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フィンセントさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 202
性別 女性
自己紹介 閲覧&良票を入れて頂いた皆様ありがとうございます(*^-^*)
良票を頂けると励みになります!作品に対する意外なヨミと、読んでいて楽しいレビューを心がけています。楽しんでいただければ幸いです☆

ジャンルを問わず鑑賞していますが、ホラーを観るときは手で目を覆って指の隙間から観ますw

★好きな俳優★
M.ファスベンダー、E.マクレガー、J.ロウ、D.クレイグ、O.ブルーム、ジョナサン・リース=マイヤーズ・・・・・はい、そうです。イギリス俳優好きですw
さらには、ドナルド・サザーランド、S.ブシェミ、M.フリーマン、フランコ・ネロ、B.ウィリス、H.ジャックマン、C.イーストウッド、女性では、ユマ・サーマン、M.ジョヴォビッチ、C.セロン、A.セイフライド・・・などが好きです。

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1.  ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習
はっきり言います。私、下ネタ、ぜんぜん平気な女です。  そしてまたはっきり言います。下ネタが苦手な人はこの映画を見ないでください。  下ネタが大好きな人だけ、この映画を見て「この下ネタはいまいち」とか「この下ネタは最高」と、下ネタ基準で評価してください。  ベジタリアンな人が焼肉食べ放題のお店に行って、「この店は肉ばっかりで全然ダメ!」っていうようなミスは犯すのは、とても残念なことです。   ということで、この映画は10点満点!!  サシャ・バロン・コーエン原案・脚本…なるほど、彼はこういう下ネタが大好きな俳優さんだったのですね。 大好きになりました。天才ですね。  ユダヤ人、障碍者、黒人、ゲイ…いじるのはタブーな人間たちに臆することなく、真向からブラックジョークを言い放つ。  全裸でドタバタ劇を繰り広げ、彼が走り回ってナニが見えそうになるたびに、黒い修正が映像に乗っかる。  (それにしてもこの黒い修正、すごく縦長なので、そうか、サシャはすごく縦長なんだなと理解。)   ほんと、彼って下ネタが好きなんですね。 この作品の続編「続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画」も出せちゃうくらいですから、相当彼の頭には下ネタがあふれて止まらないんでしょうね(誉め言葉)
[インターネット(字幕)] 10点(2021-05-04 15:33:17)
2.  ラブリーボーン 《ネタバレ》 
度肝を抜かれた。  ”レイが霊とキス”というダジャレに、ではない。   ”誰かが死んだ後、残された関係者が、いかに心の整理をし、前を向いて歩き出すか”  を描いた作品はゴマンとある。  しかし  ”死んだ人が、いかに心の整理をし、前を向いて成仏するか”  を描いた作品は始めてだ。  この誰も発想しなかった物語は「私はスージーサーモン。14歳で殺された」と、毅然かつ冷静な声で自己紹介し、心の変化を語る女の子の、10年あまりをかけた<成長物語>なのである。(見た目は殺された後ぜんぜん成長してないケド)  また、ワキのキャラも過不足なく完璧な構成だ。  いつまでも犯人探しをやめぬ父と、犯人探しより心を切り替え前を向きたい母。 あまりにも分かりやすいシンメがシンプルで心地よい。  娘の死に対し真逆な二人の間に、家事はヘタだが憎めぬ 緩衝材的な存在のオバアチャンは、やもすれば重くなりがちな劇中に投入された”オアシス”的な存在。 彼女がいたからこそ、母の家出後も子供らはまともに成長できたし、彼女がいたからこそ、母が10年ぶり位に帰宅した際、妹が殺人の証拠のアルバムを、デリケートな状態の父母でなくオバアチャン経由で警察に渡せた事も忘れてはならない。  さらにレイは、スージーが天国に行って成仏する為の”最終条件”にして”絶対条件”の存在という、常識で頭がこり固まった者には思いつかないヒネリの効いたオチをつける為に置かれた事は間違いない。  ルースも、スージーとレイを結ぶ重要な存在だ。 スージーが殺された直後に彼女(霊のほう)を見かけ、彼女の死をレイに伝える役割。そして、まさかのイタコとしてスージーに体を貸し、レイと最初で最後の再会を果たしてもらうという役割。 どちらもスージーのために重要なロールである。  しかもルースはただの”人助け人”ではなく、レイに恋心を抱いている。つまりスージーからの略奪愛という側面も持っている。  実際の現実社会でも、本来ずっと付き合うはずのパートナーが、死んで付き合えなくなってしまった場合、第二の選択肢として”その相手に一番縁のある人”と、心を死んだ人に残したまま付きあう事は少なくない。 太平洋戦争でも、戦死した夫のかわりに夫の弟や、夫の戦友と再婚する女性も多かった。  そういう意味で、レイはスージーに心を残しつつ、スージーのことも理解してくれているルースと付き合う事にしたと解釈して正解だろう。  霊スージーは、ルースが彼に近づいているのを「彼の隣にいるのは私だったはずなのに・・・チッ」ってあのガゼボの中から、何も手を出せずに見ていた。 そんな彼女が、最後の最後にルースの体を借りて、レイと再会しキスをしたという名場面は、彼女にとっては  「ルース、あなたは彼を奪ったんだもの、これくらい許してね。霊感強くてちょうどよかった笑」  といったところだろう。(いかにも中学生)  そして「レイ、キスして」と屈託のない笑顔をまっすぐ向けるスージーの、その無邪気で無垢な14歳のままの表情に、私はあふれて涙が止まらなかった。   スージーは死ぬ前、オバアチャンとのガールズトークで「キスの味ってどんなん?ね、どんなん?」と、目を輝かせて話していた。 思春期女子の”大好きな男子との初チュー”へのピュアな夢は、我々のように  「キス?別に。オレはキスよりHのほうがキモチイイし」とか 「舌からませてピチャピチャ音立てらたらもうダメ~」とか  完全にスレちゃって、キスごときにもはや価値を見出せなかったり、キスを精神的だけでなく肉体的な快楽の側面でもとらえる感覚を覚えてしまった 汚れた大人達には、到底分かりえまい。 しかしこの映画を堪能する為には、可能な限り14歳の女の子になったつもりで彼女の気持ちに入りこむ事がカギだ。  いずれにせよ思春期で殺された彼女が  <大好きな男子とのキス>  を、成仏するための最終絶対条件としてチョイスした事は誠に説得力があるのである。  異性の事で頭が一杯な思春期女子に、社会の正義もへったくれもない。キスあるのみ。である。  かくして、初チューをミッションコンプリートしたスージーは心の決着をつけ天国へと旅立つ。 なんともすがすがしく、あまりにもよく出来た、殺された幽霊視点のユニークなストーリーであった。  犯人も、大勢女が殺されてるのに全然捕まえられないボンクラな警察ども(お前らちゃんと仕事しろや)に逮捕されパトカーで移送される場面を見せられるより、ガケから転がり落ちて、左手がヘンな方向に折れた死体を見届けさせてもらった方が、見てるこっちはスッキリできて良かったね笑
[CS・衛星(字幕)] 10点(2019-03-04 13:12:16)(良:1票)
3.  バイオハザード(2001)
この映画に関してはゲームの世界と比べられることが多いのが残念だ。  バイオハザードのゲームをしたこともなく、またする予定もないゾンビ映画好きな私から言わせていただければ、今作は「エイリアン」シリーズの1と同質の面白さを堪能できた。すなわち【これから何が起きるのか?】のワクワク感と、敵(「エイリアン」でいえばエイリアン、「バイオハザード」についてはゾンビ)に関してよく分かってない主要キャラが混乱の中で取り乱しながら次々とやられていく展開、そして天下無敵のスーパーヒロインの存在だ。  なおかつバイオシリーズでいえば私は今作が一番好きなのだが、それはミラが一番若いからでもある。 蒼白に近い色白の顔に、ブルーダイヤのような青い瞳が、ホラー映画特有の青白い画面にとてもなじんでいて、ホラー映画なのに美しいミラにほれぼれできる美しい映画でもある。 2作目以降は、アリスがどんどんアクション的にパワーアップしていくということで仕方ないが、筋肉隆々になっていくし、服装は戦闘モードで茶色系ばかりだし、顔も髪の毛も土ぼこりでススけていて”ほこりと汗まみれのアリス”であるのに対して、潜在的戦闘能力を秘めつつエレガンスを兼ね備えるアリス像は、実に個性的でグっとくるものがある。  さらにそんな美しいミラだけでなく、レーザービームで体をみじん切りするコーナーや、クイーンのホログラム等、全体的にスタイリッシュなイメージが多いことも高ポイント。2作目以降の大型の銃器や戦闘機まで登場してドンパチが繰り広げられる騒々しいイメージではなく、とぎすまされ洗練されたイメージが、ミラの透き通るような美しさとあいまって、今作を唯一無二の美しいホラー映画に仕立てあげている。  ゾンビ映画では、サントラはこれといって印象に残るものはないのだが、今作は、ダニーボイルの「28日後...」「28週後...」と良い勝負の、秀逸なサントラも擁していて、ミラの魅力と、ストーリー展開、映像と音楽、すべてにおいて印象深い素晴らしいゾンビ映画であることは間違いない。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2017-08-14 09:35:29)
4.  イングロリアス・バスターズ 《ネタバレ》 
最後のほうで、ヴァルツとブラピの取引条件について了解する、電話ごしの司令部の人間の声(チョイ役)が、ハーヴェイ・カーテイル。ほんのちょっとだけ声の出演だなんて、なんてシブイんだ。そしてなんて贅沢なんだ。 「ゼロ・グラビティ」で宇宙飛行士が通信するNASAのひととのやりとりの声(チョイ役)がエド・ハリスだっていうことくらい贅沢だ。  あと心ひきつけられたのは、ショシャナがレストランに呼ばれて席についたときにグラスにつがれたもの、あと酒場でスバイ女優と落ち合ってた場面で、お店の人がグラスについだのが、ペリエのシャンパンだったってこと。  あのシャンパンの瓶、フランスのアール・ヌーボの時代にエミール・ガレがデザインしたアネモネが描かれてるんですがとっても美しくて、以前オークションでその瓶(カラの瓶のみ)を落札して家に飾ってあるくらい好きだったので、「あ、うちにあるのと一緒じゃんよ!」ってなんかうれしかった。  3デイズでワルのボスの家んちの壁紙がうちの居間のカーテンの柄と同じ、イギリスのアーツアンドクラフツ運動を牽引したウィリアム・モリスの「コンプトン」柄だったが「あ、うちにあるのと一緒じゃんよ!」ってうれしかったのと同じくらいうれしかった。  話を戻すと、最後の映画館焼却場面で、スクリーンが燃えきってなくなっているのに、火炎の煙が白くもくもくたちあがってて、その煙に、まだ映写機から送られてきているショシャナの顔が、煙に写り込んでたシーンは、いやもう、かっこよすぎる。タランティーノのセンスすごすぎる。  煙は不安定だから、映った顔があやしげにゆがむ、で、そのままヒトラーの顔面をドニーがうちまくって顔が崩壊していく画面にきりかわるんですが、不安定な煙にうつされて歪むショシャナの顔と、連射されて顔が崩壊するヒトラーの顔のリンクが最高に素敵。  映画館でナチス焼却計画実行する直前、ショシャナがドレスを着て赤い塗り頬紅をグイっとほっぺたに塗るシーンも好きです。 ちなみに「ショーガール」のノエミも、復讐に出かける前にドレスを身につけ鏡に向かって赤い口紅をグイっと塗りますが、赤は復讐の象徴なんでしょうか。  ショシャナの真っ赤なドレス、真っ赤な口紅。真っ赤な頬紅。それらの真赤な色は、彼女に想いを寄せる軍人に返り討ちにあって射殺されて倒れたときの顔に真っ赤な血ともリンクする。 血の魔術師タランティーノ、素敵すぎるセンス。  そして忘れてはならない、クリストフ・ヴァルツの存在。彼が登場人物とからむシーンはいちいち緊張感でいっぱいです。 フランス人農夫とのからみ、レストランでショシャナとのからみ、映画館でのアルドら4人とのからみ、そしてハマーシュマルクとのからみ・・・  そう、ハマーシュマルクの”靴が合えば疑いはない”の状況は、まるでバッドエンド展開のシンデレラてな具合で、さぐったポケットの奥に自分の靴を手の先に感じた彼女の悲壮感あふれる顔が忘れられません。  でも一番この映画を魅力的にしているのは、英語、ドイツ語、フランス語・・・が、登場人物の国籍そのままに使い分けられているところではないかと。 アメリカ映画においては、ナチを描く作品のほとんどが、ドイツ人でも普通に英語でしゃべるため、「イングロリアスバスターズ」のようにとことん登場人物の国籍と母国語をセットにした脚本は、この映画の設定や内容があまりにもブっとんでリアルさが時として失われがちなところに、みょうなリアリティを与えてくれる効果を有しているといえそう。  またこうした言語の使い分けがあるからこそ、冒頭のフランス人農夫とランダ大佐のフランス語→英語→フランス語のやりとりの面白さや、酒場でドイツ仕官に扮したイギリス人のドイツ語なまりがバレたなんだのシークエンスの緊張感、さらに映画館でランダ大佐とイタリア人に扮したアルドらのやりとりの滑稽さが描けるわけで。  ここまで各国語を玉手箱のようにちりばめた映画は、タランティーノ作品では類をみないし、また世界の映画作品全体をみても例がないのでは。 そういう意味では「イングロリアスバスターズ」は非常にユニークで、レアな作品だといえる。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2017-06-20 14:14:46)
5.  28週後... 《ネタバレ》 
前作を見ての今作の鑑賞だが、個人的には今作のほうが好み。  前回は、軍隊は全員ゲスでヤなやつら(=敵)だったが、今回は軍の医療関係の女性やスナイパーの男性が、民間人サイドについているところが、作品に深みを与えている。  それに前回描かれていたのは見知らぬ若者同士の絆だけだったが 今回は、夫婦、親子、姉弟…という、だれもがグッとくる絆をまんべんなく描いているのも良い。   そしてスナイパーの軍人が自らの死とひきかえに、民間人たちを助ける・・・というシーンは、 思わず「あぁぁああああ・・・イイひとだったのにぃ・・・」と本気で思ってしまった。  ロバート・カーライルが、人を犠牲にしてでも(妻を置き去り逃走、友達が出そうとした船を乗っ取り、襲われた友達を見捨てて逃走)生き延びようとした姿と、なんと対照的なことか。  このコントラストも、素晴らしい。    あと、画面がブレブレしてたり、画像がザラザラしてたりするのは、ゾンビ系の物語というフィクションの映像を、よりリアルに見せるうえで、すごくいい使い方だ。  下手なひとがそれをやるとただの”見にくい映像”になるが、ダニーがプロデューサーとして口出ししてたのか、とてもうまく仕上がっている。  特にタミーが父親を撃ち殺した後の目元アップ。 血まみれ泥まみれ汗まみれで、メイク崩れまみれのぐちゃぐちゃの目元で涙をながしながら 眉間にしわを寄せて苦悩の表情をしていた、あのザラザラした質感の映像が眼の裏に焼きついている。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2017-05-30 17:15:24)(良:1票)
6.  スラムドッグ$ミリオネア 《ネタバレ》 
何度も見ましたが、いやー何度見ても泣ける。どこで泣くかっていうとラストのジャマールとラティカの感動の再会。  ギューって抱き合って、そして普通ならそのあとの展開はクチビルでブチュッ・・・と思いきや、ジャマールがクチビルを寄せたのが、ラティカがちょっと前にワルにつけられた、ほっぺたの”ナマ傷”だってところで泣きます。  いやーもう、泣くね。泣く。ほんと泣く。  ラストシーンのキスなんて、私はひねくれてるんで、感動の対象じゃないんですが、この映画のこのキスシーンは感動がはんぱないです。  その傷にチューしたあと、映像が一瞬元に戻るっていうか逆走するんですが、そこでまたさらに泣けてくるんです。  彼女がワルにほっぺたにナイフで傷をつけられるところから、どんどん逆走して、ワルにつかまるところになって、さらに逆走して、つかまる前に電車の駅で、2階にいたジャマールを見つけた1階のラティカが、彼を見上げて、はじめて素直な輝くような笑顔を見せるんです。  それまでのラティカはいつも「どうせワルから逃げられない」っていうアキラメ心に支配されていて、ジャマールとうまく一瞬会えたときも、曇ったような困ったような顔しか見せていなかったのですが、そのときは、それまでインド各地のワルい人達にタライマワシにされるがままの、抵抗もせず運命に流されるがままだった彼女が、生まれて初めて自分の意思で、ジャマールに会うために、がんばってワルから抜け出して待ち合わせ場所に来た、そんな彼女の、ほんと素直な、こぼれんばかりのキラキラした笑顔だったのです。  なので、ほっぺたのナマ傷にチューをしたジャマールは、心の中で「ボクの中にいるキミは、あの駅で最後に会えたあの君の笑顔の、傷のないきれいなままのキミだよ」って、やさし~く言ってる気がしまして  うーーーん、なんてマロヤカな男なんだチクショー!って、感動して泣いちゃうんですね。  まぁここまでに至るまでに、何度再会してはワルのせいで離ればなれになってしまったか・・・っていう、彼の悲惨な人生の積み重ねがあったので、それゆえ、感動もひとしおなのですが。  でもやはりこの映画のすごいのは、そういう感動を最後にもってくるための、それまでの”悲惨な人生ドラマ”を、チンプな作品のように、ただダラダラと見せるのではなく、クイズミリオネアの問題の答えが、たまたま”悲惨な人生ドラマ”の中で偶然得た経験の中にあって、昔を思い出すだけでどんどん正解を重ねていくという。。。なんともシャレた表現の仕方だということです。  あなたは小学生時代に初恋のひとがいたとして、運命が何度も二人を割いてもなお思い続け、大人になって成就するなんて経験ありますか?(同窓会で再会してそのままホテルへGOとかそういう下世話な例を除く) ないでしょう、だからこそ、この二人のラブストーリーに泣けてきちゃうのですね。  あ・・・そうそう、シャレたといえばもう一点。  冒頭で「なぜジャマールはクイズミリオネアで正解することができたか」っていう問題が文字で出てきて、実際のクイズみたいに  A、答えを知っていたから B、ラッキーだったから  って順番で表示されて、最後に  D、運命だったから  って出てくるのですが  ラストシーンのキスのカットで、画面が時間停止したあと、左下に小さな文字(冒頭に出てきたときと同じサイズの文字)で  D、運命だった  って出てくるんですよーーーーあーーーーもうソコ思い出しただけでまた泣けてきたーーーやばいーーーーーボイルやばいーーーーw  このラストのコレを見て初めて「そうか!この物語は、スラムドッグの無学の男がクイズ番組で全問正解して大金もちになるサクセスストーリーじゃなく、幼い頃に出会った初恋の少女との恋が成就することが“運命だった(it is written)"ことを描いていた作品だったのだな!」  と、頭がゴッチーーーンとやられちゃいました。  ついでにそのD、It is writtten という文字がだんだんフェイドアウトするんですけど、Dって文字だけ残って、そのDがDirected by Danny BoyleのDになるという・・・  くーーーーッなんて策略家なんだ・・・くーーーーッくーーーーッ!!ボイルめーーーッ!!!(隣にいたら、100回くらいヒジテツ食らわしたい)  ちなみにワルになっちゃったお兄ちゃんもね、最後の死にざま、かっこよかったです。あの画面作りは誰にもマネできない。あまりにも鮮やかすぎて。私もお札風呂にゆっくりつかりたいものです。  そしてエンドロールでかかる「らりほー♪らりほー♪」って歌はサイコーです。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-02-26 13:25:03)(良:1票)
7.  アバター(2009) 《ネタバレ》 
100デシベルで叫ばせて頂きます。  「私は公開時に劇場で3Dで見たときは映像にのけぞっただけだった。 しかしあれから7年・・・ TVで2Dで見たら、不覚にも泣いて中味に感動しまくったじゃないかぁ~~!!」  はい、そうなんです。劇場で見た時は、ただただパンドラ星のユニークさや3Dで存分に楽しめるように計算されつくした映像にのけぞっただけでした。  しかしTVで、小さな画面で2Dで見ることで、そうした映像にいい意味で気が行き過ぎず、内容に集中できたようです。これは予想も期待もしていなかった状況。   見終わって思い返してみれば、この映画で語られているのは  ●「自然破壊をするのはアカン」というメッセージ。  さらに話し合いによる共存主義者(グレイス博士グループ)VS軍事力で制圧・支配主義者(大佐グループ)の対立を描く事で  ●「話し合いをせず、武力で解決しようとするのはアカン」というメッセージ。  さらにさらに人間達が戦闘機で先住民ナヴィの女子供も無差別に殺戮していく展開は  ●「テロによる市民への攻撃およびその居住地域への侵略はアカン」というメッセージ。  このようにいたってシンプルで当然至極なメッセージばかり。それらは、これまで作られてきた映画で既にイヤと言うほど語られてきて、使い古されたメッセージでもあります。  なのに!  なぜこうも激しく心を揺さぶられるのか?劇場で見た時より、TVの小さい画面で2Dで見た時の方が、涙腺を緩めさせられるのか?  おそらく小さいTVで2Dで見る事で、映像にだけ気がとらわれなくなり、そうしたメッセージをダイレクトに感じ取れるようになったためだろう。  私だけではなく多くの人達が「分かってはいるけど、やっぱ便利なほうが快適」と思って数々の直接的あるいは間接的な環境破壊を招く暮らし方をしている。 そして、話し合いより武力を重視している国が存在していて、それらの国の脅威をどこかで感じはいるけれど「とりあえず自分は巻き込まれてないし、今日という日を楽しく過ごせればオッケー!」と思って自分の周囲5m以内の平和を満喫している。  そうした『分かってはいるけど、とりあえず見てみないフリ』している問題は、おカタい人達がコメントしているニュース番組で語られていると、心に住む悪魔によって良心が仮眠状態にさせられていて、真正面から受け止めることはできない。  しかしその『分かってはいるけど、とりあえず見てみないフリ』している問題が、娯楽映画ゆえに自らすすんで軽い気持ちで乗り込んだこの「アバター」の世界で、鮮やかに突きつけられることで、「ニュース番組じゃないから今大丈夫ね」と悪魔がのんびり油断していたために良心はハっと目覚め、心が揺り動かされるのではないだろうか。   難しい歴史の勉強も、分厚い教科書を読むとなるとやる気がうせるが、面白いマンガで描かれるとグイグイ引き込まれ、理解し、楽しめる構図と似ている。  さぁあなたも アバターのユニークな世界に乗り込んで 良心の扉を開けてもらい、心を揺り動かしてもらいませんか? (鑑賞するなら最初は2D、その後3Dの順番が絶対オススメ)   補足①:ジェイクが最後、人間をやめてナヴィとなった4つ理由。  1)ネイティリとずっと一緒にいたいから (そりゃ当然だ) 2)自由な脚で駆け巡ることもできるから(あなたがもし不自由な体なら、その動機を否定できないはず)  3)軍人出身なのでつい『武力で解決』という大佐側についてしまい、ナヴィの村を襲わせるきっかけを作ってしまった。それを悔いているからこそ、ナヴィの敵である”人間”を完全に離脱することを選んだ  4)だってエイワが彼を選んだから(ネイティリが彼を木の上から矢で射ようとした際に矢の上にエイワが留まった時、エイワは「この男はナヴィを率いる者となるであろう」と言っていた。(たぶん))  補足②:革新的な要素やユニークなものが沢山つめこまれたこの傑作映画が、アカデミー賞では、「ハートロッカー」のプロデューサーが作品賞に投票する審査員たち(これまでアカデミー賞で作品賞を取った映画のプロデューサーたち)に「アバターではなくハートロッカーに投票してくれ」という裏工作のメールを送信していたことにより、不当にあの駄作「ハートロッカー」に票が集まり、最優秀作品賞を奪われたことは、本当に許しがたい事件である。  アカデミー賞の前哨戦であり、アメリカ、アジア、ヨーロッパの映画記者による”客観的かつ公平な評価”で賞が与えられるゴールデングローブ賞では、監督賞、作品賞ともに「アバター」であることを、ここでしっかりと明記しておきたい。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-02-14 12:51:36)
8.  トライアングル(2009) 《ネタバレ》 
このアイオロス号の船上には  ●殺人鬼においかけらて焦るジェス ●事態を変えようとするジェス ●殺人鬼になるジェス  が、同時にいつも三組いて、時間差で動いてる。  つまり「トライアングル」っていうタイトルは  Tri (”三つの”という意味を持つ接頭辞。たとえばTrinityは”三”位一体、スターウォーズTrilogyは”三”部作、フランス国旗はTricolore(トリコロール)は”三”色・・・といった例と同じ)    Angle(角度、視点)  という意味。つまり、船上の3つのジェス視点から描いた物語ということである。  「オブリビオン」という映画では、3人の男女の三角関係と、空中に浮かぶ三角錐の形をした宇宙人基地が特徴的だったけれど、”3”ていう数字は、実に意味深で象徴的かつ哲学的だ。    さてそもそも、ジェスの無限ループの最初のはじまりは、あの車の事故。  なぜなら、ジェスがアイオロス号に乗った後、仲間の時計は11持なのに、彼女の時計は8時。朝ヨットで出発して数時間たったので仲間の時計は11時をさしているが、ジェスは車で事故ったあの瞬間の8持ころで時間が止められてしまってるから。  シンママのジェス。自閉症の息子を愛してはいるがパーっと息抜きがしたくて、友達以上恋人未満の男に誘われたヨット遊びをしたいと思った。 自分の都合に合わせてくれない嫌がる息子にイラだち、叱り、むりやり叩いて着替えさせ、車で港に向かった。  そこで事故を起こしてしまう。息子は即死。でもジェスは命に別状はなかった。 でも、自分本位の身勝手な行動の果てに息子を死なせてしまった罪を犯し、共に死ぬべきものとしてジェスの元にお迎えに現れた死神。(タクシー運転手)  死神運転手が現れた瞬間、それまで浜辺の明るい日差しに照らされていた画面が、ガラっと暗くよどむ。 いかにも”死神降臨”という映像に「オオオッ」となる。  「後で戻ってきます(ケジメつけて死にます)」と約束をしながらも、死んだ息子も放置でクルージングに行ってしまうジェス。 その誤った選択が、そう、無限ループの始まりだったのですね。  ジェスがこの無限ループから逃れる唯一の道は、死神運転手に「あの世にいくことを選びます。身勝手なことをしてごめんなさい」と、ゆるしを乞い、死を受け入れること。  そうやって自らの人生を終わらせることは、一見バッドエンドだ。 しかし彼女が心から反省し、戒心して一緒に天国にいけることができれば、天国で幸せな母子としてやっていけるかもという明るい希望を残してくれる。 彼女が船から脱出し「息子のところに帰りたい」と必死にもがく場面も描かれているのだから。  だからその事にいつかジェスが気づいて、そうなるまでは・・・ループは続くんだよ・・・フフフ・・・みたいな、そんなエンドなんですねこの映画。  浜辺にあった観光客向けの  「Good Bye Please Return(さようなら、またのお越しを!)」という看板。  これはジェス向けの  「いってらっしゃい、でもちゃんとヨットには乗れませんって仲間に伝えて死神のところへ戻ってくるんだよ」という良心の声にも 「いってらっしゃい、何度繰り返しても反省せずヨット遊びに行っちゃって、無限ループに再び戻ってきてね、フフフ・・・」という悪魔のささやきにもとれる こにくいダブル・ミーニング。  彼女は、どちらの声に耳を傾けるのだろうか? 次回のループでは、息子と共に昇天&成仏するハッピーエンドになることを願いましょう。  追伸:この映画ホント見るたびに面白くって、何度も何度も見てしまいます。うっかり自分が鑑賞の無限ループにはまっていることに気づく(笑)
[DVD(字幕)] 10点(2016-02-02 08:59:11)(良:1票)
9.  A.I. 《ネタバレ》 
マイ号泣映画10選に入る最高傑作。  相当昔見たが、当時「イマイチ」と思った記憶があり、デイヴィッドが海底で観覧車で封印された所で「なんて暗くて重くて寂しい展開なんだ・・・」と、絶望感を抱きつつ見るのをやめていた。 (そしてあの暗くて救いようのない場面から想像して、バッドエンドだと思い込んでいた)唯一、ジュードのロボぶりがイケてた事だけは好印象だったのだけど。  あれから十数年。何も期待もせず「まぁジュードロボをまた楽しむつもりで」と見始めたところ…あれ?なんで?面白すぎる!  多分私、昔見た時には母性が不足ぎみだったのだ。でも母となり可愛い息子がいる今の自分が見ると、母の気持ちもデイヴィッドの気持ちも全て分り感情移入できるではないか。  デイヴィッドを愛している母の葛藤(デイヴィッドをイジメる実息子だが実息子だから大事にしないといけない。返品すべきだと言って譲らない夫も拒めない)も痛いほどわかる。  故障したデイヴィッドを修理中、立ち会った母が彼の手を心配そうな顏で握っていたが、一瞬手を離してその場を離れ、セリフなしで何ともいえない表情をする。 以前見たとき私は「機械部分丸見えな息子のボディを目の当たりにして、やっぱりなんだかんだ言ってもメカの息子だとリアルに感じて気分が悪くなったか」と思っていた。 でもあれは「メカなのに、ナゼこんなにも心配で傍にいてあげたいと私は思うの?私はメカ息子を心から愛してしまっているの!?」と、自分の中にあるメカ息子への愛に自分自身でも戸惑っている、そんな場面なのだと今ならわかる。  (再び戻りメカ息子の手をギュっと握る様子が縦モザイクのガラスを通して写っている印象的な場面を見逃すな!そして、その手を嫉妬の目で見つめるマーティンの表情も。)  肝心のストーリーだが、ハーレイ君のあどけないブルーアイズのせいで感情移入しまくり、海底に沈む遊園地でブルーフェアリーとご対面したあたりから涙が止まらない。  宇宙人が”複製するには体の一部が必要”という所で、デイヴィッドの傍にいたテディがあの髪の毛を出す場面でも号泣。 一日限りの母親復活でナレーターが「母は、夫もマーティンもいない中でとてもリラックスしてデイヴィッドといた」と話したときも号泣(やっぱり、夫やマーティンの手前、メカ息子と親密にはできなかったのだねと)。  そして母がデイヴィッドを抱きながら「ずっと愛していたのよ」と、2000年前には言えなかったことを、当時も愛していた(でも夫やマーティンの手前、素直に言えなかった)ことを伝えた所でまた号泣。  なんと、ハッピーエンドだったとは!  (ちなみに、母によるメカ息子への愛の告白は「I do love you.I have always loved you.」となっていますが、ここ、I love you (大好きよ)じゃなくI do love you (めちゃめちゃ大好きよ)と、高校時代の英文法の時間に習った”強調のdo”が挿入されてるのがミソです。  で、続くI have always loved youは、昔まだ同居してたときに夫や息子の手前言えなかったけど心の中ではあの時からずっと愛していて今もそうなのだよ、という現在完了形を使った愛情深いセリフであることもミソです。 (しかもデイヴィッドを抱き寄せて頬をくっつけ、耳元で囁く…ずっと心に秘めてきたことを打ち明けるように)  ついでにですが、DVDではメカ息子の一夜限りの復活を果たした母への最初の一声が「I found you」で、そのとき字幕では「やっと見つけた」ってなってましたけど、あれは訳ミス。 まだ同居してたとき母親が彼をクローゼットに閉じ込めたあとに罪悪感にかられて開けたときに息子に言った、かくれんぼに見せかけたセリフ「I found you(みーつけた)」の伏線の回収場面なんですね。そこ大事ですね。   ストーリーのテーマは、いたってシンプルな「愛」。それを近未来の、さらにはその後の2000年後で人類は滅亡し宇宙人が来ちゃう時代なんて相当ブっとんだ時空のシチュエーションでも、観るものにとって違和感なく入れる世界観として描ききっている。  2000年先まで描くのは冗長とか、そういう意見も多いが、いやいや、先ほどの母親復活で親子の愛情を確かめ合う号泣場面でもあるし、2000年後こそメリルストリープ様が声を演じるブルーフェアリーや、ベンキングスレー殿下が声を演じる宇宙人スペシャリストの声を聴く価値もある部分ですよ。   ちなみにジュードロウの”首を横に一回カックンしたらミュージックスタート!”は多分、マイケルジャクソンへのオマージュ。
[DVD(字幕)] 10点(2015-06-24 11:27:52)(良:4票)
10.  ヘアスプレー(2007) 《ネタバレ》 
この映画では「コニー・コリンズショー」は最後、黒人と白人が一緒に踊り白人至上主義のヴェルマはクビになって追放!メデタシメデタシ!なエンド。  でもこのショーのモデルになっていた実在の60年代の番組「バディ・ディーンショー」(映画同様2時間ワクで週6日放送されていた大人気番組)では司会者が黒人に対する差別化廃止を訴えたとたん番組が打ち切られたという真逆のバッドエンドだったのだ。  2枚組DVDの特典disc2をぜひ見てほしいのだが、オリジナル版を作ったジョンウォーターズが、その司会者を中心とした出演者(当時は高校生。今はおじいちゃん&おばあちゃん)の同窓会(そんなものがあったとは)で、その番組の不幸な顛末を聞いてこの作品のストーリーを思いついたそうな。  なるほど、それを思えば、社会的マイノリティを描かせたらピカイチのジョンが「美男美女がウケるティーンの番組でもし、チビデブが支持されていたら?」「黒人差別を廃止できず強制終了された番組がもし、黒人差別を廃止を受け入れていたら?」・・・といった、マイノリティーのポジティブな”if”を映画の中で現実化させたらさぞかし痛快になる。   ということで生まれたこのステキなストーリーだが、オリジナル版はB級味こってりだったので<知る人ぞ知る>な作品だったところ、後に舞台でミュージカル化されて知名度がアップ、そしてその<多くの人が知る>ミュージカル舞台版を映像化した今作は、ユニークな物語に実力派ベテラン俳優団と若手新人団が見事に融合した傑作だ。 しかも舞台版よりも多くの曲が追加され、躍動的なダンスシーンのオンパレード。それはアダム・シャンクマン監督が以前はダンサーで振付師でもあったことから来るそうで。とにかく痛快で”動的”な作品なのである。  かくして大量のダンス&歌が詰め込まれていたわけだが、私はまだまだ、あと5曲くらい増やしてくれてもまったく飽きないくらい。ゴスペル、ロック、モータウン、R&B、ラテン、ビッグバンドジャズなどなど・・・カラフルなケーキやお惣菜が食べ放題のように次々と目の前に並べられているような気分になる。  ジョントラヴォルタは、ママ役のオファーが来た時「女装した男じゃなくて本当の女に見えるようにメイクして」と条件をつけてOKしたそう。そういえばウォーターズのオリジナル版では、ディヴァインがママ役をやっていて、それはもう「ピンクフラミンゴのドラァグ・クイーンのまんまやないか!マツコデラックスやないか!」という見た目だったのだが(私的にはちょっとそれはカルト臭がして苦手だった)、この作品のジョントラは、オネエではなく、見事に女性になっていた。その身振り手振りやちょっとした表情も見事に女。やっぱり演技力最高ですね。   ザックエフロンのようなディズニーチャンネルあがりのイケメン若造俳優は私が最も苦手とする部類なのだが、この映画のあの額部分にフックがついているみたいなヘアスタイルといい、何かとウィンクしてくるヤサ男っぷりが素晴らしく、この作品を見てザックが好きになって、思わず「ハイスクールミュージカル」をずいぶんブームが去って今さらの時期に見てしまったくらいだった。  ラティファ女王も余裕の貫録。彼女は終盤あたりで「I know where I've been」という黒人差別についてシヴィアに歌い上げるゴスペルを披露するのだけど、他の曲がすべてアップテンポかミディアムな中で唯一スロー、そして他の曲がすべてオチャラケ系であるのに対してマジメ系・・・という点で、よりいっそう見るものはこのナンバーに心がフォーカスされるのではないでしょうか?  美魔女ミシェルもまた余裕の貫録&美しさ。49歳であのミス・ボルチモア時代の思い出シーンはすごいとしかいいようがない。  ウォーケンは動きが少ない分、細い表情の演技がとても素晴らしい。私は、ジョントラママに家を追い出されて店で寝ていたところにトレイシーがやってきて家のカギを彼に見せたとき「おぬし、やるよのう」みたいな表情をする彼が好きですよ。あと、ジョントラママがフリンジドレスで踊ってデカ尻をウォーケンに向けてブルンブルン振った時に「うっぉーうちの嫁タマンネー!」って表情で口に手をやるとことろも。彼のあの、サラリとした顔だからこそできる、絶妙な顔ワザではないかと。  そして私は「良い演技をするので好き」な黒人俳優は何人かいましたが「デートしたい」と思う黒人俳優はいませんでした。が、この映画のシーウィードには、ヤられました。ブラックベリーの味をお試し希望。
[DVD(字幕)] 10点(2015-06-16 11:15:02)(良:2票)
11.  月に囚われた男 《ネタバレ》 
冒頭でサムベルがルームランナーでカラダを鍛えているときのTシャツの文字が   「WAKE ME UP WHEN IT'S QUITING TIME」   (やめるときに、私を起こして)   って書いてあるのが、わかりやすくて最高ですw   これは映画「トライアングル」で主人公の女性が車でビーチ方向に走っているときに  海沿いの看板に「さようなら、また会いましょう」って書かれていたのと同じくらいわかりやすいですw   あと、基地には「SARANG」ってハングル語で「愛」って文字が書かれてて、あと採掘場にいく車も「SARANG ROVER」って書いてあって、おそらくこの映画のテーマはやっぱり「愛」(主人公の妻や娘に対する)であることを示してるのかな~なんて思ったり。   あと、後半でサムベルが、採掘場のコントロール部屋みたいなロフトみたいなところのハシゴに腰掛けながら、人工知能のガーティに「ボクは昔妻に乱暴だった。だから彼女は出ていった。僕は変わろうとした。そして変わった」的なことを長々と話すんだけど、   あんなことがあって、こんなことがあって、そして僕は悔い改めて変わったんだ   っていう話の内容と、彼の右背後に見える「MIND STEP」っていう文字が   なんかつながってるように深読みしてしまった。   MIND(こころ)のSTEP(昇段、ステップ)   のように読めるなと。 (本来は「足元に注意」っていう慣用句なんだけど。)  それにしても人工知能のガーティは、会社が用意した会社のためのものなんだけど、かなりガーティをかばうサムベル寄りのキャラになっている。 2度目に見たときは「こんな現地のクローンをかばいまくりの人工知能じゃ会社の利益にならないリコールものだわ」と一瞬思ったんだけど、ふと気づいた。  3年も月でたった一人で、さらに人間と生の会話ができない環境下であると、ウツになったり半狂乱になって逆に正常な作業が滞るクローンも現れていたかもしれない。人工知能だから、これまで何十体ものサムを相手にしていくうちに、サムが心穏やかでいられるにはどういう言動をとればいいかを次第に学習し、ついに何十代目かのサム(この映画の中のサム)の頃には、「大変そうだね、わかった、会社にはちょっとナイショにしておいてあげるよ」くらいの人間的な判断をとれる発達をとげたのではあるまいか?   人工知能の声はケビンスペイシー。これもすごくよく合っている。静かで、感情のないかんじの、敵か味方か、何考えてるかわかんないような、いい声質。
[地上波(字幕)] 10点(2014-04-16 16:52:49)(良:2票)
12.  ブロークバック・マウンテン 《ネタバレ》 
ジェイク・ギレンホールが大好きなので、彼が出ているからという理由で鑑賞。  序盤でジャックが、イニスに「ひつじを撃って食べちゃおう」って誘った場面を見た瞬間、「ジャックがウケで、イニスがセメだな」と直感で分かりました。ルールを破ることをそそのかす、まるでそれはアダムとイブのイブのよう。ゲイはどちらも男だけれど、やはり男役を受け持つ側と女役を受け持つ側がある。ジャックはあきらかに女のほうだと思った。  その後テントで初メイクラブのときも、最初はジャックから襲いかかったものの、すぐさまジャックがウケの態勢に・・・やはり直感どおり。  さてそんな目線(ジャック=女、イニス=男)でこの映画を見ていくと、まことに男女の恋愛そのものである。  ジャックの言動を見ていれば、まるで女そのものだ。 世間体とか気にしないで「一緒に農場やろ!」って無邪気に何度も誘うところといい、イニスが離婚したとわかったら車すっとばしてかけつけて「引越し先さがしてきたよぉ~!」ってニコニコうれしさ200%な表情を見せるところといい、イニスとなかなか会えないことを愚痴って「アタシ、もっと一緒にイチャコラしたいっ!」ってキ~ってなるところといい、イニスに冷たくされて帰りの車でクスンクスン泣いてそのあと誰でもいいから抱かれたいってなって路上の男を拾って抱かれるとことといい、いやまさにジャックの女っぷりがその女そのものな微妙な表情の演技によって痛いほど伝わる。  一方イニスはまさに男であり、いかにも女な感情的なジャックに対して、無口なくせに実はツンデレな男を見事に演じきってくれた。  私の中では、同性愛映画というと、どちらかといえば「モーリス」や「アナザーカントリー」のように、登場人物のイケメン俳優がからむ場面で萌えとか、そういう需要のためにあるというイメージだった。しかしこの映画は、そんな既成概念をふっとばすような、内容ありきな、すばらしい映画だったと思う。  この時代におけるゲイに対する偏見が、不倫という障壁と共にふたりの前にたちはだかり、「そんなの気にしないモン!」っていう無邪気なジャックと「いやそれやっぱむりでしょ」という現実主義のイニスの、お互いへの想いは本音であっても、どこまでも交われない平行線の建前が、心をしめつける。そう、この映画は男女のロマンス映画では描ききれない、ゲイだからこその苦悩を、それぞれの妻、あるいは恋人、仕事先、実家の家族・・・あらゆる関係者を巻き込んで、これでもかこれでもかという勢いで、完全に描ききった作品なのだ。  それを証拠に、この映画の受賞歴はおびただしい数。ゴールデングローブ賞作品賞、監督賞、脚本賞、アカデミー賞でも脚色賞、監督賞・・・やはりこの映画、だたのゲイ映画というククリでは終わらない、深いものを持っていることは確実。   ところでジェイク好きでジェイクのいろいろな作品を見てきた私の意見だが、ジェイクがイニスを見つめるときの色っぽい目つき、これ、女優相手の普通のラブシーンで見せてきた演技のどれよりも色っぽい。その他にも、イニスがらみで見せる、いろいろなシチュエーションでの喜怒哀楽やそれがにじみでるようなとても繊細で美妙な表情・・・すべてが色っぽい。ゲイの女サイド・・・という立場を演じているから、特に意識しているからだと思うけれど、とにかくイニスがらみで見せる表情がドキドキすぎて、ジェイク出演作品の中で一番ジェイクの”艶”が出せている作品だと思う。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2018-07-25 17:36:17)
13.  ハウルの動く城 《ネタバレ》 
「内容が理解不能」という趣旨の批判も多い作品だが、宮崎はそもそも内容など重視していない人であることを忘れてはならない。 以前NHKスペシャル「終わらない人~宮崎駿」の中で彼は  「ストーリーなんてどうでもいい。場面を見て『あ~すばらしい』って。それがいい映画だから。自分が好きだった映画はみんなそうだったから」と発言していたが、「ハウルの動く城」はまさにその通りである。  ”印象的なシーン”を数珠つなぎにした作品、それが「ハウルの動く城」。 それはまるで、ガンコおやじがいとなむ、メニューや価格が決まっていない独善的な料理屋のようなものだ。 その店の方向性やガンコおやじとソリが合わない客がいたとしても、その店の価値、存在意義そのものに何の変わりはない。  しかしあえて言おう。私はストーリー的にもこの映画が大好きである。 メッセージ性もある。それは  「自己肯定観って大事」ということ。  否定的な人達の意見として多いのが ”なぜソフィーは老婆になったり若返ったりするのか?”だが  彼女はそもそも<老婆になる呪い>にかけられたのではなく<自己否定している時に老婆になる呪い>をかけられたということを理解しなくては。  ケバい母親や、モテモテの姉が登場する意味が分からないという批判もあるが、彼女達は 「ハデな服装なんて私には合わない」「私なんてどうせモテない」というソフィーの自己否定感をより際立たせるために、対比として登場していることを理解しなくては。 (だからこそ、鑑賞者が「ソフィーって母や姉と大違いの劣等感の塊なんだな」と理解した後は、彼女達は用済みであり、後半には一度も出てこないのである)  そしてソフィーが老婆になったり若返ったりする理由は <自己肯定観が強まる時や、眠っていて自己否定の意識そのものを本人が感じていない時だけ若返り、自己否定観が強まると老婆になる>なのである。  もっと細かく言えば、自己肯定には<素直に恋をしている時>という事も含まれる。  サリマンの前でハウルをかばう時や、「未来で待っててー」等、全力でハウルを意識しているときだけ若返るのはそれが理由だ。 ハウルがソフィーに花畑を見せた時にも若返るのは、男から花を贈られて素直にときめいている証拠。 しかし直後に「ソフィーはきれいだよ!」とハウルが言った途端、老婆に戻ってしまう。(「私、どうせきれいじゃないし」という自己否定が出た証拠)  中盤で若返りと老婆が頻繁に繰り返されたのは、自己肯定観の不安定さの証拠であり、後半になったらほぼずっと若返りしていたのは、自己肯定観がしっかり根付いてきたという証拠である。   ハウルの存在も、ソフィーが自己肯定観を育てていく上で必要不可欠。最初はぎこちなく関わっていたマルクルやカルシファーも、彼女の揺れ動く自己肯定観とのせめぎあいの中で、次第に心を通わせていくのは微笑ましい。 カブも、終盤で壊れ行くハウルの城のブレーキ役として役割を果たす上で、脇役ながら重要キャラであるが、彼の魔法が解けるためにも、ソフィーの自己肯定観が必要だったことを思えば、ソフィーが自己肯定観を得たことで  【みんな、ハッピーエンド】となり、実に上手にまとめあげられたストーリーである。  また、カブが王子に戻ることは、ソフィーの自己肯定観が自分自身だけでなく、周囲をも助ける力になるという事を示している。   このエピソードは、我々が自己肯定観をもっともつべきだし、それが自分だけでなく周囲の力にもなるというメッセージだ。  ちなみに突然90歳になったソフィーがあっさり状況を受け入れるのは不自然だという批判もあるが、彼女はそもそも、恋するトキメキも若々しい快活さもない、おばあちゃんみたいな性格であるのだから「ちょっとやそっとのことには驚かない」のは当然なのである。  ソフィーは、老婆になってもすぐに気持ちを切り替え世捨て人になる自分を「年をとるメリットだ」みたく感じているが、老婆になる呪いはあくまでも、見た目だけで、性格は若いソフィーのまま。 私は老婆までは行っていないが、少なくとも10代だった頃よりあきらかにハラが座っていて、ちょっとやそっとのことでは大騒ぎしない(そういうことにパワーを使うのは無駄と悟っている)ので、ソフィーの落ち着きっぷりに何も不自然さを感じない。  批判者は、そこに注意しつつ再鑑賞してみは?
[CS・衛星(邦画)] 9点(2017-07-21 08:46:39)(良:3票)
14.  容疑者Xの献身 《ネタバレ》 
「好きな人を助けるための殺人」を美談にした物語ではない。これは、「好きな人を助けるための殺人」をしてしまった男の悲劇の物語であることを見逃してはいけない。     石神は合理的思考を持った天才数学者。普段の彼なら、もし知り合いが殺人を犯してしまったら迷わず「キミの場合自己防衛で無罪になる確率~%だ。もし有罪でも懲役~年の確率が~%だと思われる」と冷静沈着に判断していただろう。しかし相手は片思いの女性。しかも、自殺をおもいとどまらせてくれた恩人とまで思っている相手。どんなに合理的思考を持った石神も、”恋する女性”を前にすれば、非合理的手段にすら出てしまう・・・そう、この映画は、どんな者でも”恋に落ちてしまった人間”は、倫理的に、あるいは法律的に、軌道を外れた行動に突っ走る可能性を秘めていることをこの作品で伝えているのだ。”恋に落ちてしまった人間”の愚かさを、描ききっているのだ。       湯川は「彼は合理的に考えるひとだから殺人は犯さない」と当初言っていた。しかし湯川は石神の恋心を察知する。湯川は、石神と一緒に靖子の弁当屋さんに立ち寄った際、靖子のキャバ嬢時代のお客のオッサンが入ってきて靖子となれなれしく話している時に、石神が「なんだよなんだよ・・・親しげに。どこの男だ・・・」と、いたたまれないようなイジケ顔をしていたのが鏡越しに見て「あれ?」と思うのだ。そのとき、湯川は「いつもの石神なら殺人などありえない。しかし恋をしてしまってる石神なら・・・」と思ったに違いない。  ホームレス殺人については、それを肯定するものでも否定するものでもなく、ただ、合理的思考の石神が”恋”をしてしまったために、犯さないはずの殺人をしてしまった、ということであり、それ以上でもそれ以下でもないのである。そして、”恋”をしていたがために、ルートを誤った(自首をすすめず、罪を隠すほうを選んだ)ものの、その誤ったルートにおいて一番”合理的”な隠蔽工作を画策し、それを実行するにあたってホームレスが一番適当(消えても誰も探さない上に、カネを出せば言うことを聞いてくれる)だったからホームレスを殺害したということであり、それ以上でもそれ以下でもない。 恋してしまった石神の”誤ったルート”によって、「罪をかぶせてしまった」と靖子も不幸になった。無関係なのに殺されちゃったホームレスも不幸になった。この事件を解明した湯川も「靖子を守りたかった石神の気持ちを、すくいとってあげるわけにはいかない・・・」という、葛藤と自責の念にかられ不幸になった。そして何より、自分が罪をかぶることで靖子の幸せな人生を守れると思っていた願いも崩れ去り彼自身も不幸になった。 不幸な悲劇の歯車がグ~ルグル・・・なのである。    そして「隣あう色はけして交わってはならない」という4色配列は、まるでアパートの隣同士である石神と靖子は、この殺人隠蔽作戦によって、どんなに密接に関わりあえる関係になったとしても、けしてそれ以上に交わり結ばれることはない・・・ということを象徴しているのだろう。逮捕された石神が靖子の登場で「ふぁぁ・・・どうして!?どうして・・どうして!?むぁああああ~~ああああああ!」と号泣県議並みのガチ泣きする場面はこちらまでもらい泣きしてしまった。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2015-11-02 13:49:57)
15.  レインディア・ゲーム 《ネタバレ》 
シリアスなクライムものを砂糖抜きのコーヒーとするなら、こういうライトなクライムものは甘いカフェオレみたいな感じ。これはこれでありであり、そして好きでもあります。  セロンも演技力があるので、アシュリーが悪女なのかそれとも実はその下に良心的な純粋な心が隠されているのかが見ているこちらも分りづらくなるというあたりも素晴らしい。  いわゆる、ふ〜じこちゃ〜んみたいなストレートな悪女ではなく、純粋そうだった(最初の手紙と写真だけのイメージ)のが、実はチョイワル(ワル者一味のひとり?)、だと思ったら以外と純粋?(ルーディとの会話から憶測)と思ったけどやっぱり極悪?(ラストあたり)・・・というキャラクターがコニクイ。  ちなみにセロンとベンが初めて出会ってお茶してるときに店内に流れていたBGMが「at last」でして。  この曲、すごい好きな曲だったんですよ。  わ〜って思った。  歌詞の中味は「ついに〜恋人ができた〜♪私のロンリ-デイズは終わった〜♪」って、もうその場面のベンの心境そのものだったので、そんな曲のせいで「ふむ、この物語はベンが友人の恋人と恋愛関係になる話ということなのだな」とすっかりだまされました。 男どうしの友達で、片方に彼女がいて、でもそのひとが死んで、かわりにその友達が彼女に近寄ってねんごろになる・・・な設定ってけっこう他の作品でもあるので、「あ、今回もそのパタンね」という意味でもすっかり信じきってしまいました。 原作者は映画とか小説をよく見たり読んだりしている人たちのそうした既成概念をうまくさかてにとって、面白い話に仕立てたんだろうな。   また、ゲイリーシーニーズのチンピラボスっぷりが素晴らしい。かれは悪役もけっこうこなすわけだけど 今回のちょっぴりオバカなボスっぷりはこれまでのイメージとは違ってなんともいえない味わい。    しかも「カジノを襲う」なんていうから、どんだけ規模でかいねんと思ったら 国道沿いのパチンコ店みたいなところで、これまたいい意味で、シーニーズのコモノっぷりが強調されてますますいい味わいになっている。 随所にユーモアなんかもおりまぜていて、ドタバタありの、内容だけきくとシビアなはずなんだけど、深刻すぎず軽くて見やすい・・・なんてのは「アルマゲドン」と通じる仕上がり感。 (あ、アルマゲドンも肯定派です)
[地上波(字幕)] 9点(2014-04-13 15:08:57)
16.  セルラー 《ネタバレ》 
キムベイシンガー母さんは、先生で頭もいいし度胸もあるって設定により、ぶっ壊れた電話でも電話かけちゃうし、襲い掛かってきた強靭な悪徳警察をも何かの破片で1分で80リットルの失血を呼ぶ急所を一箇所突いて倒しちゃうし、運転席の犯人を背後の席から手錠でクビしめちゃうし、けっこうやらかしてくれます。  それはそうとムーニー巡査部長。彼は「ミザリー」で好きになった俳優ですけど、「ミザリー」でも保安官みたいな役で、孤軍奮闘してる主人公に”何かを察して助けてやろうとする”キャラがとっても似合いますね。   でも一番ツボったのは、最後のエンドロール場面。監督やキャストの名前が、劇中で出演者が手に持っている携帯電話の画面の中に表示されていく演出です。 特に、ジェイソンステイサムが携帯電話をさっと見るとその電話の画面に「ジェイソンステイサム」って書いてあったのにはクスって笑えましたw
[CS・衛星(字幕)] 8点(2018-12-10 16:36:20)
17.  バイオハザードIII 《ネタバレ》 
数年に一度開催されるミラジョボ祭り第三弾。  ほんとにもう、話を書いているポールさんはミラジョボを裸にさせたがります。1では冒頭のシャワーシーン、2では医務室での紙切れ2枚でサンドイッチ場面、そして3ではクローン製造機の場面。3の公開時にはポールはすでにミラを嫁にしていたので、映画で脱がされ私生活でも脱がされ、ミラジョボはとても忙しそうです。  それはそれとして、1と2がどちらかというとヒンヤリ感が漂っていたのに対し、3は真夏のジリジリ感がいっぱいです。1と2が全体として暗く怪しげな映像であったのに対し、3は明るくて怪しげさを排除しています。 元気におひさまの下をうろつきまわるゾンビたちはどこかキュートで、アンブレラ社仕込みの青いパジャマ姿のゾンビは、カメラや携帯にはしゃぎ、おもちゃがうまくいかないと赤ん坊のようにカンシャクを起こします。箱詰めされていたコンテナから飛び出してきた青パジャマのゾンビたちは今にも枕投げをしてしまいそうなほど快活で無邪気です。  ポールはシリーズが”みんな何だか似てる雰囲気”にならないよう、ミラジョボ祭り3回目ではガラっと雰囲気を変えてきました。3回目ではひたすら<カワいいゾンビ>を見せてくれます。  ところで私の中で、今回の作品で一番かっこよかったのはカルロス。自爆で仲間を助ける直前に一本のタバコを発見し一服、ゆったり煙をはきニヤリしてからのドッカーンは、「スラムドッグ$ミリオネア」で主人公の兄貴がお札風呂で逝った場面と1位2位を争そう”かっこいい最後”です。  ゲームを楽しんだことがある人にとっては邪道かもしれませんが、バイオシリーズはポール主催のミラジョボ祭りとしてとらえている私にとっては「今回はミラをそう料理してきたか」と、普通に楽しめました。  「ゲームと違う~イメージ違う~」となげいて損した気持ちになるより、ポールにとって数年に一度のバイオシリーズは、愛する妻の記念アルバムの1ページ1ページだと開き直ったもん勝ちです。 ミラの瞳がアンブレラ社のマークにカチっと切り替わったりするために、彼女の湖のように深く澄んだブルーアイズがドアップになる場面だって、ポールによる「オラの嫁の瞳は世界一美しいんじゃ」という嫁自慢にほかなりません。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2017-08-17 11:26:46)
18.  ミスト 《ネタバレ》 
中盤で、カルト的ではあるにせよ”神の御心のままに”生きて、銃殺されたおばさん。  それに対して、殺人や自殺(自殺ほう助も含む?)を禁じたキリスト教の神の教えにそむき、大事な息子を早まって殺してしまい、打ちひしがれた主人公のおじさん。  映画のラストは、原作にはない内容だということで、このオチについては、監督らの考えが入っているとはいえ、原作者キングは絶賛したという。  ということは、キングは宗教というものを、心から信じているというよりは、客観的な見方で「信じすぎても、信じなさすぎても。どちらにしても、いい結果を生み出さないかもね」というドライな価値観を持っているのではないだろうか。   原作のラストは、ラジオから流れる放送を聴いてそこで語られていた避難所(安全かどうかは読者の想像次第)に向かうという場面で終わるそうで、その場所の名前は”HOPE(ホープ。希望)”。  でも当初は名前をはっきりつけておらず、ファンから抗議があって書き換えたそうで、どちらかというと、ファンが”希望”を抱かせるオチを望んでいたのでしかたなく合わせたということだったのかもしれない。  (「ショーシャンクの空に」もキーワードがhopeでしたからね)   そういえば「ミスト」の原作発表後に作られている  『危険な状況下でラジオ放送で語られる<安全地帯>は安全じゃない』  という法則をはじめて作ったのはひょっとしたら「ミスト」の原作かもしれませんね。    いずれにせよ私がこの後味の悪い映画を何度もついつい見てしまうのは、スーパーという閉ざされた場所で繰り広げられるシチュエーションスリラーとしての面白さにつきる。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2017-06-19 17:51:11)(良:3票)
19.  スケルトン・キー 《ネタバレ》 
弁護士ルークは見るからに怪しくて、絶対あとで悪者キャラを全開させると分かってはいた。  だが、まさかジャスティファイが何人もの人間にとりついてきたその最新バージョンの姿だとは想像もできなかった。  あの屋敷があやしさ100%なのに、なんであのオバアチャンは無理にそこに住んでいるのかなぁ・・・と、不思議に思ったけれど、つまりはあの屋敷でコキ使われていた黒人の召使いが「お屋敷ごと乗っ取ってやったぞ、クワッハッハッハッ!」ってことなのですね。  屋敷の子供たちの体をのっとって身代わりとして殺させたり、屋敷の主の夫妻を死においやった時点で彼らの恨みは晴れたのだから、その後もああやって延々と若い体に乗り移り続ける理由はよく分からなかったのですが、ディズニーの「プリンセスと魔法のキス」もニューオリンズが舞台で、ママ・オーディという200歳設定のブードゥー教の呪術師が登場していたことから想像するに、ひょっとするとニューオリンズの呪術師は”長生き願望”が強いのかもしれませんね?  でもそうなるとギネスの長寿世界一は、常にニューオリンズの呪術師さんってことになって面倒ですね?笑   その「プリンセスと魔法のキス」でも、ブルースが頻繁に出てきたり、黒人、沼地、ワニ、そして呪術が出てきたりしていたのだけど、実際に「スケルトン・キー」で同じものがリアル映像として出てきて、実際のニューオリンズのジメっとした質感が分かって、なかなか興味深かった。  それにしても、あの呪術が載っている本。英語で「パパ・ジャスティファイのレシピ本」と書かれていて、なんだか、のどかな料理本みたい笑  「フードゥー」じゃなくて「マーボードーフ」のレシピとか載ってそう。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2016-03-16 19:34:59)(良:1票)
20.  ハイスクール・ミュージカル2<TVM> 《ネタバレ》 
小学生の娘がお気に入りのディズニーチャンネルではハイスクールミュージカルもそうだし、現在だとティーンビーチムービー、新エピソードはもう出なったがシェキラ!とか天才学級アントファームとか、とにもかくにもティーンの男女が歌って踊る作品がテンコモリである。 で、私てきには、年齢的に、若者のそういった底抜けに明るいハイスクールライフとか軽くて耐えられないジャンルで、「ザックエフロン!?顔がよけりゃいいってもんじゃないよ!高校生役?ティーンとか生理的にムリ!」と思っていた。しかししばらく前に「ヘアスプレー」を見て、「歌って踊るザックええやん!」と、いやほんと、食わずもの嫌いはだめだねと、反省して、ていうかすっかりザックのファンになってしまって、数年前には「ちまたでウワサのハイスクールミュージカル、あれだけは一生絶対に見ることはないだろう」と思っていた作品をいそいそと鑑賞した。はっきりいって、ハイスクールのティーンどもが歌って踊るディズニー映画は、物語の中身についてあーだこーだ言う必要はないのではないかと思った。直感で、そう、右脳でもって、本能的に「イイイイィィィ~!!」って、楽しんだもの勝ちだ。(ということは、歌とか踊りに興味がない人はもうすでにアウトということになるが。)    歌、踊り、私てきには100点満点である。しかしほんとに、ディズニーってアニメでも実写でも、どうしてこうも、音楽がすんばらしいの!?今までほとんどのディズニー映画は見てきたけど、ハズレってのがないのだよね。お気に入りの歌の数の多い少ないの差はあれ、「このディズニー映画の音楽は、どれをとってもいいものが1つもなかった」っていうことは皆無だった。ディズニーおそるべし。 思うのだが、ディズニーのミュージカル映画って、1回見たら、あとはもう、歌って踊る場面だけ見たくてそれ以外の場面は飛ばして見るとか、そういう人多いのではないのか?少なくとも自分はそうなのだけど。  そう思えば、ディズニーのミュージカル映画っていうのは、歌って踊るシーンを盛り込んだミュージックビデオが、ストーリーでつながれたものだと言える気がする。つまり、中身とかはどうでもいい、感動とかそういうのもどうでもいい、とにかく見て聴いてココチいいミュージックビデオ集なのだ。  
[CS・衛星(吹替)] 8点(2015-09-06 19:29:24)
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