映画『ザ・マスター』の口コミ・レビュー

ザ・マスター

[ザマスター]
The Master
2012年上映時間:138分
平均点:6.39 / 10(Review 36人) (点数分布表示)
公開開始日(2013-03-22)
ドラマ
新規登録(2013-02-01)【放浪紳士チャーリー】さん
タイトル情報更新(2018-12-23)【Olias】さん
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監督ポール・トーマス・アンダーソン
キャストホアキン・フェニックス(男優)フレディ・クエル
フィリップ・シーモア・ホフマン(男優)ランカスター・ドッド
エイミー・アダムス(女優)ランカスター・ドッドの妻 ペギー・ドッド
ローラ・ダーン(女優)ヘレン・サリバン
アンビル・チルダーズ(女優)ランカスター・ドッドの娘 エリザベス・ドッド
ラミ・マレック(男優)エリザベス・ドッドの夫 クラーク
ジェシー・プレモンス(男優)ランカスター・ドッドの息子 ヴァル・ドッド
ケヴィン・J・オコナー(男優)ビル・ウィリアムズ
ジョシュア・クローズ(男優)ウェイン・グレゴリー
レナ・エンドレ(女優)ドリスの母 ソルスタッド夫人
パティ・マコーマック(女優)ミルドレッド・ドラモンド
W・アール・ブラウン(男優)写真を撮る際にフレディと喧嘩になる男
メローラ・ウォルターズ(女優)バンドのボーカル
小山力也フレディ・クエル(日本語吹き替え版)
後藤哲夫ランカスター・ドッド(日本語吹き替え版)
落合るみランカスター・ドッドの妻 ペギー・ドッド(日本語吹き替え版)
魚建(日本語吹き替え版)
脚本ポール・トーマス・アンダーソン
音楽ジョニー・グリーンウッド
撮影ミハイ・マライメア・Jr
製作ジョアン・セラー
ダニエル・ルピ
ポール・トーマス・アンダーソン
配給ファントム・フィルム
美術ジャック・フィスク(プロダクション・デザイン)
デヴィッド・クランク〔美術〕(プロダクション・デザイン)
衣装マーク・ブリッジス[衣装]
編集レスリー・ジョーンズ〔編集〕
ピーター・マクナルティ
その他ハーヴェイ・ワインスタイン(サンクス)
ディラン・ティチェナー(サンクス)
ケヴィン・トンプソン[美術](サンクス)
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💬口コミ一覧

36.ネタバレ 理解者に依存してしまうのは、誰もがそうだ。彼のように多くの痛みを背負った者なら尚更で、藁にも縋る想いだったに違いない。畑を駆け抜け船に浮遊し、彷徨っていた心は、終盤で疑い、退けようとも、一度信じた神を簡単に捨てることができなかったのかも知らない。あのボコボコにしてしまうフレディの心は、痛みに満ちていた。神を捨て、自らを信じ、自分を受け入れた彼は、振り返ることなくバイクに股がり、蜃気楼の先へ消えていった。そして表層的な美しさや即物的な価値ではない自分の居場所を見つける。この作品の作りそのものが、全現代人に向けたあまりにも尊い祈りに満ちていた。素晴らしい。
ボビーさん [映画館(字幕)] 10点(2013-08-25 07:26:00)
35.ネタバレ フィリップ・シーモア・ホフマン扮する新興宗教の教祖ランカスターは、ホアキン・フェニックス演じる主人公フレディを“息子”として自分のものにしたかった。フレディもまたランカスターに“父親”を見出した。…そう、『ブギーナイツ』や『マグノリア』、前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』などがそうだったように、ポール・トーマス・アンダーソン監督の作品はここでも「父と息子」、「(疑似)家族」をめぐる愛憎劇を繰り広げる。

だが、ある一点において本作は、これまでのPTA作品と根底的に異なる“貌”をみせるだろう。そう、この映画におけるフレディは、もはや誰の“息子”にもなれない男だった。ーーアル中で女に目がない、一見すると単なる負け犬の流れ者。しかし一方で彼は、どこまでも自由で束縛(=家庭)から逃走し続ける、常に「移動する者」でもあるのだ。

常にその肉体と魂を彷徨のなかに起き続ける、フレディ。何という空虚さと孤独。だが彼は、それでも生きていける。これまでも、これからも空虚で孤独でありながら「独り」で生きていける男なのだ。その意味で、すでに彼は師であり“父親”であるランカスターすらをも“超えた”存在なのである。

ランカスターはフレディに、「もし“師”なしで生きられる方法が見つかったら、ぜひまた会いに来て教えてほしい」という。そして「来世で出会ったなら、お前は私の最大の敵となるだろう」とも。ランカスターもまた、フレディが自分“息子”どころか自分すら超越した存在だということを覚っていた。それでも、というかそれだからこそ実はフレディを手放したくなかったホフマンが口ずさむ「中国行きのスロウボート」と、それに対するフェニックスのゆがんだ笑顔。その対比の、何という美しさだ・・・

フレディ、このこのアル中で情緒不安定で暴力的だが、どこか愛さずにはいられない“1950年代のハックルベリィ・フィン”。この真の意味で「自由」な人物像を造型し得ただけでも、この作品と主演のホアキン・フェニックスは映画史上のものだ。彷徨する魂と肉体にこそ己の存在理由を見出す「アメリカ(人)」の心象風景をここまで鮮やかに映像化した作品など、ほとんど空前絶後ではあるまいか。ともあれこれは、21世紀に入ってから今に至る最高の「アメリカ映画」だと、ぼくは確信している。
やましんの巻さん [映画館(字幕)] 10点(2013-03-25 11:35:50)
👍 1
34.ネタバレ どこかの批評で「PTAは映画に愛されてる」「映画を撮るために生まれてきたような監督」という論を読みましたが、正にその通りだと思います。とにかく各シーンが強烈なインパクトを有していて上映後も何度も反芻してしまう。この辺りの感覚はキューブリックの映画に近いと個人的には思っていて、全体的にシンメトリックな画作りに拘っている点が両者に共通しているのも面白い。
本作では特に前半部の長回しが強烈で、フレディの働く写真屋(ブティック?)をコートを纏った女が歩き回る場面や、"マスター"ことトッドがフレディに催眠(あえてそう呼びます)をかけフレディが過去を吐露する場面は、計算され尽くされた画と役者の卓越した演技力に目を釘付けにされます。
前作の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と同様に役者の狂ったような暴れっぷりも本作の魅力の一つで、特にホアキン・フェニックスのリビドーが溢れ出した様な演技は圧倒されつつもついつい笑ってしまう名演だったと思います。
ストーリーは獣の様に生きていた男、フレディを新興宗教の教祖であるトッドが治療しようとするという話で、そのお話自体もフレディが最終的に宗教と決別する展開などは実に良いのですが、この映画のストーリーはある種現代社会の縮図として作られていると思います。何時も猿のようにセックスのことしか頭にないフレディは大衆(愚衆)の象徴で、それを自らの道に導こうとするトッドは所謂近代的国家の象徴。だから彼は説法で「人はこう生きるべきだ」と明確に人の価値観を定義する。そこにトッドの奥さんが絡んでくる。トッドの奥さんは鏡の前で彼のアレを処理する場面で分かる通り彼の手綱を握っている。トッドと奥さんは二人で一つの国家を象徴しており、自分の宗教に難癖をつけてくる男に「誰もがそれぞれの考え方を尊重すれば良い」と言うトッドは所謂ハト派、「難癖をつける奴は戦って叩きのめせば良い」と言う奥さんは所謂タカ派。だから奥さんが次第に大衆を象徴しているフレディを得体の知れない理解不能な存在として疎み追放しようとトッドに進言する点も合点がいく。
映画の最後でトッドはフレディに「君は誰にも支配されずに生きる初めての人間になる」と言い彼を送り出しますが、大衆を象徴するフレディの成長(アル中の時と顔つきが全く違う)を"支配から逃れ自由に生きること"としているのも素晴らしいと思います。
民朗さん [映画館(字幕)] 9点(2013-06-09 16:19:34)
👍 1
33.毛皮の女の長回し、まるで水が静かに流れているかの様な躍動。
そしてただただバイクが疾走するだけの躍動。
それらがスクリーンに投影されている。
それを観ているだけで思わず涙しそうになる。
もうそれだけで、この映画は充分に素晴らしいだろうと。
映画とはそういうものだと思うからだ。

なんだか久し振りにこんなにも映画を観ながら熱を帯びて痺れてしまったもので、何よりも最高の光をフィルムに定着させている。あの絶妙な薄暮の中を走る船であるとか、本当に見事なまでに豊かな映画であったと思う。
そして、何よりも、ホアキン・フェニックスがフィリップ・シーモア・ホフマンを睨むように見つめ微笑むあの顔の美しさったらない。彼の熱や精気が徐々に失われ、顔面の脂も抜けて、ただの骨と肉と魂の塊へと姿を変えていく美しさよ。そんな骨と肉と魂の塊が彷徨い、両の眼を涙でギラつかせ、口許を歪ませているだけのクローズアップ、そしてその陰影。

映画は、物語などを超えて、観るという体験として身体に刻み込まれるものだ。
すぺるまさん [映画館(字幕)] 9点(2013-04-22 01:16:46)
👍 2
32.ネタバレ 主役二人の演技に圧倒されました。ひとつひとつのシーンもそのまま切り取って写真にしてしまいたくなるほど美しいです。そしてジョニーグリーンウッドの、もはやギタリストの枠組みではとらえきれないような音楽も素晴らしいです。自分にとってはこの点によってだけでも傑作にしてしまいたいくらいです。
しかし、自分にはこの映画のテーマがいったい何かがつかみきれません。主役二人の演技には圧倒されましたが、彼らは少なくとも共感とは程遠い存在です。その一方で両者ともにどこか人間臭さを感じました。フレディは少女に対する純粋な恋心を持ち、マスターは自らの宗教の教義に関する妥協を選択するのです。
マスターとフレディはいったいどのような関係だったのでしょうか。少なくとも、シンプルな師弟関係ではありません。それを示すようなラストの二人の会話。劇中では誰よりもお互いを理解し合っているようでしたが、一方で最大の敵同士にも成り得たのです。マスターのもとを離れ、最終的にどのコミュニティにも属していないフレディに今後平穏は訪れるのでしょうか。
新興宗教ものの映画と思って見に行くと肩透かしを食らうかも知れません。おそらく人とのかかわりあいや集団に属することについての、何かより普遍的なテーマを感じました。なんだか村上春樹の小説を読み終えたような気持ちになりました。
正直、一回見ただけではよくわからなかったので、時間をおいて再度鑑賞したいです。
やっぴーKさん [映画館(字幕)] 9点(2013-04-16 23:26:46)
31.またPTAはとてつもない映画をつくってしまった。そのことはよくわかる。正直いまは頭の整理がつかない。
とりあえず9点にさせてくれ。
idekoさん [映画館(字幕)] 9点(2013-04-03 18:08:23)
30.ネタバレ 初めに述べておくと、これは傑作である。しかしどうにもつかみどころがなく、この映画を映画に即して観て考えることは非常に困難だ。様々な観点からのこの映画の批評を期待するところである。私は二つの表面的な点だけを指摘しておきたい。まずオープニングから、海。元はふかい青、緑のような色であった海に、船の立てた泡が白く混ざり、何ともいえぬ淡い青になっているオープニングから心をつかまれる。これはオープニングだけでなく、劇中で三度ほど出てきているので、恐らく重要なシーンであろう。船も何度か出てくる。そして被写界深度の浅さである。非常に浅い。特にフレディが最初にコーズの船に乗り込むシーンは、まず手前のフレディ、そしてフレディがぼやけて船、そしてまたフレディ、というように被写界深度の浅さが効果的に使われており、意図を感じる。後半はそれほど浅さを感じることはなかったのも一つのポイントだろうか。全体として、この映画はなんだかよくわからない。宗教団体コーズを描いているが、この映画から宗教的な香りはしない。では世俗的な人間ドラマなのだろうか。恐らくそれも違う。事態はもっと複雑で、恐らくこれは宗教的ならざる神秘性のようなものを描いているのではないだろうか。これは振り返ると「マグノリア」のテーマであったようにも思う。そしてこの映画におけるその神秘は、フィリップシーモアホフマンでも空から降ってくる大量のカエルでもなく、フレディ自身なのである。
Balrogさん [映画館(字幕)] 9点(2013-03-28 19:06:54)
👍 1
29.1950年代の狂ったアメリカが物凄く怖い。
緊張と解緊を繰り返す二人。胸苦しい不安で耳を塞ぎ目を堅く閉じたくなる。
それでも終わって席を立てないほど涙がとまらない。
mimiさん [映画館(字幕)] 9点(2013-03-28 16:26:40)
28.ネタバレ 心に傷を負った男の魂の彷徨。

フレディが入信したのはマスターのカリスマ性ないし父親の面影に惹かれたのであって、宗教は二の次だ。
逆もまた然り。
マスターは自由奔放なフレディに憧れを抱き、お互いに足りない部分を補い合う共同体の関係を匂わせる。

しかし、それは双方が未完成の存在であることと密着し、フレディの余りある力が、
マスターの王国を破壊しかねない危うさも持つ。
だからこそ、黒幕的存在の妻が王国の存続のために男二人を操ろうとする画策が垣間見える。

最終的に二人は袖を分かつ。
残りたくても己の本能が拒否する矛盾、引き留めようにも手の届かない焦燥感、
それぞれが完全になりかけた瞬間、臓器移植の拒否反応のように共同体でなくなってしまった。
"救い"から見放されたフレディは、これからもダンスする相手を変えるように、
現実に存在しない"砂の女"を求めて彷徨い歩くのだろう。
いや、他者承認されずとも生きられるありのままの自分=ニーチェの提唱する"超人"と見るべきかもしれない。

ホアキン・フェニックスの"動"の怪演、フィリップ・シーモア・ホフマンの"静"の怪演の摩擦が恐ろしくも凄い。
重厚な画作りが不安と翳りの50年代アメリカを更に浮き彫りにさせる。
Cinecdockeさん [映画館(字幕)] 8点(2015-11-28 01:41:33)
👍 1
27.ネタバレ なんとも不思議な映画だ。けど分かる。これはマスター(教祖)と呼ばれる男と主人公との友情の物語だ。偶然、マスターのもとに転がり込むが、戦争で受けた傷を治せず、マスターの教えにも染まらないまま、憑かず離れずにいる主人公。いったい何を考えていっしょにいるのか、初めから終わりまで(正確には終わり近くまで)分からないまま映画は続く。二人の関係について考えてみた。およそあらゆる宗教の教祖や、なんらかのイデオロギー団体でそれなりの地位を保っているほどの男なら、心のどこかで、もちろん無意識にだが、自分のかかげる教義が嘘であること、言わば人の心を救う作り話であり、そういう理論装置でしかないことを知っているのではないだろうか。だから「マスター」は、この男を見限れないし、信頼もしている。簡単に主従関係に入ることで心の安定を求めようとしないこの男の自由さに友情さえ感じている。主人公の自由で、自分になびかない、訳のわからない魂に、自分と合い通じるものがあることを感じ取っているのだ。さて、ほとんど何を考えているかわからないままの、そしてどこか異常なままの主人公は、マスターが最後に、もう一度戻って来い、一緒にやろうと提案した時、初めて苦しい選択に迫られた表情を見せる。これ一回だけだ。しかし男は自由な生き方を選ぶ。どんなに貧しく惨めな孤独でも、一人で生きる…自由に生る…、そんなつぶやきが最後に甘い歌に乗って響いてくる。終わる直前まで、暗く憂鬱なだけの映画だったが、かすかにかすかに…おかしみのような哀しさが伝わってくる。(ちなみにカルトの話というと敬遠しがちな方のために一言述べておくと、マスターの教義はけっして狂信的なものではなく、一言でいえば輪廻転生みたいなもので、どこかにこんなのが一つや二つ現われてもいいなあ…と思う程度のものです)。
さん [DVD(字幕)] 8点(2014-07-27 18:55:40)
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26.ネタバレ 映画を見てその世界観に夢中になるのって、カルト宗教に入り込むのと似ているような気がします。「カルト映画」と呼ばれる作品も沢山ありますしね。

イベントや講演などで、映画監督の話を聞いたり直接話したりした時に、ある種の映画監督には良く言えばカリスマ性、悪く言えば詐欺師のような雰囲気が漂っていたのが印象に残っています。自分のマインドをヴィジュアルに落とし込むために沢山のスタッフを「その気」にさせなければいけないわけだから、自然とそうなるんでしょう。そういう監督にはごく一部に熱狂的な信者が沢山いるのも、カルト的ですね。特に学生のような、自力で築き上げた生活基盤を持っていないようなヤツはイチコロです。

おそらくこの映画の主人公も、地に足が着いていない、海の上でユラユラ漂っている状態でマスターと出会ったんでしょうね。外界から遮断され、ある程度の長い時間そこで過ごす軍艦やフェリーは、なんだか象徴的な舞台になっています。

後半からは主人公以外の信者も出てくるんですが、それらが「熱狂的な映画ファン」とそっくりそのままなのも、ちょっと面白かったです。
新参のファンを「にわか」と言ってみたり。心酔するあまり、「前の作品とちょっと違うんですけど・・・」と落胆したり。「作品よりも作家そのもののほうが面白いんだよね」なんて言うヤツが出てきた時は笑ってしまいました。

最初は「カルト宗教」なんて自分には馴染みが無いし、面白いのかなと思いながら観ましたが、んなことぁない!自分のすぐ目の前にある世界そのものじゃないか!と思えて面白かったです。
ゆうろうさん [映画館(字幕)] 8点(2013-03-31 23:06:43)
25.ネタバレ 孤独なフレディを見守る、ちょっといかがわしそうな(?)集団。
独特の心の癒し法で、多くの共感を生んでいく。
教祖の化けの皮がはがれる映画かなと思って観てたら、
フレディが新たな幸せをつかむとこで、映画は幕。

支えだった女友達が、実は既に結婚していた。
でも喪失感におぼれるフレディを、怪優シーモア演じる教祖は、
見捨てなかった。

ラストのエンドロールで流れる、運命の出会いを祝福するかのような
やさしいメロディに泣けてしまう。
トントさん [DVD(字幕)] 7点(2021-03-28 21:54:34)
24.ネタバレ PTA監督、またまた恐ろしい映画を作ったなあ。新興宗教モノの定番で主人公が教祖にハマっていく展開かと思いきや、ホアキン・フェニックス扮するフレディは、フィリップ・シーモア・ホフマン扮する「マスター」のランカスターに心酔してるようでいても、彼自身の根本的なキャラは最後までブレないまま終幕。ある意味、これまで完全な社会不適応者だったフレディに唯一向き合うことで、これまでの思想や理論を、よりトンデモな方向へと深めて、変わっていくのはランカスターのほうだ。「深く関わっているのに平行線」という数学的にはあり得ないのだけれど、人間関係においては、ある種の「本質」を突いている。それにしても、PTAの作風は、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以来、変わってしまったなあ。個人的には、カタルシスもドラマもある『マグノリア』風のほうが好きだけれど、こうゆう重厚で演技も映像もキレまくっているのも、なんだか脳のいつもと違うところが刺激されるようで悪くない。贅沢をいえば、いまの「一見さんお断り」な雰囲気は少し和らげてほしいなあとは思うけど。
ころりさんさん [CS・衛星(字幕)] 7点(2017-04-02 23:23:05)
23.ネタバレ ○どことなく深夜に見たい映画。○長回しの会話シーンが多くある今作において俳優の演技力が試される部分もあるが、特にホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマンはそれに余る活躍をされた。素晴らしかった。フィリップ・シーモア・ホフマンが亡くなられたのは本当に残念だ。
TOSHIさん [CS・衛星(字幕)] 7点(2014-05-06 18:57:32)
22.ホアキン・フェニックスの「風貌」が全部すごい。
眉間の深い皺、深く窪んだ目、背中の曲がり具合、腰に手を当てる独特の姿勢、主演俳優の完璧な“役作り”そのものが、この映画のハイライトであることは間違いない。
映画とは「人間」を描くものであり、時には、そこに息づく人間の姿そのものが、ストーリーを凌駕して脳裏に焼き付く。この映画は、そういうタイプの作品だったと思う。

「映画」として面白かったかというと、必ずしもそうとは言い難い。想像以上に分かりにくく、腑に落ちない要素が多い作品だったと言える。
主として描かれるのは、トラウマを抱えた帰還兵である主人公と、彼が師事した新興宗教の教祖、この二人の人間模様である。
この二人をはじめとして登場人物は限られており、極めて限定的な人間関係を描いているにも関わらず、主人公らの言動の真意が非常に汲みづらかった。

ふいに出会った二人が明確な理由なく惹かれ合っていく最初の船室での対峙シーンには、見応えと説得力があった。
ホアキン・フェニックスとフィリップ・シーモア・ホフマンという、ハリウッドでも指折りの巧い俳優同士の抜群の演技力を堪能できるシーンだったと思う。

ただし、そこから繰り広げられるこの二人の男の衝突と絆の様には、意思が読み取れない部分が多々あり、一転して説得力に欠けて見えた。
己の理解力の無さも勿論あるのだろうけれど、やはり脚本が脆弱性も多分にあると思わざるを得ない。

俳優らの演技は終始素晴らしいし、卓越したカメラワークによって映し出されたシーンはどれも心に染み入ってくる。
ポール・トーマス・アンダーソンの映画を観るのはこれでまだ3作目だが、1970年生まれのこの監督が、「巨匠」と呼ばれ始めるのにもはやそう時間はかからないことは明らかだろう。

だからこそ、今作についても、脚本にもうほんの少しの訴求力があったなら、きっと「傑作」になったに違いないと思える。惜しい。

ただ、この映画のホアキン・フェニックスはきっぱり凄い。それだけは何度でも言いたくなる。
鉄腕麗人さん [ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-12-03 01:00:19)
21.「ブギーナイツ」「マグノリア」が好きです。「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」も理解できます。しかし、この「ザ・マスター」は難しい。誰でもマスターは必要だし、それを求める人間、そこに救いを求める人間の心理も理解できます。けれど、それを素直に描いたら映画としてのエンタテイメントは無いですね。いい映画だけど、楽しめない、感動もできない、そういう映画です。ホアキン・フェニックスはものスゴい!
カワウソの聞耳さん [映画館(字幕)] 7点(2013-03-28 21:56:03)
👍 1
20.ネタバレ あらすじを見て結構自分好みの題材で期待していたんだけど、実際は想像していたよりこじんまりとしたお話でした。面白くない。ただ面白くはないけど内容は素晴らしいと思う。2時間近くおっさん二人の濃厚な関係性を描くだけ。最後のエンディングを迎えて、あぁ、これはフレディの魂の救済に向かう彷徨をを描きたかったのだなということが分かった。おそらくだけど最初の内は新興宗教という設定も物語上は機能はしているが撮っているうちに孤独な男の救いがどうすれば得られるのかという監督の思いが強く前面に出てしまった様な気がする。フィリップ・シーモア・ホフマンの教祖様っぷりもすばらしいのだが、やはりフレディという主役の人物造形がリアルでそれを見事に演じきったホアキン・フェニックスの演技が素晴らしかった。銀獅子賞受賞と聞いてなるほどねとは思う。
エリア加算さん [インターネット(字幕)] 6点(2021-02-11 23:19:34)
19.とても続々する映像がいくつもあり、上質な映画ではあったけれど
残念ながらストーリーが面白くなかった。
aimihcimuimさん [DVD(字幕)] 6点(2014-09-07 14:01:34)
18.貫禄を見せるフィリップ・シーモア・ホフマンと、彼に全力でぶつかっていくホアキン・フェニックス。そして、影の実力者らしき静かな存在感を見せつけるエイミー・アダムス。確かに、彼らの演技合戦は素晴らしいレベルに達しており、見て損のない映画に仕上がっています。その一方で、この映画が一体何を言いたかったのかという点については腑に落ちない点が多く、アカデミー賞で演技部門には複数ノミネートされたものの、作品内容に係る部門でのノミネートがなかったという評価には、非常に納得がいきました。。。
本作はサイエントロジーの設立から拡大までを描いた作品だということで、本国では大きな論争を生みましたが、実際には、宗教や信仰というものはそれほど大きく扱われていません。教祖様の教えは科学と宗教を折衷したインチキ臭いものだが、アル中の主人公・フレディは、そのデタラメな教えによって人生を救われてしまう。この点を深く掘り下げれば、「信仰とは何か?」という哲学的な映画になったはずなのですが、勿体無いことに、本作はその点を見事にスルーしているのです。では本作で何が描かれているのかというと、インチキ教祖と信者の間に生まれた謎の友情。暴力に訴えてでも教団と教祖様を守ろうとするフレディは完全にイカれており、教祖様の周囲でも、「あの人はヤバいから切ってしまおう」という声が根強いものの、なぜか教祖様はフレディに対して特別な思い入れを持ち、決して切りません。フレディもフレディで、教祖様の巻き添えを食って留置所に入れられた時には、「なんだよ、この教え。インチキじゃないか!」と信仰をはっきりと否定するものの、その後も教祖様と行動を共にするという意味不明さ。本作は信仰の物語ではなく、異常者同士の歪んだ友情を描いた物語なのです。。。
しかし、二人の間の友情がどうにも消化不良。監督が言わんとすることは頭で理解できるものの、ドラマチックではないので心に響いてこないのです。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の仮想的な親子関係や、『マグノリア』の憎んでも憎みきれない肉親への愛情物語などと比較すると、PTAの演出は随分落ちたなと落胆させられました。撮影技術や役者への演技指導といった表層的なスキルについては熟成を感じさせられるものの、主題の煮詰め方については、寧ろ退化しているように感じました。
ザ・チャンバラさん [ブルーレイ(吹替)] 6点(2013-11-10 02:41:42)
17.ネタバレ う~、難しいですねぇ、、、。難しいというのは、話が難しいのではなくて、言わんとすることが掴みにくい、という意味です。前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は何から何までよく理解出来たのですが、主役二人の関係が微妙すぎてどうにも最後まで乗れず、、、。いや、主従関係、ある種擬似的な父と息子というものだとは思うんですよ。ドッドはフレディを更正させることを目的として取り込み、フレディはドッドから逃れたい、でも逃れられないみたいな、そういうところを常に揺れ動いてる。そういう父と息子の関係を教祖と飲んだくれで表現してるんだと思うけど、、、でも度々あるあの熱い絡みと抱擁。なにが二人をそういう関係にさせてるのか、う~む。
あろえりーなさん [DVD(字幕)] 6点(2013-10-10 21:45:48)
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【点数情報】

Review人数 36人
平均点数 6.39点
000.00%
100.00%
200.00%
338.33%
438.33%
5822.22%
6616.67%
7513.89%
838.33%
9616.67%
1025.56%

【アカデミー賞 情報】

2012年 85回
主演男優賞ホアキン・フェニックス候補(ノミネート) 
助演男優賞フィリップ・シーモア・ホフマン候補(ノミネート) 
助演女優賞エイミー・アダムス候補(ノミネート) 

【ゴールデングローブ賞 情報】

2012年 70回
主演男優賞(ドラマ部門)ホアキン・フェニックス候補(ノミネート) 
助演女優賞エイミー・アダムス候補(ノミネート) 
助演男優賞フィリップ・シーモア・ホフマン候補(ノミネート) 

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