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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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2181.  武士の家計簿
ユニークな映画が出来てるのではないかと期待してしまった。小説ではない人文系の書籍をベースにして劇映画にしたってことで、市川崑の『私は二歳』のような風変わりな作品を期待した。同じ才人監督だし。侍たちが並んでソロバンをはじいているなんて、あんまり見たことない図で、事務職としての侍の職場を描いた珍しさなんかいい。それで主人公の「ソロバン馬鹿」ぶりを具体的に展開していくのかと思っていると、それほどでもなく中盤に至り、そうか一家の倹約作戦を細々と見せていくのか、と膝を乗り出すも、その話は大ざっぱに収まり、いつのまにか幕末になってけっきょく歴史をソロリと撫でただけで終わってしまった。原作にあっただろう(読んでないので想像で言っちゃうのが弱いのだが)エピソードを、あたりさわりのない話(父と子の確執とか)に変換して繋いだって感じ。親父の一つ語りの門の片面だけを塗った話、みたいな「何の教訓にも変換されない」具体的な手触りの感じられるエピソードをもっと聞きたかった。原作の人文書そのものから膨らませるのではなく、既存の物語の型に当てはめただけに見えた。もったいない(歴史学の本を劇映画にするのは実際大変だろうとは思います)。ただ最近小林正樹の『切腹』見たばかりだったので、江戸時代のアタマと終わりでの侍の対比となって面白かった。とりわけ刀の扱いの違い。侍が官吏になり士道がソロバン道になっていったが、別にそれは劣化だったわけではなく、それなりの一生懸命が必要だったんだ。息子の祝いの席で出た絵の鯛を持って縁側を(縁「川」に見立て)人々が行くシーンが、唯一映画として生き生き感じられた。
[DVD(邦画)] 5点(2011-12-09 10:23:02)(良:1票)
2182.  フォーエヴァー・ヤング/時を越えた告白
プロポーズは決めたときにすぐやらないと、ヤヤコシイことになる、という教訓つき。人間の冷凍保存もの、ってのがこの頃ちょっと目に付いた時期でしたなあ(『レイト・フォー・ディナー』ってのが前年にあり)。この手の趣向では、世代のズレを見せるのが面白味なんだけど、これは別にそうでもなかったか。留守番電話に戸惑ってた。少年を配置して繰り返されることを強調。軍の上層部がこのことを知ってたのなら保管がずいぶんいい加減だし、よーく知ってたのならもうとっくにハリーのノートなんか入手してたように思うんだけど。「日本を襲う台風のように」なんて比喩が使われてたな。まあ全体ブツブツ言いながら見てたんだけど、ラストの再会シーンではホロリとしてしまった。こういうのに弱いんだ。意が通ずる、というか、よかったよかった、って空気。ウミカモメが浮遊してて。
[映画館(字幕)] 5点(2011-11-21 10:20:53)
2183.  お気にめすまま
もうちょっと前半テキパキしてくれたら、くたびれ男の恋愛ものとしてそう悪くない味わいになったと思う。妹の騒動の顛末が、けっきょく単なる痴話げんかに終わってしまい、この主人公カップルもヘリコプターから痴話げんかと見られてハッピーエンドに閉じていくあたり、いちおう対になっている構成。痴話げんかで納まる夫婦もあれば、痴話げんかをするまでになれた恋人同士もあり、まあ人間、情けないもの同士仲良くやっていきましょうや、というちょいとしみじみしたハッピーな気分。エレン・バーキンはクラシック系の歌い手には見えないな。「イオウジマ」なんて苗字は、まずないぜ。
[映画館(字幕)] 5点(2011-11-15 10:38:17)
2184.  沈黙の戦艦 《ネタバレ》 
S・セガールって人、どうも魅力がわかんない。B級なのは別にいいのよ、B級ならではの臭みでも出てくれればまだ引っかかってくれるんだけど、悪いんですけど、ホントのっぺりしたデクノボーって感じで。コックが似合わねえしなあ。シナリオとしても、なにか『ダイ・ハード』みたいな弱みを与えるとかさ、オリジナルな仕掛け、個性的な危難みたいなもんが欲しいわなあ。ただ立て籠もればいいってもんじゃない。犯行も低レベルで狙いがはっきりしない。悪玉が馬鹿に見えたらこの手の話はオシマイよ。味方の攻撃をいかに防ぐかなんてところで面白くなれそうなんだけど、それはトマホーク自爆させて、みんなヨカッタヨカッタって拍手して終わりになっちゃうの。情けない。最後に主人公が軍服着て敬礼するところに、この映画の根本的な勘違いがはっきり出ていたと思いません?
[映画館(字幕)] 5点(2011-11-11 10:22:38)
2185.  ホット・ショット2 《ネタバレ》 
前作はけっこうパロディを突き抜けた「無意味」自体の輝きを感じた部分があったんだけど、今回はパロディの枠を抜け出られなかった。チャーリー・シーンやヴァレリア・ゴリノといった非喜劇的人物がドタバタをやるという取り合わせの新鮮さも、二度目となると慣れてしまう。個人的に好きなのは、背景でなんかやってるギャグで、タイのシーン、手前でハーレーを巡るドラマが展開している向こうで、セクシーなミシェルの前に坊さんが並んで、犬が立った芸を見せてるとこ。あの手のが好きだなあ。フセインを出したのが、ナンセンスものとしては不純になってしまった。敵地で鍵を盗み取るのにやたら音をたててしまうギャグ、その鍵を木の檻から体を出してつかみ取るギャグなど。
[映画館(字幕)] 5点(2011-10-30 12:13:49)
2186.  伴奏者
フランス映画はヴィシー政権のおかげで陰影のある時代を持つことが出来た。このヒロイン、伴奏者として「何かを選ぶことを放棄した人生」を選んだわけ。ヴィシー政権を背景にすると、そのうつろさがよく似合う。邦画だったら、尽くしぬく芸道ものになりそうな設定を、そうはならない。歌手のほうは少しの卑屈さもなく堂々とこの時代をうまく渡り歩いていく。ヴィシーフランスの下からロンドンへ、さらにアメリカへと、そのつどうまくジャンプしていく。踏み台にされる夫。顔のシーンの多い映画でしたね。私にとってはフランス映画の苦手な部分が凝縮されたような作品でした。オペラ歌手とその伴奏者の話なのに、音楽の基本テーマはベートーベンの第1弦楽四重奏の第2楽章。初期の四重奏が映画に使われるのは珍しい。
[映画館(字幕)] 5点(2011-10-29 12:29:16)
2187.  スプリング・フィーバー(2009)
これは困った。話が分からない映画というのにはある程度慣れてるつもりだったが、登場人物が確定できない。なにしろゲリラ撮影なので光量が不足気味で、人物が混乱する。これはさっきのあの人だよね、それとも新しい登場人物か、などとしばしば立ち止まらせられる。とちゅう妻が夫の不倫相手の男(ゲイなの)の仕事場に乗り込んでいくあたりまでは、大体把握できてたつもりなんだけど、探偵が濃く絡んでくると私の握力ではつかみ切れなくなった。あ、あれとこれとはやっぱり別の人なんだな、と顔面の識別よりも話の展開上の合理性で想像する。最後のほうでは『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』っぽく三人が漂流を始めたかと思うと、また分解していって、切られたり刺青ほったり。撮影禁止の処分を乗り越えて製作した、っていうんだから、いい加減なもんじゃないとは思うんだ。ゲイという特殊を通して、閉じ込められている中国からなんとか普遍に至ろうとしたのか。その勇気はたたえたいし、当局の「映画監督に撮影を禁じる」という処分の不合理には怒りを覚えるが、でもこの映画、分かりませんでした。どうゲリラ撮影を敢行していったのか、メイキングフィルムのほうが面白そう(そんなの撮ってる余裕ないわな)。ちょっと心が騒いだのは、同性が踊るシーン。ベルトルッチも女性同士がダンスするシーンが好きだったが、これでは屋外でのダンスと室内でのチャチャチャのシーンに、若干ときめいた。中国語で「変態」とはピェンタイというのか。
[DVD(字幕)] 5点(2011-10-28 10:51:01)
2188.  大病人
いつもの情報映画ではなく、フツウの映画を志したようだが、そうすると一本の作品としてのうねりが出せない。唐突な臨死体験、ラストの般若心経も浮く。やはりこの人は情報を陳列していくのが向いている。逆に脚本を他人に任せてみれば良かったかも知れない。作者にとっての中心ポイントはどうも医者の改心らしいんだけど、これがあまりにも「文章的」でこなれていない。中の映画もなにか全然別の方向から死にアプローチするものをはめ込むべきだったんじゃないかな。顔の皮膚が破けてトウモロコシが出てくるところなんか、丁寧に見せたら面白そうだったんだけど。この人、皮肉家かと思ってると平気で俗に走り、群衆の扱いが粗雑だったり、感情表現が大雑把だったりで、困る。
[映画館(邦画)] 5点(2011-10-18 10:02:27)
2189.  チート
東洋人にあちらが感じている「表情の読めない冷たさ」の行き着く先は、やはり「冷酷な悪人」で、本作で完成したってところか。自分の持ち物にトリイの焼印を押す金貸しの日本人が、借金のカタに人妻を誘惑し背に焼印を押しちゃうんだもん。東洋美術もすべて陰気な気分に導く道具となる。こんなころはまだアメリカの東洋人はみんなビンボーだと思ってたんだけど、金貸しをするような人物も生まれていたのか。少なくとも映画に登場させても不自然ではない設定だったのか。黄禍論てのは低賃金労働者がたくさん入り込んできて社会の混乱を招くってところから生じたんでしょ、あるいは未来にはこう東洋人に金を借りるようになるかも知れんぞという不安のイメージだったのかな。そういう設定でありながら「悪の魅力」ってのが雪洲にあるのが映画の不思議なところ。それは認めても、やはり異邦の人間への警戒感に乗った話で、群衆が激昂し正義に燃えて雪洲に詰めていくあたりは、後味悪い。別にこちらが日本人ってことと関係なく、興奮する正義とそれを肯定する雰囲気ってものが気色悪い。
[映画館(字幕)] 5点(2011-10-13 09:57:21)(良:1票)
2190.  ボーン・イエスタデイ(1993)
ネタは「マイフェアレディ」かと思ったら、なんか昔にも一度映画かされてる別の話らしい。設定は現代にしてあっても、どこか昔の話って感じが残る。「女はつらいよ・ワシントン立志編」って言うか。マリリン・モンローがやるともっとかわいくていい話でしょうね。メラニー・グリフィスだと、なんちゅうか、ひがみっぽさが出てきちゃう。そもそもこの単純な上昇志向が、もう現代(封切り時の)では無理なんだよね。人は学習だけでアップするとは今は誰も思っていない。やっぱストーリーと映画化のタイミングってあるんだよなあ。おそらく本作で一番いいのは、ジョン・グッドマンの成金でしょう。ゾッコンまいってる弱みがあって。パーティの8ヶ条なんかはアメリカ人だともっと笑えるんだろうが、こちらはどうしてもワンクッション置いてしまい、直の笑いになれない。
[映画館(字幕)] 5点(2011-10-11 10:18:51)
2191.  電送人間
東宝の変身人間もの三作のなかでは、SF性よりも犯罪に重点が置かれていて異色(脚本が、常に社会とのつながりを意識していた木村武ではなく、これだけ関沢新一)。いちおう 平田昭彦は出てるし、白川由美は襲われて悲鳴をあげたり下着姿になったりしてるし、キャバレーシーンはあるし、ちゃんとミニチュア貨物列車も爆発するんだけど、怪人の標的は定まっていて市民がパニックになって避難したりすることはない。なにしろ場違いの鶴田浩二が出づっぱりなんで調子が狂う(なんでも福田監督の助監督時代に恩があったとか)。でミステリーとしてもSFとしても腰の定まらない変なものになってしまった。ま、その「ヘン」さが東宝特撮ものの味わいなんだけど。ためになったのは、当時軍国キャバレーってのがあったのを知ったこと。ホステスが海軍のセーラー服を着て、ボーイが陸軍。酒の名称も「ミサイル」とかやってる。キャバレーの名前は「大本営」。事件は戦中の軍の機密から始まっていて、もし脚本が木村武だったら「戦争を忘れているもの」と「引きずっているもの」との落差をもっと出そうとしたんじゃないか。お化け屋敷の客で青年児玉清が一瞬登場。
[DVD(邦画)] 5点(2011-10-04 10:13:22)
2192.  フォートレス 《ネタバレ》 
夢の中にまで立ち入られちゃうってのが、ちと怖い。Don’t dream、ってね。SFもサイコスリラーの流行りと連動していて、なにか心理的なものへの関心が高まっていた時期だったんでしょうなあ。でもこの所長、ぬかりすぎてますよ。逃げる場所メキシコが存在してるってのも甘いなあ。その他のものをみな死なせても、自分の子どもが無事出産されれば、それで「よかったよかった」になるの。あちらの映画に出てくる有色人種はだいたい「いい人だけどけっきょく白色人種の最終的勝利のための犠牲になって邪魔にならず退場していく」という役割りが多い。
[映画館(字幕)] 5点(2011-09-22 10:51:49)
2193.  サラフィナ!
映画の感動が類型によって阻害されている恒例。類型から突出しかかるものがあると、ことごとく棘を抜いて、均衡をとることにばかり気を使っている。たとえば、あの白人の下で威張ってる警官なんか突っ込めば面白くなれそうな要素なんだけど(アパルトヘイト下で生活することの苦しい選択)、哀れな目をして殺され、こちらの学生側の過激な奴が兵に撃たれるのと釣り合わされる。拷問の報告から銃を捨てるサラフィナとの間にこそ最も大きなドラマがあるはずなのだが、もひとつ説得力がないのではないか。何か作者が思ってもいなかったものがググッと突出し、作者自身が途方に暮れてるようなものが欲しいんだけど、そういうものはことごとく芽のうちに摘み取って、こういう「感動作」として未整理なところが一つも残らないようにきれいに掃除をしてしまっている。作者が自分で問題を見つけようとしてないんだな。そういった傷のない類型化がテーマを鈍くさせている。ミュージカルとしての演出も下手で、カットを割りすぎてダンスの面白味は皆無(これは全盛期以降のミュージカルすべてに言えることだけど)。歌が始まる瞬間のトキメキもなかった。ネルソン・マンデラが神様になってることはよく分かった。アパルトヘイト反対の趣旨にのみ同意の点数。
[映画館(字幕)] 5点(2011-09-21 10:08:08)
2194.  野性の夜に
愛というロマンチックに傾きがちなものに、エイズは即物的に障害を与える。エイズを映画で取り上げるにはそこらへんにポイントが生まれてくると思うんだけど、これはけっきょく最後にはさして突き詰めないまま精神性に走ってしまい、つまんなかった。ロマンチックから離れるには性の滑稽味を対比させるという手もあるが、実際エイズになっていた作家に、そういうゆとりを期待するのは残酷かもしれない。しかしどうも自分勝手な二人に見え、この映画のつまらなさは、死病と関係なくこの二人の個性としてのだらしなさに由来しているようで、彼らにつきあい続けても何らかの普遍性に至れるとは思えなかった。ヒステリーで表現してしまうことのつまらなさ。自分の病気を記録していこう、といったドキュメンタリー的な視点があったら価値のあるフィルムが生まれただろうが、自分の死を目前にしたら、まあ自分の生がロマンチックなものだったと総括したくなるのは分かるな。
[映画館(字幕)] 5点(2011-09-03 10:03:52)
2195.  シャーロック・ホームズ(2009)
推理小説が映画に向かないのは、やはり根本の興味が理屈の面白さに由来しているからだろう。謎解き的部分は、検証的にサササッと退屈させないように見せてはいるが、でも根本が非映画的なものだから「方向違いなことやってる感」は残る。そこで活劇的な冒険を付け加えて映画本来の楽しみに戻そうとすると、なにもシャーロック・ホームズである必要がなくなってしまう。で映画は中途半端なものになってしまった。いっそ「ホームズ三世」とか適度に揺れを最初から仕込んどいたほうが、観る方は入りやすかったかも知れない。でもそうしたら時代が現代になってしまい、本作唯一の見どころ、テームズ川風景が無効になってしまうから、「ホームズの従兄弟」あたりがいいか。昼の眺望も、夜の航行から見える岸向こうのロンドンもよかった。あの手の技術で明治の隅田川も、日本映画で再現してほしいな。
[DVD(字幕)] 5点(2011-08-22 09:37:09)
2196.  ケンタとジュンとカヨちゃんの国
全編に漂う「恨みがましさ」に、若干辟易させられた。たしかに個人の踏ん張りではどうしようもない生まれながらの格差はこの国にあり、それもより深く広がりつつあるけれど、それに対する苛立ちがただ「恨みがましさ」だけに収斂していってしまっている。「連帯」とか「革命」とかの言葉はもう輝きを失っているが、それに代わるものを模索する努力を放棄し、ただ「恨みがましさ」に寄りかかってしまっている。映画はその若者を批判的に見ているようでもなく、けっきょく「出口なし」の状況の悲劇性に陶酔してしまったのではないか。ただ「辟易」の度合いを「若干」としたのは、こちらに今の若者の閉塞状況を分かってないかもという弱みがあるからで、もうここまで追い詰められている可能性もときに感じられるからだ。網走に行けばなにか次が見えるかも、という出たとこ勝負のロードムービーという設定に、いまの若者の切羽詰ったとこが反映されていたのかも知れない。なにも若者に限ることでもあるまい。原発労働者の境遇は黒木和雄の『原子力戦争』のころとまったく変わっていないことに(さらに使い捨てシステムが合理的に進化しているか)最近驚かされたばかりである。映画の流れとしては、カヨちゃんとの再会の場や、先輩との対決にもうちょっと段取りがほしい。期待した安藤サクラの怪演も、ふわふわと登場するシーンではワクワクさせられたが、あとはまあ無難な演技といった線。
[DVD(邦画)] 5点(2011-08-11 12:27:35)
2197.  夢千代日記
前半は良かった。ひなびた感じ。でもそれは諦念の世界に通じていきやすく、テレビのときも思ったんだけど、それが反核のメッセージとうまくつながらないのよね。画面が滅びる美しさを奨励しているようで、その滅びの美しさと反核とを正面からきちんとぶつけられたら、テーマとして深まったんだろうが、なんとなく雰囲気として立ち込めるだけになってしまった。腹貸し女と本妻とのシーンはちょっとホロッとした、でも肝心の本筋の北大路君の話が詰めが甘くて大時代的。ラストの桜と吉永さんの顔と踊りとのオーバーラップは俗悪でした。これが監督の遺作か、もう弱ってたのかな。テレビの音楽は武満だったが、あっちも弱ってて『暗室』(無機質なフルートの響きがとてもよかった)で組んだ松村禎三を起用。なんか滅びの映画になるわけだわな。松村さんもいいんだけど、テレビ版の武満の印象が強くて。
[映画館(邦画)] 5点(2011-08-09 10:11:05)
2198.  ロボコップ3
最終的に何が善玉になり何が悪玉になるかで、その文化圏の気分がわかる。ホームレス・警官は善玉で、パンク・日系企業は悪玉と配置された。そうか。ホームレスは日系企業によって生み出された被害者であり、日系企業など外部に対抗して一致団結せねばならぬときに、パンクのようにすさんでいてはいけないのだな。ロボットの弱点、あらかじめインプットされたものには逆らえない、ってのが、今回はあんまり生きてなかった。記憶を消されかけるってのはあったけど。なんとはないコミュニティー志向ってとこに60年代っぽいもんを感じたが、微妙にナショナリズムと続いているような気分もあって、嫌な感じ。日本刀が振り回される。オートモってのは大友克洋へのオマージュか。反・日系企業映画だったがソニーの配給だった。
[映画館(字幕)] 5点(2011-08-02 10:20:26)
2199.  カサノヴァ最後の恋 《ネタバレ》 
脚本はカリエール。原作は世紀末ウィーンのシュニッツラー、あの『アイズワイドシャット』の原作者にもなる。後半滅びの予感というかその転変が、前半のユーモアとうまく対比される予定だったんだろうね。ラスト、卑しいスパイの条件を呑んで古都ヴェネツィアに戻っていくあたり、腐敗と死の匂いが立ち込めて終わるのが、カサノヴァの時代というより、もう1世紀ほどこっちっぽい。かつての色男をアラン・ドロンがやるってのが売りなんだけど、まだカッコよすぎる。もう少し崩れてもいいと思うが、製作総指揮がアラン・ドロン本人なんで仕方ないか。ドロンは終始一つの表情だけだった。没落する色男と対比されるのは、科学の娘の登場。「戦争もいいもんです、軍隊が減るから」いう自由人でいられたのの終わりでもある。この監督はなんでも『地獄に堕ちた勇者ども』に端役で出てたそうなんだけど、コクの出し方を学ばなかったな。
[映画館(字幕)] 5点(2011-07-15 09:57:52)
2200.  チベットの女 イシの生涯
純粋な映画的興味というより、中国映画がチベットをどう描いたか、ってな不純な動機で観た。そもそもこの作品が作られた来歴が分からないので難しいんだけど、かつてダライ・ラマがノーベル賞とったときに中国が作った自分たちの主張用の映画(私は未見)みたいなもんかと思っていたが、そうではない。59年のラサ暴動もちょっと扱われ、ダライ・ラマらしき人物もヒロインが若旦那の家で望見することになるが、暴動そのものへの意見は述べられない。ヒロインの個人的な悲しみ、子どもが若旦那に引き取られるって方の話を軸に描く。ダライ・ラマと通じて描かれたその若旦那も、別に極悪人というわけではない。わざわざ暴動とダライ・ラマに触れたのには、各方面へ顔を立てた結果のギリギリの表現であったのか、異邦の者が類推しきれない事情が裏でひしめいているのだろう。気になった。監督は漢民族だが、スタッフ・キャストには漢字四文字の名が見られ、あれはチベット族であろうか。推測に推測を重ねるようなもんだけど、撮影所という場所のアナーキーな自由さを想像した。かつて満州では、日本の興した満映がもっぱら国策映画を作っていたが、そこは中国人が映画製作を学べる場所にもなっていて、戦後の中国映画発展の基礎にもなったと聞く。そんなことがチベットでも起こっているのではないか、という希望のようなものをちょっと感じた。映画そのものは、語る手順があまりうまくなく、半世紀前の登場人物が「太古の伝説の快男児」みたいで現在とうまくつながらず、その断絶感が一番言いたいところなのかも知れないが、幼なじみの僧侶とのエピソードなど、挟む場所が違うんじゃないか、などと思わされたりもし、もう少し流れを整理してほしかった。もっともその僧侶とヒロインが放浪するシーンでの風景の美しさは見事で、チベットの民族主義を高揚させたかどうかは分からないものの、そのだだっ広さはとにかく気持ちいい。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2011-07-02 10:13:51)
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