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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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101.  TIME/タイム
荒唐無稽な物語を殊更に正当化しようとせず、当然の事のように語りきること。  その設定を、安易な説明ではなくまず具体の行動の積み重ねにおいて描写していくこと。  有体に云えば、ここでのストーリーや世界観やSF的設定などは、タイムリミットと逃避行(つまり時間と運動)のアクションを乗せて運ぶためだけに必要とされるに過ぎない。  その「時間と運動」のイメージこそ映画の要であり、荒唐無稽に徹する事こそ映画の知性だ。 静的な腕同士のバトルやカードゲームではなく、ただ「時間内に」走ることの動態によって主題論が体現されていく。  相対、並行、逆走、落下、その無軌道と乱脈の疾走の勢いによって画面は活性化し続け、その男女の走りと画面の疾駆とクレイグ・アームストロングのスコアとの一体化がラストの抱擁のエモーションに結実する。  役者陣の顔の素晴らしさに加え、二つのゾーンの格差を、それぞれの人々の行動習性とスタイル、そして抑制的ながら個性を持つデザインスケープによって視覚的に際立たせていく等の手際もいい。  「シルヴィア」と「限られた時間を生きる男女」の映画史からラングの『暗黒街の弾痕』を想起された「映画研究塾」は絶対的に正しく、『俺たちに明日はない』の結末の記憶と共に、死を孕んだ映画のサスペンスを最後まで維持している。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-02-23 00:31:11)
102.  ロボジー
レンズ越しの主観ショットが様々に変奏される。 まずは序盤で老人会の劇を撮るホームヴィデオカメラの慌てた揺れが醸し出すユーモア。手振れ画面というものを映画に活かすなら、こうあって欲しい。 ロボット頭部内でレンズの焦点調整するショットのチープな感覚の楽しさ、 盗撮の望遠カメラが捉える五十嵐信次郎の佇まいの孤独感もいい。 (窃視によることが、いっそう素の人間性を感じさせる。)  おてもやんを踊り、ぎっくり腰で担架に乗せられ、工作アームに振り回されるロボットの可笑しさはいかにも矢口印だが、被り物による外見が内部を想像させるという点を見事に笑いに活かしている。つまり、見えないことが映画的強みとなっている。 「歩行」のアクションひとつで人間味を醸し出すことにも繋がっており、その成果も上々だ。  そして、吉高由里子と五十嵐信次郎との間に交わされる手と手の接触がチャップリン『街の灯』の感動を淡く呼び覚ましてくれる。  バンと並走しながら、投げキスする吉高由里子のコメディエンヌぶりも楽しい。  
[映画館(邦画)] 8点(2012-02-05 16:36:37)
103.  ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル
オープニングの刑務所のシークエンスから、ほぼ無言のまま身振り手振りのパフォーマンスによって芝居を見せていくトム・クルーズ。  大男との鉢合わせや、消滅しない電話ボックス、『ボーン』シリーズ的な雑踏の中での衣類調達、落下前に準備運動するジェレミー・レナーなど、専ら視覚でみせるリアクションギャグのさりげなさが全篇にわたって冴えている。  あるいは、建築物の構造と特徴から逆算でアクションを設計していく資質。その活劇志向と空間把握は、やはりアニメーション的思考の特有性から来るものだろう。  高層ビルの駆け下りやアイデアを凝らした立体駐車場での格闘とギミックの過剰さは、バスター・キートンやジャッキー・チェンのスラップスティックばかりでなくどこかアニメーション映画『カリオストロの城』の伸びやかな疾走ー跳躍アクションや時計塔の舞台装置すら髣髴させて感動的だ。  近年とみに目覚しい米国アニメーション映画の充実ぶり。 その絵作り感覚がアメリカ映画全体の底上げに大きく寄与している感すらある。  開巻からクライマックスまで、ひたすら重力と落下への偏執が貫かれる本作は文字通り「宙吊り」=サスペンスの活劇といえる。  裏通りの路地を歩いてくるコートの女はまさしく『スティング』だ。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-01-03 21:20:09)
104.  リアル・スティール 《ネタバレ》 
ヒュー・ジャックマンのシャドーボクシングや、ダコタ・ゴヨのダンスにピタリと同調してみせるロボットの運動リズムに視線がシンクロしていく快楽と官能性。  小津『父ありき』の川釣りシーンでの父子の運動や、『東京物語』でバスに揺れる乗客たちの同調運動の快感を思い出しても良い。  ロボットが二通りのトレースをする根拠は映画の中盤とラストで少年の口からはっきりと説明されているとおりであるが、そうした説話上の合理的根拠付けもしっかりと行いながら、その使い分けが各ショットにおいて同調運動の官能性をより高める形で選択されている事こそ重要である。  向かい合う少年の動きに合わせ同方向に小首をかしげてみせるロボットの、機械的であると同時に人間的でもある動き。ブルーの眼の輝き。ロボット側頭部で回っているファンのレトロなモーター音。その静かなショットに流れる繊細な情感がいい。  雨の上がった朝方の街道で、手押し車でロボットを運んできたダコタ・ゴヨがヒュー・ジャックマンに無言で殴りかかるショットの構図や距離感など、地味にいいショットも随所に散りばめられている。  そして最終ラウンド前のインターバル。音声認識を失ったロボットへの台詞「Watch Me」の響きとともに「見ること」の主題が立ち上がる。  リングサイドで三者の視線の交錯がスローで連なっていくリズムが断然素晴らしい。  視覚の交流。やはりスピルバーグの映画である。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-12-30 23:09:16)
105.  ちづる
その聡明さはインタビューでの応答の姿に明らかでありながら、カメラの前で気取りも衒いもなく「家族」を生きてみせる母:赤崎久美さん、そして娘:千鶴さんが素晴らしい。  二人が仲睦まじくソファに並んで寝そべるショットや、散歩の途中の木陰で二人が寛ぐショットには淡い切なさ以上に穏やかな幸福感が充溢している。  カメラを前に二人が取っ組み合うシーンにおいても、打擲や噛み付きのコミュニケーションに強く滲むのは二人の「絆」のほうだ。  新しい家族・バナナと初対面し、恐る恐るその存在と触れ合い、受けとめていく千鶴さんの感動的な身振り。  散歩中、見知らぬ通行人に向かって突然駆け出す彼女を、手持ちのDVカメラが慌てて追いかけ画面は大きく揺れる。すると、彼女はカメラの方を向いてからかうように笑いかける。  その天真爛漫な笑顔は観客を魅了し揺さぶらずにはおかないだろう。  『ちづる』は作り手の意図やテーマや主張を越え、概念や一般的属性をも越え、その人間固有の具体的魅力を以って迫ってくるのが何よりの映画的美点だ。  監督自身を含めた家族4者を、時に引いた固定ローポジションで、時に被写体に寄り添うハンディでと、絶妙の距離とフレーミングで捉えていくカメラの柔軟な感性の賜物でもある。 
[映画館(邦画)] 8点(2011-11-19 16:56:02)
106.  ミッション:8ミニッツ 《ネタバレ》 
列車、ポッド、オペレーションデスクと、可動範囲の狭い閉塞的空間の中で全身アクションを制限された役者たちの肉体は、さらにカメラフレームによっても寸断される。  ジェイク・ギレンホールのバストショットは役柄上の必然でもあり、二人の女優にとってのクロースアップは、映画表現の特権としてその相貌の肉感的な肌触りと魅力を伝えてくる。  モノアイとの切り返しの中で、ヴェラ・ファーミガのクロースアップは頬の輪郭や瞳の動きといった豊かなディティールによって彼女の感情の揺れと相克を露呈させて素晴らしい。 任務を遂行したギレンホールをねぎらい称える言葉と表情に滲む慈愛のエモーションが泣かせる。  テロリストに撃たれ、向かい合う形で路上に倒れて動けないミシェル・モナハンとギレンホールの視線を結びつけたローポジションの切り返しショットの切なさ。 その距離感があってこそ、彼の最後の決意は納得性をもち、最後の8分間の中で互いに向かい合って車窓の白い光を受ける二人の屈託無い笑顔のツーショットが活きてくる。  時間の静止した世界。乗客たちの笑顔の一瞬間が切り取られる。その渾然一体となった至高の映画的エモーションは何物にも意味づけられない。  抑圧、拘束、静止、不自由という「反アクション」の中に生の尊厳が浮かび上がってくる。  アバンタイトルの幾何学的ビル群の意匠。列車の外から中へ、というプロローグ。格子をすり抜けるカメラ。眼を見開いて横たわる女性等など。ヒッチコック的味わいも魅力だ。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-11-04 22:50:13)
107.  猿の惑星:創世記(ジェネシス) 《ネタバレ》 
ホークスの『モンキー・ビジネス』(1952)で、チンパンジーが錠を外して檻を抜け出し、若返りの新薬を調合、味見し、それを人間の給水機に混入させてしまうまでを驚異の2ショットで本物に実演させてしまっていることを思えば、CGIの時代に人間の演技を模写・変換した合成キャラクター自体は、予想を超えた動揺や驚きといったものをもたらすべくもない。(本物のチンパンジーの、時に意表を衝く豊かな表情変化は「非心理的」で実に見事だ。) 人間の演技と表情を模した生物の人間的倫理に共感性がもたらされるのはある意味当然のことであり、眼による感情表情を中心としたそれも人間の理解と納得の範囲に納まるものでしかない。  ゆえに、ドラマとして彼我の優劣を決定づけ、かつ映画としての驚きとスペクタクルを呼び込むのはその身体能力の圧倒的差異である。  映画の後半部、金門橋の上部・下部構造を駆使した登攀、懸垂、跳躍、疾駆の「超人的」アクションと、それを捉える縦横無尽の流動的カメラワーク(横移動、縦移動、空撮俯瞰)が断然素晴らしい。  同時に、仲間の殺傷行為の暴走を制止しようする「手」による反アクションのアクションが情感と同時に批評性を伴って迫る。
[映画館(字幕)] 8点(2011-10-16 22:14:15)
108.  大鹿村騒動記
トンネルを越えて紅葉の山道を登っていくオープニングの緩やかな縦移動の感覚。  三國連太郎が墓参する、あるいは小倉一郎が農作業する山の斜面の感覚。  激しく窓を打つ豪雨と暴風の描写が素晴らしい山の嵐の感覚。  そして、原田芳雄の営む食堂の外観・内装から滲み出る地味な生活感を笠松則通の落ち着いたカメラが的確に掬い取る。  現地ロケーションと役者の馴染み具合が何よりで、おひねりの白い和紙や掛け声の飛び交う、客席と舞台上とのコミュニケーションもすこぶる楽しい。  手前に食堂テーブル、奥に玄関。あるいは手前に洗濯機とトイレ、奥に居間といった手狭感の秀逸な縦構図のなか、それぞれ岸部一徳や松たか子、冨浦智嗣らと原田芳雄が絡むロングテイク主体の対話劇もいずれもユーモア豊かで味わい深い。  ラスト近く、原田と大楠道代が並ぶ、舞台後の裏口のロングショットもいい距離感を出している。  そのうえで繰り出される、原田振り返りのクロースアップが尋常でない凄みを放ち、感慨深い。  三國連太郎との充実した芝居のなか、目深に被り直すテンガロンハットの芝居も泣かせる。  
[映画館(邦画)] 8点(2011-08-15 20:18:10)
109.  さんかく 《ネタバレ》 
常にトイレを視野の奥に入れた特徴的な2DKの構図の中、高岡蒼甫と田畑智子が何度もキスをし直すシーンや、マニキュアをめぐっての痴話喧嘩が別れ話に発展してしまうシーンなど、二人の関係性の変化を捉える持続的なワンシーン・ワンカットが真に迫る。  この長回しは、二人の達者な芝居を途切れさせないことで生々しいテンションの維持を達成しているだけでなく、男女間の視線の交換とそれに伴う感情の交流という古典ハリウッド的な切り返し編集を一切封印することで、二人の恋愛の不可能性を暗示する。  実際に、小野恵令奈と高岡蒼甫の「擬似恋愛」は幾度も偽の切り返しによって表現される一方、高岡・田畑の対話からは意識的に徹底排除されている。 監視カメラ映像を通して交わされた偽のそれと、ラストの美しいそれ以外は。   同時に、頻出する携帯電話での対話も常に一方の発話者側だけを捉え、関係の一方向性と非対称性を強調しているのも確信的に施された演出だ。  ラストのクロースアップによる男女の切り返しに至り始めて双方向的な結びつきが成立し、見つめること(視覚)と受け容れること(心理)の一致という原サイレント的美しさを見せ付ける。 
[DVD(邦画)] 8点(2011-07-28 20:53:22)
110.  星守る犬
ファンタジックな向日葵畑と、美しく輝く三陸の海岸。それらが引き立つのは、一方で厳然たる地方の閉塞状況にもしっかりと眼が向けられているからだ。  半壊した家屋や、シャッターの下りた商店が連なる寂れた国道を無言で見届けていく西田敏行の複雑な表情が忘れがたい。それは紛れも無く作り手が現場の風景に触発され生まれたショットであって、台本をなぞるだけのスタイルからは決して挿入され得ない。 だからこそこれらのショットは強度を以って迫る。  新聞の見出しにさりげなく登場する「小泉圧勝」、「リーマンショック」の文字と平行しながら描かれる地方企業のリストラと、家族の分解。 現代的な孤独死の様相までを丹念に見据え、単なる「悲惨」に留めずに積み重ねていく語りには作り手の誠実な人間観と社会観が伺える。  青森の夜の埠頭で、一人ダンスを踊る可憐な川島海荷のロングショット。 三浦友和、余貴美子、温水洋一、濱田マリらの多様な佇まいは、単純な「善良」には陥らず、豊かな人間性を醸し出す。 そして映画のラスト、いわきの漁港で漁船の仕事に精を出す中村獅童の姿を、3.11後の今、冷静に見ることはできない。  奇しくも、フィルムに収められることとなった被災前のいわき、遠野のロケーションの風情がリアルタイムと交錯しながら、ロードムービーとしての情緒を倍増させている。  覚束ない足取りの犬を困難な超ローポジションで捉えていく撮影も頑張っている。  車のナンバー「746」「2525」といった細部も作り手の拘りの証だ。
[映画館(邦画)] 8点(2011-07-16 23:59:36)
111.  月あかりの下で ある定時制高校の記憶
卒業式の「涙そうそう」に被せて挿入される思い出のフラッシュバック。担任からのメッセージを聴く生徒の表情へのズーミング。これらの「感動」演出はあまりに通俗的で品が無い。 公的な場であることが、撮影四年越しのクライマックスに至ってカメラの自重と緊張感を奪っているのではないか。  逆にこの映画は、日常の彼らの姿を捉えたシーンこそ輝いている。  例えば中盤のシーン。 ナオミと呼ばれる少女が、太鼓の練習の休憩時間にそっと場をはずす。 カメラは彼女を追い、ゆっくり階段の踊り場まで登っていくが、そのフレームが捉えるのは踊り場の壁と彼女の影のみ。「どうしたの?」という監督の声。続いて彼女の嗚咽が聞こえてくる。 カメラは壁と彼女の肩だけを捉えている。ここでナレーションによって彼女の家庭事情が語られるが、カメラは彼女の座りこんだ姿を一瞬だけフレーム内に入れ込むと、ゆっくりと後ろ向きに後退していく。 撮影者=監督は、彼女に寄り添い、肩を抱くことを優先し、彼女を撮らないことを選択した。 浦商の生徒や教師と同様、「撮ること」と葛藤し、悩みためらいながら関係を築いてゆこうとするカメラの誠実な揺れが胸を衝く。  映画は、本来ならばドラマティックな「見どころ」となるべき場面を何度か事後ナレーションですましている。 それは単なる省略ではもちろん無く、上記の1シーンに露わな様に繊細な感性を持つ彼ら「撮られる」側の苦痛を知り、デリケートで重要な人間関係の場には安易にカメラを踏み込ませまいとする倫理的な決断ゆえだろう。  彼女らの過酷な境遇。自傷のエピソードを自ら明るく語る彼らの真の苦しさ。それらは決して画面には表れてこない。 そこをこそ、観る側は汲み取りたい。 
[映画館(邦画)] 8点(2011-06-19 17:53:38)
112.  少女たちの羅針盤
忽那汐里の提案によって四人が公園のブランコに乗る短いシーンは当然ながら原作小説にはない、ロケーションを活かした映画オリジナルのささやかな設定である。  それは四人の一列横並びと、ブランコの振り子運動、そして吊り手を握りしめる拳を映画表現する為のものと思ってよい。  謎解きの理屈は原作の領域に過ぎない。言語の行間を如何に実景化し、如何に画面にのせるかが映画の要であり、この作品はそこが充実している。  岸壁で夕陽に見惚れるシーンの横並び、公園の噴水でのじゃれ合い、衝動的な疾走と絶叫、健気な「手」のアクションなど、小説の記述では成し得ない映画ならではのエモーションにことごとく打たれる。 喜怒哀楽の内心を紋切型の表情演技で表出させない、微妙に屈折やコンプレックスが入り混じる女優たちの思春期の相貌もとてもいい。  四人はあるときはバラバラな方角を向き、あるときは求心的に向き合って手を重ね合い、そして横一列に並んで一方向を見つめる。  座り方、立ち方で各キャラクターの個性差を提示しながら四人を一画面内に収める配置はバラエティ豊かで、かつ的確だ。  舞台上で手を繋ぎ合ってスポットライトを浴びる四人のシルエットの画も美しい。  
[映画館(邦画)] 8点(2011-06-11 19:07:59)
113.  塔の上のラプンツェル 《ネタバレ》 
ラプンツェルが危機一髪で崖からジャンプする瞬間と、刑場に引かれていくユージーンのショット。映画の中で二箇所限定で用いられたスローモーションの沸き立つような高揚感。 あるいは的確なクロースアップ、POV、移動ショット、ジャンプカットと、洗練された映画的ショットと編集の宝庫ともいえる。落下運動の向地性と無限上昇運動としての浮遊を対比的に活かしたアクションの緩急と、光の見事さ。 ティアラの輝きと透明感の表現力は、ディズニーの伝統を着実に受け継いでいる。 画面の充実は、エンドクレジットに記されたレイアウトやライティング担当スタッフの豊かさにも明らかだ。  語りを含めた完成度の高さを十分認めた上であえて欲をいうなら、離れ離れとなった二人が塔の上で再会するクライマックスにかけてはそれに相応しいもう一段の困難と試練が欲しい。  落下と振り子運動をダイナミックに駆使した、中盤までの縦横無尽のアクションシーンがあまりに素晴らしいだけに、二人が互いを求め合うクライマックスでは塔の高低と構造を活かしたよりドラマティックなアクションが間違いなく出来たはず。 『カリオストロの城』の時計塔や、『長靴をはいた猫』の魔王城のような。 
[映画館(吹替)] 8点(2011-04-26 22:32:02)
114.  ブンミおじさんの森
大雑把に三部に分けられる構成には侯孝賢の『百年恋歌』のような趣がある。  熱帯林の緑の濃淡と、湿潤の感覚。裸電球の下で食卓を囲むショットとフレームへの人の出入り。エピローグのPOPミュージックなど等、、。  小さな滝と水流の幽玄性、中国茶の入ったガラスコップに木漏れ日を美しく反射させる採光などは実に繊細だ。寝室の蚊帳は幾度も画面に淡く美しい紗をかける。 水と小魚の鍾乳洞のイメージなどは母胎のメタファーそのままだが、まずもって具体の画面として吸引力がある。  冒頭から豊かに響く生命の気配の濃密さ。静かな地鳴りのような音響へと変わり、それが途切れた瞬間に引き立つ静寂、その音響が緊張を孕みながらも心地よい。 あるいは足を患うジェンの不自由な足取り、水牛、犬、精霊の佇まいもまた静かな緊張感を終始漲らせる。  赤い目を光らせる「猿の精霊」の造型はどこか宮崎駿の描く神人の影響などもおぼろげに感じさせる。 暗い洞穴の中で輝く、星のような鉱石の光。その美しいイメージはまさに『天空の城ラピュタ』の一場面の優れた実写化だ。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-18 23:01:37)
115.  トスカーナの贋作
検閲の厳しいイランを離れ、イタリア・ルネサンスの地で表現される女性のエロティシズム。 それをジュリエット・ビノシュが艶めかしく体現する。  車のフロントガラスを流れていく街並みと空、そこに重なる車内の男女の像。ガラスや鏡を介した複写の主題も、レストランの窓ガラスや化粧室の鏡から、オートバイのミラーへの反射に到る細部まで手が込んでおり、迷宮感すら催す。  ウィリアム・シメルが登ってゆくホテルの階段の深い暗がりと、窓から差し込んでくる微かな陽光の推移など、光に対する感性あふれる画面にも魅了される。  画面奥の空間を示唆する多層的遠近感の演出も、ルネサンス絵画技法の映画版というべきか。  そして、雷鳴・風音・鳥の羽音・鐘の音色がもたらす豊かな空気の震えも聞き逃せない。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-03-05 21:51:41)
116.  ゴダール・ソシアリスム
地中海を巡るオリヴェイラ『永遠の語らい』(2003)のすべるような波と静けさに対して、白と紺碧のうねるような波と風雨の轟音が後々まで耳目に残る。  オリヴェイラがギリシャ・エジプトを巡ってインドへ向かおうとしたのに対し、ゴダールが寄港するのはパレスチナ・オデッサ・バルセロナと、内戦の地への拘りを鮮明にする。  特にオデッサのシーンに対する力の入り具合は、『映画史』や『アワーミュージック』など、度々引用されてきた『戦艦ポチョムキン』への思い入れの強さをはっきり窺わせる。オリジナルの虐殺シーンの引用と、現在の緑に囲まれたオデッサ階段を右斜め下に移動していくカットが交互にモンタージュされるなど、引用が創出する新たなイメージは感慨深い。  第一章の客船内の享楽的な原色と爆音の洪水は、第三章のモノクロ・カラーが混交する引用映像と戦乱の爆音と呼応している。  第2章のリャマとロバ、ランプシェードも印象的だ。  
[映画館(字幕)] 8点(2011-01-30 20:08:28)
117.  海炭市叙景
小林薫、加瀬亮ですら、登場当初はそれと判別できない。南果歩に至っては最後まで気づかなかった。それほど、彼らの風貌は地方都市生活に馴染んだ趣をみせる。 現地の素人キャストらが演じる脇役たちの佇まいも、生活実感に基づいたロケーションや照度を落とした映像と相俟って見事な存在感を放つ。 夜半から夜明けにかけての函館山からの望遠や路面電車の風情など、当地映画としての魅力も強かに保持しながら、北海道ロケ作品にありがちな美景ショットや、安易に心象を仮託するような情景ショットに陥っていないのは、まずもって生活地としての風土の叙景に徹している故だろう。 その上で、小林薫の一家が見上げる美しい夜空や竹原・谷村の兄妹が手を繋いで渡る踏切と坂道、あるいは白く煙る半島を三浦誠己がフェリーの甲板から見つめているショットが深い情感を呼び込む。 兄妹の繋ぐ手、猫を撫でる老婆の手、酔漢を制する手など、冬の映画の中で手のアクションがささやかな温もりを伝えている。
[映画館(邦画)] 8点(2011-01-29 15:50:02)
118.  ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う
ロングショットを主体とし、乱れた黒髪や逆光の陰影によってその表情をなかなか顕現させない佐藤寛子、東風万智子、大竹しのぶ、井上晴美らの女優陣。 その分、全身の動作と佇まい、発する声の抑揚と響きがその情念を前景化させる。 とりわけクライマックスの舞台となる石切り場内部の坑道や地底湖で、エコーがかかった彼女らの呻き・叫びともつれ合いは強烈な凄みを発散する。 巻頭の狭く血に塗れた浴室と対になる、青白い光線の差す石切場の壮観と幽玄な趣き。暗い洞内に差し込む外光のアクセントは聖性をも湛えて美的である。 竹中・佐藤の睦み会う背後にあるネオンサインの鮮烈さも目に沁みる。 新宿歌舞伎町界隈を彷徨う主人公を捉えるゲリラ撮影の生々しさ。その望遠の画面が、あるいは緩い傾斜の天井までを画面に取り込んだ事務所の空虚な広さと闇が、主人公の孤独を際立たせて印象深い。
[映画館(邦画)] 8点(2011-01-26 22:04:06)
119.  キック・アス 《ネタバレ》 
ネット配信される悲惨なリンチの画像に見入りつつ、もたれかかる女性を抱きとめ喜色満面となってしまう主人公の親友たち。その悲喜劇の組み合わせの不謹慎さ。 そして、満を持したマズルフラッシュが一閃し、周囲が闇に落ちる。 喜劇的な伏線が、復讐劇の重い感動に転化する瞬間のカタルシス。  犯人やトラップをあらかじめ観客に明かすことによってサスペンスを煽るヒッチコックの映画術のように、明瞭に配置された伏線が、救出劇のエモーションを高める。  暗闇の中に鋭く弾ける銃撃炎の激しい照り返しは、姿なき娘の怒りの表象となり、 彼女が装着した暗視スコープの主観画面は、機敏かつ冷徹な銃捌きを見せる手のアクションを以って怒りの強度を伝えるとともに、観客に同化を促さずに置かない。  映画は、クライマックスの銃撃戦・格闘戦のさなか、夜が明けていく窓外の光の推移も丹念に捉え続け、ラストで闇からようやく抜け出た少女を逆光の朝陽で包ませる。  そのビル屋上のツーショットが大変爽やかだ。    
[映画館(字幕)] 8点(2011-01-19 22:59:17)
120.  アンストッパブル(2010)
画面を横切る線路の向こう側に佇む一人の少女の姿。それをかき消すような鉄塊の流れ、その巨大感、暴走感。 線路の手前側と向こう側が世界を分ける。列車の映画では馴染みのモチーフであり、この映画ではアクションと衝突のアクシデントは専ら暴走列車の進行方向左手側を中心に展開する。社会見学の児童らの乗る列車が危難を回避するのは右手側である。  何度も逆進方向である右後方を振り返るD・ワシントンと、クリス・パインの同一方向上の切り返しショット。二人の面構えがそれぞれ素晴らしい。 そして毎度馴染みのロケーション、「高架鉄橋」への拘りも空撮中心に気合が入っているし、背後から迫る列車と手前の踏切内の馬を組み合わせたショットの圧縮感などもいい。 視界を大きく遮る穀物の散乱の過剰ぶりと、連結部でのアクションの見え隠れ具合もサスペンスを一段高める演出として見事だ。  ただし、離れ合った登場人物達があっさり一堂に会してしまう大団円の記者会見は蛇足の感あり。それぞれが遠隔地同士のまま、シンプルに〆ていれば尚良い。
[映画館(字幕)] 8点(2011-01-15 23:57:37)
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