Menu
 > レビュワー
 > S&S さんの口コミ一覧
S&Sさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2401
性別 男性
自己紹介 〈死ぬまでに観ておきたいカルト・ムービーたち〉

『What's Up, Tiger Lily?』(1966)
誰にも触れて欲しくない恥ずかしい過去があるものですが、ウディ・アレンにとっては記念すべき初監督作がどうもそうみたいです。実はこの映画、60年代に東宝で撮られた『国際秘密警察』シリーズの『火薬の樽』と『鍵の鍵』2作をつなぎ合わせて勝手に英語で吹き替えたという珍作中の珍作だそうです。予告編だけ観ると実にシュールで面白そうですが、どうも東宝には無断でいじったみたいで、おそらく日本でソフト化されるのは絶対ムリでまさにカルト中のカルトです。アレンの自伝でも、本作については無視はされてないけど人ごとみたいな書き方でほんの1・2行しか触れてないところは意味深です。

『華麗なる悪』(1969)
ジョン・ヒューストン監督作でも駄作のひとつなのですがパメラ・フランクリンに萌えていた中学生のときにTVで観てハマりました。ああ、もう一度観たいなあ・・・。スコットランド民謡調のテーマ・ソングは私のエバー・グリーンです。


   
 

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作年 : 1960年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1234567891011121314151617181920
2122
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  皆殺しの天使 《ネタバレ》 
オペラがはねてからブルジョアの邸宅の夜会に招待された20人足らずの彼の友人・知人。その屋敷の使用人たちは、主人たちが客を連れてくるのが判っているのに、なぜか制止されても勝手に帰宅してゆき、けっきょく執事だけが残される。夜会も終わり夜も更けていたのに、なぜか客たちは広間から出て行こうとはせずにザコ寝で過ごし、朝になっても広間から出てゆくことができない。屋敷の門前では警察や野次馬が集まる騒ぎになるけど、こちらも誰も門から中へ入って行こうとしないというか出来ない。食料も飲料水も底をついたブルジョワジー男女は、普段のスノッブさが消えてゆき本性剥き出しの集団と化してゆく… 自分が今までで観た中で、たぶんもっとも奇妙奇天烈な映画であることは間違いないです。部屋や門の境界に透明なバリアが存在して物理的に通過を阻止しているという設定なら単なるSFという感じになりますが、どうも心理的な何かが彼ら彼女らに作用しているみたいなんで、不気味感が高まります。冒頭で使用人たちは「明日はここに入れない」みたいなことを言いながら帰っていくのが不可解だし、邸内に羊やヤギそして子熊までもがうろついているんだから、もうわけ判らんです。実はブニュエルの作品はほとんどこれが初見みたいなものなのであまり語れないんですけど、これこそが不条理劇というものなんですね。登場するのがブルジョワジー階級と平民、そして舞台がブルジョアジー邸宅と教会となれば暗喩とすればベタなくらい判りやすいんですけど、室内を徘徊する手首などにはホラー的な要素すら感じます。ラストの教会のミサからのモンタージュも意表を突かれてしまいますが、ブニュエルはこのシュールな物語をホラーでなくコメディのつもりで撮ったんじゃないかと推測します。だとしたら、この人はやっぱ相当人が悪いですよ。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2024-06-01 21:48:35)
2.  日本海大海戦 《ネタバレ》 
太平洋戦争をテーマにした『日本のいちばん長い日』から始まるいわゆる“東宝8.15シリーズ”は第三作目にして日露戦争に逆戻り。唐突感はあるが、これには同時期に新聞連載されていた『坂の上の雲』の影響があったのかもしれない。日露戦争を扱った作品としては新東宝の『明治天皇と日露大戦争』が12年前に製作されて大ヒットしたので、いつかその雪辱を晴らしたいという執念があったのかも。思えば当時は左翼全盛時代、日露戦争のことなんかは学校ではほとんどスルーだし、大日本帝国の富国強兵政策が起こした侵略戦争だなどと教えていたもんです。そんなご時世にこのテーマを選ぶとは、ある意味勇気ある決断だったかもしれません。■三船敏郎は山本五十六・阿南惟幾・木村昌福といった将軍や提督を演じていますが、自分はそんな三船の演技スタイルにもっともジャストフィットしたのが東郷平八郎で、まさにはまり役だったんだと思います。後年に流布された神格された人物ではなく、加藤友三郎参謀長の前で取り乱してしまうような人間臭い一面もきっちりと見せてくれました。笠智衆の乃木希典も、皆が持つ彼のパブリックイメージにはぴったりの好演で、乃木と東郷が対面する場面での「そのお言葉で、乃木はやれます、必ずやります」と203高地の攻略を誓うところは良かったな、名シーンです。■この映画はタイトル通り日露戦争でも海軍作戦がメインで描かれていますが、やはりここでものを言ったのが円谷英二特撮の技でしょう。実はこの映画が円谷の遺作となったのは周知の通りですけど、彼が拘ってきた“水の特撮表現”の集大成を見せてくれます。なんと107隻も製作された大スケールの日露艦艇の繰り広げる海戦シークエンスは見事の一語に尽き、水柱が上がるカットにはほんと拘りを感じさせます。陸戦関係では実質203高地攻防戦しか取り上げていないのですが、まあ尺の関係もあって仕方なかったかも。この陸戦シークエンスは明らかにカネのかけ方が海戦より貧弱なのは否めず、日露両軍とも火砲が発砲しても砲身が後座しないのはちょっとしらける、海戦シーンでは戦艦の主砲が後座するところまできっちり再現しているのにねえ。あとせめて大山巌と児玉源太郎ぐらいは登場して欲しかったな。■『坂の上の雲』ではとかくバルチック艦隊とロジェストヴェンスキーをディスる傾向がありましたが、冷静に考えればあれだけの大艦隊を極東まで引っ張て来れたというのはやはり歴史に残る偉業と言えるでしょう。休養および修理・訓練が十分で待ち受ける連合艦隊と長旅を続けてきて疲労蓄積しているバルチック艦隊では、やっぱこれはハンデ戦だったと言えるかもしれません。あと陸軍も海軍も、艦艇の大損害をちゃんと報告するし乃木将軍の更迭の許可を伺うなど、きちんと天皇や閣僚を通しているところには考えさせられるところがありました。“統帥権の独立”を盾にして天皇まで蔑ろにして好き勝手やった昭和の陸海軍に比べるとえらい違いです。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-05-27 22:30:36)(良:1票)
3.  マーニー 《ネタバレ》 
プロットとしては殺人も起こらないしスパイも出てこない、ヒッチコックとしては珍しいタイプの作品、おっとそういや回想シーンでブルース・ダーンが殺されていましたね。製作された64年は、ショーン・コネリーにはジェームズ・ボンドとしては『ゴールドフィンガー』の時期。でもこの年には本作以外にも『丘』や『わらの女』にも主演していて、彼もジェームズ・ボンドを演じるのに嫌気がさして来ていた頃だったんじゃないかな。でも本作での彼は、ボンドとはまたイメージが違う色男ぶりを見せていて感心しますが、どう見てもアメリカ人には見えないのが玉に瑕かな。マーニー役に未練がましくヒッチコックはとっくに引退していたグレース・ケリーを希望していたそうですが、そりゃ当然断られますよ。代わりにというかティッピー・ヘドレンが『鳥』に続いて起用されたわけだが、撮影中ずっと険悪だった二人の関係は、映画史に残るようなトラブルになってしまいました。 殺人やスパイのサスペンス色が希薄なんですが、ヒッチコックにしては妙に理屈っぽい映画に仕上がってしまった感は否めません。コネリーのキャラは会社経営のボンボンというより、まるで精神分析医にしか思えない言動なんで違和感が濃厚です。なんでも原作小説ではサブ・キャラとして精神分析医が存在していたそうで、それを脚色段階でコネリーが演じるキャラに統合してしまった結果みたいです。そうは言ってもその精神分析はけっこう雑でとってつけた感がアリアリで、ティッピー・ヘドレンの幼児期のトラウマがなんで成人してからの盗癖に結びつくのかは説得力に欠けています。まあ彼女の演技には文句をつける余地はなかったですけどね。 恒例のヒッチコック御大のワンカット出演、いきなり部屋から出てきてしかも一瞬ながらもしっかりカメラ目線を決めてくる、いくら何でも調子に乗りすぎだよ(笑)。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2024-05-09 22:28:21)
4.  オーシャンと十一人の仲間 《ネタバレ》 
御存じ『オーシャンズ11』の元ネタ。フランク・シナトラと言えば「スターよりもマフィアになりたかった」と言ったという伝説もあるくらいで、そんなマフィアとズブズブだった彼じゃないと実現できなかったストーリーです。60年代のラスベガスは実質マフィアの直轄地みたいな場所だったそうで、そんな物騒なところのカジノが一斉に強奪されるなんて普通の映画人が撮ったらマフィアが黙っているわけがない、仲間内のシナトラ(襲われるカジノの一つサンズは実はシナトラが当時オーナー)のおふざけとして大目に見られたんじゃないかな。 ソダーバーグ版との比較で大きな違いと言えるのは、ダニー・オーシャンがプロの犯罪者ではなくて退役軍人でチョイ悪ぐらいの男、そのダニーがかつての戦友たちを集めてグループを組むというところでしょう。彼らは第82空挺師団の所属だったという設定ですが、エリート部隊だった空挺師団に黒人のサミー・デイビスJrがいたというのは、ちょっと不自然。まあシナトラ一家総動員のこの映画にサミー・デイビスJrが出ないわけはないし、黒人差別意識がなかったというシナトラらしいとも言えます。正直言って11人のキャラ分けがきちんとできていたとは言えず、半分ぐらいは名前どころかキャラさえ見分けがつかないぐらいです。こういうところはソダーバーグ版の方がはるかにしっかりしていたと思います。黒幕のエイキミ・タミロフはこの映画に必要なキャラだったのかは疑問だったし、アンジー・ディキソンらの女優陣も有機的な効果をストーリーに与えていなかったと思います。でも所々にシャレた展開もあるのは、ビリー・ワイルダーも脚本に参加していた功績なのかな。ラストの展開はやはりヘイズ・コード(犯罪は成功してはいけない)が生きていた時代だから仕方なかったかもしれないけど、ソダーバーグ版の様な爽快なカタルシスとは比べるべくもなかったかな。 まあ言ってしまえばシナトラの肩の力を抜いたおふざけ映画と見るしかないけど、そんな目くじら立てるほどのことはないかと思います。あと一目で彼の作と判るソウル・バス謹製のタイトルバックは、現代でも通じるようなシャレた逸品でした。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2024-05-03 22:01:39)
5.  雲の上団五郎一座 《ネタバレ》 
いやはや錚々たる面子、昭和の喜劇役者が勢ぞろいしていて壮観でした。エノケンが座長のドサ回り劇団が、四国の公演に赴く船上で東京から流れてきた(一応)インテリの演出家と出会いタッグを組み、彼の吹っ飛んだ演出のおかげで大入り満員、ついには大阪の興行会社の眼に留まり大阪でも大成功をおさめるというサクセスストーリー、言ってしまえば他愛もないお話しです。菊田一夫が大ヒットさせた舞台の映画化だそうで、21世紀になってからもジャニーズ(おっと放送禁止用語でした)WESTがアレンジして上演しています。はっきり言ってストーリーなんてどうでも良しで、喜劇役者たちのパフォーマンスを愛でる映画でしょう。やっぱフランキー堺は凄くて、彼のパロディ『勧進帳』での弁慶は必見です。そして見逃してはいけないのは三木のり平の芸のキレっぷりで、八波むと志とのコンビで演じる『切られ与三』は抱腹絶倒でした。いやはや、この人はほんとに凄い役者だったんですね。あと花菱アチャコ、あの中気の芸は現代では炎上必至のヤバさがありますが、これが上手いんだよなあ。一座の団長役のエノケンの出番が少なく意外と大人しかったのはちょっと残念だったかな。このストーリーは続編も撮られたりTVドラマ化されたりしたそうで、埋もれてしまうのは惜しいエンターテインメントだと思います。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-04-22 12:33:36)
6.  江分利満氏の優雅な生活 《ネタバレ》 
直木賞受賞作の山口瞳の原作は、短編小説のコンピレーションというかどちらかと言うとエッセイに分類されるような作品。それを江分利満氏=山口瞳を主人公にして彼のそれまでの人生を落とし込んで脚色した感じです。勤務先だったサントリー宣伝部をそのまま江分利氏の勤め先にして、“アンクルトリス”の産みの親であるサントリー宣伝部に在籍していた柳原良平=天本英世も登場している。この江分利氏=山口瞳は自分の亡き父親と同年産まれなので、なんか親近感がありますね。 ストーリーテリングは特に前半は軽妙洒脱、柳原良平のアニメを使ったりして、岡本喜八じゃなくて市川崑が撮ったんじゃないかと思うようなリズム感があります。実際のところ、始めは川島雄三の監督作として企画され本作とは違う視点でのオリジナル脚本が完成していたけど、川島雄三の急死で岡本が監督することになったそうです。とくに靴だけが歩き回って会話するというシュールなカットには驚きました。登場キャラでは破天荒かついい加減極まりない江分利氏の父親=東野英治郎がやっぱ光ってましたね、ほんとこの人は上手い。ストーリー自体は江分利氏が大酒を飲みながらもなんとかサラリーマン生活をこなし、ひょんなことから雑誌に連載を載せることになり直木賞を受賞するという山口瞳の半生をテンポよく描いているのですが、ラスト近くになって江分利氏が戦中派としての心情を延々と十分にわたって同僚・後輩に語るという展開は、明らかに作品のテンポを壊してしまった感があります。その語り口も軽妙さは無くてほとんど演説みたいな感じで、こりゃ聞かされる方も堪ったもんじゃありません。こういうことは他の岡本作品には見られなかったところですが、江分利氏と同世代の岡本の真情が迸ってしまったんじゃないでしょうか。この真情が後の『日本のいちばん長い日』『肉弾』『沖縄決戦』などを手掛けるエネルギーの源泉だったのかもしれません。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-03-29 23:07:20)
7.  影の軍隊(1969) 《ネタバレ》 
これほど地味で暗いレジスタンス映画は観たことがないというのが素直な感想です。派手な破壊工作や戦闘場面はほとんど皆無だし、ゲシュタポに囚われた者たちも拷問されるところは見せずに、終わってボコボコになった顔の姿を見せるだけ。仲間を救出しようと救急車を仕立てて監獄に乗り込んでゆくシークエンスなんかでも、これから派手な見せ場が来るぞと期待するのに、瀕死の同志を救い出せずにすごすごと退却してしまう、これは観ていてサプライズでしたね。リノ・ヴァンチュラたちが属するのはいわゆる自由フランス・ドゴール派の組織なので、共産党系の組織・マキ団の様な派手な武力行使が少なかったからなのかもしれませんが、まるでスパイ組織のお話しみたいです。劇中では殺したドイツ兵よりも密告者を粛清した人数の方がどう見ても多い、こりゃ話が盛り上がらないわけです。でも原作者も監督ジャン=ピエール・メルヴィルも戦時中に実際にレジスタンス活動をしていたわけで、きっとこれがリアルでしょうね。戦後フランスではレジスタンス活動は神話化されていたわけで、この映画はそのタブーを無言で批判する様な意図があったのかもしれません。 レジスタンス側のフランス人は全員フランス解放まで生き残れなかったという壮絶な結末、まさにフレンチ・ノワールの巨匠メルヴィルだからこそ撮れたストーリーだったと思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-03-26 23:07:28)
8.  赤毛 《ネタバレ》 
製作当時はもう五社協定は雲散霧消しているわけですが、こうやって岩下志麻や乙羽信子が東宝映画で三船敏郎と共演しているのが観れるというのは珍しいことです。明治維新のときの赤報隊の史実をもとにしたオリジナル・ストーリーですが、穿った観方かもしれないけど70年安保闘争をカリカチュアしたような脚本であるような気がしてなりませんでした。官軍=佐藤栄作政権という図式で、宿場に突入してきた官軍が村人と対峙する絵面はまるで機動隊と衝突する学生デモ隊が彷彿されます。その村人たちも代官に反抗していたのは女郎屋の女たちと老師に扇動された若者だけで、半分以上の住民がこの騒動を眺めるだけの野次馬だったというのも意味深です。けっきょく赤報隊として官軍に利用されて果てる権三=三船敏郎なのですが、若者たちに詰め寄られて「理想と現実は違うものだ」と逃げを打つ老師=天本英世のセリフを聴くと、70年安保闘争後の無残な学生運動の成れの果てを予言していたようにすら感じます。 前半はとくに岡本喜八節が快調で、岡本映画常連の伊藤雄之助だけでなく三船敏郎までもがコミカルな演技を見せてくれます。権三が吃音気味というキャラ設定のおかげで、三船は普段は聴き取りにくいセリフ回しなんですが切れ切れに喋るおかげでいつもより耳に入りやすかったです。そして全編で効果的に使われるのが“ええじゃないか”節で、あの踊り狂う群衆の迫力は後年の珍作『ジャズ大名』の前振りみたいに感じました、もちろん今村昌平の『ええじゃないか』よりもずっと早いですね。コミカルな前半から打って変わって悲劇的な結末を迎えるわけですが、後半はちょっとテンポがもたつく感はありました。宿場に潜入していた幕府側の遊撃隊のエピソードは、ちょっと詰め込み過ぎた脚本のような感じでもたつきの原因だったと思います。とは言え個人的には珍しい三船敏郎のコメディ演技は堪能できたかなと思います。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-02-11 22:11:58)
9.  いぬ 《ネタバレ》 
決して複雑なお話しではないはずなのに、とくに前半は独特な語り口のせいで異様に判りにくい映画になっているんじゃないかな。冒頭でモーリス=セルジュ・レジアニがなんで故買屋を殺すのかとか、モーリスとシリアン=ベルモンドとの関係性とかが特にね。こういうところがフレンチ・ノワールらしいと言っちゃえばそれまでなんでがね。登場人物たちは犯罪組織の上層部というわけではなくローン・ウルフの集まりみたいな感じなのに、妙にきちんとした服装でとくにベルモンドのトレンチコートの着こなしなんか惚れ惚れさせてくれます。完全に“いぬ”はベルモンドだと思わせといての後半での急展開はちょっと都合よすぎるところもあるけど見事な脚本でした。ベルモンドにしても決してカッコよいだけでなく、けっこう躊躇なしに人を殺すダークヒーローなんです。それにしても60年代のベルモンドは、この作品も同様ですけど死ぬ間際の一言がカッコ良いんですよ、死ぬ寸前で女に電話して「フェビアンヌ、今夜は行けそうにもない」ですからね。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-02-08 21:58:13)
10.  女は二度生まれる 《ネタバレ》 
小えんはドドンパしか知らない芸無しのいわゆる枕芸者、つまり客に春を売る方が得意と言うわけ。やたらと靖国神社が映るので、たぶん神楽坂あたりの置屋の芸者なんでしょう。そんな小えんが芸者を辞めてバーのホステスから一級建築士の妾となり、その建築士と死別するまでの男性遍歴がメインストーリーです。とは言っても体を許した男たちとは短いエピソードの羅列みたいな構成で、一種の群像劇みたいな感じです。まあ昭和三十年代のお話しですから、この映画に出てくる登場人物たちの行動というか言動は、現代の観点からは顰蹙を買わざるを得ないでしょう。小えん=若尾文子からしてよく言えば自由奔放、何を考えているのか理解不能な感も無きにしも非ずです。そんな彼女に建築士の山村聰だけは彼なりの愛情を注ぎ小えんもそれに応えようと努力するのですが、だいたい愛人を囲って所帯を持たせて妻や娘を蔑ろにするってのは、ちょっとどうなんでしょうかね、まあこの頃は“男の甲斐性”という感じで決して悪行とはとられていなかったんだからしょうがないかも。山村聰にしては珍しく男の欲望に正直なキャラを演じていました。唯一小えんと純愛的な関係性を持っていた藤巻潤にしても、芸者に復帰した彼女を取引先の外人顧客に接待で上納しようとして、とにかくこの映画に出てくる男どもはどいつもこいつもろくでなし揃いですな。おっと映画館で知り合った若い工員=高見國一だけは例外だったかもしれませんね。あと不協和音が強調される妙に不安を煽るような音楽が、印象的でした。 と言うわけでちょっと変わったテイストの作品ですが、妙に後味が残るところがあります。ところで小えんはこの映画のどこで“二度生まれた”んでしょうかね、やはりラストなんでしょうかね?
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-01-31 22:01:36)
11.  クレオパトラ(1963) 《ネタバレ》 
“映画史上空前の失敗作“としてその名も高い本作、でも意外なことに世界中で大ヒットしてその年のNo.1の興行収入をあげていますが、20世紀フォックスは製作費の半分も回収できなくて社運が傾いて撮影所を売却する羽目にまで陥ります。当時の日本円で143億も製作費が掛かってたら(現在の貨幣価値では幾らになるんだろう…)、そりゃあ利益が出るわけないですよ、ここまで来ると不条理の世界です。金が掛かった原因は監督の交代から始まってエリザベス・テイラーとリチャード・バートンの不倫スキャンダル諸々で撮影期間が四年近くになったこと、ゴタゴタが続いて苦労して完成させた映画は報われない、というジンクス通りになっちゃったわけです。やはりこの映画で「カネかかってるなー」と唸らせてくれるのは、クレオパトラのローマ入城とクレオパトラが船でアントニウスを訪ねて来るシークエンスでしょうな。入城シーンはあまりの壮大さにバカバカしくなってしまうほど、船なんて巨大なガレー船を建造して撮影しているぐらい、もっとも遠景に映るのはどう見ても撮影当時の地中海沿岸の街並みでしたけどね(笑)。クレオパトラの衣装も豪華絢爛の極み、でもなんか現代風のオスカー受賞式で観られるようなドレスが多かった気がします。そう言えば宮殿内の机やソファーなどのインテリアも妙にモダンな感じだったのも違和感があり、考証的には他にも首を傾げるところがありました。 四時間の長尺ですけど、開幕から一時間余りがカエサルとクレオパトラ編、残りがアントニウスとクレオパトラのストーリーという感じで、リチャード・バートンは前半にはまったく登場しません。そういう面ではカエサル編とアントニウス編ではまったく違う映画の様な印象さえ与えかねないところですが、当初の構想ではカエサル編とアントニウス編は別々の映画として合わせて六時間という企画だったのを一本に纏めたそうです。正直なところカエサル=レックス・ハリソンの実に堂々とした演技が光り、肝心のアントニウス編になると単なるメロドラマというテンションになってしまいます。あとクレオパトラの子供がカエサリオンだけでアントニウスとの間に設けた子供が存在しないかのような描き方は、史実とは大幅に相違しています。バートンはアレキサンダー大王を演じているのを観たときも感じましたが、史劇になると妙に大芝居をするようになって持ち味を殺してしまうんじゃないかな。 とは言え歴代クレオパトラ女優の中でもやはりエリザベス・テイラーは別格、まさにクレオパトラのアイコンに相応しいと思います。当時彼女は31歳の女盛り、脱ぐわけじゃないですがあの豊満な乳には視線が釘付けにされてしまいます。パスカルには「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら…」という有名な言葉がありますが、テイラー=クレオパトラを観ていると「クレオパトラがもし貧乳だったら、歴史が変わっていただろう」と言いたくなりました。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2024-01-05 02:21:58)
12.  シシリーの黒い霧 《ネタバレ》 
イタリアの戦後史に疎いこちとらには、この映画の背景なんてさっぱりでございました。シシリーといえばマフィアの本場ってぐらいの知識はありましたが、第二次世界大戦後にシシリー島に独立闘争があったなんてこの映画で初めて知ったぐらいです。まあ簡単に言うと、山賊からその独立闘争の武装勢力のリーダーになったジュリアーノという男がいて、彼が闘争が収まってからもマフィアと組んで共産勢力を虐殺して憲兵隊に追われる身になり、挙句の果てには射殺死体で発見されたという事です。ジュリアーノ一味の残党はその後に皆逮捕されてメーデー虐殺事件の裁判にかけられますが、その裁判の推移とジュリアーノ生前の活動が交互に描かれるので注意して観ないと何が何だか判らなくなっちゃいます。ジュリアーノは冒頭で死体となって登場するのですが、面白いことにその後の過去のシークエンスでも彼が部下たちの近くにいることは暗示されますが決して画面に映されないところです。終盤で仲間に射殺されるところでも部屋は真っ暗で姿を見せず、二言三言のセリフが辛うじてあったぐらい、これがジュリアーノ役の俳優が発した唯一のセリフでした。イタリアン・リアリズモの系譜に繋がる監督らしく音楽もほとんど使わずに徹底的なドキュメンタリー調、イタリアの政治情勢に詳しくないとそのリアリズムが仇となって余計に難解なストーリーに感じられます。それでもジュリアーノ一味壊滅のために村の男性を軒並み連行しようとする憲兵隊に女性たちが抗議に押し寄せるシークエンスは、迫力と緊迫に満ちた映像でした。しかしながらラストで射殺された男はいったい誰?と最後まで惑わされる映画でした。因みにあるレビューによるとその男はマフィアのボスだという事ですが、普通に観ていりゃそんなん判るわけないだろ!
[CS・衛星(字幕)] 5点(2023-12-12 02:50:29)
13.  女と女と女たち 《ネタバレ》 
そりゃもうシャーリー・マクレーンを愛でるための映画ですけど、他の出演陣も豪華絢爛。ピーター・セラーズ、ロッサノ・ブラッツィ、ヴィットリオ・ガスマン、アラン・アーキン、マイケル・ケイン、フィリップ・・ノワレ、そして写真だけの出演だけどマーロン・ブランド!女優だってエルザ・マルティネリにアニタ・エクバーグですからね。マクレーンのコスプレは地味な普段着からピエール・カルダンのドレスまでキャラも含めてまさに七変化。演じる役柄も未亡人や夫の不貞に狂乱する主婦そしてオペラ座にボックス席を持つ社交界の花形夫人など、演じていないキャラは政治家と娼婦ぐらいなもんです。パリが舞台でロケ撮影がパリの街並みの色んな表情を捉えていますが、カラー撮影も色彩鮮やかです。でも尺の長短はあるけど、残念なことに各エピソードのオチがイマイチ弱いんですよ。ひとりの女優が別キャラを演じるオムニバス形式としては同じデ・シーカが撮ったソフィア・ローレンの『昨日・今日・明日』がありますけど、脚本家も同じなんだけど映画としてはかなり落ちる出来かな。やっぱ7エピソードと言うのは多すぎで、三つぐらいが妥当だったのかな。それでも印象深かったのはアラン・アーキンとの二人芝居を繰り広げる第六話『心中』で、唯一苦笑する様なオチがあったエピソードでした。あと最終話『雪の日』もしっとりしたお話し、セリフなしだったがマイケル・ケインは良かったな、これはキャロル・リードの『フォロー・ミー』の原型の様なストーリーでした。
[DVD(字幕)] 5点(2023-12-03 11:09:24)
14.  大殺陣 雄呂血 《ネタバレ》 
伝説の坂東妻三郎版のオリジナルは未見ですが(何でも現在視聴できるのはオリジナルの30%程度らしい)、調べるとこのリメイク版は登場人物たちの設定自体はけっこう変更されているみたいです。いわば『切腹』のような武家社会の不条理が主人公の背景に織り込まれており、一介の武士である小布施拓馬=市川雷蔵が謹厳なサムライから武家社会の掟に翻弄されて剣鬼に堕ちてゆく壮絶なストーリーです。本作の雷蔵は同時期の『眠狂四郎』シリーズと被ってしまいがちですが、狂四郎よりもはるかに深みのあるキャラだったと思います。密かに思いを寄せられていた志乃=藤村志保が自分の追手に手籠めにされそうになって自害するのを見過ごしてしまうところなんて、わが身を守るためとは言っても狂四郎なら絶対にほっとかないだろうな。もちろん激しく後悔はするけど、そうやってどんどん自暴自棄になった挙句の無残な境遇になっている波江=八千草薫との再会、そしてラスト20分の壮絶極まりない闘いになだれ込むわけです。 オリジナル版ではどれくらいの人数だったのかは不明ですが(ジョセフ・フォン・スタンバーグはオリジナル公開当時に上映館に通い詰めて何人斬られたか数えたそうです)、どう考えても本作で雷蔵が相手にした人数は邦画史上空前絶後、ギネス記録に認定してほしいぐらいです。梯子や大八車もよく捕物帳ものなんかで見かけますが、なるほどこうやって使うのか、と納得した次第です。雷蔵は本来殺陣が上手くなかったそうですが、その息を切らして必死に太刀を振りまわすところにはかえってリアルが感じられました。終いには地面に横たわって刀を振り回す、なるほど多人数に囲まれた場合はこうやって足を薙ぎ払うというのは理にかなっているかもしれません、でもこんな殺陣は今まで観たことないです。 一応は敵を全滅させて八千草薫と向き合いストップモーションで終わるというオリジナルとは異なるエンディングですが、勝ったという高揚感にはほど遠いカタルシスなき無常観に満ちた幕の閉め方でした。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2023-11-30 23:50:55)
15.  緯度0大作戦 《ネタバレ》 
東宝特撮映画には日米合作として製作されたものがあるが、本作はその最後の作品。合作と言っても独立系プロダクションが相手の場合が多くていろいろと難儀させられることもあり、本作なんて製作中に相手方が倒産して撮影中断、その為に複雑な権利関係になってしまい長い間ソフト化されませんでした。またこの映画が円谷英二と本多猪四郎の最後のコンビでもあります。 ストーリーは言ってみれば『海底二万哩』と『ドクターモローの島』を足して二で割ったような感じ。日米合作東宝特撮では欠かせないハリウッド俳優の出演も、ニック・アダムス、ラス・タンブリンに続いてリーチャド・ジェッケル、シーザー・ロメロ、そしてついに名優ジョセフ・コットンの出演と相成りました。ロメロの愛人役のパトリシア・メディナに至ってはコットンの当時の妻ですからね。アメリカ側プロの倒産で東宝が出演料を肩代わりさせられ、製作費のかなりの部分がこれらのハリウッド俳優のギャラに消えてしまい東宝はもう踏んだり蹴ったり、そりゃ合作を今後やらないとなるのも当然かも。特撮は円谷英二の最晩年ですからレベルとしてはほぼ頂点、冒頭の海底火山の噴火なんてこれがCGじゃないなんて信じられないぐらいです。緯度0という秘密世界の設定も荒唐無稽さが東宝特撮の中でもほとんど頂点、19世紀初頭の人間が200歳近くになっても普通に生きているというところなんかも謎めいていてグッド。当初の脚本では「緯度0の1日は地上の50年に相当する」という説明があったそうですが、それじゃいくら何でも計算が合わない、1年だと地上の18,250年になっちゃいますからね(笑)。でも登場する改造動物の造形はちょっとセンスが悪すぎ、まああんまり意味がないキャラ達だったとしか言いようがない。 やはり物議をかもしそうなのがあのラスト、リチャード・ジェッケルのラリッたあげくの妄想もしくは夢オチかなとも解釈できるような不思議な幕の閉め方です。でも私はこういう遊び心に満ちたような脚本は好きです、これぞ関沢新一の脚本らしさが出ていたと思います。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2023-11-27 23:24:05)
16.  清作の妻(1965) 《ネタバレ》 
模範兵として兵役を終えて帰郷した清作(田村高廣)が持ち帰った鐘の音は、因習が渦巻きドロドロした人間関係の村人たちには怠惰な生活に浸っていた自らを顧みる機会を与えたようにも感じられる。しかしただ一人その鐘の音にも無反応だった隣家の妾崩れのお兼(若尾文子)の境遇に、清作は惹かれて愛情を抱くようになってゆく… やはりこの映画は、数多い増村保造&若尾文子コンビの中でも、最高傑作として評価されるべきなんじゃないかな。それぐらい本作の若尾の演技には打ちのめされてしまいます、彼女自身が「自分が出た中でいちばん好きな映画」と言うのも納得です。彼女が演じるお兼は、お妾ながらも精一杯愛情を注ぐ隠居の爺さん(殿山泰司)にも冷たく、それこそ村人たちの陰口通りのすれっからしの女でしかない。不幸な家庭環境だったのは間違いないけど、観ている方としては全然感情移入できない。それが清作に出会ってからはどんどん変わってゆき凄まじい情念が迸る女になってゆく、これは若尾文子でなきゃ出来ない凄い演技です。彼女が清作を愛するあまりにとった極端な行動は、あの阿部定を彷彿させるところがあります。また二人を取り巻く家族や村人たちの俗悪というか民度が低いこと、これは20世紀初頭の日本人の平均的な姿なのかもしれません。盲人となった清作が鐘を打ち捨てるところは、「実は自分もつまらない俗物だった」と覚った内心の顕われになっていて、劇中でも重要なシーンです。 徴兵されて戦死する庶民の悲哀もテーマの一つになっていて、恋愛映画だけど反戦映画でもあるわけです。本作は同一原作で戦前に製作された映画のリメイクになるそうです。戦前にこれほど赤裸々な反戦的なテーマの映画が撮られていたとは到底思えないので、これこそ新藤兼人脚本の真骨頂があるのかもしれません。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2023-10-30 22:28:25)
17.  カモとねぎ 《ネタバレ》 
森雅之がボスで高島忠夫と砂塚秀夫が子分の詐欺師グループ、競艇場でスクリューを曲げるいかさまで大穴配当金300万円をせしめるのに成功するが、コケティッシュな娘・緑魔子に尾けられて持ち逃げされてしまう。キャバレーで働いていることを突き止めて拉致するけど、亭主の保釈金に300万使ってしまったので手元にないと言い訳、保釈金が戻ってくるまでという前提で彼女も仲間入りすることに。 というお話しなんだけど、この映画は森雅之の怪盗ルパンばりの変装芸を愉しむのが正解でしょう。最初は悪戯程度の詐欺からだんだんスケールが大きくなって最後は大企業から3,000万円を脅し盗るところまで行くけど、毎回毎回色んな変装で登場します。変装するのは彼だけじゃなく高島や砂塚もヘンな感じの化け方なのが面白い。森雅之は緑魔子と同じ屋根の下で寝起きする羽目になるけど誘惑には全く反応しないのに、ロングヘアーの女性にはパブロフの犬みたいに条件反射してしまうのがちょっとヘン、でもダンディーで軽妙な演技は名優の違う一面が観れた感じでお得です。でもこの四人の中でやっぱいちばん眼を引くのは、緑魔子でしょうね。彼女がこの当時の東宝作品に出るのは珍しく、東宝女優にはないエロチシズムを振りまいていましたし、彼女の変装もこの人の色んな魅力が観れて良かったと思います。詐欺専門のレンタル屋さんの小沢昭一やおばさんになりかけた頃合いの山岡久乃も面白かったかな。 まあ全体に他愛もないコメディなんですけども、クレイジーキャッツやドリフの映画を手掛けた松木ひろしらしい脚本でした。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2023-10-15 21:00:18)
18.  座頭市物語 《ネタバレ》 
寅さんシリーズには負けるけど、日本映画史上屈指の長寿シリーズの記念すべき第一作です。いい歳して座頭市ものをじっくり観るのは初めての自分、市がヤクザだという事すら認識していませんでした。タイトルロールを観て伊福部昭が音楽担当と知ってちょっとびっくり、でも確認すると全作とは言わずとも座頭市シリーズではかなりの作品に参加していたんですね。時代劇での伊福部昭サウンドは、東宝特撮とはまた違った重厚さがあります。 26作も製作されたので後期のまるで超能力者みたいな市のイメージしかなかったんですけど、本作での勝新太郎はもう惚れ惚れするぐらい深みのある人物像で、その演技には圧倒されます。盲者である市が周囲の事物を感知できるのは鋭い聴覚と嗅覚が成せる業という描写にもけっこう説得力があり、現代的に言ううと市は絶対音感の持ち主というわけですね。意外と居合の技を見せるシーンは少なく、初めて抜くのは開幕三十分は過ぎてから。そして“座頭市と言えば仕込み杖”というイメージがあるけど、本作ではドスを杖代わりにしていて、終いにはそのドスも「平手御酒の供養に埋めてくれ」と言って小坊主に渡して捨ててしまう。こういうところはラストでバッジを投げ捨てる『ダーティハリー』と一緒で、まさかこれが大ヒットしてシリーズ化されるとは予想してない撮り方みたいな感じがします。平手御酒=天知茂の哀愁が込められた演技もまた素晴らしく、自分が今までに観た時代劇での天知茂のベストアクトです。 26本も製作されているのでとても生きているうちに全作観れる気がしませんが、機会がありましたら他の作品も観てみたいと思います。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2023-09-14 22:23:08)(良:1票)
19.  プロデューサーズ(1968) 《ネタバレ》 
日本人にはいまいちウケが悪いけど、やはりメル・ブルックスはハリウッド・コメディの巨人だと間違いなく言えるでしょう。なんせ、アカデミー賞、エミー賞、トニー賞、グラミー賞を全て受賞するという偉業を成し遂げた人ですから。そんな彼の最高傑作はと問われれば、異論はあるかもしれないけどやはり『プロデューサーズ』じゃないかな(『ブレージング・サドルス』もいい勝負ですけどね)。ショー・ビジネス業界が舞台で意図して駄作を製作したのにどういうわけかヒットして製作者が窮地に陥る、というプロットはこの映画が始祖でその後さまざまなコメディに使われてウディ・アレンにも影響が感じられます。だいいち、その一晩で上演打ち切りになるはずの『ヒトラーの春』というミュージカルが、もうぶっ飛びすぎています。ナチスをコケにするのはブルックスのお家芸ですけど、ここまで吹っ切れてナチスの歴史を笑いものに出来たのは、ブルックスを始めゼロ・モステルやジーン・ワイルダーがユダヤ系だからでしょう。奇人変人しか登場しないうえに特に前半のゼロ・モステルの芝居はくどすぎてゲップが出そうですが、『ヒトラーの春』のオープニングを観たら劇中の観客と一緒でもう口あんぐりです。「これはきっとブロードウェイでヒットしたのを映画化したんだろうな」と思っていたら、なんと2001年が初の舞台化だったそうで、純粋なミュージカル映画である2005年版の方が『ヒトラーの春』をじっくり堪能できそうです。ショービジネスの世界は投資がモノを言うということを教えてくれた一編です。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2023-08-20 10:23:35)
20.  誰が私を殺したか? 《ネタバレ》 
邦題は明らかに『何がジェーンに起こったか?』のもじりで、60年代にベティ・デイビスをフューチャーして一世を風靡した『何が…』の亜流映画の一つと位置づけられるが、これが単なる亜流と片付けるには惜しい一編です。デイビスは『何が…』と似たような姉妹ものという設定ですけど、こっちはデイビスが双子の姉妹で一人二役というところがミソ。映画のタッチからしててっきりロバート・オルドリッチが監督かと思ったけど、メガホンを取ったのは俳優としてのイメージが強いポール・ヘンリード、オルドリッチも候補だったことは確からしい。 なんと言ってもデイビスの二役演技が素晴らしい。ファースト・シーンの葬儀の場面では妹マーガレットの方が顔を完全に隠すヴェールを被っていたりカット割りで二役演技をさせる撮り方なのかと思いきや、両端で姉妹が向き合って演技するカットもあって、これが実に違和感がない素晴らしい撮影技術なんです。現代ではデジタル技術でこんなこと簡単に撮れるわけですが、60年代で成し遂げたのは素晴らしい。と、感心してよく調べると、撮影監督は名手アーネスト・ホーラーじゃないですか、納得です。双子で大富豪の未亡人である妹を殺して成りすますのが基本プロットですが、このサスペンスを盛り上げる脚本がとても秀逸です。妹を殺して大豪邸に入り込んだデイビス、来客が待っていると執事に告げられても、デカいお屋敷なのでどこが客間なのか判らない。そこで執事に呼んでくるように先に行かせて、彼の動きでどこが客間なのか判ると「やっぱ私が会いに行くわ」と取り繕う。相続関係の書類にサインしなければならないけど、何度練習しても妹の筆跡に似せられない。そこで暖炉の鉄杭を握って火傷させて、左手でしかサインできないようにして切り抜ける。いくらそっくりだと言っても妹と生活していたわけじゃないから、たしかに細かいことが判るわけがない。こういうリアルなサスペンスを丁寧に盛り上げる巧みなストーリーテリングです。ここに貧乏暮らしだった姉のイーディスに惚れていた警部のカール・マルデンが絡むわけですが、この人がまた良い味出してるんだよなあ。けっきょく妹マーガレットも愛人と共謀して夫を毒殺していたわけですが、その結果死刑が宣告されてもマルデンを悲しませないようにマーガレットとして刑を受けるラストのデイビスには、ジンと来るものがありました。 やっぱベティ・デイビスは凄い女優だったな、と再認識させられた次第でした。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2023-08-18 22:29:02)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS