔」にも執着する。農民たちがしばしば繰り広げる仲間同士の会話、内容は正直言って硬直しすぎて非個性的なアジテーションまがいのことが多い。しかしカメラは顔をアップで捉える。同時録音でないので口と声は合わないのだけれど、そのことがかえって時間が蓄積しているような不思議な効果をあげ、いやおうなく言葉より顔への注意を高めていく。しゃべっている言葉よりしゃべっている人間が強く意識される。農業とは集団主義の世界で、私はついそういう閉じた村社会に否定的な気持ちを持ちがちなのだが、しかしそういう人間関係の中でしか農業という大仕掛けな作業は成り立ち得ないのかも知れず、だとすると都市の人間よりも個人が個人である場面には敏感なのかも知れない。手と顔のこの映画は、それの輝きだけを捉えているわけではなく、手錠が掛けられる手のアップもフィルムに収められているし、機動隊員たちがカメラからそらし続ける顔のアップも、ねちっこく写している。個人が個人であり続けることの危うさも意識しているからこそ、人間の集団の中から立ち現われてくる個人の大きさに作者は心から感嘆できるのではないか。
[映画館(邦画)] 8点(2010-01-17 12:14:25)(良:1票)
29.  日本侠客伝 決斗神田祭り
鶴田浩二の殴り込みがも一つ説得力に欠ける。まあいちおう裁判という筋を通しておいて、さらに健さんに長ドスを持ってもらわなければならないという製作上の要請があるわけだけれども。時代の雰囲気はよく出ていた。滅んでいく火消しの運命と重ね合わせるようにして。新興の工場が見えていたり、一方では深川の遊郭を見せたり。ここらへんのしっとりした風物描写が、仁侠映画のけっこう大事な味わい。気のついたこと。「人生劇場」も3拍子だが、任侠道系の歌ってどうして3拍子になるんだろう? 日本の音楽は基本的に2拍子だ、ってなことを民俗音楽の人が言ってたけど、あるいは朝鮮半島から流れ込んできた系統なのか。任侠道って国粋じゃないのか? 任侠道じゃないけど、日本人好みの世界である「王将」も、堂々と3拍子だ。
[映画館(邦画)] 7点(2009-10-29 12:06:30)
30.  憎しみ 《ネタバレ》 
出来ることならこういう男とは一生関わりを持たずに生きたい、と思えるような頭のまったくない感情青年ユダヤ系、まだ小僧のおもかげを残すアラブ系、一応考えるアフリカ系。青春群像。前半拳銃が出たら、それは後半で必ず火を噴く、という定理が、これもどたんばで守られた。危ないほうでなく、最も危なくないと思われていた人物によって、ってところがミソ。とにかく全編なにか煮立ってる感じが満ちていて、おそらくそれと対照されるのが、のどかに現われる「牛」の幻影なのだろう。ヌンチャク振り回してたプッツン男をはじめ、反日常的なヤツばかりだけど、でもこういうヤツは確実にいるなということは感じる。屋上にたむろしてるのとか。ピリピリとした退屈の日々。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-19 11:55:53)
31.  女人哀愁 《ネタバレ》 
あたしは古い女だから、と言ってる主人公、でもレコード売り場で働くってのは、この時代そう古くさいわけでなく、モガの素質はあったわけだ。古い古いって言われてるから、ズルズルと古い見合い結婚してしまったようなところがあり(イトコが好きなんだけど近すぎてうまくいかない)、結婚なんてこういうものなんだ、と自分に言い聞かせ、成るように成ると流して冷たい夫と暮らした日々が、最後に爆発に至るってな話。あたしだってダンスぐらい踊れるわ、とイトコの妹と踊る場なんか、彼女の心の深層を見せハッとさせる。若い世代は平気でジャレあえ、もうそこまで無邪気になれないヒロインとイトコの二人と対照させる。大事に大事にこきつかう(襖のあけたて・弟の算数の宿題)夫と、金はないが愛はある妹の愛人がまた対照される。じっと耐えてきた入江が、ついに妹の愛人に加担することで自己主張する展開、どこか仁侠映画にも似た情動がある。ラストでビルの屋上にイトコと立ち、「ズルズルはいけないわ」ってなことを言う。成瀬映画の基本モチーフって「ズルズル」だと思ってる私としては面白かった。ズルズルはいけないと思いつつ、ズルズルしてしまう人生の味わいを描くことにかけて、天才的な監督だったと思っているもので。三浦光雄の撮影に逆光の美しさあり。
[映画館(邦画)] 6点(2009-06-18 12:03:37)
32.  ニクソン
この人の映画は締まりがいいほうではなく、ブワブワと始まるが、語っていくうちに熱を帯び、ゴチャゴチャしながらもある感動の時を迎える、ってのが多いけど、これもそうだった。『JFK』の時のように、言いたいことがあってそれに集中していくのではなく、なんとかニクソンという魅力的な人物を掴まえたいが掴まえ切れない、という悪戦苦闘ぶりが面白い。まず、ケネディコンプレックスがある。ほとんど『アマデウス』のサリエリのようで、ラスト、ケネディの肖像を見つつ「国民はケネディには理想のみを見、私には現実のみを見る」って言わせるのが一つの結論。理想の最たるものはリンカーンだったが、映画は南北戦争の死者とベトナム戦争の死者とを重ねて、彼にも皮肉な目を向けていた。そしてベトナム戦争は、ハト派のケネディによって始められタカ派のニクソンによって終わったという事実もあるわけだ。あるいは、成り上がって失墜していく『バリー・リンドン』的な悲劇として捉える見方。制御できぬ野獣のごときものとしての権力の不思議さを、遠くから眺めた映画でもある。時間をあちこちするシナリオだったけど、これなんか時代通りに順にやったほうが良かったのではないかな。
[映画館(字幕)] 7点(2009-06-16 12:02:01)
33.  NY検事局
シドニー・ルメットは、このころだってもう峠を越したと思われてたんだけど、見ればやっぱりいい。この人は“正義を通すことの困難さ”ってことをずっとテーマとしてきて、これもそのモチーフを軸に職業としての警官の生々しさを見せてくれた。張り込みの会話から突入へ、別にどうということもなさそうだった事件から警官汚職へと、話のすすめ方の手堅さが心地よい。内部調査の場の光と影の効果など、あれ? こういう画面も作る人だったか、と思った。生きた民主主義は、場合によっては法よりも個人個人の倫理的判断を優先する、ってとこが、アメリカなんだろうなあ。微妙に危ない面もあるけど。マンハッタンの夜景を生み出すタイトルが洒落てた。 
[映画館(字幕)] 7点(2009-03-09 09:06:13)
34.  偽大学生 《ネタバレ》 
誰が正義なのか、誰が弱者なのか、誰が被害者なのか、と簡単に割り切れない社会の根を物語の設定に据えるの、初期の大江健三郎はうまかったが、これなんかそう。偽大学生をひとり60年安保時の学生集団に据えることで、権力の対抗者だけではなかった彼らの、特権性・エリート意識・権力志向をえぐっていく。学生たちは、その闘争の目標とするものにどこかで安住しているところがあり、コンパで偽大学生のジェリー藤尾が「学歴なんて関係ないんだ」ってはしゃぐところが皮肉。で仲間に警察のスパイと疑われて監禁される。“進歩的文化人”教授の船越英二も印象深い。偽証による学生たちの保身のあたりが、見ていて一番チリチリと来るところで、正義づらした・弱者づらした加害者たち。集会でジェリーが許しを乞うあたり、若尾文子の発言をエヘラエヘラ流すあたり、現場検証の場で偽学生を見る視線など、見事。
[映画館(邦画)] 8点(2009-01-03 12:13:20)
35.  にっぽん泥棒物語 《ネタバレ》 
泥棒の話が映画で好まれたのは、それが声を出してはいけない状況を伴うからかもしれない。サイレント映画ではとりわけ好まれてたんじゃないか。で、この映画、泥棒が忍び込んでいくと、子どもがフトンからじっと見ているカットになる、お菓子でなだめて帰ろうとすると、もっと頂戴と泣き出す。サイレント映画にでもありそうなコント。でもやっぱり社会派監督だから、松川事件がからんできてコメディに徹してはくれないが、三国連太郎のトボケぶりと、伊藤雄之助検事のネチネチぶりが楽しく、そもそも裁判という厳めしい公の場で、こそ泥の話をしていくその対照が面白い。泥棒というのはなぜ滑稽なのだろう、コソコソしているからか。弁護士が千葉真一だった。室田日出男は当然泥棒の一味だろうと思っていたら、進歩的な新聞記者だった。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-17 12:10:43)
36.  日本誕生
なんか吉例顔見世興行って感じで、キャスティングだけでもうワクワクさせる。こういうオールスターキャストの華やかさってのも映画興行には大事な要素だったと思うんだけど、無くなってしまったなあ。かえってテレビの大河ドラマにその残滓を見ることができる。タジカラオに朝潮を持ってくるようなサプライズも大事。ヤオヨロズの神々に、金語楼、エノケン、のり平、加東大介、小林桂樹だぜ。アマテラスの原節子は貫禄。ヤマトタケルは三船で哀れさに欠けるが、まあこの時代の東宝なら彼だろう(5年ズレてたら加山雄三になった!?)。製作サイドとしては時代の復古調への媚びの意味合いも持たせていたかも知れないが、そういう政治臭は感じられなく仕上がっている。すぐ群舞がはいるのも東宝の味わい。ヤマタノオロチのあたりは完全に怪獣映画のノリで、音楽も伊福部昭だ。ラストの天変地異は、なかなかの迫力である。フィルムセンターで上映された124分の短縮版での鑑賞、ちょうどよい長さであった。
[映画館(邦画)] 6点(2008-11-02 12:14:09)
37.  日本の青春 《ネタバレ》 
『壁あつき部屋』や『人間の条件』ともつながる“軍隊の内なる暴力”のテーマを扱っていて、でも60年代後半という、剛直より軟弱へという時代の流れを感じさせるとこが、いま見ると面白い(映画で言えば任侠ものから寅さんへという時期)。武満徹の音楽もフォーク調。藤田まことが軟弱な人間の真率さを演じるが、やや哀感過剰気味、これが60年代末のトーンだ。元上官佐藤慶は、時代がどう移ろうともその時代時代をちゃんと生きているという自負があり、バーの一角での対決が、セリフ劇として見応えがあった。しかしそれがこの映画の限界でもあって、図式が整いすぎて、イメージが膨らむ余地が少ない。主人公が家に帰って終わるってのはどうかなあ。それが、家にしか帰るところがないという絶望や苦みでなく、まだ帰るところがあるというニュアンスでまとめられていた。それでいいのかなあ。奈良岡朋子がカワイイやつになってしまっていたけど、そのカワイさの束縛ってのもあるんじゃないか。
[映画館(邦画)] 7点(2008-10-09 12:14:21)
38.  日本沈没(1973)
1973年の日本人はみな濃かった。主人公が藤岡弘でしょ。熱演の小林桂樹。総理大臣があの丹波哲郎。老人島田正吾も枯れてるとは言えず、必要以上に重々しくしゃべる濃さ。ちょっと出るだけだけど、立ってるだけで濃い夏八木勲が、友情で藤岡弘を殴るからもっと濃くなる。いしだあゆみの化粧も濃い。これらの濃さに拮抗するだけ、世の中も濃かったんだなあ。東京地震に空襲の記憶を思い起こすことがかろうじてできた最後の時代だろう。「何もしない」という対策は、どこか玉砕の発想に通じている。戦争という最も濃密な時間の最後の残響をとどめる濃さだったのか。学生運動が急速に下火になっていったのもこのころだなあ。ところで、この映画で指摘された日本の地震対策の貧弱さは、けっきょく阪神でまったく生かされなかった。
[映画館(邦画)] 6点(2008-06-11 12:13:55)
39.  憎いあンちくしょう
マスコミの寵児北大作と裕次郎本人とがダブる仕掛け。虚像をはいだ本物の裕ちゃんはこうかもしれない、って感じをファンに抱かせる。スター映画もだんだん手が込んでくるのだ。ヒューマニズム・純粋愛と持ち上げようとするテレビディレクターに対し、売名行為と言われても車を飛ばすしかない裕次郎。ただ倦怠と愛の確認のために走ってるってのがいい。これはポンコツジープとジャガーの対比であり、ジミチとハデの対比でもあり、地方と東京の対比でもある。本来ハデの代表であるスターを、ハデにうんざりしてるという役に置くことでカッコよく映った時代、庶民の夢も屈折していたのだ。大阪の人混みのロケや、博多の祭りの賑わいなどの活力描写が生きてる。期せずして62年の日本の道路状況の記録にもなった。主要路もまだけっこうドロンコ道だったのね。道路はその後よくなったが、無医村状況は悪くなったのではないか。裕次郎が鼻歌でスーダラ節をやってたのも、まさに62年。
[映画館(邦画)] 6点(2008-05-27 12:18:59)
40.  日本列島
戦争中の日本の謀略機関が、そのままCIAの手に移って、いろいろ新たな謀略を企んでる、って松本清張史観の世界で、それの当否は私なんかには分からない。ある意味ではプロパガンダ映画だが、予想してたよりも面白かった。これが困る。こういう結論を先走る映画はいけない、と『謀殺下山事件』のレビューに書き込んだばかりなのだ。似たようなこと描いてて、どうしてあっちは悪くてこっちはいいのか、と問い詰められたら逃げられない。言い訳させてもらうと、なんかこっちには作者の言いたいことが沸騰してる勢いがあるんだな。平たく言えば、もっと日本人はしっかりしなくちゃ、ってアピール。映画にとってそれが作られて時代って要素は、けっこう大きいんじゃないか。二つの映画の印象の違いは、それが予定されていた観客の違いにあるみたいなのだ。本作では怒りを観客と共有できる確信があった、『下山事件』ではもう観客はただの見物人としての役割になってしまっていた、そんな違いが画面の緊張度にも出てしまうのではないか。
[映画館(邦画)] 6点(2008-03-14 12:23:26)
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