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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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341.  ヘレディタリー 継承 《ネタバレ》 
撮影場所はユタ州だそうである。ゲゲゲハウスのようなのが目を引くが、こういうのを好んで作る人々も実際にいるらしい。 ホラーとしての見た目でいえば、大して怖くないが雰囲気は悪くない。序盤では、まずは祖母の遺影が生きているかのような気色悪さを出していた。またその後に部屋に出て来た姿が二次元的に見えたのは、いわゆる霊感のある人々の話でもそのように表現したものがあるので現実味があった。背景音や音楽でも凄味を出している。 個別の場面では、兄が「大丈夫だ」(字幕)と言ったので、大丈夫でないだろうがと思ったがなぜかそのまま帰って来てしまい、朝になってから母親がギャーと叫んだのがなかなか衝撃的だった。頭部をおいて来たのはさすがにまずい。  ドラマとしてはあまり印象に残るものがない。家族関係ではこれまでいろいろ確執があったようだが、そもそも特殊な家庭のようなのであまり突っ込む気にならない。家族のうち本当の重要人物は誰かをめぐるサスペンスという面もあったかも知れないが、別にどうでもいいので勝手にしろと思って終わりだった。 また家系に関わる心霊物かと思っていたら、結局最後はカルト教団の話になっていたのは残念感がある。古代からの由緒正しい悪魔らしいが西洋世界限定のものにしか思われず、また教団も地方のマイナーな集まりのようで、ここから世界支配を企むといった大がかりな展開になりそうもない。現に自分のいる世界との接点がないので身辺に迫る怖さを感じない。 これでアメリカ人がどう思ったかわからないが、少なくとも自分としては人類普遍のものが表現されているとは見えなかった。  なお母親の作っていたミニチュアは少し興味深いところがある。建築模型でなくドールハウスという言い方になるようだが、ギャラリーで個展をするくらいなのでアート作品として作者の精神世界を表現し、見る人を引き込む力があるものだったらしい。制作の動機としては、自分にとって好ましいとも限らない周囲の世界をミニチュアにして受け入れて、自分のものにしたい(支配したい?)という欲求があったというようなことか。よくわからないがその心理は知りたいと思った。 この家系はこれまで精神面でいろいろ問題が生じていたようだが、その精神性を芸術性に転化して社会生活に生かすことができていたと思えば、今回の件でそれが断たれてしまったのは残念ということにはなる。娘にも素質はあったらしい。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-06-10 10:00:07)
342.  哭声/コクソン 《ネタバレ》 
ソウルなどの大都会ではない地方の町や集落、森林や山の風景が美的に映像化されている。場所は実在の全羅南道谷城郡とのことで、郡内に「谷城邑」という町があり、その町の中に谷城警察署(中央路161)や谷城愛病院(谷城路761)というのもある(派出所は不明)。 ホラーとして終始不穏な雰囲気は出ているが、特に前半では娯楽映画に不可欠な?コメディ要素がちゃんとくるめてあるのが可笑しい。登場人物では「目撃者」がなかなかいい感じで、石を投げて来る場面は好きだ。また祈祷師の儀式はダイナミックで迫力があったが、その後のゾンビは出ない方がよかった。  物語としては何が起きていたのかわからない。世評によるとキリスト教の知識がなければ気づかないことが多いようで、基本は間口の狭い映画ということになるか。自分としては手の穴くらいはわかったが、「ヨブ記」についてはアメリカのホラー映画で出ていたにもかかわらず、そこまで頭が回らなかった。 宗教関係には突っ込まないとして、一つ思ったのは一連の事件が登場人物のうちの誰かのせいだと思い込んでいていいのかということだった。王朝時代の宮廷で呪いのかけ合いをしている状況ならともかく、現代の祈祷師でも病気平癒などの祈願をする際に、近隣の誰かが絶対呪いをかけているとまでは思わないのではないか。表面的な事象だけでなく、背景に何らかの動きがあるとすればそれも含めた全体像を捉えなければまともな答えは出ない気がする。 しかし一般論としてはそのように思っても結局何もわからないので、邦画によくあった独りよがりな難解ホラーのようなものと思って投げてしまいたくなる。監督はこの映画が「混沌、混乱、疑惑」を描写していると言ったらしいがそれでわかった気になるわけでもなく、残念ながら個人的には見えないものの多い世界が映されていたと思うしかない。全体的な印象は決して悪くなかったが、結果として好意的な評価はできない映画だった。残念だ。 なお一連の事件を全部キノコのせいだったことにしてしまうと映画にならないわけだが、これが現実世界の話ならそれだけで全部説明がつく(つけられてしまう)とはいえる。この映画に関して、自分は報道だけ見てキノコは危ないと思っていた現実世界の人間の立場だったと思っておく。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-20 10:57:06)
343.  紅い服の少女 第二章 真実 《ネタバレ》 
前回は「魔神仔」を扱った妖怪映画のようだったが、今回は都市伝説としての「紅い服の少女」の正体を本格的に解明する話を作っている。この映画では都市伝説の解釈のうち、山の魔物というより身代わりを探す幽霊という説を採ったようで、邪悪なコダマのようなのがもとから山にいた連中、少女とガは90年代に発生したものとして整理したように見える。場所も台北から台中に移し、都市伝説の発祥地や実際にある「卡多里遊樂園」などの廃墟も使ったご当地映画ができている。 目新しいものとしては「俯身葬」というのが出ていたが、これはどうも考古学上の概念を適当に使っただけらしい。また新登場の道教寺院や「虎爺」は次の第3作にもつながっていくものだが、今回あまり決定的な役割を果たすことなく終わったようで、この段階でこの要素を盛り込んだ意味が不明な気もした。 ドラマに関しては、主要人物の数が多いので混乱させられるが最後はちゃんと決着がつく。今回はラストで笑わせる場面もあり、脅威はまだ残るといいながらも一応さっぱり終わる形になっていた。少なくとも当面は、新生児は若い男に守られていくことになる。 具体的な場面では、若い男のトラ歩きやCGのトラ造形がちょっとどうかと思うのはまあいいとして、勅令女と少女の対決場面はなかなか迫力があった。額に御札を貼ればいいのかと思ったらそれほど簡単ではないらしい。また前回主人公は眉毛が抜けるほど壮絶な体験をしたと思わせるのが恐ろしい。  ところで可愛く見える主人公と、中学生くらいに見える高校生(高中生)が親子だったというのは序盤でいきなりのサプライズだが、その事情に関しては終盤で説明がある。当然ながら産む/産まないの選択はありうるわけだが、産む選択をしたのであればその結果は尊重されなければならない。また自らこの親を選んで生まれてきたとあえて信じることで、親を含めた自分の生を全肯定するというのも、人が前向きに生きるためにはありうることと思われる。 結果的には人の生命を次代に引き継いで、またその引き継がれた生命をさらに次代に引き継ぐことで、人が未来に生命をつないでいくことを肯定した映画に思われた。自分としては若干感動的だと思ったが、しかし2023年現在の感覚では、これがすでに古き良き時代の価値観でしかないと感じられるほど社会情勢が変化している気はする(少子化は止まらない)。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-06 14:14:06)
344.  紅い服の少女 第一章 神隠し 《ネタバレ》 
題名は1998年のTV番組から生まれた都市伝説の名前だが、内容としては冒頭に説明が出ていた「魔神仔」に関する妖怪談のようなものになっている。これは台湾や福建などに昔からいたサルとか子どもの姿の精霊または幽霊で、山中に入った人を迷子にさせるものらしい。映像中に見えたweb百科事典には日本の伝説でいう「神隠し」に類似すると書いてあるが(要は中文Wikipediaからの転用)、現実に2013年に日本人観光客(当時78歳)が行方不明になり、数日後に無傷で発見された件に関しても、現地では魔神仔の仕業ではないかと噂になったとのことだった。 実際は人が死ぬほどのことはあまりないようだが、食事と思っていたら昆虫や糞便を食わされていたというような、日本でいえば狐狸の類に化かされたような話もある。対策としては爆竹が効果的とのことで、劇中では発煙筒も代用できることになっていたが、本来は光より騒音の方を嫌うものらしい。爆竹の本来の用途が賑やかしというより邪気払いだったことが知れる。  映画では、山中にいるはずのものが台北市内にも出現して、都市部を舞台にした心霊ホラー的な雰囲気も出している。「山が開発され居場所を失った魔神仔が山を下りて来た」という発言があったが、台北は山地に接しているからそういう発想にもなるわけで、日本なら札幌市内(南区など)にクマが出るようなものかと思った。 やたらに出ていたガに関しては、字幕の「クロメンガタスズメ」だとすると特に珍しくない実在の種ということになる。「羊たちの沈黙」に合わせたのかも知れないが、映像に出ていた名前は「紅翼鬼臉天蛾」だったので、架空の種と解して「アカメンガタスズメ」とでもした方がよかったのではないか。メンガタスズメ属は背中に人の顔の模様があって「人面天蛾」(=人面スズメガ)とも言われていて、ここからシリーズ第3作の「人面魚」につながったらしい。 終盤は山中に出向いての決戦となるが、ほかに家族に関わる人間ドラマもできていて、一応各種の趣向を盛り込んだ娯楽映画にはなっている。なお現実と夢が突然交代するのは少し嫌な感じだった。  ところで最近は世界的に昆虫食が注目されているが、映画のラストでは家族で夕食をとる場面があり、もしかしてこれは知らない間に昆虫を食わされているのではないかとの不安感があった(食い物がみな昆虫に見える)。その不安感を次の第2作につなぐ形になっている。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-06 14:14:03)
345.  戦争と女の顔 《ネタバレ》 
第二次世界大戦に参加したソビエト連邦の従軍女性の証言集を「原案」としているが、具体的に誰かの証言を題材にしたわけではなく独自の話を作っている。もとの証言集は主に戦争中の話であり、まだ検閲のある時代に発表されたこともあって悪いことばかりが書かれているわけでもないが、この映画では戦後を対象にして負の側面に集中した形になっている。  映画全体としての主張はよくわからない。もとの証言集の題名と映画の邦題の印象からすれば、要は戦争が悪い、戦争を起こす男が悪いと言いたそうではあるが、確かに戦争が原因で多くの人々が苦しんでいるのはわかるとして、少なくとも加害者と被害者を性別で分けているようには見えない。 しかし、両性一組を中心とするのが本来の家族という保守的な考え方を前提にすれば、劇中女性が戦争のせいで本来の家族を実現できなくなったのが不幸だったとはいえる。さらに死んだ負傷兵のように多くの家庭が破壊されたことに関して、要は全部戦争が悪いのだ、という言い方をするなら比較的納得しやすい解釈にはなる。そのように考えれば戦争と女性というより戦争と家族の映画なのかとは思った。爺さん連中も家族を欲していたらしい。  一方で、主人公と戦友の間に同性愛的な関係が見えるのは理解が難しい。主人公の名前が「スミレ」の意味だというのは、現実にスミレが同性愛の女性をイメージさせる花として扱われてきたことが背景にあると思われる。もう一人の主人公である戦友に関しては、もともと上昇志向や支配欲が強く、自ら戦って勝ち取るタイプの人物だったのではないか。いわば主人公が娘役、戦友が男役であって、女性性と男性性の違いを身体的な性別とは別物として描写していたように見える。色ではこれを緑と赤で表現していたのかも知れないが、ただ終盤では逆転していたようでもあって固定的なものではなかったらしい。 最終的な2人の状態は、現代でいえば同性愛カップルが子を迎えて家族を作ろうとする姿のようで、現代の西欧リベラル的な価値観からすればこれ自体は悪いとはいえない。例えば主人公が提案していたように、孤児を養子にすれば家族が作れる希望はあるわけで、その上で身体的な性別にこだわらず、家族内で女性性と男性性の役割分担をすればいい、と提案している映画なのかも知れないが、ラストの場面でそういうことまで見通していたかどうかは何ともいえない。いろいろ難しいことが多いので、自分としてはここまでだということにしておく。  その他雑記として、共同浴場の場面は日本でいえば「夕凪の街 桜の国」の銭湯を思わせた。 また、もとの証言集ではネコがいてこそ「本物の家」だという話があった(岩波現代文庫P435)ので、この映画の2人もまずはネコと同居することから考えればいいのではないか。レニングラードでは犬だけでなくネコも食われていなくなっていたかも知れないが。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-04-29 13:50:25)
346.  ある娼婦の贖罪 《ネタバレ》 
南米エクアドルの映画である。監督が同国の出身で、キャストは娼婦役が隣国コロンビア、相手の男役はボリビアの出身だが、ほかに地元の役者も出ているようだった。外部情報によると場所は首都キトとのことで、高地の街(標高2,850m)であることを思わせる映像も見えた。なお最初に起きていた地震というのは、エスメラルダス県やマナビ県で被害を出した「エクアドル地震」(2016)のことかと思われる。  テーマに関して、日本国内向けの宣伝では「性的搾取」として一般化した印象だが、特にこの映画が焦点を当てていたのは人身の拘束を伴う「性的奴隷」(esclavitud sexual / sexual slavery)の問題だったらしい。多くは人身売買や誘拐によるものらしく、具体的な場面はあまり出なかったが、被災地からの孤児の誘拐というのはストーリーの根幹にも関わっていた。これは他の国の話としても聞いたことがあり、決してエクアドルだけの問題とはいえない。 普通に映画として見た場合、エロい場面もなくはないがそれほどではなく、また「性的搾取」に関しても、良識ある人間が見て嫌悪を催すほどのショッキングな映像はない。物語の面では、最初から結末が見えているとまでは言わないが、普通に想像可能な範囲の(少し無理を通した形の)終幕になっている。主人公本人は罪深い人間とも思えないので邦題の「贖罪」は意味不明のようだが、「江戸の敵を長崎で討つ」的な雰囲気表現だったかも知れない。 ジャンルにある「ドラマ」「サスペンス」「エロティック」という面で十分かどうかは不明だが、特に上記esclavitud sexualを告発する社会派映画として見るべきものかと思った。  なお映画の撮影は2017年とのことだが、娼婦役のNoëlle Schönwaldという人は1970年生まれだそうである。もともと美形の人であって、劇中人物としてもまだ美貌を保って愛嬌のある表情も見せていたが、営業面ではさすがに厳しい雰囲気もあり、そのうちどうにもならなくなる行き詰まり感も出していた。ラストがこの人物なりの幕引きになったというのはわからなくはない。 ほかどうでもいいことだが原題に関して、"La mala noche"とは(特定の)「悪い夜」(単数)の意味だが、これは字幕の「店には行かない」という言葉やエンドクレジットの表示からしてポールダンサーのいた店の名前だったらしい。この映画以外では、18世紀のメキシコの鉱山名(転じて鉱山主の邸宅名)や米TVドラマのマフィア組織の名前にもマラノーチェという言葉が使われているが、どういうイメージを持たれている言葉なのかが結局わからず、映画の題名に込めたニュアンスも受け取れなかった。少し突っ込んで調べても結果が出なかったのは心残りだ。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-04-08 09:39:24)
347.  グラウンドブレイク 都市壊滅 《ネタバレ》 
1988年のアルメニア大地震を扱った映画である。ソビエト連邦解体の3年前なので、当時まだアルメニア・ソビエト社会主義共和国といっていたわけだが特にソビエト色もなく、かえって時代は変わってきているとの雰囲気を若干出していた。 主なスタッフやプロデューサーはアルメニア出身者が中心で、劇中人物と演者もアルメニア人が多かったようだが、出所した男の一家4人はロシア人だったらしい(演者もロシア出身)。また主人公が助けた女性もロシア人だったようで、劇中の人間関係の変化でアルメニア人とロシア人の融和を表現していたようだった。  地震の被害はほとんど建物の倒壊によるもののようだったが、そもそも設計・施工の面で壊れやすくできた建物だらけだったらしい。ネズミがわずかな予兆になって突然地震が起きて、いきなりそこら中が瓦礫の山になったのは驚きがあったといえなくもない。病院が一瞬で潰れる場面があったが、現実にも病院の倒壊で医療関係者や機器類の被害が大きかったとのことだった。 ドラマとしては、感傷的で軽薄な音楽がうるさいのでTVドラマかと思うところもあるが、震災の悲劇をきっかけとした和解と再出発の物語は一応できている。親を亡くした子どもがいたが、最後のテロップで孤児はみな引き取り手がみつかったという話に結び付けていたのは悪くない。またエンディングで記録写真らしいものと劇中映像を並べて見せていたので、残された記録写真の映像化ということを意識していたかも知れない。  ほか映画のキャッチコピーは「世界を一つにした悲劇」とのことで、この時に支援を寄せた各国に改めて感謝する意図もあったらしい。フランスの犬は実際に来ていたようだが、ただ現実問題としては世界から支援が殺到したため大混乱になり、その後に国際支援のルールが定められるきっかけになったとのことだった。 日本からも国際緊急援助隊が行ったはずだが言及がないのはまあいいとして(タイミングに問題?)、"地震のエネルギーは広島原爆の10倍"という説明にだけ日本が出るのは無神経なようでもある。東日本大震災(2011)後の製作ながら日本人に見せるつもりはなかったようだが、別にそれほど友好国なわけでもなく、どうせあっちの方の国の話だからどうでもいい、と突き放したことを考えていたら、先日2023.2.6に隣国トルコでまた大地震が起きて惨事になっている。やはり災害時にはどこの国とも助け合うのが大事だ(当然だ)。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-02-11 09:44:42)
348.  美しすぎる議員 《ネタバレ》 
不快な場面が多いので好んで見るようなものではない。同じ監督の「レミングスの夏」(2016)に続き、今回も某県某市やその市議会が協力しているが、よくこんな微妙な映画に協力しようと思ったものだ。ここの議会では常にあんな質問・答弁のやり取りをしているのか(会議録を見るとそうでもないようだが)。 劇中議員は生活相談のようなことをしていたが、市民の個人生活に踏み込んでも深みにはまるばかりで、それが市政につながらなければ議員の仕事とはいえないだろうと思ったが、しかし一期目の新米議員として、こういうことをしながら自分の活動スタイルを作る過程だったとするなら否定できるものではない。個人的に背負うもの、失うものがないのはかえって強みでもあり、また極端に清廉潔白でもなく「100やりたくないこと」もあえてする人物だったが、ちなみに芸能界に関する発言は、演者本人にも関わることなので少々微妙だった。 一方の劇中ディレクターは物事をきれいな表と汚い裏と単純化して捉えていたようだったが、しかしそれはマスメディア本体や、マスメディアが想定している視聴者も含めた世界観がそうなっているということらしい。実際に議員は表面を取り繕っているところもあったが(当然だが)、さらに奥の奥まで暴いていけば、マスメディアの期待した真実が見えるかと思えばそうでもなく、実は初めから表層に見えていたのが真実だったということではないか。それがわかったのも「100の画を撮って」きた結果ということか。 またディレクターはなぜか売名ということにこだわっていたが、それはそれとしてその先にまた本来の目的があると思っていなかったとすれば残念な奴ということになる。しかし自分が「野心」を指摘されてそうではないと返した時には、実は自分も議員も同じだったことを自覚していたという理解でいいか。 個人的な感覚としては、映画人の語る政治や社会などどうせマスメディアと同種同質のものであり、得にも足しにもならないので知りたいとも思わないわけだが、しかしこの映画は結果的におおむね妥当なことを言っているようだと思ったので、点数は悪くしないことにする。 ちなみに川村ゆきえという人は嫌いでない。題名通りの「美しすぎる」というよりは、生の人としての顔が見えていたようで悪くなかった。ラストの遠景の表情にちょっと泣かせるものがある。
[DVD(邦画)] 5点(2023-01-28 21:12:42)(良:1票)
349.  モルグ 死霊病棟 《ネタバレ》 
南米パラグアイの映画というのが最大の注目点である。撮影場所は国土の南東端にあるエンカルナシオン(Encarnación)という小都市だそうで、映像に出る建物は現地にある病院、公営墓地も実際にあるものらしい。  映画としては、病院の死体安置所など裏方で起きる怪奇談の形になっている。前半は大したことが起こるわけでもなく、変にものが動くとか音がするとか人影が見えるなどは病院という場所柄ありそうな話で、これなら気のせいにして無視しておけばいい程度のことだろうが、後半に入るとそれなりに多彩なドッキリの仕掛けがあってお化け屋敷の風情になる。しかしコップの動きとか、終盤で部屋に引っ張り込まれる間合いなどユーモラスなところもあって笑わされる。 映画宣伝には「恐怖の実話」と書いてあるが、全体の顛末からすれば実話らしいところは何もない。しかし脚本兼監督によると実際の医療機関に勤務している警備員・看護師・医師といった人々に取材したとのことで、そうすると前半で何気なく起きる地味目の出来事や、最後のコメントが実話相当の部分とも取れる。死体安置所では様々な連中が脈絡なく出現して一貫性がないように見えたが、要はこれまでここに来た多種多様な人々がいつまでも滞留しているという意味かも知れない。  主人公は最初から人格低劣で遵法精神に欠けたところを見せるので、多少ひどい目に遭っても笑って見ていられるものがある。序盤で出る彼女とのやり取りや優等生との再会エピソードは話全体との関係が曖昧だが、これは主人公の性格や境遇を説明するためのパートだったと思っておく。 終盤の格言のようなものはキリスト教の聖書に由来するものらしく、字幕では意味が若干不明瞭だが要は「自業自得」と解される(悪い播種→悪い収穫)。主人公は根から悪い奴でもなかったようだが、それはそれとして自分がやらかしたことの報いは避けられないということらしい。ラストの展開は意味不明だったが、要は酔っ払いの男と交代で今後は主人公が夜間警備をしなければならなくなったという意味か。 そういうことで細かく見るとよくわからない点も多々あるが、気楽に見ている分にはそれほど悪くない映画だと思った。医療現場では変な体験がありがちだというのは、日本だけでなく世界のどこでも同じということを改めて認識した(学びがあった)。ネコが侵入すると糞をするので嫌われているのも同じだ。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-11-19 10:15:47)
350.  死体語り 《ネタバレ》 
ブラジル映画である。場所はサッカーチームの名前や警察(サンパウロ文民警察)からして同国第一の大都会サンパウロである。Vila Gustavoという地名は主に中流層の住宅地だそうで、犯罪集団のボスがこの名前を聞いて怪訝な顔をしたのは、対立勢力の居場所として不自然だからと思われる。  最初は面白い設定で始まったと思ったが、結局最後は普通一般の心霊ホラーに移行してしまった感がある。死体と話せることの背景設定として、いわゆる霊魂というものが死後に身体を離れるのでなく、キリスト教でいう「最後の審判」までは遺体にとどまったまま墓にいる、という考え方ならユニークだと思ったが、劇中妻が家にまで押しかけて来たからにはそうでもないということか。あるいは墓にいられず神の世界にも行けない連中が、終幕時に外を歩いていたという意味か。 また「マーク」したのが誰かの説明はなかったが、少なくとも家族殺しを許さないのが神だというからには、キリスト教の神様がこの映画での行動主体として存在していたはずである。一方で序盤から神と悪魔について語る声が聞こえたり、TVの悪魔祓いを映したりして悪魔の存在を匂わせた上で、神がいるなら悪魔もいる、とまで言わせたからには悪魔も存在しなければ変なはずだが、悪魔の関与を明瞭にする場面は最後までなかったように見えた。例えば劇中の出来事を神と悪魔が分担していて、神が家族殺しの罪で主人公を見放してしまい、そこに悪魔が付け込んで破滅させようとしたのなら、劇中妻だけが極悪人であるかのように思わなくていいかと思ったが、そのように確信できる証拠もない。本来はそれなりに子のことを思っていたはずの母親(自分の無惨な姿を見せるなと言っていた)も死後に変わってしまったのなら残念だ。 なお題名に関して、原題は意外にも「死体は語らない」という意味である(nãoはnot)。これも例えば死体が話すように見せておいて、実は悪魔や神が話していたというなら間違っていないわけだが、実際はそうとも言えない場面が多かった。ただ少なくとも、全部が主人公の妄想だったというのはこの映画としてありえない。  そのようなことで、どのように筋を通そうとしているのかわからない映画だったが雰囲気は悪くない。最後に子どもらと一緒に助かった人物は最初から清楚系に見えたが、実際に信仰心の篤い真面目な人だったらしい。それにしても神だの悪魔だのと無関係にやたらに人が死ぬお国柄のようだったので、渡航時には十分注意してください。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-11-19 10:15:45)
351.  108時間 《ネタバレ》 
製作国はアルゼンチン・スペイン・ウルグアイとのことで、監督はスペイン人、主な出演者はアルゼンチン・スペインの混成になっている。ほか原案段階から関わって製作にも名前が出ている映画プロデューサーの人物がウルグアイ人らしい。場所設定としては映画解説によるとブエノスアイレスだそうで(撮影地は別)、閉鎖された精神病院が舞台ということで陰鬱な映像になっている。 なお時代設定が1975年と1984年である理由はわからない。その間の1976~1983年はアルゼンチンが軍事政権だった時代であり、いかにも意味ありげなので誰か解説してもらいたい。  長時間寝ないでいるとどうなるかという映画だとすれば、多少変な現象が起きてもどうせ幻覚だろうからサイコホラーかと思っていると、結局最後は心霊オカルトホラーに移行した感じだが、あるいは最初から両者がシームレスにつながっていたようでもある。序盤から出ていた「辺獄」という言葉は宗教用語らしいが、日本的にいえば死者が成仏できないでいる霊界くらいに思っておけばいいのではないか。 特徴的なのは演劇をテーマにしていることだが、要はいわば降霊術で死人を役者に憑依させて本人役をやらせていたらしい。演出家としては断眠によって役者が霊界とつながることを意図したのだろうが、その段階まで近づけない者(親友)がいる一方、霊界の影響で自ら破滅してしまう者(共演の男女)もいて危険なのはわかっていたようである。ただその霊界につながる力は実は狂気と同質のものであり、現世において狂気を知る者だった主人公は霊界の住人に乗っ取られることもなく、自分を保ったまま演技として成功させたということか(?)。これこそが本来の演出家の意図だったのかも知れない。 最終的には、主人公は現世にいながら狂気・霊界の両方とつながる者として、両方の存在に頼られる立場になったらしい(?)。向こうに行ってしまった演出家ともいつまたつながるかわからない、というのが最後のオチかも知れないが、それがいいことか悪いことかはわからない。  全体として、いろいろ考えて作ったようだが何かと面倒臭い話で、悪くもいえないが特に好意的にもなれない映画だった。なお他のレビューサイトでも書かれていたが、確かに主人公はショートヘアの方が可愛く見える。 ちなみに関係ないが、いつまでも寝ないでいると「ねないこだれだ」と言っておばけが出る(怖い)。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-11-05 10:11:50)
352.  便座・オブ・ザ・デッド 《ネタバレ》 
日本国内向けの宣伝で、"BENZA OF THE DEAD" と書いてあるのは英題ではなく英語にもなっていないがそれなりに格好がついた題名に見える。本物の英題はニュアンスがよくわからないが、要は主人公が現にいる場所、及び人生の行き詰まりを意味するということかも知れない。または牛馬を入れておく仕切りの意味もあるとすれば、ヘザーという人物が「牝牛」と呼ばれていたこととも符合する。 登場するゾンビは普通のゾンビだが、便所がごった返すほど押し寄せて来る理由は不明である。特徴的だったのはサニタリーボックスの中身を好んでいたことで、個体差もなく全員群がっていたからには今回のゾンビ共通の特性だったらしい。これはレディース用レストルームだからこそ明らかになったことで男便所ならわからなかったはずだ。 またエンドクレジットによると、便所ゾンビの連中にはそれぞれ役柄があったようで、サンタゾンビとかジーザスゾンビは見た通りとして、マーケティングゾンビとか経理ゾンビとか人事ゾンビなどは各々それなりの役柄を演じていたのかどうか(経理っぽいのはいた)。"Bi-curious Zombie" というのはどういう演技をしていたのか探して見た方がいい(見落としたが)。 ほか性的に下品なところは多かったが排泄物は映らない。また映像面では、特に前半はクールな青をベースにして赤がアクセントになる色彩感がよかった。外の廊下は黄色系だったらしい。  ストーリー面では人間ドラマもちゃんとあり、様々な意味で行き詰っていた男が思いがけず励まされて前に踏み出していく物語ができていた。イブの初デートのあと一緒に帰れなかったのは切ないが、25日中には何とか母のもとへ帰りつくのだろうと思った。 コメディとしてそれほど笑うところはなかったが、ネズミ関連の夢オチ2回は嫌いでない。また先月(9/19)葬儀があったばかりなので、女王が便器の中からハローというのは不敬に思われたが、このように国民に親しまれた女王様だったのだろうとは思った(イラストと声が若い)。なおエンドロール最後の免責事項で、登場人物が実在の人物と似ていたとしても偶然だ、としたところで "real persons, living, dead or undead" と書いてあるのはよくある程度の軽いジョークだろうが、存命の人物なら女王も当てはまるかも知れないとして、real undeadというのも該当者がいるのかどうか。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-10-15 10:34:17)
353.  王の願い ハングルの始まり 《ネタバレ》 
15世紀に朝鮮国の世宗王が自国語の固有文字を作った話である。冒頭のテロップでフィクションと明示されるので、具体的に誰が何をしたかのレベルで史実と思わない方がいい。 まともに習ったことはないので細かいことはわからないが、劇中の文字製作過程はなかなか興味深い。ゼロから国王が考えたわけでもなく、表音文字の先行例である梵字や大陸諸民族の文字を参考にしたというのは現実味がある。最初に言語自体の音素がどれだけあるかを整理して、次いでそれぞれに当てる字母を考えていたが、点と直線でシンプルに作ることにしたのが記号的な外見の理由になっている。 先に子音が決まった状態では、若い僧とツンデレ宮女のメッセージ交換も子音だけのようだったが、その後に母音をどうするか一生懸命考えて、できた母音と子音を並べて書いた場面ではアルファベットと同じ音素文字の状態らしかった。そこからさらに視認性を高めるため「合字」して現在のような音節文字になり、最終的に「ㅇ」に新たな役割を与えて画竜点睛的な印象を出していた。本当にこういう順序だったかはともかくとして、音の種類で系統立てて作るといったポイントも押さえていたように見える。ただ使用方法として漢字との関係をどう考えたかは説明がなかった。 この文字が公的に使われるようになったのは19世紀末頃とのことだが、その頃すでに一般民衆の間では使われていたとのことで、劇中王が「諺文」という名前に込めた願いはかなえられたことになる。なお字幕で王都の名前が「漢陽」と書かれていたが、現名の서울(ソウル、漢字なし)を発音のまま書けるのも世宗王のおかげということだ。  ところでこの映画では文字製作が仏僧の功績だったことにして、儒教に対する仏教の存在を大きく扱ったように見える。しかしだからといって仏教が全面的に正しいわけでもなく、少なくとも他人様の門前で迷惑なデモンストレーションをして金品をせびるタイプの托鉢は否定的に扱われていたらしい。劇中僧侶が「物乞い」を蔑んでいたのも、自分らがそのように扱われていたことへの強烈な反感があったからと思われる。 しかしその「物乞い」の役をわざわざ外国人にやらせる必然性があったのかは疑問である。特に歴史を扱う場合など、まずは隣の島国を貶めてみせなければ済まない特殊事情でもあるということか。ちなみに映画本来のテーマである文字に関していえば、わが国の仮名文字は劇中文字ほど理屈っぽく作られてはいないが、開音節の言語としては十分に実用的かつ美的な表音文字として9世紀頃にはできていた。 ほか「先代王の約束を守れぬとあらば文明国の名折れ」という台詞は全くその通りで笑った。これは反論できないはずだと思ったら結局適当にごまかされて終わっていたが、筋を通して言うべきことは言う、という態度はこの映画に学ばなければならない。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-10-08 10:23:21)
354.  風鳴村 《ネタバレ》 
原題は“風車の大虐殺”だろうが、日本国内向けには邦画ホラーの「恐怖の村シリーズ」を思わせる題名とイメージ画像(顔付き)を作っている。内容としては観光バスツアーに参加した客が殺人鬼に順次惨殺されていく展開になるが、見るからに作り物なので嫌悪を催すほどの残虐さは感じない。腹部から出た腸を胸部に戻そうとするなと劇中の外科医には言いたくなった。 オランダ映画ながら登場人物は外国人ばかりで台詞は英語だが(一部は日本語)、一応オランダらしく風車小屋が出て来て、そこへ行くまでの干拓地の風景も見られるのは有意義だ(チューリップは出ない)。水路沿いに丸い池が2つあって堤防上の道路が迂回していたのは何だったのか知りたい。ちなみにアムステルダムは売春宿の栄える頽廃の都のイメージなので地獄行きの出発地にふさわしい。 一応最後まで飽きずに見ていられる作りだが、風車以外はそれほど特徴的な点もなく、悪くはないが平凡な印象の映画ではあった。よかった点としては、オランダから逃げればいい、と子連れの男が言ったのがちょっと意表をついた発想で、これは本人が隠していたものが図らずも外部にはみ出てしまったことの表現として効果的だった。  ほか背景設定には不明な点が多いが、個人的に興味深かったのは悪魔と契約した男が、「風のない日も風車が回るよう」にして財を成したが周辺住民に殺されたという昔話だった。ここで風車はオランダ独自要素としても、同様の話はヨーロッパの別の場所にも伝わっているとのことだったが、日本でも憑物筋と言われたのは地域社会で富裕な家系だったという説もあり、それと似たようなものとすれば悪魔というより周辺住民の妬み嫉みがもとになった話とも考えられる。この辺は意外に邦画「犬鳴村」にも通じるところがある。 また拙い日本語を話す変な東洋人は日本語だったからには日本人と思うしかないが、この男が真言を唱えただけで悪霊が退散したのは、東洋の神秘的な力が欧州では無敵だというようで感心させられた。どうせこんなのは二番目くらいで無惨に死ぬだろうと思っていたらそうでもなく、祖母との関係性や終盤の行動を見ると、わりと肯定的に扱われた登場人物だったらしい(子ども・女性・有色人種を優遇)。最後は日本でいう「ほんとに怖いのは人間」的な結末だったようである。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-07-23 09:43:59)
355.  クナシリ 《ネタバレ》 
ソビエト連邦生まれでフランス在住の監督が国後島で撮ったドキュメンタリーである。クがKOUでシがCHIなのはフランス映画だからである。 日本人が普通行けない場所なので何かと物珍しいが、特に自然景観が美しく撮られており、爺爺岳(1822m)の姿が見事と思わせる場面があった。対岸には知床半島らしきものが長大な山脈に見えていたが、島は戦車とゴミだらけという印象も出している。 地元社会を映した映像もあり、戦勝記念日の式典ではちゃんと軍事パレードをしていたが、モスクワでやるのと違って貧弱だったのは微笑ましい。夜には貧弱な花火も上がり、地元民にとっては年中行事のお祭りのようなものかと思った。 登場人物では、戦後の一時期に日本人と一緒に暮らした記憶のある老人の、日本の文明度や文化性に対する評価が高かったのは驚かされた。昔を知るからこそのいわば親日派が最低1人はいるらしい。  全体構成としては老人が言った「共存すればいい」というのと、会社経営者?の「議論の余地はない」が対置されたようにも見える。ただ会社経営者?の話はロシアの公式見解そのままだろうから、まともに聞けば誰でも同じことを言うだろうが、本音としてはみな老人のように思っているはずだ、というのが制作側の考えかも知れない。 一方でこれを日本人が見た場合、現時点の荒れた世論のもとではとにかくロシアとプーチンを悪として叩く、あるいは安倍元総理もセットで叩く、といった反応が出てきそうだが、さらに戦後以来の日本の風潮として、日露区別なく民衆を不幸にする国家の存在が悪だとする立場もありうるわけで、配給側としてはその辺に近いのかと思われる。個人的には特に考えがあるわけではないが、少なくとも現地住民のためだけに日本が一方的に譲歩する義理はないとはいえる。  なおこの映画とは別に、2016年に日本の読売テレビが取材した番組(最近YouTubeに上がっていた)を見たが、その中でも元島民の人物がロシア人とは仲良くしていたと語る場面があり、ロシア人の子どもらがとにかく可愛く見えたという話は印象的だった。この映画で語られていたのも単なる老人の繰り言というよりは、現実に人々が共存できた時代があったという証言と解される。 最終的には「共存」がこの映画の中心的なメッセージに思われたが、しかしこれを公式サイトのコメントのように否定的に言及して腐すのでは、映画を真面目に見ようとする気までが失せることになる。そもそも制作時点から世界情勢が変わり過ぎて公開適期を外した気もするわけだが。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-25 10:27:53)
356.  良いビジネス 《ネタバレ》 
アマゾン・プライムビデオで公開されている5分弱のショートムービーである。主に異星生物のCGと皮肉なストーリーが注目されていたらしい。 異星生物には大中小の3種類がいたようで、大は家畜か何か、中が普通の人、小は別種族か子どもかも知れない。世評でキモカワイイとか言われていたのはこの小のことであり、その他は「キモ」だけである(「第9地区」(2009)を思わせる)。  【以下は個人的解釈】 劇中惑星は地球人が普通に歩ける重力で、普通に呼吸できて適温という非常に都合のいい場所であり、こんな所まで普通に行っているからには相応の未来と思われる。言葉が英語で、武器は地球の20世紀に開発されたものだったようなので、地球人に見える生物は実際に地球人だったと思っておく(スターウォーズのような設定でなく)。 出ていた地球人2人は会社員のようで、相手に合わせて旧式の武器も売るといえば武器商人かも知れないが、業務として戦闘もするなら民間軍事会社のようでもあり、あるいは惑星の支配を企んでいるなら不動産開発業者かも知れない。グローバル企業というよりユニバーサル企業ということだ。 地球人も問題なく暮らせる場所だとすれば、会社としては人が住む前提での利用方法を考えていたかも知れない(知的産業の開発拠点とか、惑星まるごと富裕層の別荘地とか)。しかし問題なのは変な害虫が蔓延していたことで、これをどうやって駆除するかを考えたのが「会社の方針」ということになる。 地球と事情が違うのは害虫に知能があったことで、これに安価で使い勝手のいい武器を与えて害虫同士で駆除し合いさせれば、殺虫剤とか核兵器などで惑星環境を損なうことなく目的が達成できることになり、それで成功するなら会社にとっては良いビジネスである。なお劇中の社員が死んだとすれば会社にとってはコストだが、プロジェクト全体では恐らく微々たる損失である。  ちなみにこれを見て思い出したのは、第一次世界大戦時に地中海へ派遣された日本艦隊にイギリスから駆逐艦2隻が貸与されたが(「橄欖」と「栴檀」…読めない)、これはゴキブリが大繁殖してどうしようもなくなっていたのを日本海軍に押し付けたという説があったことである。ゴキブリに知能があれば老獪なイギリス人が分断工作をして自滅させただろうが、そうでなかったので真面目な日本人が駆除させられたということだ。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-25 10:27:52)(良:1票)
357.  花咲くころ 《ネタバレ》 
1992年のグルジアの話である。ソビエト連邦から独立した次の年だが、独立しただけで人々が幸せになるわけでもなく、内戦が起きたりして不穏な情勢が続いていたらしい。 季節は春から夏にかけてとのことで、領内で独立を求めていたアブハズ人、オセット人とグルジア国家との間で紛争が起きた時期に当たる。冒頭から民族意識を高揚させるラジオ放送が聞こえ、その後の字幕でも「スフミ」「アブハジア」「ツヒンヴァリ」といった紛争地の地名が出ていた。  劇中で見える現地は殺伐とした雰囲気で、国家と少数民族が戦う一方、近隣社会も家族もみな苛立って争っている。また権威主義とか男尊女卑といった社会の体質も問題視されており、略奪婚などというものに加え、嫁に行ってしまうと学校に行かない(やたらに外出しない?)風習も残っていたようで、義務教育は一体どうなっているのかと呆れる。 物語としては、結末がどうなったのか正直わからなかった。途中まではとにかく男が悪いと言いたいのかと思ったが、最後に主人公が父親のところを訪ねたのはどういう意味だったのか。結婚を無理強いされた親友が、実家の父親の方がまだましだという場面もあったが、主人公としても自分の家族を見直すために、まずは父親の実像を見極めようとする決心がついたということか。民族同士や人間同士が争う中では家庭が年少者を守れる場でなければならず、それによって/そのためにも、社会全体を穏やかな方向に変えていこうという意味と思えなくはない。 また武器に関しては、暴力の抑止のために持つのはやむを得ない状況があるにしても、殺すために使ってはならないという割り切り方だったかも知れない。冒頭のラジオでは国民が「武器を備えるべき」と言っていたが、いずれは誰もが武器を捨てる社会(少なくとも国内では)を作ろうとするのは当然のことである。  以下余談として、グルジア側の要請により日本政府は2015/4/22から英語由来のジョージアという名前でこの国を呼んでいるが、グルジア側としてロシア語由来の名前を嫌うのはわかるとして、何で現地語のサカルトヴェロでないのかと普通は思う。 これに関して最近思ったのは、あえて英語名にすることで西側に近い国だとアピールし、ナショナリズムよりもグローバル志向のイメージを出そうとしているのかと思った。この映画で見る限りはとても親近感を持てそうにない国だが、この時から30年も経って現地の状況も変わってきているものと思っておく。
[DVD(字幕)] 5点(2022-05-21 09:45:14)
358.  リベンジコード 盗まれた正義 《ネタバレ》 
いわゆるフィンテック(字幕では「金融技術」)を扱った映画である。金融とか情報通信技術に苦手意識があると手を出しにくい映画だが(自分のことだ)、一般向け娯楽映画の枠内でできているので見るのにそれほど支障はない。 全体的にはそれっぽい事物や映像などを適当につないだライトなサスペンスドラマに見える。前半では転換社債という言葉を出しておいて、途中の説明がないまま結果だけ見せたのが若干のサスペンス感を出していた。後半は邦題のリベンジに向けた動きを隠したままで進んでいく形だが、最後は記者会見での一発逆転とか、ネットで多数の支持が集まるのが安易な展開に見える。真相がわかっても特に心を打たれるものはなかったが、まあ意外性のある結末にはなっていた。少し笑える要素としてはネット動画の場面がふざけた感じで息抜きになる。 なおサンドボックスというのは普通に知られた言葉のようで、たまたま見た2022/4/28朝のTVニュースでもスタートアップの支援に使える仕組みとして紹介されていた(「規制のサンドボックス制度」などを活用した経産省による法務支援、4/26から)。  具体的な題材としてはブロックチェーンや仮想通貨を取り上げているが、それ自体の具体的なところまでは突っ込んでいない。しかし細かいことはわからなくても、社会正義の実現ツールとしての意味を持たせようとしていることは台詞で説明されている。プレゼンで語られた綺麗事で終わりでなく、これで実際に公明正大で自由な経済社会が実現していく様子を見せてもらいたいものだと思ったが、まともにやれば空想未来映画になってしまうわけなので仕方ない。それはこれから主人公が追求していく可能性の中にあると思うしかない。 この映画が台湾の現状をどの程度反映しているのかは不明であり、どうしても作り物っぽい印象はある。しかし表面だけ飾って中身は腐った世界の中で、自分にも破滅の恐れがあると知りながら、あえて理想を貫こうとする若者が勇気を持って行動しようとする真直ぐな映画と思えば悪いともいえない。  ちなみに劇中では、まともな企業家(製造業?)は高級和牛を食い、汚れた連中(金融業)は犬を食う、という対比ができていたようで、犬好きの人にとっては許せない映画になっていると思われる。サル好きの人なら「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」(1984)が許せないのと同様である。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-05-07 09:29:35)
359.  52Hzのラヴソング 《ネタバレ》 
ダンスはなく歌が主体のミュージカル映画になっている。主な出演者は役者ではなく歌が本職のようで、台詞よりも歌で語らせて物語を進めていく趣向らしい。視覚効果もあってか色彩豊かでファンタジックな劇中世界ができている。 内容的にはバレンタインデー(2/14)のラブストーリーになっており、全部数えて6組12人の幸せな日を描いている。同性婚の2人が里子を迎えたのは今回のタイミングに合わせた形だったらしい。  基本はラブコメ的に気楽に見ればいいのだろうが、作り物感のせいでいま一つ乗れないでいるうちに、晴れやかなはずの合同結婚式が変に心騒ぐ場面になっていて冷めてしまう。主人公の一人である公務員にとっては落ち込む一方のイベントだったらしく、せめて法的に認められない同性婚を祝福させようとして市長に花束を渡したのかも知れないが、そこで一輪返されたのは、他人より自分を心配しろと言われたようでさらに落ち込んだということか。 多くの登場人物が物語を通じてプラス方向に動くのに対し、この公務員と彼氏の関係は最初からマイナス続きで、最後はもうこれは駄目だと思わせるところまで落ちていく。それでいて最後に逆転する形式だったのは、うまく同調できれば大感動なのだろうが、終盤の展開に納得感が全くないので勝手にしろと突き放したくなった。それ以外はまあお幸せにという気分にはさせられた。  なお合同結婚式で台北市長が、産めよ増やせよ的な発言を平気な顔でしていたのは危なっかしいので気が気でなかった。日本ならこの手の発言をした政治家などメディアに総叩きされるだろうが、ただこの柯文哲市長は実際に自由な発言で失言王のように言われた人物らしく、それを前提にしたブラックジョークのようなものと思えばいいか。 ほか登場人物としては、同じ監督の「海角七号」(2008)の出演者が大挙出ていて見た顔が多い。劇中で最も普通に可愛く見えるのはレストランの若手スタッフだったが、この人が海角のひねくれ少女の成人した姿だったのは感動した(昔から可愛かったが)。また「セデック・バレ」(2011)の主役が渋い顔で出て来て、今回もちゃんと歌を歌っていたのも感動的だった。 ちなみに台北なんてクソ食らえとかギターを叩きつけるぞとかいう脈絡のない台詞は、海角のセルフパロディなので笑った。また花屋の店主(小心花店的老闆娘)が年齢をごまかしていたのも可笑しい。この人が歌ったネコの歌(トゲの歌)は結構よかった。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-04-23 11:47:32)
360.  サーチン・フォー・マイ・フューチャー 《ネタバレ》 
同じ監督の「七子の妖気」(2012)に続けて見た。今回は山形県の庄内地域を中心に撮影しており、地元の地方銀行が支援する形になっていたらしい。ちなみに田園に孤立するタワーマンションは庄内ではなく内陸地方の上山市にあるが、山形駅からわざわざここに行くのは「ミクに近づいた」どころかかえって遠くなっている。 上記「七子…」はいかにもマイナー映画だったが、今回は時間も少し長く、2015年の第9回「田辺・弁慶映画祭」で受賞もしたとのことである。その映画祭自体がマイナーなようでもあるが、“インディペンデント映画の登竜門”として扱われていたのは間違いなく、一つ前の第8回では「ひとまずすすめ」「天使の欲望」「独裁者、古賀。」「ファンタズム」といった、見たことのある映画が多く出品されていたことに改めて気づいた。第10回の「ポエトリーエンジェル」も見たことがある。  物語としては、要は主人公の男が同行者に引率されて元彼女を探す話だが、同姓同名の人物がいたりして少し意外感のある展開ではある。主人公には全く共感できないが、それまでの閉塞状態から抜けて視界が一気に開けたところまでで終わりになり、取ってつけたようなハッピーエンドでなかったのは悪くない。主人公が探していた元彼女の名前が題名と関係づけられていたことは、エンドクレジットの漢字を見るとわかる。 劇中で主人公が見た単館系映画というのは上記「七子…」だったようで、それを「お客様」の目からすればクソ映画だと主人公がけなしていたのは、そういいたくなることの意味はわかる。しかしそこで同行者が、そういうことしか言えないのはつまらない奴だ(意訳)と主人公を評していたのには共感した。映画限定の話とすれば内輪ネタのようでもあるが、悪いところでなくいいところに目をつけろというのは、人間の生き方全般に広げて考えてもその通りだと思うものはある。  登場人物としては、主人公の男はどうでもいいとして(見なくていい)、同行者の劇中監督(演・山本真由美)の方は、視界が一気に開けたところで目に入った人物として非常に魅力的に見えた(少々わざとらしいが)。また個人的には、百間堀端とナイトスポット白ばらにいた「もう一人のミク」(演・近藤奈保妃)も好きだ(少し惚れた)。ほかエンドクレジットの「スペシャルサポーター」として、上記「七子…」に妖怪役で出演していたユウコさん(チャンベビユウコ)の名前が見えたのは嬉しい。
[インターネット(邦画)] 5点(2022-03-19 09:57:02)
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