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641.  TIME/タイム
荒唐無稽な物語を殊更に正当化しようとせず、当然の事のように語りきること。  その設定を、安易な説明ではなくまず具体の行動の積み重ねにおいて描写していくこと。  有体に云えば、ここでのストーリーや世界観やSF的設定などは、タイムリミットと逃避行(つまり時間と運動)のアクションを乗せて運ぶためだけに必要とされるに過ぎない。  その「時間と運動」のイメージこそ映画の要であり、荒唐無稽に徹する事こそ映画の知性だ。 静的な腕同士のバトルやカードゲームではなく、ただ「時間内に」走ることの動態によって主題論が体現されていく。  相対、並行、逆走、落下、その無軌道と乱脈の疾走の勢いによって画面は活性化し続け、その男女の走りと画面の疾駆とクレイグ・アームストロングのスコアとの一体化がラストの抱擁のエモーションに結実する。  役者陣の顔の素晴らしさに加え、二つのゾーンの格差を、それぞれの人々の行動習性とスタイル、そして抑制的ながら個性を持つデザインスケープによって視覚的に際立たせていく等の手際もいい。  「シルヴィア」と「限られた時間を生きる男女」の映画史からラングの『暗黒街の弾痕』を想起された「映画研究塾」は絶対的に正しく、『俺たちに明日はない』の結末の記憶と共に、死を孕んだ映画のサスペンスを最後まで維持している。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-02-23 05:41:35)
642.  殺したのは誰だ
長廻しやクレーンショットと共に、深い奥行きで捉えられた四谷・銀座界隈のロケーションが生きている。  通行人を危うく轢きそうな勢いでストップする自動車のアクション、小林旭らの乗った自動車の後部座席から進行方向を捉えたヌーヴェル・ヴァーグ風ショットの瑞々しさも眼を瞠る。  菅井一郎と山根寿子が川端でかき氷を食べるシーンの背後に落ちる木漏れ日の繊細な揺れ。 そして渡辺美佐子を後部座席に乗せ菅井が運転する車のフロントガラスを雨滴が打ち始めるショットの何とも形容し難い叙情が素晴らしい。(そこに静かに流れてくる伊福部昭の音楽)  屋内シーンでも背景の窓外には街路の往来が映し出され、屋内の暗がりには屋外から入ってくる反射光や雨垂れの影などが常に揺れている。  いずれもキャメラマン姫田真佐久による、作為を感じさせない作為による光の見事さだ。  反逆光気味のいわゆる「レンブラント・ライティング」が創り出す人物の陰影の厚みもドラマの悲劇性に合致している。  また、居酒屋に住まう蠅、鼠、蜘蛛のインパクトや、ビリヤード場に出前を届けに来た少女が掛け金の札束を思わず覗きこんでしまうさりげないリアクションなど、わずかな登場シーンながら印象的な身振りを見せる端役の配置も豊かだ。 
[CS・衛星(邦画)] 8点(2012-02-20 22:39:14)
643.  見えざる敵
デビュー作ながら豊かな表情変化を見せるリリアン&ドロシー・ギッシュ姉妹が存分に魅力をふりまいている。  全く同じ衣装で風貌も身振りもよく似ているが、背丈と気性の微かな差異でしっかり二人の個性が演出されている。 (リリアン自伝によると、この当時グリフィス監督は青と赤のリボンで二人を区別したそうだが。)  特徴的な、ドアを介して隣り合う二部屋間のサスペンスがメインだ。 ストーブの煙突用穴から覗く、黒光りする拳銃のクロースアップ。寄り添い、怯えるギッシュ姉妹。  1巻ものながら、まさに「女優と拳銃さえあれば映画になる」好例である。  さらに、二人を救出に向かう自動車によるパラレルアクションが加わり、その途上に登場する旋回式ブリッジの仕掛けが救出劇の焦らしとして面白い。  また、妹ドロシーが恋人と語らう屋外ロケの輝くような光線や風、農園の緑の揺れもビリー・ビッツァーのキャメラが瑞々しく捉えている。  ラストの4人のショット。右手前で恋人のキスを受けるドロシーのお澄まし顔も可愛らしい。 
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2012-02-16 00:30:39)
644.  メトロポリス 完全復元版(1926)
2008年にアルゼンチンで発見された16ミリフィルムが本来あるべき各所に挿入され、従来の復元版よりも25分長い、最も原型に近いとされる150分バージョンである。 シーン追加によって物語の繋がりがスムーズとなり、逆に長さを感じないくらいだ。  マッドサイエンティストの狂気も、彼の亡き妻に関する数ショットの追加で格段に解りやすくなっている。 追加部分は16ミリコピーのため明瞭に判別出来るのだが、より大幅に復元されているのは、貯水タンクが破壊され地下都市に浸水してくるシーン以降のクライマックスだろう。 マリア(ブリギッテ・ヘルム)が警報機を渾身の力で操作するシーン。 労働者の子供たちを階上に避難誘導するも最上階を格子に阻まれ、フレーダー(グスタフ・フレードリヒ)が足場を伝ってよじ登り、懸命にこじ開け、再び最後尾のマリアのもとへ戻るシーン。 そして、その本物のマリアが地下労働者の暴徒に「魔女」と誤解され追われるシーンなどだ。  ラストの鐘楼での格闘も含め、いずれも主演の男女が身体を張って困難と苦闘する姿であり、この復元によってラストの大団円が従来版以上に感動的なものとなったことは確かだ。(群衆シーンでもあるため、映画のスペクタクル性もさらに増している。)  とりわけ、罪なきブリギッテ・ヘルムが暴徒に追いつめられるシーンは、『M』や『激怒』にも通じる極めてラング的モチーフが覗え、これも従来版とは大きく印象を異にする重要な部分と云えるだろう。  彼女に関する追加シーンの数々はその演技体験の過酷さをより伝えており、その健闘ぶりが映画の感動を新たにしてくれている。  
[DVD(字幕)] 10点(2012-02-15 18:31:21)
645.  キング・オブ・キングス(1927)
豪華絢爛の衣装と、宮殿をはじめとする壮大な美術セットが圧巻。 人間の群衆だけでなく、登場する動物群も猿、馬、豹、ロバ、山羊、牛、鳩と多彩な上、各種の特殊撮影も融合し、ワイドスクリーンのニコラス・レイ版と比べても遜色ない。  妖艶なマグダラのマリア(ジャクリーヌ・ローガン)に憑依している7つの悪霊を視覚化する多重露光の見事さや、イエス(H・B・ウォーナー)の死後にエルサレムを襲う天変地異のスペクタクル(暗雲と雷光、地割れと土埃)の迫力が素晴らしい。  イエス復活シーンで、天然色となる趣向も意表を衝く。カラーによる朝焼けのショットが鮮烈だ。  そして全編通してイエスに当てられる格別美しい光が印象深い。  その初登場シーンは盲目の子供の眼を癒すエピソード。子供の主観ショットである闇の画面に次第に光がもたらされる。 その中にイエスの顔が浮かび上がる。  彼の輪郭線を眩く輝かせる斜め背後からの強い光線が荘厳かつ幻想的だ。  
[DVD(字幕)] 8点(2012-02-15 07:49:16)
646.  腰弁頑張れ
3巻足らずの短編に意欲的に詰め込まれた技法、そして喜怒哀楽の感情の諸相。  表札や鍋やポートレート、蛇口の水滴はことごとく落下することで無声映画の中に音を創出し、対比的な夫婦像・つましい暮らしを示す靴底の穴・模型飛行機・交通事故・金銭といった成瀬流意匠の諸々も巧みにユーモアとペーソスを形づくる。  前半の背景でのどかな風情をみせていた電車が後半には不吉を呼び込み、また前半の子供の喧嘩や居留守中の押し入れ内でコミカルに使われた飛行機が、後半では抒情のアイテムへと変容する。  ショックシーンで用いられるクロースアップ、画面分割、ネガ反転にディストーション。 不意の短いフラッシュバックとして挿入される線香花火、入道雲のショット。 同じく、暗い病床と模型飛行機の滑空の叙情的なオーヴァーラップ。 または洗面器の中で溺れる蠅のショットの悲壮と抽象性。 病室での大胆な表現主義的ライティングによるノワールスタイル。その柔軟で果敢な試行が若々しい。  一方で、病室の息子と夫婦それぞれの顔に注がれる光明は成瀬50年代の絶頂期にも負けぬくらい繊細で美しい。 
[映画館(邦画)] 8点(2012-02-13 20:41:36)
647.  君と別れて
サイレントだが、割れる酒瓶・波打つ岩場・空き缶蹴りといった音を意識させるショットに溢れている。  蓄音機からの音楽に合わせて乱痴気騒ぎをしている部屋と、別室での静かな乱闘のカットバックも効果的に決まっている。  若い二人の乗る列車の揺れはゆるやかなリズムを感じさせ、波間に被さる字幕の音感は、昂ぶる情緒を一段とかきたてる。 それから、前半に登場する橋や、照菊(水久保澄子)の故郷である港町の坂の情景がそれぞれ素晴らしい。  絶妙の高低感を醸すカメラアングルで捉えられた段々の斜面。 その坂道の途中ですれ違う人々(ヨーヨーに夢中になる大人、ままごと遊びに興じる子供たち、子守りに勤しむ娘、花嫁など等)の点描も風俗描写に留まることなく画面を豊かに彩る。  そして要であるヒロインの健気な魅力。 橋の場面で見せる水久保澄子の振り向きと真っ直ぐな眼差しがひたすら美しい。  いつか『チョコレートガール』を見れることを祈る。
[CS・衛星(邦画)] 10点(2012-02-13 20:28:57)
648.  生さぬ仲(1932)
岡田嘉子宅の洋間や、デパートのエレベーターにおいて無情に閉じられるドアが彼女の頑なさを物語る。 そのドア越し、窓越しに交わされる視線と叫びは、サイレントゆえに視覚から響いてくる。  当時のマイブームらしい、人物への度重なるトラックアップも実に雄弁である。 特に、岡田嘉子と対峙し正面からその視線を受け止める筑波雪子の凛とした表情へ寄るショット。そこから彼女の手を強く握りしめる小島寿子の手のショットへ。 その繋ぎの切迫したリズムがいい。  一方では、原っぱで筑波雪子の立ち居から腰を下ろす動作の繊細なカット繋ぎの自然な美しさが眼を瞠らせる。  その繋ぎで女優の一動作の美をさらに引き立ててしまう。まさに映画美。  シーンの繋ぎでは、ライターと煙草を介した場面転換に工夫が凝らされており、物語を巧みに紡いでいる。 
[映画館(邦画)] 8点(2012-02-12 20:09:41)
649.  婚前特急
「感情移入」なんてものを受け付けないスクリューボール(=常軌を逸した変人)的主人公を演じる浜野謙太の風貌とズレた台詞がいい。  一般性と特殊性が綯い交ぜとなったユニークなキャラクター造形だ。  拘置室の「壁」を挟んだ男女間の闘争は、スクリューボールコメディ(SC)第一号『或る夜の出来事』の「エリコの壁」の変奏とも云えよう。 それも最終的には恋愛の成就(女性の勝利)に帰着する点や、具体的恋愛表現をほとんど短いキスだけに留めている自主検閲的側面なども伝統的SCの王道を踏襲している。  四人が囲む会食シーンや、浜野のアパートでの取っ組み合いシーンを始めとする然るべき長廻しは、場の空気の変容を捉えるための然るべき個所で的確な構図とともに用いられており、巧みだ。  どこかアドリブ感も感じさせる吉高由里子の豊かな芝居も楽しい。 忍び込んだ浜野のアパートで大慌てする様などは最高だ。 
[DVD(邦画)] 7点(2012-02-11 18:02:37)
650.  素晴しい哉人生 《ネタバレ》 
冒頭部分に映し出されるベルリン市内のポーランド避難民の点描は、ほぼドキュメンタリーと見てよいだろう。  劇映画部分も含めて、第一次世界大戦後の荒廃で痩せこけ飢えた人々の眼の生々しさが強烈だ。それがフィルムのクライマックスとなるクロスカットのサスペンスにも活かされることとなる。  前半は、戦争後遺症と窮乏生活の苦難の描写。ヒロイン:キャロル・デンプスターが肉屋に行列するも、その間にボードに書かれた価格は釣り上がっていく、そのカットバックが切ない。  また、彼女が病床の恋人ニール・ハミルトンを気遣い、自身の両頬に詰め物をして栄養不良を隠すいじらしい仕草はまさしくグリフィス的で胸を打つ。  後半は一転、晴れやかなシーンが続いてゆく。 恋人の建てた一軒家の新居をみて嬉しさのあまり家の周りをはしゃぎ回るC・デンプスター。全身で喜びを表現する彼女の姿が感動的だ。 たっぷりのポテトや卵やレバーソーセージによる会食シーンと、それに続くダンスシーンの賑やかな幸福感と躍動感もまた素晴らしい。  そして、飢えた浮浪者たちから逃げる月夜の森のアクションシーンに高まる切迫感。 さらに月光が照らす岸辺のツーショットの静かな美しさ。後日談の大団円の晴れやかさ。  全編にわたって忘れ難いショットが連続する。  一般的にはリリアン・ギッシュとの最後のコンビ作『嵐の孤児』までが全盛期とされるグリフィスだが、その純粋な生命賛歌と具体的画面の映画美において本作も決して引けを取らない。 
[DVD(字幕なし「原語」)] 10点(2012-02-11 17:56:08)
651.  チャールストン
球形の飛行船や類人猿の登場もユニークなルノワール唯一のSF映画、というよりほとんどダンス映画であり、何といっても大股開きで当時流行のチャールストンを踊る娘カトリーヌ・ヘスリングの奔放なエロティシズムにつきる。  女性のダンスは最初期の映画から登場する原理的かつプリミティブな題材であり、 本作の彼女はエジソンのキネトスコープに登場する『Serpentine Dance』(1895)のごとき振り付けで身体をくねらせ、脚を跳ね上げるのだが、より大胆な衣裳と野性的な動きがとにかく強烈だ。  球体から降りてきたジョニー・ヒギンスを尻餅つきながら興味深々に追いかけ回す彼女の動きがコミカルで楽しい。  やがて踊りによって意思疎通出来た二人のダンスセッションとなる。その即興感覚もルノワール的といえるだろう。  二人のダンスシーンに用いられるスローモーションとコマ落としもまた躍動感とリズムとエロティシズムを相乗させていい味を出している。  大らかな動きの楽しさに溢れた17分間だ。 
[DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2012-02-07 20:56:39)
652.  ALWAYS 三丁目の夕日‘64
例によってあれもこれもとエピソードを詰め込んでいるのだが、出産も独り立ちも嫁入りもその型通りな展開がある程度中途から見越せてしまう以上、台詞やアクションを介してリズミカルにシーンを繋いでいくような岡本的あるいは成瀬的な場面転換の工夫が欲しい。 二家族のエピソードの交互羅列は、先読みが容易なだけに尚更映画を冗長にしてしまっているが、反面、3Dカメラの機動性の悪さも幸いしてか2作目のような欠点も目立たず、ロングテイク中心に芝居や列車の情景などをじっくり撮るフィクスショット主体の落ち着いた撮影が安定感を醸している。  そして、シリーズに一貫している接触と授受の演出も控えめながらいい。 堀北真希の左腕を看る森山未來。彼の鼻血のついたチリ紙を厭わず握りしめる堀北の細やかな動作に垣間見せる人間性。 縁側で堤真一の左腕に手を重ね、嫁ぐ堀北の首にネックレスを掛けてやる薬師丸ひろ子の柔和な魅力。 小清水一輝の頭をたびたび小突く堤真一の不器用ぶり。 須賀健太の胸ポケットに万年筆を差し込む吉岡秀隆の仕草。  同じく作品では仰ぎ見ることが貫かれる。  空を見上げる人々の表情の記念写真風ショットもやはりシリーズのトレードマークとして清々しい。 
[映画館(邦画)] 6点(2012-02-06 17:11:41)
653.  ロボジー
レンズ越しの主観ショットが様々に変奏される。 まずは序盤で老人会の劇を撮るホームヴィデオカメラの慌てた揺れが醸し出すユーモア。手振れ画面というものを映画に活かすなら、こうあって欲しい。 ロボット頭部内でレンズの焦点調整するショットのチープな感覚の楽しさ、 盗撮の望遠カメラが捉える五十嵐信次郎の佇まいの孤独感もいい。 (窃視によることが、いっそう素の人間性を感じさせる。)  おてもやんを踊り、ぎっくり腰で担架に乗せられ、工作アームに振り回されるロボットの可笑しさはいかにも矢口印だが、被り物による外見が内部を想像させるという点を見事に笑いに活かしている。つまり、見えないことが映画的強みとなっている。 「歩行」のアクションひとつで人間味を醸し出すことにも繋がっており、その成果も上々だ。  そして、吉高由里子と五十嵐信次郎との間に交わされる手と手の接触がチャップリン『街の灯』の感動を淡く呼び覚ましてくれる。  バンと並走しながら、投げキスする吉高由里子のコメディエンヌぶりも楽しい。  
[映画館(邦画)] 8点(2012-02-05 16:40:18)
654.  カルテット! 《ネタバレ》 
同日に催されることとなる、将来を賭けたデビューコンサートと家族のコンサートとの挟間で引き裂かれる青年のドラマとなれば、古典『ジャズ・シンガー』(1927)まで遡る音楽ものの定番的なプロットである。  その『ジャズ・シンガー』の潔いラストと比べて、演奏シーンにフラッシュバックを俗に絡め、舞台上の家族の笑顔と観客席の拍手であまりにも型通りに締めて良しとする安易で、くどく、大甘で、観客に媚びたラストは、『スイングガールズ』や『フラガール』以降の退行的慣例とも云えよう。  浦安市のドラマでもあるこの映画、ロケーションの選び方も、エキストラの用い方もどこか画一的・排他的で街の印象が非常に薄い。震災直後のクランクインでありながら、被災の光景を復興と再生のドラマにリンクさせないのも官僚的で勿体無い。   良かったのは、コンサート会場にやってきた高杉真宙のかじかんだ手を鶴田真由と剛力彩芽が両側からさすって温めてあげるショット。そしてその間、細川茂樹が間をもたすために壇上で語る昔話のシーンで、湖を飛び立つ白鳥を捉えるショットの美しさだ。 
[映画館(邦画)] 4点(2012-01-27 17:10:15)
655.  ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル
オープニングの刑務所のシークエンスから、ほぼ無言のまま身振り手振りのパフォーマンスによって芝居を見せていくトム・クルーズ。  大男との鉢合わせや、消滅しない電話ボックス、『ボーン』シリーズ的な雑踏の中での衣類調達、落下前に準備運動するジェレミー・レナーなど、専ら視覚でみせるリアクションギャグのさりげなさが全篇にわたって冴えている。  あるいは、建築物の構造と特徴から逆算でアクションを設計していく資質。その活劇志向と空間把握は、やはりアニメーション的思考の特有性から来るものだろう。  高層ビルの駆け下りやアイデアを凝らした立体駐車場での格闘とギミックの過剰さは、バスター・キートンやジャッキー・チェンのスラップスティックばかりでなくどこかアニメーション映画『カリオストロの城』の伸びやかな疾走ー跳躍アクションや時計塔の舞台装置すら髣髴させて感動的だ。  近年とみに目覚しい米国アニメーション映画の充実ぶり。 その絵作り感覚がアメリカ映画全体の底上げに大きく寄与している感すらある。  開巻からクライマックスまで、ひたすら重力と落下への偏執が貫かれる本作は文字通り「宙吊り」=サスペンスの活劇といえる。  裏通りの路地を歩いてくるコートの女はまさしく『スティング』だ。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-01-07 20:13:54)
656.  マッチ売りの少女(1928)
アンデルセン童話を原作とする詩的な題材と、ルノワール流リアリズムの融合。  そのフィルモグラフィーの中でも最も詩情豊かなフィルムかと思う。  夜の街のミニチュア、多重露出、逆回転、スローモーションと、ふんだんなトリック撮影が作り出す目眩めく夢幻的イメージが、手工業的テクニックの温かみと相俟って味わい深い。 とりわけ、雲海を駆ける馬同士のチェイスの荒々しい迫力は圧倒的で素晴らしい。  白黒のコントラストの強いVTR版ではパンクロフィルムの効果をあまり確認出来ないが、雪の白の鮮やかさやカトリーヌ・エスランのクロースアップの魅力を十分伝えていると共に、逆に童話の挿絵のような効果を醸していてこれもまた情緒がある。  夜明けのエンディングは、遺作『小劇場』の一挿話とも響き合って感慨深い。 
[DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2012-01-04 21:08:02)
657.  聯合艦隊司令長官 山本五十六―太平洋戦争70年目の真実―
硬直した静の画面が多くならざるを得ない題材に対し、作り手は食事のアクションを以って画面に動感を呼び込もうとする。 鰯、西瓜、汁粉、水饅頭、カレイの煮つけ、干柿、干芋、茶漬け、ウイスキー。 それらを美味そうに食べる役所広司の表情が一種の人柄描写としても機能している。  あるいは、艦橋や作戦室との対比として演出されただろう新聞社のセットの活気と雑然感もいい。  短期間での度重なる首相交代、大本営発表に迎合するマスメディア、景気浮揚の為なら必要悪も歓迎する庶民、ラストの瓦礫の街のイメージなどは2011年の現代時評となっている。  しかしドラマは概して役者の表情演技に偏重しすぎであり、特に香川照之のエキセントリックな芝居などは噴飯ものだ。これにOKを出す監督とは何なのか。  そして山本=悲運の平和主義者的スタンスも、私人としての「人間性」に重点を置くスタイルも、過去の映画・ドラマで既出であり「70年目の真実」と呼ぶべき新鮮味は何も無い。 ヒトラーの著書を引き合いに、「大元をたどれ」という割には日中戦争無視も相変わらずであり、昭和戦争史としても山本の人物史としても肝心部分が不備だ。  新たな視点というなら、せめて海軍航空隊による上海その他への無差別爆撃くらいは言及したらどうなのか。 「(勝てない対米)開戦に反対」し、(勝てると誤算した)対中国戦争には積極的に加担する。  その両面を描かなければ山本の「合理的思考」なるものや人間性は正確には伝わらない。 山本=反戦・平和主義といった誤解を相も変わらず助長させていくこととなる。  清濁・正邪・賢愚を出来る限り多面的に取捨していかななければ、「人間描写」とはいえまい。愛人関係まで描いたテレビドラマ版よりも劣るとは、それでも映画か。  真珠湾の宣戦布告・ミッドウェイの換装問題に対する弁明的脚本も実にせこく嫌らしい。 
[映画館(邦画)] 4点(2011-12-30 21:46:34)
658.  東京のヒロイン 《ネタバレ》 
劇伴音楽ではなく、流しのバイオリン弾きや轟由起子のピアノ演奏によるミュージカル演出。 森雅之と轟がデートする川沿いの公園からクレーンアップし、東京の夜景を俯瞰するカメラワーク。 バーの前の歩道でクリーニング店の配達員や潮万太郎が繰り広げるサイレント風&スラップスティック演出。 さらには横文字の看板があふれる街路の風情と、全篇に溢れるルネ・クレール風の洒落た味わいが楽しい。  会いたくないときには鉢合わせ、会いたいときにはすれ違いの連続の二人。そんな二人を取り持つのが「座席に置かれたハンチング」と花束という粋。  劇場でのすれ違いのカッティングや、写真や手紙のエピソード等はもっと工夫が欲しいところだが、潮万太郎のコメディ・パートはそれを帳消しにするくらい笑わせてくれる。  そして、香川京子が何度か披露するバレエのお辞儀(レヴェランス)も爽やかで可愛らしい。  菅井一郎のバーテンが、彼女に作ってあげたのはレモンスカッシュだろうか。 
[映画館(邦画)] 7点(2011-12-18 20:34:59)
659.  1911
大予算・大スケールの弊害も顕わにいわゆる「偉人」らのドラマに偏向し、「民衆」は戦争スペクタクルを構成するその他大勢としてしか表象されない。 よって、群像ドラマは散漫な印象しか残さず、なんらエモーションを呼び込まない。  建国における「歴史に残らなかった命の物語」という、どこかジョン・フォード的なモチーフを標榜するなら、皇太后を始めとする朝廷側の描写はもちろん、同盟会指導部の描写すら省いても全く差し障りなかったはず。  視点を黄興なり、革命軍一兵士なりに限定したほうが余程良かった。  画面構成はその深度においても視点においても、「民主的」とは程遠い。  序盤からジャッキー・チェンの中指を失わせ、アクションを封じておきながら、半端なサービスシーンを入れてしまう辺りも興醒めだ。  そもそも、アクションスターの宿命的なワンマン性と、歴史群像劇との相性が悪すぎるのではないか。
[映画館(字幕)] 3点(2011-12-13 21:28:34)
660.  フェア・ゲーム(2010)
友人達とのホーム・パーティシーンで白熱する政治論議。 マスメディアのサダム・フセイン悪玉論を得意げに受け売りする友人を、ショーン・ペンが一喝する。そのフセイン像は自身が実際に見聞した真実の姿なのか、と。 例えば、実際の現場を直接見てもおらずに『ユナイテッド93』の顛末を(「大本営発表」を以って)既に「知っている」つもりの少なくない観客にとっては耳が痛い台詞だろう。  CIAエージェントとしての身分を暴露され絶望するナオミ・ワッツを説得するシーンと共に、俳優ショーン・ペン本人の義憤が直裁に伝わってくるような響きの台詞であり、メソッド演技である。  パパラッチとの確執。国家と個人。いずれもショーン・ペン的なモチーフであり、役者の個性と、実録としての強みとの相乗効果がまず何よりも映画の推進力だ。  劇中のホワイトハウスは曇天にくすんでいる。  今後いくつの「イラク後遺症映画」が作られていくことになるのか。 
[映画館(字幕)] 6点(2011-12-10 23:01:54)
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