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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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61.  キングスマン 《ネタバレ》 
タロン・エガートンが鏡に映る自分自身を見つめるシーンの反復。 当初の自虐と卑屈の入り混じった眼差しから、敵地に乗り込む直前の自信と尊厳に満ちた眼差しへ。 この視線のショットが細部ながらも彼の成長を物語って感動的だ。  クライマックスでは三段四段と状況を転がし、通路を駆け回りながらのガン・アクションでもアイデアを凝らした立ち回りと動きを披露する。 さらにはソフィア・ブテラとのアクロバティックな格闘もしっかりと見せ場にするあたり、サービス精神も抜かりない。 それらアクションシーンの露骨なコンピュータ処理もご愛嬌、ショット繋ぎのシャープなテンポによってケレン味十分に仕上がっている。  仲間は決して売らない、動物は殺さない、手癖の悪さに運動神経の良さ、そういう布石をあくまで主人公の行動レベルで 序盤から律儀に配置しておく語りも丁寧かつスマートだ。  時代はもはやグラス・タイプのウェアラブル端末。本作での携帯電話は大量破壊兵器となる。そのシニカルなアイデアも良し。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2015-09-11 21:30:43)
62.  インサイド・ヘッド 《ネタバレ》 
都会へと引っ越す車を捉える横移動のショットに『となりのトトロ』の冒頭ショットがだぶる。 ラストの大ジャンプと司令塔への激突ランディングは、『カリオストロの城』の二段跳びのアレンジに近い。 そもそも、登って落ちて再び大上昇という垂直空間でのアクションをドラマに絡ませるセンスが宮崎駿流だ。  それと同時に、『トイストーリー』シリーズがそうであるように「家に帰る」というジョン・フォード的主題をも継承する。  ヨロコビの帰還と共に、少女もまた家族の待つ新しい家へと帰る。  予定調和のシンプルな物語を豊かに視覚化する、立体的な舞台設定とカラーリング。 陽性のキャラクターを体現するヨロコビの活力ある身体表現の素晴らしさ。  活劇には成りえなさそうな題材がここまでテンポの良いアクションに仕立て上げられてしまう。
[映画館(吹替)] 8点(2015-09-07 16:52:59)
63.  この国の空 《ネタバレ》 
まずは雨音の響きから始まる。 その低く静かな響きは、映画がSEに対しても丁寧に演出を施していることを直感させる。 物々交換に出た母娘が食事を摂る河原のせせらぎ、境内に響く蝉の鳴き声とそれに照応するラジオのノイズ、 ラスト近くで再び降り出す小雨の音など、印象的なシーンは ことごとくそれらの環境音が場面の官能性を一段と高めている。  映画は冒頭から家屋セットでの芝居が中心で、予算の制約も確かにあるのだろうが、 神社の坂道や子供達が川遊びをしている川にかかる橋など、見栄えのあるロケーション も様々に取り込んでいて作り手の意欲はよく伝わる。決して貧相ではない。 解説で確認しなくともはっきりフィルム撮影とわかる画面の肌理も昭和の味がある。  空の題名を持ちながら全体を通しても空のショットは非常に少なく、前半は Bの編隊が飛ぶ赤黒い空くらいのものだが、それだけに青空が大写しとなる工藤夕貴と 二階堂ふみの川原のシーンはやはり特別なのだ。  食事の映画でもあるが、それは時代背景描写にとどまらずそれぞれの関係性や心情を 慎ましやかに炙り出す描写としてあるところが素晴らしい。  二階堂ふみのラストのストップモーションも絶品だ。
[映画館(邦画)] 8点(2015-08-31 22:35:44)
64.  ヘウォンの恋愛日記 《ネタバレ》 
公園やキオスクや古書店など、地味目なソウルロケーションと、その中で展開する 例によっての、まったりとぎこちない飲食シーンが不思議と心地よい。 彼らの会話が他愛無くも切実なものとして伝わるのは、このカメラの距離感もポイントだろう。  その例によってのあれこれが楽しいホン・サンス。  愛らしくへウォンを演じるチョン・ウンチェが一気に飲み干しているのは 本物の酒なのかどうか、その美味しそうな飲みっぷりが気持ちいい。
[DVD(字幕)] 8点(2015-08-28 23:56:48)
65.  トゥモローランド 《ネタバレ》 
「それ以上質問を続けると、シャットダウンする。」この遊び心が最高。 つまり観客に対して間接的に、つまらぬツッコミを入れるな、と。  コカ・コーラを2本飲み干したブリット・ロバートソンがゲップする瞬間に 手前にジョージ・クルーニーを配置して、改めて奥の彼女を画面に戻すタイミングやら、 彼女がエッフェル塔展望台で当直員を昏倒させて「human!」とやるショットの縦構図やら、 暴力描写や罵り言葉を、コードギリギリを狙ってかわしていくしたたかさやら、  人物の動かし方、構図取り、対話劇がアップテンポの中で手際よく決まっている。 ひたすら彼女をアクティブに動かす演出が奏功して、キュートなヒロイン像となっている。  格闘アクションでの割すぎないカッティング、高空からの落下と着地を全身像のアクションで捉えていく運動感覚は アニメーション出身監督ならではだ。  のみならず、光の扱い、夜の闇の活かし方も『アイアン・ジャイアント』の監督だけに巧い。 ビジョンの交錯は夜と昼の中で為され、ロケットの出発の光は夜間に煌き、 中盤のジョージ・クルーニーの表情は、あえて逆光の影の中に捉えられている。  ゆえに、ブラッド・バードは実写でも十分に通用している。  (ラフィー・キャシディーとの交流も、どこか『アイアン・ジャイアント』と響きあう。)
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2015-07-03 22:44:10)
66.  海街diary 《ネタバレ》 
高台からの眺望や、二階窓からの梅の木、花火、ちくわカレーや生しらす丼など、 対話の中に出てきた対象を続くショットで直接的に誇示するといった事をせず、 あくまでそれを見る姉妹、それを美味しそうに食する姉妹の姿を中心に ショットを構成する。 いわゆる「素晴らしい景色」、「美味しそうな料理」をどう映画表現するか、の慎ましい工夫がある。  彼女らの生い立ちはフラッシュバックの類を一切用いることなく、 あくまで今現在の言動、家屋の美術、小道具、衣装による性格付けで以て語る。 (釣竿振りは『父ありき』か。) これも、いわゆる「つらい過去」をどう映画として現前させるか、の工夫だ。  それぞれロケーションには緩急様々な勾配が施されて、豊かな画面をつくる。 花びら舞う桜並木のトンネルを抜けていく広瀬すずの官能的な表情。  こんなショットも撮るんだ、と少し驚く。
[映画館(邦画)] 8点(2015-06-19 16:57:56)
67.  フランシス・ハ
パンフレットのモノクロスチル写真でみるグレタ・ガーウィグはさして魅力的には 見えないのだが、ひとたびスクリーンの中で活動し出すとその仕草が、 表情が、不器用なカッコ悪さまで引っくるめて生き生きした魅力を発散し始める。  ルームメイトと戯れあい、ゴロ寝し、街路を飛び跳ね、駆ける。  ありがちな大仰な表情芝居がまるでなく、全身でフランシスを生きる 彼女は実にしなやかで愛らしい。  文句なしに、映画のヒロインだ。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2015-04-15 23:51:32)
68.  ドラフト・デイ
電話を通しての駆け引きを満遍なく見せるのにはやはりこの方式か。  対話をしながら、仲間達に暗黙の目線と表情でリアクションを 示し、身振りで指示を出すGMら双方の芝居がスプリットスクリーンで展開する。  そのアクション‐リアクションが同時進行する画面が スリリングで飽きさせない。     
[映画館(字幕)] 8点(2015-03-22 00:00:21)
69.  イコライザー 《ネタバレ》 
デンゼル・ワシントンが操るフラッシュ・ライト。 タンカー爆発の炎を背景に浮かび上がる彼のシルエットと、高速度撮影の外連。 モスクワのシークエンスでの、明滅するランプに さらにはホームセンター、ダイナー、アパートでの照明戦術。  『エンド・オブ・ホワイトハウス』でのローキー画面も記憶に新しい ノワール監督アントワン・フークアが、さらに様々な形で光と深い暗闇を使いこなす。  マウロ・フィオーレによる艶かしい夜の闇の見事さは開巻から絶好調である。  クライマックスではしたたかに「雨」をも画面に呼び込ませ、デンゼル・ワシントンの 瞳を美しく潤ませる。 割れるガラスも、スプリンクラーの雫も、本作においては闇の中に煌く光としてある。  主人公が様々な場面でテーブル上のアイテム(本、髑髏、眼鏡etc.)を扱う動作は、 キャラクター描写だけにとどまらず、時に意思表示となり、 時にアクションそのものとなる。  女が絞殺されるシーンで、窓外にカメラが引く絶妙な呼吸がシーンの緊迫をより煽る。 クロエ・グレース・モレッツの表情と彼女の一言「Thank You For Everything」 の響きは彼女の悟りを物語って感動的だ。。  CDの感想に言及させない脚本や、過剰なBGMに不満はあっても、 映画ならではの視覚的面白さは満載である。   映画のラスト、まるで『ヒート』へのオマージュのように「NEW DAWN FADES」が鳴り響く。素晴らしい。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2014-10-25 22:26:08)
70.  猿の惑星:新世紀(ライジング) 《ネタバレ》 
傷ついたシーザーは街中に運び込まれるが、特徴的な窓を持った家の前で 車を止めさせる。 手術後、ソファを抜け出した彼は屋根裏部屋で通電しているホームヴィデオを見つけ その再生画面に見入る。 それまでの展開にしても、前作を踏まえずとも物語の流れを理解できるような 最小限の補足がされているが、ここで映し出される小さな一つの画面は、それだけで 彼の生い立ちと思想形成の背景の雄弁な描写となる。  この小さな画面が感動的なのは、無論そこに彼のノスタルジアに対する共感があり、 エイプたちが不要としていた電気の生み出す肯定的な光の感動があり、 かつ幾度も繰り返されてきた「HOME」の語の響きがあり、 『そして父になる』のデジタルカメラのような「他者が撮ってくれた自分」が 映し出されるエモーションがあるからなのだが、 加えて、ここではそれが再生装置たるムーヴィー(映画)に対する ささやかな讃歌ともなっているからだ。  『カイロの紫のバラ』のような、『ニューシネマパラダイス』のような、 映画の映写光の反射を受けながら画面を見つめる者の表情が生み出す情感という 美しい細部がそこにある。  そして、映画はその画面をラストに反復する。モニターが映し出していた ジェームズ・フランコとシーザーの抱擁は、その位置を置き換えて ジェイソン・クラークとの間に交わされる。 この小道具の活用法は見事だ。  そして人間は暗闇の中に消え、エイプたちは陽光の中に出て行く。 このシーンも光と闇の画面によって物語を語っている。  前半の露出アンダー気味の曇天や薄闇が、怒りの炎や爆発、夜明けの光を活かす 後半のためにあったことがわかる。     
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2014-09-21 21:17:17)
71.  とらわれて夏 《ネタバレ》 
幾度も挿入される回想シーンが、ケイト・ウィンスレットのものなのか ジョシュ・ブローリンのものなのか。 瞬間的に把握しづらいところがあり、また類似場面の反復でもあって 物語を停滞させている気味があるが、それもまた 登場人物を苛むとらわれのイメージを増幅させてもいる。  時代背景を仄めかす映画ポスター類も序盤でさりげなく提示されるのみ。 ラストに活かされるパイ作りのシークエンスも思わせぶりなところが まるでない。そうした慎ましやかさが好ましい。  大団円の後日談。2人が並び歩く一本道の脇に揺れているのは何の作物だったか。 柔らかい光の中に静かに波打つ枝葉の音。 このラストショットが圧倒的に素晴らしい。 グリフィス的原風景に万感の叙情があふれている。  
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2014-08-01 15:25:28)
72.  旅立ちの島唄 ~十五の春~ 《ネタバレ》 
卒業コンサート前の楽屋で、娘:三吉彩花の着付けと化粧を手伝う母:大竹しのぶ。 肩に置かれた母の手に自分の手を重ねる娘。 鏡に映る二人のショットが感動的なのは、映画冒頭シーンの相似反復であるためだ。 三吉が憧憬の眼差しで影から見つめていた先輩親娘の姿に重なるのである。  歌を披露する三吉の正面からのショットの息を呑む美しさ。 彼女と溶け合うようにオーヴァーラップする、小林薫、大竹しのぶ夫婦の 切り返しショット連結の美しさ。  彼女の気丈で凛とした歌声と佇まいが感動的なのは、 その前段での高校入学面接試験で彼女が吐露する本心と、彼女が見せる涙があるからだ。  彼女らが旅立つ映画のラスト、島の独特の風土と地形的特色が映画に活きる。 三吉ら卒業生達の乗った小さなフェリーは外海の荒波に大きくローリングしながらも 真っ直ぐに島を離れていく。不安定でも進んでいく船の航跡に熱くなる。  島でのロケーションだけに、現地エキストラも充実している。 特に子供達の巧まざる演技が素晴らしい。 観光名所案内的なショットを極力避けた情景撮影が好ましい。  土地の事情なのかどうか、携帯電話が登場せず、固定電話や手紙やボートが コミュニケーションの手段となっているのも映画性を高めている。 
[DVD(邦画)] 8点(2014-03-28 23:56:22)
73.  抱きしめたい ―真実の物語―
左半身不随の北川景子が差し出そうとする盆を慌てて支え、 彼女の煎れたお茶を美味しそうに頂くというシチュエーションを、 同一構図、同一カッティングの中、 錦戸亮と國村準の親子がそれぞれ別々のシーンで演じている。 即興なのか、演出通りなのか、二人のリアクションは実によく似ている。 それだけのことが、この親子と娘の秀逸なキャラクター描写・関係性の描写になっている。 レストラン窓際での北川・錦戸カップルの食事シーンが、錦戸と息子の食事として 反復されるのも同様だ。 その食事シーンの最後、成瀬作品のように窓外からのショットに切り替わって サイレントの効果を醸すのも印象的である。  『黄泉がえり』のおでん屋のシーンのように、飲食のシーンをそれぞれ大事にしているのがいい。  夜の回転木馬の緩やかなローリング。その浮揚と下降の中でのぎこちないキスシーンの美しさ。その二人を見守る窪田正孝の視線の暖かさ。 ボールを放るアクションとその軌跡の響きあい。 國村・錦戸親子の罵り合いや、ワンポイント英語・中国語を使ったアドリブ感満点の 飾らない会話劇の魅力。 佐藤めぐみの突発的なビール瓶攻撃の鮮やかさ。 生まれたばかりの赤子を囲む病院シーンのドキュメンタルな長回しの迫真と幸福感。 ベッドでの二人の交わらない視線の劇。その万感のエモーション、、。  個々に書き出せばきりのないほど、映画の魅力が詰まっている。  何よりも、予告編の印象をいい意味で裏切る、お涙頂戴を潔しとしない塩田監督の自制的な手際にこそ泣かされる。    
[映画館(邦画)] 8点(2014-02-28 01:06:11)
74.  ニシノユキヒコの恋と冒険
パンフレットにも裏話として書かれているが、竹野内豊が中村ゆりかの前に現れる シーンの庭を渡る風は偶然のものらしい。その特長的なロングテイクの中に奇跡的に 吹き渡る風のざわつきの感覚が非常にいい。  ショットの中に立ち現れる、作り手も予期しなかっただろう風物・生物のアクション、リアクション。それら偶然の産物が映画を充実させている。  中村ゆりかの飼っている犬、成海璃子らが飼っている猫のユニークな動作とタイミング の絶妙なことといったらない。  楽団の演奏の何ともとぼけた感じと、それを手前で聞いている中村の緩い反応なども ユーモラスだ。  一方で構図取りは非常に厳格である。 マンションのエレベーターやオフィス玄関の自動ドアや階段の昇降。 そこでの人物の出し入れが巧い。 求心的な構図から一転、ビスタサイズを目一杯使って二者、三者をフレーム両端まで配置してみせたりもするので、見る側も気合が入る。 その上でのラストのクロースアップと涙はただただ清らかだ。  劇中の映画ネタ、ご当地ネタはご愛嬌。坂道の数々や堤防越しの水平線がよく撮れている。  投稿後、『群像』の映画時評を確認。真似たわけではないので。念のため。        
[映画館(邦画)] 8点(2014-02-19 23:48:47)
75.  風立ちぬ(2013)
キネマ旬報の何某は、この喫煙シーンを狭量な「挑発」だという。 勿論、『紅の豚』でも煙草のポイ捨てシーンをあえて描いているのだから 一種の挑発的な意図もあるのだろうが、 宮崎駿の細やかな絵コンテ指示を見てもわかる通り、単なる挑発だけで多大な経費や手間を要する作画・エフェクトの指示はすまい。  それこそ、何よりも風を生起させる行為として紫煙は表現されている。 震災の黒煙、工場の煙突からの排煙、汽車の蒸気、雪の朝の白い息、バスのあげる土煙、 家から登る白煙。それらと同様、二次元の画面に豊かな空間の深みと流動態を与え 画面を息づかせる描画演出のひとつに他ならない。  絵を常に何らかの形で動かすことへの徹底したこだわり。 眼に見えない大気をも可視化させアニメーション化することで世界に生気を与えること。 そこにアニメーション作家の矜持を見る。  その挑発ならぬ挑発に簡単に引っ掛かってしまう学会こそ滑稽だ。  嫁入りの夜、襖が静かに開き、美しい奈穂子の正面のカットとなる。 そこに風花がさっと舞う。その柔らかな大気の流れがシーンの美しさを引き立てる。  『ひこうき雲』の流れる映画のエンディング。 静止画となる人間不在の情景カットにあるのは、全てを語りきったという思いか。      
[映画館(邦画)] 8点(2014-02-16 04:31:13)
76.  ラッシュ/プライドと友情
ハワード・ホークスのように、プロフェッショナル達を描く。  初めてのレースシーンに流れる『GIMME SOME LOVIN’』の選曲と、 リアミラーを駆使したスピーディなカッティングは『デイズ・オブ・サンダー』の 故トニー・スコットへのオマージュかと思えば、そもそも音楽担当はハンス・ツィマー なのだった。  激しく煽られる芝生、土埃、雨飛沫といった対象物によって表現されるスピード感。 雨降る最終レース、スタート前の二人が交わす視線の交錯が印象深い。  そういえば、南波克行氏のロン・ハワード論でもかつて「水に飛び込む」ショット へのこだわりが指摘されていたが、このレース映画にも水への飛び込みが 抜かりなくワンシーン挿入されている。 ダニエル・ブリュールとアレクサンドラ・マリア・ララが結婚した夜のプールシーン がそれである。 そして、そこに繋がる二人の対話シーンが美しい。  窓外を見つめるクールなダニエル・ブリュールの胸部に ロン・ハワードがガラス窓を通して反射させるのは、 スピルバーグのような紅い炎ではなく、碧い水の揺らめきなのだ。  
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2014-02-11 17:17:01)
77.  オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ
アナログレコードの音楽に合わせて踊る、トム・ヒドルストンとティルダ・スウィントンの俯瞰ショット。 ソファの上で弾むように脚を組み替えるミア・ワシコウスカの仕草。 静かな映画の中で、それらの滑らかな運動感がアクセント的に心地よい。  途中、そのミア・ワシコウスカの闖入によって館が三人所帯となることで ジャームッシュ流の移動の映画=ロードムービーとなる。 彼女の登場は、移動を促す契機としてあると云っても良い。  遠くに街の灯が散らばるデトロイトの寂れた夜道。 まばらな明かりの中に浮かび上がる廃墟の群れが、街の盛衰を偲ばせる。  勾配が特徴的なタンジールの石畳の路地。 黄昏のような、艶を帯びた妖しげな光の加減がエキゾチックで素晴らしい。  ランプを光源とした屋内シーンの見事さも見逃せない。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2013-12-23 23:24:51)
78.  ペコロスの母に会いに行く
メインキャストの背後に印象的に配置された長崎の坂道。 その坂道を、夏服の女学生たちが、ベビーカーを押す主婦が、 下校途中の小学生たちが行き来している。そうした俳優の街への溶け込み方がいい。 そのベビーカーの親子はラストの坂道での交流に重なり、 女学生はコーラスの生徒たちのイメージと重なる。  空を舞う鳶や、水平線を見る背中や、バックミラーとの切り返しといった 類似・相似ショットのさりげない反復。 登場人物たちの対話における同一フレーズ・仕草の反復・変奏。  それらの繰り返しが、個々のシーンや端役まで含めたキャラクターのイメージを より印象深いものにしていく。  黄色いランタン祭りの中を彷徨う赤木春恵と、花街を彷徨う原田貴和子の重なり合い。 現在と過去、幾度も登場した個々の写真のイメージがクライマックスで 鮮やかに集約する。  
[映画館(邦画)] 8点(2013-11-24 01:15:34)
79.  ファインド・アウト
派手に車体をぶつけるばかりが能ではない、というカーチェイスがいい。 車種を幾度も変えつつ、 追走するパトカーの目眩めくライトの光芒がテンポの良いカッティングの中で 美しく映えて、車体の接触など一度も無いことが逆に一層の緊迫感を煽る。  運転座席での携帯通話という図の繰り返しは単調になりがちだが、 通話しているアマンダ・サイフリッドの背後の窓ガラスに意識的に 映り込んでいる雨滴、緩やかに流れていく街燈の光やマジックアワーの明かり、 そして森の闇が画面の動的なアクセントとして機能している。  「Just Watch Me」と懐柔を拒否し、「I lied」と何の躊躇もなく マッチの火を洞穴に投げ込み復讐を果たすヒロインの清々しいまでの豪胆。 全編に一貫した、一切躊躇のない無頼派の行動が何より魅力だ。  
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2013-10-16 01:04:20)
80.  エンディングノート
黄金色に輝く銀杏並木の光が、街路を歩く主人公:砂田智昭さんの横顔を包む。 砂田さんが登る階段の背後で教会のステンドグラスが輝いている。 臨終を確認する音声が流れる中、街のシルエットとその背後に広がる マジックアワーの淡い陽光が悲しいまでに美しい。  家族の交流を映し出す合間に点描される、光を伴った街・空の情景ショットが、 単に映像がキレイだとかいう事ではなく、映画の場面として印象深い。  8mm映像の中で笑う、ありし日の父の姿は誰が撮ったものか。 その粗い画調ならではのノスタルジックな美しさ。  病床で妻への愛情を伝えるシーンは恐らく、撮影者=監督不在のまま 録画されているのだろう。光量不足でザラついた画面だからこそ 夫婦二人だけの時間・空間を切り取ったこの場面はひときわ美しい。  日頃からカメラを向けてきたからこそ、自然体のままカメラを受け入れ、 何の衒いもなく被写体を生きる父。 そして砂田麻美監督を含めた家族それぞれが、被写体として素晴らしい。   
[DVD(邦画)] 8点(2013-10-14 22:57:14)
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