Menu
 > レビュワー
 > ひのと さんの口コミ一覧。2ページ目
ひのとさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 814
性別 女性

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41
>> カレンダー表示
>> 通常表示
21.  夜霧の恋人たち
アントワーヌ君、何も判らない(出来ない)大人になっているじゃねえかよ。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2005-06-09 19:46:03)
22.  ブラウン・バニー
こんな映画を撮るのは、アーティストか馬鹿かナルシストかのどれかだ。そしてギャロはきっと、その全部だ。でも嘲笑うことなんて出来ない。何かを決定的に、恒久的に喪ってみなよ。この映画を単純に嘲笑うことなんて出来なくなるから。彼は“ブラウン・バニー”から一歩も進めない。何て滑稽で、滑稽で、情けない。でも私はそれを、嘲笑えない。
[DVD(字幕)] 9点(2005-06-02 23:05:03)(良:2票)
23.  A.I.
人間とロボットの違いは何か?と考えた時に、意外と明確な答えは出て来ない。「人間は自然物で、ロボットは人工物」?しかし詭弁ながらもこういう反論も出来る。“自然の産物である人間が進化の過程に必然的に作り出したものもまた、自然の産物であり、そういう意味で人間とロボットは同系列的な存在だ”と。では「ロボットはプログラミングが必要だ」?それも違う。人間にとっての教育と、ロボットにとってのプログラミング。それらは第三者の教育的介入、という点では何の違いもない。つまり人間とロボットの違いは、構成体が有機的か無機的かの違いだけなのだ。人間もロボットも、その精神の実体は脳内の電気信号の交換に過ぎない。人間の脳は有機的コンピューターで、ロボットの脳は無機的コンピューター。それだけだ。人工知能を持ったロボットの思考能力は、人間と何ら変わらない。だから私は、デイヴィッドは人間だったのだと思う。彼の、プログラムによる融通の効かない行動パターンは、人間の、偏狭なイデオロギーを前提とする自己満足的な行動と何ら変わらない。彼と彼が彷徨うこの作品世界。矛盾と破綻、消化不良と自己完結のこの作品世界の姿にこそ、「人間」というものがあるのかも知れない。「人間」を描く上でデイヴィッドはスケープゴートであり、知らず「人間」を体現していた。釈然としない展開、絶対的な破綻と引っ掛かりが観る者を戸惑わせる作品だけれど、好意的に観ればどんな解釈でも出来る懐の深い作品のようにも思える。要は、破綻は大きいけれど、この作品に残された思考ののりしろを私は否定しないということだ。タイトルはとても良い。誰もが気付いただろうけれど、日本人は「A.I.」を「愛」と読める。この稀有な偶然は、日本(だけ)でこの作品がヒットした1つの要因なのだろうと思う。
[映画館(字幕)] 8点(2005-05-27 19:40:24)(良:1票)
24.  東京物語
実る稲穂は頭を垂れるし、深い川ほど静かに流れる。馬鹿であり続け、黙すということ。分からないふり馬鹿なふりをし、後続に道を譲り、心の機微の全てを墓まで持って行くということ。父と母のそんな優しい虚偽と、賢明な狡猾。それはローアングルから世界を見据え続けた、畳の上数十cmの目線の美学の見事な貫徹でした。一枚も二枚も三枚も上手でした。それは怜悧と冷徹を孕んだ、達観というものの美しさでした。それは混沌化前夜の東京における、失われるものの黙示でした。世界が変容する音が聞こえ始めていました。それを見据える、冷徹な監督の目がありました。これは黙示録でした。そして、日本映画の、一つの間違いのないイコンでした。
[DVD(字幕)] 10点(2005-05-27 19:33:48)(良:1票)
25.  誰も知らない(2004)
断罪がない。そしてきっと、狭義においては功罪すらもない。それでいいと思った。充分だった。私が12歳の頃、世界には紗が掛かっていた。それこそまるで是枝監督の映像そのもののように。世界に、大人らに、日々不安感や失望感を覚えつつ、同時にそれらに対しての根拠のない柔らかな希望と嘱望があった。世界はいつも、柔らかな美しい皮膜を通して見えていた。いつの間にか映画館に、12歳の自分がいた。ある意味においては大人になった今の私よりも大人だったあの頃の自分が。世界の誤謬に対し、無意識的に断罪を忌避していた私が。そして、大人である監督は、この物語において、“確信的に”断罪を忌避した。その姿勢に賛同した。柳楽君の目に射抜かれた。何を思うかなんて、各々が考えればいい。それでいいじゃないか。「生きているのは大人だけですか」稀に見る秀逸なコピーだと思った。
[映画館(字幕)] 9点(2005-04-09 21:22:28)(良:1票)
26.  8月のメモワール
発端は小さな子らの喧嘩。そして、悲しくて伏せた睫毛は目の下に「影」を作るし、悔しくて握り締めた拳の中にも小さな「闇」が出来る。些細な悲しみと怒りが、影と闇を生み出す。そしてそんな取るに足りないような影や闇でも、人間を侵食するに十分な力を持ち、その機を狙っている。白い絵の具と黒い絵の具、同量を混ぜたらどっちが勝つかなんて、やってみなくても誰でも分かる。同じ質量なら、正の力が負の力に敵う訳なんかない。それは増幅する。影は人を覆う。闇は世界を席巻する。どんな戦争だって発端は、小さな子らが作り出した、目の下や拳の中の、ほんとうにほんとうに取るに足らない影と闇に過ぎない。変な邦題に騙されてはいけない。これは立派な反戦映画だ。そこにあるのは、最も根源的な「戦争」の姿なのだから。
6点(2005-02-15 00:33:14)(良:1票)
27.  時計じかけのオレンジ
キューブリックは難しい。この作品の背景も意図もよく分からない。とても素人考えな解釈だけれど、オレンジは有機的で不安定で腐敗しやすいもの、つまりは人間と暴力のメタファーで、時計は無機的で硬質で正確なもの、つまりは規律や規範や管理や束縛のそれなのだろうか、と思った。時計を仕掛けられたオレンジ。その無理なコントロールはいつしか両者に破綻をもたらす。時計はオレンジの酸で侵食され、オレンジは静かに腐って行く。そう見受けた。この作品には、その「オレンジ」にも「時計」にも凶悪で不愉快なほどの暴力を感じる。キューブリックの確信犯的な企み、高尚で硬質で無機的な「キューブリックの暴力」。計算された暴力、キューブリックの私室の中の整頓された暴力。その部屋の椅子に座り、1人ほくそ笑んでこっちを見ている彼の姿が浮かぶようだ。とことん観客を高みから見下ろす監督だと思う。あと、全くの蛇足だけれど、ある友人が、私が下睫毛にもマスカラをバリバリに塗っているのを見る度にこの作品を思い出すらしい。確かにあのアレックスの目元は印象的。
9点(2005-02-05 22:49:01)(良:4票)
28.  CASSHERN
スピーチを述べることになった。テーマは「世界が前提的に内包する重大な矛盾と欠陥」。最初に紀里谷君が2時間20分のスピーチをし、次に宇多田さんが4分30秒のスピーチをしたが、悲しいことに宇多田さんのスピーチの方が無駄がなく的確で、かつ聴衆の心を動かした、そんな感じだった。てゆうか一言で良かった。「みんなの願いは同時には叶わない」
4点(2005-02-05 22:40:40)(笑:2票) (良:4票)
29.  死霊の盆踊り
突然昼になる夜に乾杯。カンペから目が離せない夜の帝王にも乾杯。一部の女性のたるんだヌードと揺れる不健康な贅肉にも乾杯。「クソ映画」では生ぬるい。史上最凶の「うんこ映画」。90分この映画を観ている位なら、90分本物のうんこを眺めてる方がまだ建設的かも知れません。延々と罵倒したかったけれど、罵倒する気力も削がれる恐るべき作品。しかし時間が経過するにつれ、「女の肉はあそこまで揺れるものなのか?」という疑問が膨らみ始め、どうしようもなくなったので、とりあえず鏡の前でパンツ一丁で踊ってみた。私は腹は出ていないので全く揺れなかったけれど、ちち肉はぷるぷると、しり肉はとよとよと揺れた。ひとしきり踊った後、乾いた笑いが込み上げて来た。服を着ながら、今年何度目かの強烈な鬱状態に陥った。踊りました。最後に踊った死霊は私でした。てゆうか生霊でした。心だけ死んでいました。
0点(2005-01-09 23:02:07)(笑:39票) (良:1票)
30.  白い風船
泣きそうな子供からお金を取る芸人、それを無表情もしくは半笑いを浮かべて助け舟も出さず眺めているだけのギャラリー。お金を落としても手を貸してくれない大人たち、困っている子供に物欲しそうな顔で話しかける若者。全てが私の価値観・良識と符合せず、いつしか自分の価値観が、この世界ではてんで的外れなことに気付く。“価値観を試される映画”だと思った。この世界では、これがあるべきあり方なのだ。誰も文句は言わないし、文句などそもそも発生しない。悪意もない。罪もない。あるべきあり方として、世界が構築されている。私がこうやって指摘するのも野暮な位に。そして、助けてもらってもお礼1つ言わない兄妹たち。うーむ、自分の価値観をとことん試された。私も随分頭が固い。
7点(2005-01-09 22:59:43)(良:1票)
31.  ネイキッド(1993)
捻くれた哲学論を翳すダウナー系ナルシストさん。彼が繰り出す漂着する当てもなく空転する衒学的ナルシシズム。何だろうな、滑ってる。色々な意味で。シャープなように見えて露骨で野暮ったくて、醸し出される空気もそこにいる人も皆、取り付く島もなく滑ってる。クールでもスタイリッシュでもない。そうあろうとして滑ってる。そんな、可哀想な子達の群像、みたいな作品だと私は見受けた。デビッド・シューリスは男前なのに、出て来る女優は「ん?」な人ばかりでした。肉まんみたいなのとかトリガラみたいなのとか。
4点(2004-12-28 19:44:51)
32.  フェノミナン
人間は本質的に孤独だと思う。人は自分の脳みその中から一歩も出ることなく生き、死ぬ。確かに、絶対的に存在するこの世界は確固としているけれど、そこに70億人いれば70億人分、それぞれの脳で処理され、それぞれの網膜に映るそれぞれの全く異なる世界がある。人はつまり、100パーセントの主観の中に生きている。1つの世界を内包し、内包されている。主人公はそれを知ってしまった。そしてそれを、本当は誰もが知らなくてはいけない。世界とは自分であり、自分とは世界であるということ。人が1人死ぬということは、1つの世界が未来永劫喪われるということ。I can change the world.僕は世界を変えることが出来る。それは誰だって、いつだって。最後の瞬間が来るまでは。“自分が変われば世界は変わる”それは格言だと思う。ほんとうにほんとうのことだと思う。
6点(2004-12-19 14:16:45)
33.  ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス
うわわわわわわわグロいよグロいよグロいよ。「ピンク・フラミンゴ」を“無邪気で微笑ましい映画”、「ネクロマンティック」を“勇敢で誠実な主張”と思った頭のネジ飛び子が、この作品を観た後は流石にご飯が全く美味しくなかったです。いやもちろん完食しましたけどね。個人的に今まで観た映画の中で1番グロいと感じた作品です。何と言うかやっぱりね、カバは怒ると怖いんです。あいつらのらりくらりと日がな1日水に浸かっているくせに、流す汗は血の色をしているというアバンギャルドぶりだし、スイカも皮ごと食べるというアグレッシブさだし、実は本気を出したら40キロのスピードで走れたりするんです。それはそれは恐ろしい奴らです。あの勇敢なマサイ族ですらカバには近寄らない位ですから。あれ?何か言ってることがおかしいですね。映画の内容はショービジネスの裏側を描いたもののはずなんですけどね。でもまあ観た方は分かると思います。ともあれ個性の強い映画が好きで、かつ、ある程度エログロに耐性があるという方にのみお薦め致します。
7点(2004-12-11 22:41:45)(笑:1票)
34.  DEAD OR ALIVE 犯罪者
冒頭数分のテンポの良さとスタイリッシュさにはなかなか掴まれました。レンタル店のVシネコーナーに並ぶようなタイプの映画に普段興味のない方にこそ観て欲しい。感嘆するか石投げるかは個人個人の感性と価値観(と映画に対する良識?)次第ですが、三池監督は勇敢だと思います。私だってヒギャアアアアアアアアアってなりましたよアレには。何だろう、アレ。何なんだろう、アレ。なぜ企画が通ったんだろう、アレ。思わず撒き戻して3回観た位です。あのラストを観て1週間位は楽しく生きて行けると思いました。私は。
7点(2004-11-21 12:05:27)(良:1票)
35.  永遠と一日
永遠とは全てを包括し総括した絶対的な概念であるはずなのに、同時に絶望的に曖昧で不確定で、具体に寄らない卑怯で狡猾な逃げの表現でもある。永遠とは不確定と不毛と矛盾の総体だと思う。永遠というプログラムには脆弱性があって、それを埋めてくれるアップデートはないのです。老人の最後の一日。永遠の通過点の1つに過ぎない一日。だけれど時に、極度に限定された一日の質量は永遠のそれに匹敵するのだ、とこの映画は提示する。それは厳しく優しい矛盾、永遠が持つ脆弱性でした。老人の最後の一日、だけれどそこには紛れもない永遠がありました。優しく穏やかな「永遠」という澄んだ混沌がありました。
8点(2004-11-21 12:03:28)
36.  クロウ/飛翔伝説
もし私が大切な誰かを残虐な形で殺されたら、多分復讐する。だから私は、世界を覆う憎しみの連鎖に対しても、何も言えない。私は実は今でも、復讐は悪だという概念が分からない。頭では分かっているけれど、心が拒否する。復讐とは行き場をなくして変質した「愛」の転嫁なのだと思うから。誰かを愛するということは、他の誰かを愛さないということ。憎むこと。その表出を悪だとは、私はとても言えない。絶望的に愚かなことだとは認めても。愛というものは諸刃の剣なのです。世界が血を流すのは、世界が紛れもなく愛に溢れ、愛というものの質量を持て余しているから。主人公が見つめる世界は、私たちが見つめる世界と同じく、陰惨で不毛で、持て余す程の愛がある。だから私は、この映画が好きです。 
10点(2004-11-05 22:06:55)(良:1票)
37.  どっちにする?
擬人化された動物たちが闊歩する街。ワニが歯の治療の為に三日月を訪れ、めかした羊が首輪を付けた犬を散歩させる。アルマジロが太陽に絆創膏を貼ってもらい、緑の虫が美味しそうに電球を食べる。思い付きそうで付かない、何気に卓越した想像力にしばし唸る。
5点(2004-11-03 17:12:18)
38.  バベルの本
子供たちが偶然拾った本の中にあったのは、封印された古文書が並ぶ、秘密と禁忌の匂いのする隠匿された図書館。バベルの塔。彼らが垣間見てしまうのは、そこに圧縮された膨大な量のログのほんの欠片。それでもそれは、幻獣が闊歩する人智の及ばない世界の命がけの冒険譚。デジタル映像だけれど、なかなか味のある雰囲気が出ている。監督がインスパイアされたというJ.L.ボルヘスの「幻獣辞典」もその内読んでみたいと思いました。
6点(2004-11-03 17:06:49)
39.  ボクシング・ヘレナ
出て来る人物全ての髪型と服装が許せない。もうみんな絶望的にファッションセンスが駄目なんだけれど、特にヘレナの恋人なんか普通のテンションで乳首の透けるシースルーの服を着てた。それがこの世界観の中ではクールなものとして扱われている。許せない。つまりは映画の世界観自体にセンスがないんです。ああいうのは個性ですらないです。演出にも違和感ばかり。何ですか、あの突然変なスローモーション入ったりするのは。残念です、テーマは悪くないと思うので。センスがあればもっと良い作品になったはずなのに。
3点(2004-10-28 23:33:56)
40.  ポルターガイスト(1982)
「ポルターガイスト」は心霊現象ではなく子供の精神力が誘発する現象だ、という説が今は有力だということなので、子役を前面に出した設定は、知らず理に適っているのかも知れないですね。年一桁の頃、あの冷蔵庫の蛆虫生肉が結構なトラウマになりました。些細なシーンなんですけど、まだ気持ちの悪いものに耐性がなかったんですね。強烈に焼き付いています。今でもこの作品のタイトルを聞く度、蛆虫生肉を思い出す位です。
6点(2004-10-28 23:30:45)
020.25%
140.49%
2293.56%
3526.39%
48710.69%
511914.62%
615118.55%
714217.44%
810613.02%
9728.85%
10506.14%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS