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まぶぜたろうさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 178
性別 男性
ホームページ http://ameblo.jp/mabuse-tarou/
自己紹介 人にはそれぞれ言い分があるのです 。

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61.  LOVERS 《ネタバレ》 
美しい風景と衣装を用意したスペクタクルな空間をロングショットで捉え、あとはアップの切り返し、その連続という演出には、「HERO」もそうであったが、相当辟易する。■ただ「HERO」のように肩に力が入っていないせいか、例えば竹藪のアクションシーンなど、結構、面白く、CGと実写がなじんでいない安っぽさも含めて、いい意味でBアクションの面白さは堪能できる。ただ、やはりチャン・イーモウはメロドラマの撮れない人なのだとつくづく思う。■とりわけ、クライマックスに至るチャン・ツィイーの逡巡を、美しい風景の中に佇むツィイーのロングショット、というフォトジェニックな瞬間にしか切り取れず、さらに金城武のもとに駆け出す姿を、ジャンプカットによってでしか演出できなかったのは、まさに致命的。■さらに、金城の単調な演技にもよるのだろうが、彼がツィイーに恋しているのかどうかよくわからない、わからせないのも、どうなの?■と、はっきり駄目な映画、美しい風景だけの絵はがき映画、なのだけれど、ただ、ただ、チャン・ツィイーが素晴らしい。■彼女がこの映画の中で唯一ドラマを演じる。憎む、恋する、迷う、喜ぶ、…様々な複雑な想いが、その美しい表情に交錯し、宙を舞い、そして雪の上にすっくと立ち上がる。それだけで充分。彼女だけで充分「映画」。もう何もいらぬ、オッケー。
10点(2004-09-06 15:41:45)
62.  赤目四十八瀧心中未遂
主人公の青年はただの負け犬で、自分では「死ぬ為に生きてる」などと呟いてはいるが、実はなんとか生きることの口実をつけようとしてるだけのように見える。もちろん映画はこの男をヒーロー然と描こうとはしない。その事務的な毎日を綴るだけだ。そして彼の前に現れる奇妙な人々もまた、なんら象徴的な意味を帯びてはいず、ただ彼のつまらない日常を通り過ぎていく。この前半は、何というか、臓物を串に刺すそのリズムが妙に心地よいように、ただただ面白い。■そして後半、登場する女は、何というか、まとわりつく「死」を一生懸命振り払って、一生懸命生きていこうとする女だ。なにしろ、彼女と「くりそつ」な兄貴は暴力と死に満ちているし、愛人は「刺しちがえる覚悟」で仕事をしているのだから。■このような男と女の「死」への道行きがはじまる。その齟齬から生じる可笑しさと幻想、対比がうみだす「生」の素晴らしさ。■しかし彼女は悟る。「あんたはあかんな」と呟くとき、彼女はすべてを悟ったのだ。この男が「死」に憧れつつも常に「生」の側におり、自分は常に「死」の側にいるのだということを。いくら懸命に振り払っても「死」は自分につきまとっているのだと。自らの存在が「死」をよびこんでいるのだと。それでも生きていこうとする寺島が素晴らしい。■そして男もまた気づく。自分は死ぬことも生きることもできない負け犬であることを。「死の中だからこその悦楽」も「生」もまたただの幻想に過ぎなかったことを。女が生の証として与えたパンティーはなく、自分が社会不適応者だと告知してある明解さんだけが手元に残る。実は少年時代に知っていたはずなのに。彼は美しい蝶をつかまえることはできない。それは悲しく、そして実に可笑しい。合掌。
10点(2004-08-22 10:16:54)(良:4票)
63.  チルソクの夏 《ネタバレ》 
「今、韓国は戒厳令だから、夜は外出が禁止されている」はずなのに、一目惚れした日本人に会いに来る韓国男子。説明セリフが全編にわたるシナリオ技術の稚拙を如実に示していることはともかく、このシーンが酷いのは、韓国の時代状況といった大きな問題を「恋愛の障害」レベルに陳腐化、矮小化していること。■あるいは、主人公の少女とその父親が和解するシーン。両者の和解を見守る母親の演技が、全編にわたる演出技術の稚拙を如実に示していることはともかく、問題なのは、父親世代が抱く韓国への偏見と差別が、父親の唄によって、すべてチャラになってしまうこと。日本にありがちな偏見を通り一遍に描き、「唄」という叙情で解決を与える、それで事足りるとする姿勢。■つまり、日韓が抱える様々な問題を「恋愛」劇の中に矮小化すること。あるいは、陳腐な恋愛劇に型どおりの「問題意識」を与えること。その根底にあるのは、例えば戒厳令下の街を肌もあらわな敵性国家の女子高生が駆け回る、この設定に代表される無神経と知性の欠如、「こんなもんでいいんじゃん」という映画へのなめきった態度。■そのあげくの結論が、今時の中学生でも言わないであろう「戦争を知らない我々の世代は仲良くしようね」、そして「なごり雪」がすべての問題を甘く甘くオブラートに包みこむ。■ようするにとことん頭が悪いのだ。だから、こんなになめた映画を作れるのだろう。もしかしたら「俺たちいい映画を創ったよね」くらいのことを思ってるのかもしれない。その夜郎自大ぶり、その頭の悪さに反吐が出る。
0点(2004-08-22 10:12:11)
64.  アメリカン・パイ3:ウェディング大作戦
主役が落ち着いちゃったためドラマが構成しにくくなり、脇であったスティフラーが主役となった、そのための違和感はある。しかし、ドラマをかき回すだけの存在であった傍役を見事に主役に据え、結婚式に向かって盛り上げ、細かいネタを積み重ねる力量は、前二作以上ではないかと思う。「チョコレート」「変態バチェラパーティー」なんぞ、ああ、これぞスクリューボールコメディ、よくできたシナリオを見事に演出すること、それを観る幸せ。さらに高校時代から結婚まで、ノスタルジックな感慨に耽るというアメ・パイならではの感動も健在。個人的には、アリソン・ハニガンの天然ぼけをもっと強調して欲しかったのだけど、ひとまず、ほんとに良かった良かった。こいつら成長したなぁ、って思わせてくれるシリーズなんて、そうないすよ。涙涙。 ……でも、映画館で観たかった…。
10点(2004-06-27 00:23:12)(良:1票)
65.  ヒューマン・キャッチャー/JEEPERS CREEPERS 2
殺すか殺されるか、のみに絞ったシナリオがよい。一本の道路とバス、野原だけで勝負しようという志がよい。前作で弱点だった、モンスターがあんまり強くない、ってことを逆にネタとしているのがよい。フィックス主体の古典的な演出も悪くない。ラストもいい、こうでないとな、という気がする。■もちろん、今のアメリカ映画だから、このカットはもっとロングでないと位置関係わかんないじゃん、とか、そこは視点を固定しないと…、とか、不満はいろいろあるが、そんな不満もひっくるめて実に楽しい楽しい映画でした。頭の悪い「トレマーズ」といった感じだが、その頭の悪さも見事なバランス。ああ、ほんと命の洗濯をした。あんまり人が入ってなさそーなのと、点数が良くないんで、満点をつけちゃいます。
10点(2004-05-24 22:21:35)(良:1票)
66.  ビッグ・フィッシュ
「自分が死ぬ瞬間」を伏線に、様々なほら話(と現実)が見事に連携しクライマックスに進んでいく。うまいなぁ~、と思いながら泣きじゃくりはじめ…と、思いっきりこの映画を堪能しました。■しかし、野暮を承知で文句を言えば…。父と子の断絶、「傍役」でしかない奇形者たち、愛してもらうことを生涯待ち続けた女性、その決着を「ファンタジー」で終わらせていいのだろうか? 「主役の死」を「素晴らしい人生だったね」と手放しで悼むことが出来るのだろうか? ■恋人を奪われた元婚約者に対する悪意が、いかにもティム・バートンらしいが故にこそ、「ファンタジー」が現実となる葬式のシーンには違和感を覚える。ユアン・マクレガーの無邪気な「いい奴」ぶりを悪意で塗り固めること、それがバートンなのではないか? 「バットマン」の作家が、ほんとーに、これでいいわけ? ■(追記)と、書いていたのだけど、やはりどうも違和感がある。6点という中途半端な点は、ティム・バートンに対し不実だと思い直し、正々堂々と0点をつけることにしました。それは、やはりラストシーンの「主役」の「いい人生」ぶりが、あまりに嘘で、いい加減で、不誠実で、卑怯で、ハリウッド的に過ぎると感じるから。この映画に泣いちゃいかんよ→私。
0点(2004-05-23 19:35:53)(良:1票)
67.  真珠の耳飾りの少女
貧乏な家の少女がある芸術家の家に奉公に出る。その出自故、差別され、いびられはするが、やがて、その芸術家に才能を見いだされる。そんな二人に嫉妬し、周囲の目はさらに厳しくなるのだが…。■というわけで、この映画、実に真っ当なメロドラマ、昼メロ、通俗、大映テレビでキョンキョンがピアノ引いてたの、「エースをねらえ」、なのだが、この演出家はどうも妙な野心があって、ゲージツに仕立て上げようと、すかした演出を施します。■そのあげく、物語の細部はよくわかんないし、泣かせどころとおぼしきシーンでも泣けないし、かといって芸術映画になるには、その才能も技量もない上、ゴダールの「パッション」を一度でも見ていたら、こんな演出しないよなぁ、こんな映画恥ずかしくて撮れないよなぁ、と「映画」センスも皆無。■と、実に中途半端な映画なのだが、お話は通俗メロドラマなので私はとても楽しめた。プロデューサー、あるいは脚本家は、こーゆーチンピラ監督に演出を頼むのではなく、増村保造、川島雄三あたりに演出を依頼すべきで、あ、亡くなってるか、じゃ、極東のアルチザン、澤井信一郎に演出させるべきなのだ、こーゆーのは、きっと。
1点(2004-05-17 22:45:33)
68.  殺人の追憶
この映画が描く当時、韓国は軍政下にあり、夜間は灯火管制が敷かれている。ある時間がくると村内放送が流れ、家々は戸口を閉ざし灯りを消しはじめる。映画の冒頭近くにおかれたこのシーンが、半ば過ぎに再び繰り返される。犯人が女性を襲うとき、この放送が流れるのだ。助けを呼ぶ声はスピーカーからの放送にかき消され、人々は家の中に入り、次々と明かりが消えていく。 ■時代背景の説明として登場した記号がサスペンスへと変容し、さらに、このような猟奇的な事件を招いた時代への批判としても機能しはじめる。ある物事の意味が変容し、重層的な視点、「歴史」という巨大な視点を獲得することの素晴らしさ。その緻密なる構成。■しかも驚くのは、この作品の犯人像である。未解決の事件だから、当然、その犯人がわかるわけがなく、またサイコサンスペンスにありがちなプロファイリングなる手段が犯人像を類推するわけでもない。何しろ未解決なのだ。犯人はまったくわからない未知の存在、ただその異常性だけが次々に暴かれていく。この犯人は人間ではなく、超常的な存在、悪意に満ちた幽霊なのではないか。「羊たちの沈黙」の「蛾」がまるで怖くなく、「桃」が滅茶苦茶に怖いのはそのためだ。「こんな事件、ソウルにもあったか?」という台詞は素晴らしく恐ろしい。■未解決事件の犯人は怖い、これはサイコサスペンスものの新たな発明だと思う。■そしてラスト。主人公の刑事が、20年という時を経て、映画の冒頭と同じ仕草を演じる。それは刑事が歩んだ歴史の重さを感じさせると共に、改めて、事件の神秘性、不可思議性をさらに高める。私たち観客は宙づりにされたまま、新たな謎と恐怖に陥れられる。■さらに私たちはファーストカットに登場した「少年」の意味に気づかされる。少年のアップからクレーンアップして展開される広い世界。そこは謎と狂気に満ちており、混沌とした世界と歴史の中を、犯人を捕らえることの出来なかった刑事とバッタを捕まえることのできたこの少年が、共に生きてきたことに気づくのだ。単なる猟奇殺人事件が、韓国が背負ってきた歴史と現在という重厚な意味を持つのはこの時だ。私たち日本人は、ただ息をのみ、ただ圧倒されるばかりである。この作品は韓国で大ヒットをしたという。日本からの答えが「踊る大捜査線」と「チルソクの夏」ではあまりに情けなくはないか。
10点(2004-05-07 13:16:44)(良:6票)
69.  エレファント
ガス・ヴァン・サントは名前を与える。ただしそれは恣意的なものであって、特別に選択された人間ではない。この映画が名前を与えた以外にも多くの人間が存在し、多くのごく普通の日常がある。いつもの空。いつもの背中とゲームの背中。いくつもの日常が積み重なった、その時間の交錯。ある(美しい?)日常の瞬間をスローモーションで描くこと。フレームにおさまった「親」と「教師」。名前を与えられている唯一の黒人。ヒトラーの背景に訪れる宅配業者。……。日常を切り取る、という戦略がこの映画にはいっぱいで、はっきりいって、うざい。戦略(あるいは思いつき)に沿って、愚直に、一生懸命演出した、その努力と力量には敬意を表するが、それにつきあうのは、ちょっと恥ずかしい。もっと気合い入れて真っ正面からいかんかい、とも思うし、そもそも、日常を描く、なんてことが映画に出来るのか?
0点(2004-04-27 00:06:15)(良:1票)
70.  テキサス・チェーンソー
わけわかんない人々に監禁され、もしかしたら、というか絶対に殺されてしまう、私は死に向かって緩やかに進んでいく、というのを描くと恐怖映画になります。で、わけわかんない人々から逃げるためにあれこれ画策したり、追い回されたりするのはサスペンス映画です。も一ついうと、そんなわけわかんない人々に逆襲し倒そうとすると、これはアクション映画になります。この映画が退屈なのは、恐怖映画じゃなく、サスペンス映画になっているところ、と、前作に衝撃を受けた人はたいていそう思うんじゃないでしょうか。でも、こーゆー後味の悪いホラーって最近そうないし、上映後、後ろに座ってた男子高校生3人組が呆然としてた様をみてると、これはこれで悪くないんじゃないかと。
4点(2004-04-15 10:56:33)
71.  恋愛適齢期
■演出が子供っぽく、テレビドラマ的に過ぎるため、大人の恋という主題が浮き上がってこない。メールのやりとりなど手垢のついた表現を、ベテラン俳優が演じることの痛さ。しかも例えばキーボードでdelateを押していくなど、アップで表現することの無粋。眼鏡のくどい使い方。■省略をしらないシナリオ。サマーハウスでの出会いと発展→都会に戻っての再会と失恋→ハッピーエンド、という構成で充分ではないか。レストランでの気まずい再会を経て以降の展開、泣きまくるキートンや劇中劇など、まったく不要だと思う。観客にも想像力はあるのだから。同様にキアヌ・リーブスも不要ではないだろうか。少なくとも、このような存在感のある大スターを起用すべきではないと思う。中高年の恋の行方を若者の介入により進行させる、というのは劇作術として安易な上、成功してないんじゃん?■とゆーか、1時間30分の映画でしょ、これ。■と、まったくいいところのない演出・脚本ではあるが、この監督はアクティング・ディレクターとしては優れているように思うし、またその資質を自覚しているのか、役者たちを思う存分演技させ、それをケレンもなく撮ろうとしてる点は心地がよい。特に前半はキートン、ニコルソン、マクドーマンドの三人の絡みが実にわくわくさせてくれる。またセットを生かしたミヒャエル・バルハウスの撮影も素晴らしい。それだけに、セットを上手く使った人物の動きや、目線のやりとりをもっとちゃんと演出してくれよ、という不満も大きいのだけど。■とゆーわけで、これは役者を観る映画。それにつきます。ニコルソンが70年代のキートンの写真を見るシーンに少し涙しました。そっかぁ、もうこの二人はニューシネマの若者やニューヨークのファッション・リーダーじゃないんだよなぁ。
5点(2004-04-15 10:31:18)(良:2票)
72.  サイン
シャマランの映画は一つのネタと一つの崇高なテーマで出来ている。「死んだ人を見ることが出来る」「アメコミのヒーローは実在する」というのがネタ。一方、家族の再生、神から与えられた使命、というのが共通するテーマ。「サイン」のネタは「宇宙人による地球侵略を一つの家族に限定して描く」というもの。これは元来、「ミステリーゾーン」や「50年代チープSF」が得意としたネタなのだが、シャマランは、このネタと崇高なテーマを強引に結びつける。「シックス・センス」の場合、テーマとネタは上手く融合していたのだが、しだいにテーマとネタは乖離し「サイン」に至っては無茶苦茶である。B級SFネタと「神の存在」との融合。エドワード・D・ウッド・Jrがベルイマンと共作するようなもんだが、それにシャマランは気づいていない。それがいかに変なことであるかに気づかないまま、真面目に、真剣に取り組む。ちょっとおかしい奴。ただし、この男、「アンブレイカブル」の冒頭の1シーン1カット、「シックスセンス」のラングへの傾倒ぶりなどをみると、なかなか才能がある、と思う。「サイン」でも、そのサスペンス演出は見事だ。才能のある変な奴。ねじのゆるんだ奴。それがシャマランだ。私は断固支持する。新作では、もっと観客を「なんじゃこれ?」の嵐にたたき込んでほしいと切に願う。
10点(2004-03-12 11:27:49)(良:3票)
73.  ミニミニ大作戦(2003)
ラストのノートンの扱いなどかなり残酷だし、故買屋の雰囲気など、ちょいとドキュメンタリー風。セロンの扱いも結構深刻だ。ところが、そんなノワールな雰囲気と「ミニ」を使った軽快な泥棒映画が、まるで、あってない。「ミニ」を使う意味もないし、クライマックスで、冒頭と同じトリックを使うのもいただけない。セロンが金庫破りのプロって設定もまるで生きてない。要するにネタがなさすぎるのだ、この映画。実に中途半端。
3点(2004-02-22 04:26:48)
74.  コヨーテ・アグリー
とりあえず映画の基本ラインは、昔の映画からひっぱってくる。それをテキトーに現代風に直す。この映画では「コヨーテアグリー」ってバーがきゃっちーだから、それを入れとく。ホッケーがキャッチーぽいのと同じ理由。明るいだけだとただの馬鹿だから、適度に悩んだり、適度に深刻ぶったりするシーンもいれとく。もちろん、映画全体の明るさを損なわない程度に。「等身大の彼女たちがいる」なんて言われそうだし。そんで、テキトーな役者を見つけ、プロデューサーが手をつけたモデルを傍役においとく。あとは、ロケセットにカメラを三台回して1シーン撮る。どこにカメラを据えようか、なんて考えないで、照明も満遍なく当てとけばいい。でも、少しはキャッチーでおしゃれなカメラワークを1シーンくらい入れといたほうがいいかもしれない。あとは三台分のカメラがまわしたフィルムを、お話がわかるようにつなげばOK!こんなもんは「映画」ではない。ただの「糞」だ。こんなもんを見て喜んでるなら、テレビドラマを見ればいいのに、と思う。ただだし。
0点(2004-02-22 03:38:43)
75.  リクルート
例えば、アメリカを揺るがすような大きな陰謀を阻止するために選ばれたのが、就職して1年に満たない若者ただ一人であることに、コリン・ファレルは疑問を抱かなかったのだろうか?、とか、日本の刑事ドラマなみにお粗末な尾行シーンとか、ネタがすぐばれるとか、ま、そんなことはどうでもいい。この映画で一番問題なのは、こくがないこと。例えば、なぜコリン・ファレルはCIAを志したのだろう?映画は説明する、父親について知りたいため、と。しかし、それは単に説明だ。ファレルはなぜ父親について固執するのか、大手企業を袖にしてまでCIAを志すのか。説明ではなく、納得したいのだ、私は。 つまり、すべてが性急に過ぎ、メリハリに欠け、主要な物語を語るだけで、ディティールやキャラクターの面白さがまるでない。などと書くと、「そんなこと描いてたらタルくなっちやう」と若者諸君は言うかもしれないが、例えば70年代のサスペンスストーリーはたった1カットで物語の様々を描く技量を持っていたのですよ。そんな演出が今のハリウッドにはまるでない。中年の繰り言のようで申し訳ないが、そういうことだ。お話だけの映画を観たいなら、原作小説で充分だ。私は映画が観たいのです。
3点(2004-01-18 18:47:51)(笑:1票) (良:3票)
76.  ミスティック・リバー 《ネタバレ》 
イーストウッドが素晴らしいのは、この映画に描かれた人生のすべてを、感情のすべてを、肯定していること。「復讐」を賛美しているわけでも、「教育」の重要性を啓蒙しているわけでもなく、ただ、そこにある人生を受け止めること。 継娘を殺された女性は、夫が間違って友人を殺してしまったことに善悪の判断を求めず、ただこれからの家族の幸せを願う。「あなたはこの街の支配者だ」と。そしてその夫は、心の底で罪の意識を感じながらも、多分、彼女の言葉通りに幸せに暮らしていくに違いない。あるいは、自分の夫を殺された女性は、その犯人だと知りながら金を貰い、息子の幸福だけを願って、同じ小さな街で生き続けていくのだろう。 イーストウッドが提示した幾多の人生は、まさに圧倒的だ。色を抑えたコントラストの強い画面の中で、役者たちは完璧にイーストウッドによって統御される。その人物の動かし方(カフェテリアでショーン・ペンを尋問する際のローレンス・フィッシュバーン)、どこを切り取っても完璧な構図(ティム・ロビンズとマーシャ・ゲイ・ハーデンの階段の上下での切り返し)、カッティングの冴え(死体を発見したケビン・ベーコンのアップから階段を上がるショーン・ペンのロングへのつなぎ)、そして、酒屋の親父(イーライ・ウォーラックだ!)から人生を放棄したかのような母親まで、すべての人物の圧倒的な存在感。 そしてパレードが行われる。ある男の人生を狂わせた場所と、ここは同じ通りなのだろうか。華やかなパレードの中で、父を失った息子は、父親と同じように背を丸めじっとうつむいている。母親を発見し、やっと彼は微笑みを母に向ける。悲惨と絶望の中の唯一の救い。 生きていくことは残酷で哀しく、善も悪も正義も大きな流れの中に混在している、そしてふとした偶然からその多くが変わっていく。もしかしたら変えることが出来たのかもしれない。しかし眼前の人生は必然だ。この世界はパーフェクトではない、それでも、ただ受け入れ、生きていくしかないではないか。
10点(2004-01-18 18:37:41)(良:10票)
77.  プラットホーム
ホウ・シャオ・シェンなら然るべき位置にカメラを据えると、そのフレームの中で静かに恋人たちは佇み、あるいは緩やかに自然に、フィルムが回されているその時々の感情に応じて体を移動させるだろう。 しかし、この監督はあくまでも構図の中に立ち位置を設定する、役者たちに動き方を演出する。スクリーンの左半分を占める壁の中に役者たちを行き来させながら会話を成立させ、双子の姉妹は完璧な構図の中に立ち、カメラはその片方をフォローしながらパンすると、彼女は再び完璧な構図の中にやや逆光気味で立ち止まる。 それだけではない。映画の前半の主要舞台である城壁に似た壁、その見事なロケーション。客観ショットと主観ショットの錯綜、ラスト2ショットの時制を越えたつなぎ、トラックから顔を出す役者の動きとそのショット内でのタイミング、長く会わなかった父の不在、そして、父が経営する店で、父の愛人であろう女が登場する、その長い長い間。 つまり、過剰なる「演出」。 例えばカサベテスならば構図などどうでもよい、映画的な演出などどうでもいい、と言い放つだろう。最も大切なのはシーンシーンで醸し出される人間の感情なのだ、物語などは後からやってくるのだ、と。 ところが、である。この30そこそこの映画監督は、そんな映画史など知ったことじゃないようだ。 主人公の別れた彼女が踊るシーン、フラメンコ、従兄が差し出す金、主題をシンボライズする楽曲、街を遠ざかるカメラ。それらのあからさまな抒情を映画に導入するためには、余程の覚悟と勇気、そして才能が必要とされるはず。 しかしジャ・ジャンクーはカサベテスやホウ・シャオ・シェンが無効にしたはずの「演出」を楽天的なまでに信じている。それがいいことなのかどうなのか私にはよくわからない。ただ、映画の力への確信が「プラットホーム」をかくも感動的に、完璧な作品としていることだけは確かだと思う。 涙果てるまで泣いた。20世紀の追尾を飾る傑作。
10点(2004-01-17 11:56:20)(良:1票)
78.  藍色夏恋
このタイトルで、台湾映画で、ってなると、自然光を生かしたロングショット、望遠レンズを多用し、長まわし、と、ホウ・シャオ・シェンの縮小再生産かい、って感じで、どーも観る気が起こらず、で、観たら、案の定そうで、しかも、深夜のプールやら、がらんとした体育館やら、自転車の高校生やら、登場するイメージがどうも陳腐で安直。やれやれと思ってみていたら、物語上のある仕掛けが妙に利きはじめ、そうなると、今まで陳腐だと思っていたイメージが俄然普遍性をもちはじめる。うむ、よくできた青春映画だ。よーする、こーゆーの好きな人にはこたえられまへん。「がんばっていきまっしょい」が好きな人は必見ですな。
7点(2004-01-17 02:51:20)
79.  ミレニアム・マンボ
日常の1シーンをただ切りとったかのような、何の作為も演出もみられない画が続く。観客は何を見てとればよいのか、ただ途方に暮れ、スー・チーの長い手足にのみ何らかの「感動」の残滓を読みとろうとする。その果てに、感情移入や物語や主題や演出や、つまり「映画」を巡るあれこれを突き抜けた、「透明」としか形容の出来ない叙情がある。これは感動的だ。身震いがとまらない。ホウ・シャオ・シェンの到達点であり、これは映画の臨界点だと思う。大傑作です。
10点(2003-12-30 14:52:34)(良:1票)
80.  ゴースト・オブ・マーズ
「カズゥー柔術 (青帯)」さんのコメントに付け加えることは何もない。そーゆーことです。この映画の「無茶苦茶」は確信犯だし、その「無茶苦茶」の果てに、原初的な「映画」の核が見え隠れしてるってのが、カーペンターのすごいところ。普通に面白いアクション映画や、普通につまんないアクション映画は山ほどあるが、こんな映画は、そう、ない。それだけでも立派だ。最後の歩きは泣くでしょ、ふつー。去年の私のベスト1でしたが、何か。
10点(2003-12-11 11:34:19)
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