1. スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス
やはり「スター・ウォーズ」の看板が大きすぎた、というかあまりにビッグネーム過ぎる、というのがすべて。点数もこのくらいが限界。決してつまらない訳ではないし、見て損するほどではない。でも空飛ぶクルマが飛び交う街なんて、何年も前に「フィフス・エレメント」で見たし、目新しさはさほどない、というかない(断言)。まあシリーズの最初の作品が30年近く前になるのだから、目新しさがなくて当然と言えば当然かな。まあ名前のおかげで宣伝は散々されるけど、けっこうそういうのって見て逆に凹むんだよねえ・・・こんなもんかよって。これもまた、数多い「こんなもん」のひとつに過ぎない、私の中では。 [DVD(字幕)] 6点(2005-10-03 22:58:26) |
2. 踊れトスカーナ!
見ててアダム・サンドラーのイタリア版?(パクリって意味じゃなくて、雰囲気が)と思っていたら、主演の方が監督脚本もしていたんですね。人生が変わる瞬間、リビングのテレビの映りがよくなったり、同じくリビングの携帯が繋がるようになったり。べたべたすぎな手法ですが、リビングでそれが起こるっていうのがこの映画の一番のポイントではないかと。家族全員が集まるリビング、主人公だけではなく、家族全員がそこから変わっていくというのを隠喩した、ベタながら奥の深いシーンです。点数は7点。こんな点数のつけ方いけないかもだけど、わたし的には余り突出せず、かといって低い訳ではないこのくらいの点数の方が、この映画には合っているような気がしてます。 7点(2005-03-19 13:28:14) |
3. ポーリー(1998)
これ、クリスマスに放送してほしかったですね。関東地方では昨日の深夜(今日の未明)の放送だったんですけど、微笑ましいところあり、涙ありで家族でホンワカできる映画です。その一方で、心の痛みが分かる人向けの話でもあります。少女マリーを筆頭として、ポーリーと心を通わせられるのは、外国人や孤独な老人など、世の中から置き去りにされる人たち。一方で軍人のマリーの父親や大学教授などの世間体のいい立場の人たちはポーリーを不審な目で見る。そういうところに世間の世知辛さを感じる映画でもありました。 7点(2004-12-31 16:49:50)(良:2票) |
4. マグノリア
許すことは、許しを請うより難しい。 7点(2004-12-27 18:19:28) |
5. タイタニック(1997)
《ネタバレ》 私は大デブと言う訳ではないが、まあ言ってみれば「プチでぶ」ってとこだろうと思う。「スポーツやってらっしゃるの?」と聞かれることが多いが、実はかなり肉弛んでます(苦笑)まあそんな私がケイト・ウィンスレットに共感を抱くのはご想像いただけるかと。ハリウッドもスレンダーな女優が多くなってきて、そこに現れた二の腕のぶっとい彼女に、ドレスなのに斧を持った姿があまりに様になりすぎるその体格に、「頑張れ・・・君はデブの希望の光だ!」と勝手に希望を託していたんである。その希望は打ち砕かれ、太りやすい体質の彼女はその後体質がアダとなって作品に恵まれなかったが・・・やはりこの映画は「ターミネーター」のキャメロンらしいと言うか、男が死んで女は愛を胸に生きていく・・・なんてまるっきりそのままやんか。と今になっては冷めた見方もできるのだが、当時の勢いで行けばやはり9点は堅いと思う。 9点(2004-12-18 23:06:01)(笑:3票) (良:1票) |
6. ダイヤルM
私が0点をつけるのって大抵、「シベ超」なんかの「ある意味最高傑作」っていえる作品だ。すなわち、その作品に敬意を表しての0点なんである。しかし、例外的に「この作品には1点もやれない」と思って0点をつけた作品が2つある。そして、この「ダイヤルM」は3作品目の「1点もやれない」0点作品になってしまった。私はこの作品に大きな疑問を抱いている。グウィネス・パルトロウをユダヤ人にした意味は?刑事に対しヘブライ語で話し掛けたとき、一体何が起こったのかと思った。どうやら彼女(と刑事)がユダヤ人であるということを伝えたかったようだが、その後の展開は「だから何?」としか言えないものだった。ユダヤの律法やラビがが出てくるわけでもなく、ユダヤ人の刑事がユダヤ人ならではの救いの手を差し伸べる訳でもなく、襲撃犯のアパートに向かった時にもまたヘブライ語が出てくるが、グウィネスに話し掛けた彼がユダヤ人である必要性も全くない。しかも今の時代、富豪なんてユダヤ人でなくてもたくさんいるだろうに、「ベニスの商人」のシェイクスピアの時代から考え方がちっとも進んでいない。物語には全く関係ないのにことさらにユダヤを強調する意味は一体何なのか?分からない。映画はグウィネスを善人に仕立てたかったようだが、最初の不倫、「夫は私を自由にさせてくれない」とは言うけどそれを理解させるにはあまりに説明不足で、マイケル・ダグラスだってただのぶっきらぼうなだけの夫にしか見えないし、グウィネスも腹に一物ある女と思われても不思議はない(ラストの刑事の言葉もそれを助長している)。ことさら「ユダヤ人」という政治的にナーバスにならざるを得ない民族を出しているにも関わらず、下手に悪意を植付けかねない。長文、しかも政治的な話でレビューページを汚して恐縮だが、全く意味のない、しかもいい加減な設定に怒りを覚えた。 ちなみに、ヒチコック版は未見である。 0点(2004-12-14 00:54:06) |
7. コンタクト
《ネタバレ》 人は誰もが手を伸ばしている、その孤独から抜け出したいがために。それは皆同じなのに、手を伸ばす方向が違うばかりに対立し、時には殺しあう。そのバラバラに伸ばされた手と手がつながった瞬間、私たちは「コンタクト」できるのだと。外惑星と地球、科学と宗教、政府と民間、タカ派とハト派、そして男と女、そのすべてが本当は同じ方向を向きたくて、手をとりたいと願い、叶わずにいる。地上で一組の男女が手をつないだラストシーン(厳密にはラストではないが)は、そのすべてが凝縮された、これまで腐るほど見てきたキスやセックスシーンよりも確かな手ごたえを持つシーンであったと思う。 とはいえ、時にツッコミを入れたいところもある。特にあのムキ歯君、君はテロリストには向かんよ、顔が目立ちすぎるから(だって出てきた瞬間、「スターシップトゥルーパーズ」のヤツだ!ってすぐ分かっちゃったし)。しかしこれもまた、映画は公式や科学論文ではなく、心によって生み出される産物であることのあかしであり、そうしたほころびが時に魅力となる、まさにスクリーン上の絵空事たる映画の真骨頂だろう。科学と空想、これもまた、人を豊かにすることができることで共通している(豊かにする部分は違っていても)。映画で語られたことばかりでなく、この作品を持ってして科学と空想が手をとり合った、というのはいささか考えすぎだろうか? 10点(2004-12-12 14:18:08) |
8. マルコムX
《ネタバレ》 私はこの映画を、ある特定の目的があって見た訳だけど、予想以上の収穫がありましたね。というのも、私はこれを見るに際して「人種差別」よりは「宗教」という視点でセレクトしたのですが、今の情勢を考えるとこの2つは双子の関係のようにリンクしていることを実感しました。信教の自由がありながら、事実上キリスト教国になっているアメリカで、同じキリストを敬いながら同じクリスチャンに罵られ、襲撃され、牧師であった父親を奪われた。さらに白人に生まれてレイプされた母。教会に飾られるキリストは白人であり、白人牧師が教えをたれて冗談でありながらも黒人を「サタン」と呼ぶ。キリストの愛を説く白人が一方で非道な仕打ちを行い、あらゆる場面でそれが降りかかってきたマルコムの半生を思うと、独房で牧師にうそぶいた「おれのケツでもなめやがれ!」というセリフがすごく重く響いてきます。晩年訪れたメッカでイスラムの真実を知り、博愛思想に目覚めてから暗殺されたのも皮肉だと思いますが、清教徒によって生まれたアメリカは今ではなくその頃から、いやそれ以前からイスラムを苦々しく思っていたのでしょうか。時間が経てばまた、私自身の中からいろいろな言葉が生まれてきそうです。 9点(2004-12-12 08:26:12) |
9. シベリア超特急
甘く濃厚なラブシーンに、もし「電動こけし」が出てきたら、あなたはどう思うだろうか?恐らく多くの人は、生々しくも美しい愛のシーンがこけしによって壊されたことに落胆あるいは怒りを感じるだろうと思う。 晴郎には映画への愛は間違いなくあった。私の記憶が確かならば、映画の宣伝担当から始まり、映画評論家という売れなければ霞すら食えない稼業に足を突っ込んだ男。食えない仕事をあえてやるというのは、そこに並々ならぬ思い入れがあるからに他ならない。その「思い入れ」こそが、愛なのだ。過剰な愛は時に身を滅ぼすこともあるが、運良く晴郎は映画評論家としての名声を着々と積み上げていった。 そしてその愛が形になったのが、まさしく「シベ超」である。何を思ったか晴郎は、映画への愛を形に残そうとしてこのシベ超を作った。愛はあった。しかし晴郎には、大切なものが欠けていた。「女を満足させるテクニック」---観客を満足させるテクニックや演出、技術である。そこで愛を示すために晴郎は何をしたか?---電動こけしを惜しげもなく使ったのだ。愛する女を幸せの絶頂にしたくても、自らの体ではそれを示せないと知った時、男は電動こけしで幸せにしようと考えたのだ。私はそれを否定しない。例え電動こけしでも、その手段が「愛」から来るものであれば---全く揺れない列車、外人を出してゴージャスにしようとハリウッド俳優ではなくI事務所の外タレ起用。何の前触れもなく舞い降りるひらめき。そして強引なほど狂おしい戦争反対のメッセージ。愛はあっても、それを表現できない男のもどかしさが、これらに存分に溢れていた。繰り返すが、私はこれを否定しない。テクニックがあっても愛がないプレイボーイより、テクニックが偽物でも愛を感じる方を私は選ぶ。ここには三文ラブストーリーなんかより遥かに深い愛の真実がある。ああ・・・映画って本当に、素晴らしい・・・ 追記:シベ超に関する怪奇現象が数々報告されているが、私の体験を紹介しよう。私のデッキは通常テープを入れると自動的に再生が始まるのだが、テープを入れても再生できずデッキから吐き出されてしまう。古めのテープで2、3回そういうことはあったが、シベ超の場合は覚えている限り20回トライし、その度吐き出された・・・それ以上の回数は分からない。やはりシベ超には私たちの知らない何かがあるのか?結果が分かり次第、追って報告する(嘘) 0点(2004-09-20 21:43:42)(笑:6票) (良:2票) |
10. ユージュアル・サスペクツ
ポスルスウェイトのオフィスの「成功 力 財産」が気になってしょうがない。ガラスに透かしまで入れてまるで何かのセミナーじゃんか。部屋の表札も日本人にしてみればすごく違和感あるしね。何で気になるかって?織り目の粗い布のほころびは見た目はそんなに気にならないけど、細かく織られた布のほころびは目に付きやすいってこと。いくら「小林さん」も作り話だったとしても、あんな怪しい日本語の使い方されちゃ作り手は日本人みんなオウムって思ってるんじゃないかって思うぞ。オウムも1995年だったしなあ・・・もうオチなんてどうでもいいや。すぐ分かるやん。結構いろんなところから「気付いて光線」発射されてるよ(苦笑)ついでに言うと、ケビン・スペイシーが助演男優賞なら、主演は誰なのよ??クレジットじゃマクナマス役の人がトップだったけど主演にしちゃガブリエル・バーンに負けてるし、出番の少ないポスルスウェイトよりインパクトないし。騙すことにばかりこだわってて細部はしょぼいところが多すぎてダメ。まさに3点、ショボ映画。 3点(2004-09-15 18:37:21) |
11. ハムナプトラ/失われた砂漠の都
《ネタバレ》 見終わった時点(昨日)では6点にするつもりでしたが、翌朝目が覚めて3点にがた落ち。まさかこんなに金かけてCGに手間かけて、出来上がったのがドリフのコントとはねー。あの棺が落ちてくるシーンなんてほとんどタライ扱いじゃないですか。タライに失礼だろっっ!!(違)3点つけておいてなんですが、けっこう笑わせてもらいました。でもどのシーンで笑ったのか、棺のシーン以外思い出せない・・・昨日見たばっかりなのに。 以下、箇条書き。 ●人の死が軽すぎる。せめて図書館のボスは悼んで欲しかったなあ・・・ ●CGがCGと分かりすぎ。夜の市場は妙にセットくさい。 ●何より主演がミスキャスト。大根。無礼者なのに無礼者に見えない。こういう役こそ、ベン・ア○○ックが適役でしょう(笑)他の役者が割とよかっただけにねえ・・・ あ・・・思い出した。図書館ドミノ。何も映画の予算で「世界一ドミノ倒しに挑戦!」しなくてもいいじゃんねえ。大きさだけなら多分世界一だよね。 3点(2004-09-13 22:48:40)(笑:1票) |
12. ホーム・アローン
《ネタバレ》 初めて見たときと今では見方が変わってしまった映画の1つ。初めて見たときは映画大好きってほどでもなかったし気付かなかったけど、クリス・コロンバスだったのか。コロンバスと言えば、シュワ主演の「ジングル・オール・ザ・ウェイ」っていうのもあったっけ。思うんだけど、クリス・コロンバスはドタバタだけど暖かいアットホームなコメディではなくて、「バカ親」をいい親のように描かせれば一流、の監督ではないかな。いい加減に自分の子供を扱って置き去りにしておいて、空港で気付いた途端いろんな人に迷惑かけながら子供に会いに行こうとする母親。「あなたもお子さんおありでしょう?」って情に訴えて相手のチケットを奪うやり方、相手からすればどんなにはた迷惑な親だろう。でも最後には子を想う親の愛が勝ってハッピーエンド、って親子愛に持っていけば一見感動的。でも今のあたしは「自業自得だろ」って言いたくなる。日本でもはた迷惑なバカ親が増えているし、迷惑かけてなくても自分の(あくまでも自分、子供は含まれない)都合しか考えてないように見える親はたくさんいる(赤信号に変わった直後にベビーカーで猛然とダッシュするお母さん、あれメチャクチャ危ないよ)。あくまでも「親が自分自身を振り返り反省する」ための映画であればいいのだけど、「子供への愛があれば何をしても許される」って解釈されるならこの映画の功罪の「罪」の部分が大きい気がする。それによって多くの人が迷惑をこうむるんだから。コロンバスが、前者の考えでこれを監督していることを切に願う。 5点(2004-08-22 21:48:14) |
13. マイティ・ジョー
旅先でのTVで、しかも「ながら」状態での鑑賞だったんで前半はあまりまともに見られなかったけど、クライマックスのパニックシーンに入ってからはぐいぐい引き込まれた。「北京原人」とかぶってしまうのはご愛嬌、ってことで。でも元を正せばこうなってしまったのは人間の逆恨みのせいなんだよなあ・・・野生生物を凶悪なものにしてしまうのも、心優しい森の守り神にするのも、結局は人間の心。生活を豊かなものにもするけれど、人殺しにも利用できる科学のようにね。 6点(2004-08-22 21:23:11)(良:1票) |
14. アンドリューNDR114
《ネタバレ》 私としては2つの意味で文句なしに10点つけさせていただきます。まずは、テーマの「引出し」が豊富。ロボット映画って程度の差こそあれ、大抵は人間ではないロボットを通じて人間の本質を描いてるものなんだけど、これの場合まあ確かに「人間とは何か」という一言でまとめることもできるけど、その範囲がとても広い。永遠の命、自分とは異なる存在に対する関わり方(サーやリトルミスと他の人を比べると良く分かるよね)、ありのままの自分とはどういうことか(ありのままならロボットでいいじゃないかという問題ではない。人間として認められたいという気持ちが彼を動かしてきたのだから)、人間としての尊厳、そして愛。深く考えさせる要素がこれだけありながら食い合うことなく全く破綻していない。アシモフが原作だけあってバックボーンがしっかりしているし、もしかするとアンドリューの「愛」っていうのはロボット3原則を突き詰めていけば自然とそうなるのかもしれないなーなんて考えた。納入する時の箱に「一生使え守る」って書いてあったけど、よくよく考えれば3世代に渡って大切にしてくれた人に使えて守った訳だから。そういう人たちに何かしたいと思うようになれば、それが愛なんだろう。 もう1つは、この映画はロビン・ウィリアムズの「幸せ配達人」としての集大成であること。これを最後にしばらく映画を離れて、復帰後はどちらかというとダーティな役が多い。だからこれは幸せ配達人としての最後の仕事なわけだけど、最初の全く感情のないところから人間らしく愛を表現するまで、少しずつ感情が盛りがっていく中で時にコミカルな場面もあって抑揚があり、リトル・ミスの最期のシーンは、感情を殺しているのに悲しさが伝わってきて、オトナコドモだけではないロビンの役者としての凄さを再認識してしまった。かなり主観入ってると思いますが、これでオスカーノミネートされなかったのが不思議なくらい・・・ラストシーン、アンドリューの安らかな顔の中に役目を終えたロビンの安堵感が重なったようにも見えて、何とも言いようのない感慨に襲われた。それは彼の「幸せ配達人」としての最期でもあったのか・・・何とか1000文字で収まったみたいです。本当はこの映画を語りだすと止まらないんですよね、私(^^; 10点(2004-08-14 21:08:11) |
15. シックス・センス
《ネタバレ》 オチをを聞いてて「ああ、またそういうことですか」って冷めた感じで思ったからずっと見てなかった。しかもその後の「サイン」がえらくつまんなかったんで見た後どうやってけなしてやろうかなーなんて思ってたんですよ、ぶっちゃけ。確かにオチを聞いた私がいうのもナンですが、ああいうオチが待っていることは何となく予感できる。撃たれた後に俯瞰になるカメラとか、ブルース・ウィリスがレストランに入ってもいつまでたってもウェイターが来ないとか。分かってたんだけどね。ラストまで見て思ったのは、「霊」はこの映画のキモではないってこと。こういう話ははっきり言って霊なんて使わなくても作れるし、テーマはベタだと思う。たまたま(意図的に作られる映画にこんな言い方するのも変だけど)少年を助けてくれたのは人間じゃなかった。ラストでブルースが本当の自分を知った時、それを認めた時に、ようやく相手を許し、受け入れることができた。早い話が、「素直になったらお互い分かり合えた」たったそれだけのこと。ベタだよね。でも私もそうだけど、人間って分かっててもなかなか素直になれない。ましてや大人になってしまうと、つまらないメンツとかこだわりとかに心が縛られて。だからベタだって分かっていても、こういう話見て、毎度ながら素直になること、許しあうことっていいなって思ってしまうんだろうな。オチばっかりが取り上げられることが多いけど、話自体はレンタルショップのホラーの棚ではなくてドラマのところにあってもおかしくない。まあ、もしこれがドラマの棚にあって、ドラマのつもりで見てたらもしかしたら0点つけたかもしれないけどね。 7点(2004-08-13 19:20:09) |
16. 愛を乞うひと
《ネタバレ》 すみません、これについてははっきり言って私情抜きでコメントすることは不可能です。正直に言いますが、私自身、映画の中の照恵のように実の母親に憎しみを抱いていたことがあり(照恵が「なぜ私を引き取ったの?」と泣きながら問い詰めたのとは対照的に、「なぜ私を捨てたの?可愛くないの?」と目の前にいない母親を責めるように心で問い掛けていました。ただ母の温かいぬくもりを求めていた点では同じだと思います)、母のようには絶対ならないと思えば思うほどその呪縛から逃れられず長いこと苦しみました。だから「もしも私自身が母親と暮らしていたらこうなっていただろう」出来事がスクリーンで展開していることに心中穏やかではいられなかった。最初に劇場で見た後しばらく私自身の人生もめまぐるしく動き、今年になってずっと会いたくないと思っていた実母となぜか話したくなり、あっさりと連絡が取れてしまったが、その間に実の祖父母の墓探しをして墓参りをしたりして、本当は割と簡単に手が届くはずだったのに随分遠回りをしてしまったようにも思う。それは照恵のルーツである台湾への旅をしなくても、実は父の遺骨が日本国内にあったのと同じように。でもね、分かるんです。本当は近くにいても、「その時」が来るまで会ってはならなかったんだということを。遠くにいて複雑な事情を抱えながらもやはりみんなが、そして母も自分自身を愛していたことに気付くまでは。娘同然に思っていた王さんだけではなく、戦争によって苦渋の選択をした父の実兄も。そのことがあってようやく、最後に母の美容院で対峙することができたんだと分かるのです。そして母・豊子が照恵を手放そうとしなかった理由も。照恵は、心から好きでずっと一緒にいたかったあの人がいたという証だから。それは子供自身を愛している訳ではないから決して誉められるものではないけれど---それでも美容師になったということが、上手に髪を梳いた娘を忘れたくなかったことのように思います(美容師免許を取得して美容院開業するのってすごく大変なんですよ)。ただ暴力の中の未熟な愛をそういう形でしか昇華できなかった母は、ただ去っていく娘を遠く見つめるしかなかった。「愛こそ全て」なんて単純なものではないからこそ、愛の激しさ・儚さ・そしてどんな形であっても確かにあることを、あのラストで感じるのです。 10点(2004-08-08 16:31:21) |
17. 月夜の願い/新難兄難弟
話は結構ベタです。父子愛がテーマだし、タイムスリップするのも方法は違うけど「バック・トゥ・ザ・フューチャー」みたい。それでも私としては8点はあげたいいい映画。忘れかけたものを思い出させてくれる気持ちが温かくなる映画です。香港の下町風情は「こち亀」の両さんの子供時代の浅草みたいでみんながお互いに気にかけ合って助け合ってて、昔は当たり前だったこと、本当なら今でも当たり前のはずの「困った時はお互い様」の気持ちが生きている。レオン・カーファイの若かりし日のお父さんがすごく生き生きしてて良かった。頑固だけど情に厚い昔気質だけど、すごくお人よし。こんな人絶滅してしまったのかなあなんて思っちゃうけど、こういうのに感動してしまうってことはまだまだ昔の熱い心があるってことなのかもしれないなって思う。このレオン・カーファイ、「ア○ノ式」顔負けのすごいダンス見せてくれます(笑)歌が下手なのはご愛嬌ってことで。さすが香港映画、真面目なのかふざけてるのか分からない胡散臭さ(ウォン・カーウァイは別)も忘れてません。トニー・レオンの「目からビーム」とか。でも一番の注目はトニーとカーファイの○○シーンです。あんたたち、ラーメンマンやん(特にカーファイ)・・・(笑)笑えて最後にはほろっとできる気持ちいい映画です。温かい気持ちになりたいときにオススメ。 8点(2004-08-02 20:37:56)(良:2票) |
18. ガタカ
《ネタバレ》 反発は覚悟の上で書くが、これは「アメリカ万歳」映画だと私は思っている。 一般的にアメリカ万歳映画だと思われているアレやソレに高評価を与えている私なんだけれども、それらの圧倒的なスケール感は、今の時代ではやはりアメリカじゃないとできないということは否定できないし、軍や宇宙技術といったアメリカの充実した「ハードウェア」に依存している面は大きい。一方こちらは未来のNASAである「ガタカ」が舞台だが、中心に描かれるのは遺伝子によって人生を決められた人間の運命への抵抗と、それへの勝利並びに敗北である。 どうも日本人の多くの傾向として、滅びや別れの悲しい運命が待ち受けていようともそれを潔く受け入れる姿は美しいと考えがちである。この映画を見た人の中にも主人公に対し「何もそこまでしなくたって・・・」と思う人は少なくないと思う。しかしその運命の渦中にいる者にとっては今にも逃げ出したい現実でしかない。実際映画の中では何かと遺伝子的に優れた弟と比較され、生きるために必要な自尊心さえ傷つけられる。主人公が宇宙飛行士を目指す理由も現実から逃げることだった。アメリカという国はフロンティア精神と言われるように自ら進んで開拓していくイメージがあるが、実際のところは清教徒が迫害を逃れるために新世界に希望を求めたというのが本音であり、やがて移民が増えるに連れ徐々に西へ西へと地平を広げていく過程で自由、自主、独立、開拓・・・アメリカのパブリックイメージであるこうした国民性を手に入れた。時には銃で先住民を駆逐する「犯罪」を犯しながら・・・主人公もこうして宇宙という「西海岸」へ到達し映画が終わる。 決められた運命を受け入れるのは美しく見えるが、本来人間と言うのはより良い存在になろうとすべく努力を重ねる。それは生きるために必死に道を探す、「生物」としての人間の姿でもある。(私は決して主人公の犯罪を肯定しているのではない。ただ自分の生きる道が自分の運命とは違う所にあると知って罪を犯すことを選んだその心を否定はできない)ドクターが最後に不正を許したのもジェロームの人生の選択も、あくまで自分自身として生きようとした主人公に胸を打たれ夢を託したからだと思うが、その姿は自分の道は自分で切り開くプラスのイメージでのアメリカ人の在り方でもあった。 これはアメリカの精神の部分に光を当てた「アメリカ万歳」映画だと思うのだ。 9点(2004-08-01 18:43:52)(良:1票) |
19. 北京原人 Who are you?
遠泳ってしたことありますか?中学の時臨海学校で一度体験したんですけど、すごく不思議なもんです。マラソン大会どうやってサボるかばかり考えていた私なので、遠泳の日にもサボれるように朝の体温測定の時に脇の下を揉んで揉んで揉みまくって、熱があることにしようとしたけれどあっさり保健の先生に「泳いでらっしゃい」と言われ撃沈・・・でもまあ実際泳いで見ると確かに海岸線が遠くなって不安にならないでもないですが、折り返して海岸に向かう後半になると不思議と泳げる気がするんです。そして砂浜が近づくに連れ、これで終わってしまうの?何か物足りないなぁ、もっともっと泳げそうな気がするのです。そして陸に上がると普通水から上がった時って体が重いんですが、すごく軽いんですよ。ふわーっとしてて。あんなに遠泳嫌がっていた私だったのにとても気持ちが良かった。きっとマラソンの「ランナーズ・ハイ」っていうのもこんな感じなんだろう・・・えっ?何でこんな話をしたかって?佐藤純弥氏のフィルモグラフィー拝見しました。「君よ憤怒の河を渉れ」・・・ユリーカ。そういうことだったのか!この映画はまさしく「憤怒の河」と呼ぶにふさわしいものであったのです。「川」ではなく、「河」。これは中国の揚子江のようにとにかく大きな「河」なのです。あっちで実際に見たことありますが、当日うまい具合に霧が立ち込めていたせいもあって向こう岸が全然見えなくて、利根川とか信濃川くらいしか知らないニッポン人の私には海かと思うようなデカさでした。同じようにこの映画も、向こう岸の予測など到底つかない大河であり、自分の映画人生を賭け、自身の映画に対しオマージュを捧げた・・・つもりだったのかもしれません。これをずっと見ているとどんなにぬるい映画ファンでも叫びたくなること請け合いです。何じゃこりゃって。しかし次から次へと押し寄せるトンデモの細波にいつしか怒る気力さえ失い・・・気がつくと様々な感情を超越し、むしろ清々しさを感じる自分がいるのです。そう、それはかつて大海原を泳ぎきったあの時のような---どうだ純弥、泳ぎきってみせたぜ、この憤怒の河を!!・・・まあ私はシベ超なんかも見ているので、すでに憤怒の河は何度も越えてしまい、最早この手の映画に対して怒りの感情どころか征服欲が湧いている状態でありますが。君も渉ってみないか、この憤怒の河を。 1点(2004-07-30 18:10:01)(笑:2票) (良:1票) |
20. 北斗の拳(1995)
何だ普通のB級じゃんかよ、と思って楽しんでしまった私は多分死んでいる。 5点(2004-07-30 01:00:24)(笑:4票) |