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1.  二百萬人還る
第二次大戦後、祖国フランスへ帰還した人々の悲喜交々を題材にしたオムニバス五話。  歓喜に沸く人々を映し出す晴れやかな実録映像に続き、各挿話は「5人の場合」を描き出すが、日常生活への回帰はそれぞれままならない。遺産問題、男女問題、旧敵国への憎悪。 錚々たる4監督がそれぞれの題材に見合った作風でユーモアとペーソスとサスペンスを醸し出している。  監督の個性もさることながら、ルイ・パージュと、ニコラ・エイエの陰影豊かな撮影がそれぞれの作品に一貫した哀感を滲ませていて素晴らしい。  第一話(エマの場合)でカーテンが引かれるラストショットの孤独な暗闇。  第二話(アントワーヌの場合)で暗い廊下に幻想的に浮かび上がる、女性士官の白いドレス姿。  第三話(ジャンの場合)の薄暗いアパート室内での息詰まるような葛藤の劇は、まさにクルーゾーの真骨頂といった感じ。  そして第四話(ルネの場合)、第五話(ルイの場合)のジャン・ドレヴィル篇の幸福感あふれるエンディングは実に素敵だ。  田園のロケーションの見事さ(ドイツの娘が身を投げる池の厳かな風情と波紋)と、可愛らしい子供達や魅力的な動物たちの配置(馬、アヒル、喜ぶ犬、)。適切な移動ショットと、間接的な視線、感動的な水音の演出で映画のラストを粋に飾っている。 
[ビデオ(字幕)] 10点(2011-08-18 23:12:18)
2.  海の沈黙
居間の暖炉で小さく揺れる炎、ルームランプの落ち着いた灯りが人物の表情を厳粛に浮かび上がらせ、画面に重厚感を与える。光と影のコントラストが極めて印象深い端正な屋内撮影と、パリ市内や農村地区の風光を瑞々しく捉えた屋外撮影の対比が素晴らしい(撮影アンリ・ドカエ)。視覚のみならず、モノローグや時計音やピアノを効果的に活かし静寂と緊張感を最後まで持続させる至芸といい、三者を演じるキャストの存在感といい、感嘆すべきメルヴィルの長編第一作。三人が集う最後の夜。姪はようやく編みあがったスカーフを肩から掛けている。そこに刺繍された図柄(お互いに差し伸べあう二つの手)が彼女の内なる思いを雄弁に語っている。独仏融和の絶望を語るドイツ軍将校に対し、始めて視線を送る姪。その彼女を真正面から捉える、最も機能的で純粋なクロースアップの美しさ。慈愛と悲しみの交じり合うような深い眼差しが胸を打つ。ラストショットのシルエットの静謐さも味わい深い。
[映画館(字幕)] 10点(2010-03-24 21:25:17)
3.  市民ケーン
当時の慣習的な映画話法を尊重しつつ、同時に技法的革新性を模索するパイオニア精神の発露こそ、この映画が時代を超えて支持される所以だろう。音響・撮影・美術・編集・俳優・脚本、諸々のパートが織り成す複雑精妙な知的魅力によって観るたびに新たな発見を与えられ、飽きることがない。  ケーンのポジティブな前半生は順光を基本とした照明、スキャンダル発覚から後半の晩年期および現在期は逆光と陰影を多く取り入れた表現主義的照明で対比させる画面設計。 構図をガラス玉等の小道具やアングル選択、カメラ移動で不安定に歪ませる特異で大胆な感覚。「拍手」のショットを挟んだ場面転換によって多重の意味を付与する秀逸な編集。終盤での、複数の鏡面とそこへの虚像の反映を用いた主題提示の鮮やかさ。幻想的なタッチが強調されたザナドゥの重厚な美術と音響設計(エコー)。複数の役者たちによって矢継ぎ早に交わされる台詞の応酬のスピード感と活劇性。朝食の場面にみられる見事な時間省略法。  語りきれないほど充実したこれらの要素をさらにドラマ的効果として高めたのが、撮影監督G・トーランドの貢献だろう。被写界深度の浅い画面が主流の当時、ストーリーに寄りかかる映画が大半である中、ルノワールら一部の監督が用いていたディープ・フォーカスと長廻しを基本とする撮影をドラマとより密接に連関させることでウェルズは自らのルーツといえる舞台的自由空間を提示する。これによって画面の奥行きを引き出しつつ、手前と奥で同時並行するドラマ対比によって物語の奥行きをも醸成している(母親と、窓外で遊ぶ少年時代のケーン等)。  舞台的演出と映画的演出。それぞれの優位を同時に尊重し、融合させ、発展させているのがこの映画のなによりの美質だ。
[ビデオ(字幕)] 10点(2009-10-10 21:23:38)
4.  
現地ロケによる地道な長期取材に基づき、自然と人間を描出していくセミ・ドキュメンタリーの手法は、明らかに35年日本公開の『アラン』(ロバート・フラハティ)からくるものだ。 またニュース映画全盛時代の、いわゆる写実的表現を尊重する時流の反映でもあるに違いない。 ただしフラハティの撮った過酷な辺境とは違い、日本の風土ならではの四季折々の豊かな風物が、軟調のローキー画面とフェード・イン、アウト、オーヴァーラップといった緩やかな画面転換を主とする日本的な時間表現の中で抒情詩的な味わいも醸している。  特に感動的な子馬の出産場面は優しいローキー画面の賜物といえる。 その柔らかな黒は迫真性の追及であり、夜間の静けさと緊張感、喜び、厳粛さの表現であり、主役たる馬への誠実な配慮でもある。  また、スタッフの写実性追及の姿勢は劇伴音楽の抑制という面にも現れている。 父親が病に倒れる秋は木枯らしの風音、馬が病臥する冬は吹雪の轟音、子馬の生まれる春はわらべうたの歌声、子馬と別れる夏はひぐらしの鳴声や夏祭りのお囃子、そして全編にわたり印象的な方言の響きといった具合に、あくまで環境音の採り入れ方の妙味によって「自然」と「ドラマ」両者を相乗的に引き立てており、秀逸だ。
[映画館(邦画)] 10点(2009-02-17 23:12:27)
5.  
舞台となる温泉宿の二階4部屋を縦構図で捉えた画面の深度が驚き。しかもそれが雑然とすることもなく各部屋の主要登場人物たちの所作をそれぞれ明瞭に映し出す。約1時間強の内に複数組の宿泊客を巧く絡ませ、其々のキャラクターを的確に描出してしまう手腕はまさに驚異。冒頭でのギャグ三段返しの巧さ。温泉宿屋内ショットの内にも戸外の景観を奥行きに取り入れ風通しの良さを常に感じさせる構図取りの妙。開放的な屋外撮影に映える少年の白シャツの眩しさと爽やかさ。一本橋や登り階段でのおおらかなサスペンス。説明字幕代わりに、少年の微笑ましい日記や女性の手紙をさりげなく活用する粋なセンス。どれもこれも素晴らしい。川原で田中絹代が泣く場面があるが、ここには涙や泣き顔といったそれらしき心理的演技がまるでない。それでいて小道具(洗濯物)と小川だけでもって切ない情感を醸してしまう不思議。これは何なのだろう。
[DVD(邦画)] 10点(2008-08-19 22:49:41)
6.  南部の人 《ネタバレ》 
ザカリー・スコットとベティ・フィールドの夫婦が玄関先のポーチに二人並んで腰を下ろして語り合うシーンが幾度もある。 空の星を、あるいは家の前の川をみつめながら。 暖炉の炎をみつめながら顔を寄せ合う家族のショットなどと共に、アメリカ映画的な情緒が溢れている。  雨が降り出す中、意固地な祖母はポーチの揺り椅子に座ったまま、屋内には入ろうとしない。 画面手前の屋内でテーブルを囲む夫婦と姉弟、そして画面奥で雨に濡れている祖母というルノワール的な縦構図のショットは、 そのうちに祖母が家族の輪に加わるだろうことを示す。  寄り添ったり、殴り合ったり、身体の触れ合いが充実した作品だが、それは人同士だけに限らない。  雨に濡れる、川に浸かって魚を獲る、土地を耕す、綿花を摘む、大地に突っ伏して嗚咽するなど、自然とのスキンシップも同等である。 河に流された牛を助けようと苦闘するクライマックスは、過酷さと共に『素晴らしき放浪者』的な大らかさも同居している。
[DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2016-12-23 23:55:37)
7.  裏切りの街角(1949) 《ネタバレ》 
しかるべき見所の数々はまぶぜ氏が以下に具体的に一通り挙げられているのだが、 とりわけ特徴的なのはやはり縦構図の効果的な取り方だろうか。 バーの長いカウンターが形づくる鋭角的なラインや、現金輸送車の出入りスペースと手前の控室との組み合わせ、駅の売店越しに佇むイヴォンヌ・ ダ・カーロなど、深い奥行きを構成して人物の相関を示し、ドラマに緊張をもたらしている。 単なるエキストラに見えた一通行人が、ふと違和感のある動きをする。後にその人物が意味あるキャラクターとして登場してくるという巧さ。 病院のベッドに固定され、身動き出来ないバート・ランカスターが鏡を使って死角である病院廊下を覗く。 そこに映った、ソファに座っている男。その距離感、鏡面の歪みが生みだすサスペンス感が堪らない。  ドラマ上の必然からレイアウトされた厳密な構図の数々に魅入る。
[DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2016-12-11 23:47:22)
8.  ボディ・アンド・ソウル
オープニングの、屋外練習用リングの俯瞰から 窓際のベッドで魘されるジョン・ガーフィールドへと移るショットの暗く不穏な情緒が 秀逸で、映画後半に時制が戻る際に反復される同一構図のショットでは そこに至るドラマの蓄積も相まって悪夢的イメージがさらに増幅されて印象深い。  リングサイド下からあおり気味に捉えられた実録風のファイトシーンの迫真と、 裏切りを知ったガーフィールドの狂気を帯びた表情が緊張に満ちた見事なモンタージュを象る。 負のスパイラルの中で主人公が葛藤するドラマのラスト、 観客を掻き分けながら駆け寄るヒロインの姿と、二人の後ろ姿のシルエットに 見る者も救われる。  助監督にはアルドリッチ。納得感がある。
[DVD(字幕)] 9点(2013-09-16 07:18:49)
9.  イースター・パレード
ステッキを華麗に操るフレッド・アステアのスローモーションの素晴らしさ。  続いてそれを舞台袖で見つめるジュディ・ガーランドのショットが挿入されることで、 そのスローモーションは彼女の見た目のショットであった事に観客は気づかされる。  そこで単に妙技と躍動を披露する映像だったものは、 彼女の思い入れを伴った情景へと昇華する。  それは終盤のアステアとアン・ミラーのダンスも同様だ。  二人のダンスをテーブル席から一人見詰めるガーランドの姿が二度挿入されることによって、 その優美なダンスはそれ以上のものとして彼女の視線に倣った感情をもかきたてる。  映画の中でガーランドのダンスシーンは決して多くはないものの、 ダンスを見つめる視線という卓抜の仕掛けによって、 彼女は映画の感情を担うヒロイン足り得ている。  通行人を振り返らせようとする彼女のヒョットコ顔が楽しく、 ドア越しに拗ねる彼女の仕草がいじらしい。  暖炉わきのピアノを弾き、歌いながら愛情を確認するアステアとガーランド。  二人の視線のドラマと、彼らに緩やかに寄り添いながら背景の暖炉の炎を二人に 一体化させていくカメラワーク、彼女の纏う淡いピンクのドレスの色彩、 そして「It Only Happens When I Dance With You」 が集約され、 絶品のラブシーンだ。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2012-06-13 23:46:49)
10.  猿人ジョー・ヤング 《ネタバレ》 
先の悲劇的な『キングコング』に比べて、人間性に対する信頼が強まっている感が強いのは、ジョン・フォードも製作に名を連ねている関係か。  飼い主であるヒロイン(テリー・ヤング)は勿論、その恋人となるベン・ジョンソン、興行主(ロバート・アームストロング)らも協力して、主人公のゴリラ:ジョーをアフリカへと帰すべく一致団結して手助けする姿が感動的だ。  テリー・ヤングの可憐さ、ロバート・アームストロングのユーモアも利いており、 ジョーの仕草の愛嬌と共に作品にヒューマ二スティックで爽やかな後味を与えている。  オブライエン&ハリーハウゼンの特撮と、人間や馬やライオンのライブアクションとの絶妙なシンクロが素晴らしいのは云うまでもなく、後半の逃走劇のアイデアとサスペンス、そして赤い着色フィルムによる孤児院の大火災のスペクタクルもまた圧巻だ。  ラストのフィルムレターも幸せ一杯、ほのぼのとした大団円になっている。 
[DVD(字幕)] 9点(2012-06-03 23:59:50)
11.  ジョニー・ベリンダ
ヒロイン、ジェーン・ワイマンの出のショットとなる納屋のシーン。  雌牛の出産を手懸けるリュー・エアーズの指示で娘が灯りを高くかざすと、その彼女のクロースアップが暗闇から美しく浮かび上がる。 他にも、彼女自身の出産シーンやチャールズ・ビックフォードの葬儀シーンにおけるランプシェードなど、「闇から光へ」の宗教的主題を表すライティングの数々が素晴らしい。  舞台は冒頭の解説で示されるとおり東海岸だが、どうやらロケは西海岸らしい。 テッド・マッコードのキャメラは海沿いの風景を瑞々しく切り取り、嵐の前触れの不穏な感覚なども生々しく捉えている。 複数の人物を的確に配置した屋内のフレーミングもいい。  そして、叔母役:アグネス・ムーアヘッド、ステラ役:ジャン・スターリング、父親役:チャールズ・ビックフォード、いずれも地味な所作の中に人柄を滲ませる芝居で素晴らしいが、やはりジェーン・ワイマンの純真無垢な佇まいと表情が傑出しており、独壇場といって良い。  『舞台恐怖症』での彼女も外面のイメージと合致した役柄でとてもよいが、聾唖の設定である本作の彼女は、視線と手話の柔和な動きとで見事に役を生きている。 冒頭で、生まれた子牛に頬を寄せる彼女の慈愛の所作は、我が子を守り抜く映画の最後まで一貫して美しい。  父親を追悼する彼女の祈りの手話がとりわけ感動的だ。 
[DVD(字幕)] 9点(2012-04-20 23:59:56)
12.  殺人者(1946)
車のフロントガラス越しに照らし出される夜の街道。同乗している男二人のシルエットが浮かび上がるファーストショットから、ノワールムード全開である。  その直後のシーンに登場するダイナーの長いカウンターや、広い鏡を配したバーの内装の立体的造型が画面を引き締めている。  侵入から逃走まで、クレーンをダイナミックに使った長廻しによる強盗シーンもまた、奥行き豊かな空間とアクションの流れを作り出している充実したワンショットだ。  同伴のヴァージニア・クリスティーンそっちのけで妖艶なエヴァ・ガードナーに目を奪われるバート・ランカスター。その三人の配置と、スリリングな視線劇の妙味。 そしてファム・ファタルを妖しく照らし出す照明術の冴え。  あるいは、対峙した保険調査員エドマンド・オブライエンの一瞬の隙を衝いて拳銃を蹴り払い、一気に形勢逆転するジャック・ランバートの敏捷な動き。その緩から急への反射的アクションを捉えたワンショットの充実度。  さらには、クライマックスの感情を形づくるアルバート・デッカー邸内部の光と闇の拮抗。  スティーブ・マーティンの『四つ数えろ』でも多くのシーンが引用されているように、全編が見所といっていい。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2011-11-22 22:33:44)
13.  ルネ・クレールの明日を知った男 《ネタバレ》 
意欲と技巧の先走った感もあるトーキー初期に比べ、40年代ハリウッド期(第3作)の「音」使いは控えめながら要所要所で対位的な面白味を加味して物語を引き立てる。  窓ガラス越しのショットによって、オペラハウス会場の歌声と拍手をロビー側の強盗シーンの騒乱に被せる。または、楽屋裏でのアクションに表舞台の楽曲をオフで被せてシンクロさせるといった部分だが、それら技巧の突出を控える分、魅力的なキャラクター達の造形と話術に力を注いで荒唐無稽な脚本をファンタジックに昇華している。  川に飛び込んだリンダ・ダーネルが、ディック・パウエルのダブダブのスーツを着て自室に帰るシーンあたりから、少々無愛想だった彼女が俄然魅力を放つ。  クライマックスのアクションも空間的な広がりとタイムリミットが活かされ大いに盛り上がる。  そしてラストの雨宿りの幸福感溢れるツーショットはまさにクレール印だ。 冒頭と釣り合う形で、50年後(金婚式)の二人のロングショットにカットバックしたかと思うと、いま一度若き二人の仲睦まじい笑顔に戻る。その魅力的な二人の表情がとても愛しい。  主人公を諭すジョン・フィリバーの柔和な佇まいも素晴らしい。     
[ビデオ(字幕)] 9点(2011-08-06 20:42:18)
14.  犯人は21番に住む
雨に濡れた暗い路地。バーを出た男を尾行していく犯人の主観ショットの緊迫感から一気に映画に引き込まれる。  50年代に一気に名声を高めるクルーゾー監督の優れたサスペンス演出は、戦中の処女作(コンティナンタル製)から随所で光る。特に冒頭の刺殺シーンを始め、幾度か登場する殺人場面はいずれも見事。(『悪魔のような女』的な浴槽殺人も登場)  大写しとなるシルエットの用法や「3」の記号の活用などは、ラングからの影響もあるのだろうか。 一方で、ピエール・フレネーとお転婆ぶりが可愛いシュジー・ドゥレールの掛け合いや、手品師とのスリ合戦など、楽しい見所も充実している。 「ミモザ館」住人達のキャラクターもそれぞれ個性的だ。  ナイフ、マッチ、ステッキといった小道具の扱いも各所でアクセントとなっており、特にラストショットでピエール・フレネーがマッチを擦る粋な仕草は鮮やかに映画を締めくくっている。
[ビデオ(字幕)] 9点(2011-08-06 19:34:52)
15.  緋色の街/スカーレット・ストリート
ルノワールの『牝犬』と比較して、終盤の裁判シーンに拘りを感じさせる点が『M』や『激怒』のフリッツ・ラングらしい。  トーキー初期の『牝犬』の音響設計も傑出しているが、限定的なセットから最大限の効果を引き出していくラングの画面構成力と音響効果の見事さも決してそれに劣らない。  見晴らしの悪いジョーン・ベネットの部屋の仕切り構造によって、ドアの呼び鈴が鳴るたびに、観客は彼女と共にサスペンスを共有することとなる。  エドワード・G・ロビンソンが勤務するガラス張りの会計ブースは様々な俯瞰アングルによって視線を受け、また彼の自宅においても威圧的に配置された肖像画によって彼は常に睥睨され、心理的に抑圧される。  豊かな劇空間の達成は、手狭なセットを逆手に取り、逆に不可視の空間を活かした奥行きの創出と、豊かな音響効果の数々(レコードの音飛びやベネットの台詞のリフレインなど)、表現主義的照明術(窓辺から差し込むネオンサインの明滅が暗いアパート室内で怯えるロビンソンを照らし出す神経症的な陰影術。)、そして観客の想像力への信頼あってこそのものだ。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-07-02 19:24:58)
16.  過去を逃れて
特に夜間場面におけるモノクローム撮影術の見事さは、『キャット・ピープル』のジャック・ターナー&ニコラス・ムスルカのコンビならではのもの。人物のシルエット、シェードランプやカーテンの揺れが十分に使いこなされ官能的ムードに満ちた屋内撮影はノワール様式の充実ぶりを示す。一方で、黒塗り車の光沢が醸しだす夜の街路の妖しさやアカプルコ~タホ湖近辺の自然景観など、屋外ロケの充実も作品世界をより豊かにしている。ロバート・ミッチャムの一貫して動じない物腰とポーカーフェイスの魅力、ジェーン・グリアのミステリアスな美貌。さらに不敵なカーク・ダグラスも絡んだ駆引きのサスペンスと展開の圧倒的スピード感によって、最後までドラマの緊張が途切れない。さらに注目すべきは、夜の山小屋でのスピーディな殴り合いの迫力。作中ほぼ唯一の身体アクションの場面だが、これほどのスピード感に満ちた拳闘アクションはなかなか見られない。
[DVD(字幕)] 9点(2009-04-11 23:00:08)
17.  拳銃魔(1949)
走るキャデラックの後部座席に据え置かれたカメラがフロントガラス越しに進行方向の市街路と前席の主役二人の対話を捉える。路肩に駐車すると、運転席の男は右手の建物に素知らぬ風に入っていく。奥の角から警官が現れ、助手席の女は慌てて車を降り世間話で彼の気を引く。突然、男がドアから飛び出し、女は素早く警官を一撃する。警報が鳴る中、車を急発進させ逃走する二人、、。屋外の一ショットで銀行強盗の一部始終を捉えきった長廻しショットが実に圧巻である。人工照明のない即興風の画面感覚と、同時録音の臨場感によって描写はひたすら生々しい。長廻しによる静的な空間が警報によって一変し、主役二者の機敏な連携アクションが突発的に起動する。カメラは定位置のまま二人の主観に同調するようにフロントの光景が荒々しく流れすぎていく、その緩急の感覚と迫真性が素晴らしい。この後に展開する逃避行の場面はいずれもそのラフな疾走感がただならない迫力を生んでいる。広角クロースアップでひずんだ不安定な構図が合間合間に短く差し挟まれ、二人の顔面を狭いフレームの中に押し込める形の画面処理がまさに追い詰められていく二人の息詰まる閉塞状況を的確に印象づけていく。冒頭の過剰な雨と、それに対応するラストの過剰な朝靄の視覚的インパクト、一旦は別方向に別れた二人が車をターンさせ一台に乗り込むシーンの自然光線の鮮烈さと二人の表情なども忘れがたい。
[DVD(字幕)] 9点(2009-04-09 22:23:15)
18.  婦系図(1942)
石灯籠が並ぶ月夜の湯島天神境内の風情が麗しい。夜霧の漂う中、軟らかなライティングで梅の花の白が美しく滲んでいる。ここで主税(長谷川一夫)がお蔦(山田五十鈴)に別れ話を切り出すのだが、梅の木の幹に沿った上昇~下降~寄りの滑らかなクレーン撮影が醸しだす情感が二人の芝居とシンクロし、絶品である。これと同じ移動撮影が第二部後半同じセットで反復されるが、全く同様のカメラワークが今度は逆に舞い散る枯葉と寒々しい風音といった差異を際立たせ、彼女の孤独をより強調する効果をあげている。また美術的見どころとして第一部クライマックスである新橋駅の場面も素晴らしい。駅全景から改札そしてホームの人込みまでを延々と横移動で捉えた美術セットのスケール感、エキストラの規模は実景ロケと見紛うほどであり、別れの場面を細かいモンタージュを駆使して最高潮に盛り上げる演出も圧巻である。映画版の独創であるラストも優れた照明技術によって情緒に満ちた名場面だ。
[映画館(邦画)] 9点(2009-04-05 23:04:36)
19.  鉄腕ジム
J・フォードと共に、いわゆる「男性派」監督として並び称されるラオール・ウォルシュもやはりアイルランド系。この映画での初期ボクシング、家族愛、喧嘩、お祭り騒ぎ、仲間同志の連帯感といった要素はいずれも映画では馴染み深い典型的アイリッシュのアイデンティティである。これらのモチーフは一見、固有の民族像を描出しながらも、その人間関係の奥底から醸される叙情性は幅広い普遍性を獲得している。会う度に反目し、喧嘩してしまうエロール・フリンとアレクシス・スミスだが、最後には二人の恋愛が成就するであろうことを誰も疑わないだろう。ライバルとなるチャンピオンとの挑発合戦も同様、最後には胸の熱くなる和解の場面が用意され、原題である『紳士ジム』のキャラクターに深みを与えている。(二者を重層化する大鏡の演出が秀逸。)アイリッシュ的要素の数々は同時に映画的活劇性にも満ちており、特に港の桟橋を舞台とした拳闘試合の喧騒が大いに映画を盛り上げていている。
[DVD(字幕)] 9点(2009-02-01 20:28:58)
20.  最後の切り札(1942)
ジャン・ルノワールとの深い親交で有名なジャック・ベッケル。そのジャンルにとらわれない多彩さ、熱烈なアメリカ映画志向といった二人の共通項を改めて再確認させる傑出した処女作。南米が舞台のためか日中の場面は明るい日差しの印象が強烈で、同じ犯罪ものながら後の同監督作『現金に手を出すな』(1954)とは趣きが大きく異なっている。それでも、一般にフランス製フィルム・ノワールとして有名な『現金に~』の10年以上前にその萌芽とも取れる夜間ロケによるカーチェイスやトンネルの暗闇での銃撃戦を登場させているのが興味深い。小道具(ライター)を二度三度と活用する手腕。それを外線へ細工する場面の的確な描写。交換手のネタをきっちり三段で落とす秀逸なギャグ。何よりもその疾走感に満ちたきびきびした映画感覚が心地よく、ひたすらに痛快である。
[映画館(字幕)] 9点(2009-01-06 22:44:03)
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