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141.  グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版 《ネタバレ》 
ジャックとエンゾの海物語と、ジャックとジョアンナの陸物語を軸に物語は進む。エンゾは素潜り大会で優勝することに生き甲斐を感じている。海の魅力に憑りつかれて、恋人は精神集中を妨げる存在でしかない。ジョアンナは平均的な女性で、ジャックに一目惚れ。ジャックは自由人というより求道者。母は不在、父は漁で事故死し、天涯孤独で育つ。人づきあいや恋愛に疎く、社会人として未成熟。海の魅力というより”魔力”に憑りつかれている。エンゾからは「人間より魚に近い」と言われる。彼にとって素潜りは海の意識(宇宙意識)と繋がる方法。「海の中にいると辛い」理由は「上がってくる理由が見つからないから」。深海は全ての生物の生まれた故郷であり、自分もいつかは胎内回帰するように母なる海に還りたいという宿望がある。深海「グラン・ブルー」には死を超えた何か(理想郷)があると信じている。彼のイルカへの愛は常軌を逸したもの。ジョアンナと初対面のとき「前に会ったね、君はイルカに似ている」という。テレパシー能力の持ち主で、イルカへの愛と女性への愛が同質化している。イルカの写真を見せて「僕の家族」。イルカと手信号など使わなくとも交信可能。元気のない水族館のイルカを勝手に連れ出し、海でリハビリさせる。ベッドに寝ている恋人そっちのけで、海で一晩中イルカと遊ぶ。一方恋人との交信は不得手で、恋人の言うことを聞こうともしない。そんなある日悲劇が起きる。エンゾが素潜り事故で亡くなったのだ。ジャックは遺言通り、エンゾをグラン・ブルーに還してやるが、その戻りに彼も潜水病にかかり、生死の狭間をさまよう。その夜ジャックは不思議な幻影を見た。天井から荒海がのしかかるように侵入し、部屋を満たすのだ。そこには不安や恐怖はなく、イルカは楽しそうに泳いでいる。天啓を受けた彼は船で素潜りできる沖に向かう。グラン・ブルーに何があるか確かめるためだ。恋人は止めるように懇願するが、聞く耳を持たない。妊娠の事実を告げても同じ。諦めた彼女は「行きなさい、私の愛を見てきて」と送り出すしかない。彼がグラン・ブルーに達すると、イルカが迎えにきていた。こうして彼は彼岸の人となった。この映画に癒し効果があるのは、海やイルカの美しさもそうだが、主人公のように家庭や社会生活の煩わしさを捨て去り、自然に還りたいという願望を充足させてくれるから。このジャンル唯一孤高の作品。 
[DVD(字幕)] 8点(2012-09-14 06:44:06)
142.  ジェイコブス・ラダー(1990) 《ネタバレ》 
人が死んで、迷える魂が徐々に浄化され、天国へ昇天するまでの過程を描いた宗教・反戦映画。聖書の知識があると理解しやすい。 「Jacob's Ladder」ヤコブの梯子は、旧約聖書でヤコブが見たという天使が上り下りする梯子で、天国への階段。恋人ジェジー=アラブ王の后で、不道徳な悪女ジェゼベル。妻サラ=聖典の民の始祖アブラハムの正妻サラ。長男イーライ=預言者エリア。次男ジェド=カナンを征服したヨシュア?三男ゲイブ=大天使ガブリエル。整体師ルイス=聖王ルイ9世が病人を接吻で癒したとされるのに由来?◆高学歴で人の好いジェイコブは、妻サラとの間に三人の子供をもうけ、高級アパートで幸せに暮らしていた。そこへ悪魔が忍び込む。三男が事故で死亡。心の空白を埋めるように性的魅力に富むジェジーと不倫。離婚してジェシーと安アパートで同棲。郵便配達の仕事に転職。ベトナム戦争に出征し、知らぬ間に軍の秘密の薬物の被験者にされる。薬物の副作用で狂った同僚ルイスに銃剣で刺される。◆ジェイコブの迷える魂は、悪魔や化け物の姿を目撃し、駅で閉鎖されたり、同僚が車で爆殺されたり、悪夢を見るなど様々な不条理な体験をする。これらは死への恐怖と不安、人生への後悔や悲しみ、他者への怒りや憎しみや憐みなどの感情が爆発的に見せるもので、全て生への執着を意味する。天使が手助けして魂を鎮め、天国に導くわけだが、天使はルイスやゲイブの姿となって登場する。生きている間には知り得なかった軍の薬物実験の真相も明らかとなる。高熱や氷風呂は、彼の地獄のイメージが喚起された結果だろう。魂が浄化していくに従って、美しい思い出がよみがえってくる。それは妻や子供たちとの平凡な生活だ。平凡だと思っていた生活が、最も美しい瞬間だったと悟るジェイコブ。最後はゲイブに導かれて天国の階段を上る。◆ルイスの言葉「死を恐れながら生き長らえると悪魔に命を狙われる。でも冷静なら悪魔は天使になり人を地上から開放する」これが主題となっている。心の持ち方で悪魔は天使に変わる。キリスト教的な死を正面から扱った映画だが、反戦思想を持ち込んだところが現代的で奥深さがでた。最大の悪魔は戦争というメッセージが根底にある。最愛の者を失った喪失感から心に悪魔が入り込む隙ができてしまうのは本当に悲しいこと。しかし、そこから立ち直るのが第二の人生だということを学んだ気がします。 
[DVD(字幕)] 8点(2012-09-12 16:46:01)(良:1票)
143.  母なる証明 《ネタバレ》 
 母性が理性に勝ったという映画。それだけではなく、きれいごとでは済まされない母性の本質をえぐり出した問題作。世に氾濫する勧善懲悪の御都合主義映画などとは無縁。「母の愛は永遠」などと考える楽観主義者にビンタを食らわせるような衝撃があり、実に見ごたえがある。単純にサスペンスとしてみても面白い。知恵遅れの息子が殺人の冤罪、ど素人の母親が探偵役で、容疑者が次々に登場、遂に真相にたどり着くが、そこには悲劇が待っていた。どんでん返しの妙があります。しかしこの作品の主題は母性。正直母親は怖いと思いました。愛は盲目の箴言の通り、母にとっては知的障害の子供はどうしても過保護になりがちで、自分と同一化してしまう傾向にある。自分が辛くなったときには殺してしまおうと考える。これが心中未遂。息子の冤罪を晴らすためには、全てをなげうって一心不乱に邁進する、その姿には心打たれる。息子が真犯人だと判った瞬間、逆上して目撃者を撲殺し、証拠隠滅の放火までする。総て母性のなせる業、愛こそは全て、善も悪も超えている。しかし因果応報の理あり。息子が心中未遂事件を思い出して、「母が僕を殺そうとした」と復讐される。息子が焼け跡から針道具を回収してきて、罪の意識が決して逃れることがないことが暗示される。母と子の関係が一生消えることがないのと同様、罪の意識は永遠に母親を苛む。そして真犯人にされた無実の男との対面。男は息子と相似で、軽い知的障害がある。しかし母親はいない。そのことに涙するのは、男はこの先、誰の愛も受けられれず、殺人の汚名を着て生きていかなければならないことを知っているから。この男への罪の意識も重い。これから二重、三重の苦しみが待っているが、母として息子のために生きていかなければならない。夕日の中の踊りは、苦しくとも、明日に向かって生きる勇気を振り絞る決意の表れだろう。◆警察の杜撰すぎる捜査や堕落しすぎている弁護士など、リアリティに欠ける部分があるのは惜しい。「ゴルフボールだけで逮捕」はありえない。伏線の回収は見事でした。息子はバカと言われたら暴力で立ち向かうように躾られていた。被害者は常日頃から鼻血を出しやすい体質。屋上に置かれた死体の謎。廃品回収の人は善い人。ゴルフクラブの血というミスリードもナイスショット。息子の悪友の容疑者から捜査協力者への転換なども見事、映画の勘所を心得ている監督です。
[DVD(字幕)] 8点(2012-09-10 18:20:29)
144.  運動靴と赤い金魚 《ネタバレ》 
靴を失くすという小さな日常の出来事から広がる物語。たかが靴だが、貧しい家の子供にとっては切実。大人の視点で言えば、靴を失くしたことを正直に打ち明ければよいし、兄妹の運動靴の交換は学校のすぐ近くで行えばよいし、マラソン一等賞の賞品を売って運動靴を買えばよい。でも子供には子供独特の考えがあって、思わぬ行動に出ることがある。そこが面白く、子供たちの一喜一憂が新鮮。◆兄弟愛を描いているようで、主眼は家族愛でしょう。特に父子愛。母は病気で存在感が薄い。が、自分達より貧しい隣人にスープをおすそわけするという(イスラムならではの?)優しさを持つ。父の描写が素晴らしい。子供達には強い父。家賃五ケ月も溜めているのに家主には何故か強気の姿勢。家に砂糖がなくても、仕事で預かった砂糖を拝借するようなことをしない。茶給仕の仕事では家族を養うには足らない収入。そこで庭仕事の仕事を始めるという善き父ぶり。一方でコーランの一節には涙を流し、お屋敷街の豪邸で「庭師です」と売り込めず、犬に吠えられ逃走という小心ぶり。庭仕事で予期せぬ高報酬を貰っても自転車事故を起こしてチャラに。そして最後に最大のサプライズ、お金をやりくりして子供と約束した靴を購入。こんなに正直で人間味溢れた父親の元では子供も素直に育つと思う。兄妹が、失くした靴を履いている少女の家を訪ねるが、その父親が盲目で、どうやら自分達より貧しいらしいとわかったとき、何も言わずに帰るという心温まる挿話があるが、この優しい心を育てたのは両親の薫育でしょう。親の後ろ姿を見て子供は育ちます。◆靴を洗っている最中に、ついシャボン玉遊びになる場面は、子供の幸福を象徴する最も美しいカット。男の子疵ついた足を癒すように集まる金魚は家族の愛の象徴。最後の喜ぶ場面を省略したのは潔い決断。◆違和感があるのは、学校の女子部の終了と男子部の開始の間の時間が無さすぎること。普通はお昼休みが入る。これは兄に走らせて、これが意図せぬ訓練となり、後半のマラソンでの活躍につなげるための”強引な”演出。あと一等賞を取らせるのは如何なものかと思う。テストで満点、マラソンで一等では出来過ぎの感あり。主題からして四等賞が妥当かと。溝に流れる靴を取ろうする場面、自転車事故場面、マラソン場面などはカメラワークがこなれていない印象。父が新しい靴を調達する場面は一番最後がよろしいのでは。
[DVD(字幕)] 8点(2012-09-10 12:06:17)
145.  木を植えた男 《ネタバレ》 
砂漠のような荒野にひたすら木を植え続けた男の話。木は根を張り、木陰を作り、森に育ち、動物達を呼び、遂には多くの人の住む楽園を形成した。そこに住む人達は男のことを知らない。男は養老院でひっそりと息を引き取った。 男が行ったのは単純なこと。どんぐりを選別し、毎日100個ずつ植え続けること。その行為を営々と何十年も続けたことで奇跡が生まれた。男は何の名誉も報酬も求めなかった。ただ人として正しいと信じたことを生涯かけてやり通したのだ。一人の人間の行為がいかに尊いか、いかに偉大か、心を開かせてくれる。男の忍耐力、信じる力、誠実さ、情熱を思いやれば、人間の持つ無限の可能性が信じられてくる。 男はどういう人物だったのか。「彼と一緒にいるだけで心の安らぎを覚えた」という。人々のことを深く思いやる優れた人格者は人の心を安心させる力がある。家族を亡くして、天涯孤独の身となった男は、長年厳しい自然の中で過ごしてきた事を鑑み、木を植えるという仕事に余生を捧げる決心をした。その間、二つの大きな戦争があったが、男は戦争と関わりあいを持たなかった。自らの野望のために戦争を始めたヒトラー、片や木を植え続けた男。悪魔の行いと神の行い。人間は悪魔にも神にもなれる。 男の成功への道筋は平坦なものではなかった。植えた木の半分枯れたり、苗が全滅したりすることを経験している。それでも男はくじけなかった。自然から学んだ知恵、創意工夫を身に着けていて、逆境に打ち勝つ強い精神力が備わっていた。その原動力となったのは、あまねく人々のことを思いやる気持ちでしょう。こんこんと泉のように湧き出てくる人々への思いやり、優しさ。それが彼を偉大な成功者、偉大な人間たらしめたのでしょう。野太い生命感のある絵柄、哲学者のごとき面がまえ、適格な語り、全てが素晴らしい。
[DVD(字幕)] 8点(2012-07-15 22:40:10)
146.  スノーマン<TVM> 《ネタバレ》 
子供たちに愛される要素がいっぱい詰まったアニメ。スノーマンというユーモラスなキャラ。これが主人公の男の子に負けないいたずら好きで、見ていて楽しく、ほほえましい。これだけで成功の半分は約束されたようなもの。このスノーマン、重そうなのですが、意外にも空を飛んで男の子を雪の国に連れてってくれます。そのときに流れる曲は名曲、感動的です。男の子を待っていたのはスノーマンの仲間とサンタクロースでした。クリスマス・イブだったのですね。そして贈り物のマフラーをもらって帰ってくる。翌朝、ちょっぴりほろ苦い別れがあるが、贈り物は現実のもので、夢ではなかった。話の骨子はセンダックの「かいじゅうたちのいるところ」と同じ。母親に叱られ、ちょっぴり孤独を感じる少年。そこへ想像の翼がふくらみ、冒険の旅にでる。冒険を十分堪能すると家が恋しくなり帰宅。「かいじゅうたち」の場合は、あたたかい母親の食事が待っていました。本作の場合はサンタの贈り物のマフラー。このマフラーは両親の贈り物であった可能性がある。両親の子供を思う気持ちに男の子の精神が感応して、スノーマンとマフラーの夢を見させたという解釈。どっちにとっても夢のあるお話。「別れ=自立」で、男の子は一歩成長しました。さらに掘り下げると、このスノーマンは男の子が丹精込めて造ったもの。途中スノーマンのモデルの人形が出てきますが、男の子は普段からこの人形を好きだったのでしょう。だからその姿をまねて雪だるまを造った。それも自分の背丈をはるかに超えるビッグサイズ。途中で夕食を挟んでおり、造るのにかなりの時間と労力を要したことが分ります。これが重要で、簡単に手に入っては愛着も薄くなる。少年はちゃんと夢の代償を払っており、観ている方も、スノーマン=かけがえのない友達と無理なく思えます。男の子が雪だるまにマフラーと帽子をあげたのは笠地蔵と同じ気持ちでしょう。それだからこそ別れの場面で涙がでてくる。名作です。
[インターネット(字幕)] 8点(2012-07-15 19:43:17)
147.   《ネタバレ》 
一文字家当主の老将秀虎は家督を長男一郎に譲る。その際諫言した廉で三郎を追放。余生を楽しむ思料だったが、長男に煙たがられ、次男に背かれ、やむなく三郎の去った城に入るも一郎、次郎軍に攻められ全滅。秀虎は狂って荒野を彷徨う。一郎は二郎家臣の謀計により戦死。次郎が当主となるが、一郎の正室楓に謀計を暴かれ、正室にすることを約束させられる。ここまでが騎虎の勢いで申し分なし。畳み掛ける展開は痛快で、鬼気迫る攻城場面めは日本映画史上屈指。この後が緩む。特に狂阿彌と秀虎の間に取り交わされる箴言、諧謔、教訓めいた言葉のら列がくどい。「此の世は地獄だ」「神も仏もないのか」等は映像で述べるべき。言葉で説明する必要はない。後半は楓中心に展開。楓は家族を殺した一文字家を憎み、復讐を企てている。それはよいのだが、次郎をあまりに簡単に籠絡できてしまうのは得心できない。弱みを握られているとはいえ、自分を殺そうとした義姉を妻に迎える男がいるだろうか。楓が次郎の正室末殺害に執着するのも理解できない。楓は復讐心で一杯で嫉妬はない筈である。最後のクライマックス、次郎と三郎が一戦を交え、城に引いた次郎軍が他国軍に攻め落される場面だが、前半の攻城に較べ、迫力に欠けるは否めない。鉄砲に右往左往する騎馬の場面の連続で単調。火縄銃は弾込めに30秒、撃つのに3秒だが、弾込め場面がない。落城の場面は戦闘そのものが省略されている。戦乱の阿鼻叫喚をこれでもかと見せてほしかった。次郎は討ち死に。三郎は漸く父と和解できた暁に狙撃死。それを見て秀虎はショック死。救いようのない一文字家滅亡の物語。副主題は戦乱の女。楓と末、共に居城と家族を秀虎に奪われ、秀虎の息子の正室となった身。楓は復讐の炎で身を焦がし、末は仏にすがって秀虎を許す。対極的は二人だが、二人とも救われることはなかった。これはやり過ぎではないだろうか?「神や仏は泣いている。殺し会わねば生きてゆけぬ人間に愚かさに」と丹後に歎かせるより、末を生かして希望を見せた方が余韻が残った。暗闇を見せるのに一条の光が必要だ。総て黒澤流を貫く潔さは良し。様式美に則って撮影しているのは分るが、顔のアップが少な過ぎる。秀虎がすえを見て「顔を見せてくれ、いつ見ても悲しい顔じゃの」、丹後が秀虎に「御覧なされい、このような涙は偽りでは流せませぬぞ」という場面でもアップなし。音楽、鶴丸の笛は絶品。
[DVD(邦画)] 8点(2012-07-13 10:08:32)
148.  影武者 《ネタバレ》 
映像美は申し分なく堪能できる。最も美しい場面は開始20分35秒の夕日を背に退却する兵の列。戦国時代の戦乱を描いた大作として十分楽しめるが、のめり込むほどではない。信長、家康の役者の芝居が一ランク落ちる。「違う、これはおじじではない。」「もはやこれまで、わしは信玄ではない」等、良い場面は多いが、随所に間延びや綻びが目立つ。信長の幸若舞やワインの場面は不要だろう。幸若舞は桶狭間の戦いの場面と決まっている。冒頭三人の「こんなにも似ている」と驚く場面で、カメラが引きに固形され、顔のアップがない。伝達兵が城内を駆け抜ける場面が長々映るが、続く場面はのんびりしたもの。素晴らしい映像なのにもったいない。退却を知らせる朝倉の書状に激怒する信玄を山県がたしなめるが、これは逆でなければならない。信玄の人間性、度量の大きさに触れて、盗人が影武者を引き受けるのを申し出るのだから。最後の戦闘場面で討ち死の様子を一切映さないが、戦いの非情さ、悲惨さを表現するのに必要だろう。それ以前の戦闘場面はリアルに表現されているので肩透かしである。影武者が討ち死にする場面で感情移入、感動できるかどうかが成功の鍵を握る。影武者が信玄の人間性に感銘を受け、影武者の役を買って出たのは理解できる。その大役を果たすため、艱難辛苦を味わってきたのも理解できる。影として生きる人間の悲哀は十分出ている。だが影武者の人物像がいまひとつ把握できない。流れ者で、50歳代で泥棒稼業。感情移入するには高齢すぎる。家族はいるか?城内で大甕を割るが、あれに財宝があると思われない、また財宝があったとして、どうやって脱出するつもりだったのか?乗馬禁止の暴れ馬にどうして乗ったのか?あえて討ち死にするほど武田家へ恩顧を感じていたか?石をもて追われたではないか。彼を守って戦士した近習達への罪ほろぼしか。尊敬する信玄は既に死んでいる。と、いろいろと疑問が湧く。想像すれば影武者は天涯孤独の身、影武者を務めること生き甲斐を感じていたが、戦乱の悲惨さを目の当たりするなど精根を使い果たし 既に生きる屍となっていたのだろう。生きる気力はなく、ただ信玄の幻影に惹かれ、亡霊のように戦場に附いてきてしまったのだ。最後に脚本でうまいと思ったのを紹介。冒頭の三人の場面で信玄が「冷えると古傷が痛む」と去るところ。”古傷”という伏線が早い時期に提示されている。
[DVD(字幕)] 8点(2012-07-12 23:28:19)
149.  雪の女王(1957) 《ネタバレ》 
原作をほぼ忠実に再現。製作者は原作の意図をよく理解し、そつなく仕上げている。主人公ゲルダが女性で、関わる人物も女性が中心。魔法使いの女、城の王女、盗賊の女、盗賊の女の娘、北方の女、更に北方の女、雪の女王。「女性のもつ内なる力」が主題である。原作では更に北方の女が、カイは雪の女王の囚人になっていることを教える。トナカイが、この娘に力を与えてくれ頼むと「この娘に生まれついて持っている力よりも大きな力を授けることはできない。力を得ようとしても無理。それはあの娘の心の中にある。ごらん、どんなにして、色々と人間や動物が、あの娘のためにしてやっているか、どんなにして、裸足のくせに、あの娘がよくもこんな遠くまでやって来られたか」と諭す。無欲の愛こそが何物にも勝るということだが、それはゲルダ一人に依るものではなく、彼女を助ける女性も分担している。雪の女王の心を溶かしたのは、女性陣の愛のリレーの結晶だといえる。敵役も女であるが故に愛にはもろいのだ。女性賛美のメッセージが込められているといってさし支えない。重要アイテムは靴。靴は「子供、保護」の象徴。ゲルダがおろしたての赤い靴を川に捧げたことで、船が動きだし、冒険の旅が始まった。ゲルダがカイを真摯に心配し、甘えた子供心を捨て去ったことが奇跡を呼んだのだ。途中、城の王女から長靴をもらうが、最終旅では裸足になる。厳しい環境に身をおいてこそ、真の心の成長があるのだ。ゲルダが靴を脱がなければ、カイの目と心の中に入った氷を溶かすことはできなかったし、雪の女王と対決もできなかった。雪の女王はあっけなく溶け去ってしまうが、それは二人の無欲の愛に打たれたから。だが、少しあっさりしすぎていないか?原作では、「氷の板で永遠の文字を作る」という最終試練があるのにそれを省いている。その代わりに原作ではさらりと流している、盗賊の女の娘が悔悛しゲルダを助ける場面をこまやかに描く。ここが最も涙を誘う。この娘は、「子供版雪の女王」だ。このように全体としてバランスがよい。原作では、二人が町に帰還したとき、心は子供のままだが大人の姿になっていた。子供心を捨て去った代償である。後に「風の谷ナウシカ」「千と千尋の神隠し」を制作した宮崎駿氏がこの映画に感銘を受けたと伝えられているが十分にうなずける事だ。案内役を夢の神のおじいさんがするが、これは不要だろう。
[DVD(字幕)] 8点(2012-07-06 17:31:27)(良:1票)
150.  ゲッタウェイ(1972) 《ネタバレ》 
犯罪ロード・ムービーの形を借りているが、本質的には、妻が不貞で夫婦中に亀裂の入った夫婦が、再び絆を取り戻してゆく話。妻が不貞を働いたのは、裏取引で夫を刑務所から出すための方便。頭では理解できるが、心では消化できずに妻を愛しているが許せない夫の感情の揺れが主題。カットバックを多用した刑務所での息苦しいまでの抑圧された場面、刑務所を出て、あまりの自由さにとまどい、自分を取り戻すまでの場面が丁寧に描かれるのもそのため。逃走の緊張と夫婦間の緊張の相乗効果が、映画を魅力的にしている。ゴミ収集車に閉じ込められるというアイデアは秀逸。二人は自分たちをゴミのようにしか感じられないところまで転落したが、落ちるところまで落ちたことで今度は上昇に転じる。汚れたことで心の虚飾が払われ、歩み寄ることができたのだ。妻の傷を気遣う夫の姿はけなげだ。「傷は浅い、跡は残らない」は夫婦の絆の傷のことでもある。映画の常道をわざとはずした意表を突く展開には目を見張る。監督は「人生はささいないこと、小さな偶然によって大きく影響される」という人生観の持ち主に違いない。コイン・ロッカー詐欺師が札束を一つ胸ポケットに入れたことから、巡り巡ってドクの人相が警察に知れる。カー・ラジオが故障したことから、ラジオ店の主人に素性を見破られ、警察がやってくる。また観客を驚かすことが多い。最たるものが悪者に脅されて同道を余儀なくされた獣医の妻が夫を裏切り、悪者に寝返るところ。大した意味はないのに、ドク夫婦のパロディのようにつきまとい並列展開する意外さ。獣医は耐えきれず自死するが、おばか妻はそれを歯牙にもかけない。悪者もドクに撃たれた時、とどめまで刺されているので誰もが死んだと思ったが、生きていた。防弾チョッキを着ないと思わせた伏線が効いているのだ。この男がボスに連絡すると思いきや単独でドクを追う。ドクもドクで、どこにでも逃げればよいのに、律義に計画通りにエルパソという国境の町に向かう。案の定そこには敵の手下が待っている。最後のシーンも面白い。「一万ドルで車を売れ」「二万にしてくれ」「三万でどう」この掛け合いで夫婦の仲が完全に修復されたことがわかる。男はひょんなことで三万ドルを手に入れた。こんな事があるから人生は面白いし、いつでもやり直せる。監督のそんな声が聞こえてきそうだ。
[DVD(字幕)] 8点(2012-07-01 07:49:12)(良:3票)
151.  眼下の敵 《ネタバレ》 
二人のキャプテンの魅力が十分に引き出されている。一筋縄ではいかないキャラ設定が実に見事。駆逐艦のマレル艦長は、最初はみんなから素人船長と馬鹿にされるがそれが百八十度してゆく様子は見ていて心地よい。潜水艦のフォン艦長は醒めた目で戦争を見つめる老軍人。ヒットラーやヒットラーを尊敬する若者を苦々しく思っている。戦争を憎んでいるのだ。 ◆駆逐艦のマレル船長は新婚の妻の乗った船を潜水艦に沈められた。それも目の前で。「悲惨さと破壊には限りが無い。まるで頭を切っても生えてくる蛇のようだ」潜水艦のフォン艦長は二人の息子を軍人に育て、戦争で失くしている。「前の戦争とは違い、今回の戦争では機械の戦いで、人間味がなくなった。この戦争に栄誉はない、勝っても醜悪だ。死者は神に見捨てられて死ぬ。無益な戦争だ」それぞれ心の傷を負い、共に戦争に対しては批判的な二人の知将が手に汗握る頭脳戦を展開する。派手さは無いが、厭きさせない。戦っている間に奇妙な友情のようなものが生まれ、最後はマレル船長がフォン艦長を救助する。それはマレル船長がフォン艦長が負傷した部下を必死で救助しようとする姿に感動したからだ。 ◆最後に進行役的役回りの軍医が言う。「希望を見つけましたよ。奇妙な場所で、海で戦いのさなかに」敵同士でも友情が生まれる、つまり理解しあえば戦争は避けられるという希望が描かれている。それは成功している。だが戦争の悲惨さは十分には描かれていない。どこかスポーツのような感覚で扱っているように感じる。指を失った元時計技師の水兵の挿話などは活きているが、どこか薄っぺら。潜水艦で恐怖のあまり頭がおかしくなり暴れる男も、どうも深みがない。短時間に納まりすぎるのだ。重厚な戦争人間ドラマを描くには尺が足りない。佳作だが名作とはいえない。例えば船長の妻の死ぬ場面、艦長の二人の息子が死ぬ場面を織り交ぜれば、ぐっと深みを増したことだろう。不幸な身内の死と長時間に渡る海での死闘を乗り越えての友情は半端ではないからだ。 ◆実際の駆逐艦を用いての爆雷投下場面は迫力ある。独米共に平等に描く監督のフェア精神は心地よい。ただドイツ人捕虜をあれだけ自由にしていたら乗っ取られるんじゃないかと心配してしまう。
[DVD(字幕)] 8点(2012-03-03 04:03:45)
152.  レイダース/失われたアーク《聖櫃》 《ネタバレ》 
宝探しの冒険とアクションと恋愛の3要素がうまく合致しており、主人公二人のキャラが魅惑的、展開がスピーディでユーモアも盛り込み、見る者を飽きさせない。従来の冒険アクション活劇とは一線を画し、予想外の出来事が次々と展開され、最後はオカルトにまで昇華する。極端なまでにエンターテインメント性を追及したもので、この作品で新ジャンルが確立されたといっても良いだろう。強引で御都合主義な部分も目立つが許容範囲、全世代対応型映画の見本、教科書だろう。 ◆「聖櫃」は神と人間の契約である十戒を刻んだ石板を保管しておくもので、モーセが神の指示通りに作成した神聖不可侵なもの。代々ユダヤ王に受け継がれ、ソロモン王以降はエルサレム神殿に安置された。ペリシテ人との戦争で敗れ、持ち去られたことがあったが、不吉なことが多発したので元に戻されたという逸話がある。その後行方不明。様々な説があるが、本作では、BC10Cのエジプト王に持ち去られ、現在はタニスにあるという説をとる。 ◆謎解きはシンプル。ナチスは既にアークがタニスにあると断定し、発掘調査をしていた。アーク探しの鍵となるのが「ラーの杖飾り」。インディーはカイロの老人に解読してもらい、アークのある場所を探し当てる。その方法に謎解き要素があるが、あとは追いかけっこに終始する。 ◆展開が速いので物語が途切れがちになるが、張った伏線を丁寧に消化することで連続性を持たせている。冒頭の洞窟探検と宝物をライバルに奪われる場面は、全体に対する伏線だ。蛇が嫌いという伏線もアーク捜索場面で活かされる。マリオンの酒飲み競べは、彼女の強烈な個性を演出のみならず、カイロでのの脱出未遂場面で活かされる。ナツメヤシも市場でのデートと毒殺未遂場面で使われる。インディーの友人の歌う、海の王の歌は何度も繰り返される。同じく友人の「アークは例え発見されても人が触れてはいけないものだ」という発言は、最後のオカルトの演出になっている。 ◆インディーが大刀を振り回す男をあっさり拳銃で殺してしまう場面だが、これは当日役者が熱を出していてアクションができなかったのための窮余の一策だったとのこと。人を殺し過ぎるという批判があるが、その通りだと思う。しかしそれを打ち消すかのようなユーモアを備えているのがこの映画の強みだろう。緊張の連続では観客が疲れてしまうのをよく知っている。
[DVD(字幕)] 8点(2011-12-04 23:15:50)(良:2票)
153.  キングコング対ゴジラ 《ネタバレ》 
テンポが良く無駄のない脚本で、登場人物とストーリーが濃密に絡み合う。テレビ局員桜井はスポンサーの製薬会社宣伝部長に頭が上がらない。部長は関係者である植物学教授から南洋の島の魔神の話を聞く。部長の命令で桜井らは魔神探しにでかけ、キングコング捕獲に成功。桜井の妹はキングコングに捕まる。妹の婚約者は鉄鋼会社社員で、その会社で開発された特殊繊維はキングコングを運ぶのに使われる。桜井は婚約者のある仕草で昏睡作戦を思いつく。部長、桜井、婚約者らは関係者ということで自衛隊に自由に出入りし、さまざまなアドバイスをする。ゴジラの話とキングコングの話が同時進行する。ゴジラは北極で米潜水艦を沈め、米軍の攻撃をものともせず、第二の故郷日本をめざす。キングコングは大ダコを退治したあと赤い飲み物を飲んで寝てしまひ、捕獲されて日本へ向かう。自衛隊から上陸を拒否されるが、目覚めて逃げ出す。ゴジラは東北、キングコングは東京に上陸。動物的本能により両者は出会い、そして激突。キングコングは一度はゴジラの熱線におびえ退散するものの、百万ボルトの電流に触れ、蓄電体質となり、ゴジラと再対決する。城を破壊し、両者海中へ雪崩落ちる場面は圧巻。 ◆キングコングは美女捕捉と高い塔へ登るというオリジナルへのオマージュがある。しかし驚くほどユーモラスなキングコングだ。ギャグとしか思えないほど顔がひどい。背中のチャックも丸わかり。米国で酷評されたのもうなずける。ゴジラと較べて手抜きしたといわれても仕方が無い。実に人間くさく、岩陰に隠れるなどの知性を発揮するのが魅力だ。このキングコングを受け付けない人には楽しめない映画だと思う。 ◆ゴジラシリーズとしては3作目で前作から7年。久しぶりということで円谷英二の特撮は特に気合が入っている。潜水艦の天井が炎上する場面、ガソリンを川に撒く場面、コングを吊り下げる準備の場面、大波に襲われる熱海の町の場面など、メインにさほど関係ない場面も丁寧に撮られていて好感が持てる。当時は日米夢の怪獣対決という話題で盛り上がり、観客動員数歴代2位を記録。怪獣対決なのに、どうしてユーモア路線にしたのかは疑問だが、エンターテインメント要素はてんこ盛りで、現代人でも十分に楽しめる内容になっている。特に音楽は秀逸で、その後のゴジラシリーズの良い見本となっている。
[DVD(邦画)] 8点(2011-10-31 23:31:22)(良:1票)
154.  ダンス・ウィズ・ウルブズ 《ネタバレ》 
北軍の中尉だった男がたった一人で辺境の砦の警備の任にあたりながら、ネイティブアメリカン(NA)のスー族と交流を深めていく物語。交流の様子は繊細かつ丁寧に描かれていて大変よく分るのだが、肝心の中尉の人物像が不鮮明のまま。彼の成育歴や家族の事が一切描かれない。彼はどうして戦闘中に自殺行為の行動をしたのか、どうして辺境を見たいと思ったのか?情報がないのでこの人物を理解しようが無い。 ◆スー族の風習が描かれていて興味深い。狩の場面など出色だ。しかし食生活やスウェット・ロッジ、ビジョン・クエストなどの描写はなく、「大いなる神秘」などのスピリチュアルな思想も描かれていない。何を食べているのか、肉の保存はどうしているのか、定住して農作物を作らないのはなぜか等、基本的な部分が省かれている。この映画の目的の一つがNAの紹介であるのは間違いないのに、不思議なことである。中尉と彼らの交流は馬を盗まれることから始まるが、彼らにとって馬は貨幣のようなものであり、馬盗みはスポーツのようなものであることも紹介されない。彼らの価値観が紹介されないので、彼らの行動もなかなか理解できない。監督はチェロキー族の血を引いているので本作品を撮ったのだろうが、原作に頼り切って自ら調査していないのだろう。 ◆ポーニー族は好戦的に描かれるが、実際は白人の軍に協力をして斥候などで活躍している。友好的な一面もあるのだ。スー族にとっては白人もポーニー族も異民族。つねに小競り合いがあり、辺境は暮らしにくいところだ。 ◆「中尉の結婚相手が白人」に対するという批判がある。しかしこれは、人種差別露骨な過去の西部劇において白人がNAを娶る事がよくあり、それを打破するための回避策だ。 ◆終盤になると展開がおかしくなってくる。騎兵隊が中尉をNAと勘違いして撃ったりする。声を張り上げて名乗ればわかる話ではないか。捕虜になった中尉は反逆者とされ、処刑宣告される。これもありえない話だ。何をもって反逆というのか?兵隊の一人が勤務日誌をかってに持ち出すのもあり得ない。 ◆エンディングも温い。中尉は自分がいては白人に襲来の口実を与えるとして部落を去る。しかし本来中尉は白人とスー族の間に入って、争いをなくす努力をすべきである。最初からそうすべきだったのだ。彼以外の適任者はいない。白人の言語を話す人物がいなくなったスー族の未来は明るくない。
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-19 23:18:48)(良:1票)
155.  勝手にしやがれ 《ネタバレ》 
登場人物に感情移入しながら一歩引いて物語を鑑賞するという従来の映画の殻を破り、映画の中に入って心地よい映像と音楽に身をまかせて体験(トリップ)するタイプの映画。粒子の粗いフィルム、俳優のカメラ目線、人体の極端なアップ等、妙に生々しい演出になっている。何よりも映像のリズムを重視している。男が警官を射殺する場面の極端に省略された編集に注目。これだけで従来にない映画とわかる。又アングルを固定して多カットでつなぐ手法は、外での撮影の場合、背景がどんどん変わる。それでいて会話はぶつ切になっていない。何とも斬新な手法だ。言葉は途切れることなく、背景音楽のように流れ続ける。会話のほとんどは気の利いた愛の科白や人生の警句で、それはそれで心に残るが、それがそのまま意味を持つというよりも、サブリミナルのように意識下に語りかけてくる。ストーリーの流れもタメやユーモアがなく、ノンストップ状態。俳優以外の人(エキストラ)がカメラや俳優をのぞき込んだり、まるで観客が映画撮影の現場に居あわせているようでもある。このように意図的に作成された言葉と映像のリズムに乗る事により、従来にない疾走感を体験できる。◆物語は単純。車の盗難を稼業とする男が警官を射殺してしまう。男は惚れている女の所に行き、ローマに行こうと誘う。女は男を愛しているかどうか分らない。男が女を愛しているといえば言うほど嘘に聞こえる。パリでしたい事もある。迷っている間に男は刑事に追い込まれる。女は密告し、男は射殺される。◆男は人生に絶望しかけており、息も絶え絶え(breathless、英語の原題)だ。その象徴が煙草を吸い続ける事であり、しかめっ面をする事。てっとり早く金を稼いで、女とヤリたいだけ。だが最後に男は気づく。「くやしいけど女のことが頭から離れない」初めて恋を知ったのだ。次の瞬間男は射殺される。「最低だ」という科白は女にではなく、自分に向けられた言葉。◆女は愛よりも自由を選んだ。妊娠していることも気にしていない。だが朗読するフォークナーの「野生の棕櫚」は「医学生と人妻が駆け落ちするが、人妻は堕胎手術に失敗して命を落とす」という内容で、女の将来を暗示する。◆唇を指でぬぐう仕草は、強い決意の表れ。女はラストシーンでこの仕草をするが、それは男との別れの決意。そしてカメラ目線で観客と一瞬向き合い、背を向ける。女と観客の体験が終了したのだ。
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-11 03:16:30)
156.  白鯨 《ネタバレ》 
盛り上げ方がとても巧い。旧約聖書を下敷きにした挿話を盛り込み、神の存在感の大きさ、畏怖を感じさせる。神か悪魔か、善か悪か、復讐するのは誰か、裁くのは誰か、神による救いはあるかなど、重厚な内容に酔いしれながら鑑賞すべし。①雷の閃光に一瞬映る船長の後ろ姿。あとはなかなか姿を現さない。②船長の名前エイハブは旧約聖書の神を捨てたイスラエルの王アハブ。だから呪われた名前。③牧師のヨナの説教。予言者ヨナは神に逆らったので巨大な魚に飲み込まれたが、後に救われた。④港で預言者の言葉。「島がないのに島の匂いがするとき、船長は死ぬ。だがすぐに甦り、皆を手招きするだろう。一人を残して全員が死ぬ。」⑤何百頭もの鯨の群れを狩っている最中に白鯨の消息を聞いた船長は作業を中断させ、白鯨を追う。⑥副船長が船長に反逆を起こそうをするが誰も耳を貸さない。⑦見張りが海に落ち、行方不明。それから何日もベタ凪。⑧インディアンの銛打ちが占いをして、自らの死が近いのを悟り、棺桶を作らせ、絶食をする。⑨白鯨とファースト・コンタクト。逃げられる。⑩他船から白鯨に襲われた船を探すようの頼まれるが断る。⑪船長が鍛冶屋に巨大な銛を作るように命令。水の代わりに血を使う。⑫嵐に遭って帆が破れるが、船長は嵐は白鯨に追いつくための神の贈り物だと主張し、強行を命令。⑬副船長はマストを切ろうとするが船長にさえぎられる。⑭セントエルモの灯が出現。船長は白鯨への道案内だと主張し、灯を手で触る。セントエルモの灯は船乗りの守護聖人である聖エルモの火で、これが出現すると嵐が収まると信じられていた。⑮副船長が船長を殺そうとするがためらう。島の匂いがして、白鯨とセカンド・コンタクト。死闘を繰り広げる。【感想】一言でいえば船長の復讐譚だが、その由来が少ししか描かれておらず不満。最大のサプライズは、終始白鯨への復讐を否定していた副船長が、船長の死を目にした途端、船員に白鯨を追うように命令したこと。善良なクリスチャン船員が呪いにかかった瞬間だ。その呪いは神のものか、悪魔のものか、白鯨のものか、船長のものか。どんな人間にも魔が訪れる瞬間があり、運命には逆らえない存在だ。そんな恐怖を体験できただけで満足です。白鯨は何の暗喩か?考えるのも楽しい。ちなみに日本の捕鯨では鯨が逃げないように音を出して囲み、弱った鯨によじのぼり手刀包丁で鼻をそぎとどめを刺す。
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-10 13:25:38)
157.  三匹の侍 《ネタバレ》 
今ではもう観かけることのめったにない泥くさい時代劇の佳作。なんといっても浪人のキャラの個性が際立っているのが魅力。ヒューマニズム溢れる浪人、田舎者丸出しの槍の名人、ニヒリズムの剣客。なかなか揃わない三人が揃ってからの勇躍ぶりは期待を裏切らない。◆随所に映像美が光るのも魅力。百姓が倒れた後の花のアップ。裏切りの浪人が倒れた後の簪のアップ。障子の影で見せる闘争シーン。監督の美学が炸裂。◆プロットは単純だが、三人の侍に女性を絡ませて人間ドラマを深めている。浪人との触れ合いによって成長する代官の娘、夫殺しの浪人と逃避行を試みる百姓の未亡人、剣客と恋に落ちる女郎屋の女将。残念なのは女性の悲劇が映画の主題と必ずしも一致しないということ。代官の娘は百姓より侍の方に向いているし、未亡人は裏切って村を捨てようとするし、女将は百姓の遊女を打擲する。哀れさは出ているが、主題と一致しない。少なくとも剣客が恋仲になるのは女将ではなく、自害する百姓の遊女すればよかった。そうすれば剣客が百姓に味方する理由も明確になる。◆主題は百姓が藩主の籠に強訴を試みるも失敗するというもの。首謀の三人が殺されると誰も強訴しないのだ。誰も命がほしい。虚しさだけが残るラストだが、百姓の難儀ぶりは最低限にしか描かれていないので、心に残るものが少ない。尺を長くして、罪のない代官の娘を拉致した罪に見合うだけのもの、百姓の生活苦や犠牲などをもっと描くべきだったろう。侍に較べて百姓に魅力がない。三人の侍をいかに恰好よく描き、三人の女性をいかに悲劇的に描くかに腐心して、百姓の方にまで神経が行き渡らなかった印象がある。◆クライマックスだが、浪人達の相手は悪代官ではなく、藩の役人になっている。敵役が入れ替わってしまったのでは気が削がれる。藩の役人は悪代官の元締めであることを強調すべきだったろう。ラスボスがあっけなくやられるもの残念な点だ。剣の名人の設定にして、もっと三人を危機に陥らせるべきだろう。◆他に疑問点もある。いくらなんでも編み笠の簪には気づくだろうとか、代官はどうして剣客に刺客を放ったのかとか。◆いろいろと不満を述べたが、百姓が浅くしか描けていないことに目を瞑れば、まったく無駄のない見事な剣術活劇になっていることを強調したい。隠れた名作ともいえるべき、おすすめ作品である。
[DVD(邦画)] 8点(2011-08-31 09:02:11)(良:1票)
158.  戦場にかける橋 《ネタバレ》 
戦争という悲劇と虚無を描いていることに間違いはないがわかりづらい。初見で、落下した汽車には英兵が載っていると思っていた。ニコルソン大佐が前夜のスピーチで「君たちの多くは明日新しい収容所に送られる」と述べていたからだ。それなら大佐が必死で爆破を阻止しようとした意図も明白になるし、戦争の皮肉、悲劇性がぐんと高まる。だが再見して、そうではないと判明。日本兵しか乗っていないのだろうが、乗客を全く描いていないのはどうしてだろう?結局日英共同で竣工した橋は爆破され、ニコルソンも斎藤も決死隊の三人も死んだ。それぞれにとって価値があるものが一瞬で無に帰し、勝者はいない。痛烈な反戦メッセージになっている。◆脚本にブレがある。最も顕著なのは英雄である筈のシアーズ中佐の扱いだ。無事脱走を果たしたものの、看護婦といちゃついたり、収容所への道案内を拒否したり、階級を偽称していたりと散々である。米兵である必要性も感じない。途中でルートが変更され、彼が道案内をする意義さえ失っている。彼を軍に忠実な英国兵士として描けば”戦争の狂気”という主題がより浮彫になった筈である。彼をシンプルな人物として描けば、ずっと分りやすい映画になった。  ◆兵士たちより、現地人女性の方が凄いと思いました。華奢で美人な上、兵士よりも重い荷物を背負ってジャングルを楽々横断するのだから。そして兵士にとても親切。他に基地内をセクシーな女性が闊歩して、それを皆が見惚れるという場面があった。これらの演出意図が不明である。 ◆一日で川の水位が下がったが、そんなこと本当にあるのか?水が何かによって堰き止められない限り、ありえないと思うのだが。ご都合主義の賜物でしょう。 ◆ニコルソンが橋に異変を察知し、斎藤に「一緒に来てくれ」と川下誘う。このとき斎藤は一人で従うが、これはありえない。将校には常に兵士がつくはずである。二人が導線に気づいた時点で誰も呼ばないのも疑問。 ◆ニコルソンとジョイスがもみ合っている時、シアーズは「殺せ、殺せ」と叫びナイフを持って対岸に渡ろうとするが、どうして銃を使わないのか?近くまで行って銃で撃てばよいのに。 ◆最終的にニコルソンが爆破スイッチを押すと皮肉。これは演出過多でしょう。倒れ方も不自然。  ◆爆破はオープンセットで本物の汽車を使ったにも関わらず迫力不足。技量不足です。
[DVD(字幕)] 8点(2011-07-26 03:51:12)
159.  隠し砦の三悪人 《ネタバレ》 
戦に敗れた領主の世継ぎの姫と侍大将と奇縁の百姓がお家再興をめざし、軍資金を運びながら、敵国突破を試みる。次々と襲いかかる危機、困難をいかに乗り越えるかが見どころ。冒険あり、宝探しあり、痛快アクションあり、美女あり、ユーモアあり、娯楽性に富む内容で観客を飽きさせない。この作品は黒澤明の”インディ・ジョーンズ”だ。◆脚本上の問題は、相手武将の「裏切り御免」に尽きる。本人達が知恵と勇気と能力を駆使して危機を脱出するところに妙味があるのに、ここの部分だけが”他力”になって しまっている。物語の流れに逆らってしまっている。この場面がクライマックスなので尚更その印象が強い。また裏切りの理由が「家来の面前で、主君に面罵され、面相が変わるほど打擲されたため」では、重すぎる。ここだけ痛快時代劇の枠をはみ出している。鑑賞後、爽快感が薄いのはこのためだ。◆冗長な面もある。物語の発端となる2国間の合戦と落ち延びる姫の様子は描かれていない。その代わり二人の百姓が捕らわれ、強制労働させられ、暴動に乗じて脱出する様子が描かれる。どちらが重要かは論を待たない。後者はカット可能だ。百姓はあくまでサブ扱いすべき。百姓二人は黄金を持つと貪欲になり喧嘩をし、危機になると途端に仲直りする。そこに人間臭さがあり、ユーモアがあり、ラストのオチの伏線になっているが、何度も繰り返せばクドくなる。いくつかを削って尺を短縮すればより躍動感が出た。◆副物語は、姫の心の成長。これは良く描けていると思う。人身売買される娘を買って助ける場面は泣かせる。これは自分の身代わりになり打ち首になった娘の伏線があるからこそ効果が倍増するのだ。わがままから出た行為ではなく、他人を思いやる心が芽生えてきたからだ。娘を加えたことが敵の目をくらます原因に連なっており、このあたり絶妙である。又民と共に踊る火祭りのシーンは印象的。「人の命は 火と燃やせ 虫の命は 火に捨てよ思い思えば 闇の夜や浮世は夢よ ただ狂え」監督が観客に送るメッセージだ。◆山で大勢に囲まれ捕縛される場面。弾丸が倒木に当たり幹が跳ね、次の瞬間人物が飛び出てくる。これの繰り返しだが、フィルムが繋がっていないのが丸わかりというチープさ。明らかに手抜きである。上手の手から水が漏る。
[DVD(字幕)] 8点(2011-07-24 09:20:33)(良:1票)
160.  生きる 《ネタバレ》 
脚本にブレがある。本筋はこうだ。己を殺して役所勤めに埋没し、本来の生き生きとした人生を送ってこなかった男が、癌宣告を受けて苦悩、煩悶し、その艱難辛苦の果てにようやく自分のやりたいこと、生き甲斐を発見する。人生を新しく生き始めた男は、市民のための公園づくりに奔走し、幾多の困難、障害を乗り越え、遂にこれを成し遂げ、 最後は幸福感に包まれながら、竣工した公園で寿命を全うする。脚本はこれに加えて、男のささやかな功績を横取りする上司の醜さ、上役の前では意見を言えない小役人ぶり、酒を飲まなければ本心が言えない小市民ぶり、非効率的な役所仕事に対する批判を展開する。全て蛇足であり、不要。それは男にとって無意味だから。男が役所批判をしたり、名誉を欲しているわけではないのは明白。男が余命をかけて完成させたものがささやかな公園であったといういうのは泣かせる。◆構成上の欠点がまだある。最大のものは再生役の女性が途中から出てこなくなる事。若さと無邪気さで、男を”再生”させた女性が男の死に水をとるという構成が自然だろう。ラストに親族にとって謎であった女性の正体が知れ、女が男が自らの癌を知っていたこと、最後は幸福に死んだことを語る展開にすれば、感動が数倍増すこと請合いだ。重要な役割をする女性が途中で消えるのは理解に苦しむ。ポスターでは公園で男と女性がブランコに乗っている。監督はわかっていた筈なのだ。男に遊びを教えるメフィストフェレス役で良い味を出していた無頼派作家も消えるには惜しいキャラだ。男が物語半ばで死んだり、男に同情する若い同僚が葬式シーンからしか登場しなかったり、物語がブツ切れてしまっている。又女性の正体が不明のまま終わるのは、男にとっても家族にとっても不幸、観客にとっては未消化。◆高踏的なナレーションは不要。「この男は生きていない」などと、説明されても困る。その内容を見せるのが映画の筈。演出意図や理屈を説明するような科白が混ざっているのも減点対象。ごく自然な言葉、態度、出来事で観客に分らせるのが良い映画。 この映画は少し頭でっかち。◆役所に対する偏見が強い。「何もしないことが仕事」「1時間で出来る仕事を1日かけてやる」などは言い過ぎ。◆演出は冴えわたり、映像マジックも垣間見れるだけに惜しい。
[DVD(邦画)] 8点(2011-07-24 05:55:11)(良:3票)
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