1. ジャンゴ 繋がれざる者
《ネタバレ》 うーむ、純粋に賞金稼ぎしている前半は面白いと思ったんだけど、後半の奥さん救出劇になると微妙な感じになってしまった。 …ヴァルツ扮するドイツ人賞金稼ぎはちょっといい人過ぎ。もっとクールでしたたかなほうがいい。奥さん救出も、ベタだけど、ヴァルツのボランティアではなく賞金稼ぎの仕事繋がりのほうが自然じゃない? …ディカプリオも極悪人っぽく描いていたにしちゃ、騙されちゃいそうになりながら「お金を払ってくれればいいよ」的な締め方しようとしてるし、意外といい人じゃんって思いそうになった。(まあ、あのあと皆殺しするつもりだったのかもしれないけど) …主役の魅力は青い服着て馬にまたがっていたあたりが最高潮って感じ。悪徳な黒人奴隷商人の必死の演技はなんだかワケわからず結局あまり必要性を感じないものだった。 …ヒロインは愛しい人に再会した時は嬉しさで気絶するほど可憐でありがら、エンドの大殺戮を背に満面の笑みでラブシーンを披露する気丈な女に成長… いやいや、こういう些細な違和感が問題ではないのだ。 惜しくらむべきは、こういうのを吹き飛ばすようなぶっとんだ爽快感が、この映画にないこと。 「いろいろ考えている」「手が込んでいる」ていうのはわかるけどそれがなんだかカラ回りしているような感じ… 映画が進むにつれて「もっと単純にドカーンと楽しませてよ!」っていうストレスを感じちゃった。だってそういうジャンルじゃないの?マカロニ・ウエスタンってさ! [映画館(字幕)] 6点(2013-03-04 13:03:04) |
2. ジャック・サマースビー
《ネタバレ》 辛口の批評も多いようですが、映画の内容はそんなに悪くないと思います。主人公のモラル云々も元々それほどの人間ではなく、今までの自分をリセットしたいという願望の現われと見ればソコソコ納得できる。他人になりすまして財産を勝手に売却しちゃうだの、それを知ってて知らぬ振りする町の人なんてけしからんと言う意見もあるようですが、逆にワタシには「リアルでいいな」と映りましたけどね。 実際戦後って混乱しているもんだから、「顔がそっくり」ってのはさておいて「なりすまし」みたいなことって起こっていたかもって気がしてしまうし。要はその「なりすまし」という詐欺を、周囲が皆で容認するか否かで「ウソかマコトか」「善か悪か」が決まってしまう。そういう混沌たる社会の姿を何気に描けていてワタシ的には好印象でした。甘いメロドラマかとおもいきや、なかなかの良作じゃないかと。 (それにしても、あーあまた振られ役かよ、ビル・プルマン。それもかなり形振り構わぬ執着ぶりを披露しちゃう悪役ぶりで、密かにファンのワタシとしてはちょっと悲しかったです。口直しに「あなたが寝てる間に・・・」でも借りてきて観ることにでもしましょう、ぐすん。) [CS・衛星(字幕)] 7点(2008-04-03 12:45:30) |
3. ジュリア
《ネタバレ》 完全に主人公リリアンの目からのみ描かれるタイトルロールのジュリア。彼女が実際何を為そうとしどんな危険と隣り合わせていたのかは、私たち観客もリリアン同様最後まで知ることはない。その謎だらけの描き方がかえってジュリアを究極の理想の彼方へ高めてくれる。私たちもリリアンと同化しジュリアの身を案じその魅力の夢中になっていくのだ・・・こうしたリリアンの「尋常ではないジュリアへの憧れと美化」にフィクションの匂いを感じながらも、それでもこの映画を好きにならずにはいられない、そんな女性はいっぱいいるだろう。 「心から尊敬し心酔する友の不在」 「やりがいのある社会的任務の遂行の難しさ」 「苦悩の中からも自分の才能を開花させる根気強さの欠落」 そんな現実を生きる私たちに浮世の辛さを忘れさせ明日への活力を与えてくれるこの映画は現代の女性のためのファンタジーだ。 もっとも実際、もしこんなすごい友達がいたら、私だったら劣等感ゆえきっと疎遠にならざるをえないだろうがなぁ。リリアンという人がそうならなかったのは彼女の偉大さや才能・自信の証ということなのだろう・・・もちろん全ては「この話が実話だとして」の話であるが・・・ [CS・衛星(字幕)] 9点(2008-02-27 12:53:34) |
4. シンドラーのリスト
《ネタバレ》 私はこの映画を戦時における美談モノとしては価値を見出していない。それよりも「非常時において普通の人間はどのように変貌し得るか」というテーマを描いたものとしてみるときにこそこの映画は輝いて見えるような気がするのだ。 実業家オスカー・シンドラーと収容所長アモン・ゲート。二人はこのような非常時でなければ多分極普通の人間としてその生を全うしたのかもしれない。むしろ怪しげな山師的性格のシンドラーよりもゲートのほうがきっと真面目で世間により認められる人間になったとしてもそれは別におかしくもなんともないことだったろう。 だが、この狂気の時代にゲートはその気分で人間をあやめても平気な悪魔になり、山師シンドラーはその財(もともとユダヤ人を助ける羽目になったそもそもの目的)すらも投げ打ってユダヤ人を助けるのに奔走するようになる。この展開は本人すら思ってもみなかったことであったろうに。 悪魔のようなゲートにすら良心の呵責がまるでなかったわけでもなかろう。確かゲートがシンドラーにこんなふうに尋ねるシーンがあった。 「どうして君はそんなに満ち足りていられるのか?」 「それは赦しているからだよ、君にも出来るだろう?」 ・・・君にも出来るだろう?だがそれを実行しようとゲートは試みるも、挫折し、またも些細な失敗をした囚人を虫けらのように殺してしまう。結局はその「赦している自分」に「今更そんなことをしたところで遅い」という悪魔の声がささやいたのかもしれない。今更!オレはもうとりかえしのつかないところまできてしまっているというのに!そんなことをしてどうなるというのだ?!と・・・ 狂気の時代は、平凡な人生を送るはずだった人々を悪魔のような大悪人にもし、その反対に信じられないような善行を積むきっかけを与えたりする。もしも、もしも私がそのような時代に不運にも生きなければならないことになったら、そしてもしも普通の凡人の道を踏み外さねばならない事態になったとしたら、どうか悪のほうではなく善のほうに足を踏み出せるように・・・その勇気がひとかけらでも私の中にありますように・・・と、そんなことを考えさせてくれたのがこの映画。偽善的・あからさまな賞狙いなどいろいろな批判もある中、確かに私にとってはそれ以上のものがあったと、私自身は確信している作品である。 [映画館(字幕)] 7点(2007-10-15 17:23:05)(良:4票) |
5. 十二人の怒れる男(1957)
《ネタバレ》 うーん面白い!こんな地味な映画なのに引き込まれてあっという間の一時間半でした!・・・って観終わった直後思ったのですが、冷静に考えると「いや待てよ、結構ムリな展開じゃないか」とも思えてくるんですよね(笑)。 例えば「暴力をふるうような父親を殺した少年に対し普通に死刑が求刑されてしまうこと(いくら尊属殺人だからって厳しすぎやしない?、アメリカってそういう国なの?)」とか「有罪の証拠がかなり怪しいのも事実だが、無罪かもしれないという主張だって全てあそこにいる素人の推定によっているだけだということ(いくら「疑わしきは罰せず」が民主国家の司法の大前提だとしても、現実的に考えるとその辺に殺人者がゴロゴロ野放しになるってことにもなりかねないのだし)」だとか。 多分この映画の真髄は、被告人の無罪を立証する論理的緻密さやリアリズムやアッと驚くような謎解きなどではないのでしょうね。11対1の評決を0対12にひっくり返す爽快感だけの映画だったらうそ臭くて観ていられない。それよりもむしろ全く違った12人の男たちそれぞれが望む望まざるとに関わらずその信念を互いに検証せざるを得なくなる過程の心理描写と、このような状態において自分ならどのようにするだろうということを観るものに考えさせてくれる点、そこにこそこの映画の価値があると思うのです。 もっとも、もしもこの映画が2006年製作だと聞いたら、きっともっと「うーんおかしい」とか「もっと綿密に練られた脚本じゃないと納得できない」とか思う気もしますが。そう思わせないのは、古典だの名作だの言われる作品の強みってものなのかもしれませんけどね。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2007-04-05 12:17:14) |