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ころりさんさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  バービー(2023) 《ネタバレ》 
まず、グレタ・ガーウィグの映画は好きだけど、これだけエンタメに振れた作品って初めてでは。その点ちょっと不安だったのだけれど、名作映画オマージュやら時事ネタも散りばめながら、まず楽しかったのが何より。冒頭の「2001年」オープニングはいいのだけれど、その後のバービーランドの描写が個人的にはなかなかキツく、この調子で2時間は辛い、と思い始めたあたりからグングン面白くなりました。まさに「現代フェミニズム入門」的な内容で、近年の「男社会」批判(有毒な男性性、ホモソーシャル、マンズプレイニングなど)がうまくエンタメに組み込まれていて、とくに「フォトショップの使い方を聞く」「ゴッドファーザーを語らせる」あたりは本当にツボでした。ただ、ケンがたくさんいるわりには人種以外のバリエーションにとぼしく(アランという別人格がいるから、というのもあるだろうけど)、ここに弱者男性キャラみたいなのが話に絡んでくると、ますます現代フェミニズム入門映画としてふさわしかったかもしれない。  残念だったのはマテル社のほうの描き方。幹部が全員男性なのは皮肉なのでしょうが、あまりそれが物語上活かされていない。ウィル・フェレルのコメディセンスは本作と相性よさそうなのに、どうにも空振り気味。結局最後までイマイチ何がやりたかったのかわかりにくく、テーマ的にもちょっとノイズでした。あと、もうひとつ。「家父長制が・・・」とか「女性の現実を知って目覚める」みたいな部分を解説調の台詞で説明しちゃった箇所もちょっと残念。第二波フェミニズム時代のコンシャスネス・ライジングであり、今風に言えば「Woke」なんだろうけど、見てればわかるから、あの解説台詞はちょっと観客を冷ましちゃったのではないかな。あそこだけ「フェミニズム入門」講義のようでした。  そして、ラストのラスト。バービーが行った場所があそこだったというのは、ちょっと深すぎて考え込んでしまったよ。一人の人間として生きればいい風だったラストで、やっぱり「女性であること」がそこでズシリと重く響く。スッキリというよりも、「え・・」っとしばらく困惑しながらエンドクレジットを見ることに。そのあとジワジワとその意味みたいなものが浮かんできたけど、まだ腑に落ちたわけではない。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-12-10 21:05:33)(良:1票)
22.  Arc アーク 《ネタバレ》 
これはなんとも評価に困る作品。そもそも、題材というかテーマが難しすぎたのかもしれない。ケン・リュウ原作で不老不死を扱っているとはいえ石川慶監督の作品でもあるので主体は人間ドラマなのだろうなと思ってたのですが、ドラマ主体にするには時間が足りず、個々のエピソードがどうしても描き込み不足だったのかも。内容的には1時間×5話くらいのミニシリーズ向けだったのかもしれません。ストーリーも、石川監督の『愚行録』や『ある男』を思いおこせば、もっともっと不穏な話を予想しました(とくに序盤)が、思った以上にシンプルかつさわやか風味に仕上がってて、そっちはちょっと思ってたのと違ってたかな、という感じ。でも、考えようによっては、終盤の展開、とくに小林薫さんの最期は、実はめちゃくちゃ残酷な話でもあって、それをさらっとナレーションですましてしまう監督の非情さにちょっと感心しました(だって、あれってリナに言われたからでしょ。最後まで最低の母親だったということでもある)。  外見は変わらないのにどんどん歳を取ってるはずのリナ役の芳根京子さんはがんばっていたのでは。もっと技巧的な俳優さんなら、老齢感みたいなのを入れてこようとすると思うけど、今作のように非現実的な浮遊感で表現するのもアリでしょう。むしろ難点は、そのほかのキャスティング。「怪しいスゴイ人」枠の寺島しのぶさんと岡田将生さん、「(過去になにかあるっぽい)いい人枠」に風吹ジュンさんと小林薫さんなどは、全員キャラがステレオタイプ過ぎてどれも掘り下げ不足。そして、ストーリーの肝になるリナの「過去」の話は、老人ホームの話が出てきた時点で先が読めてしまうので物語的なカタルシスも弱い。ドラマ的な見所も、芳根さんが浮遊する周りで、ステレオタイプなキャラたちがいつもの話を繰り返しているだけなので、どうしても物足りなさが残ってしまう。ただ、全体のパッケージとしては、石川監督らしい奥行きと質感のある映像(ただ90歳パートをモノクロにした意図はちょっとわかりにくかった)、終盤の瀬戸内と思われるロケーションの素晴らしさ、邪魔にならないけどちゃんとドラマをつくる音楽、オリジナリティのある美術など、ちゃんとワンランク上の映画を感じさせてくれる出来でした。結論としては、この話を2時間におさめるにはこのくらいが落とし所だったのかな、けどもう少し人間関係を描き込んだものも見たかったかな、というところ。
[インターネット(邦画)] 6点(2023-10-30 23:34:37)
23.  キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン 《ネタバレ》 
原作既読。原作発売時の帯にすでに「スコセッシ&ディカプリオで映画化!」とあってとにかく心待ちにしていたので、公開日に映画館へ。原作は、オセージ族の連続怪死事件の捜査を、FBIというアメリカ現代史の影で暗躍してきた組織の成立と絡めて描くという、骨太の歴史ノンフィクション。これをどうやって映画化するのかと思っていたのですが、映画版は思った以上に完璧なスコセッシ映画になっていました。まず、とにかくディカプリオが素晴らしい。その場しのぎでなんとか適当にやり過ごしているうちに引き返せないところに来てしまい、どんどん深みにはまっていくアーネストの姿はまさにスコセッシ印。オセージの妻モリー役のリリー・グラッドストーンのアーネストに徐々に疑念を募らせる表情も、デニーロ演じる、すべてを裏で操るビリーおじさんの謎の自信も、どの演技も絶品です。そこにロビー・ロバートソンの軽快なのに不穏な音楽とスコセッシ流のテンポいい演出が重なって、本当に3時間26分の長尺を感じさせない。ダメな人間がどんどんダメになっていく「ザ・スコセッシ映画」なので、鑑賞中は、原作の魅力であったアメリカ現代史にぐぐっと迫るアプローチが弱いのが不満でした。ところが、ラストのまさかまさかの「ラジオドラマ」演出で、すべての背後にFBIとJ・エドガー・フーバー長官がいたことが見えてくる構成には鳥肌。スコセッシおなじみのダメ男たちの犯罪ドラマを堪能しつつ、原作の骨太アメリカ史も再現してしまうという離れ業を可能にした脚色はお見事としか言いようがない。  あと細かいところに歴史的背景が描き込まれているのもすごい。冒頭のオセージの儀式には子どもを寄宿学校に連れていかれたオセージの人びとの苦難が見えるし、町のあちこちで白人至上主義者のKKKが英雄視されてることもわかる(モリーの後見人をつとめる人の事務所の壁にはKKKの写真が・・・)。オクラホマで「黒人のウォールストリート」と呼ばれたタルサの大虐殺を絡める演出(もちろん、同じく裕福なオセージはタルサで起きたことが自分たちにも起きるかもしれないことを恐れてる)は、本作の根底に「人種」というアメリカ建国以来の問題があることを効果的に浮かび上がらせる。いつもの「ファミリー」のドラマへ収束させたと見せかけて、しっかりと歴史も描くスコセッシ80歳の大傑作です。脱帽しました。
[映画館(字幕)] 9点(2023-10-22 07:36:19)(良:1票)
24.  ザ・フラッシュ 《ネタバレ》 
うーん、事前の評判で期待しすぎたか・・・。冒頭のフラッシュの高速移動に入るカッコ悪いポーズは最高。そのあとの赤ちゃん救出エピソードも最高。「DC最高傑作の評も言い過ぎではないかも」と思ったものでした。お騒がせ俳優エズラ・ミラーの一人二役コメディ演技の自然さには驚きますし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の配役ネタでマルチバース設定を観客に理解させる手腕にはスマートさも感じる。ところが、マイケル・キートンが出てきたあたりから、自分が冷めていくのがわかる・・・。どうやら昨今のリブートもの映画での過去作の登場人物大集合の流れにはやっぱり個人的には乗れないようで『ノーウェイホーム』ぐらいでは楽しんでいたけど、物語の本筋の外部にある業界裏話で(一部の)観客を喜ばそうとする戦略には食傷気味でした。しかも本作はメインストーリーがそれなりにしっかりしていただけに、業界裏話のノイズが大きい。マイケル・キートンは『バードマン』で一度スーパーヒーロー役の自己批評にも手をつけていただけに、ダニー・エルフマンのテーマ曲が流れても素直にテンションがあがるわけでもない。スーパーガールのエピソードは完全にオフビート業界ネタのノリから切り離されて浮いてしまっているし、ラストもジョージ・クルーニーの登場という、これまた微妙に映画見てる人たちにしか通じない感じでまとめてしまうのはどうなんだろうと思ってしまう。コメディのセンスや映像表現には魅力も多い作品だっただけに、往年の映画秘宝的な映画ファン向けの小ネタの数々には、喜びよりも違和感を感じました。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-09-05 06:50:13)
25.  モーリタニアン 黒塗りの記録 《ネタバレ》 
久々にジョディ・フォスターの「らしい」演技が見れて大満足。知性と信念の人をやらせたらやっぱり光るし、それが「嘘っぽく」「偽善っぽく」ならないのも彼女のキャスティングあってのことだと思う。この映画のわかりにくいのは、いわゆる巨悪を倒す系の物語構成にはなっておらず、ジョディ・フォスター演じるナンシーが法のもとの平等、そして「手続き的な正義」を守るために弁護していること。対するカンバーバッチ演じるステュは「反テロ」という正義のために戦っているものの、彼にとっての一線もまた正当なプロセスで集められた証拠だけが有効であるという「手続き的な正義」。だから、本作にとってスラヒが本当にテロリストだったのかどうかは実は裁判にとっても物語にとっても大事ではなく、彼の「自白」がどうやって導かれたのかという「手続き」のほうこそが焦点なのだ。9.11直後は、この「手続き」よりも「テロ防止」「報復」が何より重視された時代で、それは「リベラル」と言われるオバマ政権期でも続いた(ビン・ラディンを裁判を通さずに襲撃して殺害したことが「政治的功績」になる時代だった)。だから、終盤に拷問の真実が明らかになったことで、物語は大きく動くことになる。この「ルールが大事」の感覚は、日本の裁判ミステリ系ではほとんど無視されていることが多い(何なら非合法に入手した証拠で一発逆転!みたいなのも多い)ので、この作品の肝を観客が理解するのは難しいかもしれない。ただ、そうした法的背景を理解していても、この映画がエンタメとして「面白い」かというとやっぱり疑問ではある。制度の複雑さもあって主人公たちがいま何をしているのかがわかりにくく、全体の構図が不透明なまま話が進んだ挙げ句に「拷問」シーンがクライマックスというのは、(事実をふまえたとしても)もう少し別の語りかたがあったのではないかと思える。ただ、ラストの判決の歓喜からの非情なテロップは出色。ああいうところはケヴィン・マクドナルド監督らしい骨太さを感じます。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-08-20 14:10:21)
26.  ザリガニの鳴くところ 《ネタバレ》 
冒頭のノースカロライナの湿地帯の映像を見ただけで、あ、これは佳作だと直感でわかる丁寧な絵の作り方。取り残された主人公と自然界との関係性だけでも十分に魅力的な話だけれど、本作はそこにミステリとラブストーリーを重ねることで物語の「引き」も強く、最後までほとんど飽きることなく浸ることができました。とくに、序盤に少女と父親の緊張感ある関係を丁寧に見せた事で、終盤の事件の真相にぐぐっと感情移入できる作りも秀逸。このあたりは原作の出来のよさでもありそう。よくできたシナリオに、説得力のある自然の映像と美しく成長する「自然児」を演じたデイジー・エドガー=ジョーンズの好演が加わって、「映画」としても一級品となったと思います。頼れる弁護士役のデヴィッド・ストラザーンもよかった。一方で、少々不可解だったのは、被害者となるチェイスの変化。恵まれた環境にあるからこその孤独な人物像にはそれなりに説得力があったのに、急に暴力男に豹変するあたりの描写はもう少し丁寧さがほしかったところ。たぶん、父親に仕事を任されて自分を認めてもらったあたりが心変わりのタイミングだったんでしょうが、その描写もないので、カイアに男を見る目がないみたいな感じになってしまうのはちょっと残念でした。あと、ザリガニって鳴くんですかね。ザリガニのフライは南部料理の定番で、きっとあちこちにいるんでしょうが、「Where the Crawdads Sing」のイメージが最後までよくわからなかった・・・。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-08-15 21:46:33)(良:1票)
27.  ファミリア 《ネタバレ》 
在日ブラジル人の若者が直面する問題を正面から扱ったものとしては、おそらくはじめてのメジャーな映画作品ということで期待していただけれど、実際には失望のほうが多い内容でした。この作品の残念な点は、不必要なセンセーショナリズム。ブラジル人の若者を追いかけ回す日本人ギャングの暴力もアルジェリアのテロ占拠事件も、本作のテーマを語る上で絶対に必要だったのか、製作者は自問してほしい。むしろ、日本の外国ルーツの若者が直面するのは、そんな極端でベタな暴力ではなく、ほんとうにちょっとした些細なことで、あるいは時代の変化によって、突然に生きる基盤を簡単に失ってしまう可能性があること。それは、リーマンショックのときに多くのブラジル人労働者が経験したことであり、近いテーマを扱った傑作『マイスモールランド』で主人公家族が陥った苦難だってそうだ。近年注目されたウィシュマさんの死亡事件だってそう。その「脆弱性」を描くうえでは、本作のギャングの暴力もテロもただただ「過剰」で、まるで彼らが私たちの隣人ではなく別世界を生きる人たちであるかのように描かれてしまう。それだけでなく、暴力やテロと「外国人」を結びつける不必要な偏見を増幅させる可能性もある。マルコス役のサガエルカスをはじめ海外ルーツの俳優の起用などは高く評価したいけれど、その意識がなぜ物語・脚本へと結びつかなかったのか。ただ残念。
[インターネット(邦画)] 3点(2023-08-11 07:14:25)
28.  インディ・ジョーンズと運命のダイヤル 《ネタバレ》 
映画がはじまって、パラマウントの山ではなくディズニーの城で始まったときに嫌〜な予感を感じたものの、娯楽映画としては思った以上に楽しめた。とくに第1幕。CGの若返りインディは不気味ではあるけれど、アイデアとユーモアに満ちたアクションの連続。そう、これこれ、これがインディアナ・ジョーンズという展開で期待は高まる。そして、1969年のインディアナ・ジョーンズ。実は今作で一番期待していたのは、「1960年代を生きるインディ」をどんなふうに描くのか、という点でした。何しろ、時代は公民権運動の熱気が冷めかけたニクソン政権のころ。人種平等の夢は小さくしぼみ、それどころかベトナム戦争でアメリカの正義や理想がどんどん陰りを見せた時代。そして、第三世界からは欧米の植民地主義への反発が高まった時代。インディたち考古学者が各地の「お宝」を発掘し、ロンドンやらワシントンやらの博物館に収める行為も、文化の収奪として批判されはじめた時代。こんな時代にインディアナ・ジョーンズが過去の自分の行いを振り返り、どう折り合いをつけていくのか。そんなことを期待していた・・・・。もちろん、そんな難題に本作がまともに挑むとは考えていなかったけど、『ウエスト・サイド・ストーリー』で独自の21世紀版を作り上げたスピルバーグの製作であれば、何かそういうスパイスが効いた一作になってるのではないか、と微かな思いを胸に劇場へ。  残念ながら、そうした関心は本作の製作者には共有されていなかったようです。それは、せいぜい60年代の若者文化についていけない、さえない老人としてのインディの描写に反映される程度であり、むしろインディはそんな「新時代」には背を向けて「元ナチの科学者」との秘宝争奪戦にのめり込んでいく。インディは物語中、何度も何度もフォラーを「ナチ」と呼び、そう呼ぶたびに彼の中にエネルギーが満ちていき、どんどん生き生きとしていく。結局、彼は「アメリカが正しいと信じられた」過去の世界へと向かっているよう。1969年の変わりゆく世界を背に、そこだけが30年前の世界であるかのような冒険が続き、最後には考古学者が夢にまでみた世界へ・・・。いっそのこと、そのまま帰ってこない、という手もあったかもしれないけれど、NYに戻ったインディの前にはもうひとつの「過去」との再会があり、物語は大団円で幕を閉じました。結局、本作のなかのインディは最初から最後まで「過去にとらわれた人」でした。その姿は、かつて夢中になった作品の十数年ぶりの新作を観にせっせと映画館に通う、私のような観客にも重なっていたようで、胸に苦いものが残ったまま劇場を後にしました。  というわけで、たぶんスピルバーグが製作から降りたのも、本作のあからさまな過去への固執ゆえでしょう。同じものをもうひとつ作るんだったら自分が作る意味がない。『クリスタルスカルの王国』は難点は多々あれ、新しいものを作ろうとする意思は感じましたが、今作に新たに彼がメガホンを取る理由はなかったのでしょう。まあ、ちゃんと終わらせるだけでも大変なことだし、過去を愛したままそっと幕を閉じるための一作としては、よくできていたのではないかと思います。
[映画館(字幕)] 5点(2023-07-21 23:49:21)(良:1票)
29.  ヴィレッジ(2023) 《ネタバレ》 
多くの人が抱くであろう「思ってたのと違う」という感想は、M・ナイト・シャマランの作品と同タイトルであることから仕方がないのでしょう。しかもあっちは、閉鎖的な共同体を奇抜な方法ながらも真正面から描いていたので、同じようなモチーフを藤井監督がどう描くのか、そんな期待で見始めた人も少なくないはず。ただ、結果としては新しさも深さも感じない、表面的な描写に終始した一作でした。思わせぶりな能のシーンや祭りはあるものの、本編にうまく絡んでいるともいえず、結局は「ボス一家と搾取される若者たち」という都会のヤクザものでも描かれるような人間関係のほうに焦点は当たってしまう。終わってみれば「村」は主役というよりは舞台設定に過ぎず、そこで先が簡単に読めてしまう安直なドロドロ劇が展開しているだけの映画でした。ゴミ処理場が「SDGs時代の人気観光地」っぽくなったり、朴訥と解説するだけのイケメンがローカルヒーローになる展開は、「習俗」「伝奇」的な共同体ものというよりは、某民放番組の「ダーツの旅」が描くような「素朴で明るい」田舎観といったほうがいいのかも。でもその表層性を批判的に掘り下げるわけでもなく、物語上「ありえた未来」のように描かれてしまうのもいかがなものか。藤井道人監督作品、毎回興味深い題材を選んでくる眼は確かだと思うのですが、人間関係観(とくに男女観・家族観)もメディア観も微妙に古く、テーマも上っ面を走るのみで脚本が練り上げられてるように思えないのが残念。人気監督となって企画も満載で忙しいのだと思いますが、ここらでじっくり取り組んだ一作を観てみたいと思ってしまいます。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-06-18 09:00:37)(良:1票)
30.  ドライブ・マイ・カー 《ネタバレ》 
「劇中劇」映画は正直あまり得意ではない。どうしても演劇の不自然さが強調されるので、結果的に映画全編が不自然に感じてうまく感情移入できなくなる。劇の台詞に過剰な意味を見出したくなってしまい、映画を観るというよりも、本を読んでる感覚に近くなる。いつでも読み返したりスピードを調整できる本とは違い、映画だとそのまま流れていってしまうので、どうしても物語を咀嚼できず、消化不良感に襲われる。なので途中で、演劇がテーマと気づいた時に「これはまずい映画に手を出した」と後悔した。  しかし、本作の特異な作りは、そんな私にも十分に堪能できるものでした。メインの西島、霧島、岡田の3人は動きも台詞回しも過度に演劇的で実在感がない。一方で他の登場人物の大半は素人を集めたかのような棒読みぞろいか、日本語が限定的な外国人。そのなかで唯一「自然に」演技してるのが三浦透子さんで、彼女が口を開くときに物語が動き始めるのがなぜだか妙に心地よい。正直、西島さんと霧島さんの演技過剰な序盤でリタイア寸前だったのですが、三浦さんの登場で一気に「映画」になったと思う。そうなると三浦さんの運転シーンのプロフェッショナルな所作、棒読みの読み合わせのシーンのリズム、その秩序とリズムをかき乱そうとするトラブルメーカーの岡田さんの絡みががぜん面白くなり、「生きる」ことへの主人公の問いかけが、急に切実さを帯びるのだから面白い。濱口竜介監督のただ者ではない感じを楽しむ事ができました。  村上春樹作品の映画化といえば、イ・チャンドンの傑作『バーニング』がありますが、それに匹敵する作品。ただ、西島さんは、自分が村上作品を読んだときに描く主人公のイメージとはやっぱりギャップが・・・。もっと「空っぽ」感がほしいのです。じゃあ誰がいいのか、と言われてもちょっと浮かばないのですが。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-06-17 15:30:49)
31.  プロミシング・ヤング・ウーマン 《ネタバレ》 
「#Me Too」時代にふさわしいリベンジもので、主人公キャシーが対峙しているのは、友人を襲った人びとやそれを許した周囲の人たちだけでなく、「襲われたほうにも落ち度があった」という性暴力を正当化する語りとそれを支えるセクシズムそのものなのでしょう。「プロミシング・ヤング・マン」を守るためにその男と同等以上の能力も可能性もあったはずの女性の尊厳や生命がないがしろにされる社会のあり方への「復讐」として、彼女は毎晩バーへ行き、泥酔したふりをする彼女に言い寄る男たちに「成敗」を下す。彼女の「復讐」方法は、映画の雰囲気から予想していた「仕事人」風バイオレンスではなく、社会的・心理的に追い詰めるタイプだったのは少し意外だけど、その分リアルで男性観客に居心地の悪い思いをさせるには十分。なかでも、冒頭に声をかけるのが3人組のなかで唯一「ロッカールーム・トーク」に気乗りしないタイプの男だったり、それなりに誠実そうなライアンの「過去」だったり、わかりやすい「クソ男」でない風に見えるやつこそが「クソ」という描き方は秀逸で、男性としてはその分救いがないというか逃げ場がない。フェミニスト気取りの男を含め、どんな男もこの問題からは逃れられないぞという、なかなかキツいメッセージに思える。  そんな本作なので、いちおうは「復讐」は完遂されるものの、それもまた爽快感や解放からはほど遠い。ライアンの「正体」だったり、ラストへの流れはなんとなく予想できてしまう。パリス・ヒルトン、ブリトニー・スピアーズなどの「お騒がせ」系女性歌手曲の使用もテーマには合致しているけれど、少ししつこいというかベタにベタを重ねるようで演出過剰な気がするのも確か。とはいえ今、作られるべくして作られた作品。色褪せないうちに鑑賞することをお薦めします。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-06-11 08:31:56)
32.  NOPE/ノープ 《ネタバレ》 
やっぱり映画館で見たかった。飛行物体の浮遊感とチラチラ写りこんでくる表現が秀逸で、視線を巧みに入れ替えながらその「恐怖」を増幅させる演出はやっぱり劇場でこそ、だったように思う。「西部劇」「怪物映画」という伝統的な映画のフレームを、主人公の味方とされる「動物」視線で再構築するモチーフはとても面白いし、映像として撮ること=映画そのものについての映画である、というのも最後まで見ればよくわかる。そう考えれば、チンパンジーにせよ馬たちにせよ、映画産業のなかの「動物」の扱いには、ジョーダン・ピール監督らしい「人種」への問題意識も反映されているのだろう。  ただ、自分としては『アス』の哀しくも恐ろしいラストが大好きだったので、「西部劇」+「怪物映画」として最後スッキリ格好よく終わってしまったのはちょっと物足りなかったか。また、そのスッキリ感が、監督のシネフィルっぽい原初的問題意識とかみ合っていないような気もして、せっかくの「怪物映画」としての終盤のスペクタクルをどっぷりと楽しめないのも残念。それも、映画館など没入感がある環境で見ていたらまた違ったのかもしれない。いずれにせよ、新作が待ち遠しく、そして必ずこちらの期待を超えてくる一作を持ってくる監督であることは間違いない。次も楽しみ。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-06-11 07:24:00)(良:1票)
33.  AIR/エア 《ネタバレ》 
少しでもNBAの選手を知っていれば、映画冒頭の新人選手の誰をスポンサーするかっていう会議でニヤニヤが止まらない(あー、そっちにいっちゃだめー!とか、そいつは意外とイケるよ、とか)。そんななかで二流スポーツブランドだったナイキ社員のソニーが「これだっ」と見出したのがドラフト3位のマイケル・ジョーダン。しかしジョーダンはすでに当時大手だったアディダスとの契約を希望しているらしい、さて、どうする? という話。  そもそも結末はみんな知っているので、「交渉」の緊張感にハラハラするよりも、バックに流れる80年代音楽とともに流れに身を任せる感じ。映画的な見所はそこで出会う人物たちのキャラとソニーとのやりとり。ナイキの幹部たち、オリンピック関係者、エージェント、そしてジョーダンの両親など、みんなキャラが立ってて主人公ソニーとのやりとりは本当に面白い。とくにエージェントのデヴィッド・フォークが興奮してまくし立てた言葉に思わず笑ってしまうマット・デイモンの表情など、(まるでコントの相方のやり過ぎに思わず笑ってしまった芸人のようで)俳優達も楽しんでる感じが伝わってて最高です。交渉のキーパーソンとなるジョーダン母役のヴァイオラ・ディヴィスの貫禄はさすがだし、軽妙なジョーダン父とのバランスもすばらしい。  あえてマイケル・ジョーダンその人はちゃんと出てこないという仕掛けも面白いけど、まだ「神」になる前の「青年」だったことを思えば、誰かに台詞つきで演じさせてもよかったのかなーとは思います。その(まだプロとしては何も成し遂げていない)「青年」の可能性にどこまで賭けられるのか、という話なので。あと、脚本的には契約の肝だったロイヤリティの話が突然出てきて、しかもあっさり解決してしまったのが少し残念。ここは交渉時からの伏線がほしかったし、フィル社長がそれを受け入れる過程をもう少しうまく描ければ、ナイキの歴史を変える決断の大きさがもっとエモーショナルに伝わったのではないかと思います。とはいえ、肩肘張らずに楽しめるビジネスものの快作。90年代にNBAやバスケットシューズに夢中になった人は必見。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-05-30 09:59:03)
34.  はりぼて 《ネタバレ》 
ドキュメンタリーって面白い、というのを堪能できる100分。地方議会のフツーのおじさん議員たちのキャラ立ちの見事さ。みんな「巨悪」というよりはちょっとした「小悪党」で、政務活動費の不正使用も「そうやって回ってきた」市議会や市役所のなかで「そういうもの」として享受してきたのだろう。その矛盾を突然突かれて動揺してうろたえる様には、人間喜劇のすべてが詰まってる。しかし、物語が「小さな悪」への一方的な追及で終わらない点も本作の優れたところ。長く追及する側だった地方テレビ局自体もまたその一部であったことがほのめかされ、追及側の中心だったキャスターと記者の2人は結局その現場を去る事になってしまう。その経緯をもう少し詳しく知りたいとは思うものの、本作が描いていたのは「誰が悪いのか」という話ではなく、「そういうもの」で流して放置されてきて行き詰まったシステムにあるのだろうから、それでいいのだろう。もちろん、そのシステムの延長にあるのが「モリカケ」やら「桜」なのは明らかだけれど(だからあれもやっぱり「巨悪」の問題ではなく「小悪党」と「小市民」が作ってきたシステムの問題なのだ)。そんな意味での日本社会の縮図としての地方政治には、まだまだ面白いネタがいっぱい詰まってるように思う。
[インターネット(邦画)] 8点(2023-05-21 08:35:37)
35.  ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME 3 《ネタバレ》 
実は前作はいまいち乗り切れなかったので、少し心配だった「Vol.3」。杞憂でした。ほぼすべてのキャラクターに見せ場を用意し、見たかったもの、聞きたかったものが詰め込まれたジェームス・ガン的大団円。お腹いっぱい、大満足の2時間半でした。  まず何よりも前作ではピンと来なかった選曲が今回は大ストライク。事前のサントラ禁止状態で臨んだら、まさかの1曲目はレディオヘッド! それも『Creep』!! そしてフレーミング・リップス、ビースティ・ボーイズと来て、決めの一曲はフローレンス・アンド・ザ・マシーン。そのあとおなじみのあの曲を挟んでの終幕はなんとなんとボス!ビッグボスじゃくて本物のボス! とくに『Creep』とフローレンス様の『Dog Days Are Over』はテーマにもしっかり絡んでて、尋常ではない精神状態でジェームズ・ガン的クリーチャーが織りなすドラマとアクションを堪能できました。  母の映画だった第1作、父の映画だった第2作と比べれば、本作は「ファミリー」の映画の趣き。「家族」を持てない/持たない/失ったキャラクターたちがつくり出す疑似共同体的な「ファミリー」の物語。「完璧」を求めた結果、誰も信じられず、誰も認められず、どんどん味方を失っていく敵キャラと対照的に、ガーディアンズの「ファミリー」はそれぞれの「ありのまま」を認めてどんどん大きくなっていく。その行く末はあまりに聖書っぽくもあり、ユートピア的で少し心配にもなるのですが、自らの失言で一度は監督の座を追われたジェームズ・ガン監督だからこそ、「完璧」に到らないすべての「Creepy」なクリーチャーたちを、それぞれの哀しみと傷を持った存在としてまるごと抱きしめるというメッセージがぐさりと胸に刺さりました。  唯一残念だったのは、まだ公開2週だというのに、シネコンの大スクリーンは車がふっとぶやつやニンテンドーのやつに持っていかれて、1日2回の小スクリーンのみの縮小上映だったこと(早く行けなかった私も悪いのですが)。なぜ、どうして? こんなスゴい楽しい映画なのにー。マーベルにもディズニーにも飽きちゃった人、どうせディズニー・プラスでみるからっていう人、マーベル関係ないし前作・前々作見てなくても楽しめちゃうから、映画館で見てー。お願い。
[映画館(字幕)] 9点(2023-05-19 16:03:18)
36.  エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 《ネタバレ》 
アカデミー賞授賞式当日(平日)午前に映画館で鑑賞。観客はシネコンの小さめスクリーンに20名程度。高齢者多めだが、高校生くらいの男子グループも。自分も評判は聞いていたのですが、基本的には「中国系女性が主人公」「マルチバースらしい」「カンフー映画らしい」程度の予備知識で鑑賞。結果、大半のシーンに驚き、困惑し、呆れるばかり。でも終わってみたら、しっかりした家族の物語で、年頃の娘がいる自分としては感涙必至の大傑作でした。  『クレイジー・リッチ・エイジアンズ』のときもそうでしたが、とっ散らかった作風でも家族の軸を中心に置くと一気に普遍性を獲得してしまうのがアメリカ映画のすごいところです。本作の見所は、中国系移民家族三世代のギャップ。とくに出色は主人公の娘ジョイが抱える「虚無」の表現。「何でもできる」「何にでもなれる」と言われ続ける現代の子どもたちが、だからこそ直面する現実との折り合いの難しさ。ジョイが最も絶望した瞬間が、自分を「理解している」風の態度を見せる母親エヴリンが放った一言だったのにも納得。そんな彼女の「虚無」にどう向き合うのか。その問いに、エヴリン自身が持っていたはずの無限の可能性をマルチバースとして描き、カンフーで戦うハチャメチャなアクションで答える。最後の落とし所は、たぶん「解決」ではない。でも「虚無」に向きあうための勇気を、そこに感じることはできたからこそ、多くのアメリカの観客はこれを受け止め、大ヒットにつながったのでしょう。私もマルチバース構造と本作のメッセージを完全に理解したとはいえませんが、その勇気を受け取ったと感じたことは確かです。でも、それで正解なのかなと思います。だって、ザ・ダニエルズの監督2人もまた「家族なるもの」と「虚無」と戦ってて、本作が描いたのは、その「答え」じゃくて「戦うこと」のほうだったと思うからです。だから、あのパーティの翌日、やっぱりこの家族は、結局は夫婦の不和をかかえ、親との関係に悩み、娘の変貌に戸惑ってるんだろうなと思います。  ところで、本作を「ポリコレ作品」と見る動きもあるようですが、基本的に不謹慎ギャグの連続で、どっちかといえば「正しくない」描写に溢れた一作です。そして「正しい答え」を期待してはいけない一作でもあります。まあ、移民家族の葛藤とか不和を描いたと作品なんて、あの『ゴッドファーザー』をはじめ、アメリカ映画ど真ん中じゃないですか。それを「アジア系だから評価されてる」みたいな風にみちゃうの残念だなあと思ってしまいます。むしろ、ど真ん中のテーマを堂々と描いてることが評価されてるんですよ。下ネタいっぱい詰め込みながら。  映画が終わって劇場をでたら、アカデミー賞作品賞取ってました。その後見た授賞式の動画で、実はキャストたちが語る「アメリカン・ドリーム」に感動しつつも、私はこれでまた「何にでもなれる/なんでもできる」と言われて「虚無」に陥る子どもが増えるんじゃないかとちょっと心配になりました。日本でも、これで多くの人が劇場に足を運び、驚き、戸惑い、呆れることでしょう。でも、そのなかで1人でも多く、この作品が描いたものから勇気を受け取った人がいれば、それはこの映画の勝利なんだと思います。
[映画館(字幕)] 8点(2023-03-19 09:19:07)(良:2票)
37.  イニシェリン島の精霊 《ネタバレ》 
見始めたときはアイルランド英語に大苦戦で、英語字幕付きでも何言ってるかわからなかった。ただ、人間関係が見えてきて展開が動き出すと、不思議とだんだん慣れてきて、会話が生き生きしてくる。それでも見終わったときは、正直「変な映画を見た」という気分だったのに、あとになってからじわじわと響いてくる。個人対個人でも、国対国でもいい。これは、友好的だと思っていた関係がずるずると壊れていく状況を描いた寓話だっただろう。  「内戦」を背景に盛り込んだのもそういうことなのだと思う。「対立」とは何だろう? それは金や財産だったり、資源だったり、見栄だったり、いろいろなものが「原因」とされるのだけれど、本当のところはそれらは表面的なものに過ぎず、もっともっと突き詰めれば、「すれ違い」と「思い込み」とちょっとした「タイミングの悪さ」の産物なのかもしれない。観客の私たちは、パードリックとコリムが本当に仲が良かったときのことを知らない。二人は、仕事も趣味も(おそらく)それまで生きてきた道も異なっているけど、たまたまアイルランドの孤島のパブで親友になった。その邂逅は奇跡だったけれど、その日々は絶対に取り戻せない。  この映画を見て、絶対に取り戻せないであろう少し前の過去をつい思ってしまったのは私だけだろうか。そんな関係は、ロシアとウクライナのあいだにも、人種のあいだにも、男女のあいだにもあったのかもしれない。「なんでこうなっちゃったんだろう」というのは、なんとも人間的な問いだ。その問いの切実さと残酷さが、アイルランドの雄大な光景のもとで生きるちっぽけな二人の男の喧嘩に集約されていたように思う。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2023-03-09 16:59:28)
38.  ほの蒼き瞳 《ネタバレ》 
19世紀のウェストポイント士官学校の雰囲気、荒涼とした冬のハドソン川、そしてエドガー・アラン・ポーが描いたようなゴシック・ホラーの趣きなど、雰囲気は十二分に楽しめます。作り込まれた世界はNetflixじゃなくて劇場だったらさらによかったかなという印象(ただ、この題材で劇場まで足を運ぶかと言われると微妙なところは辛い)。ただ、なかなか前に進まずテンポが遅い序盤、突然大展開して一気に解決まで持って行ってしまう中盤以降、そしてやけにあっさり解決したなと思ったら最後に待っていた(でもなんとなく予想していた)「意外な結末」まで、ストーリー展開が「惜しい〜」という感じ。真相にはやっぱりちょっと無理を感じる(都合がいい偶然が重なってる点もやや興ざめ)し、クリスチャン・ベール演じる元警官ランドーと士官候補生時代の変人エドガー・アラン・ポーのどっちが物語の語り手だったのかが判然としない感じも残念。どこかで視点の転換が起きているはずなのですが、そのあたりの工夫が乏しかった。とはいえ、ランドーとポーのバディ感はなかなかよかったし、厳寒のNY田舎の風景、士官学校の閉鎖的な雰囲気、鍵を握った医者一家のおどろおどろしさなど、「そういうの」を期待して見ていたので、十分に2時間楽しめました。こうゆう100点満点の大傑作じゃないけど、駄作とも言えず、ちゃんと見所もあってそれなりに楽しませてくれる映画(ふと深夜にテレビ放送してるのを見始めてつい最後までみちゃうタイプ。)、結構好きです。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-01-30 08:33:55)
39.  東京2020オリンピック SIDE:B 《ネタバレ》 
『SIDE A』に続いて鑑賞。今回の主役はバッハ会長と森喜朗氏でした。『SIDE A』のノリでいけば、もっと「無名」のスタッフや裏方の話かと思ったけど、今回はどちらかといえば組織委員会内部のゴタゴタやニュースでも観たアレコレを河瀬監督的切り口で編集、という感じでした。期待していたのは、バッハ氏、森氏、各競技団体の無茶な要求のもとで右往左往する裏方スタッフの1年・・・みたいなの。でも結局は、演出チーム交代のゴタゴタ、森氏降板前後のやや森氏に同情的な立場の人たちの描写など以外は新鮮味や緊張感もあまりない、正直なところ退屈な一作でした。それから『SIDE A』から気になっていたのですが、画面からはみ出すくらいの顔アップ構図の多さ。『SIDE A』はまだ競技シーンとのバランスでまだ観られたけれど、競技画像少なめでオジサンたちのアップ画像が続く本作は結構きつい。さらに(冒頭で予告されているとはいえ)本当に唐突に挿入される東日本大震災の津波の映像。被災者ではない自分でも一瞬体が膠着するのがわかりました。抗議運動の描写、バッハ氏・森氏・山下氏のやたら多いアップ映像を含め、全体的に「悪趣味」映画の趣が強いです。この映画の「ルック」を含めた醜悪な「悪趣味」感こそが東京2020の「実像」であるとするなら、そこには賛同しますが、それをわざわざ観たいのかと言われれば・・・というのが正直な感想です。あと、どうしても気になったのは、『SIDE A』『SIDE B』ともにパラリンピック関係の映像がほとんどなかったこと。これは別に「公式記録映画」が作られているということ? それとも・・・? 
[インターネット(邦画)] 3点(2023-01-06 08:53:03)
40.  東京2020オリンピック SIDE:A 《ネタバレ》 
自分はもともと東京でのオリンピックの開催には反対だったし、それでもいくつかの競技をみて、それなりに楽しんだり感動したりして、そして開催後は(感動した選手の名前でさえも)きれいさっぱり忘れてしまった、たぶん「一般的な」視聴者の一人だったろう。そんな自分にとっては、「公式記録映画」が何を残そうとしているのか気になって本作を観たのだけれど、観たところで何かに納得できるわけでもなく、なんとも評価に困る一作となった。ナレーションなし、音楽も最小限で、アンチクライマックスな演出。登場する選手たちはオリンピックが何らかの人生の転機と重なっているものの、全体で見えてくるのはそれぞれの人生がオリンピックの後も続いていくということ。選手としては男性も女性も登場するが、印象的なのはやはり女性の選手、とくに子どもを持つ「母親」でもある選手たちだ。赤ちゃんへの授乳を求めるカナダ代表バスケ選手、子どものために人種差別に抗議する米国代表選手、子連れで日本に来たのに子どもと離ればなれの生活を余儀なくされる米国マラソン選手、そして、出産後のオリンピック延期で引退した元日本バスケ代表など。「公式記録」として後世に残したいと思ったのは、女性スポーツ選手が育児と競技とどう向かい合っているかというテーマだったのではないかとさえ思える。この関心には共感するけれど、正直劇中での描き方、とくに元バスケ日本代表の大崎佑圭選手が赤ちゃん連れで競技を続けるカナダの選手と対面する場面はなかなか残酷で、少しイヤな気持ちになった。映画全体としては、河瀬監督は、オリンピックを心から楽しんだ人もやっぱりやるべきじゃなかったと思ってる人も、誰もかれも突き放したところにボールを投げてきた。この映画を「公式記録映画」として出してきた河瀬監督の胆力には感心するけど、これが「公式記録映画」でよかったのだろうかという疑問はますます大きくなっている。
[インターネット(邦画)] 5点(2023-01-03 16:48:07)
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