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dreamerさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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自己紹介 映画を観る楽しみ方の一つとして、主演のスター俳優・演技派俳優、渋い脇役俳優などに注目して、胸をワクワクさせながら観るという事があります。このレビューでは、極力、その出演俳優に着目して、映画への限りなき愛も含めてコメントしていきたいと思っています。

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21.  ミュージックボックス 《ネタバレ》 
"政治的実録映画「Z」「告白」「戒厳令」のコスタ・ガブラス監督によるベルリン国際映画祭で金熊賞に輝く、社会派法廷ドラマの秀作「ミュージック・ボックス」"  この映画「ミュージック・ボックス」のコスタ・ガヴラス監督は、もともと社会派の実録映画作家です。 ギリシャ生まれで、政治家ランプラスキー暗殺事件にヒントを得て、時のギリシャ軍事政権を痛烈に批判した「Z」(1968年)、スターリニズムの驚愕の実態をえぐった「告白」(1969年)、南米ウルグアイで実際に起こった事件を基にした「戒厳令」(1972年)など、政治的実録映画を次々と撮って来ました。  その後、アメリカでも映画を撮るようになり、1982年にはチリの軍事クーデターにアメリカ政府やCIAが関与していた事実を暴いた、ジャック・レモン主演の「ミッシング」で、カンヌ国際映画祭の最高賞のグランプリ(現在のパルムドール賞)を受賞しました。  そして、1988年には、アメリカ社会に根強く存在する人種差別のテロリストたちを軸に、FBIの女性捜査官とテロリストが対立する立場にいながら、恋に落ちるという「背信の日々」を撮りましたが、この映画「ミュージック・ボックス」は、ユダヤ人虐待の嫌疑をかけられた父の無実を晴らそうとする、女性弁護士の苦悩を描く社会派法廷ドラマで、ペルリン国際映画祭で、最高賞の金熊賞を受賞している作品です。  女性弁護士アン・タルボット(ジェシカ・ラング)は、第二次世界大戦後にハンガリーからアメリカへ移民し、平和な日々を送って来た父マイク・ラズタ(アーミン・ミューラー・スタール)が、突然、ハンガリー政府からユダヤ人虐待の容疑者として、彼の身柄の引き渡しを要求された事で、周囲の反対を押し切って、父の弁護をする事を決意しました。  そして、真相を調べていくうちに明かされる、過去の知られざる父の姿。 彼女は、父の無罪を証明するために、父の祖国ハンガリーへ飛ぶが----。 娘と弁護士という立場で揺れ動くアン・タルボットをジェシカ・ラングが熱演しています。  新たに浮かび上がった事実は、父が移民の際、自分の身分は警察官ではなく農民だと偽っていた事でした。 また、同じハンガリー移民のゾルダンという男に、なぜか送金していた事もわかって来ました。  そして、法廷では父がユダヤ人虐殺の先兵であった特殊部隊の"ミシュカ"と同一人物であるという証言が次々と行われ、状況は決定的に不利だと思われました。 しかし、父の無実を信じるアンは着実な反証によって、検察側の証人を切り崩す事に成功するのです。  検察側は遂に"ミシュカ"の知人だという男を証人として持ち出して来ますが、アンはハンガリーのブダベストまで行き、病床にあるその男を訪ね、そこで決定的とも言える反証の資料を手に入れるのです。  しかし、アンの胸中には、父が送金していたゾルダンという男の事故死についての疑念が晴れず、何かすっきりとした気持ちになれませんでした。 その時、アンはゾルダンの姉から唯一の手掛かりになると思われる質札を預かりました。  その後、アンがアメリカへ戻ると、新聞は父の有罪立証が不可能であるという事を一斉に報じていました。 しかし、アンはブダペストでユダヤ人虐殺の証拠である、顔に傷を持った男がゾルダンである事を見てしまっていたのです。  そして、質札から引き出されたミュージック・ボックス(オルゴール)が意外な真実を告げたのです。 その中には、ユダヤ人に銃を向けている若い頃の父の写真が入っていたのです----。  激しく問い詰めるアンに対して、父は私を信じてくれと言うばかりでしたが、もはやアンは父を愛する事が出来なくなっている自分の心に気づき、黙って父の有罪を告げる証拠写真を連邦警察へと送るのです----。  やはり、コスタ・ガプラスという、不当な権力による政治的犯罪に対する、燃えたぎる不屈の精神、抵抗、そして、人間の尊厳を踏みにじる諸々の行為に対する告発----、これらの彼の映画作家としての資質を抜きにしては、とうてい、この映画は製作されなかっただろうと思います。
[DVD(字幕)] 8点(2023-08-24 10:10:14)
22.  夕陽に向って走れ 《ネタバレ》 
この映画「夕陽に向って走れ」は、1909年に起きた実話を基にして描いた、アメリカン・ニューウエスタンの隠れた傑作で、かつて"赤狩り"の犠牲となった、エイブラハム・ポロンスキー監督が20年ぶりに撮ったカムバック作品でもある。  1909年ということは、西部開拓の英雄的な時代は既に過ぎ去り、生き残ったわずかなインディアンは、アメリカ政府の指定した居留地に押し込められ、しかも「シャイアン」のような勇敢な大脱走を試みる力も、もう持ってはいない時代、ということなのだ。  だから、インディアンと保安官の対決をクライマックスにしているアクションものではあるけれども、血沸き肉躍るといったような勇壮なものではない。  そこにかえって、"西部劇の挽歌"とでもいうか、あるいは、今日のアメリカの姿を現わす西部劇とでもいうような、独特の魅力が生じているような気がする。  インディアンの若者ウイリー(ロバート・ブレーク)が、親の許さぬ恋のもつれから、恋人の父親を殺してしまって、恋人のローラ(キャサリン・ロス)と駆け落ちする。  インディアンの考え方からすれば、これは一種の略奪結婚であるが、保安官のクーパー(ロバート・レッドフォード)は、彼を殺人犯として追わなければならない。  これに、クーパーの恋人でインディアン保護の任にあたっている、女性の人類学者エリザベス(スーザン・クラーク)や、久し振りにインディアン狩りをしているつもりの、地元のボスなどが絡んでくる。  ウイリーは、インディアンが先祖から伝えて来た、逃亡のための様々な知恵を働かせて、追手をまこうとするし、クーパーはまた、親譲りの知恵でこの先を読んでいく。  ローラは、ウイリーを逃がすために死に、クーパーは地元のボスたちの思惑などに悩まされながらもウイリーを追い詰め、そして、奇妙な形をした岩山での一対一の対決になる。  インディアンのウイリーに扮したロバート・ブレークは、「冷血」で、やはりアメリカの社会の秩序の枠の中では、楽しいことなど一つもないみたいな、貧しいチンピラのはみ出し者になりきっていたが、この映画でも、弱いインディアンの切ない意地をよく表現していたと思う。  これをウイリーに心情的にはシンパシーを覚えながらも、仕事として追跡しなければならないというジレンマを抱える、クーパー保安官に扮したロバート・レッドフォードの抑制された静かな演技が、より一層、この映画に深みと切なさを与えているように思う。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2022-04-30 14:40:32)
23.  戒厳令(1972) 《ネタバレ》 
"ラテン・アメリカの某国のファシズム的な警察国家の闇を衝いた、コンスタンタン・コスタ=ガヴラス監督の実録政治映画の問題作「戒厳令」"  ギリシャの軍事独裁政権の実態を暴いた「Z」、ソ連のスターリニズムを痛烈に批判した「告白」に次いで、社会派の俊英コンスタンタン・コスタ=ガヴラス監督が撮ったのが、ラテン・アメリカの某国を題材にとり、背後にアメリカの力を負いながら、ファシズム的な警察国家体制を敷いている国の実態を生々しく描いたのが、この映画「戒厳令」なのです。  この作品は、コンスタンタン・コスタ=ガヴラス監督お得意の実録ものであり、1970年8月10日にモンテヴィデオで誘拐され、銃弾を頭部に受けて殺されたイタリア系アメリカ人、ダン・アンソニー・ミトリオーネをモデルにしています。  ガヴラス監督は、当時の新聞、公式文書など、ありとあらゆる資料を調べつくし、ミトリオーネという男が受け取っていた月給の金額まで知るほどだったということですが、そういう正確な事実を基にしたという強みが、この映画にはあると強く思います。  トップシーンの戒厳令下の街頭の場面が、まず非常に冷酷で薄気味悪いムードを湛えており、一種クールな魅力を画面に与えていますが、南米のチリに長期ロケーションをした効果があって、現地での生々しい臨場感を観ている我々に感じさせます。  そして、この映画は、ガヴラス的演出で、フラッシュ・ショットによる回想シーンなどを随所に挿入し、時を自由に前後させながら展開していきます。  「Z」「告白」ともに、政治映画でありながら、ガヴラス監督の手にかかると、面白すぎるくらい面白くなりますが、ここではその映画的な技巧の円熟味は、ますます冴えていると思います。  主人公のフィリップ・マイケル・サントーレ(イヴ・モンタン)の死が、まず冒頭に出て、その葬儀のシーンあたりから、回想で彼の生前に遡り、革命派が誘拐するプロセスが歯切れよく描かれてくるあたりで、映画は観ている我々を否応なしにその世界に引きずり込んでしまいます。  この革命派の尋問につれて、サントーレという人物像が、次第に浮き彫りにされてきます。 彼はイヴ・モンタンが扮していることからもわかるように、実に風格のある人物であり、外見は良きアメリカ人であり、愛する家族を持つ良きパパなのです。  このように、サントーレという人物を、決して悪玉仕立てにしていないところに、ガヴラス監督の狙いもあったのであり、彼がアメリカから南米へ派遣されて、警察国家の陰の指導者となり、反乱分子に残酷な拷問をかけたりさせる、裏の張本人であるということが、実に感じのいい男だけに、観る者を余計に慄然とさせる効果を持っていると思うのです。  警察学校かなにかで、人体を使って拷問の実習をするシーンなど、かなりな残酷描写です。 こういう教育を受けた連中は、いつか、いとも冷酷で人間的な血の通わぬ非情な警官に育っていくのだろうと思います。  そのよき例が、秘密警察の隊長ロペスで、レナート・サルヴァトーリの何とも言えぬ凄みには圧倒されます。 一種、怪物的な魅力すら漂ってきて、脇役一筋で、地味なレナート・サルヴァトーリが、いつの間にこれほどの重量感のある俳優になっていたのだろうと驚いてしまいます。  このロペスの率いる秘密警察が、革命派の青年たちの居場所を突きとめ、追いつめ、逮捕するあたりの何とも言えない恐ろしさは、観ている我々を心の底から震撼させます。  街頭を革命派の青年が歩き、さりげなく警察官が追いつめていく、その画面にミキス・テオドラキスのクールな曲がかぶさるあたりは、どこか金属的な感じさえするムードで満たされます。  そして、この間、国会では多くの議論が交わされますが、誘拐した革命派グループの再三にわたるコミュニケにもかかわらず、結局、サントーレの生命を救うための動きは全くなく、革命派も彼を殺害する以外に方法がなくなってしまうのです。  国家とか組織とかが、個人などをまるっきり無視して通りすぎる冷酷さが、痛いほど画面の中から迫ってきます。  そして、ラストシーンでは、サントーレの死後、彼の後任として空港に到着したアメリカ高官の姿。 それをじっと見つめている、革命派の青年たちの表情の数々を映し出して、この映画は終わります。  ガヴラス監督式のスリルとサスペンスに満ちた面白さは確かにありますが、しかし、彼の最高作である「Z」の大衆講談的な面白さからはいつか飛翔して、生の実感を込めた不気味さが、ひたひたと我々の胸に押し寄せてくる思いがするのです。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-09-12 12:40:35)
24.  おもいでの夏 《ネタバレ》 
ロバート・マリガン監督の「おもいでの夏」は、優しく、美しい、青春映画の佳作だ。  ニューイングランド沖合いの小島が舞台の映画で、原題は「'42年の夏」。  その年、その夏、15歳の少年ハーミー(ゲーリー・グライムス)が、ふと、めぐりあった年上の女性の思慕と、思いがけない初体験とわ、切なさ溢れる、追想の形で綴られていく。  太陽と海と砂丘。ひなびた避暑地で休暇を過ごす、"わんぱく三人組"の少年たちは、もてあます若さの活力を、異性とセックスへの好奇心に集中する。 性の医学書に興奮し、町の映画館に女の子をナンパするために出掛け、薬局へ勇気をふるって、避妊具を買いにいく。  そんな、息苦しくて、切羽詰まって、だがなんとも無器用で、滑稽な思春期のあせりを、この映画はホロ苦い、愛しさで回想する。  主人公のハーミーが恋したのは、岬の一軒家に住む、美しい人妻ドロシー(ジェニファー・オニール)だ。  新婚の若妻の幸福に輝く、愛の風景を、出征する夫を船着き場に見送る、悲しみの彼女を、フランス戦線の夫に、手紙を書き続ける、遠いまなざしのドロシーの姿を、ハーミーは、どれほど憧れを込めて、見つめたことだろう。  買い物帰りの荷物運びを手伝ったことから、ハーミーは、ドロシーと親しくなる。 大人ぶって、背伸びする少年のおかしさ、いじらしさ。  やがて、クライマックス。ドロシーの家を訪れたハーミーが、夫の戦死公報を受けた、彼女に迎えられて、無言でベッドに誘われる夜の場面は、静かな美しさが、悲痛な情感を盛り上げる。  夜明けの別れ。そして、ドロシーの置き手紙が、涙にかすむラストに、ミシェル・ルグランのピアノ・ソロによる甘い旋律が、胸打つ余情を奏でる。  原作・脚本のハーマン・ローチャーと、「アラバマ物語」「レッド・ムーン」の名匠ロバート・マリガン監督は、彼等自身の"1942年夏"を、愛惜を込めて、懐かしみながら、同時にそれは、荒廃した時代に身を置く戦中派の、苦悩の懺悔とも受け取れるのだ。
[DVD(字幕)] 8点(2021-06-07 00:28:59)
25.  ラヂオの時間 《ネタバレ》 
才人・三谷幸喜がドライな感覚のシチュエーション・コメディに挑み、三谷ワールド全開の初監督作品 「ラヂオの時間」  この映画「ラヂオの時間」は、ご存知、三谷幸喜の初監督作品で、ラジオドラマ「運命の女」を生放送する深夜のラジオ局が舞台。 本番になって、主役の女性タレントが、役名をリツ子からメアリー・ジェーンに変えろとゴネ始めたから、さあ大変-------。  その時、調子のいいプロデューサーが、この些細な我儘を受け入れたために、何と物語の舞台が熱海からニューヨークへと変更され、物語の辻褄がどんどん合わなくなっていくのです。 もう、とにかく、無茶苦茶、支離滅裂な展開へ-------。  生放送のラジオドラマという「時間的な制約」と、スタジオという「空間的な制約」を設ける事で、収拾がつかない大混乱に対処しようとする"人間模様"に面白味が増幅していくのです。 この映画は、全く見事な"シチュエーション・コメディ"の大傑作なのです。  考えてみれば、それまでの日本映画には、このような"シチュエーション・コメディ"が、ほとんどなかったような気がします。 "ウェットな人情喜劇"が大半の日本映画にあって、ビリー・ワイルダー監督を尊敬してやまない三谷幸喜監督が持ち込んだ、"ドライな感覚の喜劇"は非常に新鮮に感じました。  加速度的に目まぐるしく変わりまくる、のっぴきならない状況に、巧みな人物造型が織り重なり、"三谷ワールド"が構築されていくのだと思います。  この映画に登場する、それぞれのキャラクター達は、かなり誇張され、そしてデフォルメされてはいるものの、実際、こんな奴って自分達の周りに確かにいるなと、思わず頷いてしまうようなタイプばかりで、非常におかしくもあり、お腹を抱えて笑ってしまいます。  そんな、おかしな面々が、ハチャメチャな状況を収束させようと、必死になって、懸命に動き回るのだから、もう楽しすぎます-------。 とにかく、登場人物の全てが、皆、生き生きとして見えるのだから、これは、本当に凄いドラマなのです。  三谷幸喜の初監督作に賭ける意気込みは、カメラワークの工夫などにも見られ、スタジオを徘徊しながら、登場人物をノーカットで紹介していく冒頭のワン・カットでの撮影は、とにかく見応え十分で、三谷監督、やってるなあと感心してしまいます。  恐らく、この物語には、三谷監督自身がテレビドラマの脚本家として、ディレクターの横やりなどにストレスをためてきた、苦い経験が活かされているのではないかと思います。  とにかく、この三谷幸喜の初監督作は、実に三谷らしい、一本のシナリオに賭ける情熱のほとばしりが、よく伝わってきて、観終えて、爽快な気分に浸る事が出来ました。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2021-06-04 10:47:54)
26.  追想(1956) 《ネタバレ》 
この映画「追想」はハリウッド映画界から追われていたイングリッド・バーグマンが、7年ぶりに復活を果たした作品で、彼女の演技の素晴らしさを堪能出来る、そんな作品です。  主人公のアナスタシアにイングリッド・バーグマン、山師のボーニンにユル・ブリンナーという凄い顔合わせで、ロシア帝国のロマノフ王朝のたった一人の生き残りのアナスタシア王女を巡って展開する、サスペンス・タッチの歴史ドラマだ。  ロシア革命から、辛くも逃げ延びたと伝えられる、ロマノフ王朝の王女アナスタシアに絡む、"恋と陰謀"を、「将軍たちの夜」の名匠アナトール・リトヴァク監督が情感たっぷりに描いた、見応えのあるドラマになっていると思う。  この映画の最大の魅力は、何と言っても、彼女は本当にアナスタシアなのか? ----というサスペンス・ミステリータッチの要素が強いところだろうと思う。 イングリッド・バーグマン演じる記憶喪失の女性の"ミステリアスな雰囲気"が、実に素晴らしい。  彼女は本物なのか、それとも偽物なのか、という謎を最後の最後まで持続させ、我々観る者をハラハラ、ドキドキさせるのが凄い。 これは、やはりバーグマンの演技が、この映画全体の善し悪しを決めているといっても、決して過言ではない。  そして、この映画はサスペンス・タッチの中にも、アナスタシアとボーニンの微妙なロマンスの隠し味も隠されていて、ロマンス映画的な興味でも、我々観る者をうっとりとさせてくれます。  また、見どころの一つでもある、アナスタシアが皇太后に会うシーンですが、最初は偽物だと決めつけている皇太后が、次第に心を開いていく姿に、ほろっとさせられます。 この皇太后を演じているヘレン・ヘイズの小柄ながらも、凄い迫力と貫禄で、他を圧倒する凄さには唸らされました。  一方、バーグマンの相手役のユル・ブリンナーは、武骨で冷淡だが、自己表現が苦手で不器用なタイプの役柄を、抑制された演技で、うまく演じていたと思う。  なお、この映画の演技で、イングリッド・バーグマンが、1956年度の第29回アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞しています。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-06-04 08:10:16)(良:1票)
27.  さすらいの航海 《ネタバレ》 
国際政治のエゴに翻弄される、ユダヤ難民の悲劇を淡々とドラマティックに描いた「さすらいの航海」  この映画「さすらいの航海」は、第二次世界大戦の直前に、各国の冷酷な政治エゴに弄ばれる、ユダヤ難民の一団の絶望的な実話を、淡々と、しかもドラマティックに描いた作品で、監督は、「暴力脱獄」、「ブルベイカー」の反骨精神の持ち主のユダヤ系のスチュアート・ローゼンバーグ監督です。  1939年5月13日、ドイツの客船セントルイス号は、国外への移住を希望するユダヤ人937人を乗せて、ドイツのハンブルク港を出港し、キューバのハバナ港に向かいました。  しかし、それは海外移住を許す事によって、ユダヤ人への寛容を示すと共に、各国がユダヤ人の受け入れを断る事を見越して、ユダヤ人問題はドイツだけの問題ではない事を、世界に宣伝しようとするナチス・ドイツの策略だったのです。  この出港に先立つ5月5日に、難民の受け入れを拒否する事が出来る、大統領令をキューバ政府が発布していた事を、ナチスは事前に承知しての事でした。 そして、更にキューバ駐在のナチス諜報員は、反ユダヤ宣伝を行なって、キューバ国民に難民の受け入れ反対を煽っていたのです。  迫害を逃れ、自由を求めて、嬉々として船に乗り込むユダヤ人達は、初めから上陸出来ない運命にあったのです。  一方、キューバにおいても、政治的な駆け引きが激化していて、時のキューバの大統領フレデリコ・ラレド・ブルーは、陰の実力者である陸軍参謀総長バチスタの力で大統領になっただけに、自らの指導力を確立する事に腐心していました。  そして、大統領フレデリコ・ラレド・ブルーのバチスタへの反撃は、バチスタの腹心であり、その資金源である移民局長官のマヌエル・ベニテス(名優ホセ・フェラー)に向けられたのです。  ベニテスは、私的な上陸許可証を査証とは別に発行して荒稼ぎをしていましたが、今回の大統領令は、この上陸許可証を禁止し、賄賂を閉ざすためのものでした。 これに対して、ベニテスは、セントルイス号の難民を人質に船会社から巨額の賄賂を出させ、その半分を大統領に渡せば事は収まるものと、甘く考えていました。  しかし、大統領とレモス外務長官は、バチスタを見逃さず、政府の威信を示そうと強行に難民の受け入れを拒否するのでした。 また、労働長官も、これ以上の難民の入国は、キューバ人の失業を悪化させると進言してもいました。  5月27日、ハバナ入港。しかし、上陸出来ないまま6月2日出向。 この間、先にキューバに入国して、身を売って稼いだお金を船内の両親に届ける娼婦(キャサリン・ロス)、それを怒り嘆く母親(マリア・シェル)。 三分間に限られた、その再会シーンは哀切で言葉もありません。  そして、セントルイス号は、マイアミ沖のアメリカ領海を徘徊しますが、ユダヤ人が最終的に行きたかったアメリカも、その難民の受け入れを巡って政治的な事情が優先されました。 というのは、時のフランクリン・ルーズペルト大統領は、欧州の紛争には関わりたくないという、いわゆる"モンロー主義"を国の政策としてとっており、また、ニューディール政策の行き詰まりによる失業者の増加のため、移民受け入れ反対の運動が盛り上がっていて、大統領の三選を控えていて、これらの状況を無視する事が出来ないという状況にありました。  このような状況の中、セントルイス号は、再びドイツに向かいますが、絶望したユダヤ人の中には、船のハイジャックを試みて失敗する一団もいれば、ユダヤ系船員(マルコム・マクダウェル)と痛ましい心中を遂げる可憐な娘(リン・フレデリック)もいました。  しかし、元ベルリン大学医学部教授のクライスラー(オス・ウェルナー)と、その気品の高い妻(フェイ・ダナウェイ)は、終始、ユダヤ人の誇りを失わず、毅然とした対応を示すというような、いわゆるグランド・ホテル形式で、様々な人々の人間模様を映画は描いていきます。  そして、欧州各国もヒトラーを恐れてユダヤ人を受け入れようとはしません。 ドイツ人だが、船乗りとして乗客の事を第一に考えるシュレーダー船長(名優マックス・フォン・シドー)は、この状況を打破するための窮余の一策として、イギリスのサセックス沖でわざと船を座礁して、乗客を上陸させようとしますが、その最後の瞬間にベルギーのアントワープへの寄港が許可される事になったのです。  6月17日にアントワープ港へ入港の2カ月後に、第二次世界大戦が勃発し、乗客の内、600人以上がナチス占領下の国々で死んだと歴史は伝えています。 尚、このシュレーダー船長は、戦後の1956年に、時の西ドイツ政府から人道功労賞が授与されています。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-06-02 09:20:20)
28.  火山のもとで 《ネタバレ》 
荒廃して刹那的に破滅していく人間の業、心の闇を描く文芸映画の秀作「火山のもとで」  1984年のジョン・ヒューストン監督の「火山のもとで」は、イギリスの破滅型作家と言われているマルカム・ラウリーの原作を映画化した文芸ドラマで、第37回カンヌ国際映画祭でこの映画も含む、ジョン・ヒューストン監督の長年の映画界への貢献に対して特別名誉賞が贈られています。  この映画の主演のアルバート・フィニーは、私の大好きな俳優で、その年の第10回ボストン映画批評家協会賞の主演男優賞を「アマデウス」のF・マーリー・エイブラハムと同時受賞しています。 また、同年の第42回ゴールデン・グローブ賞のドラマ部門の主演男優賞にノミネート、助演のジャクリーン・ビセットが助演女優賞にノミネートされています。  ともに大好きなアルバート・フィニーとジャクリーン・ビセットのワクワクするような共演は、1967年の「いつも2人で」、1974年の「オリエント急行殺人事件」に次いで3度目となりますが、本格的な競演はこの映画が初めてになります。  アルバート・フィニーは、前年の名作「ドレッサー」の演技で、第34回ベルリン国際映画祭で主演男優賞を受賞していて、まさに役者として脂の乗り切った時期に、この「火山のもとで」に出演していて、彼のシェークスピア役者としての舞台仕込みの円熟した演技が堪能出来ます。  主役のアルバート・フィニー扮する、メキシコ駐在の元イギリス領事ジェフリーは、毎日、異常とも思えるほど酒浸りの刹那的な人生を送っています。 妻に逃げられた悲しみとか仕事上での行き詰まりとか、何故、このように大酒を浴びるように飲み続け、我が身を破滅的に滅ぼそうとしているのか、映画は多くを語りません。  そこには人間というものがもっている、何か根源的な破滅志向というか、刹那的に我が身を切り刻み、追い込んでいく"業"のようなものを感じずにはいられません。  彼は何かに導かれるように酒に溺れ、他人に絡み、また飲んでは、酒にひたすら溺れていくというような、救いようのない、無限地獄へと堕していきます。 基本的に草食動物である日本人では考えられないような、肉食動物である欧米人の飲んで、暴れる凄まじいエネルギーには圧倒されます。  このあたりのアルバート・フィニーの演技は、まさに人間の内面から迸る、刹那的な悲しみや心の闇を表現していて、鬼気迫るものがあり魂を揺さぶられます。  とにかくジェフリーは、ひたすら酒を飲み続け、心身共に荒れ果てていく、この全く救いのない物語を当時79歳のジョン・ヒューストン監督は、徹底したバイタリティと粘着質のしつこさでシニカルに描いていきます。  物語は、1930年代のメキシコを舞台に、死者が1年に1度この世に蘇えると信じられている万霊節の前夜のパーティで、ジェフリーはいつものように酒を飲み過ぎて、ドイツの外交官と喧嘩したりして騒動を起こしたりします。  そんな日の翌朝、1年前の万霊説に家出したジャクリーン・ビセット扮する妻のイヴォンヌが突然、ジェフリーの異母弟のアンソニー・アンドリュース扮するヒューと姿を現わします。  彼ら三人は、一緒に闘牛を見に行ったりして陽気にふるまっていますが、イヴォンヌとヒューはかつて大人の恋愛関係に陥った仲という事もあり、三人三様の微妙な関係の心のありようがうまく描かれていて、映画はここからの24時間という、限定された時間の中で展開する愛憎劇を丹念に描いていきます。  人生をもう一度、ジェフリーとやり直したいというイヴォンヌの申し出や以前イヴォンヌから受け取っていながら未開封の手紙、その内容は自分の過去の過ちを悔いて許しを乞い、ジェフリーへの愛を誓うというものでしたが、ジェフリーは、彼女を本当は心の底から愛しているにもかかわらず、一度の不義を許せないのか、あいまいな態度を取り続け、再び酒を浴びるように飲み続けるのです。  そして、映画のラストで、ジェフリーとイヴォンヌは、悲劇的な結末を迎える事になります。 全く救いようのない物語で、暗澹たる気分になりますが、改めて人間が生きるという事の"業"、そして"心の闇"について深く考えさせてくれる映画でした。
[ビデオ(字幕)] 8点(2021-06-01 22:50:58)
29.  スコルピオンの恋まじない 《ネタバレ》 
ウディ・アレン監督がハワード・ホークス、エルンスト・ルビッチ、ビリー・ワイルダー監督への限りなきオマージュを捧げた小粋でお洒落な作品が、「スコルピオンの恋まじない」だ。  毎回、今度はどんな手で来るのかと、我々映画ファンをワクワクさせてくれる、ウディ・アレンの映画------。 この映画「スコルピオンの恋まじない」は、1940年代のハリウッドのスクリューボール・コメディの復活を目論んだ、ウディ・アレンらしい小粋で、お洒落な作品です。  主人公のC・W・ブリッグス(ウディ・アレン)は、昔気質の保険調査員。 そんな彼の前に、超合理主義者のリストラ担当重役のベティ・アン・フィッツジェラルド(ヘレン・ハント)が、立ちはだかります。  水と油、まさに犬猿の仲の二人。 そんな二人がある日、ナイトクラブで胡散臭い催眠術にかけられてしまい、文字通り、"恋の魔法"になっていく-----という、思わずニンマリとしてしまう程、スクリューボールな展開になっていきます。  この二人、顔を合せれば、凄まじい言い争いを始めてしまうのですが、結局、この攻防も二人の仲を高めるためのプロセスであり、スクリューボール・コメディの定石が、この映画にはドンピシャと当てはまります。  この二人の饒舌ともいえるセリフの応酬を見ていると、真っ先に思い出すのが、ハワード・ホークス監督のケーリー・グラントとロザリンド・ラッセル主演の「ヒズ・ガール・フライデー」で、オフィスのレトロな雰囲気や同僚達とのアンサンブルまでよく似ていて、嬉しくなってきます。  ウディ・アレンも公言している通り、この映画はハリウッドの黄金時代の名画の数々へのオマージュが散りばめられていて、映画ファンとしては、ウディ・アレンの映画への限りなき愛に共感し、この映画に陶酔させられてしまいます。  インチキ魔術師の呪文に踊らされて、次々に宝石を盗んでいくブリッグスとベティ・アンですが、これは泥棒カップルの騒動を描いた、ハリウッド黄金期のソフィスティケイテッド・コメディの巨匠エルンスト・ルビッチ監督の「極楽特急」の設定を思わせ、ウディ・アレン監督のセンスの良さを感じます。  ブリックスにかけられる呪文"コンスタンチノープル"は、「極楽特急」でもお洒落なキーワードとして使われているので、思わずニャッとしてしまいます。  また、主人公の仕事が保険会社の調査員というのは、名匠ビリー・ワイルダー監督の「深夜の告白」と同じですし、更にソフト帽にトレンチコートというブリッグスの格好は、ウディ・アレンが敬愛してやまないハンフリー・ボガートが主演した、ハワード・ホークス監督の「三つ数えろ」での私立探偵のスタイルにそっくりで、大いに笑わせてくれます。  このように、ハワード・ホークス、エルンスト・ルビッチ、ビリー・ワイルダー監督といった、巨匠達の映画世界からヒントを頂戴しつつも、きちんとウディ・アレン・テイストに仕立て上げているところが、彼の凄いところだと感心してしまいます。  考えてみると、役者としてのウディ・アレンが、そこに登場するだけで、その映画はウディ・アレン・オリジナルになってしまう凄さ。しかも、過去に彼が好んで演じた、"冴えない神経症の男"といったハマリ役を捨て去って、"デキル男"を溌剌と演じても、全く違和感なく、すんなりと馴染んでしまうから不思議です。  この映画が魅力的なのは、ひとえに偉大な過去の巨匠達に対するウディ・アレンの少年のように純真な、一人の映画ファンとしての心で満ち溢れているからだと思います。  この映画のようにシンプルで、奇をてらう事のない作品は、なかなかないと思うし、映画において、わかりやすさや親しみやすさが、いかに大切な事であるかを痛感させられます。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-06-01 12:00:44)
30.  1000日のアン 《ネタバレ》 
英国チューダー王朝のヘンリー8世は、一目惚れした若い娘アン・ブリンを手に入れるため、世継ぎを生まない王妃キャサリンと強引に離婚してしまう。 正室に迎えられたアンにも王子ができないまま、あんなにも情熱的だった王の心は、遠のいてしまった。 そして、離婚を拒んだアン・ブリンは、奸計をもって断頭台へと送られてしまう-----。  16世紀の英国チューダー王朝の悲劇を描いたチャールズ・ジャロット監督の「1000日のアン」は、絶対的な権力をふるった、リチャード・バートン扮するヘンリー8世とジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド扮するアン・ブリンの愛憎の葛藤を、舞台の格調そのままに映画化した作品だ。  リチャード・バートンをはじめ、並みいる古典舞台劇の名優たちを相手に、当時、新人だったジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドが、女の意地、喜び、悲しみを朗々と謳い上げ、オスカーにノミネートされるほどの演技を披露している。  世継ぎの男子を生まない女に用はない、欲しい女はどんなことをしてもモノにする。そして手に入れたら飽きる、男の幼さ、男のずるさをシェークスピア劇で鍛え抜かれた、名優リチャード・バートンが実に巧みに演じていて素晴らしい。  この名優に対して、ビュジョルドは一歩もひけをとらず、出会いの時の愛苦しさから、命を懸けて王の横暴に抵抗し、するべきことをなして泰然と運命を受け入れ、断頭台の露と消える王妃の誇りを演じて、これまた素晴らしい。 小柄で童顔のビュジョルドが、膨大な量のセリフをこなし、アン・ブリンを演じ尽くすさまに、ほとほと感心してしまう。  彼女が死を賭して、王位継承権を残してくれたとも知らぬ幼い娘が、宮廷の庭で、教えられたとおりの歩き方を練習しているラストも、切ない印象を残してくれます。
[DVD(字幕)] 8点(2020-09-27 10:01:59)(良:1票)
31.  影なき狙撃者 《ネタバレ》 
「影なき狙撃者」は、初期の「終身犯」や「5月の7日間」や「大列車作戦」、後期の「フレンチ・コネクション2」や「ブラック・サンデー」などの骨太な社会派サスペンス映画で、我々映画ファンを楽しませてくれた、ジョン・フランケンハイマー監督が、若かりし頃に撮った秀作です。 この映画の時代背景は、朝鮮戦争の頃。1950年代というのは、まさにアメリカとソ連の東西冷戦の時代です。 それぞれの本土で戦ってはいないものの、朝鮮半島を舞台にして、代理戦争を行なっていたわけです。  この時代の米ソの対立は、凄まじいものがあります。ハリウッド映画界でも、かの有名なマッカーシー上院議員を中心とした、「赤狩り」の嵐が吹き荒れていました。 共産主義者は、まるで悪魔のように思われていた時代でした。  この朝鮮戦争下において、中共軍に捕らえられてしまったアメリカ軍兵士が、暗殺者に仕立てられてしまうというストーリーです。 現在の時点で観てみると、それほどもの凄いアイディアではないのですが、恐らく、この映画が製作された当時は、画期的だったのではないでしょうか。  ネタバレになるので、あまり詳しいことは書けませんが、小道具としてトランプが使われていて、効果的であると同時に「影なき狙撃者=トランプ」という連想が、記憶に深く刻まれてしまうほどのインパクトがあります。  この映画の主人公は、ベネット・マーコ(フランク・シナトラ)とレイモンド・ショウ(ローレンス・ハーヴェイ)という二人の軍人です。 シナトラは格闘シーンがあるのですが、ぶっつけ本番だったので、右手の親指を骨折するという怪我をしたというエピソードが残っています。 やはり、きちんとリハーサルをして本番に臨まないと、怪我をしてしまうということなんですね。  ハーヴェイは、セントラルパークの池に飛び込むシーンがありますが、撮影時は厳冬で、彼はスタッフが氷を取り除いた、水温マイナス9度の池にダイビングしたそうです。 ほんとに、俳優とは大変な職業だなとつくづく思いますね。  ストーリーもハラハラ、ドキドキの連続で、出演者たちの熱演、そして最高にスリリングな展開で、極上の政治サスペンス映画に仕上がっていると思います。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2020-06-19 11:24:08)
32.  アンタッチャブル 《ネタバレ》 
悪法で名高い「禁酒法」ですが、正しくは「酒類製造・販売・運搬等を禁止するという法律」という名称です。 つまり、お酒を造ること、売ること、運ぶことだけが禁止された法律であって、お酒を飲むこと自体は、禁止されていなかったということがわかります。  また、施行されるまでに1年の猶予があったため、人々はお酒の買いだめに走りました。 施行後、家でお酒が見つかっても「買いだめしておいた分です」と言えば、罪に問われなかったというのですから、ザル法もいいところです。 お酒の密輸入と密造で大儲けしたのは、ギャングたちだけだったのです。  この天下の悪法の施工時代に、世にもデカイ顏をしてシカゴの街でのさばっていたのが、暗黒街の帝王、アル・カポネです。 彼がネタになっているギャング映画は、それこそ星の数ほどあるのではないかと思われるくらい、凄い人気です。  このパラマウント映画創立75周年記念映画として製作された、ハリウッド大作「アンタッチャブル」では、ロバート・デ・ニーロがアル・カポネを演じています。 役作りのために、逆ダイエットをして太ったというエピソードはあまりにも有名です。 そして、首を傾けてしゃべる、独特の姿も強烈なインパクトがあります。  映像の魔術師・ブライアン・デ・パルマが監督をしているので、事実なんてどこへやら、徹底した娯楽アクション・ギャング映画に仕上がっています。 こういうのはあざとくて嫌いだという人もいるかも知れません。だが、それはハリウッドメジャー大作映画の宿命ともいえるものですが、私は大好きですね。  有名な駅の階段のベビーカーのシーンは、ハラハラ、ドキドキの連続で、ブライアン・デ・パルマ監督の楽しそうに撮っている顏が想像できますね。  そして、何と言っても魅力的なのは、当時、とても輝いていた主演のケヴィン・コスナーです。 絵に描いたような正義の味方。あまりにも嘘っぽくてため息が出そうですが、これぞまさに娯楽映画なんですね。  事実に基づいているとは言っても、彼の演じるエリオット・ネスは、映画のヒーローであり、架空の人物だくらいに思わないと駄目ですね。 史実と違うからおかしいじゃないかと決めつけるのは、ちょっと筋違いだと思いますね。 とにかく、カッコいいんですね。  それから、思わず注目してしまったのは、殺し屋のニッテイ(ビリー・ドラゴ)です。 とても陰険な顔つきの風貌で、目つきがとても怖いんですね。  もちろん、ショー・コネリー扮するジム・マローンも最高ですね。その年のアカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞しただけのことはありますね。 このジム・マローンは、FBIのリーダー的存在で、エリオットのみならず、観ている我々もグイグイ引っ張ってくれます。 ジェームズ・ボンド役を卒業した後の、ショーン・コネリーの演技に対する取り組みと研鑽が、一気に花開いたという感じですね。  今回、あらためて観直してみて、この作品はギャング映画の最高峰のひとつだと思いましたね。 エンニオ・モリコーネの音楽も素晴らしくて、この人の書くスコアは、映画の雰囲気にほんとにぴったりで、哀愁のあるメロディーを聞いているだけで感動してしまいます。
[DVD(字幕)] 8点(2019-12-14 09:34:41)
33.  アラベスク 《ネタバレ》 
スタンリー・ドーネン監督のロマンティック・コメディ「アラベスク」は、主演が私が最も好きな男優のグレゴリー・ペックとイタリアの大女優ソフィア・ローレン。  何でもこの映画は、ソフィア・ローレンが、大のグレゴリー・ペックファンで、一度でいいから、ペックと競演したいという夢があり、それが叶った映画という事で有名です。恐らく、「ローマの休日」のペックを観て、胸キュンとなったのかもしれませんね。  この映画でのソフィア・ローレンの役は、グレゴリー・ペックの前に突然、現われ、彼を翻弄する謎の美女といった役です。 アクション盛りだくさんのサスペンス映画なのですが、ローレン自身が拳銃を振り回したりという、そんなシーンはありません。  監督のスタンリー・ドーネンは、ミュージカル映画の監督として有名ですが、こういう洒落たサスペンス映画も撮っているし、1本だけれどもSFも監督しているんですね。その中でも、最も有名なのが、「雨に唄えば」と「シャレード」ですね。  言語学者であるデヴィッド・ポロック(グレゴリー・ペック)が、古代アラビアの象形文字の解読を依頼されます。 ところが、引き受けた途端に、彼の身に危険が次々と降りかかり始めます。 ヤズミン(ソフィア・ローレン)という謎のアラブ美女が、彼の味方になってくれるのですが、どうも彼女の言うことは、嘘が多いので、デヴィッドは、彼女に翻弄されてしまいます。  いったい、彼女は味方なのか敵なのか? 最後の最後までわかりません。そのあたりのスタンリー・ドーネン監督の演出は、なかなかうまいと思いましたね。 加えて、この映画は、アクションシーンも実に豊富です。動物園、水族館、高速道路、そして、ラスト近くは、牧場で西部劇さながらの馬でのチェイスシーンまであるサービスぶり。もう、本当に嬉しくなっていまいます。  007も真っ青のアクション映画ですよ、これは。とにかく、主人公が、刑事でもスパイでもなく、大学の言語学の教授というところが、いいですねえ。知的でインテリジェンスに溢れたグレゴリー・ペックには、もうドンピシャのはまり役ですね。  素人っぽいドジをしまくりながらも、果敢に敵に立ち向かい、象形文字の謎を解明しようとする、グレゴリー・ペックが、実に楽しそうに演じていて、とても素敵です。 もちろん、ソフィア・ローレンも謎の美女を妖艶に演じていて、ペックとの競演が本当に嬉しそうだなという事がわかり、好感が持てましたね。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2019-05-31 10:25:45)
34.  影の軍隊(1969) 《ネタバレ》 
「サムライ」「仁義」などの一連のフィルム・ノワールで私を魅了したジャン=ピエール・メルヴィル監督の「影の軍隊」は、レジスタンスに身を投じた人間たちの姿をセミ・ドキュメントタッチで描いた社会派サスペンス映画です。  全編を覆うダークな色調。使命を果たすためには、愛する者すべてを捨てなければならない非情な世界で、自己を引き裂かれ、葛藤する男や女たち。 彼らの胸中をよぎる悲哀と情念のたぎりは、まさに"フィルム・ノワールの世界"そのもので、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の簡潔で切れ味鋭い演出の技が冴えわたります。  この映画の主演俳優リノ・ヴァンチュラは、ボクサー上がりの体型通り、いつも見るからにタフな奴を演じてきたと思います。 だが、ただただ鋼鉄のごとく頑強な男というわけではないのです。 ある瞬間、フッと垣間見せる弱さ、脆さ。その時こそ、演技者としてのリノ・ヴァンチュラの真骨頂が発揮されるのです。  この「影の軍隊」でも、ゲシュタポに捕まった彼は、銃口の前に立たされ、その場に踏み止まり銃弾を浴びるか、誇りを捨て脱兎のごとく走り逃げるかの選択を迫られます。 レジスタンスとしての意志を貫こうと死を覚悟しながら、降りかかる銃弾の雨に、思わず走り出すヴァンチュラ。  辛うじて生き延び、本心は死ぬのが怖いと呟く彼の悲痛と絶望に疲弊した面持ちは、逆に人間本来のあり様と生と死の重みをを映し出し、緊迫したドラマ展開の中で、生身の人間の肌の温もりにも似た一種の安堵感を覚えさせてくれました。  人間の感情の二律背反をごく自然な演技で、しかもまざまざと見せつけるヴァンチュラの演技はとても素晴らしいと思います。  ひしゃげた鼻と猪首、それほど背丈はないが、むっちりと肉の付いた雄牛の如き体軀は、お世辞にも眉目秀麗とは言えません。 だが、他人の同情を拒絶するような厳つい肩に揺らめく"孤独の影"はなぜか妙に愛おしく、男心をそそらずにはおかない男の魅力は、誰よりも強烈なものがあると思います。
[DVD(字幕)] 8点(2019-03-30 16:53:27)(良:1票)
35.  キートンのセブン・チャンス 《ネタバレ》 
世界の三大喜劇王と言われる、チャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイド、バスター・キートン。  DVDで名作の誉れ高い「キートンのセブン・チャンス」を鑑賞しました。 この映画でのバスター・キートンを観ていると、最もオーソドックスなスラップスティック・コメデイの演技とは、まさしく、これなのだと思えてきます。  バスター・キートンは、グレート・ストーン・フェイス、つまり、偉大なる無表情と呼ばれたそうですが、まったく無表情なのですから、すべては身体を動かして表現するほかないことになります。  ところが、よく観ると彼には小さな動きの演技はあまりないので、必然的に演技は大きく、なおかつ、猛烈なスピードを持って展開されることになります。 この映画を観て、あらためてスピードのないスラップスティツク演技なんてのは、スラップスティックとは言えないなと思ってしまいます。  この映画の最大の見せ場は、後半にやってきます。  前半の求婚をめぐるお話も、キートンらしく不器用で直線的で、それはそれなりの面白さを持ってはいますが、しかしこの前半は、例えば他のコメディアンが演じても、それぞれの持ち味に応じた面白さは出るだろうと思われます。  ところが、キートンが雲霞のごとき花嫁候補の群れに追われる後半は、キートンならではの面白さが一気に爆発します。 野越え山越え、ひたすら逃げ続けるキートンは、その疾走が紛れもなく全力疾走であることで私を驚かせ、その起き上がり方の素早さでアッと言わせてくれます。  キートンは、決して手を抜いたり、ふざけたりしません。 世界中の誰よりも真面目に、スラップスティック演技に全身全霊を捧げているのです。 キートン喜劇の面白さ、可笑しさは、まさに彼の生真面目から生まれてくるものだと思います。  彼の映画の笑いは、押しの一点張りが成功した時にめざましいものになります。 それは、チャップリンのような緩急自在の呼吸から生み出される笑いとは、まったく違う笑いなのだと言えると思います。
[DVD(字幕)] 8点(2019-03-12 22:55:45)(良:1票)
36.  海外特派員 《ネタバレ》 
「海外特派員」は、サスペンス・スリラーの巨匠・アルフレッド・ヒッチコック監督が、1940年に撮った映画です。 ストーリーそのものからして、古めかしい感じがするのは否めません。  第二次世界大戦前夜のヨーロッパ情勢を背景にしているにしては、何か薄っぺらな感じがしなくもないし、主人公のジョエル・マックリーを殺害しようとする、自称、探偵の男にしても、教会の塔の上から突き落とそうという、極めて原始的な殺人法を用いたりしています。  しかし、ヒッチコック監督には、初めから複雑な政治情勢などにはまったく興味がなく、また描く気もなかったし、彼にとっては、殺人は一種のゲームであって、いかにして我々観る者をハラハラ、ドキドキさせ、笑わせ、ホッとさせるか、そんなことばかり考えながら映画を撮っているのだと思います。  まったく、次から次へと、さまざまな趣向を凝らしたサスペンスの場面を用意して、これでもか、これでもかと観ている我々に迫ってくる。 このヒッチコック監督の名演出の中でも、特に優れている場面が、少なくとも二つあるように思います。  一つは、アムステルダムの議事堂前で、平和主義者の元高官が殺害されるところ。 ザーザー降りの雨の中で、特派員のジョエル・マックリーが、この元高官に近づいて話をしようとすると、カメラマンが、シャッターを切るかに見せかけて、元高官を撃ち殺す。  マックリーが犯人を追うが、傘、傘、傘に遮られて、まったく身動きがとれない--------。  ヒッチコック監督のサスペンスが、ストーリー展開の面白さとともに、映像によって導き出されていることがよくわかります。 映画本来の魅力を十二分に生かして、サスペンスを組み立てているのだと思います。  もう一つは、主人公たちの乗った旅客機が撃墜され、海上へまっしぐらに突っ込むところでは、操縦席にカメラを据えて、ワンカットで、前面の硝子が割れ、海水が飛び込んでくるまでを見せてしまう。 もう、これはまさしく、ヒッチコック監督による"映像の魔術"と言えると思います。  ヒッチコック監督の映画が永遠に不滅なのは、映画の面白さを知り尽くし、映画ならではの面白さに徹しているからだと思います。
[DVD(字幕)] 8点(2019-03-12 22:11:00)
37.  小さな巨人 《ネタバレ》 
「小さな巨人」は、ダスティン・ホフマンが驚くべきメーキャップで演じた、101歳の老インディアン(?)のおしゃべりによって、この映画は始まります。  監督は、「俺たちに明日はない」で、"アメリカン・ニューシネマ"時代をリードする存在となったアーサー・ペン。  彼の思い出話によって展開されるこの西部劇は、カスター将軍、ワイルド・ビル・ヒコック、シッティング・ブル、クレイジー・ホースなどのお馴染みの人物たちが、賑やかに登場してくれます。  だが、カスター将軍の偏執狂的な描き方など、まさに西部劇というジャンルが、とてもシラケてしまった時代の産物という他ありません。  また、牧師の貞淑な妻が、欲求不満気味の浮気妻であったり、ビル・ヒコックも臆病な卑怯者であったりと、全く新しい視点で様々なエピソードを描いていくことで、"西部劇の神話"を次々と崩していくのです。  映画の夢、少年の夢の西部劇が、音を立てて崩壊していくような感傷的な気分になってしまいます。  奇妙な運命のいたずらによって、ダスティン・ホフマン演じる主人公は、白人社会と、インディアン社会を行ったり来たりしなくてはならなくなるのです。  白人でも、インディアンでもない、どちらでもない哀しみを生きる彼は、まるで場違いなところに放り込まれた"道化"といった感じです。  そのどちらでもない人間を通して、アメリカという国の矛盾が浮かび上がってくると思うのです。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-08-28 08:41:49)
38.  不毛地帯 《ネタバレ》 
現在の日本映画で、ほとんど製作されなくなった社会派映画。 かつては、山本薩夫監督や、熊井啓監督など、数多くの気骨のある映画監督がいたものでしたが、現在の日本映画の衰退、凋落傾向の中、そのような気骨のある映画監督が全くいなくなりました。  この東宝映画「不毛地帯」は、昭和34年当時、二次防の第一次FX選定をめぐるロッキード対グラマンの"黒い商戦"を素材にした山崎豊子の原作の映画化作品です。  この映画は、その相当部分が主人公の元大本営参謀であった、壱岐正(仲代達矢)のシベリア抑留11年の描写に当てられています。 そして、この主人公の壱岐正のモデルは、元伊藤忠相談役の瀬島龍三氏であったのは言うまでもありません。  「白い巨塔」「華麗なる一族」に続くこの山崎豊子の原作は、高度経済成長下の熾烈な経済競争で荒廃してしまった"日本の精神的不毛地帯"と、厳しい自然と、全く自由を奪われた強制収容所という"シベリアの不毛地帯"を重ね合わせ、この二つの不毛地帯を、幼年学校以来、軍人精神をたたきこまれた主人公の壱岐正が、如何に生きていくか、その"人間的苦悩"に焦点を絞って描いている小説だと思います。  この映画の監督は社会派の作品を得意とする山本薩夫。 「戦争と人間」三部作、「華麗なる一族」「金環蝕」とその作風はある意味、一貫している監督です。  原作ではシベリアでの飢えと拷問の監獄、それに続く悲惨な収容所生活に多くのページを割いており、ソルジェニーツィンの「収容所群島」を連想させますが、この映画では、シベリアの部分はほとんどカットされており、ソ連内務省の取り調べも、天皇の戦争責任にポイントをおくためのものになっているように思います。  また、安保闘争をこの映画と切り離せない社会的背景とみて、原作にはないのを山本監督は意識的かつ重点的に付け加えています。 更に、自衛隊反対の自己の主張を壱岐の娘、直子(秋吉久美子)の口から繰り返し語らせているのです。  そして、当時、社会の関心が集中していた"ロッキード事件"を意識して、その徹底糾明のためのキャンペーン映画として作られており、山本監督は、それを抉るために彼の"政治的立場"に沿って、人間関係を明快に整理しているようにも思います。  原作者の山崎豊子は、「作者としては、どこまでも主人公、壱岐正が、その黒い翼の商戦の中で如何に苦悩し、傷つき、血を流したか、主人公の人間像、心の襞を克明に映像化してほしかった。この点、山本監督は、イデオロギー的な立場で、主人公を結論づけ、描いておられる。そこが小説と映画との根本的な相違であるといえる」と強い不満を語っていましたが、もっともな事だと思います。  山本監督は、「『金環蝕』も『不毛地帯』も、そのストーリーこそ違うものの、いずれも、本質的には日本の保守政治の構造が生んだ事件であり、今回のロッキード事件とその点で共通していると言える。私が『不毛地帯』を撮るにあたり、こうした保守政治の体質にいかに迫るかが、私にとって大きな課題となった」と、この映画「不毛地帯」の製作意図を語っており、このようにこの映画が、"政治的な意図"を持った映画である事を、我々映画を観る者は、よく認識しておく必要があると思います。  当時のロッキード事件というものと関連させて、なるほどと思わせる場面が多く、迫力もあり、映画的に面白く撮っているだけに、我々観る者が映像と現実をそのままゴッチャにしてしまう危険性もはらんでいるようにも思います。  ただ、山本監督は、「私は、映画はわかりやすく、面白いものでなければいけないと、常々考えている。健全な娯楽性の中に、その機能を生かせば、今度のような、いわば政治の陰の部分まで描き出せる」とも語っており、三時間という長さを全く退屈させない腕前はさすがで、その政治的な思想性は別にしても、これだけの社会派ドラマを撮れる監督が、現在の日本映画界に全くいなくなった現状を考えると、本当に凄い映画監督だったんだなとあらためて痛感させられます。  シベリア抑留の苛酷な体験もいつか薄れ、新鋭戦闘機に魅せられて、いつの間にか熾烈な商戦の渦中に巻き込まれ、作戦以上の策略を尽した結果が、心ならずも戦友の川又空将補(丹波哲郎)を死に追い込み、家族からも心が離反されてゆく、"旧職業軍人の業"といったものが切ない哀しみを持って、胸にしみてきます。  そして、自衛隊に入った旧軍人制服組の、警察出身で政治的な貝塚官房長(小沢栄太郎)に対する憎しみも非常にうまく描かれていたと思います。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2023-08-24 10:18:41)
39.  ウルフ 《ネタバレ》 
"巨大な企業が個人を飲み込んでしまうというプロットと、狼へと変身していく自己との葛藤を通して狼男の神話のファンタジーを描いた「ウルフ」"  怪奇映画の三大怪物のヒーローと言えば、"ドラキュラ"、"フランケンシュタイン"、"狼男"ですが、1990年代の前半は、フランシス・フォード・コッポラ監督、ゲイリー・オールドマン主演の「ドラキュラ」、ケネス・ブラナー監督、ロバート・デ・ニーロ主演の「フランケンシュタイン」があらたな着想でリメイクされ、第3の怪物、"狼男"もマイク・ニコルズ監督、ジャック・ニコルソン主演で製作されました。  この映画は狼男への変身という題材を、ラブストーリーに仕立てた、"ロマンティック・ホラー"とでも言うべき作品で、ニューヨークの大手出版社に勤めるウィル(ジャック・ニコルソン)が、狼に噛まれた事から、会社で部下の野心家のスチュワート(ジェームズ・スペイダー)に足元をすくわれて、左遷人事で飛ばされそうになっていましたが、"野生に目覚め"たウィルは、仕事にも俄然、やる気を取り戻し、社長令嬢のローラ(ミシェル・ファイファー)と激しい恋に落ちたりします。  映画の前半部は、生き馬の目を抜くとも言われる熾烈で過酷なニューヨークのビシネス社会の中で、冴えない企業戦士が狼に噛まれ、野生の力に戸惑いながらも、スーパービジネスマンへと変貌していく過程は、コメディすれすれの状況で描かれていきますが、さすがにマイク・ニコルズ監督、丁寧な描写を積み重ねていく事で、シリアス・ドラマ風の展開へと持っていきます。  "巨大な企業が個人を飲み込んでしまう"というリアルなプロットと、"狼へと変身していく自己との葛藤"という、狼男という神話のファンタジー。  この"ウィルVSライバルとの外的な戦い"と"狼へ変身していく自己との葛藤"というものが、見事に二重構造となっていて、恐らく、マイク・ニコルズ監督もジャック・ニコルソンも、この映画を単なるホラーとしてではなく、その「ふたつの戦い」を描く事が狙いだったのではないかと思います。  ウィルは月夜の晩になると狼に変身し、セントラルパークを徘徊したりするのですが、朝になると記憶が全くないのです。 そんな折、ウィルの妻が獣のような生き物に惨殺されるという事件が発生します。  自分の仕業かもしれないという疑念にかられたウィルは、"理性と野性の間で苦悩"する事になります。 そして、理性で野性の行動を抑える事が出来なくなったウィルに警察は嫌疑の目を向けていきます。  そんなウィルの理解者は恋人のローラだけで、このローラとのロマンスは、まさに"美女と野獣"のようで、狼へ獣化していくウィルは、ローラを愛するがゆえに近付ける事が出来ません。  この映画は全編、ダークな色合いを基調とした映像がゴシック風の美しさを漂わせていて、オスカー受賞歴のある名手リック・ベイカーの特殊メイクが我々怪奇映画ファンを楽しませてくれます。  そして、この映画は名優ジャクニコルソンと、私の大好きな俳優ジェームズ・スペイダーの白熱した演技合戦がさすがに見応えがありましたし、現代の"お伽噺"としても、十分に楽しめる映画になっていたと思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-08-24 10:01:14)
40.  センチュリアン 《ネタバレ》 
この映画の監督は、「トラ! トラ! トラ!」「マンディンゴ」等のハリウッドの職人監督リチャード・フライシャー。 原作は、ロスアンゼルス警察の部長刑事ジョセフ・ウォンボー。 したがって、アメリカの警察活動を内部から的確に描き出している点でも、とても興味深い作品だ。  警察もの、刑事ものは、その活動の対象が、庶民的な犯罪、特に社会の底辺から生まれる、喧嘩、売春、麻薬、窃盗、不法入国といった、浜の真砂のような諸悪であり、それが貧困と人種問題とを温床としていることから、この映画のように社会性の強いドラマとなる。  この点、「ゴッドファーザー」は、犯罪閥と言えるマフィアの巨大悪の、優雅な豊かさを描いていて対照的と言える。 そして一方、これに立ち向かう警官自体も庶民であり、仕事一途であればあるほど、次第に家庭から遊離し、孤独化し、どうにもならない社会の壁の前に荒んでいく。  書かれた法律と生きた法との矛盾、そこに警官は、自らの法を打ち立てようとする。 この映画での老警官キルビンスキー(ジョージ・C・スコット)がそうであり、「ダーティ・ハリー」のハリー・キャラハン刑事がそうであった。 そして、西部劇に見る、保安官と同じ姿がそこに見られるのだ。  しかし、自らの正義感に生きたキルビンスキーも、退職後は、楽しみにしていた、フロリダの娘夫婦の家庭にも受け入れられず、虚脱の中に自殺する。  この映画が、西部の大都会を舞台にしていることは、非常に示唆的だ。 無法地帯で、法を執行しようとした、かつての西部の英雄の姿は、今日では、大都会のジャングルの中に消え去る、小さな悲劇としてしか描きようがないのだ。  貧民街での夫婦喧嘩をやめさせようとして、精神病の夫に、犬のように撃たれ、「こんな馬鹿な------」と呟やきながら死んでゆく警官ロイ(ステイシー・キーチ)。 その彼は、妻に去られて、黒人との新しい愛に希望を見出したばかりであった。  その彼を抱いて、階段の上から見下ろすヤジ馬に、「毛布ぐらい投げてくれよ!」と叫ぶ同僚のガス(スコット・ウィルソン)の姿から、アメリカ社会の底辺に挫折する警官の、もっていきようのない、空しい訴えが響いてくるようなラストだ。  尚、この映画の原題は、ローマ時代に治安を守った、百人衆からとったものだが、映画の中で、キルビンスキーがロイに、「ローマの最後の日までだよ」と、皮肉を込めて百人衆に言及するところに、本来の寓意があると思われますね。
[DVD(字幕)] 7点(2023-08-24 09:52:36)
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