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風小僧さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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コメント数 261
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自己紹介 現在の技術で作られた映画を観る目線で過去の映画を見下すようなことは邪道と思っている。できるだけ製作当時の目線で鑑賞するよう心掛けている。

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201.  リンカーン
南北戦争期におけるリンカ-ンと周囲の人々の奮闘ぶりを描く。戦争の早期終結と奴隷解放という2つの難題を背負って、彼らが権謀術数をめぐらし、いかに解決していくかが見どころ。手堅くまとめているが、大人版「世界偉人伝」の域を出ていない。先住民に対する過酷な仕打ちはあえてスルーしたか?今の時代にあってなおリンカーンの都合良い部分しか描かない感度の鈍さよ。 D・D=ルイスは人間味豊かな表現力で大統領の苦悩を演じ熱演だが、(撮影当時同じ位の年齢とはいえ)老成したリンカーンに比べちょっと若い印象。年輪を感じさせる演技のS・フィールドと並ぶシーンでは、若さが露呈し「役作り」感見え見えで見劣りする。アカデミー賞ってどうしてこうも「有名人なりきり芝居」に弱いのかね。俳優陣では、夫や子供に対する夫人の内面を滲ませたフィールドが一番いい。T・L・ジョーンズもいい演技だが、どうしても「BOSSのおじさん」を連想する。 リンカーンの最大の功績は南北戦争を終結に導き国の統一を保ったことだと思うが、議会の議決を無視して政策を遂行したり先住民に冷淡だったことも何かで読んだことがある。彼を描くのなら、奴隷解放一点集中でなく、同時期に行われた負の部分も語られるべきだろう。 奴隷貿易廃止を題材にした「アメイジング・グレイス」と比較すれば、作品の出来は向こうの方に軍配が上がる。
[CS・衛星(字幕)] 3点(2016-04-17 13:35:54)
202.  ペコロスの母に会いに行く
認知症の母親とその息子の生活を、ユーモアを交えながらヒューマンタッチで描く。 ペコロス?ミニ玉ねぎにそんなのがあったな。息子のハゲ頭は“ミニ”ではないけどね。 冒頭のアニメシーンは温かみのある描写で、ほのぼのとした気分になる。 認知症といっても程度の差があり、さまざまな描き方があるだろう。本作は深刻過ぎず暖かい視線で前向きにとらえる姿勢、これはこれで良いと思う。介護生活でもエロ本読んでる現実感。それでも介護の苦労は十分伝わってくる。赤木春恵は程よい演技で好感が持てる。特に施設入所日、帰る息子に手を振るシ-ンは味わいがあった。竹中直人が登場すると先の展開を多少読めてしまうのが弱点かな。 戦争や原爆投下が母親の人生に影を落とす。妹を失ったり神経症の夫に苦労したり、多くの苦難の中でも希望を持って生きることの大切さが感じられる。ランタンフェスティバルの光景は躍動感があふれているが、いきなりソニー生命のネオン大写しには興ざめだ。出資者に対する配慮にしては目立ちすぎ。  ラスト、既に亡くなった人たちと橋の上での記念撮影等、メルヘンの要素もあり心地よい後味だ。 もし自分が認知症で施設に入ったら、穂積隆信演じる老人みたいに“選んで”ハラスメントをしそうな気がして、ちょっと恐いような・・・。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2016-04-11 22:40:16)
203.  ミスタア・ロバーツ
最初に観たときは主人公ロバーツの好人物的個性に好感を覚えた。何十年ぶりかで再見して印象が変わった。J・キャグニーの艦長は鼻持ちならないやつだが、そんなに悪いやつ?嫌な上司はざらにいるが、「ケイン号の叛乱」のような怒りを感じるほどか疑問。 一般社会でも、困った上司と部下の間に立たされた者の対応は難しいものだが、上司に対しては面従腹背を基本とし、時として正論を吐く程度がうまいやり方だろう。 評価を決定づけるシーンを一つ。艦長の理不尽に対してロバーツの怒りが頂点に達し、ヤシの木を海へ投げ捨てる場面がある。物語の展開上重要な場面だが、大海原の船に同乗する数少ない“いのち”を海へ捨てる行為は確実にアウトだ。もっと別な表現があるだろう。船に持ち込まれた経緯がどうであれ、物言わぬヤシの木に罪はない。そのようなものを海上にポイ捨てする行為、人はそれを“八つ当たり”という。
[CS・衛星(字幕)] 3点(2016-04-03 23:20:28)
204.  サイコ(1960)
ショッカー映画の最高傑作。個人的にはユーモアを盛り込んだヒッチコック作品の方が好みだが、徹底して恐怖を追求した本作も悪くない。 有名なJ・リーのシャワーシーンは細かいカット割りで恐怖を高め、エロティシズムを融合した名場面。が、巷間言われているほど怖くなかった。ラストシ-ンでのA・パーキンスの異常演技の方がはるかに怖かった。初鑑賞後、精神状態が不安定な時にこの映画は観ない方がよいと思ったものである。 B・ハーマンの音楽は映像との相乗効果でスリルを盛り上げ、作品への貢献度は大きい。ソウル・バスのタイトルに載せて流れるオープニング曲は「これから何が起こるのか」という不安を掻き立て秀逸。また、シャワーシーンの音楽は鋭い刃物のような旋律で、始めの数秒間聞くだけで映画の1シーンを思い出し、ゾクゾクする。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-03-28 10:09:26)
205.  バベットの晩餐会 《ネタバレ》 
美食を切り口として宗教や芸術を語り、人生そのものを描いた映画だと思う。蝋燭の灯りを活かした撮影で、陰影に富む映像が見事。 前半は海辺の寒村を舞台に静かな時が流れる。牧師一家に生まれ、信仰を守りながら質素な暮らしを続ける老姉妹。過ぎし日に親交のあった音楽家から亡命女性の保護を依頼され、家政婦として雇う。宝くじが当たった彼女はお返しに晩餐会で料理をふるまう。老姉妹にとっては「鶴の恩返し」「情けは人のためならず」というところ。 後半は流れるような調理シーン・料理芸術の連続で、観る者を圧倒する。バベットが調達した数々の食材・・・新鮮な果物をはじめ生きたウミガメやウズラ、牛の頭部等。人はすべて生物(動物だけでなく植物も)の命を“いただいて”生きていることがよく伝わってくる。瑞々しい断面を見せるイチジクは生命の象徴であり、性の象徴でもある。 見慣れない食材を前に、警戒して好奇の目を向ける村人たち。晩餐会に招待された将軍が料理の価値を解説*し、彼らの心を解きほぐしていく。年老いた村人たちは過去のいざこざを想起するものの、美味なる料理の前で諍いは無用とばかり徐々に食事を楽しんでいく。村人たちにとって“命を維持する”ための食事が“芸術を味わう“喜びに変わる。最適な食材と腕前で料理は芸術となる。「芸術家は貧しくない」「食事を恋愛に変える」・・・バベットが味わうものは芸術家としての満足感だろう。 宗教的な意味づけの部分は難しいが「最後の晩餐」をモチーフにしたものと思う。村人たちは12使徒であり、将軍は“異端者としてのユダ”(*広義の解釈をすれば村人に対する裏切り)、バベットは“聖霊”の比喩というべきか。 コトコト煮込んで作った料理のような味わいのある映画である。わが人生において食欲よ永遠なれ、だ。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2016-03-20 19:05:27)
206.  扉の影に誰かいる
ブロンソン人気絶頂の頃、週刊明星(平凡?)に彼の半生記が漫画で掲載された。その中に本作の一コマが描かれ、彼とこの作品で共演したA・パーキンスのハイネックセーター姿が印象的だった。アイビーを知らない十代の心にそのセンスが響いたのかも。パーキンスを初めて見た映画として思い出深い。 ブロンソンが持ち味のアクションを封印し心理表現に挑んだ映画だと思うが、やはりミスキャストだろう。うつろな表情だけが記憶に残る。ネット上のメイキング映像を観ると意気込みは感じられるが・・・。対するパーキンスは記憶障害者を利用して妻の浮気相手殺しの完全犯罪を企む医師役。見入るような視線で神経質な性格を演じ、はまり役だ。自分の妻を相手の妻と思わせ、記憶を“移植”する精神科医の姿は独特の怖さがある。でも「サイコ」系の役柄はこのあたりで終止符を打ってほしかった。その後も同系統の役柄を演じ続けた彼のキャリアを考えると複雑な思いだ。 サスペンスとしては盛り上がりに欠けるが、スターの顔合わせを十分楽しんだ。室内シーンが多いものの、海辺が舞台のせいかホバークラフトは忘れがたい。また、パーキンスと妻役ジルが交互に映るエンディングは余韻が残る。
[映画館(字幕)] 6点(2016-03-17 21:55:39)
207.  素晴らしき哉、人生!(1946)
キリスト教的価値観を謳った映画だが、アメリカ映画における一服の清涼剤と受け止めたい。初見後、主人公の人生は暗転してからの後半部分が長いと感じていた。再見すると、大金を紛失する(隠される)前の方が少し長かった。一方に偏っていない時間配分で、良い時もあれば悪い時もある人生を考えるとバランスのとれた編集だ。J・スチュアートは適役適演。 冒頭の天上における神様と天使の語らいシーンは作品に寓意が込められており、オッサンの2級天使という発想もユーモラスでいいアイデアだ。 会社の金を失い絶望した主人公に対して、天使は彼が生まれなかった世界を見せる。その殺伐たる世界を見せつけられ、彼はいかに有意義な人生を送ってきたかに気づく。「ベタな展開」といえばそれまでだがヒューマニズムに溢れており、人生における普遍的なものをファンタジーに包んで描いた映画だと思う。 “クサい”といわれるようなことを正面切って表現する・・・いいね。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-03-06 22:07:19)
208.  レッド・オクトーバーを追え!
東西冷戦を背景に、ソ連原潜艦長たちの亡命をめぐって米ソが繰り広げる虚々実々の駆け引きを描く。アメリカ礼賛映画ではあるが、テンポがよく見ごたえ十分。ラミウス艦長役S・コネリーがロシア人に見えないのは先入観のせいか。ライアン役はA・ボールドウィンだが、CIAとしてはひ弱でちょっと頼りない印象だ。 ソ連艦長の亡命か攻撃かの判断は重要なポイントで、緊迫感あるギリギリの決断を描けばもっと盛り上がったのでは?それを決断したダラス艦長役S・グレンは好演。亡命意思を確認するため、ダラスとレッド・オクトーバーがモールス信号で会話するシーンは記憶に残る名場面だ。 潜水艦ダラスの海面浮上シーンはクジラを連想させる映像で面白い。他の動物を助けるような行動をとるといわれるザトウクジラのダイブを模したか? 魚雷発射され危機になっても艦長たちは冷静すぎの印象であるし、ソ連艦でのコックの銃撃はやや盛り上がりに欠けると思うが、最後は亡命に成功し、めでたし、めでたし。 冷戦時代は他人事でなかった。何せ「プロレタリアート独裁」を職場で語る輩が多数いたんだから・・・。そんな連中はソ連崩壊後、誰も「独裁」賛美に加担した謝罪や反省をしやしない。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2016-02-14 15:34:19)
209.  キングコング対ゴジラ
ゴジラ勝つかキングコング勝つか、世紀の肉弾戦実現成る!これぞ怪獣プロレスエンタメの極致。おーっと、加えてわが日本の“笑撃波怪人”多胡部長の乱入!で面白くないわけがない。コマーシャリズムに対する風刺も上等! 序盤はゴジラ優勢でコング実力を発揮できず押され気味。だが中盤、雷撃を受けパワーアップのコング猛然とラッシュしてゴジラを圧倒。終盤は両者もつれ合いリング下ならぬ海中に没す。プロレス常道の両者リングアウトうやむや決着?はたまた最後、海上に浮上したコングの優勢勝ち?ラストシーンのこの謎には議論ありか。 後の怪獣バトル路線を確立した本作。さすがのゴジラも先輩怪獣のコングに一目置かざるを得ない結末だ。強豪同士の対決はお互い死力を尽くして両リン引き分けか反則がらみで試合終了、というプロレスのお約束と同様の展開で、予想通りドローながら内容は十分満足。コメディー的展開もまた満足。
[映画館(邦画)] 8点(2016-01-31 17:20:17)(良:1票)
210.  最強のふたり
「たまたま組み合わせ・相性が良かったふたり」というべきか。富豪だが不自由な生活の偏屈者、自由はあってもお金がないチンピラ、対照的なふたりがお互いの不足を補い合って最強の友人になったというお話。実話がモデルとはいえ、この障害者は経済的に恵まれているからこそ我儘を通せるというもの。ドリスだって高級車を乗り回したり、パラグライダー乗りやオペラ鑑賞といった非日常的体験は相手が富豪だから可能なのである。 事故で障害を負い、子供に恵まれず妻に先立たれた大富豪が貧乏青年を雇い、価値観の衝突を繰り返しながらも互いに影響しあって友情を育む。この過程が見どころであるが、ふたりさえ良ければ周りの人はどうでもいいの?素朴な疑問として、かの国では障害者に熱湯をかけても問題ないの? ふたりの友情とともに、障害者への接し方が重要なポイントであるだけに介護士達の立場を考えると違和感がある。フィリップの内心を理解できず型通りの介護しかできないプロ介護士は偽善で失格?障害者扱いせず対等に付き合って(ただし長期ではない)友情を育むドリスだけが合格?前任介護士が何人雇っても辞める(辞めさせられた?)原因はフィリップの気難しい性格であり、後任者さえ気に入らずドリスがいいというのは身勝手であり対話不足だ。後任介護士は白人だが、仮にドリスと同じような境遇で誠実な黒人が替えられたならば印象は大きく変わるだろう。 ドリス役は北アフリカ系(旧仏領のアルジェリア等)の俳優が演じればよりリアルに感じられたのではないか。えっ?そうなったら感動は薄まる?人種を絡めて感動を得ようという下心はなかったか。実話を強調している割にはねえ・・・。ふたりの心の交流は理解するが、共感できる内容ではない。
[CS・衛星(吹替)] 2点(2016-01-17 17:22:54)
211.  砂の器
暗い過去を背負うため殺人を犯してしまう天才音楽家の宿命を主題とする人間ドラマであり親子の物語である。 捜査が難航し、迷官入りかと思われる殺人事件を二人の刑事が執念で追及する。美しい日本の四季の風景を織り交ぜながら捜査の過程を叙情豊かに描く。特に日本海沿岸の荒涼たる冬の風景が親子の心情と重なり印象深い。 父の難病により故郷を追われ、親子は巡礼に旅立つ。行く先々で迫害され過酷な運命に翻弄される父子の絆・愛の強さが描かれる。その後の離別から息子(和賀)が犯罪を犯すに至る経緯は、宿命から逃れられない親子の姿を映すとともに人間の業の深さが表される。音楽家として名を成し、良家との婚姻を控え前途洋々たる和賀は、ハンセン病の父親の存在を隠すために恩人・三木を殺す。動機として弱いが、差別を受けた者にしかわからない苦悩が和賀を犯行に追い詰めたと考えられよう。 終盤、和賀の指揮によるコンサート会場での演奏シーン。ピアノ協奏曲「宿命」は、まさしく彼の芸術家としての高揚感・まばゆい未来への渇望と、対照的に暗い過去を抱える複雑な内面を表現するものであった。 人権にも関わる深く重いテーマを描き、美しい映像と圧倒的な音楽の力で情緒に訴える手法だが、後味は悪くない。
[映画館(邦画)] 8点(2016-01-10 12:46:36)(良:1票)
212.  桐島、部活やめるってよ
観た人それぞれに解釈を楽しむ映画だと思う。自分なりに考えると・・・。 桐島、桐島と何回も聞いていると、「カリスマ」の暗示かと感じる。同様に、吹奏楽部長のサックスもサックス、サックス・・・ん?「部活オンリーの童貞とセックスしまくりの帰宅部、どっちがいい」のセリフ。サックス奏者・亜矢が宏樹たちを見ている前で交わされる、男子たちのこの会話も意味深かな? 成績優秀でバレー部のキャプテン、彼女もいる学園の“カリスマ”桐島が、突然退部するという噂が流れる。序盤は多視点反復で登場人物の相関が描かれる。 運動部・文化部・帰宅部別にモテ系・非モテ系の属性を階層区分し、外見は類型的だが内面は個性豊かな等身大の高校生像、その複雑な心情をきめ細かく描く青春群像劇。暴力系(?)やガリ勉が登場しないのは母集団を絞り込むためか。この舞台設定には納得。 ひどく悪意のある人物はいないが、善人同士でも些細なことで傷つけあうことがあり、ちょっとした波紋で動揺する思春期の人間関係のナイーブさが滲み出ている。 桐島不在のため風助に特訓を強いるバレー部孝介は前近代的な精神主義を象徴。対照的に、野球部キャプテンは宏樹に対し部活復帰を無理強いせず自然体で接し好感。また、下位同士と思しき剣道部員の部室出入りシーンはなぜか微苦笑を誘う。さらに、女子3人で話している最中、梨紗が実果に「いま笑った?」の詰問や、かすみが竜汰に交際を秘密にするよう話す「大変なんです女子は」のセリフはリアルな怖さ。げに女同士の葛藤は恐ろしい。 桐島不在で右往左往する人達に対し、映画部員はひたすら我が道を行く。ゾンビ映画を作りたい部長と青春映画こだわりの映画部顧問の関係は、世代間のギャップや価値観の相違をさりげなく描く。 終盤、屋上で展開する映画部員による上位カーストへの逆襲劇(妄想劇)は、耐えに耐えた弱者が強者に一矢報いる勧善懲悪劇を彷彿させる。 屋上での騒動後、8mmカメラを向けられた宏樹が「いいよ俺は…」と涙を流したのは、前田のように打ち込めるものがない空疎感のせいか?エンドロールのクレジット「菊池 宏樹( )」に、彼の所在なさが表れている。2人は好対照だが、逆の視点で見れば、前田と会話して自分を直視しカメラのレンズを通して外の世界へ視野が開けた宏樹に対し、前田は最後までタコツボくんだったな。ラストの展開は、暗闇の中を彷徨っていた宏樹にも微かな光が差してくるような余韻があった。 桐島という偶像は不在の存在というべきか。周囲の人たち(映画部員等を除いて)の意識が偶像として祭り上げたものであり、実体以上に神格化された虚像でしかないのだろう。その意味で、偶像崇拝の怖さも内包した映画といえる。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2015-12-28 08:28:25)
213.  プラトーン
ベトナム戦争に従軍した1兵士の視点から、戦争の実態がリアルに描かれる。ジャングルでの過酷な行軍、疑心暗鬼、服従、裏切り、狂気・・・。さらに、村人の虐殺、焼き討ち、部隊内での殺人、誤爆などこれでもかというほど暗部を暴く。麻薬汚染はいかにもアメリカ的ではある。 製作当時のアメリカ映画としては異色の力作だが、過酷な戦場を描いたら(作品名を挙げるまでもなく)太平洋戦争を題材にした日本映画の方がはるかに説得力があるのではないか。本作と決定的に違うのは、日本映画の場合、物資の補給不足による悲惨な飢えが加わること。時には人食いさえも描かれる。その点は所詮アメリカ映画。エリアス軍曹が最後に両手を上げるシーンは神への祈りなのか戦争への怒りなのか?印象的な場面だが、このポーズでさえ「カッコつけ」に思えてしまうほどヒロイズムを感じる。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2015-12-21 11:17:46)
214.  エデンの東(1955)
10代の頃にリバイバル上映で観たが、J・ディーンの泣くシーンを見て「おいおい、男がそんなに泣くなよ」という印象しか残らなかった。彼の出演作では「理由なき反抗」が一番良かった。「ジャイアンツ」はR・ハドソンとE・テーラーの映画だしね。  数十年ぶりに再見しての補足 1 J・ディーンの細かいしぐさが鼻につく。アクターズスタジオ仕込みの“内面表現”(メソッド演技)とやらだろうが、明らかに演技過剰。百歩譲ってこれを是とした場合、「孤独で愛に飢えた」青年というよりも「病的な性格」の青年と映る。 2 母が売春宿を経営していた事実を知ったショックから、反戦主義の兄が戦場に赴くのはあまりにも唐突で短絡的。 3 父子の和解に看護師(婦)をダシに使っている。それほど悪い看護師? 4 結局、問題児が弟から兄に入れ替わっただけじゃないか。
[映画館(字幕)] 1点(2015-12-13 15:16:24)
215.  2001年宇宙の旅
宇宙空間の壮大さをゆったりした映像で表現し、音楽と一体化して見せる一大叙事詩。セリフが極力抑えられており、環境映像のような見方で画面に集中できる。製作当時は米ソ冷戦真っ只中であり、宇宙開発にしのぎを削っていた時代。監督の前作「博士の異常な愛情・・・」からの流れで見れば、対立から協調を経て、宇宙開発における米ソの協力を織り込んでいる。先見性という点で、本作の評価には直結しないが21世紀におけるソ連の存在は、映像の完成度が高いだけにイタかったなあ。HALの予測ミスをあたかも証明したかのようだ。セリフはもっと厳選してもよかったろう。また、木星探査計画での女性・非白人のクルーがいない描き方も物足りない(同時期に製作の「スタートレック」と対照的)。オープニングからHALの叛乱あたりまでは完璧な画面作りに挑み、宇宙船の窓の人影が動く描写など緻密だ。最後の「木星 そして無限の宇宙の彼方へ」の章は、あえて明快な描写をせず、観る人にそれぞれの解釈を委ねる演出だが、これは諸刃の剣だろう。観終わってから、ある人がAという解釈をすれば別の人はしたり顔でBと反論するような議論百出の問題作。進化をめぐるモノリスやスターチャイルドの姿を見ると、科学・哲学と宗教のごちゃ混ぜ感は否めない。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2015-11-29 16:46:06)
216.  運が良けりゃ
時代劇はチャンバラを楽しんだり戦国武将の生き方を味わうもよし。そして、この映画のように市井の人々や農民の日常に思いを巡らすもよし。「幕末太陽伝」同様、落語を元ネタに江戸時代の庶民の生活ぶりが皮膚感覚で描かれ、面白い。貧乏長屋を舞台にさまざまな生業の人物が登場して悲喜劇を展開するが、その中で肥汲み屋の吾助は重要な役割を果たす。当時は人糞を農作物の肥料として売買するリサイクルが成立した。汲み取りの時など臭うのが当たり前で、画面全体から臭気が漂うような画作りは見事に当時の生活感を醸し出している。昔、ある俳優が人糞を肥料にして作物を栽培し「うまい(栄養価の高い)ものを食べた人の排泄物は肥料の効きが良い」と語っていたが、劇中でも吾助の「最近は肥えが薄くなった」のセリフがあり、景気低迷による食生活の悪化(=肥効性の低下)をにおわせている。終盤、主人公・熊五郎の妹は輿入れ相手として奉公先の大名ではなく、かねてより惹かれていた肥汲み屋を選ぶという痛快さ。裕福な生活より愛情が大事、と人情味あふれる展開で締めくくる。自分なりの考えをふたつ。「熊さん」「八つぁん」の名前ではモロに落語なので別名がよかった。また、タイトルは「ウンが良けりゃ」の方がよい。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2015-11-22 11:21:23)
217.  モスラ対ゴジラ
俗に「怪獣王ゴジラ」というが、60年代においてキングコングに引き分け(or判定負け)、キングギドラには単独で勝利していない。そして本作では2対1のハンディキャップマッチながらモスラに敗れている。海岸に漂着するモスラの卵は「虹の卵」(パゴスではない)と形容したくなる幻想的な造形美であり、殊に卵を取り巻く群衆の場面は絵画的な趣を感じる。巨大生物を見世物にしてひと儲けを企む業者の姿は「キングコング」の昔から定番だが、悪徳業者を演じる佐原健二や田島義文がちょっぴり愛嬌があるのは東宝流。ゴジラが自衛隊の高圧電流攻撃に苦しむ場面は、安易に強いだけでなく弱点もある生物という描き方で、それに耐えるタフネスぶりがモスラとの戦いに凄みを加える。親モスラが余命わずかで、最後の力を振り絞って戦うシーンや幼虫モスラが双子で誕生する設定など、実に工夫された脚本だ。激戦の末、幼虫モスラが糸を吐いてゴジラをがんじがらめにするという平和的な手法(?)で勝利する展開は何度観ても感動する。藤木悠の「卵のオバケ?」はコメディリリーフの面目躍如、こじつけに見えるが当時としてはありがちなものと思う。体験談だがこの映画から○年後、仕事で訪問の都度、茶菓子代わりにゆで卵を出してくれるところがあった(!)。よれよれコート姿で葉巻を燻らすロス市警刑事さんもなぜかゆで卵が好物だったな。
[映画館(邦画)] 8点(2015-11-15 16:03:17)(良:1票)
218.  戦火の馬
第1次世界大戦を背景に、軍用馬として徴用されたサラブレッドを主人公とし、その数奇な運命と、戦時下における人間と馬の交流を絡めて描くロードムービー。故に長い。全体的に感動要素テンコ盛りで少々ゲップが出る。逆光を活かした撮影は絵画的画面の連続で、時には影絵のような効果も。特に室内シーンはフェルメールの絵画を思わせる。ヨーロッパの牧歌的な時代を舞台にしてヴィスコンティを意識したか?塹壕内での毒ガスによるアルバートの目の負傷は終盤への伏線であり、口笛を吹いてジョーイと再会する場面へと繋がる。クライマックスは鉄条網に絡まれた馬の救出をめぐる英独の休戦シーン。敵味方を超えての会話やカッターを一斉に投げるシーンなど出来過ぎの美談の感もあるが、第2次世界大戦におけるリリー・マルレーンの例もあり、決してメルヘンとも言い切れない。特筆すべきは馬の表情の豊かさで、擬人的な演出が随所にみられる。ラストの帰郷シーンは、遠景ショットのシルエットが印象的な、余韻の残る場面だった。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2015-11-08 14:54:40)
219.  続・何処へ
東宝青春カラー爆発!という感じの映画で、日本映画では一番好きな作品。加山雄三のちょっととぼけた魅力の教師を中心に、田舎町の人間模様を織り成すコメディーで、「青い山脈」を思わせる展開。ちょっぴりエッチな(?)シーンも登場するのはご愛嬌で、子供たちが嬉々として凧揚げを楽しんでいるシーンは最高!とにかくよく揚がるのは何故か?対比の妙という点でこれほどケッ作なシーンはない。他の日本映画にも似たような着想があり、この発想の源流は民俗学にも関わってくるようでなかなか奥深いものだ。
[映画館(邦画)] 10点(2015-10-24 21:04:13)
220.  大脱走
何回捕まっても、アメリカ的な明るさで脱走(任務)をあきらめないヒルツの姿勢には脱帽。人生いかに困難な場にあっても、楽天的に、プラス思考で臨みたいものだ。捕虜に多数の犠牲者が出てほろ苦い結末だったが、オールスターキャスト中、私の好きなJ・コバーン、C・ブロンソン、J・レイトンの三人はいずれも脱走に成功し、この点はよかった。「第十七捕虜収容所」でもそうなのだが、精神的に参ったり病んだりした捕虜にも視点を当て、丁寧に描写している。J・レイトンは歌手として主題曲を歌っているが、ちょっとパンチ不足かな。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2015-10-24 20:47:05)
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