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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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1261.  緋牡丹博徒 お竜参上
たぶん私は仁侠映画は、その時代色を楽しめるところも好きなんだろう。街のさざめきなどの気配、丁寧な小道具、そういったところにうっとりしてしまう。ああいった小道具を適宜に配置できる能力は、ちゃんと伝わっているのだろうか。本作最後には凌雲閣が登場する。画面の特徴では、手前に何かがあるカットが多い。つまり奥のほうで捉えるのが好きみたい。手前に娘、その奥で顔をもたげてくるお竜、この二つの顔の重なり合い。悪玉がアラカンにイチャモンつけるときの奥のお竜。あるいは娘との再会シーンの据えっぱなしの長回し、奥のお竜がハッとして前面に出てくるの。仁侠映画はワイドの画面を一番生かせたジャンルだと思っているんだけど、それは相対する距離を十分に取れるところ、横に広がる儀式の場や賭場のシーンで、舞台のような広さがちょうど合っている。でもこういった奥への展開も合わせ持っているから、さらに画面が豊かになってるんだな。今戸橋のシーンでも、画面の右手に橋を大きく埋めて、左の隅っこで二人を立たせる。するとそこに密やかさも加わってくる。倒れたアラカンのずっと向こうを傘を差したのが通り過ぎていく。この「奥」の感じと、ぐっと手前でほとんど人物の足元からあおる感じとが対比される。とにかくワイドの画面に無駄が全然感じられない。加藤泰お気に入りの任田順好は「役を降ろされた女優」の役で、例のごとく怨みの人を好演。若山富三郎は好きな役者だが、このシリーズでの熊虎については判断留保。安部徹はホントきたない野郎だ。
[映画館(邦画)] 8点(2010-10-02 10:15:47)(良:1票)
1262.  瞳が忘れない/ブリンク 《ネタバレ》 
レトロアクティヴヴィジョン(逆作用視覚)ってのがポイントで、見たものを遅れて認識することがある、っていう角膜移植後の後遺症、これうまく使えばいいサスペンスになれるモチーフなのに活かせなかった。主人公が今ぼんやり見えているものが、もしかすると過去の出来事かもしれない、という不安を感じてないみたいで。普通のスリラーの、犯人の像が現われる不安だけになってしまっている。現実感覚の不安になってないの。もったいない。それに元盲目なら、相手が闇の中で襲ってきたらこっちのもんでしょうが。なんかせっかくの新味を出せる設定を、いままでのスリラーの手続きだけでこなしてしまったみたい。移植した先をたずねまわるイビツな愛って動機はいいんだけど。
[映画館(字幕)] 5点(2010-10-01 09:58:51)
1263.  女ざかり(1994)
前作でちょっとやりかけていた細かいカットを、今回は全編でやりおった。『白昼の通り魔』よりも細かい。生理的につらい。なんか本来の「映画」から隔てられている感覚。ヨシのズイから覗いている世界のようで、せわしないというより、狭さを感じた。その発見が本作唯一の収穫。狙いとしては、同時に複数の視点を得ているようになると思っていたのか。やはりカットにはある程度、動きが完結するまでの時間が必要なようだ。ちょっとした遊びのシーンだけならそれもいいけど、全編でやられるとつらい。脚本も良くない。この話なら原作を刈り込むべきで、それを詰め込んで失敗。後半の過去と関わってくるあたりを中心にしてしまったほうが大林的だったのでは。
[映画館(邦画)] 5点(2010-09-30 10:19:08)
1264.  ビッグ・バグズ・パニック 《ネタバレ》 
モンスターものでは、普通そういうものが登場する理由づけが必要とされる。そりゃみんな取って付けたようなもんだけど、いちおう観客への礼儀としてマッド・サイエンティストなり環境汚染なりが動員される。ところがこれは、その点いさぎよい。なんもない。主人公が上司にクビを言い渡されていると、キーンと音がして、気がつくと巨大昆虫の世界になっている。どうせ観客だってそんな発生の理由なんて聞き流してるんだから無くてもいいだろう、という作者の省エネか。内面的には分からなくもない。クビを言い渡されるなど社会的に追いつめられたとき、人は大地震を期待するものだ。そういった逃避的夢の世界と最初から割り切ってしまえばいいのかも知れない。でも意外と観ている間、その発生の無意味さが作品を漂わせていて、まあ重みを期待する種類の映画ではないんだけど、なんか中途半端なゲーム気分のままエンディングに至ってしまった。しょせん映画は夢だけれど、最初から夢レベルのものとして提示されると、つまんなくなってしまう。モンスターものでは、その最初の登場シーンが一つの見せ場になると思っているのだが、これではそれがない。巣で周囲の卵たちがモゾモゾ孵ってくるところが、気持ち悪いと言えば気持ち悪い。
[DVD(吹替)] 4点(2010-09-29 10:10:51)(良:1票)
1265.  白夜(1957)
ささいなことだが、エキストラの動きがとっても自然で印象的だったことをまず記しておく。で、内容。主人公の優しさの異様な膨らみ、ヒロインの残酷さのあどけなさ。美談を裏から見たような話で、やはりドストエフスキーの匂いがする。女たらしマストロヤンニが、コロッと純情青年もやれちゃうってのがすごい。ハッとさせるのは、暗い閉じたセットの焚火から昼のじゅうたんの部屋にパンしていくとこ。冒頭の迷い犬がラストのマストロヤンニにまつわりついてくるなどのポーズのつけ方のうまさ。ダンスホールのシーンの解放されていく感じ。ここで、ああ同時代の話になってるんだな、と納得していると、橋の下の乞食なんかとっても19世紀的で(主人公の下宿部屋も)、不思議に時代がゆらゆら揺れている感じがあった。典型的な「良くできた文芸映画」であって、しかしそれ以上のものではない。『ベニスに死す』は文芸映画であって、しかもどこを切っても映画で充満していた。
[映画館(字幕)] 7点(2010-09-28 09:51:09)
1266.  バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト
アタマで家庭人(父)としての主人公を見せてから、自分の世界に引き入れていく。捜査の最中に真剣に話し込む野球賭博の場なんかリアリティ。そういうドキュメント的な面白さでいくのかと思っていると、後半で突然遠藤周作的なテーマに転調する。そこのつながりに滑らかさが感じられないのは、監督がその落差をこそ見せたかったのか、それとも宗教と無縁のこちらのせいなのか。それほどイタリア系にとってはカトリックってのが根深いものではあるのだろう。次第に賭博にはまっていく経過はよく分かる。次は勝つ、という気分。テレビつけるとスリーランホームラン打ったところで、ヨシッ、と思って見続けると、それは11-0が11-3になったところだった、なんての。別に賭けてなくても、そういうときの気分って分かるな。無免許運転娘の場もねっとりしてて リアル。刑事のやくざな日常のリアリティに対してカトリック信仰の葛藤のリアリティがもひとつ迫ってこないのは、ほんと、演出のせいか宗教鈍感症のこちらのせいか、あるいはやくざ刑事に似合い過ぎてるハーヴェイ・カイテルのせいか、分からない。
[映画館(字幕)] 6点(2010-09-27 09:55:42)
1267.  白夜(1971)
なんて言うんだろう、針金だけでできているような映画。人物に厚みがない(これ普通はけなすときに使うんだけど、そうじゃないんだ)。現実を慎重に薄~く切った結果なのか。憑かれているものの薄さとも言える。抽象画の友人の忠告に対して、こちらは古城のロマネスクに徹してる。女性を追いかけるのも、なにかに憑かれている感じ。だから全体から見ると消極的な生き方なのだが、その「一筋」に関しては豊かこの上ないわけ。実にぶっきらぼうな唐突性のなかに、あのボサノバの船がゆったりと流れていく豊かさと照合できますか。この人の映画は、針金の鋭さで描き切るのが多いけど、本作ではその針金を通して、豊かでロマネスクなものが匂い立っている。こういう世界も隠し持っていたのか。ドアの開閉のリズムなんかに抑えに抑えた美しさがあって。テープに「マルト」と吹き込んで、バスの中でかけたりして、ほんとなら突き放したくなっちゃう主人公なんだけど、ブレッソンの文脈の中だと、憑かれた崇高さが出てくるから不思議。
[映画館(字幕)] 7点(2010-09-26 10:11:16)
1268.  カティンの森 《ネタバレ》 
ワイダの映画は「長いものに巻かれるな」という強い意志に満ちている。本作では、おもに政治から一歩引いたところに立てる女性に、その意志は託された。夫をナチスに・息子をソビエトに奪われるような、両側からの暴力にさらされてきたポーランドのうめきが聞こえる。しかし長いものに巻かれて生きる生き方を選んだものを見下してはいない。それを選んだことの苦悩も、やはりポーランドの苦悩として、自死する兵によって同等に描かれる。偽証して生き残った彼と、手帳に記録を残しなすすべもなくカティンの森に消えていった男と、その悲劇を比べてはいない。ただ「記録」することによってやがて歴史が裁くだろう、という願いのようなものの分だけ、後者が重い。絶望はたしかに限りなく絶望的なのだが、それを踏まえた上で「やがて誰かが手帳を必ず開くだろう歴史」に対する希望がワイダの映画にはある。ソビエト影響下のポーランドで作られた彼の映画は、この手帳・もしくは手帳の存在を指さすものだった。本作にもワルシャワ蜂起の生き残りという娘が出てきて『地下水道』を思い返させたし(彼女は地下へ消えていく)、『灰とダイヤモンド』のマチェクになっていったかも知れない青年も登場する。私たちがワイダの映画で会ってきた人たちが、破壊され得ない墓碑銘として本作には埋め込まれている。
[DVD(字幕)] 6点(2010-09-25 10:14:54)(良:3票)
1269.  石中先生行状記(1950)
これは「成瀬的」というもののイメージをことごとく裏切りつつ、それでも観終わってみれば、やはり成瀬の映画を観た、という気分にさせてくれる不思議な作品である。まず成瀬的「うじうじ」がなく、「朗らか」である(多くの作品ではそのうじうじぶりがたまらなくいいんだけど)。これはまあ原作のせいかもしれない。次に狭い「下町の路地」を得意とするのに、これはいたって「牧歌的」。道を撮ると印象的なのは同じだが。そして「中年」の話で多くの名作を残しているのに、これは「若者」。若山セツ子と三船敏郎(当時は若者なのだ)の第三話など、愛すべき作品。でもみずみずしさがあまりほとばしらないところが、なんか成瀬らしい。加えて達者な役者たち。欲もあり人もよし、というところは進藤英太郎以外に考えられず、藤原釜足と中村是好のコズルサを出す会話の妙には堪能させられた。最終話の囲炉裏を囲むシーン、健康そのものの若山セツ子とブスッとしている三船敏郎の対比、それまで若い娘のいなかった家庭のこれまでを想像させてくれる(若山が『青い山脈』の自分のシーンを観ているなんて、似合わぬジョークもやっている)。成瀬の代表作ではないかも知れないが、こういう明朗・牧歌的・若者の作品もあるって嬉しい。
[映画館(邦画)] 8点(2010-09-24 09:53:03)
1270.  ロング・ウォーク・ホーム
アメリカ映画では、いつも正義と勇気がワンセットになっている。正義を行なう勇気を賞揚する。正義の教育的発展とでも言いましょうか。頭だけの正義派だったシシー・スペイセクが、ナマの現実の中で地に足をつけるまで。「たとえ子どもの教師や隣人が黒人になっても大丈夫ですか」とウーピーが彼女に問う。公園で追い出されたウーピーについて、スペイセクは「何も彼女の子どもを連れてったわけじゃないのに」と言っていたのだった。こういう描きかた、うまいね。さて、正直に告白すると、迫害する側の集団を見てると、変にワクワクしてきてしまったんだ。彼らの意見にまったく同意しないにもかかわらず、会場のシーンなんか、シンボルの旗が垂れてて皆が高揚してて、なんか『意志の勝利』を観たときのワクワク感と似たものが生まれてくる。人間の集団ってものの基本がきっとここにあるんだろう。攻撃すべき他者がはっきりとあって、皆の気分が一つになっていると、その集団の意見とは関係なく魅力的に感じられ興奮できてしまうんだな。本当に恐ろしいことだが、それを体験できたことが私にとってのこの映画の価値。
[映画館(字幕)] 6点(2010-09-23 10:51:12)
1271.  くちづけ(1955) 《ネタバレ》 
第1話。いいなあ昭和30年の青春。肯定の精神。この手の朗らかさは今やるとシラけちゃうだろうが、やっぱり映画ってのはその時代固有の条件の中で生まれてくるものなんだなあ。だから時代の記録にもなるんだ。第2話。女湯でたてた波が小泉君のほうへ伝わっていくとこなんかよかった。第3話。オムニバスのリズムとしては、2と3入れ替えたほうがいいかもと思ったが(このコント的な味は中間部にふさわしい)、でもやっぱ監督の序列があるんだろう。『浮雲』の年で、肩の力を抜いた成瀬が楽しんで撮ってるような感じが好ましい。前の道をホッケの太鼓やチンドン屋がちゃんと通る。これで一番記憶に残ってるのはラストの八千草薫で、美貌の女優さんなら誰でもいいようなもんだけど、あの人のどこか非現実的な笑顔がピタリ合ってる。あの女優さんは、けっこう気のふれた人とか、ちょっと現実とずれた人やることが多いでしょ。「男はつらいよ」シリーズで一番最初にパターンを崩したのも八千草さんだったし(あれはシリーズ中でもかなり好きな一本)、ああいう役を観客に納得させて演じられる貴重な人。本作の一瞬の登場も、そういう彼女のキャラクターがあって、オチとして実にフンワリと心地よく決まる。
[映画館(邦画)] 7点(2010-09-22 09:56:37)(良:1票)
1272.  サイコ(1960) 《ネタバレ》 
白骨になったりミイラ化してる家族と同居してた、って最近の“消えた高齢者”事件で、「そうか『サイコ』ってけっこうリアリズムだったんだ」と慄然とさせられた。少なくとも、我々の日常とどこかでつながってる話だったんだ。この二段構えの独特の構成、前半ではいたって「分かりやすい」犯罪、金を目にして魔がさす事件が展開する。変な言い方だが、日常的な犯罪。それが後段になると、より深いレベルの魔の世界に入り込んでいく。前半でしばしばクローズアップされていた事件の中心である大金が、あっさり車とともに沼に沈んでいく。より深い魔に。「分かりやすい」事件が、より暗い世界に包み込まれていく。この構成、作品全体の整いという点から見ると屈曲しているようでいて、それなりの筋が通っており、観客にとっては迷宮感を増すことになる。「犯人」が唐突に消え、次に「探偵」が消え、じゃあ誰がドラマを仕切るのだ、って。観客は実に心細い気持ちでこの手だれのスリラーを観続けねばならない。それにしても死体と同居していた事件を「年金詐欺」レベルで納得してしまう日本のマスコミの情けなさ、あれってジャネット・リーがベイツ・モーテルに到着したところで『サイコ』観るのをやめてしまったようなもんじゃないか。
[DVD(字幕)] 8点(2010-09-21 09:50:29)(良:1票)
1273.  キカ
この監督、暖色系の気味悪さを発見したのが手柄だろう。赤や黄色、なかんずくオレンジ色。自然色じゃない人工色の世界。どこかオトギの国の不気味さに通じていく(メイキャップという仕事も人工の世界の仕事)。当然ストーリーは室内劇とならざるを得ない。主人公は気のいい女、最悪ニュースのレポーター・アンドレアの対極、ドラマの展開しやすさからいけば主役脇役が逆になるところだが、これがどこかオトギの国に通じていくキカが軸になる。オトギの国の犯罪。どこか話が閉じていて、テレビというものの閉じ具合と関係づけているのだろう。他人の不幸。暗い人間は死に、見捨てられ、キカはヒマワリを背景に旅立っていく。映画とは、現実に対するオトギの国と割り切っているのだろうか。常連ロッシ・デ・パルマのことを、ピカソの絵から抜け出てきたような、と言うのはうまい。
[映画館(字幕)] 6点(2010-09-20 09:48:00)
1274.  水で書かれた物語
世の中に奇妙な組み合わせは多々あるが、吉田喜重と石坂洋次郎ってのはかなりのものだ。たってこの原作読んだわけじゃなく、「青い山脈」とか「石中先生行状記」とかで作られた印象で言ってるんだけど、陰気と明朗、水と油。どんな監督が撮っても明朗な石坂調になるのに、この監督はならなかった。もしかして原作そのものがこう非石坂調の特殊なものなのかも知れないが、それにしてもイメージとあまりにも違いすぎる。あるいは40年代と60年代の違いか。弱いものの意地と反逆、いうとこに焦点を当てて、自分の世界に完全にしている。その世界はあんまり好きじゃないけど、この監督の作家魂は立派です。光と陰のコントラスト、俯瞰で人を押しつぶすような構図、日傘への偏愛。シャッターが降りてくる、ってのも好きみたい。ただ2時間観てるとキザに見えちゃう気がしないでもない。夢のシーンなんかよかった。看護婦たちが舞うように動くスローモーション。
[映画館(邦画)] 6点(2010-09-19 10:02:56)
1275.  バグダッドの盗賊(1924) 《ネタバレ》 
D・Fの身振りの大きさ。演技とかアクションとかいうより「パフォーマンス」と呼びたい。フルショットの多用で、もうバレーの世界ね。でもダイナミックな動きは舞台のものではない。馬にロープ引かせてベランダまでエレベーターしちゃうとか、そこから魔法のロープに飛び乗っちゃうとか。姫の部屋から逃げ出すキートン的倒木。こりゃワクワクさせられますよ。上山草人ら東洋系の顔が全部悪人てのはちょっとカチンと来ちゃうけど、ブキミなんでしょうなあ、西洋人にはこの手の顔が。そのブキミさだけを東洋系俳優は売りにしなければならなかったわけだ。この24年排日移民法が成立してる。28年になるが、推理作家ノックスの十戒ってのが出来て、その中に「犯人は中国人であってはいけない」という一則がある。現代なら「犯人はイスラム教徒であってはならない」ってなところだろう。そういう20年代。で映画では恐るべき東洋の侵略、次々とモンゴル兵になっていくあたりは、でもやっぱり見もの。兜みたいのかぶってんの。主人公が登場して、マジックソルジャーがボンボンと生まれてきて、大群集になってしまう。大セットによるまさに夢の工場だったんだなあ、としみじみ当時の映画産業を思う。
[映画館(字幕)] 7点(2010-09-18 10:02:22)
1276.  マーヴェリック 《ネタバレ》 
西部劇の遺産がたっぷり。その遺産を食い潰しているだけで、新味を盛り込めないところが弱点といえば弱点だが、遺産があるだけいいさ。最後の場以外は不必要な殺人が一つもないのが正しい娯楽の姿勢。カタギの人間は殺されない。老人は天寿を全うする。かつての西部劇黄金期との違いでは、インディアンの扱いが難しくてネックになるのだが、これは成功。ただのイイモンでなく人間味を出せた。最初のポーカーのときの早撃ち男のような、不気味な顔を適度に配置して、コメディの隠し味にする。主役二人の騙し合いの楽しさ。崖でヘルプと言わねばならぬ、ああいったコント、二枚目半の主人公ものの味って好きです。脚本は『明日に向って撃て!』の人。終わりがちょっとダラついたが、楽しめた。
[映画館(字幕)] 7点(2010-09-17 09:31:42)
1277.  沈まぬ太陽 《ネタバレ》 
ずいぶん久しぶりに邦画で労働組合を目にした。かつての社会派映画では、よく赤旗がひるがえっていたものだ。もっともこれでは第一組合と第二組合の話になっていって、分解に至る。ほぼ半世紀前の映画、勅使河原宏の『おとし穴』(脚本安部公房)も、炭鉱の第一第二組合の抗争がテーマだった。けっこうもっと中心に持ってこられるモチーフだが、でも現在は「派遣労働者」という使い捨てできる魔法のカードを企業は手にし、もう組合を気にせずに運営できて、そもそも組合の組織率も下がっているのだろう。そのせいかここで回顧的に描かれる労働運動も、どこか「作られた切迫」に見え、たとえば現在の「派遣」の苛酷な状況につながっていくものは感じ取れなかった。それと相変わらずのアフリカの描かれ方、まず日本から見た「僻地」として登場し、最後は「癒し」の大自然となる。最初に飛ばされたのはパキスタンで、これまた往年の邦画『乱れ雲』で飛ばされた地が、まだ「僻地」として登場する。過去を舞台にした作品だから仕方ないのかも知れないが、現在作られた映画なのだから、そこに潜む地域感覚への批評的な態度がちょっと欲しい。つまり、「過去」という題材に閉じ籠もりすぎているのではないか。善と悪がきれいに分かれた世界・人物造形の単純さ、は山崎小説のポイントで、その単純な人たちによって複雑な社会の動きをはっきりさせているところに面白さがあり、一概に否定すべきものではない。ただやはり同時代性を感じさせる視点が欲しい。これだと同時代性は「今もあるあの会社はひどいな」という感想レベルにとどまってしまう。山崎豊子は大企業や政権党をしばしば槍玉に挙げるが、彼女が好んで描くのはそういう閉じた人間関係の世界の時代を越えたグロテスクさなのであって、「仮装集団」という長編では共産党を斬っている。左翼右翼で割り切れる作家ではない。山崎長編の楽しみの一つは後半の粘り気で、この映画でも遺族会の名簿を入手しようと画策するあたりから、ちょっとそれらしくなった。ただあまり粘り切らない。それと忘れたころに登場人物が再登場するとこ。香川照之がよかった。やたら過剰に気合いの入った人たちの中で、そのウツロさが光る。
[DVD(邦画)] 6点(2010-09-16 09:58:21)
1278.  気まま時代 《ネタバレ》 
字幕なし・あらすじ配布なし、という苛酷な条件下での鑑賞だったが(アテネ・フランセ)、かつてはほかに観る手段がなく、ヒアリング能力が劇的に劣る私でもミュージカルだと楽しめるから嬉しかった。最初の見せ場はゴルフ場、クラブやボールを小道具に使ってフル回転、パッとポーズを決めるのだが肝心のジンジャー嬢はすでにベランダから姿を消しているというオチがついている。ジンジャー嬢の夢、スローモーションになったりする。ミュージカルでわざわざ夢を入れるのは野暮みたいなものだが(現実が変形するから面白いはず)、この場合は精神分析に絡んでいくからいいの。一番の見せ場は、板敷きのホールみたいなとこで、部屋から部屋へまわりながら踊り続けるシーン。いやあ堪能堪能。ほかの部屋へ踊りながら移れる、ってところにミュージカル映画の楽しみの核がありそう。視点の身軽さってことかなあ、もっと映画の本質と関係がありそうなんだけど。あとは婚約発表のときの催眠術的振り付けによるシーンか。オカシくなってるジンジャー嬢が街をさまようあたりが楽しい。ガラスを割りそうでいてなかなか遂げられず(スパナを握ると梯子の上の職人さんに、どうもと受け取られる)、お巡りさんの警棒のスイングであっさり割っちゃうとことか。射撃場でのパニック。女性が銃を構えると、たいていピシッと決まるのはなぜなんだろう。ラストはかなり強引ながらもメデタシメデタシ。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2010-09-15 09:58:17)
1279.  カウガール・ブルース
あくまで文学的なんだなあ。映画としての展開ではなく、文学の幕を通しているもどかしさ。たとえカウンター・カルチャーであっても、文学の幕はやはり幕で、うっとうしい。ヒッチハイカーとしての宿命は、「移動」が日常になること。この設定はちょっと面白くなれるはずだった。でもフェミニズムやら自然保護に落ち着いていき、東洋人でまとめる、っていうのが嫌だね。ツルに麻薬を吸わせるあたり、面白くそれらが対立しそうだったんだけど。唯一映画としての見せ場になったかも知れないツルの飛翔シーンは失敗。ユマ・サーマンは、ああこういう味を出す人なのか、と初めて女優として納得がいった。
[映画館(字幕)] 5点(2010-09-14 09:45:57)
1280.  人生に乾杯! 《ネタバレ》 
無人の銀行に押し入るあたりのユーモアは楽しいし、説明的な部分を省略したテンポも快感。老人版『ボニーとクライド』として楽しい映画だとは思うが、こうやって彼らを笑いながら見てていいのかな、という疑問も付きまとう。「しょせん年寄り」と弱者として見てるから、そこに笑いが生まれるのであって、彼らとしては本気でビビッてほしかろう、とも思う。一応年金の額という政治レベルの動機は用意されているが、それ以上に年寄りの疎外感みたいなものが根にあるのではないか。ドライブスルーのシステムなど、年寄りを戸惑わせる社会そのものに対する反乱を見たほうが話が広がる。勝手に疎外し勝手に英雄視していく世間への不満の爆発。それと、旧体制下で当局の側にいた主人公はホサれた人生を送ってきた、という履歴があるのだろうか。ここらへんハンガリー現代史を知らないので曖昧だが、壁を築いているキューバ(かつての友好国)人との場など、そういった苦みのようなものが感じられた。ハンガリー動乱時に生まれたカップルと、同僚がスキャンダルを仕掛けてくるようなノンキな時代のカップルとの対比といった理屈はあろうが、若い警察カップルはあんまりいらなかったと思う。『バニシング・ポイント』もちょっと思い出させ、この監督、アメリカン・ニューシネマに思い入れありと見た。
[DVD(字幕)] 6点(2010-09-13 09:57:56)
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