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まいかさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 213
性別 女性
ホームページ http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/
自己紹介 正直、生まれは平成じゃないです。かなり、昭和なムード。昔みた映画を思い出しながらレビューしますので、記憶がずいぶんあやふやかも。なにか変なところがあったら、http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/のほうにツッコんでおいてください。

好きな女優
 「或る夜の殿様」の山田五十鈴、「近松物語」の香川京子
好きな男優
 「お茶漬けの味」の佐分利信
好きなキャラクター
 グレムリンちゃんとマシュマロマン

☆評価基準
10点:超絶。ほとんど奇跡。
9点:傑作。かつ大好きなんだもーんッ!
8点:傑作だし、好きデス。
7点:素晴らしいです。好みの映画です。
6点:まあ、悪くないと思います。
5点:なにか気になるものはあります(~~;

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181.  E.T. 《ネタバレ》 
じつに38年ぶりの鑑賞です。これが、ほぼ最初の洋画体験だったし、個人的に特別な映画でもあります。当時は、E.T.のお人形や、ヘンリー・トーマスのポスターを部屋に飾るほど好きになりました。 そんな38年前の自分には申し訳ないのだけれど…、あらためて見直してみたら、E.T.も、ヘンリー・トーマスも、思っていたほどには可愛くないし、むしろドリュー・バリモアのほうが可愛いです。映像的な魅力にも乏しく、総じていえば、ほとんど映画的に誉めるべきところが見当たりませんでした。 …にもかかわらず、この映画のどこかに何ともいえない「名作感」が漂っているのも事実です。わたしが思うに、これはジョン・ウィリアムズの音楽の力技なのだと思います。とにかく最初から最後まで、ひたすら音楽が鳴り続けています。場面によってはウルサイくらいです。映像に音楽を付けたというより、まるで音楽に映像を付けたような感じ。つまるところ、これは「スピルバーグの映画」じゃなくて「ウィリアムズのオペラ」なんじゃないかしら? もし、これがオペラだとすれば、もはや理屈も設定も、辻褄もリアリティもなく、ひたすら音楽に合わせて大味な物語が展開すればいいのですよね。実際のところ、E.T.は何だか知らないけど生き返ってしまうし、お別れの場面では、何だか知らないけど家族と友人だけが顔をそろえている。何だか知らないけど、NASAの科学者たちはご都合主義的に退場している。 いちいち細かいことにこだわらず、とにかく音楽に合わせてE.T.が生き返り、音楽に合わせて空を飛び、音楽に合わせて最後のお別れをして、そして宇宙船が夜空に消えるところで音楽が終わる。そういう問答無用の力技で成り立っている作品だと思います。それが名作たらしめる理由かもしれません。 当時は、皺くちゃの爬虫類のようなE.T.の造形が、異様なリアリティを感じさせていましたが、逆にそれがなければ、ほとんど「ドラえもん」のような話です。いじめられっ子の主人公の家に、超能力を用いる知的な存在が入り込んで、純粋無垢な子供たちと交流する物語なのです。『バックトゥザフューチャー』もそうでしたが、スピルバーグのSFファンタジーは、ほとんど藤子不二雄です。 82年の米アカデミー賞では、ジョン・ウィリアムズの音楽と、カルロ・ランバルディの造形などが評価されただけで、作品賞や監督賞は与えられなかったのですが、きわめて真っ当な判断だったと思います。
[地上波(吹替)] 6点(2020-10-03 10:55:47)(良:1票)
182.  マッドマックス 怒りのデス・ロード 《ネタバレ》 
わたし自身、地球上でいちばん最低な生き物は「人間のオス」じゃないかと本気で思うことがありますが、それを具現化したような映画です。狂った親分を崇拝してるだけの雑魚野郎たちに向かって、いくら水と緑と女がなければ文明社会は成立しないのだと言い聞かせても、話は通じませんよね。そういう獣みたいな連中って、実社会のなかにも存在しますけど、いつになったら彼らは生物として進化できるんでしょうか? 巨大な歯車を人力で回したりしてるシタデル砦は、なんだか『千と千尋』に出てくる湯屋みたいなところ。出てくる人間は、全員畜生以下。イモータン・ジョーという仮面男は、支配者のくせにずいぶん無防備で、みずから前線に出ていって殺される。原始人以下の支配体制です。 いちばんの見どころは、シャーリーズ・セロンが「緑の地」が消えたことを知って泣き崩れる場面だけど、その前後の大半の時間は、スピルバーグの『激突!』みたいな内容で、わたし的には早送り再生でも差支えありませんでした。もちろん文明批評的なテーマを汲み取ることはできるけど、どちらかというと狂人同士のプロレスを楽しむ作品なのだろうと思います。 アカデミー賞6部門とはいっても、作品賞でも監督賞でもないですが、国際批評家賞やキネ旬で1位を取っているのは驚きです。地上波のカット版を見ただけの評価ではありますが、そこまでの傑作とは思えませんでした。ちなみに、これ以前のシリーズ作品は見ていません。
[地上波(字幕)] 6点(2020-09-16 17:59:59)(良:1票)
183.  打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(2017) 《ネタバレ》 
岩井俊二の作品は観ていません。 誰が誰だか見分けのつかない同じ顔のキャラクター。過去の映画やアニメを剽窃したようなテーマ性の乏しさ。卑猥で低次元なロリコン趣味。さらには、離婚したシングルマザーが豪邸に住んでたり、一両編成のローカル列車が乗客をホームに置き去りにして出発したりするリアリティのなさ。if をもじった「茂下」とかいうダサい地名とか、平たい花火に見立てたような風力発電とかも、たんに幼稚な思いつきを散りばめてるだけに見える。 ただ、(これもきっと幼稚な思いつきに違いないのだけど!)広瀬すずの「瑠璃色の地球」の歌声には、はからずも胸がキュンとしてしまいました(笑)。 大根仁のコンセプトはよく知りませんが、これはきっと「花火」の映画じゃなくて「灯台」の映画なんじゃないですか? つまり、フレネルレンズの向きによって、一つの光源から別々の世界が映し出されるように、あるいはプリズムが乱反射するように、現実に絶望した少年少女の目の前に無数のパラレル世界が映し出されたのだろうと思います。最後に現れたのは、まるで『銀河鉄道の夜』みたいな幻想世界(あるいは死後の世界)だったわけでしょう。「瑠璃色の地球」が切なく感じられたのも、それが現世には決してありえないパラレル世界に思えたからです。もともと広瀬すずの声には、どこかしら《少年性》があって、それがカムパネルラ的なのです。 …他のみなさんが十分なほどボロクソに書いてくれていたので、わたしは出来るだけ好意的に書いてみましたが、映画の出来としては、前半が3~4点、後半だけを最大限に評価して6~7点ぐらいです。この物語が抱える本質的な落ち度として、祐介の位置づけ(ザネリなのかジョバンニなのかカムパネルラなのか)が不明瞭だという点もあるかと思います。
[地上波(邦画)] 6点(2020-08-08 11:39:04)
184.  ジュラシック・ワールド/炎の王国 《ネタバレ》 
このシリーズの作品をまともに見たのははじめてです。 食われそうでギリギリ食われない、というのが定番の「芸」というか「ネタ」なんですね。最初からそれがやりたくて島に行ったとしか思えない。はじめのうちは、延々とそればかりやってるので、いいかげんウンザリしましたが、そのうち「そういう芸風なんだな」と割り切って笑えるようになりました。 一方、この映画には、科学倫理や生命倫理を問うような真面目な側面もある。一般的な問題として、遺伝子技術で復活させた生物は保護されるべきなのか否か。いまや絵空事とはいえない話だし、けっこうシリアスな問題だと思います。でも、「人間と恐竜の平和共存」だとか「恐竜たちの平和な暮らし」だとか言われると、いまいちピンとこない。そもそも恐竜って、たがいに食ったり食われたりしてるような生き物じゃないの? 「恐竜の平和」なんて考えたこともなかったです。そんなものあるかしら? 映画の終盤には、人間と恐竜がたがいに心を通じ合わせる『E.T.』じみた展開になってましたが、もはやファンタジーすぎてついていけません。ほぼ『のび太の恐竜』になってますよね。これこそが元祖スピルバーグの芸風ってことでしょうか。『ジョーズ』と『E.T.』をかけあわせて恐竜映画に仕立てたら、こんなふうになるのかも。
[地上波(吹替)] 6点(2020-07-25 06:04:28)
185.  オーシャンズ8 《ネタバレ》 
ゴージャスでカッコイイけど、なんだか延々と犯罪トリックの説明をされていた感じ。終盤は、なんだか都合のよい願望を見せられたような感じ。そして、見終わったあとの印象は「中身がない…。」ってことでした。 女性映画として、これだけ堂々と中身のない作品にしたことを、むしろ痛快と感じるべきかもしれませんが、そう受け止めるほどの度量は持ち合わせていません。ちなみに、このシリーズの映画を見たのは初めて。辛めの点数かもしれないけど、6点。
[地上波(字幕)] 6点(2020-07-11 23:36:39)
186.  キングコング: 髑髏島の巨神 《ネタバレ》 
前半部分は、70年代のワシントンやサイゴンの雰囲気が良かったし、前作『GODZILLA』との作風の違いも楽しめたし、軍用ヘリが嵐に突入していくあたりのスペクタクルにも迫力がありました。 ただ、相変わらずトルーマンの水爆実験を正当化している前提や、わざわざ白人を正義にして黒人を悪者にしている図式や、自然界を善悪に分離するような設定が出てくると、根本的な違和感を拭えません。そして、やっぱりガッツ石松が登場するやいなや、その表情や動作があまりにも人間的すぎて、リアリティを失ってしまう。島の原住民の描き方も、あまりに紋切り型すぎて安っぽいです。 そもそも、人間が飼い慣らしでもしない限り、自然界の生き物が自主的に人間の味方をするはずがないですよね。むしろ人間の側こそが、生態系とどうやって折り合いをつけるべきかを模索しなきゃならないはず。そのあたりの基本的なコンセプトが本質的に間違っているし、あまりにも漫画じみている。日本の漫画でさえ、これほどバカな認識で自然のことを描いたりはしないと思います。 今後、このシリーズには、ゴジラだけでなく、モスラやキングギドラも出てくるのでしょうか? かなり日本のことを意識していますよね。冒頭にも日本兵が出てきましたが、ちょっとジャパニメーションっぽかった。今のハリウッドは、日本のアニメや映画の雰囲気を醸し出すのがカッコいい、みたいな価値観をもってるのでしょうか。そのくらい日本のアニメや映画は一定の文化的支配力をもってるのかもしれませんが、そこで日本がどんな風に表象されているかについては、注意ぶかく見ていくべきだと思います。 ストーリーは4点ぐらい。スペクタクル要素に加点して6点です。
[地上波(字幕)] 6点(2020-06-28 18:56:13)(良:2票)
187.  GODZILLA ゴジラ(2014) 《ネタバレ》 
壮大な悪夢を見ているような映像はたしかに凄かったのですが、いったい何が起こってるのかほとんど理解不能でした。渡辺謙が「ゴジラは《調和》の怪獣だから殺さないでくれ」と言い出したときは「おいおいおい…」とツッコまずにはいられない。調和もなにも、ゴジラが2、3歩あるくだけで世界が滅びそうなんですけど…。(ラストサムライが「武士道のためなら村人を犠牲にしてでも戦う」と言い始めたときにも「おいおいおい…」と思いましたけどね。それと同じくらい意味不明な妄言だったと思います) アメリカ人ってのは、日本人が意味不明なことを言うと「なんかスゲーッ!」って感じるのかしら?  ラストシーンでは、ゴジラが米国民たちの喝采を受けながら海に去っていきました。まるで西部劇に出てくるさすらいのガンマンみたいに。はたしてゴジラにとっての《調和》とは、生態系を守ることだったのでしょうか? それとも、人間社会を守ることだったのでしょうか? 善玉生物を利用して悪玉生物を駆逐するという発想は、きわめて人間的な価値観にもとづくものです。それは《調和》というよりも、人間が生存するための《戦略》ですよね。わざわざ僧侶みたいな日本人を登場させて禅問答をしなくても、アメリカの軍人に「ゴジラを利用してムートーを倒そうぜ」と主張させれば済む話だったと思う。 ちなみに、この映画は、初代ゴジラにも最大限のリスペクトを払ったらしいけど、「米ソの水爆実験は怪獣を殺すためのものだった」という話が出てきたときにも、やっぱり「ん??」ってなりました。初代ゴジラの視点が捻じ曲げられているし、現実の核実験をフィクションのなかで正当化するのはいかがなものでしょうか? 映像的には8点ぐらいつけたいけど、あまりにもワケが分からないので6点。
[地上波(字幕)] 6点(2020-06-22 18:46:46)
188.  バック・トゥ・ザ・フューチャー 《ネタバレ》 
のび太君がタイムマシンで過去に戻って、ちゃんと自分が生まれてくるようにパパとママをくっつけて、ジャイアンのこともやっつけてくるという物語。現代に帰ってきたら、パパとママはグレードアップしていて、家族はお金持ちになっていて、ジャイアンは家族の手下になっていて、しずかちゃんともよろしく結ばれました!って感じのマンガです。タイムマシンを開発したのは、(アインシュタインという名の犬型ロボットじゃなく)いかれたマッド・サイエンティストだったけど、テリー・ギリアムの描くようなブラックな世界観ではありません。ただ、北アフリカのテロリストからプルトニウムを盗んでくるという設定が、当時の米国人にとってどれほど切迫感があったのかは、ちょっと気になるところです。登場人物たちの服装も、ヒューイ・ルイスの音楽も、ゴチャゴチャした映像のセンスも、いかにも80年代らしい俗っぽさを見せていて、率直にいえばダサいです。チャック・ベリーがロックンロールを生み出した時代から黒人の市長が活躍する時代へ、ロナルド・レーガンが俳優だった時代から大統領になる時代へ、という米国の歴史もいちおうは織り込んでありますが、とりたてて上手いというほどでもありません。この映画をもって歴史的な名作だとは言いがたいけど、まあポップコーンを食べながら家族でバカ笑いできる子供向けのアメリカ映画としてなら、だいぶ出来がいいとは感じます。ここまで底抜けだと、たしかに意味もなく笑えてきますよね。
[地上波(字幕)] 6点(2020-06-15 10:20:00)
189.  ジャングル・ブック(2016) 《ネタバレ》 
『もののけ姫』のディズニー版かと思って見はじめたのですが、内容的はまったく違っていました。わたしは原作のことを知らなかったのですが、なんと19世紀の小説だったのですね。自然保護のような理念がまだ存在しなかった時代の冒険ファンタジーです。どうりで物語の価値観が理解できないはずですよね…。パディントンやキングコングが歌い出したり、絶滅危惧種のトラを焼き殺したりする物語のなかに、現代的なエコロジーの視点は見あたりません。動物たちは「生態系の均衡」を守ろうとするのではなく、むしろ「義理と人情」を守ろうとしているようです(笑)。文明批評の要素も感じられません。 そんな前時代的な空想小説が、何故いまもアニメ化されたり映画化されたりするのか知りませんが、それほど英米では愛されているのかしら?さすがに現代の価値観には通用しない題材じゃないかと思えてなりません。 でも、CGのスペクタクルとしてはかなり楽しめたし、エンターテインメントとしては成立してました。そこを高めに評価して7点にします。日本語の吹き替えは、CGのリアリティを損ねていたので、原語の音声と字幕で鑑賞しました。
[地上波(字幕)] 6点(2020-06-07 08:53:46)
190.  今夜、ロマンス劇場で 《ネタバレ》 
死ぬまで二次元の女性しか愛せなかった映画オタクの男と、リアルの世界に憧れ続けたスクリーンの妖精との切ない恋物語。さしずめ「鶴女房」と「人魚姫」と「さびしんぼう」と「ニューシネマパラダイス」をぜんぶ足してから4か5で割ったぐらいの感じです。マキノ省三が、久我美子とガラス越しにキスしたり、オードリー・ヘプバーンとローマの休日したりしてるっぽい小ネタも散りばめられています。 なかなかコンセプトとしては面白いし、キャスティングも悪くないと思うけど、いかんせん脚本が不器用すぎるのでは?ディテールの積み重ね方が下手くそだから、感情の流れがぎこちないし、ファンタジーの設定も理解しにくいので、なかなか話に入り込めない。結果として、コンセプト止まりの映画になってしまっている。もうちょっとシナリオを作り直せば、そこそこの佳作にはなると思います。
[地上波(邦画)] 6点(2020-05-17 08:44:37)(良:1票)
191.  塔の上のラプンツェル 《ネタバレ》 
「子供を喰いものにしながら生き長らえる毒親との葛藤」というシリアスなテーマを、子供向けのアニメとして明るく見せてしまっていることに驚きます。表向きはたしかに、コミカルな演出と、勧善懲悪的なキャラ設定と、予定調和的なハッピーエンドに包み込まれていますが、よくよく考えると、この映画は、子供たちに向けて「君たちの親はニセモノかもしれない」「どこかにホンモノの親を探したほうがいい」「親の言いなりになるなら泥棒と結婚するほうがマシ」というメッセージを送っている。もちろん自分まで泥棒になるわけじゃなく、あくまで自分自身の内なる高貴さを信じなきゃいけません。 賛否両論はあるでしょうが、たしかに世の中には、このようなメッセージを必要としている子供たちがいるだろうと思う。わたしは、そういう社会的な意義においてこそ、このアニメを評価できると感じました。 マザー・ゴーテルが悪者であることは映画の冒頭で明示されますけども、かりに途中でそのことに気づくような展開だったとしたら、これはかなり衝撃的な物語に変貌するはずです。わたしたちは、最初からゴーテルが悪者だと知っていればこそ、彼女が転落死しても「ざまあみろ」と喜ぶだけですが、実際のところはそう単純な話ではない。曲がりなりにも18年間自分を育てた母親を死なせたときの主人公の精神的なダメージは、かなり深刻なものになる。そこらへんの葛藤をすっとばして、底抜けにハッピーな成長物語として明るく笑い飛ばしてしまうディズニーの大胆不敵っぷりに率直な驚きを禁じえません。 映画の出来不出来にかんしていえば、せいぜい可もなく不可もなくといったところです。むしろ重たすぎるテーマをカムフラージュするためには、出来すぎていないのがかえって美点かもしれません。 ちなみに、酒場の裏手に巨大なダムが存在する理由と、それがもろくも決壊してしまう意味は何なのか、まったくもって謎でした。
[地上波(吹替)] 6点(2020-05-02 10:46:48)(良:1票)
192.  翔んで埼玉 《ネタバレ》 
ギャグ漫画家として知られている魔夜峰央は、じつはビアズリーなどの西洋絵画や、萩尾望都・美内すずえなど少女漫画の系譜を引いています。二階堂ふみが演じるお耽美キャラとBL(やおい)のエピソードは、その傾向をよく体現しています。 この映画は地域格差をテーマにしています。「地域」の格差が「貴賤」の格差を生むという差別的な構造です。平安時代の日本には、京都を中心とする貴賤格差があり、卑しい者たちがやんごとなき人々に跪くという光景が日常的に見られたはずです。武家社会になっても、日本人どうしが国ごとに分かれて戦ったり、隠れキリシタンに踏み絵を強要するなどの差別がありました。それを現代の日本人はもはやギャグとして笑っているのですが、じつは近現代の日本にさえ「地域格差」や「経済格差」にもとづく優劣の意識は残存しており、そこには少なからぬ差別もあるという笑えない状況があります。数百年後の人類ならば、これをギャグとして笑うのでしょうか? じつは少女漫画も、かなり古典的な貴種願望を描いている場合が多い。いわゆる王子さま願望やシンデレラストーリーは、貴賤にもとづく差別構造を前提に作られており、見方によってはかなりギャグ的な世界です。魔夜峰央は、少女漫画に内在するそのような差別構造をギャグに仕立てて暴露したといえます。 二階堂ふみが体現する「ハイカラ=モダン」な世界に対して、Gackt・伊勢谷友介・京本政樹が体現するのは土着的な「歌舞伎者=ヤンキー」の世界です。この映画は、最終的に後者が席巻して泥臭い世界が覆い尽くす結末になっています。世界を「モダン化」して引き上げるのではなく、世界を「土着化」して引き下げるというイメージです。そのことが、この映画の価値観を、西洋的なものではなく、アジア的なものにしています。そこが東映らしいのかもしれません。
[地上波(邦画)] 6点(2020-02-11 00:17:33)(良:1票)
193.  最初の晩餐 《ネタバレ》 
永瀬正敏と斉藤由貴が出演していることもあり、相米慎二の作品(『台風クラブ』や『あ、春』)を意識しながら鑑賞しましたが、個人的にはちょっと当てが外れました。 『台風クラブ』と同じように、物語中盤で台風が通過します。屋外では暴風が吹いていますが、屋内に不穏な空気感はないし、子供たちにも高揚感や不安感は見られないし、いまひとつ台風の臨場感に乏しいです。過去にも台風が来て倒木が父に直撃したようなのですが、その記憶が何を物語っていたのかも分からない。失踪していた兄は、台風が過ぎ去った後にフラリと戻ってくるのですが、暴風のなかを移動してきたわりに何事もなかったような涼しい顔をしている。結局のところ、台風を通過させることの劇的効果とは何だったのか、よく分かりませんでした。 この映画の主題は《家族の秘密》ですので、その点では相米の『あ、春』に似ているのですが、内容はいっそう分かりにくくなっています。斉藤由貴の前夫の死の謎を断片的な情報から考察させるところは、むしろ是枝裕和の『三度目の殺人』に似ています。是枝のサスペンス映画も、私には見せかけの思わせぶりに感じられたのですが、本作の場合も、必要以上に謎めかせた叙述をしていて、やはり思わせぶりだと感じます。 以下、ネタバレになります。 不倫の果ての再婚によって前夫を自殺に追いやってしまった事実を、父と継母は主人公の姉弟に隠し続けていました。唯一、連れ子の兄(窪塚洋介)だけがその真実を知って姿を消し、ようやく長い年月を経て、父の死に際になって戻ってきます。 血の繋がらない父と息子は、かつて登山をつうじて深めた絆をふたたび確かめ合ったかにも見えますが、それは同時に、彼の実父を死なせた仇である男への壮絶な憎しみと赦しを経た結果でもあったはずです。しかし、そのことがあまり明示的に描かれていません。 一方、主人公の姉弟(戸田恵梨香と染谷将太)は、父の死後になって真実を継母から聞かされます。「家族は煩わしいものだけれど、後悔はしていない」という継母の台詞は、この映画の重要な結論になっており、その言葉が姉弟の抱える家族不信を溶かしていくことになります。しかし、それだけでは説得力が弱いと感じました。やはり長年の苦しみのすえに憎しみから赦しへ至った連れ子の兄の思いを、もっと直接的な形で映像化すべきです。彼の憎しみは、血の繋がらない父だけでなく、彼の実母へも向いていたかもしれないのだから。 映画のラストは、父の好物が「おはぎ」であることを会社の同僚だけが知っていたという喜劇的なオチになっています。しかし、これを結末にすることで、ちょっと焦点がぼやけてしまっている。「たがいに理解しあえないのが家族だ」という結論ではなく、それを承知のうえでも「家族を信頼して築いていくべきだ」という結論に至らなければならないのですから、そのためには、やはり継母の言葉だけでなく、腹違いの兄がもたらす何らかのメッセージが必要だったと思います。 ひとつひとつの断片は丹念に描かれていますが、全体の物語の叙述が上手くいっていない。あるいは、描くべきものを必要以上に隠し過ぎている。ちなみに是枝の『三度目の殺人』のほうはレビューしていませんが、採点するとしたら同じ理由で6点です。
[映画館(邦画)] 6点(2020-01-22 12:28:57)
194.  白雪姫と鏡の女王 《ネタバレ》 
王女様が下層カーストの小人たちと手を組んで国家を再建する物語。外国の王子様は添え物みたいな存在で、いてもいなくてもいい感じ。世の中は女性次第で善くもなるし悪くもなる、というお話です。眉毛も髪も黒々とした王女様は、とても可愛らしいけど、雪国というよりは南アジアの雰囲気が濃厚です。 物語の設定にも、特撮を含めた映像にも、とくに不満はなくて楽しく観ることができましたが、最後だけがちょっと物足りない。悪い王妃を廃しただけで、簡単に元通りの幸せな国に戻れるのですね…。せっかくなら、人々が力を合わせて国を立て直していく姿も見たかったです。まあ、もともと「働かなくても歌って踊れる国」だったのですから、べつに努力しなくても平和と繁栄が戻ってくるのかもしれませんし、労働がなくなれば社会カーストも消滅するのかもしれませんね。 まあ7点でもいいんだけど、ちょっと辛めの6点で。
[DVD(字幕)] 6点(2019-12-27 18:42:14)(良:1票)
195.  蜜蜂と遠雷
まず脚本が弱い。べつの脚本家を立てるべきだったと思います。物語として何を伝えようとしているのかが最後まで見えませんでした。 映像は非常に美しいですが、映像そのものが何かを語れていたかといえば、かなり疑問です。「生活者の音楽」とか「世界が鳴っている」とか「世界が祝福している」といったことが、セリフとして語られることはあっても、映像じたいによって説得的に表現されることはありませんでした。「生活者」にかんしていえば、映像的には、松坂桃李よりも、むしろ眞島秀和のほうがはるかに「生活者」を感じさせました。 ムーンメドレーを連弾したときに、二人がどのような「月」のイマジネーションを飛翔させたのか。それも映像で語られることはありません。ただ二人の手と表情が映されただけです。「春と修羅」を演奏するときに、それぞれのピアニストは何を表現しようと試みたのか。それも映像としては何ひとつ語られません。やはり演者の手と表情が映されただけです。そもそも宮沢賢治の「春と修羅」の世界は何ひとつ映像化されていません。プロコフィエフやバルトークの協奏曲の演奏場面でも、描かれるのは演奏者の表情と聴衆の反応ばかりで、そもそも作曲家と演奏者が何を描こうとしたかはまったく見えてきません。 これでは「音楽を映画にした」とは言えないと思います。この映画自体が「世界が鳴っている」ことを十分に体現できていない。 音楽映画としての意義は、いかに「いい音楽を聴かせたかどうか」ではなく、いかに「映像で音楽を見せたかどうか」に求められるはずです。いい音楽を聴かせるだけなら、プロの奏者に演奏させれば済むことです。音楽映画であるためには、音楽がイメージとして観客に共有されなければなりません。演奏場面で手と表情を映すだけなら、普通のコンサート映像と同じです。顔だけ俳優に置き換えたにすぎません。 それぞれのピアニストが、どんな困難を、どのようにして乗り越えたのかも、映画を見ただけではほとんど理解できません。「蜜蜂」と「遠雷」が作品の表題である必然性も、映画を見ただけでは何も伝わりませんでした。「雨と馬」に至っては、まったくもって意味不明でした。これでは、たんに原作を読んだ人のためのイメージダイジェストでしかありません。映画を見ただけで「蜜蜂」が“天賦(ギフト)”を意味すると理解できる人は皆無でしょう。まして、スローモーションの「雨と馬」が、原体験としての“ギャロップのリズム”だと理解するのは絶対に不可能です。「雨と馬」のもったいぶった映像を流す暇があったら、「蜜蜂」と「遠雷」の意味の対比をもっと明確に示すべきだったでしょう。 扱き下ろすほどひどい作品ではありませんが、ポーランドの映画大学に学んだエリートの作品と期待しただけに、長いミュージックビデオのような内容には肩透かしを喰らいました。
[映画館(邦画)] 6点(2019-10-30 19:59:20)(良:2票)
196.  レ・ミゼラブル(2012)
アップの映像が多すぎます。歌っている時はほとんどアップで撮らえていました。しかし、いい表情を見せていたのはファンテーヌ役のアンハサウェイと、マリウス役のエディレッドメインくらいかなぁ。ほかの役者にかんしては、表情をアップでとらえる必然性をほとんど感じませんでした。もともとミュージカルというのは、役者のエネルギーが歌唱のほうへもっていかれてしまうため、表情や演技が、概して淡白もしくは大味になりがちなのだと思います。アップの映像に説得力が出てこないのは、そう考えれば当然です。チラシによると、本作では歌のリアリティを重視する演出手法をとったとのことですが、ならばなおさら、カメラを寄せて表情ばかり撮るのではなく、歌手たちの声の「響き」を彼らの肢体やその空間とともに大きく映像化すべきだったと思います。とくにエポニーヌの歌う「On My Own」は、実際の舞台で観る時のように、大胆なロングで撮ってほしかった! そのほうが、彼女の孤独感と、歌の力強さとを、より壮大なスケールで見せることができたはずです。何もかもをベタなアップの映像で繋いでしまったために、金太郎飴みたいに一本調子で、小説のあらすじを大雑把に映像化したような大味な映画になってしまった感じ。まあ、泣くことは泣きましたけどね、ああいう内容ですから。でも、映画そのものが興行成績を塗り替えるほどの傑作なのかというと、そうは思えませんでした。7点でもいいんだけど、辛めの6点。 
[映画館(字幕)] 6点(2013-02-07 16:31:07)(良:1票)
197.  七瀬ふたたび
「出来のいいTVドラマ」と言ったら、あまり褒め言葉とはいえないかもしれないけど、けっこう満足して観ることができました。やたらと描きすぎず、物語の前提部分を思い切ってカットし、回想によって断片的に見せていくという手法の脚本は、シャープな感じで好きです。ただし平泉成の役どころはちょっとあっさり描きすぎかなあ、とは思う。テレパシーを文字イメージで表現したり、パラレルワールドを図解したりする映像については、違和感というほどのものはないけど、テレビっぽいのは否めない。映画的な表現としては、評価しにくい。また、CGの出来不出来とかはそんなに私は気にしませんけど、さすがに空を飛ぶシーンにはちょっと笑ってしまいました。せめて役者さんの表情だけでも、もう少し「飛翔感」が出せてればよかったですね。物語のメッセージを限定しすぎて押し付けずに、多様な読み方ができるように作ってあるのは良かったと思います。
[DVD(邦画)] 6点(2011-08-11 19:43:54)
198.  スティング 《ネタバレ》 
ラグタイムの音楽とともに描かれる、猥雑ながらも洒脱な感じのシカゴの町はとても魅力的だし、演出も見事で、役者の演技も素晴らしい。楽しめる映画ではある。ただ、こういう「技巧的な脚本」をどう評価するかについて、私はちょっと微妙ですね…。カラクリを弄するあまり、人間描写の深みはほとんど感じられないし(たまたま一緒にレンタルしたのが「第三の男」だったので、つい比べてしまったってのもある)、観客に疑問をもたせたまま、最後の最後まで真相を明かさないわけですが、最後になってすべての疑問が晴れるのかというと、けっこう色んなモヤモヤが残ってしまう。見終わった後であれこれと振り返ってしまうぶんだけ、かえって脚本の疑問点が浮かび上がってしまうんですね(脚本の緻密さという点でも、つい「第三の男」と比較してしまいました)。たとえば、サリーノは自室ではフッカーを殺害しなかったわけですが、なぜ白昼堂々、通りの真ん中で、ボディガードにも目撃された状況の中で殺害を試みるのか解せないし、ボディガードの側から見れば、それ以前にも殺し屋を排除しなければならないシチュエーションはあったんじゃないかとも思えてくる。あと、これはよく指摘されることだと思うけど、ロネガンは殺し屋のサリーノを差し向けてまでフッカーの殺害に固執しているのに、目の前にフッカーがいることには最後まで気づかないんですね。フッカー殺害の進展状況については報告が逐一あがってきているはずだし、直近の者もいつも傍にいるんですが、誰も目の前にいるのがフッカーだと気づかないのは、ずっと不自然に感じるわけです。その疑問が最後まで晴れない。むしろ、正体がバレた上で、あらためてフッカーとロネガンが手を組むという展開のほうが納得しやすいんじゃないかと思えます。そのほうが、ラストの「死んだフリ」も効果的に生きる気がするんですね。そうじゃないと、レッドフォード(フッカー)はいつまでたっても殺し屋に追われ続けるんじゃないかしら?と心配になります。
[DVD(字幕)] 6点(2011-06-12 23:12:54)(良:1票)
199.  サウンド・オブ・ミュージック 《ネタバレ》 
修道院で手がつけられないほどのお転婆で、なおかつ自然児でもあった主人公が、厳格な父の規律に縛られて生活している子供たちを解放してあげようと奮闘する前半。そして後半では、人間らしい気持ちを取り戻した子供たちの父親が、今度は市民たちを規律で縛ろうとするナチスに抵抗して、祖国オーストリアに培われた自由な文化や誇りを守るために、その支配下から逃れようとする。前半部と後半部の、このテーマ上の有機的なつながりが、あまりに歌や踊りに比重が置かれすぎるためか、やや見えにくくなってしまってる気もする。前半は楽しいのに後半が暗くて重たいだとか、逆に後半は見応えがあるのに前半部が漫画じみているだとか、あるいは、お転婆な設定のわりに主人公はかなり理知的なんじゃないの?とか、そのへんが破綻してるように見えてしまっても仕方ないかも。とはいえ、ミュージカルが苦手な私でもとりあえず楽しむことはできました。なによりトラップ大佐がとても魅力的!実際のオーストリアでは、ナチスの併合に対する抵抗はそれほど強くなかったらしいし、トラップ大佐の人物像がよくもわるくも現実とずいぶん違っているとかいう話もあるらしいけど、かりにそれらがフィクションだとしても、祖国の文化や自由を愛し、芸術的な素養にも富んだ誇り高い男性像はとても素敵で、素直に惹かれました。前妻を失った彼の傷心が、なぜ子供たちを規律で縛ることになってしまったのか、そのあたりの彼の心情を少し垣間見せてほしかった気もしますが・・。大佐を演じたクリストファー・プラマーが当時若干36歳だったというので驚きです。
[DVD(字幕)] 6点(2011-06-04 12:11:23)(良:1票)
200.  ゲゲゲの鬼太郎(2007)
高尾が舞台?の映画ということで興味もってましたが、たしかに高尾ってあんな感じです(笑)。楽しかったので、6点。ねずみ男と目玉おやじは素晴らしいし、微妙にトンチンカンで先の読めない(≒読みようがない)展開も楽しいし、「世界が寛容であるためには間が抜けていることも大事だ」という妖怪ならではのメッセージは得心させるものがあった。ただし、演出はちょっと不満がある。導入部は、もっと怪しげにグイグイ物語世界に引き込んだほうがいい。事務的に前提を並べるだけでは、子供映画としてもツマラナイと思う。また、B級の安っぽさってのは、ワザとらしいほどの「味わい」があってこそだと思うけど、その点が意外に淡白というか、平板で物足りない気がする。そして役者についていえば、室井滋や神戸浩のように「いかにも妖怪らしく」演じる人もいれば、 寛平や獅童や西田のように、ことさら「妖怪風」を出すでもなく、フツーに演じる人もいる。でも、やっぱり私は紋切り型なくらいワザとらしく演じてもらったほうが楽しめるなぁ、と思います。 もっとも、「妖怪らしさ」ってのも、じつは人間らしさと同じように、時代とともに変わるものかもしれませんけれど。 
[地上波(邦画)] 6点(2008-07-09 17:34:51)(良:1票)
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