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彦馬さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 450
性別 男性
自己紹介 大阪府出身、岡山県在住、阪神・下柳と同年月日生

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21.  誰も知らない(2004)
実話の映画化、その内容からドキュメンタリー風の手持ちカメラぶんぶん丸ではないかと、映画館に入る前は嫌~な汗が流れていました。まずは列車の中、手持ちで揺ら揺ら、きたぞきたぞ(苦笑)と思っていたら、ありゃりゃカメラが止まり始めます。据えたカメラは、移動もズームもなく、固定されたフレームに出入りする、子供たちお母さん。カメラを移動させるのは、屋外の人物移動シーン。そこへ手持ちで撮られる、子供たちのクローズアップ、手もと、足もと。手垢のついていない子供たちの演技、その表情のなんと映えたることか。台詞が非常に少ないので、この子供たちが顔で表現する心理状態、そして手もと足もとのショットで表現しようとする作り手、いいぞいいぞ。終始、カメラの撮り方が一貫していますし、2時間20分の長さを全く感じることなく映像的には実に楽しく見ることができました。しかし、柳楽くん演じる明くんが、弟の茂くんがいなくなって、どこへいったか妹たちに聞くシーンは泣けました。「知らない」。「知らない」。誰からもその存在を知られていない子供たちが、とうとう兄弟姉妹同士からも知られなくなってしまう、そこは思考力、行動力を奪う、電気の止められた真夏の室内。その他にも、下の妹のキュッキュッという靴音、母親の手紙のハートマークを見つめる明くんの視線、などなどよかったなー。見終えてから、監督自ら「泣き顔は撮らない」とおっしゃっているのを読みましたが、その演出の狙い見事に、子供たちだけの空間、子供の王国世界が構築されており、ドキュメンタリーどころかファンタジーのようでありました。しかしこの映画を仕事をさぼって見たことは“誰も知らない”のであります。うわっ、言ってしまった・・・。
9点(2004-08-11 19:47:10)(良:1票)
22.  ジャンプ
竹下昌男さん、監督デビュー作。キネ旬の評論家レビューはあまり芳しくなかったので、はたしてどうかなーと思いながら見たのですが、いやいや素晴らしかったです。佐藤正午の原作はもうそれは相当におもしろい作品なので、この素材を新人監督、といっても助監督を長い間経験されていますが、どう料理するのかワクワクしながら見ました。カメラ的には、かなりがワンシーン・ワンカットで撮られいます。ロングショットの人物構図がほれぼれするぐらい画に収まっていますし、身体的な動きや心的な動きに対応するハンディやクロースアップもちゃんと意味がありますね。原作とは人物設定などを少しスリム化していますが、それも2時間というバランスを考えるとすっきりしてよかったのではないでしょうか。笛木優子と原田泰造の抑制された雰囲気も二人の距離感の微妙さを実にいい湯加減で表現しています。雨上がりのプラットフォームにたたずむ笛木優子の姿には、感動すら覚えました。伊武雅刀が話す靴の話も、作品を貫くリンゴにシンクロして実に効果的。次作も安心して作品を見ることができる監督だと感じておるところであります。
9点(2004-06-06 01:08:16)
23.  ピンポン
まずはCGをイヤミなくさわやかに映像表現した曽利監督に拍手です。CG技術者だけに、それがハナにつくような監督デビュー作ではないかという私の不安は見事に不的中。CGが浮くことのない、おみごと!な作品に仕上がっています。監督自身「役者の演技があってこそのCG」と言うように、それぞれのキャラを演じる役者もいいです。6面揃ったルービックキューブは、ヒーロー到来の記号だけではなく、6人のキャラがみごとにかみ合った象徴ではないかと推しました。ペコ、スマイル、ドラゴン、アクマ、チャイナ。ん、、、1人足りない。大人なジョーとオババは除いて、もう1人誰だ・・・。いた、キャプテン大田だ。荒川良々が実にいい味出してますねー。笑わせてくれます。それとピンポンのラリーのシーン。見応えたっぷりなのですが、このラリーという意味では、カット割のシーンと長回しのシーン、躍動感と会話の深み、これらもきれいにラリーされているように感じました。巧みです。次作に大きな期待を抱かせるのに十分な監督デビュー作です。
9点(2004-04-27 11:49:52)
24.  イノセンス
いきなりザ・グレート・カブキの毒霧をくらわされたようなオープニング。「目、目、目が・・・」と必死で目を開けようとしてる間に相手のペースで試合が進み、気がつきゃ3カウントフォール負け。恐るべし、ザ・グレート・オシイ。タイトルとは裏腹に罪な映画だ。
9点(2004-03-28 21:39:31)(笑:1票)
25.  幸せのちから 《ネタバレ》 
「何時何分までに」の時限設定を多用し、ウィル・スミスを走らせる。医療機器を持ち逃げした奴を追う、タクシーから追われる、の追いつ追われつ。この追いつ追われつという行為には、幸せの追求という原題がかぶさる。あのへんてこりんな機械をタイムマシーンだと言い放つおっさんがいて、その後タイムマシーンごっこに親子で興じたりするが、ラストの故障した一個は主人公にとって、本当にタイムマシーンになっていたのではないか。幸せの未来へと運ぶタイムマシーン。生活費の獲得という必死さだけではなく、この機械が直ればきっと幸せになれるという確信。教会で子供の寝顔を手前に点灯する向こう側の機械のランプがそう告げている。
[映画館(字幕)] 8点(2007-02-17 07:00:02)
26.  ガラスの脳
全くもってのおとぎ話であり、そこに徹した中田監督はやはり映画人だ。眠ったままの少女と彼女にキスをする少年。病院の廊下を歩く、病院への丘を駆け上がる、授業を終えると階段を駆け下りる、と静なる少女に対し、少年は常に動だ。少女の静が少年を動へ動へと導く。その静なる少女が5日間だけ動へと反転することにより、動と動とが衝突し動がさらに加速していく。そして再び少女は静へ。遊園地で少女がスカートに風を孕みながらくるくると周る、少女と少年か手を取り合いくるくると回る、その俯瞰ショットの円運動が傘と雨に彩られ見事だ。この少年にとって円の中心は常に少女であり、たった5日間が永遠となる純愛を描いた中田秀夫に、たった100分間による映画への永遠の愛が見えた。
[DVD(邦画)] 8点(2007-01-10 23:33:14)
27.  恋するトマト
フィリピンの現実を力強く切り取り、大地康夫の好演による画面の連鎖は、農業への情熱、人間に対する信頼の回復を、情熱と血潮の赤であるトマトの生育に重ね、熟れた映画となっている。
[映画館(邦画)] 8点(2006-09-30 09:49:16)
28.  雪に願うこと 《ネタバレ》 
朝日をバックにした輓馬の調教、寒さに白き吐息や美しきシルエットなど詩情的なショットを超えて、この映画は骨太に感じる。都会で疲れた男が田舎で癒されるといった生易しい図式ではなく、真剣に勝負に生きる人間の剣の鋭さを突きつける。佐藤浩市の殴る蹴るの暴力、女性にも容赦のない暴力、山崎努が差し出す札束。“勝ち負けにこだわる無意味”の無意味を叩きつける。そして、そこで生きる人間にのみ真の“願い”が許される。佐藤浩市の神棚への力強き2拍手。ラストの雪球こそが伊勢谷の成長、到達点・・・もはやウンリュウのレース結果は彼には必要なかった。
[映画館(邦画)] 8点(2006-06-05 13:02:19)
29.  Mr.&Mrs. スミス
これは最強の男と最強の女とを夫婦喧嘩させ、家の中が破壊尽くされる、そのド迫力映像を撮りたかっただけのように見えながら、ピストルやナイフなど武器を失った二人が生身の肉弾戦を繰り広げながら一転、愛の肉弾戦へと突入する様子を窺いますと、タナトス=攻撃衝動=死からエロス=性衝動=生への反転がそこに見え、滅茶苦茶に散乱した家屋に透けて想像させられるのは二人の距離が縮まったキッチンテーブルと湯気あふれるスープだったりして、破壊の裏の建設が堂々と微笑んでいたのでありました。
[映画館(字幕)] 8点(2005-12-16 17:14:38)
30.  リンダ リンダ リンダ
高校生の時、周囲のブルーハーツ熱をよそに岡村孝子を好んで聞いていた私は、今でもカラオケで「リンダリンダ」を聞くと、やかましい奴だな~と思うだけで、その時にはキャンディーズの「微笑がえし」を思いっきり歌い返してやるのが私の反射となっていますが、そんなことはどうでもよく、さてこの映画です。なにかギスギスとした彼女たちを曇天のもと描き、少しずつバンドが好転し始めると、空には雲が流れ太陽の光が彼女たちを差す。そしてラストのどしゃ降り。あの雨は、「リンダリンダ」の歌詞の通り、彼女たちを“どぶねずみ”のように美しくした。ずぶ濡れのままステージに上がる彼女たち、では写真には写らない美しさとは・・・やはりソンさんのあのバンドの仲間を振り向いた時の視線、目には見えないあの視線ではないか。そのはにかんだ笑顔には思わず私も微笑がえしたのです。山下監督のこれまでの作品に見られる独特の間が少し希薄になり、その分留学生の日本語理解能力を笑いに変換しているような面もありますが、でもやっぱり面白いのでした。
[映画館(字幕)] 8点(2005-08-18 13:06:16)(良:2票)
31.  ばかのハコ船
山下敦弘映画の役者面々が生み出す“間"に私はすっかり中毒です。ほんまおもろおかしい。そんな“間”の洪水の中、バカの箱舟に乗った二人が田舎を漂流、健康飲料「あかじる」でこの世を救わんとする、しかし不味い不味い「あかじる」など買って箱舟に乗り込もうとするバカはいるわけなくて、二人だけが無事バカのままでありました・・・って話ですかな。「あかじる」だけに赤とそれに対比された青が綺麗に画面に収まっているのが特徴的・・・父母の赤と青の服、赤と青の自転車、赤と青の煙草自販機、風俗店の赤いカーテンと男の青いパンツ。そしてヘリコプターの音とマンホールで上下を見せて、箱舟の上陸地点は下であることを示しているのですが、バカな二人はそれに気付かずラストシーンで下半身に身につけるパンストを頭から被らせることで、その上下の倒錯ぶりを描いているようでした。私の裁きは「おもろい」、です。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2005-07-30 21:37:11)(良:2票)
32.  トニー滝谷
左から右へゆっくりと流れていくカメラと遮蔽物によるシーンのつなぎは、本の頁をそよ風が1枚1枚めくっていくようでとても落ち着いた雰囲気にあふれた映画でした。ぼそぼそとした西島秀俊のナレーションと坂本龍一のピアノ、抑制されたイッセー尾形と宮沢りえの表情、ふわっと揺れる宮沢りえの黒髪、モノトーンにくすんだ画面、バックを白く明るく人物を影にした構図・・・アンティークな喫茶店で壁にかかった絵画を眺めているような気分でした。服に埋もれた宮沢りえが突然泣き出すシーンには、「服」という記号からいろいろなことを想起させられ印象的でした。私も久しぶりに服でも買いに行こうっと。
[映画館(字幕)] 8点(2005-06-22 13:03:03)
33.  緑玉紳士
グリーンピースの緑玉紳士などのキャラが楽しいパペットアニメ。スロットマシンを抜けるとそこは魔界で緑玉紳士の冒険物語が始まります。それはトンネルを抜けた千尋の夢と希望と勇気あふれる冒険物語ではなく、なんとも理不尽な物語。栗田やすおさんはその理不尽さを背景に自由にのびのびとパペットの造形を楽しんでいるかのようです。大味に見えて繊細なその造形美、台詞のない呻き声や叫び声、擬音化し難いその声と低音流る音楽に見ているこちらも徐々に吸い込まれていき、いつしか心はグリーンピース。グリーンピース(greenpeace)の確固たる主義主張を無化してしまうかのようなグリーンピース(greenpeas)の摩訶不思議なまめまめしい世界を是非まめまめしくご賞味下さいませませ。
[映画館(字幕)] 8点(2005-06-21 12:48:02)
34.  赤目四十八瀧心中未遂
なぜ尼崎なのかと問われた男が一言「甲子園に近いから」、そして赤目の食堂で高校野球のアナウンスが余韻を残すように聞こえてから一気にイメージが広がりました。この男は、少年時代に来る日も練習した野球、憧れの甲子園、そういった遠き日の姿、生気ある過去への憧憬とまだ自分にも生きる価値、可能性があるのではないかという生への欲求、それとそれが幻想であらんとする死への欲求(死への欲求は生きている証拠である)、その両者の精神的心中に及んだのではないのか、と。尼の地で生暖かな生を抹殺し、血の通わない物体として生きることを選択することで、必然、臓物に串刺す反復運動はそのシンボルとなります。そうイメージすると、赤目の食堂で死に向かわんとする女を前にし、高校野球のアナウンスが男の心に届くように響いているのは、男の精神的心中が未遂に終わっている証左であって、その後の四十八瀧での男女心中が未遂となることはその時点で確定されており、見守るアパートの住人達はただ未遂の上書きの目撃証人としての地位を与えられ安楽しているように見えました。そして蝶を捕まえ切れなかったというその男に特権たる過去は、現在において衆人の知るところとして復権し、女の死への欲求は鮮やかに生へと転換し、男の卑小ぶりと女の飛翔ぶりを剥き出しにしています。そんなイメージが膨らんだ点においてこの映画を評価したいと思うのです。
[DVD(字幕)] 8点(2005-05-10 12:29:47)(良:1票)
35.  ニワトリはハダシだ
【やましんの巻】さま、一足お先に失礼いたします。まあ2時間足らずの映画の中におもちゃ箱をひっくり返したような、これがホントのテーマパークではないかと思えるような多彩なテーマが散りばめられ、ストーリィもあれよあれよと広がっていきます。中心となる原田芳雄と知的障害児のサム父子がいい!ですな~。また舞鶴のロケーションがよくて、路地裏、水路、コロッケ屋など地に足がついた生活感が画面に出ております。サムと妹が背負う作り物の翼は、結局どんな人間も飛ぶことができないという意味でみ~んなおんなじだと言っているようでもあり、家族がバラバラに住んでいてもいつでも飛んで会いに行けるという希望のようにも見えます。そしてその翼が妹のかわいがる飛べない合鴨に重なると、翼はあっても飛べないものへの本能的な哀愁が感じられ、一匹だけいなくなった合鴨のひなへのサムの異常な執着が、人間どものドンパチと対比され、まことに清々しく見えるのであります。そして飛んでいくどころか、潜水士として生きるサムの成長を願うばかりなのです。
8点(2005-02-22 00:34:33)(良:2票)
36.  珈琲時光
侯孝賢監督が描く現代の東京物語。静的でノスタルジックな雰囲気を漂わす作品でありました。台詞はまったくエモーションを排除したかのようでいて、言葉の端々、表情に見え隠れする微かな振幅がリズムを刻む映画、です。ストーリィはあってないようなもので、登場人物の背景も多少なりと語られる程度です。よってストーリィやキャラクター設定で語る映画ではないのよ、ということですな。電車の中、ぼ~っと何かを考えていそうな一青窈演じる陽子のシーン、立体交差する電車郡、電車が行き違う駅のシーン、そして電車や駅で録音する浅野忠信・・・電車を徹底的に作品に用いています。撮り方は一目瞭然の長回し。見ている者に感じてもらったその場の雰囲気を持続させようという感じです。その中で、カメラが微妙に動いて人物をフレームから外したり、物の影に隠したり、遮らせたりして、視界をすっきり保証してくれません。例えば、喫茶店のマスターに場所を聞くシーン、場所を語りだしたマスターをすーっとカメラから外しています。また陽子の部屋へ父母が尋ねてくるシーン、母が陽子を思いっきり遮った構図をわざと採用しています。ということで電車のすれ違いのシーンを挟むこと、人物を遮ったり隠したりすることで、東京という都会が含有する、人間のすれ違い、見えたり見えなかったりする人間関係を描いたもの、というところでしょうか。そうした中にも隣りの家へお酒とグラスを借りに行くシーンなどに、侯孝賢監督の古き日本への想いといったものが見えたりするのでありました。私が見たことのある「童年往事」「悲情城市」あたりと比べるとかなりあっさりしてますが、ちょっとコーヒーブレイクにはいいかもしれませんね。
8点(2004-10-18 00:17:19)(良:3票)
37.  ベジャール、バレエ、リュミエール
バレエに関する知識といえば、ノーザンダンサーを父とするニジンスキー、ヌレイエフといった種牡馬が実在のバレエダンサーから名付けられたということ、ぐらい・・・そんな私が最初にレビューするのは申し訳ない、ごめんなさい。さてさて、このドキュメンタリー作品、天才振付師、モーリス・ベジャールが舞台「リュミエール」を完成させ公演するまでを追います。リュミエール=光をモチーフに作品が練り上げられていくのですが、その過程で語られる言葉の数々、バレエに全人生を捧げ、全人格をぶつけてきた者にのみ許される重みがあります。そして光の束のように踊り舞うダンサーの苦闘がシンクロされ、ベジャールさんの生の姿をそのまま切り取ろうと粘り強くじっくり自然光で回されたであろうカメラが、彼の苦悩、行き詰まりの闇の向こうに光が見えたその瞬間などを表現していきます。そしてベジャールさん、とてつもない映画好き!日本びいき!知っている人には常識なのでしょうが、知らずに見ている者には感動でした。グリフィス、シュトロハイムなどを見て育ち、リュミエール兄弟を作品に登場させ、舞台の台詞で語られる映画タイトル「ピクニック」や「散り行く花」などにまじり「雨月物語」が登場!そして映画について語られる一連のシーンのしめくくりが、リハーサル時の舞台台詞「君はヒロシマで何も見なかった!」・・・思わずニンマリしました。流れるシャンソン、ダンサーの指先、ベジャールの視線、それらが静かにじわりと余韻を残します。ラスト、出発点が到達点、子供時のフィルムが物語る雄弁性に拍手です。
8点(2004-09-10 23:33:21)
38.  オアシス
オアシスのタペストリーに木の影が不気味に揺らめき、風が窓を打つ音、ラジオの音、犬の泣き声、車の音などが重なったオープニングからなにやら見せてくれそうな予感。全編を通じてムン・ソリ、ソル・ギョングをドキュメンタリータッチで追うように、手持ちカメラで撮られた映像がテンポよく展開していきます。障害者と前科者の2人をそれぞれの家族が、自らの打算や体裁に利用しているのですが、厄介者をせいぜい利用させていただこうといった風情でそこに悪意を感じさせない、悪意のなさが、一般者のこの2人への距離感を象徴しているようです。車椅子にのったムン・ソリが空を見上げ、空からムン・ソリの表情を捉えたショット=天上からのショットの次シーンに牧師様が登場しますが、後半、牧師様の祈りの最中にソル・ギョングが警察から逃亡するシーンにより、実はすべてをお見通しであるはずの神でさえも、2人のことはわかっていないんだなー、と少し切なくさせられます。そして、夜間にひたすら木を切るシーンは、涙があふれるほどの名場面。ラジオのボリュームをマックスに応えるムン・ソリ、その視線から捉えた眼下のソル・ギョング、パトカーの音、近所からの苦情、それらが混ぜんと見ている者に迫ってきます。夢想シーンと蝶々のCGなどは、ドキュメンタリータッチの中にもファンタジックなシーンを挟むことで緩衝的な役割をしているものと解釈しております。しかし、ムン・ソリの演技には、恐れ入りやの鬼子母神です。
8点(2004-08-10 01:00:47)(良:1票)
39.  午後の五時
大統領になりたいという女性。その彼女がヒロインとして華々しく描かれるのではなく、彼女とその一家を介して、タリバン政権崩壊後のアフガンの現実、イスラムの伝統社会を透かせて見せています。食べること、住むこと、寝ること、といった生きる原初的欲求。おしゃれをするといった二次的文化的欲求。そのはざまの主人公の苦悩、葛藤、どうしようもなさ。廃墟の宮殿の静寂にポツンポツンと滴る水、ハイヒールの靴音。このコントラストは主人公の内面が見事に音をもって表現されています。義理の姉が水を使って洗う赤ちゃんの背景に、焚き火の炎を揺らめかせながら、水と火を生きる象徴として表現した後、暗闇の中、凍えを逃れるため、やむなく火をつけた一家の糧である荷車が燃え盛るシーンは、主題歌であろうイスラム歌謡がかぶせられ、とてつもなく切なく美しいです。ラスト、行き場を失った老人に神の死を語らせているのは、“午後の五時”に人間の死を意味させているだけではなく、神の死をも意味させているかのようでした。そして水平に消えていく一家は、水平から現れるオープニングの対として、静かにこの映画に幕を下ろしています。難癖をつけるなら、あまりにも対話シーンにクローズアップが多いのがマイナスです。引いたショットでその構図が映えているだけに、もう少し効果的にクローズアップが使えたのでないかなー、と感じながら映画館を後にしたのでありました。
8点(2004-08-04 00:36:32)
40.  アドルフの画集
鉄工所を改造したマックスのアトリエ、室内装飾など、美術はかなり丁寧に時間をかけて製作されているような印象でした。そしてこの時代の不穏な雰囲気に似合う抑制された照明と、それを捉えるカメラも美しく、スタッフ技術の確かさがうかがえました。鷹のオブジェがそびえる屋上から地上にカメラを向け、上を向くアドルフを捉えたシーン、鷹という天上舞う鳥からの視線=神の視座でヒトラーを見せること、これがラストの俯瞰ショットに見事につながっていると感じました。ラストシーンの俯瞰は、柔らかいオレンジの光あふれる大通りと、青白い光に照らされる広場が同時に捉えられ、背中あわせに織り成される皮肉な運命を浮かび上がらせます。しかし、それが神の視座であることを知ると、けっしてこのストーリィがタラ、レバの興味本位なものではなく、ヒトラーという人間をモチーフにしながら、その場面場面の運命を受け入れる力、人間の受容力が晒されたもので、そこから人はどう生きるのかが大事である、という摂理が提示されているのではないかなー、と感じているところであります。
8点(2004-07-10 14:26:12)
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