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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  僕は戦争花嫁
戦禍の生々しく残るドイツの街並みを往くサイドカー。 その狭いシートに押し込められたケイリー・グラントとその横で颯爽と運転するアン・シェリダンの図が、このスクリューボール・コメディの女尊男卑を端的に物語る。  前半はドイツの農村の牧歌的なロケーションの中で繰り広げられる異性間闘争が軽妙で楽しいが、後半は結婚した二人と「男性社会的」組織との闘争となる。  狭いサイドカーや浴槽に押し込められ、ペンキ塗りたての柱に登らされ、さらには干し草の山に突っ込み、と散々な目に遭わされ続け、ベッドでゆっくり眠る事すらままならないケイリー・グラントの被虐の連続に、後半は笑いも少々弾けづらい。  その反面、結婚申請を邪魔した男性士官を派手に盆で殴り、グラントをリードしていくアン・シェリダンがひたすら痛快だ。 
[DVD(字幕)] 7点(2012-04-17 23:54:22)
22.  殺人者(1946)
車のフロントガラス越しに照らし出される夜の街道。同乗している男二人のシルエットが浮かび上がるファーストショットから、ノワールムード全開である。  その直後のシーンに登場するダイナーの長いカウンターや、広い鏡を配したバーの内装の立体的造型が画面を引き締めている。  侵入から逃走まで、クレーンをダイナミックに使った長廻しによる強盗シーンもまた、奥行き豊かな空間とアクションの流れを作り出している充実したワンショットだ。  同伴のヴァージニア・クリスティーンそっちのけで妖艶なエヴァ・ガードナーに目を奪われるバート・ランカスター。その三人の配置と、スリリングな視線劇の妙味。 そしてファム・ファタルを妖しく照らし出す照明術の冴え。  あるいは、対峙した保険調査員エドマンド・オブライエンの一瞬の隙を衝いて拳銃を蹴り払い、一気に形勢逆転するジャック・ランバートの敏捷な動き。その緩から急への反射的アクションを捉えたワンショットの充実度。  さらには、クライマックスの感情を形づくるアルバート・デッカー邸内部の光と闇の拮抗。  スティーブ・マーティンの『四つ数えろ』でも多くのシーンが引用されているように、全編が見所といっていい。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2011-11-22 22:33:44)
23.  罪の天使たち 《ネタバレ》 
修道女が各部屋を順々に開けていくシーンの呼びかけ声「アヴェ・マリア」や、ラストで修道女の間を伝播していく「ラ・ポリス」という囁きを始め、彼女らの静かな会話やアンヌ・マリー役:ルネ・フォールの演劇的で澄んだ発声など、音楽的な響きが豊かな映画だ。  脱獄シーンのサイレン音、鉄格子やラストの手錠が閉まる即物的な物音と共に、聞かせる映画になっている。 第2作『ブーローニュの森の貴婦人たち』とともに、劇半音楽があるのもブレッソン長編第1作の特徴だ。  刑務所シーンにみる暗黒ムードやシルエット処理による銃殺シーンなどはアメリカン・フィルムノワールを髣髴させ、夜の樹間に差し込む月の光線はラストの病床シーンのライティングとともに非常に美しくメロドラマを彩り、印象深い。  『抵抗』の冒頭に直結するようなラストショットの「手」の表情は、死と救済の主題とともに、後の作品に連なっていく。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-08-28 18:46:50)
24.  二百萬人還る
第二次大戦後、祖国フランスへ帰還した人々の悲喜交々を題材にしたオムニバス五話。  歓喜に沸く人々を映し出す晴れやかな実録映像に続き、各挿話は「5人の場合」を描き出すが、日常生活への回帰はそれぞれままならない。遺産問題、男女問題、旧敵国への憎悪。 錚々たる4監督がそれぞれの題材に見合った作風でユーモアとペーソスとサスペンスを醸し出している。  監督の個性もさることながら、ルイ・パージュと、ニコラ・エイエの陰影豊かな撮影がそれぞれの作品に一貫した哀感を滲ませていて素晴らしい。  第一話(エマの場合)でカーテンが引かれるラストショットの孤独な暗闇。  第二話(アントワーヌの場合)で暗い廊下に幻想的に浮かび上がる、女性士官の白いドレス姿。  第三話(ジャンの場合)の薄暗いアパート室内での息詰まるような葛藤の劇は、まさにクルーゾーの真骨頂といった感じ。  そして第四話(ルネの場合)、第五話(ルイの場合)のジャン・ドレヴィル篇の幸福感あふれるエンディングは実に素敵だ。  田園のロケーションの見事さ(ドイツの娘が身を投げる池の厳かな風情と波紋)と、可愛らしい子供達や魅力的な動物たちの配置(馬、アヒル、喜ぶ犬、)。適切な移動ショットと、間接的な視線、感動的な水音の演出で映画のラストを粋に飾っている。 
[ビデオ(字幕)] 10点(2011-08-18 23:12:18)
25.  ルネ・クレールの明日を知った男 《ネタバレ》 
意欲と技巧の先走った感もあるトーキー初期に比べ、40年代ハリウッド期(第3作)の「音」使いは控えめながら要所要所で対位的な面白味を加味して物語を引き立てる。  窓ガラス越しのショットによって、オペラハウス会場の歌声と拍手をロビー側の強盗シーンの騒乱に被せる。または、楽屋裏でのアクションに表舞台の楽曲をオフで被せてシンクロさせるといった部分だが、それら技巧の突出を控える分、魅力的なキャラクター達の造形と話術に力を注いで荒唐無稽な脚本をファンタジックに昇華している。  川に飛び込んだリンダ・ダーネルが、ディック・パウエルのダブダブのスーツを着て自室に帰るシーンあたりから、少々無愛想だった彼女が俄然魅力を放つ。  クライマックスのアクションも空間的な広がりとタイムリミットが活かされ大いに盛り上がる。  そしてラストの雨宿りの幸福感溢れるツーショットはまさにクレール印だ。 冒頭と釣り合う形で、50年後(金婚式)の二人のロングショットにカットバックしたかと思うと、いま一度若き二人の仲睦まじい笑顔に戻る。その魅力的な二人の表情がとても愛しい。  主人公を諭すジョン・フィリバーの柔和な佇まいも素晴らしい。     
[ビデオ(字幕)] 9点(2011-08-06 20:42:18)
26.  犯人は21番に住む
雨に濡れた暗い路地。バーを出た男を尾行していく犯人の主観ショットの緊迫感から一気に映画に引き込まれる。  50年代に一気に名声を高めるクルーゾー監督の優れたサスペンス演出は、戦中の処女作(コンティナンタル製)から随所で光る。特に冒頭の刺殺シーンを始め、幾度か登場する殺人場面はいずれも見事。(『悪魔のような女』的な浴槽殺人も登場)  大写しとなるシルエットの用法や「3」の記号の活用などは、ラングからの影響もあるのだろうか。 一方で、ピエール・フレネーとお転婆ぶりが可愛いシュジー・ドゥレールの掛け合いや、手品師とのスリ合戦など、楽しい見所も充実している。 「ミモザ館」住人達のキャラクターもそれぞれ個性的だ。  ナイフ、マッチ、ステッキといった小道具の扱いも各所でアクセントとなっており、特にラストショットでピエール・フレネーがマッチを擦る粋な仕草は鮮やかに映画を締めくくっている。
[ビデオ(字幕)] 9点(2011-08-06 19:34:52)
27.  緋色の街/スカーレット・ストリート
ルノワールの『牝犬』と比較して、終盤の裁判シーンに拘りを感じさせる点が『M』や『激怒』のフリッツ・ラングらしい。  トーキー初期の『牝犬』の音響設計も傑出しているが、限定的なセットから最大限の効果を引き出していくラングの画面構成力と音響効果の見事さも決してそれに劣らない。  見晴らしの悪いジョーン・ベネットの部屋の仕切り構造によって、ドアの呼び鈴が鳴るたびに、観客は彼女と共にサスペンスを共有することとなる。  エドワード・G・ロビンソンが勤務するガラス張りの会計ブースは様々な俯瞰アングルによって視線を受け、また彼の自宅においても威圧的に配置された肖像画によって彼は常に睥睨され、心理的に抑圧される。  豊かな劇空間の達成は、手狭なセットを逆手に取り、逆に不可視の空間を活かした奥行きの創出と、豊かな音響効果の数々(レコードの音飛びやベネットの台詞のリフレインなど)、表現主義的照明術(窓辺から差し込むネオンサインの明滅が暗いアパート室内で怯えるロビンソンを照らし出す神経症的な陰影術。)、そして観客の想像力への信頼あってこそのものだ。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-07-02 19:24:58)
28.  母は死なず 《ネタバレ》 
菅井一郎がひたすら歩く。職探し、家探し、営業まわりと、歩行のショットが続く。 勤勉と誠実と朴訥の父親像は同年の松竹作品『父ありき』の笠智衆とも通じ合いながら、嫉妬や頑迷さや不器用も垣間見せる子煩悩な姿は、より人間味を感じさせる。  小津『父ありき』の親子が、離れ離れでありながらもふとした瞬間、動作をシンクロさせてしまう(川釣り)のに対し、菅井一郎・小高まさるの親子は同居しながらも次第に齟齬を深めていってしまう。(暴投ばかりのキャッチボール)。  その噛み合わない父子の絆を亡き母が取り持つ。 入江たか子自身は映画の中で早々に退場してしまうが、その思いは遺言の筆跡とナレーション、木漏れ日の美しい墓地の画面を介して最終的に父子を結びつける。  自ら命を絶った妻(入江)の遺言の文面にかぶさりながら菅井一郎が悄然と歩くスクリーンプロセスの感覚がとてもいい。  『まごころ』の加藤照子が登場する1シーンはご愛嬌。  
[CS・衛星(邦画)] 7点(2011-05-13 22:43:27)
29.  ハナ子さん
巻頭に登場するのは、真上から俯瞰したバレエ団のダンスの輪。 そのマキノ的な円のモチーフは自転車や荷車の輪転、防災演習の連携プレーの輪、ボールとフープを使った舞踊団のレビューへと変奏され、轟夕起子のデングリ返し、 そして回転の舞へと連なっていく。  あるいは、吊り輪運動、時計の振り子、箒掃き、手押しの放水機、ラジオ体操からススキの穂まで、「揺れる」運動も随所で画面にリズムをつける。  アクションは視覚と歌謡に留まらない。演者の交わす対話の響きが非常にリズミカルでいい。 とぼけていながら歯切れが良い。台詞が優れたアクションとして機能している。  轟夕起子の笑顔と面、その回転と疾走が短く繋がれていくラストの情感。 母親の悲哀を直截に見せた木下監督の『陸軍』以上に、その精一杯の笑顔は胸に迫る。  
[ビデオ(邦画)] 8点(2011-05-05 21:32:23)
30.  なつかしの顔
ニュース映画に具体的に登場する中国戦線、空を渡る軍の複葉機、農地を横切り演習する兵士たちと銃撃音など、日中戦争の泥沼化の中で成瀬作品にも戦時色が濃厚に現れてきている。  それでも、玩具のヒコーキが舞う空のショットや山地を遠望するのどかな田園のロケーションが充実し、映画は瑞々しい。 農村の一本道、その脇に並ぶ木立の風情、縁側から土間まで仕切りのない居間のセットそれぞれが不思議に郷愁をそそる。  ニュース映画をめぐって花井蘭子と馬野都留子がそれぞれやさしい嘘をつく。そのため 彼女らは言葉少なく、ぎこちない。そんな嫁・姑・義弟三人の朴訥な会話がいじらしい。  花井蘭子が腰を落として小高たかしと向き合う。そこに挟まれる、流れる雲と小川のせせらぎのショット。その清らかな叙情がこころを打つ。 
[CS・衛星(邦画)] 8点(2011-03-10 23:02:48)
31.  幻の女(1944)
ロバート・シオドマクなら断然『らせん階段』か『殺人者』だが、これも相当いい。 原作は、『裏窓』、『黒衣の花嫁』のコーネル・ウールリッチ。  ボスの無実を晴らすため、彼を慕う秘書(エラ・レインズ)が夜の街を奔走する。 彼女が意を決し、酒場に張り込むあたりからの緊迫感がただならない。 閉店後の店主を尾行するシーンでの、光と影のコントラストは実に見事。 雨上がりで濡れた街路の硬質な艶が映える。 書割りの夜景と駅ホームのセットの絶妙な融合によって、画面には夢幻的なムードも漂う。 その駅ホームには、尾行してきた秘書と店主二人きり。ゆっくりと彼女の背後にまわる店主。 二人の間に流れる静かなサスペンスが素晴らしい。 通過する列車を、二人を照らす光の流れのみで表現する、そのドイツ的明暗法の鮮烈な印象。 裁判シーンもまた、速記録と傍聴席側の人物のリアクションのみを映し出し、証人や弁護士や裁判員の一切を大胆に省略してみせる。  列車が映らなくとも、裁判所セットが無くとも、低予算という消極的イメージをまるで感じさせない。最小限のセットと光と影のみを逆に強みとして豊かなイメージを創出してしまう手際は鮮やかの一語。  スポットライトに浮かび上がる犯人の白い両手の禍々しさ。彼の部屋に置かれた手や顔のオブジェの奇怪さ。登場人物たちの神経症的な様。ジャズ演奏の生々しさと、ノワール的モチーフも豊かだ。   『深夜の告白』とはまた一味違う、ラストのディクタフォン(口述録音機)の活用法も粋でいい。 
[DVD(字幕)] 8点(2011-02-08 22:34:20)
32.  ヨーク軍曹
七面鳥撃ちを応用した銃撃シーンであるとか、信仰と戦闘行為を折り合わせる動機付けであるとか、映画に反映される時代の偏見やプロパガンダ性の問題は評価の上で常に悩ましい。 そのあたりの葛藤を軽やかに乗り越えてしまっているように思わせるのは主演ゲイリー・クーパーの純朴な佇まいと、監督ホークスの作家的融通無碍によるものか。  徴用されたクーパーが出征のため、高地の家を後にする。低地への一本道を下っていく彼を見送る、マーガレット・ウィチャリー、ジョーン・レスリーら。彼らの後ろ姿と大樹を捉えたロングショットがとても素晴らしい。  雷雨の中、クーパーが落雷によって信仰に目覚め、ウォルター・ブレナンの牧師や家族らが賛美歌を歌っている教会に迎え入れられる場面も脇役陣が皆いい表情をしている。  広角アングルで捉えられた後半の戦闘シーンも丘陵戦闘の高低感がうまく活かされており、スケール・物量共に大作の趣がある。 
[DVD(字幕)] 7点(2011-02-06 17:45:52)
33.  拳銃貸します
巻頭の借部屋で、寡黙なアラン・ラッドがトラウマである左手首を覗かせつつ拳銃の具合を確認するさりげない1ショットでその役柄を雄弁に語り占める。窓辺の子猫を気遣うトレンチコートの彼は、後のメルヴィルのノワール『サムライ』でカナリヤに餌をやるアラン・ドロンの孤独な姿へも連なっていく。  ロケーションが印象深い鉄橋での追跡シーンも両作品に共通だ。  クライマックスの銃撃戦の、貴重といって良いほどの素っ気無さ、スピード感。 ドアの開閉とその背後空間を遮る用法によって見る者に想像を促さずにおかない、見えないアクション演出がもたらす奥行き感。 夜の巨大なガス工場から、暗い排水口を伝って鉄道敷地内へと続く逃避行のスケール感。 さらに雷光、朝靄、蒸気が画面に彩を添える。  警察のサーチライトの光をかいくぐり、人質のヴェロニカ・レイクを伴って暗闇の操車場を逃走するアラン・ラッドは、まさに光と相容れない影を鮮烈かつナイーヴに体現してみせる。  ロバート・プレストンの希薄な存在感に比べ、劇中で見事なマジックを実演するヴェロニカ・レイクは妖しく魅力的だ。 
[ビデオ(字幕)] 8点(2010-12-25 00:02:30)
34.  小間使の日記(1946) 《ネタバレ》 
ロケーション主体で硬質な画面のブニュエル版(1963)に対し、ほぼ全編セットのルノワール版。 画面の感触にしても、少々強引気味なハリウッド的エンディングにしても印象は大きく異なる。  ポーレット・ゴダードの笑顔と笑い声は、後年の『黄金の馬車』のアンナ・マニャーニを思わせる快活な響きで、髪を下ろした表情のアップなどもとても魅力的に撮られている。 また、ルノワール的な風変わりキャラクターを演じるバージェス・メレディスも、その容貌にそぐわない軽快な動きをみせ印象的だ。そのハイテンション気味のアクションが、リスや家鴨とともに、生の「動」と死の「静」を際立たせている。  セットの都合によるのだろう、屋内と屋外を縦に開通するルノワール的ショットに欠ける点などには物足りなさを感じるが、賑やかなモブシーンの活気や、家鴨の屠殺の瞬間にカメラを屋外に引いて小間使い部屋の窓のショットへと繋ぐ移動などはやはり特徴的だ。  そして圧巻は、群衆を俯瞰で捉えながら横たわる男に寄っていく移動ショットの凄味。 ここでも、静と動が強烈に印象づけられる。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2010-11-04 21:33:41)
35.  アニキ・ボボ
重い主題も含みながら、後には気持ちよい清涼感を残す一篇。  第一作の『ドウロ河』を舞台としており、その陽光に映える川岸の情景がとびきり美しい。石畳、階段通り、向い岸の街並みののどかな叙情。画面の中を渡る車、船、列車も充実している。 序盤で、主人公の少年が車の往来を間一髪ですり抜けていくシーンのどことない危うさは、密航未遂、崖から線路への転落事件へと繋がっていく。  罪悪感に囚われた少年が自分の影に追われる夜の遊戯シーン、夜中に少年が屋根伝いに少女の部屋の窓辺へと向かう一連のシーンと、夜のシーンの照明も素晴らしい。  そして、素直さから強かさまで、まるで芝居臭さを感じさせない子供たちの個性的な表情と動きが断然良い。照れ、気取り、愛嬌等々の極めて自然な表現。少年少女三人がショーウィンドー内の人形を一心に覗き込むショットなど、とても微笑ましい。  粋な雑貨屋店主もいい味を出している。
[映画館(字幕)] 8点(2010-10-03 21:50:01)
36.  海の沈黙
居間の暖炉で小さく揺れる炎、ルームランプの落ち着いた灯りが人物の表情を厳粛に浮かび上がらせ、画面に重厚感を与える。光と影のコントラストが極めて印象深い端正な屋内撮影と、パリ市内や農村地区の風光を瑞々しく捉えた屋外撮影の対比が素晴らしい(撮影アンリ・ドカエ)。視覚のみならず、モノローグや時計音やピアノを効果的に活かし静寂と緊張感を最後まで持続させる至芸といい、三者を演じるキャストの存在感といい、感嘆すべきメルヴィルの長編第一作。三人が集う最後の夜。姪はようやく編みあがったスカーフを肩から掛けている。そこに刺繍された図柄(お互いに差し伸べあう二つの手)が彼女の内なる思いを雄弁に語っている。独仏融和の絶望を語るドイツ軍将校に対し、始めて視線を送る姪。その彼女を真正面から捉える、最も機能的で純粋なクロースアップの美しさ。慈愛と悲しみの交じり合うような深い眼差しが胸を打つ。ラストショットのシルエットの静謐さも味わい深い。
[映画館(字幕)] 10点(2010-03-24 21:25:17)
37.  市民ケーン
当時の慣習的な映画話法を尊重しつつ、同時に技法的革新性を模索するパイオニア精神の発露こそ、この映画が時代を超えて支持される所以だろう。音響・撮影・美術・編集・俳優・脚本、諸々のパートが織り成す複雑精妙な知的魅力によって観るたびに新たな発見を与えられ、飽きることがない。  ケーンのポジティブな前半生は順光を基本とした照明、スキャンダル発覚から後半の晩年期および現在期は逆光と陰影を多く取り入れた表現主義的照明で対比させる画面設計。 構図をガラス玉等の小道具やアングル選択、カメラ移動で不安定に歪ませる特異で大胆な感覚。「拍手」のショットを挟んだ場面転換によって多重の意味を付与する秀逸な編集。終盤での、複数の鏡面とそこへの虚像の反映を用いた主題提示の鮮やかさ。幻想的なタッチが強調されたザナドゥの重厚な美術と音響設計(エコー)。複数の役者たちによって矢継ぎ早に交わされる台詞の応酬のスピード感と活劇性。朝食の場面にみられる見事な時間省略法。  語りきれないほど充実したこれらの要素をさらにドラマ的効果として高めたのが、撮影監督G・トーランドの貢献だろう。被写界深度の浅い画面が主流の当時、ストーリーに寄りかかる映画が大半である中、ルノワールら一部の監督が用いていたディープ・フォーカスと長廻しを基本とする撮影をドラマとより密接に連関させることでウェルズは自らのルーツといえる舞台的自由空間を提示する。これによって画面の奥行きを引き出しつつ、手前と奥で同時並行するドラマ対比によって物語の奥行きをも醸成している(母親と、窓外で遊ぶ少年時代のケーン等)。  舞台的演出と映画的演出。それぞれの優位を同時に尊重し、融合させ、発展させているのがこの映画のなによりの美質だ。
[ビデオ(字幕)] 10点(2009-10-10 21:23:38)
38.  過去を逃れて
特に夜間場面におけるモノクローム撮影術の見事さは、『キャット・ピープル』のジャック・ターナー&ニコラス・ムスルカのコンビならではのもの。人物のシルエット、シェードランプやカーテンの揺れが十分に使いこなされ官能的ムードに満ちた屋内撮影はノワール様式の充実ぶりを示す。一方で、黒塗り車の光沢が醸しだす夜の街路の妖しさやアカプルコ~タホ湖近辺の自然景観など、屋外ロケの充実も作品世界をより豊かにしている。ロバート・ミッチャムの一貫して動じない物腰とポーカーフェイスの魅力、ジェーン・グリアのミステリアスな美貌。さらに不敵なカーク・ダグラスも絡んだ駆引きのサスペンスと展開の圧倒的スピード感によって、最後までドラマの緊張が途切れない。さらに注目すべきは、夜の山小屋でのスピーディな殴り合いの迫力。作中ほぼ唯一の身体アクションの場面だが、これほどのスピード感に満ちた拳闘アクションはなかなか見られない。
[DVD(字幕)] 9点(2009-04-11 23:00:08)
39.  拳銃魔(1949)
走るキャデラックの後部座席に据え置かれたカメラがフロントガラス越しに進行方向の市街路と前席の主役二人の対話を捉える。路肩に駐車すると、運転席の男は右手の建物に素知らぬ風に入っていく。奥の角から警官が現れ、助手席の女は慌てて車を降り世間話で彼の気を引く。突然、男がドアから飛び出し、女は素早く警官を一撃する。警報が鳴る中、車を急発進させ逃走する二人、、。屋外の一ショットで銀行強盗の一部始終を捉えきった長廻しショットが実に圧巻である。人工照明のない即興風の画面感覚と、同時録音の臨場感によって描写はひたすら生々しい。長廻しによる静的な空間が警報によって一変し、主役二者の機敏な連携アクションが突発的に起動する。カメラは定位置のまま二人の主観に同調するようにフロントの光景が荒々しく流れすぎていく、その緩急の感覚と迫真性が素晴らしい。この後に展開する逃避行の場面はいずれもそのラフな疾走感がただならない迫力を生んでいる。広角クロースアップでひずんだ不安定な構図が合間合間に短く差し挟まれ、二人の顔面を狭いフレームの中に押し込める形の画面処理がまさに追い詰められていく二人の息詰まる閉塞状況を的確に印象づけていく。冒頭の過剰な雨と、それに対応するラストの過剰な朝靄の視覚的インパクト、一旦は別方向に別れた二人が車をターンさせ一台に乗り込むシーンの自然光線の鮮烈さと二人の表情なども忘れがたい。
[DVD(字幕)] 9点(2009-04-09 22:23:15)
40.  婦系図(1942)
石灯籠が並ぶ月夜の湯島天神境内の風情が麗しい。夜霧の漂う中、軟らかなライティングで梅の花の白が美しく滲んでいる。ここで主税(長谷川一夫)がお蔦(山田五十鈴)に別れ話を切り出すのだが、梅の木の幹に沿った上昇~下降~寄りの滑らかなクレーン撮影が醸しだす情感が二人の芝居とシンクロし、絶品である。これと同じ移動撮影が第二部後半同じセットで反復されるが、全く同様のカメラワークが今度は逆に舞い散る枯葉と寒々しい風音といった差異を際立たせ、彼女の孤独をより強調する効果をあげている。また美術的見どころとして第一部クライマックスである新橋駅の場面も素晴らしい。駅全景から改札そしてホームの人込みまでを延々と横移動で捉えた美術セットのスケール感、エキストラの規模は実景ロケと見紛うほどであり、別れの場面を細かいモンタージュを駆使して最高潮に盛り上げる演出も圧巻である。映画版の独創であるラストも優れた照明技術によって情緒に満ちた名場面だ。
[映画館(邦画)] 9点(2009-04-05 23:04:36)
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