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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 1990年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  おもひでぽろぽろ 《ネタバレ》 
最初に見たのは90年代のTV放送だが、そのときは半分程度で挫折した。主に昔の微妙な記憶をほじくられるような感覚が不快だったからだが、いま見れば小学生編もけっこう楽しく、戦前生まれの父母のふるまいもそれらしく見える。なお分数の割り算に関しては、2/3のリンゴから始めるから難しいのであって、3/4のリンゴを1/4で割ることを考えればとっつきやすいと思われる。 大人編に関しては、普通の田舎の風景や事物が丁寧に描かれているのが好印象で、紅花の収穫と加工についての説明は興味深い。婆様の顔や言葉などはけっこうリアルでいいのだが、ただ柳葉敏郎は、劇中の場所とは方言の系統が違う秋田県の出身だからか現地言葉が全く様になっていない。関東でいえば神奈川県人が茨城方言を話すようなもの?で、東北などどうせどこでも全部同じだろうと思われては困る。  物語としては、個人的にはわりと素直に“都会の女性が田舎に定着するきっかけの話”として受け取れる。現地の人々にもそれを望む気持ちは当然あったろうし、駅まで迎えに行かされたのが若い男だったのもそういう素朴な思惑があってのことかも知れないが、しかし本当に実現するとも思わないのが普通の感覚でもある。この点については本家の3人にも温度差があったようだが、その中で婆様の裏表のない直言が結果的に主人公の素直な反応に結びついたということらしい。その後にぶり返した「あべくん」の記憶には偏見に起因する心理的な壁という問題が含まれていたようで、これは主人公が現地に定着する際の葛藤を先取りした形とも取れる。最後に山寺駅で折り返したのは、とりあえず婆様に今の気持ちを見せたかったからで、あとはゆっくり冬の来訪で、ということだったろう(仙台から東北新幹線を使えばその日のうちに帰れる)。ラストでは、主人公を祝福しながらも寂しげな子どもの表情が印象的だった。  当時であれば東京出身の女性が農山村に嫁入りなど正気の沙汰ではなかった気もするが、ちなみに劇中年代から30年以上経った現在の話として、うちの地元にも大学や研究機関があるせいか、関係ない場所(大都市圏など)から来て定着する若手の人々が目につくようになっている。こんなところの何がいいのかと正直思うが、田舎だ都会だということと関係ない人々が出てきているようではあるらしい。地域社会との間合いの取り方もそれぞれであり、必ずしも閉鎖空間に囚われるかのように考える必要はない。 この映画の主人公は現在もう還暦を過ぎていることになるが、仮にこの場所に定着していたとすればIターンのよき先例になって、地域社会に少しずつ変化をもたらしていたかも知れないと考えたい。
[DVD(邦画)] 8点(2017-01-23 23:42:06)
2.  軍艦武蔵 《ネタバレ》 
最後に出る「武蔵会慰霊祭」はH2.10.24に開催されたとのことだが、その時点から既に25年が経過しており、登場人物が現時点でどれだけ御存命かと思えばその証言の貴重さが実感される。登場人物は「軍艦武蔵会」の関係者と思われるので、最低限、武蔵乗組だったことに自ら否定的でない人々が取材対象であり、また制作上の一定の作為もあるだろうが、とりあえず映像に出ていることをもとにして書いておく。 (以下敬語は省略)  内容はほとんど関係者へのインタビューで構成されている。竣工後、連合艦隊旗艦になった後にいきなり捷一号作戦に飛んでしまうが、要はレイテ沖海戦の経過と乗組員のその後を中心とした内容になっている。 登場人物はほぼ東日本の出身者のようで、これは乗組員の構成を反映していると想像される。既に引退した人々のほか現役でそれなりの地位にある人物もいたらしく、また容貌や話し方などからは、戦後もそれぞれの人生を着実に重ねて来たことが窺われる。皆さん穏やかに淡々と当時を語っていたが、中に皮肉かつユーモラスな話し方で生死に関わることを語る人物もいたのは不謹慎だが笑ってしまった。 映像で見る限り、登場人物が生き残ったこと自体を引け目に感じている印象はない。死んだ戦友を思って落涙していたのは出撃直前に何らかの理由で退艦した人物だけで、ほかの人々は同じ戦場で同じように戦ってたまたま生死を分けただけ、ということかも知れない。言葉が丁寧で誠実な感じの人物が“海へ放り出されれば鬼”だと語っていたのも、生存をかけたフェアネスの問題と感じられる。 しかし沈没時点で半数を超えていた生存者が、その後の経過の中で激減してしまったのはさすがに悲惨なことで、フィリピンでは陸軍兵に食われかけたという話まで出ていた。海でこそ正々堂々と悔いなく戦った印象のある人々が、こういう場所に放り出されたのはさぞ不本意だっただろうと想像される。  当然ながら戦争を美化するものではなく、実際にもう戦争はしたくないと語る人物もいた。しかし武蔵乗組だったことの矜持が戦後の自分を支えて来たとの発言もあり、それを否定することはできない。個人的には登場人物への敬意が勝る映画になっており、「軍艦武蔵会」の協力目的は十分に達成されていたと思われる。最後に慰霊祭の受付で、「懇親会出られるんでしょ?」と尋ねる言葉が聞かれたのは現代の平穏な日常を感じさせた。
[DVD(邦画)] 8点(2015-10-24 23:46:49)
3.  耳をすませば(1995) 《ネタバレ》 
もうほとんど語り尽くされたような感じで、特に付け足すことはない。このアニメは嫌いでない、と書いて終わりにすればそれまでである(大好きだ、とは恥ずかしくて言えない)。  それでもとりあえず何か書いておくことにすると、自分が最初に見たのは30代の頃だろうが、その後に若い連中(男)がこれを見て死にたくなるという話が出て来たときには笑った。気持ちは大変よくわかるが、対象年齢を大きく外れてしまえば初めから自分とは関係ないものとして距離も置ける。ご老人が目を細めて“若い人はいいねえ”と言っている感覚で見れば微笑ましく見られるだろう。 ただそのようにいってはみても、実際こんなことは年齢にかかわらず自分などにはありえない/ありえなかったのであって、まともに考えてしまえば悲しくもなる。もう人生の半分を過ぎてしまうと、いっそ今回の人生は終わりということにして、また新しいところから始めればと思ったりもするが、それだと結局は死にたくなる連中と同じになっている。いい歳してまったく情けない。  ところで、ここまであえて誰も書いてないだろうことをわざわざ書くと、今後この二人がそれぞれの夢を実現すればするほど、二人の進むコースは離れていく気がする。この話は、主人公の人生の極めて初期に、たまたま出会った人間に背中を押されて未来を方向付けられた瞬間を描いたものであり、従って将来を含めたハッピーエンドを期待するようなものではない。中学生の「結婚してくれ」など、その程度の結果にしかならないだろう。 しかし、そんな一瞬の出来事であっても主人公にとっては人生の輝くような宝物になるのだろうから、はたから見ていて羨ましいのは間違いない。…そうしていちいち自分のことと引き比べて考えたりしなければ、大好きな映画だと素直に言いやすいわけだが。
[DVD(邦画)] 8点(2013-08-26 20:58:12)(良:1票)
4.  がんばっていきまっしょい(1998) 《ネタバレ》 
この映画がいいと思う理由が自分でもよくわからないのだが、要は懐かしいということだろう。美少女系の人物でも垢抜けないように見えるのは、いかにも当時の(地方の)高校生らしい。 何ということもない高校時代の一年半でも当人にとっては結構長いわけで、春の柔らかい日差し、夏の海と島、晩秋の寒々とした艇庫、冬の街と、季節に応じて見える風景が変わっていたが、その間に登場人物の心持ちもずいぶん違ってきていたはずである。それを成長と呼ぶには大げさだが、それでも月日とともに何かが確実に変わり、その後の人生を変えていくのも間違いないことである。 映画のラストは原作の本編そのままで、何かあっけない幕切れのようでもあるが、しかし現実の人生に途中の終幕はないわけで、この後も主人公のストーリーは続いて行く。その一部を切り取っただけのものであっても、それが多くの人の思いの受け皿になりうるのであれば、それだけで価値ある映画といえるのではと思う。 ただし個人的に残念なのは、自分は劇中人物のようにバカになって一生懸命何かに取り組んだ経験がなく、何か他人の青春を眺めている気がすることである。こんな時代にもう戻れないのはもちろん、自分にとっては人生で実現できなかったこと、人生の欠落箇所を今になって指摘されたようで切ない。この映画を見て自分のことのように感じられる人々が羨ましい、というのが率直な感想だった。 以上、純粋に映画だけでなく原作の印象が混じっている気もするが、映画独自で評価できる要素としては、映像面とともに音楽の存在が大きいように感じる。  なお昔話になるが、学生時代に誰かが学内のボート競技大会(自由参加)に応募したため自分も駆り出され、全員素人ながらそこそこ練習して本番に臨んだが、一回戦で誰か(おれではない)がシートを外してしまって、そこで終わりになったのが思い出される。実際にボートを漕いだ体験は自分とこの映画をつなぐ貴重な接点になっているが、その場所は先の震災で被害に遭い、漕艇部の艇庫などはもう別の場所に移転してしまったらしい。
[DVD(邦画)] 8点(2013-02-10 19:24:29)(良:1票)
5.  フロントライン 戦略特殊部隊 《ネタバレ》 
第二次世界大戦中で、フィンランド史上の「継続戦争」(1941.6-1944.9)の開戦直後の話である。原題は「ルカヤルヴィの道」で、劇中の師団が攻略予定だった村(及び湖)の名前が題名になっているが、ストーリーは師団が駐屯していたレポラの付近で展開しており、ルカヤルヴィそのものは出て来ない。ただし史実ではその後(1941.9.17)実際に師団がルカヤルヴィを占領しており、この映画はそこに至る過程の一エピソードを描いたものということになる。ラストで主人公の分隊は半減以下になってしまい、残った人々も疲れ切った顔をしていたが、まだ戦争は始まったばかりである。  ところで冒頭に「皆、冬戦争(注:1939.11-1940.3)でソ連に奪われた領土を取り返すのだという、強い決意に満ちていた」との説明があったが、前回の戦争で奪われたのは主に南方のカレリア地峡とラドガ湖北岸であり、この映画の場所は実はそうではない。師団のいたレポラ地区と隣接のポラヤルヴィ地区だけは以前にフィン=ソ間の係争地だった経過があるものの、それ以外の東カレリア(ルカヤルヴィを含む)は歴史的にロシアの版図に属しており、あくまで独ソ戦開始直後の勢いに便乗して攻め込んだだけの場所である。その後は敗戦により当然のようにソ連に奪還されたわけで、もしかすると従軍した人々にとっても結果的に徒労感の大きかった戦場なのではないかと想像する。  ただソ連領とはいえ、主に住んでいるのはフィンランド人と同系のカレリア人である。分隊の目的地はいかにも狩猟・漁労で生計を立てているような貧しげな村だったが、かつてエリアス・レンロートが民族叙事詩「カレヴァラ」の材料となる民族詩を採集して回ったのもこのような場所だったのではないかと思わせるものがあった。いわばフィンランド人の心の故郷ともいえる場所だったはずなので、この点は他人事ながら一応弁明しておく。  それで映画の内容は、主人公とその恋人が上記のような戦線へ出たばかりに、微妙に悲惨で何ともやるせない境遇に陥ってしまった、という話である。戦争の行方を左右するエリート部隊の活躍を描く、というような戦争映画では全くなく、戦争に翻弄される個人の運命、という感じの人間ドラマなのだが、そういう映画にこういう邦題をつけて売るのは看板の偽りも甚だしい。しかし、そうしなければ邦訳付きのDVDが国内で見られなかったのだろうから、まあ仕方ない。
[DVD(吹替)] 8点(2012-05-09 23:10:14)
6.  ナースコール 《ネタバレ》 
タイトルからして通俗的な印象だが、「わたしたちは天使じゃない」などというキャッチコピーを見ても、今どきそんなこと初めから誰も思ってないだろうと脱力感を覚える。ストーリーはとりあえずキャッチコピーの通りに展開し、やがてモンスター患者が出てきてさんざん駄々をこねるが見ていて同情心がわかず、思わず他の入院患者の立場になって、看護婦さん方も人間なのだから自分だけの守護天使を求めるな、と突き放したくなる。  最後の場面はまたいかにも安易な感じのエピソードで、実際こんなことは病院内ではありえないだろうし、また心をこめたメッセージのように見えても、どうせ担当看護師がどうすれば格好付くかだけ考えて適当にこなした仕事だろう、という皮肉な感情がわく。 しかし、そうは思いながら不覚にも、もし自分が入院患者の立場でこれをやられたら、この時ばかりは目の前の看護師が天使に見えるかも知れない、と思えた。天使は、われわれ一人ひとりのことを(いつもではないが)ちゃんと見ていてくれるらしい。そう思うと、もうこの映画を悪くいえなくなってしまった。個人的にこういうのに弱いようだ。  なおこの映画の脚本家は看護師の経験者ということで、病院での勤務実態の描写のほか、ベテランが新米とは別の陥穽にはまるといったあたりも現実的なのだろう。コメディ要素もあるが控え目で、全体として極めて真面目な映画である。
[DVD(邦画)] 8点(2012-02-18 22:29:00)
7.  ラブ ゴーゴー 《ネタバレ》 
台北に住む若者の群像劇のようなもののようで、前に見た「熱帯魚」(1995)よりは都会的でポップな印象がある。解説によれば「3つのストーリーが結晶する感動のラスト」だそうだが、何が「感動のラスト」なのかはわからない。とりあえず「3つのストーリー」とは以下の3つと思われる。  1.パン屋 いわゆるイマジナリーフレンドが、単なる夢想ではなく実体があったという感じの設定らしい。この男自体は全く好きになれないが、相手への思いが単なるスケベ根性ではなく、純粋なものだとわかったところは感動的だった。これで恋愛成就につながるのか不明(疑問)だが、今回の件で創造性を刺激されて仕事に一層励む気にはなったらしい。 2.かわいいゾウ(自称) この人は不運というしかない。勝手に夢想を膨らませていたのはお互い様らしいが、あんな男と縁がなかったのはせめてもの幸いだ。最後はポケベルから携帯電話に移行していたが、近年の邦画で「スマホ拾っただけなのに」(2019)というのもあったように、変に拾うとろくなことがないのは今回もうわかっただろうと思われる。なお「ゾウさんゾウさん」というのは台湾の歌なのか。 3.若い営業マン ゾウさんに「乳離れしてない」と言われたタイプの男。地図を見て、つまり飛行機や高架鉄道の視点から街を見て、そこに住む人々を想像するというのは浮世離れした夢想家ということらしい。終盤の屋上の場面が長かったのは、地べたよりも空に近いこの男の意識(別世界)の表現ではないか。これまで世間とは接触不良だったようだが、今回一人の人間の存在を実感したことが、これから現世とのつながりを作っていく過程の一段階になったと思われる。 なお屋上での散髪の様子を多方向から映していたのは少し手が込んでいた。この男と一緒の時間を過ごしたことで、美容室の店主にとっても少し新しい視野が広がったかも知れない。  そのほか音楽クリエイターが台北を去ったのを含め、最後は全部同じ日の出来事だったらしい。同じ日といっても出来事自体は別々であり、題名から予想される恋愛物語にも見えないが、それよりは「熱帯魚」のような、夢想から現実へ移行していくエピソードの集合体と思えばいいか。また美容室の店主にしても、男連中の人間像に触れたことが少し救いに感じられたかも知れない。 なおこの店主が片脚を少し引きずるようにしていたことの意味はわからなかった(訳あり?)。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2022-04-09 09:26:17)
8.  熱帯魚 《ネタバレ》 
デジタルリストア版というのをBDで見たので映像的には美しい。大人も子どもも一緒になって「ウンチ」で大喜びするなど、本当にしょうもない場面が美的に映されている。ポスタービジュアルで印象的なビル街の熱帯魚はちゃんと動く映像として出て来ていた。 場所に関しては、実在の地名が出るので嘉義県東石郷(漁港がある)だとわかる。人家がときどき浸水するなど本当にあることなのかわからないが、ストーリー上の意味はあったようである。劇中一家の嫁がバンブーダンスのようなもので遊んでいた(微笑ましい)のは現地の風物ということかも知れない。 日本との関係では卒業式の「仰げば尊し」とか、「刺し身」「ワサビ」という言葉が出ていた。また海に潜る場面で流れた曲はどこかで聞いたことがあると思って一生懸命調べたところ、何と昭和歌謡「恋をするなら」(橋幸夫、1964)だった。自分としてもリアルタイムでは全く知らない曲だが、劇中のは台湾のカバーバージョンと思われる。  主人公は高校受験前の中学生男子で、基本的にはコメディなので可笑しい場面が結構ある。誘拐犯一家はあまり物事を詰めて考えたりしない人々のようで、日本人でさえ思ったのは、台湾全土に「中正路」というのが一体どれだけあると思っているのかということである(映像に出たのは嘉義県朴子市)。脅迫電話でメンバー総出演だったのは笑った。 ストーリーとしては最後にどうなるのか予想がつかなかったが、物語的には若い娘が最後にくれた手紙に集約されていたらしい。題名の意味に関しては、例えば“絶対に実現しないと決まったわけではない夢”とでも思えばいいか。夢想(「白日夢」)だけで満足するのでなく、現実に目指すべき夢を持て、というのが青春映画としてのメッセージと思われる。ほかあまり明瞭ではないが、心から願うだけでなく「縁」も大事だと言いたかったかも知れない。 ちなみに主人公の受験に変に肩入れする男がいたのは、妹への贖罪の意味があったらしい。  登場人物としては、片思いの女子が人魚になってにっこりした場面は和んだ。また一家の若い娘(ちょっとお姉さん)がそれほど美少女でもないのは親しみが持てる。ほか一家を仕切っていた中年女性は、「維基百科,自由的百科全書」によれば“標準的な台湾の隣家のおばさん的性格”らしい(やかましい)。「巨蛇娘娘」という漢字言葉が心に残った。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2020-10-10 08:58:01)
9.  櫻の園(1990) 《ネタバレ》 
[2020/4/11視聴] 6年前に一度見たが、その時は何を書けばいいかわからなかったので放置していた。今回見てもよくわからないが、とりあえず“変わるもの”と“変わらないもの”が表現されているかとは思った。 変わるものとは当然ながら劇中の高校生であり、この連中のこれから長い人生の中の、いわば一瞬の動態を捉えた映画に見える。また変わらないものの代表が桜であって、この桜にからめて中高年への反感を語る者もいたが、そのことで逆に自分らが変わっていく存在だということを意識させられていたようである。 劇中の学校では桜の開花と創立記念日(4/14)、及び演劇の上演がセットで“変わらないもの”として受け継がれてきていたが、ただし演劇も毎年の演出には違いが出るだろうし、さらにいえば桜の木にも寿命があるのでいずれは世代交代が必要になる。当然ながら全てのものが少しずつ変わるので、この映画で描かれたのも1990年(原作は80年代)の暫定状態ということになるが、ちなみにこの映画の高校生も現時点(2020年)では40代になっているはずなので、登場人物の「坂口」のような、もう自分を変えられない年寄りになり切ってしまわないよう気をつけた方がいい。 そのようなことをとりあえず今回は思った。  人物の描写では、古い映画なので時代がかって見える面がある。外見は普通に真面目な生徒が、冒頭いきなり見せるキスシーンなどは昭和の殻を破ろうとする思いがあったのだろうし、また女性の生理現象に関わる話題を出すのもこの時代なりの尖った表現のようで(原作由来だろうが)、そういう点も当時は評価されたかも知れないが、しかし今になれば逆に、昔の風潮としてはこうだったかも知れないというように見える。 またキャストに関して、現在の感覚と決定的に違うと思わされるのは、女子高の映画ながらいかにもな美少女がほとんど出ていないことである。最初から男役向きに見える演者もいたようで、最後の舞台も想定しながらのキャスティングだったかも知れない。主演女優は美少女とは程遠い容貌に見えたが、終盤のツーショットでは見違えるような魅力的な表情を見せていた。  ほか個人的な雑談として、今回たまたまこの時期にこの映画を見て、やはりどうも桜は人と無関係に勝手に咲くものだという思いが強くなった。以前から福島県富岡町の「夜ノ森」(よのもり)という場所に桜の名所があり、2011年の原発事故で住民がいなくなってからも春には咲いていたのを報道で見ていたが、今年はうちの桜の名所でも、もう満開なのに露店もなく人出もないのが不思議な感じで(ぼんぼりだけ出ている)、仮に人類が滅亡してもこの桜は咲き続けるのではという寂しい想像をしてしまった。しかし現実問題として桜まつりがないと地元も困るので、来年はちゃんと花見ができるようであってもらいたい。
[DVD(邦画)] 7点(2020-04-18 08:58:01)
10.  リング(1998) 《ネタバレ》 
先に原作を読んで、手足の末端が冷たくなるような怖さを感じた。レンタル店にビデオが並んでいるのを見てもこれを手に取る人々の気が知れないと思っていたが、その後にTV放映されたので、ビデオでないからまあいいかと思って見たのが初見である。 一応は身構えて見たわけだが、しかし冒頭の場面を乗り切ってしまえばあとは淡々としたものであり、せいぜい夜中に子どもが見てしまった場面が衝撃的だったのと、終盤の「眼」にギョッとさせられた程度で、TVから這い出す様子自体は当時としても間抜けに見えた。また基本的には原作を簡略化したストーリーのため既読者にとってはラストに意外性もなく、逆に主演女優の表情に悲壮感が今一つと感じられたくらいだった。 この映画で本当に革新的と思ったのはやはり映像面であり、問題のビデオは見返してみると物足りないところもなくはないが、基本的には ぞわぞわ感が満載になっている。特に個人的には指差し男が嫌な感じで、こういうものがどこかその辺に映り込んでいるのではないかと怯える日々がその後に若干続いた。ほか歪んだ写真や髪の毛で覆われた顔も別の様々な場所で流用されているようで、とりあえずこういった点だけでも邦画ホラーの名作とされる資格はある気がする。   なお貞子に関しては、実際に使われる人名としてはこの映画でとどめを刺されてしまった形だが、その後に国民的に愛されるキャラクターになった発端がこれだと思うと感慨深いものがある。また冒頭で惨殺される女子高生が竹内結子だった(ほくろの位置が今と同じ)のを見ると、若い頃にこんなことをやっていてもその後はちゃんとした女優さんになるのだなあという別の感慨を催す。
[DVD(邦画)] 7点(2014-12-20 19:28:35)
11.  Love Letter(1995) 《ネタバレ》 
もともと中山美穂という人に関心がなかったので、これほど魅力的に見える女優だったことにこの映画で初めて気づいた。とにかくきれいだし可愛い(若い!)が、同じ顔で二人の女性を演じ分けているのも素直に評価したい。ストーリーに関しても、手紙のやり取りを通じて男の思いが明らかになっていく(しかし書いている本人は気づかない)構成は巧みと思える。個人的には、学校を訪ねて写真を撮って、それから後輩と出会って…という一連の部分に特に愛着を覚える。  しかし一方、終始出る関西人の男はどうにもイラつくので、神戸のヒロインを素直に祝福してやっていいのかどうかが怪しく思える。ほか無駄にコミカルな場面が多いが笑えるわけでもなく単に不快であり、またロケ地と劇中の設定との関係がでたらめで(彼氏が死んだ山へ行くには余市駅で降りて歩くのか?)、最初から最後まで関係者全員が小樽にいたようにしか見えないのも変だ。周囲の風景がどうでも観客の方が頭を切り替えろというのでは無理がある。 それからストーリーも終わってみればいかにも作り物で、劇中の設定や出来事を全て製作上の思惑通り都合よく作り込んだようで鼻白むものがあり、その上に世間の常識や周辺社会や自然現象までをもねじ曲げるような強引さが感じられる。特に救急車の件については、そもそもが積雪寒冷地なのに窓にチラチラと雪がかかる程度の天候で、それも都市部で1時間かかるなどということは想像もできず、仮にそうだとすれば流しのタクシーなどいるはずもないだろう。その上、いつの間にか時間が40分以内とかいう問題にすり替えられてしまい、外気温が何度なのかといった考慮もなされないまま、吹雪の中で傘をさして走ったりする支離滅裂さはさすがに受忍の限度を超えている。一体どこまで観客に寛容さを求めようというのか。  そのようなことで、愛憎相半ばする映画、というのが正直な印象である。評判がいいのでベタ褒めしたかったのだがそうもいかない。難点を美点でカバーして不問に付すという状態にならなかったことからすれば、結果的にこの映画は性に合わなかったということになると思われる。 ただそれでも、ラストシーンに問答無用で泣かされてしまうのは悔しいが認めざるを得ない。これに免じて、評点は少しいい方にしておく。
[DVD(邦画)] 7点(2013-07-15 18:48:54)(良:1票)
12.  ガメラ2  レギオン襲来 《ネタバレ》 
敵生物のデザインやスピリチュアル風の要素など気に食わない点はあり、90年代の素朴な環境観に基づくラストの警句も陳腐に感じられる。しかし前作よりマンガっぽさは薄れており、低レベルの突っ込みどころは多くない。また社会描写の現実感は増しており、映像面でも前作同様の感動がある。マイナス面は小さくプラス面が最大限に発揮されていて、大人向け(一応)のガメラ映画としては総合的に高水準の内容を実現しているように思う。 特に、前作では邪魔ばかりしていた人間側が今回は大活躍なのは素直に嬉しい。当初はほとんど絶望的な戦いだったが、ガメラと共闘を決めた後はちゃんと効果的な支援ができていた。隊員が普通の人間の心を持っている(当然だが)ことを示す場面や、ともに戦った仲間としてガメラに敬意を表する場面があったのは、わざとらしくもあるが心温まる情景だった。 また霞目飛行場でのガメラが具体的行動として人間を守ろうとしていたのは印象的で(振り返ってヘリを見ていた)、ちゃんと“ぼくらのガメラ”的性質を持っているのは一応安心できる。浅黄ちゃんの「ガメラも血を流したんです」の台詞で泣けて来たのは他人には言えない。 ほか特筆すべき点として、今回はヒロインが可愛い(前作が可愛くないとまでは言わない)。また日本テレビの関谷アナウンサーが懐かしい。この人がまだ現役の時代と思えば、けっこう前の映画なのだなと実感する。  なお以下は余談になるが、今回は東京以北の都市が舞台なのは怪獣映画としては珍しい。しかし仙台に関しては、「白松がモナカ」の看板は何度も映るものの仙台らしい特徴的な風景があまりなく、学生時代に住んでいた者としては不満もある。またキャッチコピーが「消滅するのは日本か、レギオンか」であるのに、結果的には日本でなく仙台だけが消滅してしまったのは理不尽だ。こんな深い穴があいてしまっては復興どころではなく、一体どうしてくれるのかと思う。 ただ些細なことだが個人的に注目したのは、宮城県が設置した救護所のテントに「名取市役所」と書いてあったことで、これは仙台市の被災により隣接の名取市が緊急的な支援を行っていることを示している。これも映画のリアリティに寄与しているが、その後の震災のことを考えれば複雑な心境にもなる(両市とも沿岸部の津波被害が甚大だった)。現実の悲惨さに接してみれば、怪獣映画も呑気に見ていられない。
[DVD(邦画)] 7点(2013-01-20 08:46:33)
13.  シェイディー・グローヴ 《ネタバレ》 
ヒロインの理花は、映像で見る限りは自己中でナルシストで執着心が強くストーカーでイタい女ではあるが、少し離れて眺めるだけならこれでも十分かわいく見える。観客は彼女の常軌を逸した行動を全部見ているので、相手の甲野は幻でも見ているのかという気になるわけだが、しかし理花も甲野の前では結構まともにふるまっていたようで、自分としては少し彼女を擁護したくなる。 また一方の甲野は自ら望んで孤立してしまう性格らしく、都合が悪いとすぐ接触を絶って自己完結してしまうらしい。それでは外部情報も限定的になり、自分のいる場所からしかものが見えなくなってしまう。最初の方で、理花がコーヒー豆を分けてくれるというのに自分で買うと断っていたが、そういう他人行儀な態度は最後まで敬語だったことにも表れており、この男には自分としても結構共感するところがある。 この2人は互いに向き合わないまま時間だけが経過するので最後はどうなるかと思うわけだが、終盤に至るとストーリーが急展開して、最後は落とし所にストンと収まったような印象がある。危うく行き違いそうになった2人が離れる間際にかろうじて結びついて一つになり、そこから新しいラブストーリーが始まった感じで爽快感の残る映画になっていた。  ただし物語の解釈としてはよくわからない点が多いので面倒くさい。相手の姿が自分を映す鏡だとか、いびつな2人の相補的関係という程度まではいいとして、心のダークマターとか他者の承認による自分の存在確認といった要素も出て来るが、こういうのはお話全体としてどう統合されているのかわからない。変に奥が深いようだが、深入りすれば感動が増すわけでもないだろうからこれ以上理屈で考えるのはやめておく。 なお個別の場面としては、甲野が高速道路を走行中に延々と歌っていたのは何かほのぼのして心癒されるものがあった。また車内の告白場面には見入ってしまったが、ここで理花が「こういうやり方ってすごく失礼なのがわからないの?」と怒っていたのに対し、すいませんでしたと謝りたくなる個人的経験があったのを思い出した。
[DVD(邦画)] 7点(2012-06-23 21:22:51)
14.  こねこ 《ネタバレ》 
ネコだらけの映画である。主人公ネコの子猫らしい動きに和まされ、うちの♂♀もこんなだったかと思い出す。子猫の時期などほんの一瞬なわけだが、しかしそれなりに年を経てもなおその存在自体に愛嬌を感じさせるのがネコというものである。ラストの哀愁漂う場面で、下のネコが上のネコにネコパンチをくらわせていたのは笑った。 劇中時期は12月で、積雪はそれほどないようだが寒さは相当のものだろうと思われる。飼いネコでも昔は家を自由に出入りさせていたのは日本だけではなかったようで、行方不明のネコを呼んで歩くとか張り紙を貼るとかいう行動様式は、日本でいえば「うちのタマ知りませんか」という言葉を思い出す。 劇中ネコが街の人々に厚遇されていたのはネコ映画なので当然としても、やはりネコを愛する人々はどこにでもいるという気にはさせられる。満ち足りた一家でも孤独な男の家でも、それぞれにネコが人の心を和ませるからこそ、ネズミ退治の役目を超えてネコが世界で必要とされているわけである。人がネコ(や犬その他)に対して優しい気持ちを持てるようにするためにも、まずは人間社会の平和が保たれていなければと思わされる。 ネコ以外で特徴的なこととして、クラシカルな背景音楽が流れていると思ったら劇中音楽だったという場面が多かった。夫は音楽家で妻は設計士だったらしい。  ほか人間社会のことに関して、ペルシャ猫につけた「10万」という値段は、たまたま持っていた紙幣2枚で済んだのをみるとそれほど高額でもなかったと思われる。この頃は急激なインフレが起きていたとのことで、1998年には1/1000のデノミが行われている。 また夜に街灯が消えるという父親の発言が否定されていたのは意味不明だったが、これも時代の変化を表現したエピソードだったのか。昔はどうだったか知らないが、現代の大都会では深夜も明かりが絶えることがなく、日頃から早く寝ろと言われている子どもらもちゃんとそれを知っていたというのは、どちらかというと社会の自由化や解放感の表現かも知れない。今の世の中何が起こるかわからないという台詞(字幕)もあったが、世界が変わっていくのは当然として、できればいい方へ変わってもらいたいわけだがそうとも限らない。
[DVD(字幕)] 6点(2022-08-06 09:41:02)
15.  学校の怪談3 《ネタバレ》 
シリーズ共通だろうが大人が見て怖いところは全くなく、ひたすら微笑ましい子ども向け娯楽映画になっている。あらかじめ死んでいる人物を除き、劇中の教員や子どもらが次々死んでいくなどという悲惨な展開にはなりそうもなく、安心して子どもが喜ぶお化け屋敷的怖がらせに付き合ってやろうという気分になる。なお撮影場所の学校は岐阜県下呂町(当時)にあったらしい。 ちなみに自分の幼少時には「合わせ鏡」が特に不吉なものという感覚はなかったが、この頃はもう怪異の元凶というのが常識だったのか。鏡の世界では文字が左右反転していたが、右書きと左書きが混在していたのは意図不明だった。  お話としては小学校高学年向けの恋物語がちゃんとできていて、最後はそれなりにキュンとさせられる。ヒロインの美少女が「泣いちゃうよ」と言ったところは切なくて笑った。なぜか女子だけ美少女揃いで男はどうでもいい感じという対比ができており、長身でキュートな女子のお相手が肥満気味の男子だったのは釣り合いが取れないが、これは容姿にかかわらず万人に同様の可能性が与えられていることの表現か。それにしてもこんな奴の全裸(尻)など見たくはないわけだが、重要テーマの「運命は自分で変えろ」という言葉は特にこの人物のためにあったらしい。 他の登場人物としては、担任教員は微乳を売りにしていたようだがそれはまあいいとして、特に主人公の義妹が見せるとぼけた感じの表情が非常に可愛らしいので和まされた。また現在も女優として活動している秋定里穂さんが中学生くらいの年齢で出ているが、特に美少女の扱いはされていない(「ゾンビバス」の女子高生役)。なお肥満児の母親役で渡辺真知子さんが一瞬出ており、この頃はもうこういうキャラクターだったのかも知れないが、昔は歌っている姿だけ見て“かっこいいお姉さん”と思っていた。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-05-03 20:29:13)
16.  アウトブレイク 《ネタバレ》 
他の感染症映画を先に見て、この映画も見ずには済まない気分になって見た。むかし最初に見た時点では、とにかく出血熱が恐ろしいことは知っていたが、この映画では恐ろしいところはほどほどにして、きっちり娯楽映画に仕上げていたので呆れた記憶がある。 それでもこの映画で初めて覚えたのがUSAMRIIDとかCDC、Biosafety levelというものの存在だった。今回見ると、序盤でレベル1から順番に奥へ進んでいき、4まで行ったところでカメラが止められたように見えるのが少し面白い。また、拡大が始まったばかりでいきなりアメリカの西端から東端まで飛んだのは怖いことで、どれだけ田舎に住んでいても、飛行機が毎日飛んでいるからには油断できないと思わせるものがある。 ほか初見時に非常に印象的だったのが、映画館での感染拡大を映像化していたことである。見た人のほとんどがこれを憶えているのではと思うが、その割に2020年の現時点で、映画館はそれほど危ない場所とは思われていないらしい。これに関しては、集団感染の3条件である①換気の悪い密閉空間、②多くの人が密集、③近距離での会話や発声ということから考えると、劇中では大口開けて笑う人物がいたのが③に該当するのでまずかったが、みんな黙って静かに映画を見る日本は事情が違うということかも知れない(客席での飲食はどうか不明)。ちなみにうちの地元の映画館は、客がいないので②の条件も満たしていない。  そのほか娯楽映画らしく笑わせるところが結構多く、個人的には中盤の「7月に寝た」という台詞が、修羅場でもジョークの言える冷静さの表現のようで好きだ。しかし終盤に入ると大活劇の展開に合わせてコメディ色まで出していたようで、操縦士が便所に行っていてshitなどというしょうもないギャグを入れていたのはやりすぎだ(笑った)。あまり観客を笑わせると映画館が危なくなる。 なお社会的なメッセージ性ということでは、ウイルスは危なすぎて生物兵器には使えないとのアピールにはなっていたかも知れないが、今でも開発しているところはあるに違いない。また登場人物に関して、小さい子のいる若いお母さんが2人とも清楚系かつカワイイ系の美女で、個人的に心惹かれるところがあって余計に心配させられた。こういう人なりご家庭なりを犠牲にしてはならないというメッセージは個人的に強く感じた。 ちなみに撮影地はカリフォルニア州のFerndaleという町らしい。現在の様子はストリートビューで見られる。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-03-23 20:28:56)
17.  テツワン探偵ロボタック&カブタック 不思議の国の大冒険<OV> 《ネタバレ》 
東映特撮番組「テツワン探偵ロボタック」(1998~1999)の特別編である。当時は当然見ていなかった。 見た目は1970年代の「がんばれ!!ロボコン」のようでいかにも小学生向けの番組だが、宇宙刑事に始まるメタルヒーローシリーズに属するという考え方もあるらしい。確かに、いつもは呑気なロボコン風ロボットでも、危機が迫ると少し格好いい戦闘形態に変化して(CGで)アクションをこなして火薬も爆発するのは東映特撮ヒーロー物のパターンになっている。また現在もあるように、前作の「ビーロボカブタック」(1997~1998)との共演形式になっており(いわゆる「クロスオーバー」)、本編とは全く違う異世界設定にしてあるらしい。  物語としては、悪徳国家の悪徳大統領が隣国の王女(美少女)を「キャワイイ~」という理由で拉致して嫁にしようとした(これは許せない)のを、正義の主人公が阻止する話になっている。主人公にとっては切ない恋物語だが、同時に正直者が馬鹿をみる類のありがたい教訓を残す話である。全般的に見る者を笑わせるように作ってあり、「おれの妻になるのだ」との横暴な発言に対し、健気な王女が決然と「身体を奪うことはできても…」と真顔で答えたのは(申し訳ないが)爆笑してしまった。当時から大人の目を意識しながら作っていたということか、あるいは小学生向け番組を見て笑っている大人はおれだけか。 またこの特別編ではレギュラーが普段と全く違う役柄で出ていたようで、本編を知っている人ならそれ自体が面白かったかも知れない。岡っ引きの親分をやっていたのは後の黒川芽以(当時から黒川芽以)で、「番屋でゆっくり話を聞こうか」という台詞はいわゆるタイホしちゃうぞという意味と思われる。ただこの当時は普通の小学生女子のように見えて、顔もほっそりして黒川芽以らしくない。 ゲスト出演者では、ほとんど同時期の「がんばっていきまっしょい」(1998)で“ヒメ”役だった清水真実という人が出ている。このビデオでは本物のお姫様役で、「がんばって…」のようなあか抜けない地方の女子高生ではなく正規の美少女になっている。そのほか国王役で出ていたのは、1980年代に「夢見るぞ」で一世を風靡した赤星昇一郎という人物だった(知っている人は知っている)。
[DVD(邦画)] 6点(2018-12-16 17:29:21)
18.  学校の怪談 《ネタバレ》 
なるほどお化け屋敷のような映画に見える。花子さんはいいとして、屋外にいるはずの口裂け女や洋画風モンスターなど、「学校の怪談」というのにふさわしいかどうか怪しいものまで詰め込んで、着ぐるみから視覚効果からストップモーションアニメから何だかんだを次々出して子どもらがギャーギャー騒いでさぞかし楽しそうだと思わせる映画になっている。昔からいた用務員が子どもの習性にさんざん悪態をついていたが、これはいつの時代も子どもというのは変わらないことの表現だったかも知れない。それにしても、大事な紙を引っ張り合って破いた2人のうち片方が教員だったというのは呆れた(おまえはガキか)。  登場人物としては、親しみやすい風貌のボーイッシュな女子(男子かと思った)と、今年が最後の夏休みになったらしい美少女の両ヒロイン体制だったようである。一つ年上のお姉さんと少年との間で、ちゃんと小学生向けらしい恋物語(片思い)ができていたのは微笑ましい。 大人の方の物語も一応あったようで、かつて教室に閉じ込めた女子が脱出した方法は不明瞭だったが、要は教員が思い切って真似したことで心の傷も解消できたということか。また人物設定がよくわからなかったが、教員の幼馴染だったヤンキー女は18歳くらい?で出産して現在は11歳の子を持つシングルマザー?だが、今回の事件のおかげで教員との距離が急接近したと思えばいいのか?…よくわからないが、とにかく最後がハッピーエンドだったのは子ども向け映画らしく清々しい。 今回のことは大事件に見えても、子どもらにとっては1学期が終わって最初の出来事に過ぎなかったことになる。夏休みの本番はこれからだ、という期待感を持たせて終わる、大変楽しい(騒がしい)映画だった。
[インターネット(邦画)] 6点(2018-11-09 19:41:41)
19.  女優霊(1996) 《ネタバレ》 
演出面で古臭いところもあるが、全体としていわば正統派の雰囲気を持った怪談になっている(終盤の一部を除く)。映画撮影の現場ということで内輪ネタという感じもなくはないが、もともと実話系怪談でもスタジオというのは何かが籠った場所として扱われる傾向があり、これはこれでオーソドックスな設定ともいえる。  ところでストーリーはよくわからない点が多いが、表題のモノが撮影所にいた理由に関しては、やはり昭和46年のドラマ制作が原因だったと思われる。ドラマの内容自体、母と娘の想像が架空の人物を生み出すような話だったらしく(これは結構怖い)、これを演じた結果、本当にその人物が撮影所内に現実化してしまったということらしい。映画制作というものが、何もなかった空間に別の世界や人間を創り出すことの神秘性を描き出そうとする意図があったのなら、撮影所を舞台にしたことにも一定の必然性が感じられる。 一方で劇中の監督が幼少時に今回の事件をあらかじめ体験していたらしいのは意味不明だが、そもそもこの記憶のせいで監督が映像の道を志し、ドラマのストーリーにヒントを得たかのような映画を作ろうとしたということであれば、むしろ初めから全てが仕組まれていたのではという疑いも生じる。今回もまたお蔵入りのフィルムができてしまったということだろう。 主人公は外見的にも情けない感じで監督としての威厳が感じられないが、終盤で醜態をさらすのは心が子どもに返っていたためだろうから仕方ないのだろうし、また故郷の母親は普通に気の毒に思われる。向上中だった若手女優を含め、登場人物がそれぞれ映画にかける思いがありながら、全て断ち切られてしまった悲哀も感じられなくはなかった。   なお完全に余談になるが、若手女優役の若手女優(石橋けい)を見ていて、「有言実行三姉妹シュシュトリアン」<TV>(1993)の出演者と気づいて笑ってしまった(役者が可笑しいのではなく番組が変)。劇中人物としては残念なことになってしまったが、本人は今も元気で(当然だが)女優として活動中のようである。
[DVD(邦画)] 6点(2014-12-20 19:28:26)(良:1票)
20.  劇場版 フランダースの犬 《ネタバレ》 
そもそもこの話が本国で知られていなかった理由として、要は外国人作家がアントウェルペンの街を悪く書いていることに反発があり、地元で翻訳が出なかったからだとする論考を読んだことがある。それはわかるが、だからといってそれだけで無情なベルギー社会のイメージが好転するわけでもない。こんな情けない奴は死んで当然、というのが向こうの常識だそうだが、その割に観光客が多ければ客寄せの銅像だの記念碑だの建てるというのではますます現地の印象が悪化する。金を持っていれば異教徒でも絵を見せるのだろうし。 そのように嫌味を書きたくなるのも、このお話を見た後のやり切れなさを何かへの攻撃に転化しなければ気が済まないからだが、そういう者がいると知ってか知らずか、この映画ではエンディングで地元の政府・行政機関の名前が目立つようにクレジットされているので渋い顔にならざるを得ない。  ところで内容の方は皆さんご存知のとおりであり、自分としては初めから先が見えているので、前半部分で今は春と言っているのを聞けばクリスマスの悲劇を思って心に痛みを感じるし、また中盤で隣家の婦人が転居する場面では寒々とした風景も相まって、主人公の周囲から暖かさが失われていく予感がひしひしと寄せて来る。結局はマリア様も全ての人を救えるわけではなく、せめて死ぬ時になって祝福が得られただけでも幸せに思えということなのだろう。どうせ世の中そんなものだということだ(泣)。 それからこのお話では、少年に対する少女の思いの中に絵の才能への敬意も含まれているように感じられる。原作を読むと、コンクールへの応募は貧富の差をなくするために鉛筆画か木炭画が条件になっていて、この映画のように資産家の子弟が有利に決まっているというわけでもなかったらしい。今の目であらためて見れば少女の父親がどういう立場なのかもある程度わかり、芸術家としての才能が認められさえすれば越えられない身分差があったわけでもないと思われるのが悔しい。  なお最初と最後の修道女に関して、DVDのチャプター12の名前が「そして20年後」と書いてあったのは驚いた。もうそんな歳(9+20)になってしまって、一生そのままでいるつもりなのか。いつもそばにいる、とか思い込んでいたようだが、ネロもパトラッシュもおじいさんも、彼女の世間並みのしあわせを望んでいるのではないのか。本当にそれでいいのか。
[DVD(邦画)] 6点(2013-10-15 22:52:59)(良:1票)
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