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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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861.  クイズ・ショウ 《ネタバレ》 
しょせんテレビってこんなもんさ、とか、娯楽なんだから、という言葉の下に、ある種の倫理の頽廃を描いている。こういう大衆時代の腐臭を嗅ぎ取る敏感さがアメリカの最良の部分で、本作のような映画が生まれる限り、あの国をなかなか見限れない。決して倫理的に低劣だったわけではない主人公が、インチキに引きずり込まれていく怖さ。俺の知ってた問題なんだから、から、答えを自分で調べる、になって、なら結局教えてもらっても同じだし、となっていく。父の時代にはあった真っ当な倫理観「教わったことを答えて金を貰ってたのか」、が「こんなもんさ」に堕ちていく。有名になりたいという欲望、しかし有名になると大衆は脅威になっていく。ラストシーンで笑い続ける大衆が、主犯であり共犯であり、被害者であり傍観者である。そういう社会像を突きつけた映画。すべて台本と演出の時代。委員会での懺悔に続く拍手をロブ・モローが何かしっくり来ずに立ち会っている場が印象的。何でもすぐに「感動のドラマ」の演出になってしまい、さらに次のドラマが用意されるのだろう。タトゥーロが向かないってことを「ラジオ・フェイス」と言ってたな。
[映画館(字幕)] 7点(2010-04-03 11:59:24)(良:2票)
862.  ZOO(1985)
カメラのスムーズな移行は、撮影がアラン・レネと組んでいた人と知って納得。シンメトリーを生かした典雅な世界と腐敗撮影がベースになる。のちのこの監督の美意識と悪趣味がすでに揃っている。音楽ナイマンのバロック風コード進行も。今思い出せるのは、やはり悪趣味の方。死骸腐敗の微速度撮影がこの映画の要。リンゴ→エビ→エンゼルフィッシュ→ワニ→白鳥→(犬)→シマウマと進化していく。ワニが皮膚が大きな分いちばん面白かった。ワニ皮は丈夫だから、内側に溜まった腐敗ガスによって荒く呼吸するようにベコボコ腹が動いてから破けるの。シマウマも壮観だった。ウジ虫が腐っていく皮膚の上を運河のように流れまわる。死の厳粛と微速度撮影の滑稽。悪趣味の極まり。平安時代の日本でも、死体が腐っていくところを観想する絵がよく描かれていて、あれも厳粛な仏教思想が主でありながら、絵師にはちょっと悪趣味の楽しみもあったってことはないかな。この「腐敗」のモチーフと「進化」のモチーフが絡んでいるようで、もう一つはっきりしないところがもどかしい。妻の死体の腐敗を想像するところからスタートするわけで、その時間と胎児が育つ時間とが重なるところに、何か循環するものを感じさせたいよう。ラストのかたつむりのベトベト感も相当なものだった。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-31 12:07:34)
863.  スサーナ 《ネタバレ》 
至って分かり易い展開なんだけど、どこか常軌を逸している。家族の男たちが、みな自分から悪女にのめり込んでいく凄みのようなもの、雨のなか三人の男たちがそれぞれスサーナの戸口を眺めているあたりの、庭に欲望が渦巻いている感じ。すごく濃い。悪女よりも、男が焦らされたり翻弄されたりすることのほうを描きたい監督なんだ。フェルナンド・レイそっくりのお父さんがこっそりスサーナのスカーフの匂いかいだりするの、もうそれだけでブニュエル映画とわかってしまう。皮肉なのは、この悪女が冒頭で神に脱獄させてください、って祈ると奇跡が起きてあっさり鉄格子窓がはずれちゃうってとこ。そもそも彼女が過去にどういう悪事をしてたのか触れてないので、純粋な悪として存在し(そしてブニュエル映画ではいつも女性は昂然としている)、もうそれは超絶者としての神とさして違わない。これ、パゾリーニの『テオレマ』と好一対になるような話、キリストのような美青年と、神によって野放しにされた悪女が、家庭をかき回す展開。どちらも濃厚なカトリック国の出身で、比べるのも面白いが、あちらがムッツリ陰気に展開していくのに対して、こちらは裏で監督が大笑いしている感じがある。とりわけ、取って付けたようなハッピーエンディングに。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-30 12:04:38)
864.  昇天峠 《ネタバレ》 
行きたいところになかなか行けないバスの旅、っていうブニュエルの基本モチーフが全編展開。じらされ続ける主人公。バスの中では家畜がうろつき回り、お産もあれば棺も担ぎ込まれ、当然主人公は夢も見る。バスの中に樹木が繁り、果実の皮が誘惑する女とつないだかと思うと、その皮は母親が銅像のような台の上で剥き続けている、ってな夢、運転手やほかの乗客たちがバンドを組んでBGMを流しているのがおかしい。でも一番ブニュエル感じたのは、バスの運転手が、ちょっと寄っていってくれと、自分の母親の誕生パーティに乗客を招待する展開。主人公をじらす段取りを次々に仕組んでいった果てにこれがくる。この発想はなかなか出来ないよ。乗客の一人がスピーチして、トリオ・ロス・パンチョスって感じのが歌い出し、みなが踊る。ひとり主人公だけがヤキモキする(主人公が急いでいるのは、母親の危篤に関してで)。ブニュエル映画において宴のモチーフってのは繰り返されるが、これなんか忘れ難いシークエンス。でドラマとして見ると、新婚の主人公は女の誘惑に負けちゃうし、そのために大事な時に間に合わないし、悪辣な兄弟に対抗するためとは言えこっちもちょいと汚い手を使うし、と普通に予想される展開から微妙に踏み外している。この微妙に引っかかるストーリーとは別に、全体のトーンから踏み外したような死児の顔の厳粛なアップの映像も引っかかった。単に母の状態の予告ってこと以上に、この作品全体を包み込む重要なカットだった気がする。あの映像で、『昇天峠』という題名も膨らんでくる。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-29 12:03:55)
865.  私は猫ストーカー
私自身、猫ストーカーなところがあるので、とうてい客観的な評価は出来ない。ただ猫のいる世界の空気を実に的確に捉えているなあ、と感嘆するばかり。猫がいると風景が変わるんですな。具体的には視点が下がる、なにかこちらも隠れた場所から世界を見ているような緊張した気分になる、そして外界の音が猫のためのBGMのように思われてくる。主観的にしか断定出来ないけれど、この映画での町の音にはすごくその感じがあった。遠くで聞こえる子どもの声や何かの機械音などが、猫が存在する効果を上げるために鳴らされているように思われてくる。というか、猫と自分が世界から隠れているのを糊塗するために「普段」を装って奏でられているように思われてくる。だから、振り返ると塀の上でベターッと猫が寝ている、なんてシーンが実に嬉しい。あれが猫の味わい、共犯の味。それと秘伝の伝授によって、猫にタッチするにはときどき目をそらさないといけないことを教わった。つい見つめて逃げられてしまっていたのだ。ためになった。観終わってから、この監督、オムニバス映画『コワイ女』で一番面白かった「鋼」の人と知った。こりゃ覚えておいたほうがいい名前だ。揺れていたリンゴがピタッと止まる正確さ、ヒロインの顔のアップが挿入される的確さ、など猫がいないシーンも悪くない。
[DVD(邦画)] 7点(2010-03-25 12:03:02)
866.  乱暴者【ルイス・ブニュエル監督作品】
社会派的メロドラマ、あるいはその逆。立退き反対の人たちを英雄的に撮る、ってことは絶対にしない監督で、裏から攻める。裏切り者の視点。当人に裏切ってるなんて意識はない。なんかBC級戦犯に通じる話だ。肉はあるけど頭はない、これこそ庶民、ボスの言いなりにハイハイと実行していくあたりはいじらしくさえある。「親方のご恩を忘れるな」というのが彼に植えつけられたイデオロギーなの。娘への恋で自分の行為を発見していくってのは、安易といえば安易だけど、話はスッキリした。肉屋で働いていて肉がいっぱいあるのは監督の好みか。親方のとこのキャンディーじいさんが面白味を出す。ブニュエルが老人に対して、こういう愛嬌を感じさせる演出をするのは珍しい。ラストで鶏がパロマをにらみつけるのは、『忘れられた人々』との関係よりも、ブルートがかわりに持ってきた鶏だってことで見たほうがいいと思う。これは『エル』との二本立てで観たので、こっちはちょっと印象が薄くなった。三百人劇場という新劇用のホールで、ときどき映画もやってて、こういう「メキシコ時代のブニュエル」なんて嬉しい企画が不意にあったりし、要チェックのとこだった。しかしここもなくなったと聞く。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-22 11:59:20)
867.  太陽に灼かれて
チェーホフ的なものを現代史に応用してみました、って感じ。チェーホフの世界って「崩壊の予兆の上に立つ特権階級の不安」ってなもので、それはいつの時代にもある。うっすらと退屈に浸かったようなおしゃべりの中から、キラリキラリと緊張が見え隠れし出す。コップを持つ手首の傷、川辺にきらめくガラスのかけら。三角関係の緊張が高まったところで、政治が顔を出す。感情の過剰の世界から、感情の欠損の世界への一気の揺り戻し。表情はガスマスクで隠される。この監督は川が好きで、『機械じかけ…』では川に飛び込み、『ウルガ』ではトラックを落とした。今回は昔の恋人たちが落ちる。どれもこれもすべて楽園の最後の一日のメランコリー。ラストで火の玉はクレムリンへ消えていったのか、火の玉の代わりに浮かぶのはスターリン気球。こんな時代を描いても、チェーホフ的なるものは普遍性を持って生きるのだ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-21 11:53:37)
868.  クローズ・アップ 《ネタバレ》 
もし家族が資金を出したりすれば、一編の映画が出来上がってしまっていた。そしたら彼も、もう本物の映画監督になったわけ。これを裏返してみれば、キアロスタミ自身も、自分の中に卑小な詐欺師の部分を持っていると感じているのかも知れない。単純な“映画愛賛歌”の映画ではないだろう。クローズアップした顔は、もう顔でしかなく、職業を持たない。またロングで捉えると、ホンモノとニセモノ似てるんだなあ。アイデンティティのゆらぎ、と言うとものものしいが、そういったテーマを含んでいる。冒頭の車中、バスの中での会話、クローズアップの切り返し。嘘がばれるあたりの不安の演出なんかうまい。ひそひそ話しながら部屋に入り、何となくヒンヤリとした空気。運転手がころがした空き缶の演出。オートバイ二人乗りの映画の企画が、ラストで実現する。赤い花が家に戻っていく。などなど、演出・構成の妙がたくさん。ちょっとした誤解が引き金となって、つい演じてしまうことってあるなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-16 11:58:24)
869.  3時10分、決断のとき 《ネタバレ》 
南北戦争後、鉄道網が広がり、資本家が大手を振り出し、悪玉も善玉も一匹狼は時代遅れになってきつつある。ベンは徒党を組んではいるが一人で判断していくボスの孤独があり、ダンも孤独な家長。その滅びゆく一匹狼同士が、ひそかに友情を感じあうってとこが何よりの眼目で、ラストの二人になるまでのいささかもっさりした展開は全部序幕と思っていい。駅近くの一室の場からが本番。じわじわと買収に掛かるベン。妻の尊敬を受けられるぞ、などと弱みをしっかり狙っている。でも陰湿さが感じられないのは、すでにダンへの肯定的な興味を持っているからだ。番長がまじめなクラスメイトに気の合うものを感じてしまい、遠回しに悪ぶりつつ友情を告白しているような照れすら感じられる。そこに護送の保安官たちがやってきて、これがいかにも人格者的な風貌をしているのが、その後の展開の効果を挙げている。ベンを救出に来たならず者たち、簡単に買収される群衆って設定が怖くもうまい、ここで群衆とダンが対比される。駅に走る二人、ダンがベンを護送しているのか、ベンがダンを護衛しているのか。途中の小屋で「もうせがれは見てないぞ」と言うベンに、ダンが脚の傷の原因を言う。ここらへんたまらない。粗筋だけ取り出すと、臭い話と思われてしまいかねない展開を、シナリオが丁寧なので、ベンの心情が表情の変化だけで実によく理解できる。おそらく生まれて初めて尊敬できる友情を感じたのだろう(聖書に描かれたスケッチ)。だからその後の行動が不自然でない。友人を殺した者に対する憎しみは、仕事仲間としての感情に勝るのだ。まるで撃たれたいように立ち尽くすベンもいいが、ダンの仕事をきちんと完了させてやってから鳴らす口笛が、粋にキマっている。
[DVD(字幕)] 7点(2010-03-14 12:07:18)(良:2票)
870.  居酒屋ゆうれい
京浜急行沿線って、なにかいい意味での場末的な雰囲気を残している。消えていく幽霊はなぜ哀れなのか。幽霊ってのがそもそも、死別を自己完結できないとこから来ているわけで、それを何とか納得させたいときに、哀れに消えていく幽霊が必要になってくるのだろう。生き残ったものの後ろめたさ、ってことが底にありそう。舞台が場末ってことがしっくりくるのだ。死別と生別の二人、死別のほうが優しく、生別のほうが冷たい。女同士のほうがなにやら仲良くなっていってしまう。あの世とこの世のけじめが曖昧になる。のりうつったりもする。男にとって、妻も死者も同じものなのだ。演出はあまり奇をてらわないのがよく、鏡の中に座って映る室井滋、時計の振り子越しに夫婦を眺め下ろしたり、転がるビー玉など。トルコの軍楽隊みたいのも聞こえるが、島倉千代子の「愛のさざなみ」が場末感充溢していて嬉しい。くりかえす~、くりかえす~、さざなみ~の、ように~。
[映画館(邦画)] 7点(2010-03-13 11:58:53)
871.  もず
淡島千景・乙羽信子・桜むつ子・高橋とよらが、鍋焼きうどんを囲んでのおしゃべりのシーンなんか、今見るとすごくぜいたく。こういう全然ドラマチックじゃないところに邦画ならではの味を感じる。渋谷の世界としては、まだ主人公親子の突き放しが不十分と思われるが、昭和30年代における世代間の落差が描かれていて、またこの時期の邦画はそういうのを描くのが好きで、そこが楽しめた。母の世代は酒場勤め、娘の世代は美容師と、女の働く場が変わってきつつあるのが分かる、それは社会そのものの変化でもあった。友人関係も違い、母の世代の娯楽は、清川虹子と船橋ヘルスセンターに行き、草津節を踊ることぐらい、娘は江戸川区の場末から銀座へ進出してくる。主に女性における東京オリンピックを控えた時期の動きが見えてくる。武満徹のかなり初期の仕事。
[映画館(邦画)] 7点(2010-03-10 12:04:57)
872.  エイリアン3 《ネタバレ》 
ヒロインは坊主頭。まわりの男どもは僧服のようなものを着て、セットはざらりとした中世修道院風。うろついている犬。カタコンブのような地下の迷路。そしてラスト火の中に消えていくヒロインとくれば、これはジャンヌ・ダルクを描いた宗教映画だろう。とうぜん活劇映画としては地味になってしまう。タルコフスキー的な陰々滅々とした雰囲気の中でいくら走り回っても、爽快感は訪れない。だいたい宗教はあまりに「思弁的」で「反活劇的」である。活劇の人間は「考える」のではなく「企む」べきなのだ。定められたルールの中で企て合うゲームに酔える人間でなければならない。そこが宗教映画と活劇映画が両立できないところ。また対抗するエイリアンが前作のクイーンを見た後では貫禄に欠けた奴で、一生懸命チョコマカチョコマカ走ってはいるが、かなり物足りない。でも、宗教映画と割り切って鑑賞すれば、邪悪なものを内に孕んだまま火で浄化されていくヒロインは、自分のうちに魔女がいる可能性を肯定してしまったジャンヌ・ダルクであって、結論としてそれなりの面白味はなくもない。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-09 12:03:06)
873.  ダイ・ハード3
シリーズの約束事のうち、舞台を一つに絞るってのは守られなかったが、一日の出来事は守られる。それと、非番で二日酔いでシャツ一枚。このシリーズらしさが一番生きているのは、悪漢の質の高さ、というか計画性。最初はただのサイコ野郎と思わせておいて、しだいに「そうじゃない」を見せていく。悪漢の女が円月刀みたいので舞うように首をさく、という美意識もある。大義名分と泥棒との落差、っていうのは一作目にもあった、つまるところテロリストじゃなくただの泥棒って。そういうシリーズの遺産を大切にしており、水準以上のアクション映画の質は保った。だからカーチェイスはやってもらいたくなかった、作品を「ありきたり」に傾けてしまった、相棒を使ったことも。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-07 11:55:04)(良:1票)
874.  親指トムの奇妙な冒険 《ネタバレ》 
それほど観ているわけではないが、人形アニメって悪夢的傾向があるような気がする。シュヴァンクマイエルの印象が強すぎるせいかも知れないけど。人形が動くこと自体、もう悪夢なのだろう。それと人形にアニメは、ともかく「ゴクロウサン」という気持ちにさせられる。壁やテーブルを這い回る虫だけでも大変だったろう。そうか、こういう面倒なことをやってる作者の存在自体、日常をかけ離れた悪夢的な印象があるんだな。皿の上で跳ねてる魚や料理やのシーンみたいのが好き、人間が絡んでいるシーン。主人公はETふうの表情で、世間に対する好奇心と戸惑いを持っている。十字架にかかっているサンタクロース。もうちょっとでノドに届くカミキリムシのブローチ。ブルジョワ家庭に原寸大で生まれ変わったトムの回りには、ハエが天使のワッカを作っている。やっぱり人形アニメの世界って、ちょっとクレイジー。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-04 11:58:15)
875.  多桑/父さん 《ネタバレ》 
おそらくこの16歳まで日本人だった「父さん」にとって「日本」とは、自分の不遇・不運の対極として天上にキラキラと輝く天国だったのだろう。戦後の経済成長、それに取り残されていく鉱山で働く父さんの、置き去りにされていく感覚。それを彼は、ここが日本でなくなった、ということで受け入れようとする。昔の「平等に貧しかった」日本統治時代のほうが、世界のありようとして受け入れやすいのだ。哀切なのはバスケットボールのシーン、日本が台湾に負けてしまうこの場でさえ、彼は日本の側に立とうとする。自分の不遇の代償のように、台湾は日本にコテンパンに敗れ去ってほしかったのだ。自分だけを残して繁栄し力を付けていく台湾、そんな父さんの頭上で「日本」は、より純粋なイメージになっていく。日本が「美智子さんの旦那さん」の時代になって、しかし初雪の皇居の画面も見せずに映画は閉じる。もうそれは現実の日本からははるかに離れた無垢のものになり過ぎてしまい、画面にはならないのだろう。画づくりは師の侯孝賢の影響大で、ロングの多用、電灯の下の人々、など。
[映画館(字幕)] 7点(2010-02-28 12:02:38)
876.  アポロ13
面白い題材をいかにもハリウッドらしくソツなく料理したという一編。難関に次ぐ難関を一つ一つ乗り越え、家族の反応なんかも折り込み飽きさせずに楽しめるが、結局それがそうであっただろう生々しさから遠ざかってしまった気もする。3回目だというのにもう飽きている大衆が背景にあって、家族よりもこっちをもっと突っ込んだほうが面白かっただろう。事故になった途端飛びついてくるテレビ。なるほどと思ったのは、もうコロンブスなどの個人の英雄の時代ではない、ってこと。どこまでも可能性を求めていくスタッフの冷静な姿勢が現代の英雄的行為なのだ。四角と丸の空気清浄器をあれこれ繋ごうとする。ライカ犬とは違うんだ、と生理データ器具を取り捨てる、なんて意地も見せ、困難を前にチームの和は固まり、無関心だった娘が家族の愛に戻ってくる、といったアメリカ人好みの「教訓」もいろいろ揃えてあります。
[映画館(字幕)] 7点(2010-02-26 11:08:06)
877.  乙女の祈り
少女の特権は、現実に対する仮借なき軽蔑だ。どちらの家庭も、鯖の臭いや腐ったサンドイッチの臭いをたてている。その中で夢見る絵はがきの中のくすんだ黄色に包まれたような王国。現実逃避と言われればそれまでだけど、もともと彼女らは「現実」に対して、まじめに付き合うだけの価値を認めていないわけだ。その世間の外側、イギリスや南アのほうがかえって粘土の王国に近い。南米の芸術などを考え合わせると、どうも南半球にはイマジネーションを過剰に活動させる磁場があるらしい。あの母親役が良かった。少女の眼から見た単純な敵というのではなく、慈愛あふれるがゆえに鬱陶しい存在。これは向こうの人が観ると、ニュージーランドとイギリスの関係にダブるのかなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-02-23 11:54:13)
878.  懺悔 《ネタバレ》 
荒削りのシュールリアリズムが、かえって味わい。シュールリアリズムって、小細工で線が細くなってしまいがちなところ、これは粗っぽいので図太い。頭だけで生まれたものではない手触り感がある。そういう風土でもあるのか。聖堂のなかの科学実験装置、ピアノのある糾弾場。インドとイギリスを繋ぐトンネルを掘ろうとした罪を自白させられる反体制の指導者、誰彼かまわず密告すればかえって政府を困らせられるだろう、と自分を慰めるような言い訳をする。ピアノに潜んでいる盗聴器に聞こえるように(という意味かと了解したんだけど違うかも知れない)。このシーンなんか悪い時代に生きるものの切迫がひしひしと伝わってきた。独裁者はテノールで陽気に歌う、バックにパンパパパンパンパンという二人の部下を従えて。ヒットラーの髭とムッソリーニの体格を持つ陽気な独裁者像が、かえって気味悪さを際立たせた。まるで道化役者だ、と陰口を叩かれるが、その道化ぶりが怖い。強制連行された者たちが伐採した樹に自分の名前を彫り込んできて、家族は集積場で探し回る、こんなシーンなんか現実に歴史上あったのだろう(このときバックに流れていたのは、アルヴォ・ペルトかしら)。一方独裁者の名前は、死後、通りの名前として残されるのが対照的。悪い時代は、その後の若者をまで損なうという、今(1984)の物語として生きている。もちろん1Q84の現在も。
[DVD(字幕)] 7点(2010-02-21 12:04:07)
879.  次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊 《ネタバレ》 
豚松の母親の嘆きなど、「カタギ」と「馬鹿」が対比される。やくざというのは、つまり「馬鹿」の開き直りってことなのか。馬鹿の石松は吃らなくなり、死ぬときには左目が開く。死んで治る馬鹿もあるのだ。嵐の祭りの夜、お面が乱れ走るあたりが映画として美しいところ。今まで命を粗末にしてきた馬鹿が、恋をして、俺は今死ねねえんだよう、と言いながら死んでいくところが哀切のポイントで、こういうのは後の仁侠映画の脇筋でもしばしば使われることになるわけだ。ラストは、石松の死、身請けされて晴れ晴れと道中の夕顔、青空、そして怒りに燃えて海辺を走っていく次郎長一家の面々、というシーンをバッバッと並べただけでバタンと終える切迫。シリーズ全部を通して言えるんだけど、仇役に対して映画はほとんど興味を見せない。仇が現われたとき、この身内がどんな反応をするかってことのほうが眼目になる。視点は一家の外でなく、内にある。唐突だけど、これはかつての日本の国策戦争映画の特徴とも重なっている。そういう余分なことを考えちゃうと、石松の死を、ただ哀切として味わっていいんだろうか、という気分にもなるんだ。
[映画館(邦画)] 7点(2010-02-19 11:59:30)
880.  次郎長三国志 第七部 初祝い清水港 《ネタバレ》 
正月映画らしい道具立てで、忠臣蔵の七段目をベースにしたような一編。もっとも大石はリコウがバカの振りをして浮かれていたのに対し、俺たちゃバカがバカやって、とぼやいたりはする。お蝶の百ヶ日までは我慢して、その後で千葉信男との対決という寸法。「バカ」というのは「企てる」のが下手、ってことだろう。だとするとフグ中毒を偽装するのはあんまり合ってないことになるのだが、バカがバカなりに企てて、という面白さと思えばいいのか。バカは間が持たない、とも言う。佐太郎が小料理屋を開く、大政の妻がやってくる(武家言葉とのちぐはぐさで笑わせる落語的要素)、など「周囲のその後」で話の隙間を埋める。千葉信男の手下たちが夜の街を巡礼の鈴を鳴らして走り回る妖しさ。やはり久慈・越路の姐さんたちが決まっていて良い。最後、尻もちをついている久六に対してイットーサンたちが割りゼリフで決めるのも、歌舞伎的で正月映画らしい。
[映画館(邦画)] 7点(2010-02-18 12:00:42)
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