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黒猫クックさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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コメント数 791
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自己紹介 猫と一緒に映画を見ていると、ヤツらは私より先にコイツはクソ映画だというのを察知します。ストーリー展開や伏線回収が怪しくなってくると席を立ってしまうのです。だけどそんなおっちょこちょいな映画にだって良いところはいっぱいあるんですよ。
猫のヤツらは冷酷です。

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【製作年 : 1980年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  火垂るの墓(1988) 《ネタバレ》 
祖父母がセイタさん世代で存命の方は、彼らとこの映画を一緒に見ると感慨ひとしお。 うちの祖父さんのセリフは「現代っ子かよ、ちったあ手伝え」 でした。こっち見て言うな。  ここ数年になって高畑勲のインタビューの紹介や、プロットの解明が進んで叔母が批判されることは、ほぼなくなりました。 しかし、相変わらず清太が日本の良心のような誤読はされ続けていますね。彼らはたぶん二〇〇〇年代に生きる自分そのものと清太を重ねてるんじゃないかなと思ったりするわけです。彼らにとってテーマは「居場所」なんでしょう。トトロの都市伝説の如く、この映画も勝手読みで別のお話として楽しまれているようです。  なお、兄妹が死んでしまう事って、これ戦争関係無くない? 2015年に生きてても彼ら、巣鴨置き去り事件とかの類の結末に至るのではないだろうか。
[地上波(邦画)] 0点(2015-10-06 00:08:04)
2.  007/消されたライセンス 《ネタバレ》 
 残り、三発。弾倉を目視で確認してため息をつく。追いかけている側が、追われている人数以下の弾丸しか持っていない。明らかにストッピングパワーの足りない弾丸が3つ。不意に何をしに来たんだ、僕は。と自問自答する。  ふんだんに用意してきたんだろう。彼らは僕に好き放題威嚇の銃声を浴びせるわけだけど、応射が無い事に疑問を持ち始めたようだ。疑わずそのまま逃げていれば良いのに、いよいよまずい。煙草でも吸ってしまおうか、諦めが頭をよぎる。その内彼らのうちの1人がなにやら確信めいた足音を立てて僕の方へ歩いてくるのが分かった。  僕の手のひらサイズのこの拳銃とは比較にならない大きさの彼のベレッタは、まがまがしく光を吸い込んで。僕に近づいてくる。   ような、そんな展開が顔を見せ始める最初の世代の007な訳だが、やっぱり007はシリアスになりすぎると一体なぜ007でそれを?と言わざるを得ない。そこはそれ、007なんで。ライセンスの失効とか意味あったのか?とか、フィリックスを退場させる意味はあったのかとか、顔が写ってるときと、迫力のスタントでは動きのクオリティが違いすぎるとかそう言うことは気にしないのが作法だ。   僕は、僕がインストールされた肉体を失ったんだ。殺人を赦された僕の肉体はその許可の認証を取り下げられた。事実上、この肉体にインストールされた僕という魂は、一体誰の物なんだろう。陛下の物? それとも、僕の物? 政府の物? いま、それはもうどうでも良いことであるかのように、僕は、僕の憎しみを込めて赦されない殺人を繰り返すんだ。そして、それももうじき終わる。   みたいな、トレーラーの巧妙な脚本はどこにも見当たらず、いつも通りにいつもの人が間抜けな秘密兵器を持ってくるし、いつも通り迷いなくそれで死んじゃうの?な死に様で人がバタバタ死んでいく。   もしかして、作ってる人達は。恐ろしいことだが……この映画が007であることを時々忘れてはいないだろうか?その結果どうしようもなく007になっちゃっているところがこの映画が秀逸なできばえたるゆえんだ。(007として) 
[DVD(吹替)] 6点(2015-04-12 04:01:35)
3.  遊星からの物体X 《ネタバレ》 
古典SFの映画化です。当時の貧弱なマーケティングで機会を得たとは言え、映画然としたエイリアンの脚本との相関性はそれほど高くないと思います。 大変高品質な映画であって、秀逸な短編小説へのリスペクトに溢れています。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2015-03-23 05:18:35)
4.  プラトーン
 この映画の描くベトナム戦争は、誰にとっても無価値な嘘だ。社会主義と世界征服のために嘘を展開した本人らも忘れてしまっているが、戦争に参加すらしていない日本人が半世紀近く経った今も肩代わりしている。滑稽ではないか。   軍事作戦的には話にならないほど弱い相手と長く戦わなければならなくなったアメリカにとってのベトナム戦争は、社会主義の拡大路線を推進していたソ中の平和主義偽装されたマスコミキャンペーンで間違った平和主義でまみれ、泥沼化した。  韓国軍の嗜虐性によって玩具のように虐殺されたベトナム人ではなく、米軍が非人道的に蹂躙する北ベトナムに哀れみを感じるように“作り上げられた反戦動画”や“情緒に溢れる反戦演説”は、結果として効果的に信心深い嘘の平和主義者を国内で生んだ。 「この国の従軍者を、ベトナム戦争で殺しつくし、帰還兵は社会的に殺そう」  正気とは思えない思想が国内に蔓延する事になった。現在残る平和運動の写真の多くを見て分かるとおり、今よりもずっと堅かったアメリカ社会にあって普通の社会人では無い人ばかりがデモ行進を行っている。この様な謎の市民団体の数の多さに政府はおののいたに違いない。  結果として、当然こう言った種類の市民が多数を占める事は無かったのだが、政策や軍事作戦は混乱を極める事になる。   米国民が完全に正気に戻るきっかけはパリ協定後の北ベトナムの協定無視だった。それまで米軍は東側の思惑で空爆を停止させられていたが、その思惑を無視できる基盤を確認すると、すぐさま北爆の再開に移りこの後瞬く間に西側諸国の圧倒的勝利で休戦を迎える。元々、北ベトナムはあまりに脆弱で戦争と呼べる代物になっていない。  しかし米南ベトナムによる完璧な勝利の後、南側を占領したのは完全に戦力を失いつつもソ中の支援により軍備を整えた、平和主義者が完全に正義と信じていたソ中北ベトナムだった。   この映画は、酸鼻極まる戦いの現場を描いていたが、事実とはやや異なる。終戦後10年以上経ってからソビエトや中国のプロパガンダに利用される運命が待っていた事が残念だ。  秩序を護るために戦って死んでいった人達や、主義に利用され死んだベトナムの人たちの名誉を踏みにじるような、米国の敗戦やアメリカの陰謀や侵略、北ベトナムの正義といった嘘を本気で信じている人が一人でも減る事を願ってやまない。
[地上波(吹替)] 8点(2015-01-14 05:34:27)
5.  子猫物語
この嗜虐性は中国とかのヤツと同じヤツ。
[地上波(邦画)] 1点(2014-09-13 03:22:49)
6.  風の谷のナウシカ
 昔見たときはいたく感動し、その感動が失せることはないと思った記憶が有るのですが、今観ると愛とか平和、文明の定義が現代のそれとものすごくずれている。2013年末に放送するにはその主義は間違った信仰のように人の心を毒す。   80年代的な「アニメ独特の愛」がカルト宗教的な思想を帯びてしまっており現代の認識では、そんなことで何か大きな諍いが解決するわけがないのになと一瞬で理解できてしまう。なぜそうなるのか登場人物達の心情理解に対してなんとなく拒絶感を感じないこともない。  巨大な恣意と暴力で、思い思いに人を蹂躙する。トルメキアの兵士は武装を間違った意識で使うし、それを殺害するテロリズムという最悪の方法で自己実現するサブキャラ達の存在もどうしようも無く不愉快だ。テロリストであるアスベルに至っては、ただ殺人を楽しむ理由を合理的な理由に落とし込めてすらいない。  風の谷の人間は政治や社会構築を見下しているようで、現代の基準の誠実な人間ではとても、ない。そして虫達は虫たちで有り、愛の象徴である理由などどこにも無い。悪意や怒りが原動力の蹂躙や殺戮をする人や虫の気持ちを害しないように、自分を殺害させておもてなしをする気持ちの悪さは七十年前から四半世紀前の日本に蔓延していた、ある種の 破滅願望では無いだろうか。  今の欧米や日本には存在しないこの信仰心は役割を終えた。   一方、非常に安価に手に入るマンガ版はこれよりもずっと洗練された話になっている。当時のアニメ映画に携わる人たちの、主義や教養の限界というものが見えないでもなく、後に主張や寓意を別の作品で昇華させずっと高い完成度に持って行くことが出来たことを見ると、必ずしも宮崎駿が本作のような宗教的諦観主義者ではないのであろうと言う事がわかり、映像メディア産業の病根のようなものが見て取れる。
[DVD(字幕なし「原語」)] 6点(2013-12-28 15:01:32)
7.  バック・トゥ・ザ・フューチャー
 これ以降、より良い映画は無数にあるが、この時代の娯楽映画は人を昔に閉じこめてしまう。あの頃はよかったと。願望だけを満たしてくれるようなその世界から出たくなくなるのだろう。作り込まれていない世界観や意匠は明らかに異質なのだが、精神的な異質であるのかというとそうでは無く、むしろその親和性は現代の映画よりも高い。  人間の弱さや、望みとそれの土台にある理想郷のようなものへのあこがれや実態は非常にリアルに描かれている。リアルという言葉の定義が曖昧だが、より願望に忠実という意味で、より一面ではあるが精神的な写実主義というような成り立ちだろうか。   暗い部分が無いので、生活を忘れられるからだろうか。この時代の映画は、人生を忘れる2時間を活力にする物が多く、今の娯楽映画は人生の暗い部分を受け入れてそれを教訓にする物が多くそれが痛い。今の映画と決定的に違うのはその部分ではないだろうか。  当時その意図は無かったのかもしれない。楽しいこと、受け手が感じる楽しさや力を最大限に絞り出した努力は間違いなく八十年代には注ぎ込まれていた。   しかし、楽しい記憶に迷い込んで出られなくなるようなそんなちょっとした怖さがあったりする。本当の楽しさはここにあるのか、本当の世界につながる物語はどんなことが起こるのか。考えがそこに至らないほどに、八十年代の映画は享楽に満ちている。  そして、バック・トゥ・ザ・フューチャーはまさにその作品群の頂点の一つにある映画で、これを見ている時間、私はこの世界にいなくなってしまう程に耽溺を楽しむのだが、それが恐ろしい。   完全に形をなしてしまったストーリーは、未だ現代作品への昇華も、それに対して止揚も果たしていない。  私は「これで良いのか?」と思いながら、  今日もまた二時間過去に没入する。
[DVD(吹替)] 8点(2013-11-15 17:25:20)
8.  ビー・バップ・ハイスクール(1985)
 色々痛い。80年代ってこんなものなのかな。中山美穂の歯が気になって仕方が無かった。  この映画は那須氏のデビルマン伝説が開幕するきっかけでしか無いのだと思う。
[ビデオ(邦画)] 4点(2013-09-05 14:54:51)
9.  SPACE ADVENTURE コブラ 《ネタバレ》 
 松崎しげるである。なんで松崎しげるだったのかはよく分からないが、松崎しげるだ。あまりこの事には触れないでおこうと思う。だって、サイコガンを左腕につけた宇宙海賊って感じでは全然、ない。だから「ドミニクァー」だとか「レディェー」とか、そう言う大事な事もまぁ、良い。   ただ、いつだか思い出せないけど、これが放映されていた夏の夜。ガラスの向こうに現れたコブラが左腕を構えて笑うと、それに驚いた悪役がつぶやくその銃の名前と震駭の空気に痺れた。   だからこの映画が大好きだ。もう一度みたい。と、思ってもう一度見たのである。MXテレビよありがとう。で、どうか。  いや、結構ひどいぞこれはひどい。謎のイメージ映像は宗教団体のアニメのようであり、最低の演出だ。なるほど、子供の頃にみて全く美化されていた映画のコブラは実にひどい。であるが、 「そうなんだけど、ちょっと違う」  一人で逃げるの?と詰られて久しぶりに使う左腕を頭の上にかざす金髪の男は抜群にカッコイイ。だから、ひどい映画だけど、ちょっと違う。   この後の1時間は蛇足極まりない。ジェーン→キャサリン→ドミニクの三段構えで為す術無くモブレベルで死亡するコブラ式様式美も、あしたのジョーである。それでもなんかシリアスでリアルタッチで(棒な松崎しげるが 「なあレディ、俺達の旅の終わりはどんなだろな」とつぶやくと、相棒のアーマロイドは受け流す。 「さあ。コブラの旅に終わりなんてあるの?」  だって。そうだろう。そうでしょう。もう終わりなんか無い。周りの人間は皆去って行っても、等距離でレディーが支えていつまで経っても終わらない。  だってコブラだ。それで良いんだ。  突然の劇画タッチは、寺沢武一のCGと等価だ。古典ハードSFのオマージュと等価の予定調和がここにある。  左腕が義手じゃ無いコブラがクリボー氏にどうやって勝つんだ一体。そう思わせただけでこの映画は勝ちである。
[地上波(邦画)] 8点(2013-08-07 00:12:23)
10.  スーパーマン4/最強の敵 《ネタバレ》 
 スーパーマンという記号性と概念はもう80年代には耐用年数を超えて運用されていた。残念ながら、このヒーロー像を子供を限定しない娯楽に落とし込むのはもうかなり難しいと思う。   スーパーマンが飛ぶ。ただ空中を飛ぶ。それだけで難しい。スーパーマンは時速八〇〇万キロで飛ぶらしい。四万と七十五キロメートルしかない地球上で、いったいどうやっておもしろい話を組み立てることが出来るだろう。スーパーマンという素材に奇跡的な相性を持っていて、面白く組み立てられる人もいるかもしれない。だけど、それほどの作家や脚本家ならもはやスーパーマンに時間を費やすと言うことはしないだろう。残念なことだが。   強さの象徴として、過去の一時代こうしたキャラクターがもてはやされた。このように語られる対象としてそっと歴史に幕を閉じるその引き際をいま、アメコミでは模索されているのかもしれない。正義論や立場を巡ってバットマンと諍いを起こす、大人のキャラクターとして今もなんとか生き残るスーパーマンだが、それが大人向けの映画になることはないだろう。   ギリシャ神話のように、人間の願望を素直に神様へと抽象化した物語の系譜として20世紀の頭にはスーパーマンという形態があった。そういう思い出話として語るのも、実際にはそんなに悪くはないなとおもう。
[地上波(吹替)] 4点(2013-08-01 15:48:47)
11.  シティヒート(1984) 《ネタバレ》 
エコーを吸い込みながら、眩しくもないのに目を細めて庭を眺めるその男は、旨そうに煙を飲み込んでふと呼吸をとどめた。そして満足気に吐き出しながらこう言う。 「んー。あの時代は良かったよね」と。 面倒臭い会話を引き出しちまったと後悔を隠しきれずに返事をするのは彼の孫だ。そうだよねー、とかフーンなどと相槌を打とうものなら一方的な昔話が始まる。次の一手を迷って攻めあぐねている間にも、禁酒法時代は酷かった、などと知りもしない回顧に当惑が重なる。  イーストウッドとレイノルズと言う二人の主演級俳優の共演で、私は当惑をするのだった。またもや。 80年代という魅惑の年代の映画。ファミリーコンピュータやおニャン子クラブのあの時代だ。朝の連続テレビ小説で語られるあの時代である。 84年と言うその時点ですでに古き良き時代であり、その上謎の郷愁漂う年代のアメリカに、あろう事かとんでもない事を口走っていた自分に慄然とし、震える。 「あー良い時代だったよねー」 自分の口からである。自分の中に流れる良い加減な血液を疑うがどうも、やはり、どうしようもなく祖父と同じものが流れているようだった。 「この時代のイーストウッドは脂がのっていた」 と、さらに滑らかな良い加減な、見ていない事実をつるつると吐き出すに至って確信する。  子供が育つ環境は大事である。孫の代まで虚言癖は遺伝するのだ。 
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-06-28 19:21:00)
12.  ベスト・キッド(1984) 《ネタバレ》 
 取り憑かれた様にハエを箸でつかもうとしていた友人がいた。懐かしい。
[地上波(吹替)] 8点(2013-05-30 00:48:46)
13.  スーパーマンIII/電子の要塞 《ネタバレ》 
 僕は、いつも悩んでいた。僕が全く場違いで居づらいと。何となく経験者入部をして、その同級生との差が溝を生む。  ある時、うだうだと気持ちが乗りきれないまま、無心になれずにバンテージを巻いている僕に、同級生がやらないかと挑発してきた。金的攻撃は無しで、関節技有り。肘有りのルールでタップか回りが危ないと判断した時止める。要は喧嘩だ。   それが始まると、あっという間に僕は馬乗りされてる劣勢に見える。それはその時代はまだ浸透していなかったガードポジションだった。  瞬間、すっかり僕は背中をマットにぺたりと背中を付けて、のしかかる彼が殴りかかってくるのを待っている。一〇オンスだからって殴られれば虹が見える。だけど、僕の両足は彼の股の上にのっかっておりその意味が分かっていなかった。思いっきり殴りかかってきた右腕をグローブに滑らせて躱すと打った右腕の肩胛骨のあたりのスウェットを握り半回転させる。右腕を放り出してしまった彼はいつの間にか一人で四つん這いになっている。僕は、この瞬間怒声を上げて、綺麗なフォームで腹を蹴り上げた。   この件で、ルールの範囲で喧嘩をしようというような事は無くなってしまった。本気で勝ち負けにこだわる仲間に、極力怪我をしないやり方で逃げる僕がなんだか許せないと言うことになってしまったらしい。  技術的に差の大きい上級生にこの後、ボコボコにされるのだが、一発殴られる度に、強くなろうと思ったのか?本当は一緒に居たいと思える人間を探すんじゃ無かったのか?本当にここで良いのか?色々考えているうちに、顔も足もお腹も、痛くて立っていられなくなっていた。   単に異星から来たというだけで、地球で超人になれるカル・エルだが、彼は悩む。故郷の物理のもとでは彼は彼が演じているクラークほどにも働くことができない。地球人にとっての弱点でしかない。  彼はしかし、この脆弱性を乗り越えてスーパーマン足りうる活躍をして成長し、決意を固めていく。   僕は結局、強くあるためには払わなければいけない様々な代償がある事に気付いて、それを払いきれない。と、思ってしまった。  それで部活を抜けてそのあと、結局解放されない気持ちが二度と消えなくなってしまった。夕方から次の日までの何かをしなければいけないはずの時間が辛かった。   が、実は現在のスーパーマンはもっとめんどくさい奴と言う事が判明。
[地上波(吹替)] 6点(2013-05-26 02:44:53)
14.  ウォー・ゲーム(1983) 《ネタバレ》 
 どこにも文句がつけられない。いまでも時々見たくなるけど、何か面倒。八〇年代の名作はなぜかそう言うのが殆ど。何故だ。
[地上波(吹替)] 8点(2013-05-21 21:03:05)
15.  魔女の宅急便(1989) 《ネタバレ》 
 自分の中にあったはずの何かが、それが何だったのか自体分からないが何かを失っている。全く不意の大きな喪失感。大切にしていたそれは突然消えてしまった。それでも日々は続いていくし、取り戻せるかもしれないし、向こうから戻ってくるかもしれない。もしかしたら克服しなければならないようなドラマチックな出来事だって起きないかもしれない。何となくおそれていること。そんな子供の頃の記憶を呼び起こさせる。   昔のジブリの作家性の強さにもう痺れまくったものです。結構ホントに小さい頃は神様がいて、不思議に夢を叶えてくれたと思っていた口なので、かなり優しい気持ちになれる。猫の宅急便と呼んでいて、色々混ざってしまっていたのをクラスメートに指摘されて顔が熱くなったときのことを思い出せたり、良い話です。
[ブルーレイ(邦画)] 9点(2013-05-08 01:20:43)
16.  お葬式 《ネタバレ》 
あーあるある。 と言うとネタバレになる。もの凄い仕掛けだと思う。
[地上波(邦画)] 6点(2013-04-30 04:09:25)
17.  ツーフィンガー鷹 -Two Finger Fist-
 孤高の存在である。捕手にして監督というポジションで、チームを優勝に導いた野村克也は華々しい戦績を惜しまれながらも、衰えを振り切れずに1980年引退した。  彼は頭脳戦や分析を日本の野球に持ち込んだ人間の中核に位置し、野村前、野村後という線引きが可能なまでに日本の野球を昇華させたのである。  しかし、同時代には選手としての彼を上回るプレーヤーが存在した。王、長嶋である。同じ器の大きさを与えられた三人の中で、野村は王に努力量で勝てず、才能で長嶋に勝つ事が出来なかったと述懐している。その脚光は、独特に翳っていた。  「ボッボボ、ボー」 「ハイーハッハ」  数人の少年がカンフーで戦っている。昭和の小学生の定石ともいえるこの小競り合いは珍妙なポーズと効果音でいつも演じられていた。そう、誰だって経験があるはずだ。三人以上がジャッキーゴッコを始めると、誰もがジャッキーを演じ切る事が出来ない事を、皆ご存じの通りだろう。  集団の中には突然、ジャッキー以外の誰かを演じる事で優位に立とうとする人間も出て来るのである。中でも人気があったのは少林寺をイメージした(と間違いなく本人はそう思っている)固い動きのカンフーと、もう一つは高い声で「ハイー、ちょっ待って、まだ構えてないから」と、道化を演じるデブゴンである。   ジャッキーやサモ・ハンらは、彼らの中で永遠のスターで有り続けた。同窓会の席での出現率が高い今でもそうである。しかし、一人の少年が颯爽と二本指で珍妙なカンフーバトルを始めたとき、一同は刮目し、当惑もしたのである。本人の中で妙に強すぎる設定でなかなかやられてくれない彼は、ユンピョウを演じていた。  全員から 「なにそれ」  である。ちょっと待て、そんなの見た事無いから無しね。という無情な言葉に抗議した彼は次の日にツーフィンガー鷹のビデオを見せる。と言う事で、皆に了解を取り付けたのだった。彼らの色褪せた思い出になっている。   しかし、富士の麓のキャンプ場に集まる今の彼らの中ではツーフィンガー鷹を覚えているものがおらず、珍妙な二本指カンフーばかりが酒の席に踊るのだった。一人が自生する花を見て地味な花だね、などと話題は流れていく。   同じような器を持っていた三人のカンフーレジェンドだが、ユンピョウは佳作とともにいつも埋もれていくのだった。しかし、彼もまた月見草なのである。
[ビデオ(字幕)] 7点(2013-04-26 15:34:24)
18.  スーパーマンII/冒険篇 《ネタバレ》 
 さすがに大昔の映画だけあって、悩み方が中途半端でもうちょっと面白くなったかもしれないのにと色々もやもやする。恐らく、もう一度見直しても何度でももやもやするのだろうと思う。でも子供の頃に好きな映画だった。スーパーマンが居てくれれば色々な場面で色々な人が助かったのかもしれないなと、何度も残念に思ったものだ。
[地上波(吹替)] 6点(2013-01-05 04:22:58)
19.  ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲
ホントにこれは何なんだろう。 デビルマンサーガの序章なんすかね?
[DVD(邦画)] 2点(2012-12-23 19:50:28)
20.  スター・ウォーズ/帝国の逆襲 《ネタバレ》 
傑作。最高に盛り上がる。   4の黒沢みたいなそれっぽい雰囲気は無くなったが、その代わりに「絶望感」や「出口が見えない閉塞感」というこの手の話には欠かせない感覚が埋め込まれている。  一つ一つのエピソードが重圧を持っていながら、それぞれに解決が施されているため、受け手に耐えきれないほどのストレスを与えない気配りをしながらも、共和国(共和国というものを善の終着点と定義していたのか?謎)が追い詰められていく物語の方向性は、巧妙かつ計画的だ。旧シリーズがここで推進力を得て、日和ったとしか思えない方向に行っても、残った力でうまいところまで飛ばしてしまわせることに成功している。  一方で、6があんな風に終わってしまうからこそ、こんなにも何もかもうまくいかない5が重圧を掛けてきても発散を求めて耐えることが出来るのかもしれないし、30年前のシリーズものとして早すぎたがために現代に見ても、良く出来すぎた昔の映画ということになるのかもしれない。
[地上波(吹替)] 9点(2012-11-27 18:18:53)(良:1票)
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