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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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541.  フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ 《ネタバレ》 
男には実はアブノーマルな性癖が。というお話なのだが、 交際するか、するまいかのレベルで終始するので生温い。  おまけに勿体ぶった契約交渉を絡めるとか、ただただ鬱陶しい。  例えば直近の例として、黒沢清の『贖罪』第一話がサスペンスフルで 情動的なのは、ヒロインがそのような相手との結婚を選択し、 もはや後戻りが出来ない状況に身を置いてしまっているからである。  そうした切羽詰った状況の中でこそ引き立つだろう愛憎と葛藤が こちらにはまるで希薄だ。  高層階シーンや航空シーンと共に無駄に浮き上がり、舞い上がっている ただ甘ったるいだけの作品である。  
[映画館(字幕なし「原語」)] 3点(2015-04-12 23:58:22)
542.  シン・シティ 復讐の女神 《ネタバレ》 
終始、悶々としているばかりのジェシカ・アルバ。  その煩悶をタメてタメて、クライマックスに遂に決起するという 感情の高まり、復讐の劇としての任侠映画的カタルシスが欠けている。  延々とメリハリなく愁嘆にくれ続けた挙句、 単にドラマが終盤にきたから行動した、というだけにすぎない。  ワイヤー感まる出しのアクションも非大胆、非アクロバティックだ。   
[映画館(字幕なし「原語」)] 3点(2015-03-24 14:03:03)
543.  クローバー(2014) 《ネタバレ》 
本来はホラージャンルに強みを発揮する監督だろう。 睡眠薬を抽斗から取り出した夏菜が浮かべる表情などは絶妙だ。  ところどころで画面に風を吹かせたりもするし、 ヒロインも美しく撮ってはいるのだが、勿論それだけでは彼女は輝かない。 決定的に拙いのが、自堕落なまでの携帯端末の濫用である。  友人の結婚式場での会話中に至っても、そっちのけで端末画面に見入っている。 男も男で、両手で端末を抱えて公衆の中を歩きながら彼女と動画交信する有様だ。 マナーがどうこう以前に、映画の被写体として、「アイドル映画」のメインキャストの動作として間抜けでみっともなく、大いに幻滅させる。  ドラマ的にも、この通信機器によって簡単にコミュニケーションが取れてしまうのだから 遠距離恋愛など障害とはなりようがない。  案の定、男の海外への出発は飛び立つジェット機のショット一つと素っ気なく、 その後も延々とメールだ、動画だと惚気けたやり取りばかりしているのだから、 再会の感動もへったくれもないだろう。  この「小道具」は映画から人物間の距離を奪い、その間に生まれるエモーションを奪い、その距離を狭めようとする人間のアクションを奪う。  クライマックスの告白のなんと淡白で、なんとお行儀良いことか。 携帯機器を出さねば出さないで「リアルでない」と批判されるのを恐れるのなら、 まずは吉田康弘らを見習うがいい。 
[映画館(邦画)] 3点(2014-11-11 23:48:47)
544.  ノア 約束の舟
景観のショットは景観としてフィクスで抑えておけばよいのに、 CGには死角はないとばかりにあちらもこちらもとカメラが嬉々として飛び回る。 だから画面内の世界が小ぢんまりしたCG的箱庭スケールに堕してしまう。  合戦シーンの縦横無尽に「目移り」するカメラワークは、それだけで安っぽい。 CGをそのままCG的に提示してしまうセンスの無さは『ブラック・スワン』から まるで進歩がない。 自制を欠いたCG画面は単に無節操なだけの視点を生み、 無機質な物量に対する不感症を生む。 手作りミニチュアワークのほうが却って文化的な驚きと感動をもたらすだろう。  映画はただただ非映画的観念論議に明け暮れ、 また一方では虚仮威しの空虚なスペクタクルに堕する。  そして肝心な主人公一家の生活の細部は一向に描写されることはない。 労働でも娯楽でもいい、そうした暮らしぶりのディティールの積み重ねなくして 人間の描写はなかろうに。 そこから逃げている。     
[映画館(字幕なし「原語」)] 3点(2014-08-16 22:23:03)
545.  るろうに剣心 京都大火編 《ネタバレ》 
佐藤健と武井咲が別れを交わす水路沿いのシーン。 背後には加藤泰的な素晴らしい水路の美術がセットされているのに、 映画は二人の会話をひたすら平坦なクロースアップでしか捉えない。 もちろん、人物の背後はソフトフォーカスでぼやけている。 抱擁の瞬間に至っては、カメラはさらに寄って画面を占拠してしまう。ダサい。 せせらぎの照り返しとか、木々のざわめきとかの情景を以て語るという ことを知らない。敵方の「炎」と対比しての静かな「流水」でもあろうに。 ハリウッドシステムであろうクロースアップ偏重が あらゆるシーンで、せっかくの美術をむざむざ殺している。  前作に対するすぺるま氏の批判がそのまま通用してしまう。 つまり、まったく進歩がない。相変わらずの下手糞。  脚本を兼ねる監督は、台詞もロクに削れない。 「薬はお前が持っていけ」で十分に意図は通じるところを、 わざわざ「癒してやるのはお前の役目だ」と 気障な蛇足台詞を付け足さずにはいられない野暮。 このパターンの繰り返しである。ゆえにダラケる。  主人公の長広舌など論外だろう。 それでなくても、時代劇的に違和感満載だというのに。  派手なチャンバラも、寄って(編集で)切って、単なる派手に終始する。 
[映画館(邦画)] 3点(2014-08-08 14:21:47)
546.  地獄でなぜ悪い
どういった仕掛けでヤクザ達と自主映画チームを遭遇させ、それをどう演出するのかと、 ダラケた展開をとりあえずその興味だけで見ていると、これが面白くもなんともない。 これがこうなってこうなりましたというだけの、視覚的な感興のまるでない、 単なる辻褄合わせだ。  「映画の外道、映画の非道を生き抜きたい」(『非道に生きる』)と語る園監督に それを「映画的でない」と批判したところで詮無いだろうが、つまるところ 面白くなければそれまでだろう。  堤真一の芝居は煩わしく、クライマックスの乱闘がまた無駄に長く、飽きる。   
[映画館(邦画)] 3点(2013-11-10 23:45:22)
547.  パシフィック・リム
人間の動きをトレースするロボット。 その同調のモーションをどう視覚的な快楽として演出するか。 実写作品の手本なら『リアル・スティール』があるし、 操縦者二者がシンクロするカタルシスを如何に映画的に描写するかの手本なら 庵野秀明がコンテを担当したアニメ作品『エヴァンゲリオン』第9話がある。  いずれも、画面分割なりデフォルメなり高速度撮影なりの工夫を動員して 運動の同調が具体的な動画として描写として落とし込まれているからこそ、 あるいは見せたいアクション・見せたいショットからの逆算で 物語が設定されているからこそ、映画となっている。  この作品でのシンクロの設定は単に設定にすぎず、 動画(モーションピクチャー)として昇華されない。 二者が持続的な同一フレームの中で同じ動作をする。 それだけのことすらまるで出来ていないから一体感も連帯感も描写にならない。 単に見づらいだけのアクションシーンだ。  だから、中盤での伏線を残したままの凱旋シーン時点で、 まだ続くのかとうんざりする。人型ロボットである必然性皆無の海底シーン以降は ひたすら苦痛でしかない。  これでハリーハウゼンへの献辞とか、おこがましい。
[映画館(字幕なし「原語」)] 3点(2013-10-17 22:31:30)
548.  レ・ミゼラブル(2012)
舞台劇との差別化として「顔面」の映画が狙いであるのはよく判るし、 そのクロースアップに関するキネマ旬報の篠儀道子氏の 好意的な解釈も理解できるが、やはり長丁場での顔面づくしは 構図取り放棄の印象が強い。  アン・ハサウェイのソロの表情は、 確かに『裁かるゝジャンヌ』のように力強いものの、 その後は、それなりの美術を背景に人物の顔さえ配置して歌わせれば どう撮っても話は繋がる、とでも言うような安易な画面が続いて正直苦痛である。 あらすじを絵解きする以上の余裕がみられない。  エディ・レッドメインとアマンダ・セイフライドの柵越しのデュエットは まるで別撮りしたかのような単調な切り返し。 ラッセル・クロウの屋上シーンもまた暑苦しく単調な構図を幾度も反復する。  孤独な者たちがそれぞれ孤独を歌い上げるなら、 ただただ寄りすぎるカメラは映画話法的に逆効果となりはしないか。 大半の後景はソフトフォーカスで判然とさせず、 観客はこの顔面・この部分だけを見、この歌だけを聴けと強要される。  蜂起前の若者たちの合唱も一部の主要人物の顔面偏重で、 背景の「その他大勢」の顔などはまるでどうでも良い というようにぼかされている。  映画はその謳い上げるお題目とは裏腹に非民主的で、 観客に後景の美術やコスチュームや脇役の表情を楽しむ「自由」はまるで無い。  
[映画館(字幕なし「原語」)] 3点(2012-12-23 21:11:48)
549.  アフロ田中 《ネタバレ》 
『モテキ』の絶叫モノローグが使いどころとバリエーションを心得て より効果的に使われているのに対し、 その二番煎じのようなこちらは終始一本調子であり、 終いにはいい加減飽き飽きしてくる。  そして、あくまで森山未來のアクションやダンスによって映画を弾けさせる 『モテキ』に対してこちらは松田翔太の顔芸と奇怪な挙動と、 原作由来だろうダイアログのギャグ頼みだ。  それはやはりテレビの笑いに近く、映画の笑いとは云えない。  蓮實重彦の『バットマンビギンズ』評ではないが、 自動車で並走しながらの愛の告白という絶好の映画的シチュエーションをつくりながら、 そこに流れる風景を画面に収めて走行感を出す才もないために 情動が喚起されることもない。シーンを停滞させ失敗している。  佐々木希の演技が不十分ならそれこそダンスの見せ場でも作ればよいものを、 その知恵もなく、単にファッション着せ替えのモデルでしかない。  彼女に関しては、かろうじてラストの上段蹴りのショットが救いである。  
[DVD(邦画)] 3点(2012-12-16 23:33:22)
550.  北のカナリアたち 《ネタバレ》 
パズルの如く図式化しながら構成を練っている脚本現場が目に浮かぶようだ。  例えば、唐突に挿入される小池栄子の不倫のエピソードなどは、 恋愛のままならなさといったものを弁明するために安直に取ってつけている事が 見る傍から判ってしまう。 つまり、彼女は程よく込み入らせたストーリーの辻褄合わせの都合から 象られたキャラクターでしかなく、単なる説明の道具でしかない。 そのように頭でつくった露骨な作為が見えてしまうと、 当然ながらその人間味などは薄れ、 彼らの合唱も単に上手い歌でしかなくなってしまう。  様々な歩行や移動のアクションで何とかバリエーションをつけているものの、 吉永小百合と各生徒との再会をことごとくワンパターンな台詞とリアクションで 反復させてしまう芸の無さは救いようがない。  いかにも日本アカデミーあたりが撮影賞を与えそうな、 いかにもの絵葉書的景観ショット、 助演賞を与えそうな森山未來の吃音演技がまた打算的な感じが勝って心に響かない。 さらに、いかにも時宜にかなった優等生風のメッセージからして、 作品賞あたりも目論んでいるかも知れない。  
[映画館(邦画)] 3点(2012-11-26 06:34:25)
551.  009 RE:CYBORG
CGを介してアニメに近づいていく実写映画と、同様に実写に近づいていくアニメ。  本作における人物やメカニックの動作も照明と陰影のかけ方も、 いわゆるリアリズムが志向されており、アニメ的なデフォルメされたアクションや 構図は時折に差し挟まれるといった感が強く、 正直のところ(CG)アニメーションであることの必然性や戦略は見えづらい。  ビル爆破、核爆発、サイボーグの特殊能力といったCGスペクタクルも、 現在なら十分に実写画面に加工することが可能なわけで、 そこをあえてセルアニメーション風でやるからには、アニメならではの特性がもっと欲しい。  そして、作中の核爆発などが単に小奇麗な光とスピード感による スペクタキュラ―な見世物でしかないのはかなり気になる。 人間不在のカタストロフィでは何の感慨も起きようがない。  平和やら善やらを語りながら、そこに焼かれる人間の痛みも悲惨も まったく描けていないのは、CGアニメという手段の問題ではなく 視点と想像力の問題である。  記憶の操作に関するあからさまな説明台詞など、脚本も無駄が多い。 
[映画館(邦画)] 3点(2012-11-05 00:38:49)
552.  ボーン・レガシー 《ネタバレ》 
序盤、二階建てのレイチェル・ワイズ宅の外壁を身軽に登ったジェレミー・レナーが、 階上の採光窓を蹴破って二階廊下の侵入者を拳銃で狙撃する。  家屋の構造と空間を活かした、アクション映画らしきアクションは後にも先にもこの1ショットのみと云っていい。  それ以外は、前三部作を踏襲した高速カット割りがことごとく映画の運動を殺す。  マニラロケによる車線無視の乱雑なカーチェイスも頑張ってはいるのだが、 そこで終わりでは締まらない。 少しは徒手格闘の見せ場も無くては、敵暗殺者の脅威が際立たないだろうに。  何よりも、延々と続く近視眼的なアップの連続、その芸の無さが耐えがたい。 
[映画館(字幕)] 3点(2012-10-21 23:06:17)
553.  ハンガー・ゲーム
表情のアップを主体とする手持ちカメラは、 ヒロインの主観に寄り添うという趣旨なのだろう。  舞台上のインタビューのシーン、弓を引くシーンの接写では それなりに効果を見せるのだが、全般的に1ショットが極端に短く、 寄りすぎ且つ不安定で、とにかく見苦しい。  折角のジェニファー・ローレンスの魅力を削いでしまっている。  撮影監督トム・スターンであるにもかかわらず、 マスターショットの不足で場の状況の説明すら覚束ない始末である。  人工の猛獣の襲撃や、格闘場面などでは、カメラの振り回しすぎで 肝心の俳優のアクションも判然としない。  本来なら、森の中を人物が疾走するショットなどは アクション映画の格好の素材のはずなのだが。  語りも冗漫すぎる。この程度の内容で、143分は無い。 
[映画館(字幕)] 3点(2012-10-19 06:19:06)
554.  1911
大予算・大スケールの弊害も顕わにいわゆる「偉人」らのドラマに偏向し、「民衆」は戦争スペクタクルを構成するその他大勢としてしか表象されない。 よって、群像ドラマは散漫な印象しか残さず、なんらエモーションを呼び込まない。  建国における「歴史に残らなかった命の物語」という、どこかジョン・フォード的なモチーフを標榜するなら、皇太后を始めとする朝廷側の描写はもちろん、同盟会指導部の描写すら省いても全く差し障りなかったはず。  視点を黄興なり、革命軍一兵士なりに限定したほうが余程良かった。  画面構成はその深度においても視点においても、「民主的」とは程遠い。  序盤からジャッキー・チェンの中指を失わせ、アクションを封じておきながら、半端なサービスシーンを入れてしまう辺りも興醒めだ。  そもそも、アクションスターの宿命的なワンマン性と、歴史群像劇との相性が悪すぎるのではないか。
[映画館(字幕)] 3点(2011-12-12 23:32:58)
555.  探偵はBARにいる
大泉洋は最初の電話から声を荒げ、有薗芳記の死に逆上し、と激情型の傾向をことあるごとに示す。軽妙・寡黙型が真相に対してついに取り乱してこそクライマックスのエモーションが際立つのであって、ヒステリー型が、一本調子で泣き叫んだところで観る側は鼻白むばかりだ。 しかも、喜怒哀楽の心理をそのまま顔面に貼り付けすぎとくる。  映画自体も様々な無駄が多い。  雪原の中から登場する男、という開幕で引きこませるかわりに、その倒叙は中盤でのサスペンスを減殺してしまう。  開巻の思わせぶりなカットバックを始めとするスローモーションは単なる時間の引き延ばしに終わり、腕時計は伏線としても何らドラマと関連づかず、単にとってつけた印象だけを残す。 大泉が衝動的にススキノの街路を走る横移動は、中途半端に反復されるのでショットの強さとして突出してこない。  最も致命的なのは、松田龍平のボケに対する大泉のツッコミ台詞がことごとく映画を安いバラエティ番組の感覚に引き戻してしまうことだ。 
[映画館(邦画)] 3点(2011-10-09 21:11:50)
556.  シャンハイ(2010) 《ネタバレ》 
様々な形状のランプシェード、幻燈、ネオンサイン、暖炉、ヘッドライト。 あるいは、動乱の予兆ともいうべきマッチの発火に銃の発砲火炎と、暗闇に浮かぶ光の要素は数多いにも拘わらず、明暗のコントラストが際立たず、官能性にも欠ける。 結果として光も闇も共倒れの印象で、その辺りもラブロマンスとしての弱さの一因かも知れない。  ノワールなら、せめて濡れた路面への照り返しや、黒塗り車の艶光や、煙草の紫煙へのこだわりは欲しい。  ジョン・キューザックがコン・リーを尾行するシーンはほぼ起点と終点のみで、映画として肝心な経過の描写を欠き、上海駅ホームの群集シーンも同様に、追う・追われるのサスペンス醸成が拙い。  日本大使館前での暗殺シーンのカットバックも、クライマックスのショットガンの撃ち合いも編集が乱雑すぎる。  巷で騒がしい政治性論議などはどうでも良いとして、これでは乗れない。  
[映画館(字幕)] 3点(2011-09-30 22:51:50)
557.  神様のカルテ
宮崎あおいが写真家の設定であり、病院屋上で加賀まり子と看護スタッフの集合写真を撮る彼女を正面から捉えたショットがあるならば、それに対応した記念写真のショットは説話的にも映画的にももっと効果的に活かされるべきだった。 『半分の月がのぼる空』で忽那汐里の笑顔の写真を感動的に導入してみせた深川栄洋なら尚更だ。  キャラクターの職業設定がまるで活かされないため、彼女の映画的存在性はますます希薄となる。 それは彼女だけに留まらない。原田泰造、岡田義徳、そして本来なら現代版『赤ひげ』たるべき柄本明も同様である。  本作が医療のドラマとしても薄弱なのは、「処置」の具体的なアクションがまるで描かれないからだ。ひたすら善良で美談づくしの脚本であったとしても、医師・看護師の実働が具体的に画面に載っていればそれは十分に説得力を獲得する。 しかし、この映画では「緩和ケア」も「優れた資質」もほぼすべてが説明台詞のみで処理されてしまう。モニターチェック一辺倒の櫻井翔はもちろん、吉瀬美智子も池脇千鶴も労働らしき所作を全く行っていない。ゆえに絵空事感が増す。  夫婦間の家事労働も然り。にわか雨で洗濯物を取り込もうとするショットや、住人たちが調理する描写はわずかにあっても、何の料理を作っているかすら判然としない。 (せめて、櫻井のおにぎりを握るくらいの描写は欲しい。)  結果的にいずれのキャラクターも「生活者」としての実存性が非常に乏しく、空虚なファンタジーに堕している。  櫻井・宮崎の交わす文語体の台詞は、日本語自体の美しさの復権を試みたものだろうと好意的に解釈は出来る。 が、大林宣彦の『なごり雪』ほどの過激性もなく、役柄からさらに生活実感を失わせるだけの結果に終わっている。 
[映画館(邦画)] 3点(2011-09-18 18:23:32)
558.  SPACE BATTLESHIP ヤマト
設定の同時代的改変やら考証のおおらかさなどは、当然ながら映画としては欠陥でも何でもない。行動理由・動機・意義・目的を登場人物自身の台詞で易しく解説してしまう作風も従来の山崎作品通り、浪花節的な誇張芝居も照明の無頓着も相変わらずなら、落胆もしない。  売りであるVFXはどうか。主役たる戦艦のCGは単に精巧なメカニックとしてあるだけで状況説明に留まり、威風や雄姿や苦闘・悲壮を演出する工夫をことごとく欠く。技術だけで、見せ方の芸が無い。 爆撃機が空母から離艦する瞬間、重力で一瞬下に沈む。破損口から噴煙を引かせる。砲撃の威力を反動で表現する。旧作のそういった細部へのこだわりと確信的「嘘」が逆に絵に質量を与え、映画としてのリアルな感覚を実現していたことが理解できているのかどうか。  カウントダウンのさなか、敵機群が体当たりを仕掛けてくるのを艦を横転させて間一髪で回避しつつ、艦載機を収納しそのままワープに突入するという場面。最もケレン味溢れるべきアクションシーンの盛り上がりの無さ、淡白で平板なコンテに悲しくなる。黒木メイサの回収シーンも、爆煙からの登場シーンも然り。それこそ艦が「見得を切る」べき場面だろう。  時間と予算の制約の中でセットを組むのなら娯楽ルームではなく、機関室なり、ワッチ室なり、砲室なり、厨房なりの労働現場であって欲しい。前半の地下居住区で、『ターミネーター』の未来世界よろしく困窮した少年の姿を映すのなら尚更だ。艦内の労働の描写が圧倒的に不足しているから艦内実写と艦外CGを何度繋ごうが、結果として本来の主役である「艦」は生きてこない。  複雑な造型の宇宙戦艦が手書きトレースの丹念な動画によって生命感を得る、創意と気概溢れるオリジナルの感動はこの新作の映像からは得られない。    
[映画館(邦画)] 3点(2010-12-13 23:44:45)
559.  タイタンの戦い(2010)
序盤で、船上のペルセウスらがゼウス像を見上げ感嘆する場面がある。本来ならここに像の表情と威容を人間側からの仰角で捉えたショットが続くのが一般的だろうが、この映画は、なぜか天上から像の肩越しに船を俯瞰するショットを入れる。映画を最後まで見ていくと、どうやらこれは3Dの視覚効果だけに専心した結果の画面構成らしいことがわかる。つまり海面を背景に、画面手前にある像の頭部の立体感を強調するだけが目的の画面ということ。神々のドラマでもあるわけだから、こうしたいわゆる神の視点があっても良いわけだが、もちろんこれは視点の演出などではなくその場限りの立体感覚狙いでしかない。その立体感は、縦構図に様々に被写体を詰め込み配置することが必要なため、画面は逆に狭まり、スケール感を失っていく(一例:神々の集う広間の場面)。3Dありきの画面は縦移動を多用するが、これらは主人公の主観と一致するわけでもなく、心理の同化作用に至らない(例:硬貨の水切り、メドゥーサの落下)。『アバター』の高所感覚との大きな違いはここだろう。結果、ドラマと画面は同調せず随所で違和感すら生むこととなる。映画の低調なエモーションはこうした場当たり的3Dショット主義のみならず、もちろん作劇の怠慢にも起因する。オリジナルでは、荒れるペガサスを手懐けるまでの丁寧なストップモーションがあってこそクライマックスの疾駆と移動のシンクロが素晴らしい詩情を生むのだが、この映画はその辺りまるで理解がないらしい。猟師家族や、共闘する同志たちの人間関係描写もそうだが、これらは省略ではなく、単に欠落しているだけだ。
[映画館(字幕)] 3点(2010-05-02 16:46:58)
560.  斉木楠雄のΨ難 《ネタバレ》 
ボケて、突っ込んで、のモノローグ合戦(ヒロインの顔面アップVS主人公のバストショット) を延々と繰り返して本当にご苦労様である。  画面的にも、ダイアログ的にも、テレビ放送が妥当。  あえてチープさを狙っているとはいえ、文化祭が舞台なのだからもう少し音楽やダンスで画面を 祝祭的に彩ってもいいと思うが。  あえてやらないのだろうけども。
[映画館(邦画)] 2点(2017-10-28 16:04:29)
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