Menu
 > レビュワー
 > S&S さんの口コミ一覧。2ページ目
S&Sさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2432
性別 男性
自己紹介 〈死ぬまでに観ておきたいカルト・ムービーたち〉

『What's Up, Tiger Lily?』(1966)
誰にも触れて欲しくない恥ずかしい過去があるものですが、ウディ・アレンにとっては記念すべき初監督作がどうもそうみたいです。実はこの映画、60年代に東宝で撮られた『国際秘密警察』シリーズの『火薬の樽』と『鍵の鍵』2作をつなぎ合わせて勝手に英語で吹き替えたという珍作中の珍作だそうです。予告編だけ観ると実にシュールで面白そうですが、どうも東宝には無断でいじったみたいで、おそらく日本でソフト化されるのは絶対ムリでまさにカルト中のカルトです。アレンの自伝でも、本作については無視はされてないけど人ごとみたいな書き方でほんの1・2行しか触れてないところは意味深です。

『華麗なる悪』(1969)
ジョン・ヒューストン監督作でも駄作のひとつなのですがパメラ・フランクリンに萌えていた中学生のときにTVで観てハマりました。ああ、もう一度観たいなあ・・・。スコットランド民謡調のテーマ・ソングは私のエバー・グリーンです。


   
 

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作年 : 1980年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1234567891011121314
投稿日付順1234567891011121314
変更日付順1234567891011121314
>> カレンダー表示
>> 通常表示
21.  最後の戦い 《ネタバレ》 
記憶の限りでは、自分が観たセリフのない映画はこれだけ、他には『人類創生』みたいに猿人が彼ら独自の言語(唸り声?)を発するだけという珍品はありましたけどね。この映画は決してパントマイム劇ではなく敢えてセリフを全廃することによって映像に観客を集中させる斬新な手法なのかと思いきや、人類が大気汚染によって声帯の発語機能を失ってしまった世界のお話しというのがリュック・ベッソンの設定だったそうで、それじゃあちょっとダサくないですかね。でも日本版ソフト発売時に、勝手にセリフを創って日本語吹き替えバージョンなんてものが出来なかっただけでも幸いかな。出演俳優も最小限だしさぞや低予算で撮られたんだろうと当然思いますけど、なんと330万フランもかかってしまったそうです。なんでそんなに?と訝しくなりますが、撮影経費というよりもベッソンに降りかかった数々の金銭トラブルの結果みたいで、24歳の若造がよくもめげずに完成させたものだと褒めてあげたい。 確かにセリフが無い分映像を必死で追いかけることになりますが、それでもストーリーというか世界線が理解できたとは到底言えません。中盤以降はジャン・レノを含めた三人の男が一人の女を巡って1対2に分かれて攻防を繰り広げていたということは辛うじて判りましたが、その女が死んでしまったのにラストで唐突にもう一人の女が現れ、つまりこの物語はオスがメスを求める(メスがオスを求める)生物本能がテーマだったというわけです。哲学的な語り口と思わせといてのこのオチは、やっぱ中二病が抜けきらない感が今でもあるベッソンらしいデビュー作ですね。
[CS・衛星(字幕なし「原語」)] 5点(2022-12-30 23:01:02)
22.  死霊のはらわた(1981) 《ネタバレ》 
初見のときはすでに成人後だったけど、予備知識もなくレンタルしたビデオを深夜に同僚と観て、自分も含めて全員が震え上がった記憶が鮮明に残っています。私は「こんな気色悪い映画二度と観るもんか!」と固く心に誓ったもんでしたが、『死ぬまでに観たい映画1001本』に選出されるぐらい評価が高いらしくて、再見してみました。ところが『死霊の…』まで記憶していましたがその先の単語が思い出せない、たしかひらがなだったはず。そりゃ無理もないかもしれませんよ、『死霊の…』と邦題が付いた映画は検索すると『…いけにえ』『…たたり』『…したたり』と山ほどあるんですから、まあ『…盆踊り』は別格ですけどね(笑)。 弱冠21歳でこれを撮ったサム・ライミは、やはり天才じゃないでしょうか。それなりに苦労して資金集めの果てに完成にまでこぎつけたんでしょうけど、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『パラノーマル・アクティビティ』などの後年の自主製作映画と比べてその完成度は段違いです。この時代にラブクラフトからネクロノミコンを引用してきたのも、新しい発想だったと思います。ステディカムで撮った映像も斬新と思っていたら、なんとカメラを二本の棒で挟んで全力疾走するという原始的な手法だったそうで、やっぱ低予算ですし苦労してたんですね。登場人物も男女五人だけ、余計な描写は一切なくてひたすら憑りつかれた姉や恋人たちと血まみれ粘液まみれになったアッシュの死闘を見せるだけに徹する潔さ。何故か地下室にあったチェンソーを一度は手にするも結局は使わないところなんかもあの映画へのオマージュというかネタで、こういうコメディすれすれのところは後のサム・ライミが撮るホラーでも見られる特徴なんです。クレジットを見ると、アイヴァンやテッドのサムの兄弟たちなどもゾンビ役で出演しているんですね、さすがにほとんど素人の出演者にあんなグチャグチャのメイクをして演技させるのはムリだったということでしょう。つまり三人の女ゾンビは実は男だったというわけです(笑)。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2022-12-12 21:56:04)
23.  ハスラー2 《ネタバレ》 
雇われ監督だったせいなのか、スコセッシ特有のコテコテ感がほとんどありません。たしかインタヴューに「ほんとはやりたくなかった仕事だった」と彼が語っているのを読んだ記憶もあります。とは言っても、スコセッシ&ポール・ニューマンという一回こっきりの夢の顔合わせが実現しただけでも価値があるというもんです。ニューマンは本作で念願のオスカーをゲットしたわけですが、じっくり観てみるとそれまでノミネートされてきた演技と比べても納得がゆく名演だったと思います。この『ハスラー』二部作はどちらもビリヤード自体の競技の綾にはほとんど触れずに、ひたすらエディ・フェルソンというこのゲームに人生を支配されてしまった男の生きざまを追うのがテーマです。ミネソタ・ファッツとの大勝負から25年後経ち酒の卸売商として優雅な生活をおくっていたエディが、若い才能と出会って情熱が再び蘇ってくる。端的に言っちゃうと前作でジョージ・C・スコットが演じたバート・ゴードンと同じような役回りになるんだけど、老いた老師が弟子を導く『ベスト・キッド』の様な単純なお話しにならないのが特徴。若いヴィンセントをコントロールすることはとうとう出来ず、二人の意地の張り合いのままラストを迎えるわけですが、一歩間違えば『セッション』の様な修羅場になるところを、精一杯前向きな展開で閉めてくるのは良かったかなと思います。ヴィンセント役のトム・クルーズのイライラさせられるほどのガキっぽさもなかなかでした。でも最後には多少なりとも人間的に成長したように感じさせられたのは確かです。思えば本作と『トップガン』は同年の製作、このヴィンセントがマーヴェリックと同じ俳優が演じていたとは信じ難いぐらいです。この若さでこれだけきっちりキャラを分ける演技ができたとは、やっぱトム・クルーズは只ものじゃないですね。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-11-15 22:52:24)
24.  ジンジャーとフレッド 《ネタバレ》 
大抵の映画作家がそうであるように、巨匠フェリーニも晩年にはノスタルジーに惹かれてゆくようになる。そのノスタルジーがアナクロニズムの一形態に過ぎないと理解しているのもフェリーニなのです。 クリスマスのTVバラエティー特番に出演することになった、かつて“ジンジャーとフレッド”というアステア&ロジャースのコピー・ダンスで一世を風靡したアメリアとピッポ。コンビを解消して三十年ぶりに再会を果たしたふたり、ともにとっくに芸能界から足を洗っているのに人生初のTV出演、果たして往年のような息の合ったダンスを披露することは出来たのか?クリスマス特売セールの派手なポップやサイン・ボードがローマ駅周辺を埋め尽くしている冒頭シーン、やっぱフェリーニ映画はこうでなくっちゃいけません。彼は心底ローマという魔都を愛していたので、これは彼独特のローマに対する愛情表現だと思います。彼が嫌っていたのは当時すでに映画産業を衰退させていたTV業界で、アメリアとピッポが出演する俗悪なバラエティー番組をつうじてTVカルチャーをコケにしています。出演者は“ジンジャーとフレッド”も含めたそっくりさん芸人と世間を騒がせたゴシップ当事者たち、でもド派手で騒々しい演出はまるでサーカスの公演を見せられているような感じ。そう、フェリーニは「TVなんてしょせん電波サーカスだよ」と喝破しているんです。 マストロヤンニとジュリエッタ・マッシーナはこれが最初で最後の共演ですが、どちらも実年齢に相応しいふけ演技、でも年老いた色男と可愛いおばあちゃんが絶妙でさすが名優同士です。二人の駅での別れのシーン、「アメリア悪いが送らないよ、出てゆく汽車は苦手だ」というマストロヤンニのセリフ、なんか『ひまわり』の有名なシーンの楽屋オチみたいで洒落ていました。
[ビデオ(字幕)] 7点(2022-10-28 22:36:52)
25.  地獄のモーテル 《ネタバレ》 
噂には聴いていたけど、期待に違わずメタメタなトンデモ映画でしたね。“人肉を混ぜて隠し味とした世にも美味な燻製”をウリにして商売繁盛のサイコ兄妹、アメリカB級ホラーでは定番のジャンルである“モーテルもの”でございます。でもこの映画、登場するキャラがみな頭のねじが外れていて善玉を含めて行動がほとんどシュールです。ヒロインといちおう位置付けできる女性にしても、普通に考えれば半ば拉致されたような境遇なのに、危ない目になんども逢いながらも緊張感がまるで欠落している。挙句には弟の保安官からのモーションを振ってサイコな兄貴になぜか惹かれていって、ついにはマジで結婚しようとする。もっと判らんのは食材の“畑”で、声帯を切って呻くことしかできない人間を首だけ出して埋めるって、こりゃなんの意味があるんだい?脚本も酷いけど監督が超怪作『ゴースト・イン・京都』のケヴィン・コナーですからこうなるのは必然だったのかもしれない、ほんと『ゴースト・イン・京都』がまともに感じるほどです。ラストが唯一の見せ場であるチェンソーでのチャンバラですが、ブタの生首を被った兄貴のビジュアルはさすがに強烈でした。インパクトがある絵面でスプラッター映画のアイコンみたいな扱いをされていて自分も知ってはいましたが、まさかこの映画のキャラだったとは… ラストの兄貴の死に際での衝撃の告白、たしかにこれはこの映画をコメディにカテゴライズする唯一の要素かもしれませんね(笑)。
[CS・衛星(字幕)] 2点(2022-08-25 22:52:18)
26.  ミュージックボックス 《ネタバレ》 
原作および脚本はジョー・エスターハス。この人は本作以降の90年代に『氷の微笑』で有名になって『硝子の塔』や『ショーガール』でラジー賞の常連にまで堕ちてしまった脚本家ですが、ハンガリー人移民の子で実はアーミン・ミューラー=スタールが演じるミシュカは自分の父親がモデルです。戦犯に問われるようなことをしたのかまでは定かではないですが、当然のごとく父親から絶縁されたそうです。監督は政治的映画の巨匠コスタ=ガヴラスですが、やはり本作はガヴラスじゃなくエスターハスのストーリーだと言えるでしょう。80年代までのエスターハスは割と正統的なミステリーを書く人だったんですが、あの『ショーガール』の人がこんなに素晴らしい脚本を書いていたとは驚きです。間違いなく彼の最高傑作です。 刑事事件のような裁判で肉親が弁護人になれるのかという制度上の疑問はありましたが、冒頭の遣り取りを見た感じではアメリカでも問題とまではいかないまでもレアケースみたいですね。でもこれはハンガリー移民の自分が、男手一つで娘を弁護士にまで育てたことを判事に印象づけたいという、計算づくの自己アピールに過ぎないんだという事が後々判ってくるんですね。ジェシカ・ラングも名演でしたが、アーミン・ミューラー=スタールの演技にも底知れない心の闇を見せられたようでゾッとさせられました。少しずつ明らかにされてゆくミシュカの過去、渡米してからも過去の闇とは縁を切ることが出来ずに新たな罪を犯してしまう、そしてミュージック・ボックス=オルゴールがついに暴く父親の真の姿、ほれぼれする見事な脚本です。孫のマイキーをポニーに乗せて調教する荒々しい言動にはすっかり本性が露呈してしまったような感じがしました。個人的な感想ですけど、できればここで映画の幕を閉じて欲しかったかなと思います。その後のジェシカ・ラングのとった行動は弁護士としての職業倫理からは逸脱しちゃっている感があるし、なんか後味が余計に悪くなった感じがするんです。いかがでしょうか。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2022-08-13 22:51:58)
27.  レインマン 《ネタバレ》 
障害やハンディキャップのあるキャラを演じてオスカーを受賞した俳優しては、他にはジョン・ミルズ、ダニエル・デイ=ルイス、ジェフリー・ラッシュがいるけど、本作のダスティン・ホフマンの凄いところはメイクも全くなく素の表情だけで自閉症患者を演じきったところでしょう。とくに前半なんかは「この人はホントに自閉症なんじゃないか」と思えてくるほどに迫真の演技でした。サヴァン症候群はこの映画ですっかり世間に知れ渡りましたが、ホフマンが映画で見せる驚異の能力は取材に基づいているそうです。でもなんでこんなことが出来るのかは、私には理解の範疇を超えています。分厚い本でもペラペラとめくるだけで内容が把握できるという速読術の達人がBOOKOFFのCMに出演していましたが、どれだけ肝心の中身を理解しているのかは謎だとしてもこれもサヴァン症候群なんでしょうね。トム・クルーズはまだ若手俳優からビッグ・スターに成長過程のころ、貫禄のないヤカラみたいなキャラが良く合ってます。でもこの人の凄いところは、ポール・ニューマン、ジャック・ニコルソン・ダスティン・ホフマンといったレジェンドたちと共演して彼らから得るものを得て成長していったところでしょう。彼が演じた愛情表現が下手な父親との関係がトラウマになっているキャラは、振り返ってみれば同じような葛藤があった自分には心に響きます。けっきょくこの父親は、レイモンドにもチャーリーにも愛情があったのだろうかという疑問を感じてしまいます。公開当時はあまり意識しなかったけど、父が物故した現在に観直して気づかされたことでした。脚本も良く練られていて、煎じ詰めるとこのストーリーはシンシナティからカルフォルニアまでのロードムービーですけど、飛行機だと三時間で済む旅がなぜ一般道を車で一週間かけることになったのかが考え込まれた脚本じゃないでしょうか。画的にも名シーンやカットが多く、チャーリーがレイモンドを療養所から連れ出すカットがこの映画のアイコンになっていますけど、個人的にはベガスのホテルでチャーリーがレイモンドにダンスを教えるシーンが大好きです。“レインマン”が“メインマン”を見つけたわけですね。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2022-08-08 11:18:34)
28.  デストラップ/死の罠 《ネタバレ》 
「世の中でもっとも殺人を犯す可能性が高いのはミステリー作家である」という警句(?)を昔なんかの本で読んだ記憶があるが、じっさいフィクションの中では殺人に手を染めるミステリー作家は後を絶たずという感じ。ミステリー作家が主人公でほぼ密室劇だしマイケル・ケインが主演となればどうしても『探偵[スルース]』が思い出されてしまいますが、本作の方がブラック風味は濃厚。ダイアン・キャノンの死からは何となく展開が予想された通りになるけど、お約束通りのどんでん返しの連続とマイケル・ケインの芸達者ぶりが光っていてさほど飽きさせられることはなかったです。そして監督が名匠シドニー・ルメットなのでそつなくまとまっているけど、こういう題材は凡庸な監督だと大惨事になってしまうので注意が必要。まあ監督が全盛期のビリー・ワイルダーだったら、そりゃ傑作と呼ばれる映画になっていたかもしれないけどね。あとケインが主役のせいだけでなく、全体の雰囲気が英国が舞台のようになっているのが面白い。最後に美味しいところを全部霊媒のおばさんが持っていっちゃうオチは、ブラックで個人的には好みです。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-07-26 23:06:17)
29.  東京裁判 《ネタバレ》 
最近は“東京裁判史観”なる用語まであって色々と論議が尽きない東京裁判、判決から35年後に裁判を真正面からとらえたこのドキュメンタリー、製作からほぼ40年たった現在でも考えさせられることが改めて湧いてきます。■とにかく上映時間四時間半はめちゃくちゃ長い。でもよく考えると、ニュルンベルク裁判と違って判決までほぼ二年半も続いたわけで、真面目に追ったらこれぐらい長くなるのもやむを得ないかなと思います。最も昭和初年から敗戦そして占領時代までの挿入された記録フィルムだけで全部足すと一時間近くになるけどね。高校生あたりの現代史授業の教材としてはうってつけかもしれません。■検事側すら最終論告で言及しているように、ナチスの犯罪をさばいたニュルンベルク裁判の被告たちと東京裁判の被告は同列に置かれるべきではない。これは私個人の感想ですが、東京裁判は政治家・官僚組織がその行政および外交の失敗が罪に問われた珍しいケースなんじゃないでしょうか。大日本帝国はドイツ・イタリアの様に一人の独裁者が好きなように動かせた国家じゃなく、明治憲法の下での集団指導で運営される体制で“天皇制独裁”なんて大嘘です。明治維新以降だんだんと国家の指導層が劣化してゆきついにたどり着いたのが敗戦だったわけで、その意味ではA級戦犯の中には万死に値する人物がいるのは確かだと思います。とは言ってもそれがいわゆる勝者によって断罪される筋合いのことかというと別問題です。温度差があったとはいえやはりこれは連合国による復讐で、裁判自体が戦争行為の一部で正義とは無関係なんじゃないでしょうか。■こうやってじっくり見させていただくと、勝者の法廷の粗や杜撰さが発見できました。まず裁判長以下の判事団は、それぞれ母国で法曹に関係していた面々だけど、国際法の専門家が一人もいないというのが驚きです。ソ連とフランスの判事に至っては、英語も日本語も理解できなかったというから呆れます。中でも裁判長のウェッブが日本憎悪に凝り固まっており、何が何でも天皇を訴追しようとゴネるわけです。首席検事のキーナンがこれまた典型的な強面で、ギャング相手みたいに被告たちに接します。でもマッカーサーからは天皇を訴追しないという方針を伝えられており、ウェッブを抑え込もうと陰で東条英機の失言をまるで弁護人の様に修正させるのがなんか滑稽。ソ連の検事に至っては日露戦争も日本の有罪要因だと主張、ここまで来ると失笑するしかないですね。その反面、各被告についたアメリカ人弁護人たちの弁論は想像以上に雄弁で、学会の大御所を引っ張ってきた日本人弁護人とは比べ物になりません。彼らは本国でも無名の弁護士たちですけど、やはり訴訟大国だけあってその能力は半端ないです。■判決はご存知の通り七人が絞首刑ですけど、やはりただ一人文官で死刑になった広田弘毅はさすがに可哀想でしたね。なんせ南京事件が彼の責任とされているのにはびっくりです。あと、全員が有罪というのは驚くべき厳しさ、ニュルンベルク裁判でも何人かは無罪だったのにね。しかしこの被告たちの人選には首を傾げるしかないです。大川周明なんて、当時の日本人でも知らない人がほとんどでしょ。この被告人選定には、なんか日本人で入れ知恵した人がいたんじゃないでしょうかね。あと海軍から死刑が出なかったのもなんか腹立つ、永野修身が生きていたらたぶん死刑だったんじゃないかな。宣告後に隣の留置所から死刑を免れた嶋田繫太郎の高笑いが聞こえてきて腹が煮えくり返った、と武藤章が手記に残しています。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-06-13 10:22:51)(良:1票)
30.  グロリア(1980) 《ネタバレ》 
『レオン』のキャッチコピーが“凶暴な純愛”ならば、元ネタ的なこっちは“凶暴な母性愛”というコピーをつけるに相応しいジーナ・ローランズ姐御の暴れっぷりです。ウンガロのスーツをバシッと着こなしハイヒールを履きながらも重いスーツケース引きずって駆け回り、そして容赦なく拳銃をぶっ放すこのおばさん、いったい何者なんだ?マフィアのチンピラたちと対決するときも銃で脅すだけじゃなく完全に挑発してますからねえ。ボスのところに乗り込んでも、ぜんぜんビビらずに「これで私は帰る、撃つんならどうぞお好きに」と堂々とした態度、もうその肝っ玉の太さには痺れてしまいます。演じるのが夫カサヴェテスとは名コンビのジーナ・ローランズですから、子供嫌いがだんだんと母性愛に目覚めてくる人物像には説得力があります。カサヴェテスの即興演出映画はどちらかというと苦手なんですけど、本作ではその臭みはあまり感じさせません。まあアクション映画では即興演出はちょっと無理すぎなんでしょうね。 ラストの墓地のシークエンス、グロリアは「ピッツバーグの駅で会おう」と少年に言っていたけど、なんで墓地にいることが判ったんでしょうかね?そしてマフィア相手にあんだけムチャしまくったんだから、手帳を渡したと言っても彼らが見逃してくれるとは到底思えません。そう思うと、あのラストは果たしてハッピーエンドだったのかと重い気持ちになります。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2022-06-09 22:11:19)
31.  ボーダー(1982) 《ネタバレ》 
現在では大げさに言うと星の数ほど製作されている“メキシコ国境もの”映画のはしりのような作品、レーガン政権が始まった80年代初頭からこのテーマが注目されるようになってきたんですね。言ってみればこのジャンルの映画の基礎型みたいな感じなんだけど、ジャック・ニコルソン、ハーヴェイ・カイテル、そしてウォーレン・オーツという豪華な顔ぶれのキャスティングなのになんか盛り上がらないんだよね。決して正義感に溢れるキャラじゃなく派手好きな女房に振り回される国境警備隊員を演じるニコルソン、そんな男が汚職に手を染めながらもふとしたきっかけで乳飲み子を抱えて国境地帯に流れてきた姉弟を無償の愛で助けようと奔走する。ここはさすが名優ジャック・ニコルソン、抑えた演技ながらも自らの行動を変革して、くたびれた空しい人生を建て直そうとする男を好演しています。この映画というか脚本の難点は、メキシコ女性の「なぜ私を助けてくれるの?」という疑問に「それを言っても理解されないだろうな」というニコルソンのセリフの通り、観ている方にしてもそれが判りにくいところなんです。ニコルソンの内面の葛藤をもっと観客に見せる脚本じゃないといけなかったんじゃないでしょうか。監督は60年代英国ニュー・ウェイブ・シネマの旗手だったトニー・リチャードソンです。本作でのニコルソンと妻のヴァレリー・ペリンとの関係性は、やはり奔放な妻に引きずられるリチャードソンの遺作である『ブルースカイ』のトミー・リー・ジョーンズとジェシカ・ラングに似ているなと感じました。 まあこれがブルース・ウィリスあたりが主役なら汚職同僚のハーヴェイ・カイテルやウォーレン・オーツなんかもバッタバッタと撃ち殺すオチになるんだろうけど、カイテルは銃弾があたってタイヤがパンクした車に押しつぶされオーツは勝手に横転した車が炎上して焼死、密入国ビジネスの元締めに至っては転んだらショットガンが暴発して頭を吹き飛ばされて自滅。要はニコルソンが直接殺した相手は皆無で、こういう捻ったところがニコルソンらしいと言えます。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2022-05-12 22:00:53)
32.  ザ・バニシング-消失- 《ネタバレ》 
なるほど、サイコパス気質のキューブリックが怖がるぐらいですから、やはりこの映画の禍々しさはタダもんじゃないという証左になるでしょう。しかしこの真綿で首を絞めてくるような恐怖の盛り上げ方は、たしかにトラウマ級です。オランダの映画にはこういったヤバさや不快感といった嫌な後味が残る作品が見受けられますが、ヴァーホーベンなんて可愛く感じてしまうレベルでした。 反社会性サイコパスの犯人像がリアル過ぎて恐ろしい。二人の娘を持つ理科教師、夫婦仲はごく普通で性格は几帳面で高血圧を気にする一見平凡な中年男。この男の恐ろしいところは、何度も失敗しながらもなんで女性を狙うのかが理解不能なこと。ナンパが目的なら判るけど、失敗から教訓を得てひたすら犯行手口を改善させてゆく執念には、淡々と見せられるだけにゾッとするしかないです。“キーホルダー”や“閉所恐怖症”といった伏線が戦慄のラストで回収されるところも見事です。また失踪したサスキアを探し回るレックスを執拗に狙う心理も、常人には理解しがたい。でも彼なりのレックスを追い詰める作戦は理にかなっており、5回も匿名手紙の呼び出しに応じるレックスから彼の心理を深く理解するまでに至る知性は驚異的ですらあります。レックスはこうなると蛇に睨まれたカエルも同然、理性は激しく警告しているのに催眠術にかけられたように睡眠薬入りコーヒーを飲んでしまうのは人間心理の闇を見せられたような気分です。これはオーウェルの『1984』的な現在の権威主義国家が、民衆を操る手法に通じるものがあるかと思います。 やはりあの絶望のラストは、『キル・ビルvol.2』のユマ・サーマンに影響を与えたんでしょうか、タランティーノなら本作を観ている可能性は十分ありますね。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-04-05 22:56:22)
33.  野獣死すべし(1980/日本) 《ネタバレ》 
いやはや、本作の松田優作を観るたびに、ほんとに日本映画界は惜しい俳優を若くして失ってしまったな、と痛感させられます。もうあの眼が怖すぎです。役作りで減量して奥歯を四本も抜いたそうで、こりゃ完全にロバート・デ・ニーロかクリスチャン・ベールの域に達しています。頭のおかしいキャラを演じさせたら右に出る者がいないデ・ニーロとの共通点を感じますし、彼はきっと長生きしていたら“日本のデ・ニーロ”と呼ばれる存在になったと思います。リップ・ヴァン・ウィンクルのシークエンスなんかは、演技と判っていても相手役の室田日出男は怖かったんじゃないかな。もっともこのシーンのカメラアングルを見ると、松田優作を正面からとらえる映像では向かい側の座席に座っているはずの室田日出男は映さないし、なんかそこには誰もいなくて松田が一人芝居しているようにも見えます。 しかし原作ものとしては?な部分だらけで、大藪春彦の『野獣死すべし』とはまったく別物だと言い切っても差し支えないでしょう。こりゃ大藪春彦が怒ったというのは当然でしょうけど、彼が怒ったのは脚本を書いた丸山昇一に対してで、当時メディア・ミックス戦略で大藪春彦作品を売りまくってくれた角川春樹にはさすがに何も言えなかったみたいです。監督がまた“カネがかかった映画になればなるほど粗が目立つ”村川透ですから、彼特有の雑な演出のおかげで冗長かつ意味不明なところが多すぎ。たしか泉谷しげるもちょっとだけ出ていたけど、ほとんどエキストラみたいなもんで、なんで彼を引っ張ってきたのか理解不能でした。この人はこういうのがカッコよいと確信しているけど、劇中何ヵ所かで使われている長回しシーンもセンスのなさが感じられ、相米慎二の足元にも及びません。 この映画のラストについては個人的には伊達邦彦の夢オチだったようにも取れる気がして、そりゃ大藪春彦が怒るのはムリもないと思いますよ。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2022-03-27 11:51:04)
34.  13日の金曜日(1980) 《ネタバレ》 
『13日の金曜日』シリーズと言えばジェイソンが暴れまわるお話しだと思いきや、この第一作ではジェイソンのおかしくなった母親が殺しまくる犯人だという設定なんですね。最後に登場するジェイソンはこの設定では死者、つまりスピリチュアルな存在だったというわけで、単なるモンスター映画と成り果てた続編群との違いは大きいんじゃないでしょうか。このシリーズは “『13日の金曜日』フランチャイズ”とも称されているそうですが、『ソウ』シリーズなんかと違って毎回の監督・脚本家・製作者が異なっているので“フランチャイズ”とは言い得て妙かと思います。 カーペンターの『ハロウィン』と並んで70年代から80年代にかけてのスラッシャー・ジャンルのパイオニア的な立ち位置ですけど、製作者の発想といいストーリーと言いほぼ『ハロウィン』のパクりみたいなもんです。それも製作者や監督たちの出自もあり、B級映画の域を脱していないのも確かです。尺を稼ぐためか登場人物たちの何気ない意味もない行動を長々と見せたりして、これも監督の力量のなさが成せる技なんでしょう。俳優たちもジェイソンの母親役の他は若手の安い無名俳優ばかり、その中でケヴィン・ベーコンだけがビッグな存在になれたのは目出たい事です。スラッシャー・シーンは若き日のトム・サヴィーニが担当、ちなみにラストのジェイソン登場も実は彼のアイデアだそうで、まあ当時は『キャリー』のパクりだとしか評価されなかったみたいです。 はっきり言えばほんと大したことのないB級映画なんですけど、インデペンデント系としては初めてメジャーが配給したことは、本作の最大の功績なのかもしれません。「映画界にはびこる最も卑劣な生き物」と監督ショーン・S・カニンガムを罵倒した批評家もいたそうですが、いくら何でもそりゃ可哀そうです。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2022-03-22 19:44:43)
35.  インドへの道 《ネタバレ》 
ああ、これがデヴィッド・リーンの遺作なんですね。実はリーンの妻はインド人で、インドにはいろいろな思いがあったんじゃないかと思います。結果的に最後の作品でインドをテーマにしたわけですが、本当は『ガンジー』みたいな映画を撮りたかったんじゃないかな。 鑑賞してつくづく感じたのは、このインド統治こそが英国人および大英帝国の本性を理解させてくれるものだということでした。前半で散々見せられるアジズ医師を始めとするインド人たちの卑屈さよ、逆に言うと彼らをここまで飼いならす英国人の植民地支配の手腕こそが凄いんでしょうね。朝鮮・台湾が植民地統治だったのかは疑問のあるところですが、大日本帝国なんて帝国主義の世界ではアマチュアだったんじゃないでしょうか。そんな坩堝のような地に旅してくるいわば意識の高い系の二人の女性が、インドの持つ魔力に運命を狂わされる物語でもあります。ジュディ・デイビスは美形なんだけどその眼力というか眼つきの悪さは他の追随を許さないものがあります。この後はウディ・アレンの映画によく出ていましたね。彼女は洞窟に入ったところでそれまでインドの風物からの影響で燻っていた官能に火がついてどうしようもなくなったという感じなんでしょうね。音楽はモーリス・ジャールですけど、アデラが官能的な気分になると流れるメロディーは、どう聞いても『ライアンの娘』のメインテーマの変奏としか思えない。ジャールは本作でオスカー受賞しましたが、どうせなら『ライアンの娘』で評価してオスカーを与えて欲しかったな。同じく洞穴に入ってこだまに恐れおののいて結局死期を早めることになったペギー・アシュクロフト、この人のことは良く知らなかったけどキャリアを感じさせる手練れの演技を見せてくれてオスカー助演女優賞ゲットは納得です。やはり面白いのは、ちょっとKYなんじゃないかと思わせる浮世離れした哲学教授を演じたアレック・ギネスです。狂言回し的なキャラでしたが見事にインド人に化けていました、さすが百面相俳優の異名を持つだけのことはあります。一緒に狂言回しキャラを演じていたのがジェームズ・フォックス、最後に美味しいところを持って行った感はありました。それにしても、『ジャッカルの日』のエドワード・フォックスは弟ですけど、この当時になるとこの二人は見分けがつかないほどそっくりさんになってます。 14年も映画を撮らなかった(撮れなかった?)とは思えないほど、お得意の自然描写やストーリーテリングはしっかりしていたと思います。高齢の大監督の晩年作はメロメロになってしまうことが良くありますが、そんなところは微塵も感じさせられませんでした。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-01-31 23:10:38)
36.  セックスと嘘とビデオテープ 《ネタバレ》 
これを撮ったときソダーバーグ26歳ですか、26歳の若造が撮る映画じゃないですね、いろんな意味でね。このまま舞台劇にできそうな登場人物ほぼ四人だけの濃密な演技合戦。“セックス”“嘘”“ビデオテープ”とはこの映画の主旋律を構成する三要素だけど、ひとつ大事なモチーフが抜けていますね。それを加えればこの映画は『セックスと嘘とビデオテープと精神分析』というのが題名としては相応しいんじゃないかな、ちょっと字余り的な心地悪さは否めませんけどね(笑)。ファーストシーンからしてセラピーを受けるアンディ・マクダウェルだし、まるでキンゼイ博士みたいに女性が性について語るビデオ映像を集めるのが趣味のジェームズ・スペイダーだって、そのインタビュー自体がセラピーみたいなもんでしょ。ラストで攻守逆転、マクダウェルがセラピスト・インタビュアーみたいになってスペイダーに挑んでくると、それまで超越的でクールだったスペイダーも悪戯がばれたガキみたいにしどろもどろになるところが面白い。考えてみると、おカネを払ってまで他人に自分のことをペラペラ喋ってすっきりするって、アメリカ人ってほんと変わってます。登場人物四人にはしょうじき誰にも感情移入できませんけど、こういういかにもカンヌ映画祭が好きそうな前衛的なテーマを、ギリギリな線でエンタティメントに仕立て上げたソダーバーグの力量は大したものです。一言いえば、本作で絶賛されたジェームズ・スペイダーのキャリアが伸び悩んでしまったことは残念です。イイ役者なんだけどなあ。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-01-07 22:33:16)
37.  タンポポ 《ネタバレ》 
『お葬式』に続く伊丹十三の監督第二作目ですけど、この初期二作はサブカル寄りの視点が濃厚で次作『マルサの女』からは社会派的な作風に変化します。でもこの『タンポポ』こそが伊丹の作家性がもっとも色濃く出ているんじゃないかと私は感じます、海外でも評価が高いというのは納得です。 世はあの『美味しんぼ』の連載が始まったころ、膨らみ続けるバブル景気の熱気の中で日本人の関心が食に向き始めてきます。その中であえて伊丹が今でいうB級グルメ的な位置づけだったラーメンをテーマに選んだところは秀逸な観点で、これこそまさに食のサブカルと言えるでしょう。設定やディティールは“ラーメン・ウェスタン”と称するだけあって西部劇のカリカチュアと捉えることができ、登場人物たちを漫画チックなキャラにマッチした撮り方だと思います。ストーリーと並行して挿入される食にまつわるエピソードというか小話がこれまた絶妙。駆け出しの頃だった役所広司を始め、豪華な大物たちがショートコントみたいな寸劇を見せてくれるとはなんと豪華なことでしょう!でもまだ無名だった役所の白服の男の存在感は大したもので、とくに洞口依子との牡蠣のエピソードはヤバいですね。初期の伊丹作品では劇中に一か所はフェティッシュなエロをぶち込んでくるのがお約束ですけど、その中でも直接的な脱ぎや表現はないこのエピソードがエロ度最高峰じゃないかと自分は思います。そして食の映画でもっとも大事なのは、その料理がいかに美味しく見せるかということです。その点では本作でのラーメンは、たとえ深夜に鑑賞していても食べたくてしょうがなくなるまさに“飯テロ”と言ってもいいんじゃないでしょうか。今や定番のネギラーメンは、本作がきっかけで全国に広まったという説があるそうです。あとあまり認識されていないようですけど伊丹十三は音楽のセンスが絶妙で、役所広司のエピソードでのマーラーの使い方は『ベニスに死す』に匹敵するんじゃないでしょうか。 製作から35年経ちましたが、いまだ本作を超える食がテーマの映画は日本映画界では撮られていないのが現実です。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2021-12-18 22:14:38)
38.  ドレミファ娘の血は騒ぐ
こりゃあ、にっかつから納品拒否くらったというのは当然かもしれません、ATGに持ち込んだ方が良かったんじゃない?というか、PFF(ぴあフィルム・フェスティバル)に当時エントリーされていた自主映画とどっこいどっこいです。スタッフは塩田明彦・万田邦敏といった黒沢清と同じ蓮實重彦門下生が終結しているし、プロと言える俳優は伊丹十三・洞口依子・麻生うさぎぐらいで、その他大勢の学生役にも黒沢と同じ界隈を集めて素人演技を見せてくれる。おまけにストーリーと表現方法は青臭くてなおかつ理解不能、まったくどこを褒めたら良いのか頭を抱えてしまいます。まあこの映画の果たした唯一の役割は、伊丹十三と洞口依子を結びつけたことしかないでしょう。『タンポポ』『マルサの女2』で彼女は鮮烈な爪あとを残してくれました、その後の黒沢清作品の常連にもなりましたけどね。
[CS・衛星(邦画)] 2点(2021-12-15 21:16:23)
39.  白いドレスの女(1981) 《ネタバレ》 
『氷の微笑』と双璧をなす80~90年代悪女映画の金字塔、本作のマティ・ウォーカーのさらなる進化形が『氷の微笑』のキャサリン・トラメルということになるでしょう。この映画の同年には『郵便配達は二度ベルを鳴らす』もリメイクされていますけど、長い間途絶えていたファム・ファタール映画は80年代が始まるや否や復活したって感じです。 舞台がフロリダ近辺みたいですけど、それにしても登場人物がみんな汗かきすぎ。80年代のアメリカなんだから、室内にエアコンぐらい普及してそうですけどねえ。男性の汗じみが拡がったYシャツ姿が苦手なのは、自分だけでしょうかね。ストーリー自体は、今や四十年も経って似たような映画は山ほど撮られましたので新鮮味は薄くなってしまいましたが、当時としては卓抜なストーリーテリングと賞賛してもいいんじゃないでしょうか。でも粗というか、この映画には大きく絞っても難点と言えるところが二つあります。一つはマティとメリー・アンが実際に交流しているところを、弁護士ネッドが見てしまうという展開。これがラストのオチが観客に受け入れやすくなるというのが監督の意図だったのかもしれませんが、かえって深く考えてみるとウソ臭さが目立って逆効果だった感じです。そしてもっと大きい難点は、「なんでネッドは殺しを決意したんだろう?いくらなんでもアホ過ぎない?」ということに尽きます。少なくともマティは劇中では夫殺しを懇願するようなことはしていない、いくら床上手といっても二流とはいえ弁護士の男をあの技だけで操れるもんでしょうかね。でも、この映画の中ではマティの悪女的な行動を観客に一切見せない演出で、これは上手いストーリーテリング思います。舞台経験が豊富だったとはいえ、映画デビュー作でアラサーなのにバンバン脱ぎを見せてくれたキャスリーン・ターナーにも敬意を表しておきましょう。 それにしても、映画の中で完全犯罪に成功するのはなんで女性ばっかりなんでしょうかね?男ってやっぱアホなのかな?
[CS・衛星(字幕)] 6点(2021-11-10 22:55:52)
40.  の・ようなもの 《ネタバレ》 
森田芳光は本作が商業映画デビュー、そして志ん魚=伊藤克信もこれが俳優デビュー作。初見の折は伊藤の強烈な栃木訛りと棒読み調セリフ回しには度肝を抜かれました。これが森田の演出なら特異な演技力の持ち主ということになりましょうが、彼はそもそも日光出身だしちょっと前までは素人だったんだから、たぶん素なんでしょう。森田芳光の演出も初期・森田の特徴であるシュール調が織り交ぜられています。銭湯のシークエンスに於いて、男湯でなぜか一人だけ女性が脱衣しているのに誰も反応を示さないというシーンは、何度観ても訳が判らん(笑)。女子高落研部員たちも、みなたどたどしいというか素人っぽい演技(この中にはなんと若き日のエド・はるみがいる)。でもそんな中でも、尾藤イサオと秋吉久美子が見せる演技はさすがでした。尾藤はオープニングとエンディングでは歌声まで聞かせてくれる大サービス、これは浜田省吾が作曲でこれまたいい雰囲気なんだなあ。秋吉はソープ嬢なのにお店ではビキニ姿、70年代はけっこう脱いでいた印象があるんですけど、もう出し惜しみですかね(苦笑)。また志ん魚はじめ若手噺家たちが、私生活はみんなアイヴィー・ルックなのもなんか80年代らしくて良かった。この映画の登場人物はみな善人でしかも裏表がないというのも、ある意味珍しい部類の映画と言えるでしょう。そして、付き合ったJKの父親から「お前の落語は下手くそ」と酷評されて隅田川ベリから浅草仲見世を抜けて歩いて帰るシークエンスは、やはり森田映画きっての名シーンでしょう。 心がささくれだった時こそ観るべき、森田芳光の落語への愛が迸る一編です。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2021-10-29 22:51:46)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS