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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1246
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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21.  バトル・オブ・プエブラ 勇者たちの要塞 《ネタバレ》 
1862年の「プエブラの会戦」で、当時無敵のフランス軍を相手にメキシコ軍が勝った話である。単純に見ればメキシコ万歳の愛国映画だが、有名なCielito Lindoは誰も歌わない。残酷な場面があるので一応要注意である。 歴史的背景は調べるのが面倒くさいのでいいとして、この映画を見る上では中央大学のラテンアメリカ研究者によるweb上の記事『「シンコ・デ・マヨ」をめぐって』が参考になった。原題にあるCinco de Mayo(5月5日)がメキシコの記念日というより主にアメリカ各地で開催される祭典の日であること、リンカーンとの関係やこの映画自体の見方について簡潔にまとめてある。 疑問が残るのは、この5月5日に盛り上がるアメリカではなくメキシコで映画化された理由だが、これは全国的には重視されない出来事をメキシコ全体の立場から捉え直し、米国内で存在感を増すラティーノとも意識を共有した上で、今後のいい関係を作っていきたいとの期待の表れかと想像しておく(知らないが)。映画の結末ではメキシコがアメリカに恩を売る形になっていた。  感想としては、戦争映画としての盛り上がりはなくはないが全体の流れが感じにくく、またよくあることだが人物が誰だかわかりにくい(頭髪の多寡で区別できるのはいる)。戦場の場面でも、ソンブレロにポンチョのような格好は地元民として、下が赤色のゆったりした軍装はどこの兵隊かわからなかったが、これはアルジェリアから来たフランス外人部隊だったということか。終盤で脚をもがれた男は顔が判別しにくかったが、これは物語的にいえば中盤で、主人公の友人を馬で裂いて殺した男に復讐した形だったと思われる。 人間ドラマに関しては、主人公が脱走兵というのは意外感があるが、最後はやっと立派な兵士になれたという印象もあまりなく、愛国映画的な外観と整合が取れていたのか不明なようでもある。ただし悲惨な戦いを経験すれば人格が向上するわけでもなく、敵が残酷であるほど同レベルに落ちるだけ、あるいは死ぬだけということなら、愛国の建前は別として現実の反映になっているようではあった。 なお主人公男女に関する最後の締め方は少しよかった。主人公の「フアン」はメキシコの代表的な男の名前だそうで、この名前でメキシコ国民(男)全体を象徴させた形らしい。無名戦士ということでもないが、国のために命を落とした多くの人々の顕彰碑的な意味もある映画かと思った。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-09-16 10:03:25)
22.  花咲くころ 《ネタバレ》 
1992年のグルジアの話である。ソビエト連邦から独立した次の年だが、独立しただけで人々が幸せになるわけでもなく、内戦が起きたりして不穏な情勢が続いていたらしい。 季節は春から夏にかけてとのことで、領内で独立を求めていたアブハズ人、オセット人とグルジア国家との間で紛争が起きた時期に当たる。冒頭から民族意識を高揚させるラジオ放送が聞こえ、その後の字幕でも「スフミ」「アブハジア」「ツヒンヴァリ」といった紛争地の地名が出ていた。  劇中で見える現地は殺伐とした雰囲気で、国家と少数民族が戦う一方、近隣社会も家族もみな苛立って争っている。また権威主義とか男尊女卑といった社会の体質も問題視されており、略奪婚などというものに加え、嫁に行ってしまうと学校に行かない(やたらに外出しない?)風習も残っていたようで、義務教育は一体どうなっているのかと呆れる。 物語としては、結末がどうなったのか正直わからなかった。途中まではとにかく男が悪いと言いたいのかと思ったが、最後に主人公が父親のところを訪ねたのはどういう意味だったのか。結婚を無理強いされた親友が、実家の父親の方がまだましだという場面もあったが、主人公としても自分の家族を見直すために、まずは父親の実像を見極めようとする決心がついたということか。民族同士や人間同士が争う中では家庭が年少者を守れる場でなければならず、それによって/そのためにも、社会全体を穏やかな方向に変えていこうという意味と思えなくはない。 また武器に関しては、暴力の抑止のために持つのはやむを得ない状況があるにしても、殺すために使ってはならないという割り切り方だったかも知れない。冒頭のラジオでは国民が「武器を備えるべき」と言っていたが、いずれは誰もが武器を捨てる社会(少なくとも国内では)を作ろうとするのは当然のことである。  以下余談として、グルジア側の要請により日本政府は2015/4/22から英語由来のジョージアという名前でこの国を呼んでいるが、グルジア側としてロシア語由来の名前を嫌うのはわかるとして、何で現地語のサカルトヴェロでないのかと普通は思う。 これに関して最近思ったのは、あえて英語名にすることで西側に近い国だとアピールし、ナショナリズムよりもグローバル志向のイメージを出そうとしているのかと思った。この映画で見る限りはとても親近感を持てそうにない国だが、この時から30年も経って現地の状況も変わってきているものと思っておく。
[DVD(字幕)] 5点(2022-05-21 09:45:14)
23.  High Flash 引火点 《ネタバレ》 
映画紹介によれば「環境問題を深くえぐる社会派ミステリー」とのことで、そこに男女の人間関係をからめた構成になっている。場所は「熱帯魚」(1995)や「天空からの招待状」(2013)でも見えた西南部の海岸地方が中心になっている。  物語としてはミステリー調の展開だが、最後がありきたりな決着の付け方になっていたのは感心できない。ちなみに最初から胡散臭く見える奴は怪しいと思って間違いない。 環境問題に関しては前記「天空…」でも思ったことだが、日本人の感覚では20世紀的な印象のある公害問題と、どちらかというと21世紀的な環境活動団体が同時に存在するのは変な気もするが、それが現地事情の反映であれば仕方ない。あからさまな公害などは環境規制をちゃんとやってもらえば済むことである。 また社会的な面では、政財界を中心に今も存在する社会悪を告発しているようでもある。しかしエンドロールには台湾映画でよく見る「文化部 MINISTRY OF CULTURE」の名前が普通に出ており、また戦後日本の感覚だと権力側になる各地の市政府や警察局なども協力しているので、あまり尖った社会派映画という感じはしない。ちなみに解説によると現地の司法制度は国民にあまり信頼されていないとのことだが、マスコミはまだしも信用があるということらしかった。 登場人物については残念ながら誰にも共感できない。既にあっちの方へ行ってしまった感じの人物に、観客として惹かれるものが全くないのは困る。ラストは感動を誘う場面だろうが、自分としてはちゃんと前を見て運転しろと言いたくなった。なおむやみに残酷な殺され方をする人物がいたりするので、そういうのを好む観客には受けるかも知れない。検察官だけでなく新聞記者など、命知らずの人間ばかりで困ったものだと思わされた。 全体的に真面目な映画ではあるが通り一遍な印象で、正直それほど心に刺さるものはなかった。  ところで題名は意味不明だが、英語のHigh Flashとは引火点が高い、つまり引火しにくいという意味らしい。引火させるには温度を上げて点火する必要があるわけだが、社会も人もいわば引火点が高いので、人が死ぬくらいのことがなければ何も動かない、という皮肉だとすれば、確かにそれはそうだと思わせるものがある。またラストの空撮が冒頭と同じに見えたのは、それでも何も変わらないとすればそれでいいのか、という問いかけかも知れない。何にせよ民主主義だからこそ作れる映画ではある。
[インターネット(字幕)] 5点(2021-12-04 09:26:06)
24.  バトル・オブ・ヒーロー 《ネタバレ》 
1939年9月のドイツ軍のポーランド侵攻時に、自由都市ダンツィヒ(現在のグダニスク)で起きた「ヴェステルプラッテの戦い」を題材にした映画である。この戦いがポーランドでどう扱われてきたかは知らないが、当初は12時間しか保たないと思われていたのが7日間も健闘したことで賞賛されたということかも知れない。現地は第二次世界大戦の始まりを象徴する場所として、今も建物などが保存され記念碑も建っているらしい。 戦争映画としては、ポーランド陣地が散発的に攻撃される場面が続くだけで、大した盛り上がりもないので一般の期待には全く応えない。わずかに目立つのは序盤で、停泊中の戦艦が艦砲射撃したのと、街の方から水路を越えて急降下爆撃機が来襲した場面くらいのものである。なおこの場にいたドイツ戦艦「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」は1908年就役の前弩級艦で、当時すでにとんでもなく旧式なので浮き砲台の役目だけをしている。  登場人物としては、実在の人物であるヘンリク・スハルスキ少佐とフランチシェク・ドンブロフスキ大尉(劇中の「クバ」)のダブル主人公になっており、見る側の気分もこの2人の間で行ったり来たりさせられる。なお女性は出ない(写真だけ)。 当時の自由都市ダンツィヒは、名前の通りポーランド領ではなく住民もほとんどドイツ人だったようで(Westerplatteという地名自体がドイツ語だろうが)、そこにいたポーランド部隊には別に街の住民を守る使命はない(最初から敵方)。こんな場所に生命をかける意味があるかと正直思うが、国の尊厳を守るために抵抗してみせるという象徴的な意義はあったはずである。そのような条件のもとで、最初から引き際を探っている少佐と、徹底抗戦しかない大尉との対立を通じて、何のためにどこまで戦うのかを厳しく問う映画に思われた。 この戦いで攻撃側が多数の死者を出したのに対し、ポーランド側の死者はわずか14人だったとのことだが、その死者をたった14人と済ませていいのかは写真を燃やす場面で表現されている。一方で最後に国章の鷲を眺めてから歌っていたのはポーランド国歌だったが(現在と同じ)、国のためには死ねばいいのでなく、生きて命をつなぐことが将来にも役立つと諭す形になっていた。 さすがに現代の製作らしく単純な祖国バンザイ映画ではなかったが、単純に非戦を訴えて終わりでもないようで、当時や現代の人々の複雑な思いを詰め込んだ映画なのかと思われた。
[DVD(字幕)] 5点(2021-09-25 10:57:53)
25.  パンダ・コパンダ 雨ふりサーカスの巻 《ネタバレ》 
時間が短いので前作に続けて見た。新作なので新キャラを出さなくては済まないらしく、今回はサーカスを呼んで他の動物の出番も作ってある。ママ友同士でなめ合うのは悪くなかったが、自宅のネコとはやらない方が無難である。 ある程度の知能を持った(言葉を話す)生物をサーカスで使役するのでは、奴隷労働のような印象が出てしまうのでまずいことになる(というか家内労働のイメージか)。トラの子が人の言葉を解するのに母親が話さなかったのは、やはりケモノであるから檻に閉じ込めるのも自然と見せる都合があったからか。あるいは「魔女の宅急便」(1989)での魔女さんと黒ネコの関係のようなものかとも思ったが、それにしても前作の状況とは矛盾することになる。 そのように基本設定がいい加減な上に、いつまで経っても祖母が帰って来ないというのも限界があり、さすがにこの延長上でシリーズ化するのも厳しかったかも知れない。また今回はクライマックス部分が単純に笑っていられない状況で(大惨事の予感)、ラストにもそれほど意外性がなく、最後になんでみんなが盛り上がっているのかも納得できなかった。  なお今回目についたのは、家の周辺一帯を海のようにしてしまう非日常の演出であり、これは後の「千と千尋の神隠し」(2001)などの先駆けかとも思った。水の透明度が高く、水中から家と空を見上げる場面は当時としては斬新だったのではないか。手に持った食物に小魚がすかさず群がるなども後の映画で見たかも知れない。 また少し笑ったのは、子トラから来た手紙を「読んで読んで」とせがまれたがとても読めそうなものではなかったのを、パパが難なく読んでしまったことだった。確かに「助けて助けてトラ」くらいならわかるかも知れない。表意文字だ。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-05-01 08:50:39)
26.  パプリカ(2006) 《ネタバレ》 
パプリカといえば現時点ではNHKの「2020応援ソング」が有名かと思われる。映画の前に原作を読んだところ、帯に「ヤバい方のパプリカ」と書いてあったのは上記ソングがヤバくないという判断らしいが、しかしネット上で“可愛くない”とか“気持ち悪い”といわれていたのを見たことがあり、大して変わらないのではないかと思っている。 原作では、第一部は科学技術の開発に関わる現世的な話だったが、第二部に入ると時空間の制約を越えた奔放な展開になってアニメ向きの印象だった。映画では、登場人物を集約した上で第一部も踏まえ、派手でリアルに気色悪い現代風アニメを作っている。  原作のパプリカは、オタク気質の肥満の男も50がらみの大人のオジサマも惚れさせ、かつ惚れてくれる点で魅力的なキャラクターであり、かなり男に都合のいい女性像という感じだった。このアニメでは千葉敦子とパプリカが別人格という印象を強め、現実世界の千葉敦子はオタク(一応若い)に取れられてしまったが、オジサマ連中は夢の世界のパプリカちゃんに自分の夢を託す、という形で整理をつけたらしい。その過程で「夢」に関して、本来の精神活動としての夢→将来の希望としての夢→映画などによる架空世界の夢、という形で意味を発展させ、最終的には夢の世界を創ることの意義まで訴えていたように見えた。 またその「映画」というものに関して、原作でも短編長編のたとえ話までは出ていたが、このアニメではこれを膨らませて映画志望だったオジサマの物語を作っており、最終的に夢と現実を統合させていたのはなかなか感動的だった。原作も一応は問題解決だが物寂しさも残す終幕だったのに対し、このアニメは娯楽映画らしく通俗的だが文句なしのハッピーエンドになっている。ここは大変結構でした。 ただし問題なのはキャラクターデザインであって、千葉敦子/パプリカからしてあまり可愛気を感じないが、その他の人物もみな顔が気色悪いので親近感が湧きにくく、これが最初から映画の印象を悪くしていたと思われる。もう一つ、このアニメではパプリカが忙しすぎて、途中からオジサマがパプリカ抜きで勝手にトラウマ解消をやってしまったというのが不十分な活躍ぶりではあった。
[ブルーレイ(邦画)] 5点(2021-01-16 09:29:27)
27.  パラノイアック 《ネタバレ》 
「青鬼」「デスフォレスト」に続くフリーホラーゲーム第3弾とのことで、廃墟に侵入した若い連中が逃げ回って殺されていく展開になる。基本的には心霊系だろうが、「怪物」も出るのはもとのゲームに由来するものか。見る人が見れば怖いのかも知れないが、個人的にはやかましいだけのホラーだった。 特徴としては基本的にPOVであり、冒頭の自宅の場面からして劇中カメラで撮られている。また主人公グループ3人だけでなく、別のグループ3人(緑)が同様に逃げ回るのと並行する形で作ってある。ほかクラシックの著名な曲が使われており、映画の章立ても第一~第三楽章にしていたが、どういう効果を狙ったのかわからない。ホラー向けに作った曲ではないはずだ。 なお序盤で窓ガラス越しに怪しい人影が一瞬見えた場面があったが、その手の趣向はそこしか気づかなかった。  【以下個人的解釈】 題名のparanoiaとはどういうものか知らないが、少なくともこの映画では、要は強い妄想があるという意味らしい。廃墟で主人公が体験したことのほとんどが妄想だったと思えなくもないが、しかしビデオ撮りしているからには客観映像のはずだと解釈すれば、筋の通らないことは全て妄想のせいともいえない。死人が生き返ったりするのはゲームというものの性質上かも知れないが、まともな理由など考えても仕方ないという気もする(「ソラリスの陽のもとに」と関係あるかは不明、読んでない)。 それより主人公の主な妄想は、姉らしき人物(肩書付きのテロップが出ない)を「お母さん」だと思い込んでいたことのようで、これは叔母がクマを息子と思っていたのと同じということになる。その姉は、叔母がされていたのと同様の「経過観察」をしながら妹を世話してきたが、実は叔母と同じように破滅してしまえと願ったりしているのではないか。 本来この姉は問題ない人なのだろうが、上の階のピアノに怒るとかコップの縁をいちいち拭くのは神経質なようでもあり、また終盤で恨み言を劇団員風に述べるとか、凄惨な死体の傍らにあったカメラを冷静に拾うなどはもう変になっていたようでもある。最後の赤い空の場面でもなお妹を経過観察していたようだが、その光景をまた誰かが経過観察していたのかも知れない。  細かく考えようとすると面倒臭いホラーであり、結果として面白いともいえないが、それなりの企みはあったようなのであまり低い点にはしない。なお主演の小西キスという人(けっこう熱演)は、漢字であれば小西鱚と書けないこともないと今回思った。もう一つのグループの女子(奥田安沙)役は朝見心という人である(京都府出身とのこと)。
[DVD(邦画)] 5点(2021-01-09 13:52:52)
28.  裸足の季節 《ネタバレ》 
撮影地は黒海沿岸のイネボルİneboluという場所だそうで、山と海が近接する風光明媚な地方に見える。またこの映画の設定としては、同じ黒海沿岸でイスタンブールからさらに離れたトラブゾン(人口約15万)の近くだったらしい。ちなみにサッカーチームのトラブゾンスポルが、観客を女性と子どもに限定して試合をしたのは2014.4.27のことだそうである。  映画紹介では「古い慣習と封建的な思想」とか書いてあるので、どうせよくある社会批判の映画かと予想していたが、その割に序盤の海の場面を見ると、こんな風に女子と戯れるのは意外に自由度の高い社会ではないかと思った(男子としては羨ましい)。その後の若い連中の服装や行動など見ても、普通一般の自由世界とそれほど違うようでもなく、女性に対して社会全体が一様に抑圧的というよりは大都市と地方の違い、あるいは世代によるギャップがあるのではという気がした。 それにしてもこの映画に関していえば、特に叔父個人の問題という印象が強い。まだ義務教育の年齢だろうに学校にも行かせないのは間違っており、村の女子全員がサッカー観戦に行くのに姉妹が行けない理由もない。またこの叔父は、よくわからなかったが姉妹に性的虐待もしていたのか? 四女が「あんたのこと警察にバラしてやる」と言っていたが、バラせば本当に問題化するのならトルコ社会はまともだということだ。イスタンブールの教員が告発すれば無理に家に帰されなくて済む可能性もある。 そのようにいろいろ考えたが、結果的には社会がどうこういうよりも、まずはこの姉妹の心情に共感できるかが重要だったようでもある。個人的には特に共感できなかったので(年齢性別が違う)、単に中年独身スケベオヤジが少女を虐待する胸糞悪い映画になっていた。ちなみにモスクの尖塔はときどき見えていたが、イスラム教の厳格な戒律に縛られたようにも見えない世界だった。今後ともそういう面で適当な緩さのある社会であってもらえればいいのではと他国民ながら思っておく。  なお少し面白かったのは五女が、逃げるとすれば車に飛び乗って、普通はイスタンブールに行く、と言っていたところだった。首都アンカラでもなく、まずは大都会イスタンブールに憧れるのがトルコ人の感覚のようで、最後にバスがボスポラス海峡(多分)を渡るところの風景は感動的に見えた。美少女は寝ていても目糞がついたりしないらしい。 [2021/02/20追記] 字幕の「後ろでやる」の意味が不明瞭だったので最初は書かなかったが、無視できない気がして来たので一応書いておくと、まず新婚夫婦の最初の夜に大騒動が起きたのは、初婚時に性交渉の経験がないことを絶対視する風潮がいまだにあるという意味らしい。またそのような風潮があるために、「後ろでやる」のが独身男女の間で普通になっており、さらに「後ろでやる」ことが家庭内の性的暴力のハードルまで下げているとすれば、確かに独特で深刻な社会問題の告発になっている。 ほか個人的には、何となく地方(田舎)に対する蔑視感情が潜在している映画のようで軽く嫌悪を覚えた。大都会に行きさえすれば問題解決なのか。
[インターネット(字幕)] 5点(2020-08-22 08:42:15)
29.  韓半島 -HANBANDO- 《ネタバレ》 
題名は原題を漢字表記して発音をアルファベットで示しているが、日本語訳すると朝鮮半島である(字幕では「朝鮮半島」「日本海」と書いている)。 内容としては架空の政治劇で、映像に出ていた歴代大統領の肖像の最後が盧武鉉大統領だったことからすれば、公開時点より数年先の近未来ということになる。登場人物はほとんど男ばかりで若手女優は出ないので、彩りはないが重厚とはいえる。また100年前の宮廷を舞台にした時代劇的な部分があり、昔と現代の出来事をリンクさせて並行的に見せる場面も作ってある。軍事面では日本の海上自衛隊というのが出る(自衛艦旗が翻っている)が戦闘はない。時間が長いのが若干の難点である。  物語としては、戦前に敷設された京義線という鉄道路線(ソウル(旧称・京城)~新義州(現・北朝鮮))が朝鮮戦争後に分断されていたのを、南北融和政策のもとで再び連結しようとしていたところ、日本がいちゃもんをつけて邪魔したために、大統領が主導して障害を排除しようとする話である。ただし鉄道だけが問題なのではなく、明治時代の条約に使われた印章が偽物だったという発見をもとに、日本に統治された歴史自体を無効化しようという壮大な歴史改変ドラマになっている。どうも現実の経過は度外視で根底から全部覆そうとする国民であるらしい。 日本が嫌がらせのために大昔の条約を持ち出すとか、果ては武力に訴えるなど極めて荒唐無稽だが、DVDのスタッフインタビューを見ると、そんなことはありえないとわかっているがそこは映画なので、と開き直っていたのは笑った。どこの国でも娯楽映画に求められるものはあるということだ。  見てまず驚くのは劇中の日本の行動をアメリカが支持し、中国とロシアは不干渉(中国はかなり冷淡)のため、半島があからさまに孤立状態になっていたことである。日本はともかくアメリカまでが敵に回っているのを劇中大統領は大して気にしていなかったようだが、南北統一というのがこの映画の大きなテーマだったようであり、北と協力すれば怖いものはないという考え方だったのかも知れない。 また外敵である日本とは別に、真の敵は内部にいるという考え方も重要な要素になっている。劇中では、現実問題として日本とアメリカがいなければ生きていけないという認識のもとで、日本との対決を回避しようとする勢力が大統領の邪魔をしていたが、映画ではこれを歴史上の売国奴とされる「乙巳五賊」になぞらえており、その排除こそがこの映画の意図するところだったようでもある。 以上によれば、単なる反日娯楽映画にとどまらず、南北を統一して周辺大国の影響力を抑え、北東アジアに自主独立の地位を占めたいという夢を語る映画に思われた。  しかし最後のエピソードでは、大統領とその対立勢力である国務総理の意外な対決場面があり、このために最終的な映画の印象ががらりと変わったほか、正直ここでの国務総理の発言は感動的に思った。スタッフによれば、この映画には当時の「現実の政治が投影」されており、国内の政治的見解(いわゆる進歩派と保守派か)を公平に扱うため、あえてこの結末にしたとのことである。それまで荒唐無稽な歴史ファンタジーに見えていたのが、最終的には変に現実味のある話で終わったのは映画としてのまとまりが悪い気はするが、ここに至る底流は初めからあったともいえる。 公開当時の大統領の側近が2019年の現在では大統領になっており、この映画で描かれたことは今の状況にも重なっているように思われる。今後の半島情勢がどう展開するかは向こうの国民次第だが、とりあえずは日本国の民に幸あらんことを祈りたい。
[DVD(字幕)] 5点(2019-09-21 23:50:17)
30.  HALLOWEEN NIGHTMARE ハロウィン ナイトメア 《ネタバレ》 
「ハロウィン ナイトメア2」(2015)の方は前に見たが、この映画の主演が「かぐや姫の物語」(2013)の主演声優だったとのことでこれも見た。「かぐや姫」の方はあまり可愛げのないキャラクターだったが今回は当然顔出しで、自然体で活動的な編集者の役がなかなかいい印象である。ちなみに劇中の編集長には美少女の娘がいることが次作で明らかになる。  基本的な性質としては低予算ホラーだが、監督と脚本家が「口裂け女2」(2008)と同じのため一応期待が高まらなくもない。短い映画ながら主人公をオカルト雑誌の編集者という設定にして、10年前から続く不気味な事件の謎を解明していく形にしている。日本でハロウィンのホラーというのは無理やりだが一応の説明は付けてあり、変な外来種を持ち込んだために、国内で被害が拡大していく結果を生んだ関係者は罪深いと思わせる。 また不自然さ(制作側にとっての都合よさ)をそれほど感じさせない作りになっており、登場人物の微妙にユーモラスな掛け合いや皮肉な物言いが気の利いた印象を出している。最初の事件が小平市といった地味目の地名だったことや、職場でフォトショップが使える、フェイスブックも効果がある(ない)といった具体的な事物が劇中世界と現実との距離を縮めていた。それにしても登場人物が何で「甲府事件」(1975)なるもの(ストーリーと直接無関係)を重視していたのかはわからない。スタッフの中にこの手のマニアでもいたということか。 視覚的には黒い霧などは安っぽいが、全体的には絞った形でスリリングな場面を設定している。最後の12分間を視覚化するための場所選定も(多少無理はあったが)効果的で、エンディングにつながるところも心地いい。主人公はよく頑張ったと言ってやりたい。  なお雑談として、主人公の友人が真昼間に襲われた場所は千代田区とされていたが、撮影場所は川崎市の武蔵小杉(中原区小杉町)にあるカフェだったらしい。いかにもただの古い住宅を改装した作りで、同種のものが「ハロウィン ナイトメア2」でも使われていたが、近年こういうのが好まれるようになっているということか。現地は「シン・ゴジラ」(2016)にも出たタワーマンションが林立する地区に接しており、長期的な土地利用でもないだろうが、空き家のとりあえずの活用方法としてはよさそうな感じである。
[DVD(邦画)] 5点(2018-06-30 20:23:04)
31.  バンパイア・ラヴァーズ 《ネタバレ》 
題名の印象は全く違うが、1872年にアイルランド人作家が英語で書いた小説「カーミラ」(吸血鬼カーミラ)の映画化である。最初に出た古城の映像(絵)がいかにも安手で、続いて男が殺されたあたりで型どおりの定番ホラーかと落胆したが、その後は意外に原作に忠実にできている。舞台は一応原作通りオーストリアのスティリア(シュタイアーマルク)に設定されており、年代としては最初の古城が18世紀末、続く本体エピソードが19世紀前半ということになる。 全体構成としては、原作では登場人物の体験談だったものを映画では独立のエピソードとして起こし、時系列順に並べて見どころを作りながら盛り上げていく形になっている。終盤では、関係者が揃って古城に乗り込んでいくところでもう大丈夫、という安心感を生じさせず、屋敷での出来事を別に作って並行させることでスリリングな印象を出していた。ほかオッパイとか全裸の映像が無造作に出るがそれほど刺激的でもなく、かえってあっけらかんとした感じに見える。ちなみに男を誘惑するのは「カーミラ」の映画化としては反則と思われる。 なおカーミラ(カルミーラ)役の女優は右目の下にほくろがあるようだが、これをこの映画では原作に沿った形で生かす気がなかったらしい。古城にあった絵にもこれを描けばいいだけのことだが、なぜかしていないのはかえって意味不明である。  ところで登場人物に関して、劇中の「エマ」は原作の「ローラ」に相当する人物だろうが、原作では清楚なお嬢さんのイメージだったのに対し、映画ではそうでないとまでは言わないが若干のお転婆感が出ており(目玉も目立ちすぎ)、吸血鬼としてはその辺に惹かれたのだろうが自分としては必ずしも同調できなかった。原作では村娘の葬列が来た際、この人も一緒に歌うことで心優しい人物との印象を出していたが、映画では省略されていたようで残念だった。  題名のとおり映画では女子2人の恋愛感情をはっきり出す形になっているが、ラストでそれがどう表現されたのか自分としてはわからなかった。日本人的にはいわゆる成仏して終わったように受け取れるが、もう1人に継承されたというならちょっと洒落にならない結末であるからそういう解釈はなしにしてもらいたい。
[DVD(字幕)] 5点(2017-12-14 22:58:10)
32.  バイロケーション 《ネタバレ》 
原作も一応読んだが、映画化に当たってはかなり手際よくまとめたようで、映画だけでも全体像はわかる。前宣伝ではラストが衝撃的とされていたようだが、実際は最後だけがひっくり返るような構造ではなく、徐々に観客の思い込みが覆されて自然にラストにつながる展開に見えた。結末が「表」「裏」の2種類あるのも基本的には肯定できる。ただ背景事情の省略のために最後までわからないこともあり、また御手洗という男は映画ではほとんど不要な人物になっている。 題名の現象に関しては、この映画で二重人格の実体化のような意味づけをされているのは原作を超えた趣向である。しかしそれだと本来は本体に統合するよう努めるのが筋ということになり、劇中で共存が理想というようなことを言っていたのは明らかに変である。物語中の状況ではやむを得ない発想だとしても、「裏」の最後の独白など聞くともう外部の常識が通用しない閉鎖世界ができてしまったようで、かなり独りよがりな印象になっていた。こういう変なところに踏み込まないで止めていた原作の方はまともである。 映像的な面では全般的に好印象だが、人や物が霧消する表現は少々安っぽい(演出上の意味のある場面はあったが)。キャストに関しては、まずは滝藤賢一氏が原作でも描写された凄みのある表情を見せている。また主演女優はこれまで可愛気がない人だと思っていたが、今回は女性的なところが前面に出ていたようで、特に結婚後の様子は可愛らしくも見えたのが意外だった。この映画で最もいいと思ったのは実はこの点である。また酒井若菜という人も嫌いでない(けっこう好きだ)。  なお冒頭の外国の場面は、19世紀のリヴォニア(現在のラトヴィア共和国)で起きたとされる事件の再現映像のようなものかも知れないが、仮にこの手の現象が実在するとすればこれ以前のはるか昔からあったはずで、現象自体が19世紀から発生し始めたかのように台詞で説明していたのは変である…オカルトの世界で話題になったのが19世紀のヨーロッパから、というならわかる。 ちなみにここでしゃべっていたのは何語なのか。リヴォニアの寄宿学校の事件とすればフランス語かドイツ語を使っていた可能性があるのでは。
[DVD(邦画)] 5点(2017-06-30 19:48:23)
33.  バトル・オブ・リガ 《ネタバレ》 
第一次大戦中の1918年にラトビアが独立宣言して以降、外国勢力を排除して実質的な独立を勝ち取るまでの経過に関わる物語で、1919年11月の首都リガにおける攻防戦が中心である。劇中で記念日とされていた11月11日は現在も戦士を追慕する日とされているらしい。 この映画が言いたいのは、要は劇中の政治家(カールリス・ウルマニス、実在の人物)の発言にあったように“国家の存否を決するのは国民自身の意思だ”という考え方と思われる。これは国家の存在を当然の前提として反抗だけはしてみせる駄々っ子のような国民とは明らかに感覚が違っている。「国のためなら戦える」などという発言は日本ではまともに口に出せるものではないが、ラトビアのように国の枠組み自体を作るために苦闘した国では、本気でこれを大事だと思っているということである。  現実問題として当時の情勢はかなり複雑だったようだが、この映画では一定の整理を加えた上で現代の事情に合わせて脚色したものと想像される。 劇中では、もともと民族主義者で後に独裁者として知られるウルマニスをあえて公正で善良な指導者として中央に据え、その政敵でドイツ寄りのニエドラを政権内の懐疑派の扱いにして、その対極に、いわば国民全部を体現する存在として主人公を位置づけることで、ラトビア国民国家の縮図を作ってみせたように思われる。主人公が政府要人と友達づきあいなのは不自然だったが、そこはあえて作為を通したものと考えておく。 これに対してラトビア独立の敵はドイツとロシアだが、この映画ではドイツを主な敵役にする一方、ロシア人(白系のみ、赤軍は出ない)は下品な連中として笑い者にしただけに見える。そもそもリガはドイツ人が創建した都市であり、この時点でも結構な割合がドイツ人だったと思われるので、簡単にドイツ憎しで全市民が一致団結するわけでもなかっただろうが、現実にはその後、第二次大戦の終了とともにラトビアのドイツ人はほとんど退去してしまい、代わりに現代ではロシア人の比率が高くなっている(約3割)。そのような状況では、現在いないドイツ人を悪役にしておくのが簡単かも知れないが、しかし現地のロシア人にとっても見づらい映画ではあるかも知れない。その辺の現地事情はよくわからない。  ほか映画自体の内容としては、序盤は笑いを含んだ下町人情物のような雰囲気で、最後までこの調子かと思っていると後半は一転して深刻な話になるが、全体的にスケールが小さい印象があり、これがラトビア史上の重要な戦いだという感じはあまりない。しかし娯楽映画としてそれなりに楽しめるものになっており、また現在も存続しているラトビア国家の原点に関わる映画であるから、ラトビアに関心のある人々にはぜひ見ていただきたい。
[DVD(字幕)] 5点(2016-08-05 00:55:43)
34.  はなればなれに(2012) 《ネタバレ》 
2012年の東京国際映画祭などに出品されたのは86分版であり、ほかに今年は100分版というのが劇場公開された(されている)とのことだが、自分が見たのはDVD収録の86分版だけである。映画のほかにノベライズ本があり、読むと少し細かい背景事情や登場人物の心理も記されているが、この映画ではなかったものとして扱うしかない。ちなみに同じ邦題のフランス映画は見たことがない。  そのような前提で思いついたことを適当に書くと、まず主演女優に関しては完全に騙されたという印象があった。この人が出るからには、ほんわかして心癒される笑顔が見られるはずだと思っていたらそれはラストの一瞬だけで、実際は仏頂面が大半だったのは全く意外だったが、まあ当方が勝手に思い込んでいただけのことで怒っても仕方ない。小型で軽快なウシ科動物(通俗表現でいうカモシカのような)を思わせるスタイルの良さだが、劇中ではその運動能力を使い余したような怠惰な雰囲気を出していた。 個別の場面としては、まずは海の見える屋上の絵画的な美しさが目立つ。また3人で腰かけていた火山島の岩場海岸は箱庭的な印象があり、個人的には「春の祭典」第1部背景画を思わせるものもあったが、あるいは皆で銭湯に出かけたようにも見えた(水鉄砲で襲撃されたのはそういう意味だろう)。ダンスやテニスの場面では、一人ひとりの即興的な動きが大きく発展しまた収束していく様子が、人間の理性で仕切れない世界の偶発性とか刹那性の表現に思えなくもなかった。 全体構成に関していえば、ばらばらだった3人がたまたま一定時間だけ居場所を共有し、またそれぞれの動きに返っていったということだろうが、それで以前と何がどう変わったのかはわからない。吸殻入れを常備することにしたとかいう変化はあったようだが、そもそも世界の出来事など全てが偶発的で因果関係を確定できるものでないとすれば、細かく詮索しても仕方ない気がする。 以上、特に映画愛好者でもない一般人の感想としてはこの程度である。正直よくわからない映画だった。  なお映画と関係ない話だが、ノベライズ本にある子どもの写真のエピソードは、人間という存在への根源的な敬意の念を呼び起こすものになっていて感動的だった。これを映像化しても意味不明になりそうな気はするが。
[DVD(邦画)] 5点(2015-05-06 01:28:29)
35.  パセリ 《ネタバレ》 
情けない男が成仏できない霊につきまとわれる話である。いかにも低予算でTVドラマのような印象だが、少し笑わせて少し泣かせるストーリーにはなっている。 劇中のゆうれいはすらりとした長身で清潔感があり、ぎょろっとした大きな目で覗き込まれると怖いかもしれないが、甘ったれたような声は愛らしい。日記の中で主人公への思いが募っていく様子は少し心を打つものがあり、また終盤では拗ねたように笑ったり泣いたりの表情が変転するのが愛おしく思われる。 形式上の主人公はともかくとして実際このゆうれいが最大の見どころだが、ほか終盤では主人公の恋人が後の方で何気に場を盛り上げていたのがいい感じで、また途中から入って来たミュージシャンの男も変なキャラクターだが面白くないこともない。映画としてどうかということはあるだろうが個人的には嫌いでないお話だった。 ちなみに、ゆうれいが部屋に上がるときはちゃんと靴を脱いでいたようで、また部屋が暗ければ電気をつけるというのも固定観念にとらわれない態度で好印象だった。
[DVD(邦画)] 5点(2014-05-18 01:23:27)
36.  蜂女の実験室 《ネタバレ》 
蜂女といえば、わが国では「仮面ライダー」シリーズのキャラクターとして記憶されていてファンもまだ一定数いるだろうが(多分)、それよりこの映画に出たのが人類史上初の蜂女である(多分)。しかし映画としては前年の「蝿男の恐怖」(1958)の二番煎じ的な感じもあり、その後の「蛇女の脅怖」(1966)などと比べても地味ではある。 話としては、社長本人の美貌を売りにしてきた化粧品会社が、社長の容色の衰えとともに業績が落ちて来たため、変な研究者の推すローヤルゼリーのようなものを使って見た目の若返りを図ったが、そのせいで社長が蜂女になってしまって大変だ、というだけの映画である。蜂女の登場場面はそれほどショッキングでもなく、そもそも黒いのでよく見えない。 発想の原点になったローヤルゼリーというものは今もあるだろうが、この映画の直前の1958年にあった出来事で世界的に有名になったようで、後の1966年には日本のTV番組「ウルトラQ」第8話「甘い蜜の恐怖」でも元ネタとして使われていた。この映画ではミツバチではなくスズメバチを使ったのがまずかったことになっているので、通常のローヤルゼリーを悪者にしているわけではない。  登場人物では、美貌の社長は薬を使う前後で容姿にちゃんと差を出していたが、主演の人はこの時点で32歳くらいのようで、会社創業時の若い頃と劇中時点の中間あたりということになる。また電話口で社名を言うのが主な仕事の?爪とぎ女が、「フラットブッシュ区(ブルックリン区の一部)のオランダ系」と言われていたのはニュアンスがわからないが、17世紀にオランダ人がニューヨークに入植した際の移民の子孫ということではあったらしい。ほか個人的には主要人物の社長秘書が愛嬌のある顔でけっこう好きだ。なお劇中研究者が入院した病院の医師役は監督本人とのことで、けっこう見た目のいい男だったのは意外だった。 ちなみに映画自体に関係ないが、今回見たネット配信サービスの字幕には誤記が多い。「それならもっと強力なローヤルゼリーま?」といったあからさまなものは呆れるしかないが、「世紀の発見をお見せてきますよ」などという微妙なのもある。漢字の字体が変なのがまたいかにもという感じだが、文章自体はまともなので、日本人が作った字幕の映像をもとにしてテキスト化を外注したようでもある。世界企業なわけだが日本人が見てチェックする体制がないということか。
[インターネット(字幕)] 4点(2022-08-20 19:27:48)
37.  バニラボーイ トゥモロー・イズ・アナザー・デイ 《ネタバレ》 
近年、邦画のロケ地として栃木県がのしてきているようで、この映画でも最初から栃木県が前面に出ている。自分が気づいたところでは旧・喜連川町(現・さくら市)と宇都宮のオリオン通りが出ていたが、このまま最後まで栃木県では映像的に地味だろうと思っていたら後半は本物の沖縄に行ったようで、うるま市のゆるキャラ「うるうらら」が狙撃されて倒れたのは気の毒だった。 ストーリーとしてはただの高校生が世界の命運を左右するタイプの大それた話で、終盤などは一応スリリングな展開になっているが、そもそも主要キャスト3人をジャニーズJr.で固めた企画なのでたかが知れるところはある。NERV風の演出とか「宇宙人、未来人…」とか、微妙に既成アニメのパロディに見えるところもあるがだから何だという感じである。基本的にはコメディだが全編にわたって笑えるわけでもなく、寒いギャグが多い中で部分的に可笑しいところもあるという程度だが、個人的には「今日、恋をはじめます」とウィキペディアはツボだった。 なお少し感心したのは、NSAという略語の意味が2つあったということである。また1999年7月生まれの「恐怖の大王」が出て来るので、昭和年代から生きてきた者としては、もうこのネタをこういう風に使える時代になったのかと感慨深いものがあった。  ほか登場人物としては、男を見るためだけの映画かというとそうでもなく、マネージャー名目でついて来ていた女子2人(演・美山加恋、山崎萌香)も可愛く撮られているので、そこを目的にして見るのも変ではない。他の生徒役ではイケメンにデレデレしていた女子(演・北村優衣?)には笑った。またヒロイン役の竹富聖花(当時)さんはこの人に似合いのクールな美少女役だが、今回はアクションもあっての大活躍で、「女の子なのに!」のところはそうだそうだと言ってやりたくなる(反論は認めない)。この人にはどうか今後とも頑張ってもらいたい。
[DVD(邦画)] 4点(2018-05-06 19:58:22)
38.  her 世界でひとつの彼女 《ネタバレ》 
人が作ったプログラムからいったん本物の人間のように進化して、そこからさらに別の超越的存在になっていく、という段階を踏む発想は、ほかにあったか知らないが個人的にはユニークに思われる。ただしその本物の人間の段階では妙に性欲がらみのことが重視されていたようで、まるでエロがなければ人間の本質に迫れないとでも思っているようなのはあまり納得しない。人類の活動力の根源は性欲だとかいう前提なのかも知れないが、それならOSなどでなく普通に人工知能搭載のラブドールにしておけばいいだろうとしか思えない。 それでも前半はほのぼのした笑いもあって結構いい雰囲気だったが、後に行くほど醒めてしまって終わり方だけを気にする状態になっていく。全編を通じて何らかの人間ドラマが展開されていたようでいて、結局最後まで何が言いたいのかはわからなかった。人類が特定の個体に特別の関係を求めようとすること自体が間違っているという想定だったのなら、ほとんど破滅的な近未来像ということになる。 どうも自分としては乗れない感じの話だったが、しかし主人公が比較的親しみやすいキャラクターだったのは安心できた。また大学時代からの友人も感じのいい人物で、この二人の関係は(非常に微妙だが)これからも大切にした方がいい。  なお余談として、舞台は一応ロサンゼルスということになっていたが(街頭の路線図、元妻の台詞、小包の宛名)、なぜか特定のアジア系住民が目立つのが近未来の姿のようである。劇中ニュースによればインドは併合されるらしいので警戒が必要だ。そのほか素朴な疑問として、いわゆる膝かっくんというのは世界的に分布しているものだったのか??
[DVD(字幕)] 4点(2017-12-31 19:26:01)(良:1票)
39.  ハウルの動く城 《ネタバレ》 
最初に見たのはTVだったが、その時は何が何だかわからず単純に面白くなかった。その後は見直す気にならなかったが故あって改めて見たところ、大人になれない若い男と老婆のような若い女が影響し合って最後は幸せな家庭を築いた話に見えた。 男の方は世間の風など関係なくお花畑に身を置いて「人殺しどもめ」と戦争を蔑んでいればいいと思っていたが、具体的に守りたい相手ができたとたんに何人殺しても構わないほど舞い上がってしまい、これはまずいと女の方が抑えにかかって安定状態に至ったように見える。女の方はもう人生終わったかのように思っていたが、私だけの王子様のようなのが突然現れて、駄目な男だけど本当は優しい人だから何とかしてあげたいと思ったり、私のことをずっと待っていてくれたと感激したりしてやっと年齢なりの女子になったということか。それでも基本的に落ち着いた主婦向きの人物なので、男が恋人に母親を求めるような都合のいい話になっていたようである。 劇中で戦争が起こったのは二人を高次の人格に導くための契機ということだろうが、物語を動かすために起こした戦争など「バカげた戦争」というのは当然であり、物語の終了と同時に戦争が終わったのも変ではない。あるいは実際に、王室付きの魔法使いが生涯最高の弟子を表舞台に引っ張り出すためにわざと起こした戦争ということだったのかも知れない。まともに取れば多数の人命が失われたのだろうが、そもそも観念的な戦争のようでどれだけ人が死んだかなど気にしなくていい感じだった。 以上のような感じで大まかな説明はできなくもないが、それで面白いかというと大して面白くはなく、映像面でも風景や事物などに既視感のあるものが多い。宮崎アニメはいわば国民的アニメであるから一度は見なければと昔は思っていたが、別に見なくても問題ないと初めて思ったのがこれだった。 なお端正な美形女子が年を取ると鷲鼻になるのはなぜか不明だが、これならシータが年を取るとドーラになるというのもわかる。
[DVD(邦画)] 4点(2017-01-23 23:42:08)(良:3票)
40.  灰色の烏 《ネタバレ》 
赤い果実はまあいいとして、天狗は暗喩どころでなく下品である。またTVのぐさっ、ぐさっというのは趣向としては面白いが、ニュース番組の出演者としては不自然だ。ほか同じような動作をしつこく繰り返す場面が二つあったが、これは何らかのこだわりがあったものか(特に二回目は“執拗な抵抗”の表現?)。またDVDを見る限り、最初と最後に真っ暗な画面が何秒か続くのも考えがあってのことかも知れない。 物語の面では、冒頭から刺激的な映像を通じてかなりシビアな状況が提示されていたので問題点はわかったが、その後の展開と結末がわからない。主人公自身が変化したのはともかく、当初はとんでもない人格破綻者に見えた母親までが、最後はおとなしい要介護者のように変わっていたのは納得しかねるものがある。加えて現実世界での決着をどうつけたのかも不明であり、リーダーは失格、保護者から苦情が殺到してキャンプクラブは廃絶ということでは主人公も穏やかな気分ではいられないはずで、これは見ていてかなり気になった。 また中学生も、個別の行動としては理解不能なところが多かったが、これはまあ思春期の少女なのでそういうこともあるかも知れないと思えなくもない(思考放棄)。印刷屋の娘とその友人では外見的な印象に結構な差があったが(友人の方が明らかに女性的)、これは問題の所在をビジュアル面で表現したものと考えておく。 全体として年齢性別を選ぶ映画のようでもあり、理性的に見るより感性的に受け取れるものが多ければ勝ちということかも知れない。自分としては納得できるものがなかったが、映画の雰囲気としては悪くなく、何よりハッピーエンドだったのは安心した。まあ若年者の成長譚であってホラーではないので、最後は全員破滅して終わりなどということは当然ないわけだが。  なおキャスト面では、特にエビ中の人(アイドルグループ「私立恵比寿中学」のメンバー)の演技が心許ないところがあって一か所笑った。ただメイキングで本人が「演技力とかないんですけど…温かい目で見てください!」と言っていたのでこれはそのように対応したい。 ほか個別の場面としては“猫をかぶる”の説明のところが好きだ。この小学生2人は屈託がなくて大変結構だった。
[DVD(邦画)] 4点(2016-12-30 16:38:31)
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