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パブロン中毒さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 914
性別 女性
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自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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801.  ヒューマンネイチュア 《ネタバレ》 
スパイク・ジョーンズとミシェル・ゴンドリーとチャーリー・カウフマンが集結したというと、知る人ぞ知るものすごいスタッフ陣ということになるのであろう。映画界で最もエッジーなところにいる彼らの才能が…結集したと…言えるのだろうか??? 皮肉で人を喰った演出はちょいとキューブリックの「博士の異常な愛情」の雰囲気を真似たような感じがする。テーブルマナーを学ぶネズミとか多毛症の女性とか類人猿として育った人間とかが、すべて何かの象徴として提出されているといううっとうしい話なのだが、決定的なものが足りないのです。 それは、「突っ込み」役の存在だ。だいたいここでは全員がボケているわけだから、ボケたまま話がどんどん進むとそれは、「わかるヤツだけにわかればいい」ということになってしまいます。 ボケには突っ込みが必要なのです。…つまり「アダプテーション」におけるチャーリー本人の役割のような、「ボケている事物に対して違和感を表明する」キャラクターがどうしても必要なので、それはライラ本人が独白でノリ突っ込みしつづけるということでもよかったし、でなければ第三者的な立場のキャラを創設して突っ込ませ「違和感を表明する」べきであった(もちろん突っ込み方はソフト突っ込みでもかまわない。)。 そうなっていないので、「ヘンな人たち」が「ひたすらヘンなことをしている」というふうになってしまうのです。 全員がボケているだけでは、見世物にならない。 だからイマイチつまんないのです。基本ができていないので、この3人は日本のお笑いで勉強したらいいと思う。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2009-01-11 15:29:56)
802.  マイ・ブルーベリー・ナイツ 《ネタバレ》 
映像はいつものように幻想的で美麗である。青の使い方などうっとりするほどだ。 が、私に言わせれば「その程度のことでは心に響かないよ」な映画だったので、何がその程度かというと。 かいつまんでいえば「とびきりの美人ではないが普通程度の容貌で恋の勝者になれなかった女」が「疲れてはいるがとびきりの美男」をゲットする話ではないですか。 ノラ・ジョーンズは確かにナタリー・ポートマンと並ぶとイモくさいし美人ではない。が、ブスなわけでもなく年増というわけでもない。役柄的には「口下手なせいで手が出てしまう」タイプの女なのだ。 「どこがダメなわけでもないがなぜか注文が入らない」ブルーベリーパイのような女、ということで一応はいいのだがお相手のジュード・ローはそうではない。というかなぜここにジュード・ローを持ってくるのだ。 特別な欠点もないのに恋の勝者になれなかっただけでアメリカ全土を300日も放浪してしまうエリザベス。それは、カフェの店主とどうにかなってもいいかどうか迷う気持ちがあるからでなくてはおかしい。ジュード・ローならなぜ迷う必要がある。もしもどうしてもそうしたいならば、彼女が帰ってくる先は50とか60過ぎの初老の男、とか障害者、とかどうみてもブオトコ、でなければ年上のレズビアン、などでなくてはならない。そうきたら私とてウルッとするのにやぶさかでない。 ジュードレベルの男であるならば、殺人歴があるとか痴呆症の母親とセットでなければ。 つまり「この程度」のカップルで心を揺り動かされるほどの気持ちになるのはムリ。…だってあまりにもフツーじゃないですか。 美麗な映像は心を動かされるシチュエーションがあってこそ、生きるのだなあ、などとしみじみ思う。まさかそんなことを思わせるために作ったわけではなかろうて。
[DVD(字幕)] 4点(2008-12-18 16:30:46)(笑:1票) (良:1票)
803.  リサイクル -死界- 《ネタバレ》 
パン兄弟はもう相当やばいかもしれない。 私はこれを見て、パン兄弟を見捨てる一歩手前まで来てしまった。 なんじゃこりゃ。 で、メイキングでパンのどっちかが「幽霊の出る映画は、一部の人にしか関心をもってもらえない。もっと多くの人に関心をもってもらいたいので、〝捨てたもの〟という普遍的なテーマなら…」なんて言っているのをきいて原因がわかりました。アホかおまえらは~。なんつーイージーな方向性だよ。 これではっきりわかるようにパン兄弟はCGに頼ってはいけないのである。むしろ極力使わないようにするべきなんである。そしてまた、〝幽霊〟を捨ててはいけないのである。 パン兄弟の魅力は、身近な恐怖、なのだ。ありえないファンタジー世界を体験したいなら、誰でも別の作り手の作品を見るだろう。今から「ファンタジー職人」になろうったって、それは絶対にムリ。ムリといったらムリ。 彼らは幽霊職人に徹するしか生き延びる道はないというのに、全然わかっていないようである。香港に育てば色んな可能性があるように勘違いしてしまうかもしれないけど、それは違う。 内容については…あまりにお粗末なストーリー、少女が登場してすぐにオチ割れしてしまう底の浅さ、さらに驚かせたつもりかもしれないけどそれほどのものでもなかったラスオチなど、誉めるところがほとんど無い…。「捨てられたものたち」というテーマも、私にはそれほど身に詰まされて迫ってこなかった。それを言いたいならもっと良い別のアプローチがあったろうに。 パン兄弟はやばい。
[DVD(字幕)] 4点(2008-11-29 16:36:42)
804.  ナンバー23 《ネタバレ》 
シューマカーはこういうの向いてないんじゃ…。ジム・キャリーを使ったのもよくなかった。 途中まで悪魔系の話かと思っていたら、フツーに記憶喪失って。 あまりにも夫をかばいすぎる妻の行動についても、「あなたは立派な夫で父親よ」と言われるほどのシーンを何も見せられていないため「えっそうなの」。 13年前に結婚した相手は実は妄想性の精神病患者で自殺未遂歴があり殺人も犯していた…と知ったらフツーはどうするだろう。 とりあえず子供を連れて逃げる、ではないのか?
[DVD(字幕)] 4点(2008-07-22 16:49:49)
805.  呪怨 パンデミック 《ネタバレ》 
結局清水崇でちゃんと怖がることができたたのは呪怨の初回作だけだったように思う。 パンデミックでは加椰子と剛雄が大放出のサービスぶりで、こんなに出されれば「怖い」というレベルを超えて見慣れた景色に近づいていく。そして、人種を問わず登場人物の誰も彼もがビビってばかりいるので、映画のトーンが平坦に感じられる。要するに、「ビビってる人間を出す→加椰子か剛雄を出す→行方不明か死亡」をただ繰り返しているだけではないのか? そしてまた、加椰子か剛雄が出た場合の効果が一律でないことの理由がよくわからない。行方不明と死亡と意識混濁(イーサンのみ)の差はどういう理由によるものなのか?ただ適当に割り振って演出しているだけということでいいのですか? 本作では、劇中の時間軸を3つ交差させるというトリックが採用されていて、ラストでパーカーの中身の人物を見ることによって、「海外輸出」の事実を明かすようになっている。 が、パーカーの中身はだいたい途中でわかっているし「輸出」されたこともなんとなく想像はついている。例の家で加椰子の追体験をさせられたオーブリーは家に囚われて加椰子の代わりに外人の少女を脅かし、その後「輸出」されたのはオーブリーではなくて加椰子と剛雄だった、ということになったようである。この場合はオーブリーがパーカーの少女にとりついて故郷に戻るというほうが自然な気がするが、あの家の霊たちの戦略はきっとそんな単純なところにはないのであろう。そうとでも思うしかないわな。 また、アクションやスプラッタでなく心理的に怖がらせるホラーであるからして、リアリティを大切にすることは不可欠である。そんな鉄則を初回作で守りきって勝利した清水にして、「全く日本語がダメな白人女が一人で山奥の祠まで辿り着く」「山奥に住む老婆がいきなり英語を話す」「日本語が得意なことになってるイーサンが、とてもそうは思えないカタコトを話すか、もしくは聞いているだけで日本語で返事ができない」などを許したという志の低さが信じられん、まったく。 パン兄弟にしろ、アジアで芽が出てハリウッドの息がかかるとどんどん本来の持ち味が侵食されてしまう。そっちのほうが「呪怨」的ではないだろうか。
[DVD(字幕)] 4点(2008-07-22 13:48:23)(良:1票)
806.  パーマネント・バケーション 《ネタバレ》 
冒頭の独白では、人や場所を深く知ると、必ず醜い部分が見えてくるから「移動」するんだ、と言っている。なんというか、コップの水はなるべく上のほうだけ飲みましょう、半分より下は濁って不純物などが沈澱しているので。という気がする。 アリー少年は、居場所を探しているのではなくて、自分の居場所がないということを確認するために街をうろうろしているように見える。NYならNYで、すでに自分の居場所がないということを全部確かめたら、次の場所に移動する。コップの上澄みを飲み忘れていないかどうかの再確認作業をしているように感じた。 普段は働かない彼の生活費というのは、ヒモ状態の恋人から小遣をもらうなどして調達しているとしか考えられないが、まとまった金が欲しいと思った彼は何をするか。 自動車ドロなのであるが、その巧妙さ、スマートさには舌を巻く。 彼には罪の意識はゼロ、ほとんど捕食動物が獲物をゲットする際の必要悪、というふうにここでは描かれている。なおかつラストの独白で、アリーは自分は責任や労働や税金と無関係である、という。 さて、アリーが「責任がない」と主張している己の犯罪行為について、ジャームッシュはどういうつもりでいるのだろう。 文化によって、何が犯罪かは異なるし、幼児の割礼が罪とされない文化だってある。儀式でドラッグを使うことが罪とされない文化だってある。けれど、盗みは西洋文化では犯罪ということで間違いないだろう。 ところが、ここでは盗みが生理活動のごとく描かれている。 もし、あのあとアリーが800ドルを紛失したり、取られたり、もしくは船の中や着いた先でオカマを掘られるなどのひどい目にあうなりすれば、それが作り手の「盗み」に対する価値観というものである。 けれどアリーにとって、あくまでも盗みは己のニーズに従った自然な捕食活動なのである。たぶん、この子は人殺しやレイプや強盗はしないであろうが、更なるニーズがあれば、置き引きでもスリでもやるのであろう。 ジャームッシュに神は無く、仏も無く、従って罪も来世も因果応報も存在せず、何ものも恐れない。 私はこういう人間は恐ろしいと思うし、そう思う人の多い社会で生きたい。 船の上から遠ざかるビル群という、何となく美化されたラストであるが、現実的にはフランスに着いたアリーは、「労働はしない」と言い張りつつ男娼で稼ぐしかないと思うのだが。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2008-07-10 12:07:53)(良:1票)
807.  ザ・ロイヤル・テネンバウムズ 《ネタバレ》 
笑わせどころがまったく自分のツボにマッチしなかった。 ハリ治療に行くと、鍼灸師によってツボがはずれたりはまったりするけれど、ウェス・アンダーソンの打ったハリはほとんどヒットしなかった。「そんなとこにハリを打たれても…」のオンパレードだった。 人物や状況を説明するために絵画や著作のカバーを大写しして説明に替える、というワザは、あまり何度も使われると芸が無い。笑わせたいために、登場人物に極力リアクションをとらせず無表情にさせて間をとる、というワザも、ロイヤルとリッチー以外のほとんどの登場人物がそうであるということから、効果が希釈されてしまっている。 人物が深刻に悩めば悩むほど観客にとってはおかしい、という状況を作り出すのに、完全に失敗している。…ボケには突っ込み、無表情にはリアクション、そうでもなければ乗り突っ込み。この監督さんは笑いが全然わかってない。 笑えないだけでなく私はストーリーもあんまり気に入らない。実子と養女の恋愛沙汰というそこだけ妙にシリアス調のエピソードもバカバカしいが、それよりもアメリカ人の専売特許ともいえる「ルール破り」を賛美するのが隠れた(というか隠れてないかもしれんが)テーマであるからだ。 彼らにとって、「ルール」はただ破ればよいというものではなく、破り方と事後のリアクションが「破り道」において重要なのである。破り方のスマートさにおいて感心されるなり、破り方にも愛嬌があるため憎まれない、なり。ロイヤルは後者である。 でも、私ははっきり言って悩まずルールを破るやつが嫌いなんだよう。ルール破りが映画に出てくるのは構わないが、それが賛美される結果になるのは私の許容範囲を超えているんだよう。 「ルール破り」の人生をまっとうしたロイヤルは死ぬ。人々の記憶に「愛嬌」を残して。個人的には全然ダメだ。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2008-07-06 14:24:52)(良:1票)
808.  ひかりのまち 《ネタバレ》 
この感じ、意地でもクリアに見せたくないこの感じ、そおかあ、「CODE46」のカントクさんだったわけか。なんとなく納得。 一言であらわすなら「ロンドンの労働者階級の人々それも中より下・ダメな男たちと働く女たち」というのがあまりにもしっくりくる。 出てくる男出てくる男、老いも若きもみな壊れていてマトモなのが全然居ない。居たと思ったら遊び人で女をモノのように扱う。 かたや女たちは、身の回りにマトモな男が居ないということがよくわかっていて、それでもダメな男と共存していく。ダメな男しか居ないんだから、少しでもマシな生活ができるように祈るしかないじゃないの。こいつが私や子供に及ぼす災難が、少しでも小さくなるよう祈るしかないじゃないの。 結婚しようが子供が生まれようが男がお金を持って帰ってきてくれることの保証はどこにもなく、何回恋人募集をしようがマトモな男が現れることはなく、ダメな夫と別れても子供が居るから縁が切れないうえ金の無心までされる。身内の男は父親も弟も現実から逃げている。まったく、どちらを向いても男が当てにならない。いろんなトラブルは女だけで解決するしかない状態。 なにか女にとっては身も蓋も無く救いのない世界…というところで、ひきこもり黒人青年と次女が接近するエピソードでラストを迎え、一筋の光明が示されたかに見える。 こういう美しくない現実を美しくない出演者によって見せるにあたり、「クリア」な映像で見せない、というのが一つの方法だったのだろう。 個人的には可もなく不可もないが、「日常を切り取って見せる」というだけで映画として成立するのかどうか疑問だ。もちろん脚本もあって演出もしたのだろうが、「美しくない出演者」「どれも中途半端に終わるエピソード」ときて、「(あえて言うけど)汚い映像」とくると、「…どうしてもそれを見なきゃいけませんか」という気になる。「映画ってなに」。 最も驚いたのは妊娠中の三女の無化粧の顔のシミのドアップではなくて、次女の前歯全面差し歯で思い切りスマイルだった。前歯が差し歯の女優が主役…イギリスだなあ、と思った(正直それが映画の感想)。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2008-06-12 16:55:45)
809.  スリー・リバーズ 《ネタバレ》 
火サスのような後味だがそれでもハリウッド映画なんだな。 カーアクションはちょっとすごいけど、それはそれ、という感じで終わってしまう。 なんといっても脚本がダメ。 サラ・ジェシカ・パーカーがハミ乳ミニドレスというハダカ同然の衣装でいきなり色気を出して迫ってくるところ、あまりの不自然さにプロの脚本とは思えない気がする。何をどうすればあの状況から迫る女が発生する?バツ一子持ち女があまりにもわかりやすいハミ乳ドレスで? 2人でさんざんシケこんだあと、お約束の「女の裏切り」を持ってくるところも、作り手の頭の中が「火サス状態」であることの証拠だなあ。「どうだ、驚いただろ?」とうれしそうに聞かれても、「火サス的には常道を踏んでいる」としか感想を述べようも無い。 帰ってきた怪しい弟をウロウロさせて注意を引かせておいて、犯人が死んだはずの男、というのはズルだし私は感心しない。この場合は犯人を当てられなかったから脚本が優れているというものでもない。 唯一の収穫はパーカーのハミ乳ではなくブルース・ウィリスの短パン姿であると私は断言する。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2008-06-10 14:59:02)
810.  ペリカン文書 《ネタバレ》 
長いっ。 ストーリーの面白さというグリシャムの職人技に頼り切った冗長な作品。 ジュリア・ロバーツは相当にやる気がなかったようで、本人がアクターズスタジオのインタビューで言っていたように場当たり的な演技。モノローグにおいてはほとんど棒読みという適当さ。デンゼル・ワシントンは出番が少なく、相手が白人女性であることで、観客に対する配慮からであろうが、あっても当然のラブ・シーンすらなし。 ベストセラーの映画化というのは、うまいくほうが珍しいのだなあやっぱり。 ペリカン文書の内容とか弁護士の死を追ったTV番組とか宣誓証書だというビデオの内容とかいう核心部分をすぐに観客に見せず、気をもたせてひっぱるあたりは単に的外れな演出というほかはない。。 なんとなく全体に名作「ジャッカルの日」的な演出を感じたので、映画ジャッカルへの憧れがあったのかもしれないが似ても似つかぬ駄作となった。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2008-06-08 19:46:38)
811.  スパイ・バウンド 《ネタバレ》 
ヴァン・サン・カッセルとモニカ・ベルッチという大物スターが首をそろえていても、そこはそれ、ハリウッド映画とは全然違うテイストになるわけだ。 ヒーローを作らせないようにすること、観客にどの登場人物にも感情移入させないこと、という部分で作りが徹底しているなあと思う。 クールなスパイジョルジュはかっこいいといえなくもないが、ヴァン・サン・カッセルは単なるハリウッドのハンサム・ボーイとは全く違うし、セックスアピールがあるには違いないだろうが女性にサービスする方向のセクシーではなく、CIAに雇われた女殺し屋を独断で暗殺してしまうあたり、クリーンなヒーロー像とはほど遠いのだった。そして、ジョルジュの人と成りをあらわすようなエピソードは全く説明されず。つまり、女性の観客も男性の観客も、シンパシーを覚えにくい。 モニカ・ベルッチは出番が少ないし、アトラクティブで女性の反感を買うタイプのうえ、刑務所内での暗殺も結局は引き受けるなどとてもじゃないが共感を誘わない。 この作品には、「観客の目」の代わりを務めるものが無いのだな。はじめからジョルジュとリサに対する共感を期待しないのなら、大佐とかほかのスパイのモノローグの形で進めたらよかったのでは。余計なお世話だが。 味わいとしてはたとえば衛星チャンネルで垂れ流されている「実話陰謀もの」の類とあんまり変わらないような気がしてくる。おもしろくはない。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2007-12-12 19:32:59)
812.  クラッシュ(1996) 《ネタバレ》 
ハギスの「クラッシュ」と間違えて見てしまった方にとっては、噴飯ものでありましょう。そりゃ災難でした。 どっこい私は衛星で放送を楽しみにしていたクチで、ひいきのスペイダー全盛期の美しさを堪能しようと…。や、スペイダーの美しさにはマチガイは無かった。確かにどの角度から見ても美男である。今のように太ってもいない。衣装がダサすぎるが、スペイダーのような美男であればそれもまた…。 が、この作品はスペイダーの美しさではカバーしきれないほど気色悪かったのであった。 基本はブラックジョークなんだと思う。悪趣味なコントなのだと思う。ラストシーンがあのように終わるのであるから、コントでいいのだと思う。 しかし全編に溢れて収まりきらないほどのえげつないセックスシーンは、私のような枯れ木状態の負け犬にはキツすぎた。ここまでエロを露出しないとダメかなあ。もう満腹なんですけど。 もともとコメディの素質があるスペイダーであるから、事故や障害によって性欲が刺激されハアハアとガッついていく様は笑えないこともない。でも、私は笑顔が凍りついて素直に笑えないのだー。 エロシーンの合間にブラックな笑いをはさんでいく、という試みは激しく観客を選ぶと思う。クローネンバーグにとって大爆笑のネタというものは、一般人が見ると笑顔が凍りつくレベル。…天才は孤独だなあ。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2007-12-02 17:15:02)(笑:1票)
813.  ユビサキから世界を 《ネタバレ》 
「明日のない日本の〝現代社会〟なんて」「〝アメリカ(教師のあだ名!)〟のせいじゃない」などなど、ジャムフィルム以来の例の行定節が冒頭から展開され…突如として、特攻隊の生き残りを登場させる。かなりあざといというか、ベタすぎると思いますが。 「こんな世の中」は生きる価値がない、と言う子供たち。「こんな」って、「どんな」よ。 「こんな」が「世の中」の枕詞として当たり前に機能するというのは、「ガキの社会」です。「こんな世の中」というのは、未だ社会の構成員となっていないために己の所属する社会に対して何らの責任を負わぬ「ガキのセリフ」に他なりません。それは例えれば、不潔でボロボロのホテルに有無を言わさず案内され、「ここで寝ろ」と言われた時に、ツアーの客が抱く感想に似ているかもしれない。「えっここで寝るんですかあ?」。 よって、「こんな世の中、生きる価値がない」と子供が言う場合は、「ええー、こんな不潔なホテルで寝るのはイヤだなあ…」というような意味である。 ティーンエイジャーたちにとって、とりあえず今の世の中は「ボロボロのホテル」に見えているらしい。ということに〝行定ワールド〟では「なっている」。 けれど、今回「ユビサキ」を見て思ったのは、「こんな」と言われた時に、それが子供の発言であったなら、同調するのは大人のすることではないということだ。 「ボロボロのホテル」が本当はどんなものなのか、それを知っているどころか加担しているのが社会の構成員たる大人なのだから、大人が「こんな世の中」と一緒になって思ってはいけないのだ。 私は行定監督とはほぼ同年代だけれど、この年まで「こんな世の中」に参加してきたからには、「こんな世の中に対して、己の責任が全く無い」などとは思えないし、かといって子供から「こんな」と言われて「ごめんね」と謝る気もないけど監督はどうなんだろう。「オレとは全く関係のないところで、世の中はまわってきたんだもんね。そんで〝こんな〟になっちゃったわけよ。〝こんな〟舞台を用意された子供たちって、運が悪いっつうか、可哀想だよね。」…私は「ユビサキ」を見て、そんな感じがしちゃったんだなあ。 ダメだと思うよ、それは。それに、「こんな」と言っている子供と、「明日をも知れぬ特攻兵」を比べる…ダメだその感じ。 母子家庭で母水商売の子が飯田香織に似ていると思ったがこの子はなかなかよかったかな。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2007-11-10 19:25:28)
814.  さよなら、さよならハリウッド 《ネタバレ》 
今月は衛星でウッディ・アレンをやたらに放送している。レンタル屋に置いていなかった作品がたくさんあるので、見る。置いていなかった理由もなんとなく理解できたりする。 「スコルピオンの恋まじない」では、枯れ木のようなウッディ・アレンを飼って、部屋の隅に置いておきたいような気持ちにもなったのだが。 他のレビュワーさんがご指摘されているように、本作では映画業界や批評に対する内輪ウケを意識した面が大きく…というか、ほとんどそんな感じだった。 たとえば、これを、ハリウッドやヨーロッパの映画事情などとんと関わりの無い国や地域で上映したら、どんな寒いことになるだろうか。「スコルピオン」なら、それでも結構イケそうな気がするけれども。 「比喩」とか「揶揄」とか「あてこすり」だけでは、観客を「面白い」と言わすことはできないのだ、やっぱり。 「自虐ネタ」が生きるためには、もっと映画そのものに観客が惹きつけられていなければ。それは、「スコルピオン」の場合はヘレン・ハントとの絶妙なかけあい、CWのキャラが確立されていたこと、などで担保されていたと思う。 今回映画監督ヴァルという、自身に最も近いキャラを演じるにあたって、彼はプロとしての客観性を保てなかったように思う。CWの時と比べると、どうしてもそう思ってしまうのだ。 「監督ウッディ・アレン」の役柄で出演するのでないのだから、「落ち目の監督ヴァル」としての、キャラが存在しなければならなかった。だけど、ここにいるのは「ウッディそのもの」でもないし、「ヴァル」という確かな人物でもない。…だから、ストーリーが破綻していることを棚上げしたとしても、自虐ネタも「いまいちおもしろくない」し、「寒い」気持ちにすらなってくる。 あとなあ…ティア・レオーニという女優さんは、すっごくキレイだけど、ソツなくやっているけれど、ウッディ・アレンと絡んでどうなのかというと、合わない気がする。この人ねえ、本当は、ウッディ・アレンのようなチビでハゲで老人は嫌いでしょう。なにせダンナはXファイルだ。 ヘレン・ハントの時と比べると、すごーく冷たい感じがしませんか。元夫婦になんて、全然見えませんね。なんかワタシは、台本読みのお相手を務めているかのように見えたんですが。どうでしょう。 まあこの作品は個人的には没にするしかないです。波があるということで。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2007-09-15 12:42:33)
815.  日本以外全部沈没 《ネタバレ》 
すごく残念な感じがする。 部分的にいいところもあるのに、冗長な演出と編集がブチ壊しにしている。監督にセンスが無いのだろう。 これを失敗作にしている決定的な原因は、日本人青年3人のキャストミス。 こいつらは日本男児の最大公約数的なキャラクターでなければならないわけだ。 小橋とか柏原とか、どっからどうみても疲れた日本のサラリーマンではないだろうが。 小橋のジャニーズ顔に細っこい首だとか、柏原の通り過ぎた鼻筋に日本人離れした彫りの深さが、「こいつら」を遠いものに感じさせる。ダメだ。何を考えているんだキャスティングでー。 たぶん、尺に比べて脚本が薄いといった事情で、演出編集はひたすら冗長、だから最初のうちは笑ってしまうが、次第に「次行けよ、次」という気持ちになる。 誉めたい箇所。冒頭のプレスリー衣装の白人男性の腰の振りと歌の滅茶苦茶加減が爆笑、村野武範は意外にも食いしん坊なだけでなくコメディセンスもあった(この人は間の取り方がよい)、藤岡弘が村野との電話で条件提示をたたみかけるテンポが絶妙で爆笑、デーブ・スペクターはいつものように笑えた(私はけっこう好き)、キッチュの「外人予報」が面白かった(でも、ちょっと長すぎる)など。 柏原が嫁の妊娠に「また日本人が一人増えるんだな」と言うが、その瞬間私は村上龍「五分後の世界」を連想してしまった。…あそこでは純血日本人が最も珍重されることになっている。 失敗作なのだが…不法滞在している外国人を強制送還する前に、嫌がらせに見せる、ぐらいの利用はしてもいいのではないだろうか。…二度と来るまい。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2007-08-29 15:13:04)
816.  硫黄島からの手紙 《ネタバレ》 
…ひとことでいうなら、「ハリウッド映画ですね」だ。 だってさ、作り手に日本人が一人も入っていないじゃないの。脚本は2世だか3世だか、どうせ味噌汁の味も知らないようなアメリカ人でしょ。で、ハギスだスピルバーグだ。 やはり、よその国の兵隊のことを勝手に描く、ということで、かなり遠慮しいな内容となっているのは仕方ない。「ラストサムライ」よりはなんぼかマシという程度であって、これはれっきとしたメイドインアメリカ。なじみの日本人俳優が出ているからといって、ごまかされてはいけない。 まずもって、二宮演じる西郷の、その振る舞いおよびメンタリティーの有り得なさ。下っ端の日本兵が、こんな生意気なワケがない。これは、まんまアメリカの兄ちゃんの感覚を「若いやつはどこでもだいたいこんなもんやろ」と持って来ただけ。 ケン・ワタナベ。これはもう、見事なまでにハリウッド受けすることだけを考えたそのまんま。大正もしくは明治生まれの日本人将校が、こんなハタから見てわかりやすいかっこよさを発散するワケないじゃないか。ダメ。映画「東京裁判」でも見て、「本物」の振る舞いをちょっとでも勉強してみたのか、ケン・ワタナベよ。それとも国内受けなんてことは、もはや関係なしか。 本物に見えたのは最後まで付き従った「藤田」のみだった。 で、ひとつだけ、イーストウッドが「勝負」に出たな、と驚いたシーンは捕虜虐殺。これを入れるというのは、アメリカ国内の逆風を計算に入れているということだから。 さて、太平洋戦争末期、北方領土のどこかの島で、似たような実話があったという。それは、陸軍中野学校(スパイ養成所として有名)卒業生の士官が指揮をとった最後の戦いで、弾薬も兵力も乏しい中、中野学校得意のゲリラ戦法を駆使して、ソ連軍に対し驚異の粘りを見せた。そして、無駄死にを防ぎ、決して玉砕を許さなかった、という。 私は、「硫黄島」を見ながら、その実話を思い出さずにいられなかった。その防衛戦のことを思うと、栗林の指導者としての優秀さが全く伝わってこないような、盛り上がらない脚本にはがっかりだ。(かといって、〝有終の美〟を追求する所までいってるワケでもなし) …クリントはさあ、「硫黄島」は日本の製作サイドで作ってもらって、対抗作で「星条旗」を当てる、というふうに、なんでできなかったのだろ。クロサワが死んでいるせい?  ↓花守湖さん、同感です。
[DVD(字幕)] 4点(2007-06-29 01:00:11)(良:3票)
817.  ソウ3 《ネタバレ》 
「2」鑑賞後にバウズマンはセンスが足らんと書いたのだったが、「3」鑑賞後、それをさらに確信した。 「3」は非常に残念な仕上がりだったと思う。なぜなら、「1」のワンが脚本に参加しており、脚本そのものは悪くなかったからだ。やはりワンの才能はあなどれないと思う。 冒頭に、デンロン医師と「男性」の不仲シーンを見せることによって、あたかも夫であるかのように思わせる手法などは、あざといが、きちっと常道をおさえている。また、ジョンがことあるごとに「ルールを守れ」とアマンダに諭すことも、後になって効いてくる。繰り返されるアマンダの暴走ぶりも、ラストになって、ジョンがゲームを仕掛けた動機となってちゃんと効いてくる。 また、ジョンとアマンダの異常な師弟関係についても、二人の間には切っても切れない葛藤を含む結びつきがあったことを、脚本はちゃんとセリフを通して伝えようとしている。 そうなのだ、もしもこれをバウズマン以外のセンスある監督が撮って編集したなら、高校生を興奮させるだけでなく、大人の鑑賞にも耐えうる格調高いサスペンスになったかもしれない。 バウズマンのセンスの無さがいったいなんなのか、それは「3」によりはっきりした。 それは「観客の想像力に対する想像力の不足」だと思う。よって、その作品は「すべてをはっきり見せきる」というサービス過剰な状態となる。 「観客の想像力」だけで充分おなかいっぱいになる場面までも、ちゃんと見せないと気がすまないのだなあ。サービス過剰なのか、律儀というのか。どっちにしたって、センスはない。 だいたい、緊迫の場面がずーっと続いている話だというのに、「さあ、ここはもっと緊迫だよ!」とばかりに激しい音楽、手ブレ映像、フラッシュバックをお約束のように毎度毎度出してくる。だから、緊迫してるのはもう分かったって。 こういうのを「芸がない」というのだ。 バウズマンの作品というのは、高校生レベルの観客を興奮させるのがせいいっぱいである。 「1」のことを思うととても残念だが、バウズマンのおかげで「SAW」というのは「グロい」の代名詞になってしまうだろう。「SAWすごかったよなー」という会話が交わされるのは、男子高校生かオタク青年の間だけで、その意は「グロいという意味において」の「すごい」、でしかない。 私は「グロ」においても「格」や「品」は存在する、と思っている。
[DVD(字幕)] 4点(2007-06-14 11:04:36)(良:2票)
818.  さよならゲーム 《ネタバレ》 
年下の男を調教するイケている年増女役が十八番となってしまった(もう無理をしているような気もする)サランドンが、後の夫ティム・ロビンスと共演する。 スーザン・サランドンにそういうものばかりを求める映画界というものに対しても、男性側の隠れた欲望を感じてしまい多少げんなりしてくるというものだ。 アニーというのは、「トップガン」の女性教官の跳んでるバージョンでしかなく、サランドンがやっているからそう見えにくいというだけで、ようするに「都合のいい女」でしかない。 サランドン以外の女優がアニーをやったとしたら、どう考えたって、そうとしか見えないだろう。 疲れた男が癒しを求めて訪れる場所。身過ぎ世過ぎを忘れたい時に思い出す女。それがアニー。 中野翠がひいきの映画だといっていたので一応見てみたが…なんにしても、ティム・ロビンスとケビン・コスナーがどうしても野球選手に見えない。野球選手どころか、どんなスポーツ選手にすら見えない体型である。ダメである。 だいたい野球なら尻がデカくなくてはダメだろう。コスナーの悲惨なほどの下半身の貧弱さ。肩幅の狭さ。私のような素人だって、「俳優さんが野球の演技していますね」以外には思いつかないというものだ。ダメだ。 さらに、クールで知的な野球選手を演じるコスナーというのが…あんまりにもキザに過ぎると思うのだなあ。いくらハンサムだといってもなあ、ここまでキザだと、ほとんどの日本人女性は「寒い」としか思えないだろう。あちらでは、こんな男でもフツーにモテてしまうのだろうか。 そういうわけで、ほとんど見どころというべきものはなく、ぬるーい映画である。 単に、サランドンかコスナーかロビンスのファンなら楽しめるのでは、という程度のお寒い出来であった。
[DVD(吹替)] 4点(2007-03-24 19:28:03)
819.  理想の結婚 《ネタバレ》 
脚本構成がいかんと思う。 まず「ロバートの地位に対する危機」がストーリーを転がす第1動機であるから、その「失ってしまうかもしれない色々なもの」をある程度の時間を費やして納得のいくように説明してくれないといけない。そうじゃないと、ロバートが地位を失うことの〝大きさ〟が分からない。妻との生活がどの程度重要なものであるかも、「すべて妻のおかげです」とかセリフで説明したからそれでいいってもんじゃない。 ゴーリング邸でのゴタゴタの一夜はなかなか面白いが、ここらへんから「もしかして主人公はアーサー・ゴーリングだったのか?」という気がしてくる。 そういえばロバートというのは簡単にだまされたり、信じたり、前言撤回してしまうバカなやつ、ということになってしまっていて、人物が妙に薄っぺらい。それなら、ジェレミー・ノーザムのような濃い俳優さんを配しないほうがよかったじゃないか。 アーサーが主人公なのか、という目で見直すと、メイベルとのやりとりなどは、面白くなくもない。 「理想の夫」などという原題より、「ゴーリング卿の多忙な日々」というほうが内容にぴったりくると思う。 ジュリアン・ムーアはなかなかパンチが効いていたが、見ていたら松坂慶子を思い出してしまった。 味があったのは、ゴーリング邸の執事のフィップです。もうおじいちゃん執事なんだけど、主人が身づくろいを終えた後、自分も鏡をのぞきこんだりしてるところがなんだか可愛い。ゴタゴタの一夜の原因をつくってしまったのも、ただ主人に忠実だったというだけで、愛すべきキャラです。 この作品を見て確信したことがひとつ。「傲慢と偏見」のエリザベス・ベネットは、若い頃のミニー・ドライバーならイケたに違いない。 非常にゆるーい映画なので、とんでもなく暇だけどあんまり頭を使いたくない、という時にはいいかもしれない。
[DVD(字幕)] 4点(2006-11-26 14:52:07)(良:1票)
820.  ギミー・ヘブン 《ネタバレ》 
「探偵物語」とか、「傷だらけの天使」とか、好きだったんだろうなあ。 「都会」であることといい、カタギじゃない稼業をやっているところといい、あのマンションの内部といい、安藤を水谷豊になぞらえたところといい、パクり心全開です。作り手の世代を考えると、無理もない。この世代の男の子って、どうしてもああいう感じにあこがれているわけね。 しかし、ここまで露骨にマネをされたうえ商業映画として公開されると、「おいおい」という感じになりますね。「あーたたちがそういうのが大好きだったのはよーくわかったけど、それだけで商品にしてしまうのはどうなの」 たとえば、しろうとがコピーバンドをつくって喜んでいるのはいいが、それを武道館で発表してしまっていいものか、とかそういう感じですね。 心配なのは、もしかすると、作り手はパクったつもりがないかもしれない、というところですね。そうだとすると、日本の映画界にとっては大変悲惨なことだ。こういうものに制作費がつくということが不思議だけども。 江口洋介は、「アナザヘブン」でも似たような役柄を主演し、今や邦画では正統派のヒーローとして主役を張って〝もつ〟という数少ない俳優となった。 「アナザヘブン」を見ながらその地味な容貌、これといってアクのない演技、「なぜ江口?映画界は江口を偏重しすぎていないか?」と考え続けていた私だったが、あの作品を見終わってなんとなく納得がいったのだった。 江口は〝良心のスタンダード〟みたいなものを体現することができる役者さんなのだ。彼はどんな突飛なストーリーであっても、観客の〝良心〟をはずすことなく、ラストまで連れてくる役割を果たす。あのちっこい目が真剣に見開かれるとき、観客は完全に江口と同化してしまう。 織田裕二ではこうはいかない。〝やんちゃ〟に過ぎるからだ。「踊る」の青島だって、観客は織田についていっているのではなくて、〝キャラクター〟の1人として鑑賞しているにすぎない。…というようにたまには江口について考えてみたりするわけです。 しかし安藤はどうしたものか。マネをするならするで、「傷だらけ」の水谷豊を見て勉強ぐらいしなかったのか。江口が妙に上手く思えてしまうほどの大根役者、舞台と間違えているとしか思えない大仰なセリフまわし。脇役とはいえ、こんなんで映画に出してもいいのだろうか。
[DVD(邦画)] 4点(2006-11-15 14:30:28)
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