1. 男はつらいよ
日本全国の観衆に感動・誇り・人の心の暖かさ・生きてゆくことへの活力・涙等を約25年間与え続けた上、邦画の低迷期に唯一その存在意味を知らしめたこの長寿シリーズが無ければ多分日本における「映画」文化は没落したであろうし、庶民文化としての「落語」というジャンルは壊滅の道を歩んだものと自分は思っている。そんな愛すべきこの作品にどうして低い評価をつけられようか。そういった点も含めてこの点数。 [映画館(邦画)] 10点(2008-10-18 22:19:24)(良:3票) |
2. 大脱走
《ネタバレ》 E・バーンスタインのテーマ曲から始まる、これはまさに「大人の鬼ごっこ」映画。「絶対脱出不可能な~」という刑務所か!?とも言いたくなるのもわかるが、そんな事をも吹っ飛ばしてくれる痛快・爽快・楽しさに溢れている。もちろん俳優達の豪華さもさることながら、映画としての魅力の一つである印象的なショット=例えば飛行機から抜け出たプレザンスが見つめる国境近くの風景若しくはコバーンが入っていくスペインの山のショット、ビッグXチームが銃殺される処など監督スタージェスがうまくやっている事も忘れてはならない。まあTVで映画館でソフトで何回観たことか。それでも全く飽きないのはこの映画が多分大人になってしまった映画ファンにとっての「童心回帰」、「わくわく感」を高揚させられるからでしょう。吹き替え版も素晴らしい。マックィーン=宮部昭夫、ガーナー=家弓家正、ブロンソン=大塚周夫、コバーン=小林清志。ああうっとり。願わくばスクリーンで吹き替え版、観てぇ~!(私が好きなのは「運が良かった」だけで脱走に成功したコバーン=セジウィック。マックィーンのオートバイ・ガーナー+プレザンスの飛行機に比べ自転車とは!) [映画館(字幕)] 10点(2008-08-23 00:17:40)(良:1票) |
3. 乱れる
《ネタバレ》 厳しい。それしかこの映画を表現できない。「女性としての幸せ」を最後は自らの手であきらめ、禁断の恋に溺れず現状に踏みとどまる選択をしたにも関わらず、その報いは斯くも残酷なものなのか。義弟加山雄三の死因が永遠にわからないというのも辛ければ、その死体が義姉高峰の側を離れていくあのカット!なんてやりきれないんだ。一歩間違えればちんけな昼メロの域を出ないこの話を監督成瀬の演出力・俳優達の演技・そして松山善三の脚本は邦画史上屈指の恋愛映画の傑作に仕立て上げてしまった。俳優加山の名演技もさることながらやはりここは日本を代表する名女優、高峰秀子の素晴らしさを堪能したい。最初は平凡な未亡人だった彼女が劇中で義弟加山に告白されてから本当に色気のある、芯から「美しい」女性に変わるのがスクリーンから伝わってくるのだ。そしてあのラストシーン。当初はこれ9点にしたけど、満点付けさせてもらいます。 [映画館(邦画)] 10点(2006-06-24 18:27:22) |
4. ロシュフォールの恋人たち
ジャック・ドゥミの夢の結晶。そしてミシェル・ルグランの最良の仕事。これを映画館で見る事が出来たのだから最高としか言いようが無い。 [映画館(字幕)] 10点(2006-04-17 02:55:14) |
5. ワイルドバンチ
《ネタバレ》 モンティ・パイソンの短編にペキンパーの流血描写を茶化したコメディがあり、それを見た若き日の私は「イギリス人は馬鹿だ」と本気で頭にきた事を思い出します。この人の映画の本質はやはり「時代遅れの人達への共感と古きよき時代への郷愁」ではないのでしょうか。ペキンパー自身が西部劇の黄金時代から衰退期を経た、時代遅れの生き方を余儀なくされた映画監督だったのだからその思いはひとしおです。生き残ってしまったソーントン、時流に置いてきぼりにされてなお生き続けていくことの苦しみはいかばかりか(ロバート・ライアン最高) だからこの映画で最高に輝いている場面はそういったダサい男達が見せるふとした幸せや喜びをかみ締めているシーン、メキシコの村を離れるところや銃器を強奪後に酒を飲みあい笑い会うあれだと思うのですよ。それをスローモーションの流血描写だけことさら強調して映画の情報誌によく書かれている「今のアクション映画の原点はペキンパーだ」という文章、あれはこれから映画を見る皆様、そしてペキンパーに失礼だろうがとこの映画が大好きな私は思うわけですよ。文章が雑になってきましたので頭を冷やしてきます。 [映画館(字幕)] 10点(2006-04-16 23:08:38)(良:3票) |
6. 博奕打ち 総長賭博
《ネタバレ》 博徒としてあるべき「任侠道」を押し通せば通すほど増大する悲劇を格調高く描いた日本任侠映画の最高傑作。今は無き新宿昭和館で見た時の胸震える感動は忘れられない。【追記】これはこの後没落してゆく任侠映画ジャンルの鎮魂歌=レクイエムである。それは「任侠道」の時代遅れな面、そしてこれから来るべきヤクザ映画の流れを脚本の笠原和夫が見抜いていた、その先進性に感嘆せざるを得ない。この映画では任侠映画の考え方が現実に則さない、絵空事であるということを示し、頑なに「博徒としての任侠道」を守っていった役者全てに破滅の道を歩ませた。その反面現実に則した「ヤクザとしての生きる道」を選択した仙波(金子)の方が完全にうまくやっている。「任侠映画」としては滅び行く漢の生き方に涙し感動するのが普通だが、そんな観客の心を見透かすかのようにこの映画はラスト中井(鶴田)の判決文として博徒が守るべき「任侠道」を遵守した事を「博徒間の私怨」というつまらない理由で説明し映画の幕を閉じるのだ。後年笠原はそんなきれい事ではすまないヤクザの生き様を描く「仁義なき戦い」に関わってゆくがそれは偶然ではない。ちなみにこの映画でも最後まで上手くやるのは、皆さんご存じの通り「山守=金子信雄」であった。 [映画館(邦画)] 10点(2006-04-15 00:03:58) |
7. 冒険者たち(1967)
《ネタバレ》 鑑賞年齢によって印象が変わる作品。初見時10代後半~20代だった自分は幸せだった。おっさんになった今再見してみて感じたのはヒロインが海中に埋葬されたシーン(映画史に残る名シーン!)より後半、残された男2人が自分達の青春に折り合いをつけて生きてゆく情景・シーンの方がはるかにインパクトが有ったという点。特にリノ・ヴァンチュラが要塞島の近くに住居を構え、地元の子供に彼の趣味であった自動車エンジンの話をしているシーンは演技を越えた何かを感じる。マイナス点は唐突に表れる強盗団の存在だが、今ではそれすら「人生に起こりうる突然の不幸や暗い影」を表すメタファーだったのではないかと勝手に解釈している。そして最後に強調したいのだが、ヒロインがアラン・ドロンではなくリノ・ヴァンチュラを選んだ点で、この作品は観客に甘い想い出を残している事。そりゃぁ胴長短足禿げ一歩手前、20歳の私は大喜びでしたよ、「リノ・ヴァンチュラを目指せば良いのか!」って。全てが無理と悟るのにそう時間はかかりませんでした...。 [映画館(字幕)] 9点(2017-09-29 09:55:14) |
8. 緋牡丹博徒 花札勝負
《ネタバレ》 70年代東映エンターテイメントの中核を担っていた鈴木則文監督。「トラック野郎」シリーズや東映ピンキー・バイオレンスの諸作品は私にとって青(性)春の良き想い出です。ただ脚本家としての技量も優れたものがありその代表作としてこの一本を挙げさせていただきたい。彼の造形した緋牡丹のお竜=矢野竜子(藤純子)シリーズは正直言うと「主役を女性にした東映任侠映画」それだけのことでB級の域を抜け出せないワンパターン物。ところが名匠加藤泰が監督したこの作品に関してはお得意のローアングルとロングショット+時に挿入されるクロースアップの演出術が冴えわたっていることもさることながら、「ニセお竜」が蔓延っている賭場に本物のお竜が流れ着く、という脚本展開は素晴らしいと思います。これによりお竜自身の「博徒であること=女性であることを封印している」寂しさが強調されニセお竜に足を洗い、女性の幸せを求めるシーン(また~いかんとよという博多弁が良いんですね)+好意を持っている高倉健への抑えた視線に物凄い説得力が加わってしまう、今は亡き新宿昭和館のスクリーンで酔っ払いがお竜さ~んと騒ぐのも完全に理解できる情景。これはB級グルメがミシュランの星を取ってしまったような奇跡の一本でしょう。そしてそんな素晴らしい映画世界を教えてくれた鈴木監督のご冥福をお祈りいたします。 [映画館(邦画)] 9点(2014-05-18 09:44:27)(良:1票) |
9. 8 1/2
《ネタバレ》 「観客をおいてきぼりにする様な」意味のわからない作風/映像表現を世界中に巻き起こした、という後世への影響から考えて「去年マリエンバートで(61年)」と並び仲間内ではあまり評判がよろしくないこの一本。そんな時私はいつも抗弁している「これこそ映画的な話でありとても面白い」と。1.現状の色々な重圧から潰されそうになっている自分+2.そんな自分が描いている妄想+3.作品で撮りあげたい映像、これらのコラージュ。そんな雑然とした風景がラスト主人公の述懐=人生って素晴らしい/登場人物たちが輪になって周り巡るあそこでひとつになる、それを見て感動で胸いっぱいになってしまう自分がいるのだ。あとは主演のマストロヤンニ。この作品が成り立っているのはひとえに彼の存在感があってこそであることは間違いない。 [映画館(字幕)] 9点(2013-04-02 02:50:22)(良:1票) |
10. 飢餓海峡
《ネタバレ》 巨匠内田叶夢による邦画史上屈指の「大作」である。この映画を観て私が感じるのは芥川「蜘蛛の糸」。犬飼多吉にとって津軽海峡の暗い波頭はまさに地獄の血の池であったのだろう。そして娼婦八重はまさにそんな糸を紡ぎ出す蜘蛛であったろうし、八重にとっても犬飼は一時でも娼館を抜け出せるきっかけを作ってくれた、まさに「同じ地獄の境遇」から生還できた同士であったに違いない。だが時が経ち篤志家となった彼にとって彼女の存在は過去の罪を思い起こさせてくれるだけの邪魔者=地獄からの使者に感じられた、という悲しさ。ラスト犬飼が飛び込んだ海。それは「地獄へ墜ちていく」事の意思表示であり愛を捧げてくれた薄幸な娼婦への贖罪であったに違いない。役者は皆好演だがやはりこの映画は人間の持つ清濁性を存分に発揮した役者三国の代表作として挙げておきたい。といって私アジャパーだけではない役者伴淳三郎も、左幸子も凄いと思うんですよね。左演じる八重の犬飼への感情のほとばしり(切った爪を抱きしめ悶えるあのシーン!)、または皆様仰る犬飼との再開(「いぬが~いざ~ん!」)。刑事弓坂が犬飼に指し示す「砂」のシーン。まさに名演のオンパレード。点数は前半の凄まじい展開から後半に進むにつれ観賞疲れを感じてしまう処を考慮して。ここでは健さん、たんなるおまけだな。 [映画館(邦画)] 9点(2008-12-30 14:08:38) |
11. 少年(1969)
《ネタバレ》 国家社会への対抗心やアングラ芸術への傾倒、またはエロチシズムでの表現といった様々な形で邦画界に名を残すオーシマだけど彼の作品の根底にあるものは「全体主義の中の孤独」。鬱屈を抱えて生きている人の疎外感や屈辱、労苦を取りあげそんな者を生み出す社会への告発・そして影に隠れて生きている者への掬い上げ(例えば横尾忠則やフォーククルーセーダース、荒木一郎やビートたけし、ま阿部定もそうかもしれん)が作品のテーマと思うが何せ主義主張の多い彼の作品は、正直疲れてしまう。ただ実在した当たり屋一家の事件を題材にした、「当たり屋役」で一家を支えている少年のロードムービーである本作は淡々とその道行きを撮しているだけでそういった強烈なインパクトは無く普通。ところがこれが過酷。掬い上げすらない。大人の自我を持たないままの「少年」が親のいいなりになって犯す犯罪だけが家族を繋ぐ「絆」という苦しみ。雪だるまを相手に「宇宙人が素敵な未来へ弟と共に連れ去ってくれる」という想像の発露。そして義理母が与えてくれた愛情の印=時計が招いた少女の事故死と家族の崩壊。胸がつまる。そしてラスト、護送される車内の中で涙する少年のショットは映画監督オーシマの力量を感じる。個人的には「愛のコリーダ」と並ぶ彼の名作。 [映画館(邦画)] 9点(2008-09-21 16:31:47) |
12. ニッポン無責任時代
《ネタバレ》 日本の喜劇/ミュージカル映画史にその名を残す、役者植木の魅力が爆発の一本。普通ミュージカル映画の演者というのは観客に「突然唄い踊る」恥ずかしさを感じさせてはいけないし、「奥ゆかしさ」も美点となる邦画俳優には難しいものなのだ。ところが彼の演技は「彼はそんな人、無責任なんだ」という強烈な説得力で観客に有無を言わせない凄さがあった。特に冒頭、社長の家に乗り込み披露する「ドント節」(きたぁも~んだぁ!)は日本ミュージカル映画のベストパフォーマンスだと思う。ただこの後続く「無責任」シリーズの本質を突いていたのは次の「無責任野郎」までであって、後は下り坂になっていく。つまり当時の日本の高度成長期に溢れていた「国民総生産倍増的気概・滅私奉公・団結心」的感覚に対して真っ向から反抗する、人間の善意や団結心をトコトン無視するまさに「悪漢」(を植木のコミカルな演技で包む)がトップに登りつめる皮肉がこのシリーズのポイントである、と私は思うし、名作たる由縁だったのだが後の彼は単に「極端な個人主義を持つお調子者」(それはそれで面白いのだが)と化してしまっていた。という訳で私的シリーズの最高傑作はそんな無茶ぶりが溢れた「無責任野郎」なんだけど、歴史的意味を考慮してこの点数。 [映画館(邦画)] 9点(2008-05-11 13:40:23)(良:1票) |
13. 太陽がいっぱい
《ネタバレ》 P・ハイスミスの原作のテーマが「自己の喪失」であるのでどちらかといえばリメイク版の「リプリー」の方が原作に近いしマット・デイモンの方が「才人トム・リプレイ」なのだろうと思う。だが作品を流れるそこはかとない哀愁(ニーノ・ロータのメロディ!)そして主演のドロンの名演によってこの作品はサスペンス映画のエバーグリーンとなった。はっきり言ってドロンは好きな俳優ではないのだがここではその「下種な」雰囲気が見事に「背伸びをした成り上がり感」をかもし出していて絶品。ここではヒロイン、マリー・ラフォレはおまけ。モーリス・ロネの方がよっぽど不思議な色気を出している。ヌーヴェル・バーグの若手監督達にさんざん虚仮にされたルネ・クレマンの怒りの一本! [映画館(字幕)] 9点(2008-01-27 21:26:36) |
14. まぼろしの市街戦
《ネタバレ》 【2019年改訂】2018年10月に4Kリマスターが劇場公開されてたので鑑賞。混乱に満ち溢れるこの世界で、この作品がますます存在感を増す様になってしまったのは嬉しい事か悲しい事か。強烈な皮肉に溢れたこの映画、これはおすすめ。 [映画館(字幕)] 9点(2007-07-05 19:40:54) |
15. にっぽん昆虫記
《ネタバレ》 「ある女性の生き様を戦後史とクロスさせて描き出した、今村昌平の力作」と映画の本では紹介されているが、実のところ「戦後史」というのは単なるおまけでこの映画の本質はイデオロギーや理念を超越した女性のすさまじい「生きる力」の表現に尽きるのではないか。主人公が泥の田舎道を歩くも履物が駄目になってしまい、裸足になって進んでゆくラストには女性が生まれ付いて持つ生命力・精神力の凄さを力一杯表現しておりある意味これは今村なりの「女性賛歌」なのだと思う。多分時代が変わっても、彼女は自分の足で昆虫のようなバイタリティを持って突き進むのだ。どこまでも、どこまでも。左幸子の熱演がなければ成り立たない映画だけど知恵の足りない父親を演じた北村和夫、この人の受けの演技があってこその名演だった事も忘れてはならない。 [映画館(邦画)] 9点(2007-06-18 23:24:41) |
16. バルタザールどこへ行く
《ネタバレ》 人間の「罪」を見つめながら最後は羊の群れの中で生涯を閉じるロバの姿に、殉教したキリストの姿が重なり静かな感動を覚える。人間と言うものは元来「性悪説」的な生き物だけど、だからこそその中で行う「善意」の行動に胸打たれるのだ、と思う。このロバもそんな愚かしい人の行動を見据えつつ、その罪を背負い人間の持つ「愛」(としか説明できん)の可能性に殉じたのではないか、という感想をもちました。ただこの映画、非常に厳しい。またキリスト教徒でない私には本当の意味をわかってないかもしれません。よってこの点数。 [映画館(字幕)] 9点(2007-02-11 18:13:54)(良:1票) |
17. 用心棒
《ネタバレ》 1. 黒澤プロ軌道に乗る。2.「世界の」ミフネの誕生。3.「リアリズム時代劇」の先駆け。4.漫画における「劇画」文化に大きな影響をもたらす(さいとう・たかをがこの映画を観て「無用ノ助」を生み出したのは有名)5.イタリアの無名監督セルジオ・レオーネに光が当たる。=「(スパゲッティ)マカロニ・ウェスタン」ジャンルの誕生。(荒野の用心棒) 6. 「ローハイド」くらいしか名が知れなかった俳優クリント・イーストウッドがこのリメイク作品で注目される。(と同時に監督イーストウッドの撮影スタイルにも影響を与える) 7.オマージュを捧げられた作品、数しれず。(ウォルター・ヒル「ウォリアーズ」「ラストマン・スタンディング」とかミック・ジャクソン「ボディガード」とか。あとサタデーナイト・ライブでのジョン・ベルーシ!) 作品としては続編「椿三十郎」の方が優れていると思うけど、佐藤勝の音楽と主人公桑畑三十郎をとりまく脇役のいかれっぷり(特に沢村いき雄とか山茶花究、加藤大介!)からこちらの方が好み。日本映画が世界に誇るスーパー時代劇! [映画館(邦画)] 9点(2006-09-04 22:13:32) |
18. 赤い殺意(1964)
《ネタバレ》 今村映画の常連小沢昭一は、「土着的な雰囲気をかもし出す都会人監督(都会的なセンスをかもし出している地方出身の川島雄三の対比として)」と説明しているが、自分が好きなのは登場人物を取り巻く苦しい因習や環境に対するパワーの源が泥臭い土着的なイメージで表される「ど根性」、そして恵みを与えるかのような母「性」(だから男は皆情けない人物ばかり)。またかなり陰惨な話にも拘らずその土地の「方言」が妙にホラ話的な感覚を与え、とぼけた味わいをかもし出す。ここに私などは楽しみを覚えるんですね。(だから陰惨なだけの「楢山節考」、中途半端なエッチぶりの「うなぎ」などはちっとも面白くないわけです) でこの話。仙台(その頃はまだ田舎の地方都市)でひ弱な男と生活している風采の上がらない主婦(春川ますみ好演)がある日見知らぬ男に乱暴されてから女としての自信を取り戻し、たくましい女になってゆくという話を「今村節」というのかパワー全開で展開させています。「にっぽん昆虫記」と並ぶ、彼の名作ですな。長々と失礼しました。 [映画館(邦画)] 9点(2006-06-05 22:59:51)(良:1票) |
19. 秋刀魚の味(1962)
《ネタバレ》 東京物語(1953年)以降の彼の作品については正直安定感はあれども新鮮味に欠ける、過去の作品の焼き直しでしかないくらいの感想でしかなかったが遺作となったこれは別。小津にとっての「スターティング・オーヴァー(J・レノン)」ではないか、この作品で新たなテーマに取り組み示そうとしていた、というのが個人的な私の感想です。同居していた母親を撮影前に亡くし一人になった事で「老いる事の寂しさ」からもう一歩踏み出した、「老人への嫌悪感」を初めて表したのではないかと。「老いる事の寂しさ」は年をとれば誰にでも起こりうる出来事であり、沸きあがる感情で至極当然の事。だが親しい者から「年をとる=嫌らしい」と思われる事についてはまったく想像もつかない事実であり主人公達の心に暗澹たる思いが残ったのではないでしょうか。娘を嫁にやり父親としての勤めは果たしたものの、それでも人生はまだ続く。「お葬式ですか」「まぁ、そんなもんだよ」奥の深いやり取りです。もう少し小津が生きてくれていたら邦画ファンにどんな指標を示してくれてたでしょうか。そして彼自身が評した「一番バッター=岡田茉利子、四番=杉村春子」(「絢爛たる影絵 小津安二郎」高橋 治著より)に加えてこの作品ではたぶん六番くらいの打順にいただろう岩下志麻(美しい、ほんとに)をどこまで格上げすることが出来ただろうか…残念だ。 [映画館(邦画)] 9点(2006-05-14 22:39:56) |
20. 博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
《ネタバレ》 冷戦状況下の世界、「自由を求める為の戦い」とか「社会主義は理想的な世界」という名の下で進められていた軍備拡張の風潮の理由として「ただヤリたいから」と男の性欲と同レベルで説明されちゃぁ、カックンてなものでしょう。選民思想(もろナチスドイツ)下、地下で繰り広げられる世界は男のパラダイスでストレンジラブ博士もおっ立っちまうだろうし、溜めていたものを吐き出したコング少佐、「イヤッホー!」と言っちゃいますよね。この映画を見て笑った、というのはまったく無く「あ~あ、 やっちゃった」という感想のみでした。100年後に「冷戦とはこんな状態だったのよ」という資料として名が残るかもしれません。 [DVD(字幕)] 9点(2006-05-06 12:02:27)(良:2票) |