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81.  ミュンヘン
理由の如何を問わず、国家や宗教あるいは民族間の対立は、やがて紛争を招き、世界中を不安と混沌へと貶めていく。スピルバーグ監督のこの最新作は、人間の愚かしい闘争の歴史は際限なく今なお繰り返されているという基本理念から、テロリズムという名の「報復」を扱ったドラマである。「連鎖」という言葉がマスメディアで流行になるほど、そのテーマには深く重いものがあるが、そのテーマ性には然程感じ入るものがなかったのは何故だろうか。それは政治的なメッセージ映画である以上に、純粋な娯楽映画としての面白さが勝っているからに他ならない。どんなに先鋭的で重いテーマをシリアスに撮ろうとしても、スピルバーグの娯楽監督としての先天的な才能は隠し切れない。それが、彼の事をよく“三つ子の魂、百まで”などと茶化される所以である。彼の作品の特徴でもある“はぐらかし演出”の片鱗は今作にも見受けられ、遊び心を感じさせるが、それにしても渋い作品に仕上がったものだ。ドキュメンタリー調に呼応するような顔ぶれも渋いが、カラー作品でありながら、色彩というものを全く感じさせない。時代背景という事から70年代に撮った映画を今再び上映したらこんな感じになるという、退色効果を最大限に生かしている点に、彼特有の拘りを感じさせる。時代に拘るという意味においては、この頃のアクション映画やサスペンスもの、あるいはスパイ映画などのエッセンスが、ふんだんに散りばめてあるのも見逃せない。それら数々の殺しのテクニックが最大の見所でもあるが、中でも女の殺し屋に子供の玩具のような、実に簡単な銃器で報復するシーンなどは、飛行機ごと高層ビルに激突し多くの生命を奪ったテロリズムに対する、彼なりの自己主張と批判を感じさせる。本作の主人公たちは須らく自らの意思や使命感などでは無く、「報復」と言う名の「仕事」をこなしているに過ぎない。だから彼らに達成感などあろうはずもなく、カタルシスとは無縁の“心の痛み”が残るだけなのである。「復讐」もまた「ビジネス」である事を改めて想起させる終盤は秀逸であり周囲の景観に溶け込んで遥か遠く微かに見える在りし日のWTCビルのさり気無さは、稚気溢れたこれ見よがし映像の多い彼の作品の中でも異質なほどで、だからこそ余計にインパクトがあり、彼の演出家としての成熟度を感じさせ、本作が紛れもなく大人の映画だと認識させられるのである。
[映画館(字幕)] 9点(2006-04-30 18:09:28)(良:2票)
82.  樹の海
古くから自殺の名所として知られる富士山麓の青木ヶ原樹海を舞台にした群像劇。4つのエピソードから成るオムニバス作品だが、それぞれのパーツが微妙に絡んでいる点が、人間の運命の不思議さをまず感じさせる。各エピソードが前後しながら描かれていく構成は巧みで、長尺でありながら些かもダレる事なく興味を繋いでいく点では、実に効果的である。テーマは人間の「生と死」を見つめたものだが、決して陰惨な物語ではなく、「死」と対峙して始めて「生」の意味を知るという、むしろ「人生賛歌」という肯定的な意味での「再生の物語」だと言える。「生」の象徴である富士山が「正」のイメージならば、その裾野に広がる樹海はさしずめ「負」のイメージということになろうか。しかしながらこの樹海こそが「生命の宿る源」なのであり、生い茂った木々に抱かれて、人々は生まれ変われるのである。そういう意味においても、樹海はこれ以上ない舞台設定だと言える。映画の中で実際に自殺してしまうのは一人の中年男だけだが、この「田中さん」を演じる田村泰二郎の“死にっぷり”は見事(?)で、自分が生きてきたという痕跡を残すことで、死してなお人に知って貰いたいといういじらしさと、死にたくて死ぬのではないという深い孤独と哀しみを感じさせる。生き延びた萩原聖人のセリフ、“田中さん、臭いがきつくなってきましたヨ”などと、夜を徹してのこの「死者との対話」はアブノーマルながら、むしろ人生のしみじみ感を溢れさせている。そしてそれ以上に感銘を受けたのが津田寛治と塩見三省の居酒屋での芝居。二人の何気ない会話には、庶民のささやかな生活感というものが滲み出て、今まさに生きているという実感が込められて描かれている。時間の経過と共に徐々に客が少なくなっていき、やがてガランとした店内風景の描写。 そしてひとつのアクセントとしての、ぞんざいな女店員との間の取り方の巧みさ。店を出た後、意気投合した二人が調子外れで「遠い世界に」を口ずさみながら夜の町へ消えていくまでの一連のシークエンスと、小さく折りたたんだ虎の子の壱万円札への思いを鑑みると、新たな人との出会いと一期一会の切なさに、胸に込み上げるものがある。東京タワーの置物、ピンクチラシ、携帯電話、お供え物といった小道具も実に意味深く、また瀧本智行は初監督としての気負いをまったく感じさせず、ベテランのような充実した仕事ぶりである。
[映画館(字幕)] 9点(2005-09-27 18:31:16)(良:1票)
83.  ロボッツ
アニメとCGのコラボレーションが最良の形で結実した、フル3DCGアニメの完成品。まず驚かされるのが登場するロボットたちのデザインの豊穣さである。丸みを基調とした、どこか懐かしさを憶える古めかしいタイプのものから、いかにも現代調のシャープさを際立たせたものまで、考え得るありとあらゆるデザインがスタッフらの手によって形成され、その一つ一つに生命が吹き込まれていく。まさに気の遠くなるような作業である。しかも主体が金属だけに、その質感や光沢は言うに及ばず、錆付いた腐食具合や磨耗度、あるいは塗装のハゲ具合に至るまでものの見事に表現されていて、しかも全体の色彩感覚の統一性は絶妙である。それらの事が、とりわけガラクタを寄せ集めたような旧型ロボットたちに、一種のノスタルジックな雰囲気を醸し出させ、紛れも無く彼らがそこに生きているのだと我々に感じさせてくれるのである。さらに中盤から登場するロボット・シティの空間的な広がりや、都会の機能を十分に熟知したアイデアで展開されるノンストップ・アクションは、まさに立体アニメならではの醍醐味だと言える。事程然様に、これ以上望みようがないと思えるほど、究極のイマジネーションで構築された作品世界の見事さに、もはやストーリーなど気にもならなくなってしまう程だが、むしろ気にしていると、心底楽しめなくなってしまうタイプの作品なのも事実だろう。 だから、映像的には何度も見返してディテールを確かめたくなるが、ストーリーは極めてストレートな味わいを残すもので、目新しさは特に感じられないし、感涙度が低いのも不満だ。 (私などは、次々と作り出されるデジタル家電製品への皮肉と警鐘を、この作品から感じたのだが・・・)それでも良心作であることに変わりは無く、完成度の極めて高い傑作アニメと断言したい。
[映画館(吹替)] 9点(2005-09-02 17:44:07)(良:2票)
84.  ヒトラー 最期の12日間
第2次世界大戦末期に於ける、連合軍進攻によるベルリン陥落までの十数日間を描いた実録風戦争ドラマ。原題は「The Downfall(=陥落、崩壊)」であり、独裁者としてのヒトラーの知られざる側面を描きつつ、むしろ側近を含んだ彼の周囲の人間模様により焦点が充てられている作品だと言える。独裁者たるヒトラーを嘘・偽りの無い一人の人間として描く事や、陥落寸前のベルリンの悲惨な当時の状況を語る事は、何かとタブー視されて来ただけに、今回の映画化にあたっては、それ相当のリスクや軋轢があっただろう事は想像に難くない。しかしそれらを可能にしたのが彼の秘書であったユンゲの回顧録である。従って、映画はあくまでも彼女の視点から描かれていて、それがそのまま我々観客の視線ともなっている。映画である以上多少の誇張もあるだろうが、ここで描かれるヒトラーはおそらく最も真実に近い姿のような気がするし、今となっては彼女の回想を信じるしかないが、それでもユダヤ人団体から“人間的に描きすぎる”というクレームが来たそうだ。歴史上の人物を描くのが如何に難しいかという事だろうか。しかしながら、狂気と重厚さを併せ持った独裁者を演じるB・ガンツはそのソックリぶりで、名優ならではのヒトラー像を見事に体現してくれた。しかしその割にカリスマ性は然程感じられなかったのは残念だとしか言いようがない。それと言うのもやはり彼の側近たちの狼狽ぶりに力点が置かれている為であり、そう言う意味でヒトラーは言わば狂言回しではなかったろうか。組織の崩壊を目前にして素直に敗北を認める者と徹底抗戦する者、或いは国家を憂い将来を悲観して玉砕する者、それでもなお虚勢を装って退廃に耽る者など、国家や戦争への思い入れや立場の違いで、身の処し方も違ってくる。そんな悲惨な極限状況の中、追い詰められた者たちそれぞれの葛藤を、映画は極めて冷徹で淡々としたタッチで描出していく。壮絶で生々しい描写とは裏腹に、感情の無くなった兵士たちの表情がとりわけ印象的だ。本作は戦争が如何に狂気じみたものであるかという事とその戦争を終わらせるのは更に難しいという事を、強烈なメッセージとして世界に訴えかける。戦後60年を迎えた今、この映画を製作した意義は大きく、同じ敗戦国である日本人としては実に身につまされる作品である。
[映画館(字幕)] 9点(2005-08-09 00:52:42)(良:4票)
85.  受取人不明
70年代末期の在韓米軍基地周辺を舞台に、三人の若者を中心に描いた群像劇。青春ドラマというには、余りにも痛ましく、かなりビターな味わいを残す作品だ。韓国の歴史には詳しくも無いが、朝鮮戦争が物語の発端となっている事だけは確かなようで、戦争に直接的な関わりを持たなくとも、後々において様々な影響を及ぼすという痛烈なメッセージが感じとれる。ここに登場する人物たちは、直接・間接を問わず、すべからく戦争の犠牲者であり、心に深く傷を抱えている。当時の閉塞感溢れる社会状況の中にあって、とりわけそれぞれに悩みを持つ若者たちが、その鬱積した気持ちの吐け口を探し求めようとする。それは彼ら韓国人のみならず、米軍基地に留まっている若き米兵の存在にも言える事だが、どこか戦後の日本の姿にも重なり合う部分が多い。しかし、心の拠りどころを求め続ける彼らの悲痛な叫びは誰も受け取ってはくれない。やがて若者たちは、忌まわしい過去を清算するかのように、それぞれが自己完結を図ろうとする。それはまるで連鎖するかのようであり、ドラマは一気に悲劇性を帯びてくる。物語に届かない手紙を暗喩として象徴的に引用しているように、戦争の後遺症とは、いつの時代でもどこの国にでも生じ得る普遍性のあるテーマでありとりわけ子供たちへの影響は計り知れないものがあるという事なのだろう。映画は個々に何らかの関わりを持っている主要人物の造形がとにかく見事で、複雑に絡み合いながら大きなうねりとなっていくドラマ構成も巧みで、十分見応えがある。具体的に画面では見せないものの、痛みを伴うギドクらしい作風はここでも存分に感じとれるが、モチーフでもある寓話色は意外と希薄で、美しい田園風景とは裏腹に濃密な人間ドラマには実感が込められ描かれた秀作である。
[映画館(字幕)] 9点(2005-07-26 18:30:28)
86.  香港国際警察/NEW POLICE STORY
長きに渡り多くのファンを魅了し続けてやまないジャッキーのアクションは、どんなに時代が移り変わろうとも、終始一貫変わることがない。子供騙しのようなCGには目もくれず、手作りという、あくまでも活劇映画本来の面白さを狙って生み出されたアイデアを、鍛え上げられた肉体が次々とものの見事に実践してしまう。そんな生身の体から発散される圧倒的な迫力に加え、観客に対する彼の旺盛なサービス精神に、我々は感動し拍手を惜しまないのである。それらの事がコミカルであろうとシリアスなものであろうと、ジャッキーの作品は筋金入りだと言われる所以でもある。しかし映画の中ではやはり時代が進むことにより、犯罪もより高度になり犯人像も複雑を極める。しかも対決するべき今回の相手は、警察の精鋭部隊がいとも簡単に血祭りに上げられてしまうほどの頭脳集団だ。ゲーム感覚で警察を手玉に取る、この序盤のシークエンスが映画的には最も面白く、凶悪犯が手強ければ手強いほど、映画としては面白いというお手本のようである。巧妙な罠にかかり警察官として挑発を受け、散々屈辱を味あわされたジャッキーが苦悩の挙句、酒浸りになってしまう哀れな姿は今まで見られなかったような役どころだが、後半、反撃に出る彼のアクションを際立たす重要なシチュエーションでもある。暗く重い前半から、ジャッキーの畳み掛けるようなアクション全開の後半は、一気に開放感溢れたものとなる。ジャッキーのアクションはアクションへの流れが自然であり、いわゆる見せ場の為のアクションではないと感じさせるところがこの人の凄いところだ。やがて一筋縄ではいかなかった筈の犯罪者グループの脆さが一気に噴出するのだが、中盤あたりまでがすこぶる快調だっただけに、彼らの失速ぶりが作劇としては惜しくもある。 また、ジャッキーの年齢を考えると、危険な目にあう婚約者といった設定にも、やはり無理がある。 それにしても、香港には超高層ビルの多いことを改めて感じさせられたことから、これからのジャッキーのアクションには、ますます好材料となるようだ。
[映画館(字幕)] 9点(2005-07-21 17:24:59)
87.  コラテラル
ここに登場するT・クルーズは殺し屋だが、むしろ淡々と仕事をこなすビジネスマンといった印象で、従来の殺し屋のイメージとは大きく違う。初の悪役という事もあり、おそらく型通りの役作りを彼自身が嫌ったのだと思われるが、その為か、表層的には冷酷で非情な男ながら、かなり人間臭い面も表現できたように思う。そして一方、都会を仕事の場として生きている事では、J・フォックスのタクシー・ドライバーも同じである。違うのは仕事の中味。目的と手段とが異なる二人の男が一つの車に乗り合わせた事により生じる熱いドラマ。都会にささやかな人生の望みを抱いて生きてる男と、生きることに疲れ、こんな生き方しか出来ない自分に嫌気がさしている男。本作はそんな対照的な二人の男の生き方を通して、クライム・サスペンスのスタンスを保ちながら、都会で生きることの孤独を痛切に描いた作品である。とりわけ“街の片隅で野垂れ死にしても誰も気に止めない。都会とはそういうものさ。”というような意味のセリフは、自らの行く末を暗示すると同時に、父親の死に様の含みをも持たせ、都会の冷淡さと厳しさを痛烈に感じさせるエピソードとなっている。だからだろうか、生きていく事に執着するドライバーに対し、殺し屋は死に場所を求めて街を彷徨っているようにも見える。話が進むにつれて二人は、殺そうとする者とそれを阻止しようとする者として対立するのだが、孤立無援で闘いに挑むフォックスに対し、クルーズをターミネーターのような怪物に仕立て上げたのは、演出プランの計算違いというものだろうか。しかしそういったストーリーやドラマツルギーよりも、日常・非日常の世界が渾然一体となって息づいている大都会そのものが主役である事こそが重要なのであり、ロスの夜を舐めるように活写したカメラが見事な効果を上げ、そしてそれが美しく魅惑的であればあるほど、人間の寂寞感がより際立つ役目をも果たしている。終始都会的センスで描き切ったM・マンの力強い映像は、言葉よりも雄弁で、やはり凄いという他ない。
[映画館(字幕)] 9点(2005-05-26 18:17:41)(良:5票)
88.  ビヨンド the シー/夢見るように歌えば
「天は二物を与えず」の格言からすると「天は、ときには幾つも与える」という事なのだろうか。とにかくK・スペイシーの才能には改めて脱帽するしかない。その歌唱力の確かさは大向こうを唸らせ、堂々とした歌いっぷりには男の色気が漂う。さしずめ歌舞伎の大見得を切るイメージと言ったところか。とりわけ”♪Mack the knife”で颯爽とステージに登場するオープニングのシーンは鳥肌モノ。そしてこの人にもこんな面があったのかと、楽しげに踊るダンス・シーンの見事さにも感心する。“俺には生まれながらにしてこんな才能もあるんだぞ”と言わんばかりの自信満々ぶりが表情にも出ているが、決して嫌味にはなっていない。そして、これらがハードなレッスンの賜物であることも想像には難くない。 B・ダーリンに心底傾倒し、本人に成り切りたい一心で作り上げられた本作は、完璧主義者=K・スペイシー一世一代のお祭りムービーであり、作品に対する意気込みや熱意というものが、画面からビンビン伝わってくる。奇しくも同時期に公開された「Rey/レイ」とは、伝説のミュージシャンを扱った作品という点では同じだが、前者がしっとりとした湿り気のある作風であるのに対し、本作はより深刻なテーマを内包しているにも拘らず、むしろカラッとしたテイストの作品に仕上がっている。だから、ひたすら明るく楽しいエンターテインメントに徹して描いている点は、作り手側の潔さを感じるし、それと同時にまったく無駄というものがない音楽映画の秀作だと言える。
[映画館(字幕)] 9点(2005-05-17 15:17:38)(良:1票)
89.  レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語
突然の火災で両親と住むところを失った三人の幼い子供たちに、さらなる不幸が襲いかかるという事以外まったく予備知識なしで本作に接したのだが、これがまったくの拾い物の実に良く出来たファンタジー・アドベンチャーだった。 原作が世界的ベストセラーだと言っても「ハリ・ポタ」ほど日本では馴染みがないだけに、劇場公開も少々地味で、多くの人の目に触れないまま終わってしまうには、あまりにも勿体無い作品である。本作でなにより素晴らしいのが凝り凝った数々のゴシック風美術デザイン。小道具から豪華な衣裳、あるいは大掛かりなセットに至るまで、このお伽噺を語る上で無くてはならない物ばかり。それらが作品の成否のカギを握っているともとれ、そういう意味においては絶大な効果を上げていると言える。また物語の性格上、存在し得ない世界を構築する為のヴィジュアルは、余計なものは排するという簡素化に徹し、必要とする描写(例えば、暴風で釘が抜け出るようなシーンなど)には事細かく取り入れるという拘りを感じさせる。それは全篇が曇りがちのぼんやりとしたトーンで貫かれている点にも感じられ、「スリーピー・ホロウ」の撮影監督E・ルベッキの手腕がここでも大いに発揮されたと言える。子供目線に徹したカメラアングルや遠近法を巧みに利用した撮影技術など、まさにプロの仕事である。利発で機知に富み極めてマトモな子供たちに対し、ことごとく選択を間違える感度の鈍い大人たちにイライラが募り、そのハラハラ感が面白いのだが、大人を出し抜く爽快感には欠けているようだ。J・キャリーは、こういった役にはやはりこの人でないとと思えるぐらい、その怪人ぶりを発揮。水を得た魚の如く、悪役を実に楽しげに演じている。また、M・ストリープには極めて珍しい役どころだが、ジムの演技を確りと受けとめ、少ない出番ながら、さすが大女優の存在感を示している。二人の本格的な初共演がこんな形で実現するとは夢にも思わなかっただけに、ファンとしては嬉しい限りだ。本作はオープニングからエンドロールに至るまで、実に細やかで丁寧な作りの映画であり、内容的にもファンタジーと呼ばれる作品の中でも群を抜いている。子供たちの不幸はまだ始まったばかりだと考えると、本作に物足らなさを感じた人もきっと納得してくれると思うが、果たして続篇はあるのだろうか?
[映画館(字幕)] 9点(2005-05-12 01:12:26)
90.  スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー
“よくぞここまで映像化して下さった”と、感謝するとともに思わず拍手したくなるほど、これぞ私が久しく求めていた超娯楽映画。理屈抜きの大スペクタクル冒険活劇とはこのこと。第二次世界大戦の歴戦の勇士といったイメージで登場する美男パイロット。ロイス・レインを彷彿とさせる美人女性新聞記者。世界征服を企むマッド・サイエンティストとその手下たち。巨大ロボット群団の攻撃。空中に浮かぶ航空母艦。プロペラ戦闘機による空中戦。時代を象徴する飛行船に始まり、クライマックのノアの箱舟風ロケットに至るまで、荒唐無稽なドラマを演出する為のお膳立ては総て揃えられている。それと同時に、本作は「キングコング」から「007」に至る過去の名作活劇映画へのオマージュともなっている。光線銃といった小物から大掛かりなメカに至るまでの、レトロな感覚で統一されたデザインは、まるで昔の少年雑誌のイラストから抜け出てきたようであり、何故か懐かしさのようなものがこみあげてくる。序盤の“Tの字”型の影となって、ビル街を低空飛行するロボット群団を俯瞰で捉えたシーンと、彼らから発せられる光線砲の音などは、年配の人なら思わずニヤリとするに違いない。時代色を出す為にカラートーンを極端に抑え、ドイツ表現主義を模した陰影に富んだ映像にしているが、物語が進むにつれ映像もどこか近未来SFっぽくなり、エンディングが近づくにつれ、いつの間にやら鮮やかな総天然色に変貌しているのには驚かされる。本作は、昔ながらのオーソドックスな古臭さの再現と、現代風のスピード感と軽快なテンポが絶妙にミックスされた、古くて新しいエンターティンメントだと言える。他愛ないと言えばそれまでだが、古き良き時代のいい意味での陽気さというものが全編から溢れている好篇だ。
[映画館(字幕)] 9点(2005-05-05 16:38:15)
91.  ボーン・スプレマシー
“続編に妙味なし”という定説が崩れつつある昨今、それを決定的にしたのが本作で、近年のアクション映画の中でもピカ一の作品とだけは言っておきたい。前作に引き続きハード・ボイルドな姿勢は一切崩されておらず、大技小技を効かせたアクションは全編に渡り、そのリアルさは些かの輝きも失ってはいない。ひたすら一直線に雪崩れ込んでいくストーリーは、人物造形の巧みさもあり、よりシリアスで濃密なドラマへと展開していく。不自然さなど微塵も感じさせないほど、本作が稀に見る上質のエンターティンメントだと言えるのも、ポイントとなる場面を正確に把握し、ディテールをきっちりと描き重ねてきた結果に他ならない。だからこそ、クライマックスへ到達するまでの数々の逃走劇が見事に描かれることにより、この荒唐無稽なカーチェイスも生きてくるのである。鞄に入れた銃をロッカーに忍ばせるているシーンに示されるように、満身創痍のJ・ボーンが孤立無援の中、脱出するスリリングさは、スパイ映画の王道を行くものであり、007がすでに失ってしまったものを、ここで改めて復活させているように感じる。(そう言えば、ジェイソン・ボーンのイニシャル“J.B.”はジェームズ・ボンドに符合する!)まさにD・リーマン製作総指揮のもと、監督P・グリーングラス、脚本B・ヘルゲランドといった頭脳集団のチ-ムワークの良さが勝利に導いた作品だと言える。ただ、実年齢よりも老け顔のJ・アレンに対し、童顔のM・デイモンのラストのあの決めゼリフはいかにも不釣合いな感じがした。
[映画館(字幕)] 9点(2005-04-29 18:23:31)(良:1票)
92.  火火(ひび)
信楽焼で有名な滋賀県は信楽を舞台に、実在の陶芸家神山清子とその息子とを中心に描いた、感動のヒューマンドラマ。映画は焦点の絞込みという意味で、前半と後半とでは作劇がまったく違った形で描かれている。言わば構成の妙で見せる作品である。夫に去られた彼女が極貧の中、孤軍奮闘で二人の子供を育てながら、女性陶芸家として名を成すまでの凄烈な生きざまをみせる前半と、陶芸家を目指しながら志半ばで白血病に倒れた息子と、病魔との闘いを共に歩むというのが後半である。そして全編を通して言えるのは、本作は明らかに「闘いの物語」であるということだろう。生活の為。あるいは陶芸家として成功する為。そして命を守る為。それぞれの場面で執念のように命の炎を滾らせる神山清子という女性を、田中裕子が緩急自在の演技で魅せきる。生きていくことに厳しく陶芸家として自他共に妥協を許さないという、シリアスで清冽な姿を見せる一方で、心の底では優しさ溢れる肝っ玉母さん的な人情家といった面を、コミカルに演じ分けてしまう。才能とはいえ、永年培ってきた彼女の芸の幅の広さと奥の深さ所以だろうが、改めて上手い女優さんだと感じるし、演技もその姿形も、そして雰囲気さえも、いつまでも若々しい人である。骨髄バンク運動が展開される中、壮絶な闘病生活を強いられる後半の主役でもある息子・賢一。彼を演ずる窪塚俊介も意外なほどの好演(兄貴よりも上)で、将来が楽しみな若手ホープである。ややもすると嫌味になりそうなテーマを内包した本作だが、演出・構成・演技それぞれが絶妙のバランスを保ちながら光彩を放っている秀作である。
[映画館(字幕)] 9点(2005-04-08 01:10:38)(良:2票)
93.  春夏秋冬そして春
キム・ギドク作品は過去の例をみても分かるように、外界と隔絶された異世界(異空間)を舞台に展開されるということが、まず特徴として挙げられる。そして本作ではそれがより顕著で象徴的な形として綴られていく。それは山奥深い、まるで水墨画のような幽玄の世界。湖上に静かに浮かぶ庵。それらのピンと張りつめた佇まいは、この作品を語る上で、これ以上ない舞台設定だと言える。そして、自然の美しさと造形された美しさとが見事に融和し、鋭く的確に捉えたカメラの素晴らしさを語らずにはいられない。それは決してカラフルなものではなく、むしろ程よく抑制の効いた色彩効果といえるものであり、四季の移ろいを人生訓として特徴づけた撮影技術は本作の功労者だと言える。物語は桃源郷に生まれ育った人間が、外界(俗世間)に触れることにより人間本来の生き方を悟るという、あくまでも寓意に満ちたものである。生まれてから死ぬまで業を背負っているのが人間なら、生きていく上で俗社会に関わっていく事を避けて通れないのも事実。閉ざされた空間から飛び去り、再び舞い戻ったとき、人はそれぞれ何を学びとって来るのであろうか。本作は、そういった人間の一生の在り様の教えと捉えたいが、平易な語り口だけにより深く考えさせられる作品である。天空から下界をそっと見守る菩薩像に 「2001年宇宙の旅」のスター・チャイルドをついついダブらせてしまうが、作品イメージとしては実相時昭雄作品に近いのではないだろうか。
9点(2005-02-12 15:28:06)
94.  父と暮せば
「TOMORROW 明日」「美しい夏キリシマ」と描き続けた黒木和雄監督の戦争三部作締め括りの一本。前二作が群像劇だったのに対し、今回は室内劇でありそのほとんどが二人芝居で成り立っている。舞台では珍しくも無いが、 いざ映画となると古今東西を問わず、極めて稀有な例と言えるのではないだろうか。どちらかと言えば集団劇を得意とする黒木監督にすれば、かなり大胆でありかつ実験的な試みだったに違いないが、実に味わいのある見事な作品となっている。二人芝居ともなればその演技力も然ることながら、戦中戦後という時代を間違いなく生きていた人間、そしてその人となりをより的確に表現することを要求される。やや散漫な印象を受けた前二作の群像劇に対し、今回はテーマがより明確になり引き締まった印象を受けるのも、二人の好演に他ならない。黒木と二人三脚で数々の名作を世に送り出してきた原田芳雄は言わずもがな。娘を愛するが故に叱咤激励し心の支えとなる、力強い父親像を自然な演技で体現してみせ、そして、揺れ動く乙女心を「たそがれ清兵衛」からさらに清楚なイメージで、この時代を生きている女性として可憐に演じきった宮沢りえも然り。本来からすると悲惨で重苦しい物語ではあるが、カラッとした明るさをもたらしているのも、二人のキャラ所以だろうか。地味だが心揺さぶられる名作である。
9点(2005-01-16 18:15:02)(良:1票)
95.  父、帰る
12年前失踪したまま音信不通だった男が、ある日突然妻の元へ帰ってくる。戸惑いを隠せない二人の息子。次男は父親を写真でしか見たことがなく、ここで初めて父親という存在を認識することとなる。本作は父親と二人の息子との数日間の出来事を描いたものだが、誰もが疑問に感じる本来語られるべき“父親の事情”には一切触れられないまま ドラマが進行していく。この父親、いきなり食事にワインを飲ませたり、釣りを目的にした旅に出るのも、男としての息子の成長ぶりを確かめたかったのだろう。自らのことは語らず寡黙で野性的な、いかにも男っぽい父親ぶりで、躾としての振る舞いや言動は親としては極めて当然のことでありながら、息子たちには不満や不信感が募るばかりだ。それには、男親がないまま育ってきた子供たちの心情が微妙に作用しているのだが、長男は大人の世界が少しは解りかけている年頃ということもあって、父親を理解しようとするが、母親に溺愛されて育ってきた次男には、理解を超えた単なる威圧的な男にしか見えてこないのだ。このあたりの細やかなエピソードの積み重ねは絶妙で終盤それがボディーブローのように効いてくる。長い間留守にしていた空白を埋めるかの様に息子たちに接する父親だが、父親と母親との愛し方の違いが分からない次男は、やがて反撥を抱くようになり、ドラマはクライマックスへとなだれ込んでいく。結局、子供の成長を見守ってこれなかった男の苦悩と焦燥感は理解できるにしても、何かが欠落していると言わざるを得ない。いかにも古いタイプの父親像と、新しい世代との間に横たわる溝。この国での失われた12年というのは、あまりにも大きく重いという事なのだろう。映画は様々な謎を残したまま悲劇的な結末を迎えるが、この理不尽ながら絶対的な存在である親の重みというものを、息子たちは嫌というほど感じとることとなる。  実に皮肉で見事な幕切れだが、それにしてもなんと後を引く作品だろうか。
9点(2004-10-26 18:37:02)(良:3票)
96.  宇宙大戦争
円盤のシャープなデザインが酷似していることから見ても、本作が東宝特撮映画の傑作「地球防衛軍」の姉妹編であることは明らかだが、基本的なコンセプトは同じでもアプローチの仕方がまったく異なるという、やはりこれももう一つの本格的侵略SF映画の傑作だったと言える。地球を遥かに臨み監視する宇宙ステーションが円盤に攻撃されるところから始まる物語は、鉄橋の整備士のカンテラがゆっくりと浮上した瞬間、鉄橋もろとも上空に吸上げられ、その影響で特急列車が谷底へ転落していくシーンへと繋がる。このオープニングの一連のシークエンスは、圧倒的な科学力を有した何者かが、外宇宙から地球への侵略を始めたという不気味さを漂わせ、観客を物語に一気に引きずり込むにはこれ以上無いほどの強烈なインパクトを与えている。ナタール星人の地球侵略に対しその月面基地を先制攻撃するなど、 この映画の特徴として言えるのは、人類がかなり攻撃的に描かれているということ。そしてそれによって舞台設定が次々と変わっていく点にある。中でも月面上での探査艇と円盤との壮絶なバトルは迫力十分で、脳にチップを埋められた隊員がスパイとして操られ、探査機の破壊を命ぜられるスリルと相俟って、本編の最大の見所ともなっている。その前段の月に向かう途中、冒頭の宇宙ステーションで犠牲になった搭乗員が、座席に座ったままの姿で宇宙空間を漂っているというシーンがある。スピップ乗組員が、遠く離れていく彼に敬礼し哀悼の念を表すという、本編の最も感動的なシーンとして忘れられない。その後、地球上で迎え撃つ数々のメカも登場し、地対空、空対空といった円盤と地球連合軍側との戦闘シーンは最高潮に達する。終盤に登場するナタール星人の強大な破壊力を有する母船が意外なほどの迫力不足で、実に呆気ない結末を迎えるという点が唯一の不満として残ってはいるが、人類の英知を結集し徹底的に戦いを挑み、堂々と勝利してカタルシスをもたらすというこのストレートな冒険活劇は、物語の骨格が確りと構築されていること以上に、本多猪四郎と円谷英二という希代の才能があればこそ実現した作品だったと言っていい。しかしそれにしても「インデペンデンス・デイ」など、こういった本格的な正統派侵略SF映画が昨今ほとんど創られないのは、極めて残念なことである。
9点(2004-09-28 16:44:06)(良:1票)
97.  真珠の耳飾りの少女
17世紀のオランダのさり気ない日常を描きつづけた画家フェルメール。寡作家でその大半が室内画であり、また謎の多い人物だったことから、タイトルにもある少女をモデルにした絵が出来るまでを、人間ドラマとして大胆な仮説をもとに綴ったのが本作。作品を魅力的にしているのが、メイドとして雇われた美少女グリートを演じるS・ヨハンソン。  腫れぼったい唇の困惑顔で、いつもどこか不機嫌そうなその表情が男心をくすぐる。C・ファース演じるフェルメールも、彼女をあくまでも絵画の良き理解者という表向きの体裁を繕ってはいるが、彼女の魅力の虜になってしまっているのも事実。この危険な香りを放つ両者の拮抗した演技には魅了されてしまう。二人に果たして男女の関係があったかは、 映画ではついぞ描かれる事はなかったが、耳にピアスの穴を開けるシーンに暗喩としての匂いを嗅ぎとれる。グリートの苦悶の表情のその艶めかしさだけで十分であろう。真実は誰にも分からない事であり、後は個人個人が想いを巡らしてロマンを感じとればいいのである。そしてもう一つの魅力は、フェルメールたちが間違いなく生きていたこの時代を、なんの違和感をも感じさせることなく再現してみせた衣裳と美術そして撮影技術の進歩。湿り気のある空気や柔らかな光と渋めのトーンで統一された色彩処理など、その徹底ぶりには只ならぬものを感じさせ、この作品の雰囲気を余すことなく伝えることに成功している。
9点(2004-09-16 15:38:55)(良:2票)
98.  MIND GAME マインド・ゲーム(2004)
人間の精神世界を実験的な手法でアニメ化した、まったく新しいタイプの作品で、その独創性と斬新さだけで言えば宮崎アニメをも凌駕していると断言してもいいほど、今年最も興奮し魅了させられた一本。舞台はしっとりとした下町情緒溢れる大阪。この静かなオープニングは極めて写実的な画調であり、出演者には声のみならず、彼らのナマの顔をアニメの登場人物たちに被せて、そのキャラを際立たせるという演出テクニックがユニークであり、また生活臭を感じさせる関西弁と相俟って実に効果的だ。が、焼き鳥屋での大騒動で、主人公の西が“一度”あの世へ行ってからは、物語が大きく動くと同時に画調も変化する。丸みを帯びた写実的なきめ細やかさから、鋭角的で奔放な線画に変貌するや、夢とも現実ともつかない異空間へと舞台が移っていく。アニメとはいえ、アイデア満載で何故かリアルで手に汗握る湾岸線でのカーチェイスから海へダイブ。気がつけばクジラのお腹の中へ。ここでの様々な出来事は現実には有り得ない、実に破天荒な設定だが、アニメだからこその説得力をも感じるし、これこそがまさにアニメとしての醍醐味というものだろう。そしてこの作品のハイライトは、何と言ってもクジラからの脱出劇。まさに怒涛のクライマックスであり、 地獄から天国へと這い上がるといったイメージで描かれるこのシークエンスは延々と続けられ、生への渇望というものを否応無く感じさせられる。その画像の力強さと躍動感、エネルギーの凄まじさには圧倒されてしまうが、言葉でうまく表現できないのが口惜しい。“イメージの洪水”とは、まさにこういう映像をこそ言うのだろう。いずれにせよ本作はアニメーションの真髄というものを嫌というほど感じさせられた傑作である。
[映画館(字幕)] 9点(2004-09-14 00:38:22)(良:1票)
99.  下妻物語
ロリータ桃子と暴走族イチゴという、まったく相容れない個性のぶつかり合いから生じる、女の子の友情物語。男の友情を描いた作品は数多いが、女のそれはと言うと、すぐには思い出せない。そもそも“女に友情などあり得ない”などといった風説がマコトしやかに流されていた事にも由来するのだけれど、本作がそれをものの見事に覆し実証してみせてくれたのである。それは凝りに凝ったストレートな面白さと表現すればいいのだろうか。現実離れした劇画チックな画面構成と独特の色彩処理で、我々を寓意にみちた世界へと誘う。その摩訶不思議な感覚の心地よさ。そのカラッとした明るさは青春の輝きそのものであり、CM界でその名を馳せた中島哲也の、場面場面の画作りへのこだわりと冴えが大きくモノを言った作品である。そして、ひと癖もふた癖もある登場人物の中でも、とりわけヒロインたちが揃って魅力たっぷりで、しかも嫌味が無いというのも近頃では珍しく、そういう意味においても深田恭子と土屋アンナは絶妙のキャスティングであり瞠目に値するほどだが、その二人も自分の役廻りをよく心得え、体当たりの演技で期待に応えていたと思う。
9点(2004-09-09 18:41:36)
100.  殺人の追憶
ジャンルを問わず、描写の生々しさというのが韓国映画の最大の特徴とも言え、ひとつ間違うと悪趣味な印象を受けかねないものだが、本作にはその事がむしろ有機的な働きをしたように感じる。日常の何処にでもある田園風景から始まるこの作品は、実際に起こった未解決の猟奇的事件を基に、刑事たちの地道な捜査で容疑者を追い詰めていくという、サイコ・サスペンス的な要素を孕みながらも、純粋な刑事物語としての面白さを魅力たっぷりに描いた本年屈指の力作である。それはまるで初期の黒澤作品のような汗と脂でギラついた感触であり、ある種の懐かしささえ感じさせるほどの雰囲気を醸し出している。映画では、捜査方法や捜査の行き詰まりで感情が縺れ合う刑事たちの遣り場のない姿に焦点があてられているが、なんと言ってもソン・ガンホ演ずる、如何にもといった感じの泥臭い刑事ぶりは本作の白眉であり、捜査に対する苦悩や焦燥感を生身の人間として肌で感じさせる演技は見事と言う他はない。もがき苦しみながら、やっとの思いで追いつめた容疑者の逮捕を断念せざるを得ない彼らの虚無感・脱力感は、我々観客も味わう事となるが、見込み捜査のツケが廻ってきたことと、ハイテクの立ち遅れという当時の韓国の混沌とした社会情勢というものを痛切に感じさせるシチュエーションである。年月を経て、一筋の光明を見いだしたソン・ガンホの自信に溢れた顔は、まさに韓国の今を象徴しているかのようだ。
9点(2004-08-27 01:30:54)(良:2票)
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