241. アンビリーバブル
《ネタバレ》 ホアキンは出すぎではないだろうか。一時のニコール・キッドマンに感じたような「見飽きた」感がそろそろ湧いてくる。 売れっ子ホアキンにしてみれば箸休め的な参加とも思われるこの作品、余裕の表情で語るホアキンに比べ、クレア・デインズはかなり消化不良でストレスがたまっているように見うけられた。不条理には向かない女優さんかもしれない。 しかし、見るほうにしたってこれを消化するなどということはほとんど無理。消化など考えずに「雰囲気」だけ味わうのが無難である。 監督・脚本のヴィンターベアが飛行機で世界中を飛び回るという地に足の着かない生活を送るうちに、このアイディアを思いついたという。 それは何かというと「この世界が自明のものではなくなるのではないかという漠然とした不安」であり、それを映像化したということだ。「不条理」である。 「孤独になると心臓が悪くなって死ぬ」も「7月に雪」も「ウガンダで人が飛ぶ」も「妻のそっくりさんが3人出現」も、それ自体に大した意味があるわけではなく、すべて「漠然とした不安」の現実化なのである。しつこいようだが不条理なんである。 がここに、「不条理」と「退屈」は紙一重である、という危険がある。 例えばスコセッシの「アフターアワーズ」では、「不条理」を描いて「退屈」を遠ざけるに足る「芸」が凝らされていたと思う。「不条理」を描くには「だからなんなの」と観客に言わせない「芸」を必要とする。 残念ながら、「雰囲気」は充分出した本作だが「芸」があったとは言えない。 「スケート」という要素にしても、「なぜスケートでなければならないのか」を観客に納得させるだけのものがなく、「単なる思いつき、監督の趣味」の範疇を出ない。 「孤独になると心臓が悪くなって」の部分などは、それこそ邦画「回路」のパクリとしか思えぬ。 「回路」のテーマは「生きてる人間は助け合え」で、本作の場合は「愛こそすべて」。…似たり寄ったりである。 全体としては、「回路ヴィンターベアバージョン」といっていい作品である。が、やはり経験不足ということなのか、資質の問題か、己の思いつきを適当に散りばめたのみ、という結果。おしゃれな店などで、バックグラウンドに流しておくにはいいかも、という程度。「不条理」から「退屈」を遠ざけるには、この監督さんには荷が重過ぎた。 [DVD(字幕)] 5点(2007-03-10 00:01:21)(良:1票) |
242. ロード・オブ・ウォー
《ネタバレ》 ユダヤ人のふりをしてソ連から移住してきたというオルロフ一家は、家名からして偽名、最初からウソを背負っているわけだ。ユーリの父は、ウソと事実の隙間を少しでも埋めようと、熱心なユダヤ教徒になる。ウソの量の多さに耐え切れないということだ。 しかしユーリは違った。ウソを空気のように吸って育った彼には、ウソに対するアレルギーなど全くない。誰もがウソをつくのが当たり前で、自分もウソをつくわけだから、他人にウソをつかれても本心からは怒らない。彼は長じてシニシズムの権化のような人間となり、ウソの上に築かれた関係こそうまくいく、という信念を持つに至る。本作では、これが死の商人ユーリを成立させた背景とされている。 当然女を落とすのもウソを利用するわけだから、妻に対してもウソをつきつづけ、貧乏移民の子としての本当のユーリの姿をさらすことができるのは、弟の前だけだ。それが「戦友」という弟との呼び交わしの意味である。 いついかなるときもシニカルなユーリは、判断を誤ることがない。それで銃弾が飛び交う現場へ行っても、余計なトラブルに巻き込まれず常に生き延びる。そんなユーリの負の部分を引き受けてしまったかのように、弟ヴィタリーの精神状態はおかしくなっていく。 妻エヴァに「なぜ商売をするのか」と問われたユーリの答えは、「俺には才能があるからだ」というものだ。ウソに対する抵抗がなく、ウソとウソの間を自由自在に泳いでいくことができる、それが非合法な武器商売に必要な「才能」であり、自分にはそれがある、ということだ。「才能」があるから、それを生かしたくなる、それが「ネイチャー」というものだ、とユーリはいう。 しかし、さしものユーリも妻のウソだけは見破ることができなかった。これで万事休す、と思ったら間違いで、監督アンドリュー・ニコルは、薄っぺらい勧善懲悪ドラマなどは排している。 ニコラス・ケイジは好演していて、ラストのイーサン・ホークとのやりとりでは寒気がするほど鬼気迫る。逆にイーサン・ホークは単なる正義派の刑事の枠を超えず、人物に幅がない。 もともとそういう目的で作られたとはいえ、ラストで常任理事国の国名を並べて非難するなどは、映画としての出来を損ねる気がして残念だ。政治的メッセージをあからさまに出すのはいつでも逆効果と思うのだが。 [DVD(字幕)] 7点(2007-02-24 15:58:46)(良:3票) |
243. ザ・フォッグ(2005)
《ネタバレ》 なんだかとても惜しい気がする作品だ。 これは、悲劇と夫婦愛の話であるから、怖いとかそういうことを期待してはダメなのだ。 なんといっても、現代っ娘としての自分と、よみがえる前世のブレイク夫人としての自分との狭間で翻弄されるエリザベスをどう描くかという脚本演出、そして女優さんのウデにかかっているわけだ。 それは、ニックのガールフレンドとしてのエリザベスと、19世紀に生きるやり手の商人ブレイク船長夫人としてのエリザベス、それぞれの男性の吸引度を秤にかけてもらわなければならない。 が、どちらも中途半端なんだよなあ。だいたいニックというのが単なるハンサムのスケコマシ、ブレイク船長とは、ハナから太刀打ちできぬ軟弱な奴だ。これでは、「どちらの男性を選ぶか」などと悩む必要もなし。ドラマにならない。ブレイク船長というのが…この俳優さんは誰だか知らないがこの作品の中では格の違う出色の出来なのだ。しかも、ほとんどセリフなどないに等しいというのに、そのたたずまい、もう、目いっぱい「19世紀」している。なんでもうちょっとガイコツじゃない通常の場面を増やして、エリザベスとの夫婦愛を表現しないかなあ。惜しすぎる。 そして、エリザベス役の女優さんというのが、役不足。前世の記憶がところどころよみがえるという場面の後では、自分でもワケのわからぬ「過去の夫」への思いに、とらわれている様子を表現してくれなくては。単に「何かマボロシを見ちゃったわ」とか思っている場合じゃないのだ。物語のキモなのだぞ。 子々孫々タタられても仕様があるまい、というような悪業を犯しておきながら、リベンジに来られたと思ったら、妻を取り返したら気が済んで帰っちゃった、というオチにするならば、それほどの「夫婦愛」をきっちり描いておいてくれないと。例えば、この夫婦は結婚して5年くらいでまだ子供も居ないようだから、「移住したら、子供を何人作ろう」とか、「庭を作って、花の種を植えたいわ」とかさ。 全般に、「あらあらそんなわざとらしいハマり方して」というような凡庸な演出であり、複線の張り方にも工夫がない。監督の力量は知れている。 が、ラスト、結婚時のポートレートで終わったことは誉めておきたい。これはよくできたいい写真だった。ここはエリザベスも毅然としたいい表情だったね。ブレイク船長役の人はとにかく素晴らしかった。(ガイコツじゃない時の) [DVD(字幕)] 6点(2007-02-24 00:09:12) |
244. M:i:III
《ネタバレ》 かなりよろしくない。ちょっと驚いてしまうほどに。 トム・クルーズの出演作であるから、それなりのクオリティを期待してしまうのだが。 脚本が無茶苦茶すぎる。 トム自身のオーラで保たすのも無理なくらいに、全編これ茶番としかいえない。 「3」でのイーサンは、「弾のほうがよけてくれる」状態でありほとんど無敵になってしまっていて、荒唐無稽なアクションをすんなりこなされても、なんの感動も覚えぬ。 また、ここにきての「トムのオーラ」についても、若干の疑問が残る。ちょっと顔を直してはいるようだが、どうも焦点が合っていないような、浮世離れした感じがする。「コラテラル」では確かに感じた「お宝感」に欠ける。 監督が凡庸にすぎる。「減点をもらわないように」というポリシーで撮ったように思える。 フィリップ・シーモア・ホフマンも、「最も凶悪な犯罪者」とわざわざ言われないとわからないくらいに地味。ミスキャストと思う。フィッシュバーンにしても、「なんで出たのか」と思うくらいに存在感が薄い。極めつけは、黒幕というのがあんな情けないヘタレキャラのうえ、おおむねバレている。…どこをどうしたら良くなるとかいうレベルを超えたダメさである。 それにしても、「2」で仲良くなったアジア系の女とは別れたのかイーサンよ。だいたい、自ら育てたブロンド美人から、栗色の髪の女(しかもブス)に乗り換えるって、それはあんまりにもあからさまではないか。ここの設定に「私生活」まったく関係ないとは言えないでしょうが。 「3」のイーサンは「1」の時の毒と色気を併せ持つイーサンとは別物。「3」のイーサンとは、トム・クルーズの私生活から発生したものとしか思えぬ。「1」のイーサンなら、平凡な女と平凡な幸せなんて、有り得ない。 [DVD(字幕)] 3点(2007-02-12 15:16:25)(良:1票) |
245. ウルトラヴァイオレット(2006)
《ネタバレ》 もうこういうのはいいんじゃないかなあ。 だいたい私は当然コミックを読んでいないし、「ファージ」が吸血鬼だと気がついたのもだいぶたってからだった。 それでまた、シックスとの絡みに無理やりにでも情感を持たせようと、むやみな時間を割くのも勘弁。 これなら、「イーオンフラックス」のほうがナンボかマシだった。 映像は「CASSHERN」を思わせる粗粒子映像がいかにもバカバカしさをそそる。 (シックスをケースで運ぶのは、京極夏彦のパクリではないのか?) [DVD(字幕)] 2点(2007-01-01 15:42:55) |
246. ファイナル・デッドコースター
《ネタバレ》 しばらく映画断ちをしていて、ほんとに久しぶりにみたのがこれだった。 そのせいかどうか分からないが、おお、いいじゃあないか。 死にっぷりが突き抜けている。 ウェンディが異常なほど怖がりに見えてしまうのは、序盤で通常時の彼女を描き足りなかったからで、「もともと怖がりな子なんじゃないの?」という気がしてしまうのが、ちょっと残念だが。 最初は単なるバカに見えていたケビン君が、だんだん締まったいい男に見えてくるところもいいですね。イアンとその彼女も、やさぐれ感がほどよく出て、いい感じ。これ以上グレているのは、私的には許せないが。 やっぱり東洋人の監督さんが撮ると、「外側から見た白人社会」という感じになりますね。これはなにかというと、「輪郭が太い感じ」とでもいうようなもの。自分にとって異質なものだからこそ、「輪郭が太く」なるわけです。 ケビンとウェンディの仲を、必要以上に進展させなかったところも、「サービス」とか余計なことを考えず節度が感じられ、よかったと思う。むしろ、不要な「サービス」を付けるほうが多いからなあ。 なかなか面白いと思いますよ。 [DVD(字幕)] 8点(2006-12-29 22:47:27)(良:1票) |
247. アメリカ,家族のいる風景
《ネタバレ》 私にはつまらなかったです。 単に面白くないというだけでなく、サム・シェパード(主演・脚本)とベンダースコンビに対して、「私にこんなもの見せるな」という嫌悪感を感じたのだった。だったら見なければいいのだけれども。商業映画として公開された以上は、想定外の〝彼らの価値観〟を見せられてしまったことについて、言わねばならぬと思うことがある。 もう、ストーリーなんてものはあんまりにもくだらないのでどうでもいいのだが、「自分の知らない間に何人子供が生まれていた」とか「たとえ一度も会ったことがなくても、血がつながっていれば何かを感じるはず」だとか、つまんない男性の幻想を2時間もの映画にしてしまうことも、大御所のオジサン2人が顔を寄せて考えたとは思えぬあまりにも幼稚な発想だなあ。まさか本気で言ってるんじゃないよなあ。 それから、作り手が「目に見えぬ家族の絆というもの」を持ち上げたいばかりにこれでもかと「物質否定」を繰り返し見せること、これが私には耐えられない。 なにも「家族の絆」を強調したいからって、「モノなんかどうでもいいんだ。モノに意味なんかなにもない。モノなんかこうしてしまえ!」という描写に走るのはあまりにも芸がないうえに短絡的。 〝モノ〟に罪はありません。ハワードにしろアールにしろ、物を粗末にしすぎます。食べ物だって、おいしくいただかなければかわいそうです。お母さんが用意してくれた朝食くらい、素直にいただきなさいよ。お母さんが、大切に磨いて乗っている車は、もっと大事に乗りなさいよ。ゴミをそこらへんにポイするのはいけませんよ、ハワード。それに、たまにはシャワーを浴びて体をきれいにしなさい。 人様に借りているアパートの窓ガラスを、故意に割ったりしてはいけませんよ、アール。そのうえ、窓から家具を放ったりしては、よその人にケガをさせるかもしれないから危ないでしょう。それに、まだ使えるものを、わざわざ壊したりしてはいけません。モノは、使われるために誰かが作ってくれたものなんだから。それに、あなただけの道ではないのだから、自分で散らかしたら、ちゃんと片付けなさい。………と、私の言いたいことは生活指導の先生のようになってしまい、そうか、ハワードもアールも中学生並みの精神年齢ということなんだなあ、などと思う。 シェパードとベンダースコンビには日本のこの言葉を知ってほしい。〝もったいない〟 [DVD(字幕)] 0点(2006-11-26 18:53:51)(良:3票) |
248. ピクチャー・パーフェクト/彼女が彼に決めた理由(わけ)
《ネタバレ》 うっわ、ダメだー。 ここまでダメだと、早送りしつつも我慢して見続ける感じになってしまう。 脚本演出キャストが駄目である。 全体的に、「ブリジョン」のような負け犬系の先行作品と思われるのだが、ここまでダメになるというのは脚本もダメだが、演出がとてもダメ。冗長で平坦でセンスが感じられない演出。 ということは相対的に「ブリジョン」の演出というのはイケていたのだなあ、などと考える。 脚本も演出もイケていないので、アニストンのコメディエンヌとしての必死の努力がものすごく上滑りに見えてしまう。それはもう、見ていて〝イタい〟としか言えない状態だ。 だいたいケビン君を色男キャラに起用するなど、コメディといえども本当に無理だ。 なおかつカメラマンの男も「エキストラじゃないんですか」とうほどのインパクトの無さ。 それでもって脚本のダメさよ。社長がここまで社員の私生活に介入するなど、有り得ないではないか。ナンセンスコメディーで「ウチの社長はおせっかい」とかいうテーマならいいかもしれないが、これはラブコメだよなあ。設定そのものが間違っている。「おまえは結婚していないから、信用できない」などと面と向かって言われたら、セクハラで訴えるか、転職するのがアメリカの女性でしょ。 それを、「そうか、それならそういうフリをして一発かまそう」などと考える女がどこにいる。 「ジェニファー・アニストンは意外に足が太い」「ケビン君の大胸筋は立派だった」というくらいしか感想も浮かばぬ。 どっちかっていうと、お金返してほしいと思うほどの最低の作品だ。(0点でもいいのだが1点はママ役の女優さんに、もう1点はケイトの部屋のインテリアに) [DVD(字幕)] 2点(2006-11-26 14:46:24) |
249. レッド・ドラゴン(2002)
《ネタバレ》 盲目の女性となら、お付き合いができるかもしれない。という犯人の思いつきとそれを行動に移してしまうところ、面白いと思いました。 正直言って、エドワード・ノートンのFBIとレクターのやりとりなんてどうでもいいんです。それよりも、盲目のリーバとフランシスの交際模様のほうがよっぽどスリルがあってドキドキさせられる。 リーバってのは、目は見えないけれど、もてるんですよ。 もしかしたら、〝見えないから〟なのかもしれない。だって、毎朝鏡を見ることがないもの。「今朝はいつもに増してまぶたが腫れぼったい」「ああ、こんなところにもシミが」「こんなに毛穴が広がっていたっけ」などという悩みとは無縁なのだもの。こんなに自信があって自由奔放にふるまえるというのは、盲目であるがゆえの特権といえるかもしれない。 また、彼女のように見えるものに惑わされない女性がフランシスを選んだという事実も、重要な意味があると思う。 これは猟奇殺人をしないではいられなかった変態のフランシスが、盲目のリーバに出会って癒され、二人でどこかへ旅立っていく、という話にしてもよかったのになあ。 もちろん罪の重さを考えると、途中でフランシスが車にはねられて死ぬとか失明するとか下半身不随になるくらいのことがなければ、収まりがつかないけれど。 …ラストのプチどんでんなんか全然なくてもよくて、そのくらいにこの映画はリーバとフランシスのラブストーリーとしての出来が突出して優れている、と思うのでした。 [DVD(字幕)] 7点(2006-11-23 20:51:27)(良:2票) |
250. サイレントヒル
《ネタバレ》 ゲームについては何も知らずに見ました。 どうりで強引な部分があるわけですね。 ただ、冒頭からサイレントヒルに着いてシャロンを探し回っているあたりまで、「これは〝サイレン〟オチじゃないの」と思っていました。おまけにサイレン鳴るしね。なんだか設定も似ているよな、とか。ベネットまでシャロンを目撃しているということは、ベネット自体がローズの別人格なのか?とか余計なことまで考えてしまった。ただ、グッチ警部までもが「娘」と言っているのでやっとサイレンオチじゃないことに気がついた。 ストーリーを全く知らない私の場合は、サイレンオチでないならばあの怪物の意味は?なぜローズは絶体絶命のところで助かってしまうの?「手がかりを見つけた」って、なんでそれが娘の居場所の手がかりだってことが分かるわけ?という疑問だらけとなってしまいました。 ちょっと長すぎるのと、クライマックスの火あぶりおよび針金シーンあたりの見せ方が冗長な感じがしました。ああゆうシーンはえんえんと見せられると「はい、作り物ですね。」という気がしてきてしょうがない。また、ラーダ・ミッチェルがヒーロー気取りで叫びまくるシーンは舞台チック(芝居クサー)な気配もぷんぷんしてきて、閉口した。 クリーチャーが次々出てくるところはなんとなく「ザ・セル」ぽい感じもしました。 この手の映画にしては、そう悪くはないが、手放しで喜ぶほどではないというレベルでしょうか。 お疲れ女優のデボラ・カーラ・アンガーは、あの役にはぴったりだったし、ベネット巡査もイカしていました。女性警官がこんなにはまっている女優さんもめずらしい。やっぱ、女性警官はこのくらいごつくなくっちゃね。あっさりつかまってしまうところは「?」と思いましたが。 が、ラーダ・ミッチェルはあいかわらず好きじゃない。この人はウッディ・アレンの映画で堂々主役を張るわで勘違いもはなはだしい。あんなミニスカートにブーツなんて全然似合わない。他の美人女優たちがみなアクションものに励んでいるのにならって「あたしだって、戦うヒロインぐらいやれるわよ」と思ったか知らないが、ミラ・ジョボビッチやケイト・ベッキンセールやシャーリーズ・セロンとあなたは違うと思う。それは勘違いです。 [DVD(字幕)] 7点(2006-11-23 00:06:42) |
251. 幸せのポートレート
《ネタバレ》 まるでTVドラマを見ているような安さであった。 それでもって、最初から最後まで、「だまされているんじゃないか」というヤな感じがつきまとう。 「このヤな気分の原因は何かしら」病気オチを持ってくるようなTVドラマめいた三流の脚本ももちろんイカんのだが、最大の原因はサラ・ジェシカ・パーカーである。 メレディスというのは、「美人で頭脳明晰でキャリアウーマンなのにメチャ性格が悪い」という役どころなのである。若い頃のシャロン・ストーンクラスの美貌が必要といえば分かっていただけるだろうか。よって、これが成立していないと、すべての設定が崩壊してしまうので、コントか?という気がしてくるのだ。 サラ・ジェシカ・パーカーは美人なのか?断じてNOである。 彼女が主役を張ることが許されるのは、「SATC」というお約束の中だからであって、無関係な映画に出て主役を張るような女優さんではないんである。人気が出た、ということだけで本人も周囲も大きく勘違いしている。 サラ・ジェシカ・パーカーはあくまでも〝キャリー〟として画面に映っているのであって、それはみんなが知っている「そこそこ売れているエッセイストで、田舎嫌いでNY以外のところには住めなくて、靴マニアで、浪費家で、結構いろんな男性と寝ている」女性としてである。「美人じゃないけど、親しみやすい」キャリー、なのである。 メレディスが美人じゃなかったら、なんなのか?「単に崩壊した性格の年増のキャリアウーマン」だよね。それが、三高らしきエヴェレットを射止め、なおかつ弟までとりこにするのか?ありえない。 特に、メレディスの傍若無人な振る舞い(部屋数が足りないのにエヴェレットと同室を拒否、から始まって急に大声を出したと思ったらいわくありげにうつむいて黙り込む、とかその他その他)は、美人にしか許されない行動である。これは絶対にサラ・ジェシカ・パーカーがやってはいけないんである。 なおかつ、エヴェレットがジュリーに鞍替えしてしまうことも、メレディスが美人でなければ、「性格が悪くてもあんな美人を捨ててまで」と思わせることなどできぬ。もっというとジュリーはクレア・デインズではなく、キルスティン・ダンスト程度の容貌の子にしなければ。 無駄な登場人物(妊婦のスザンナ親子とその旦那なんて、なんの必要がある)までいるし、脚本がダメなうえにキャストもダメで救いようがなし。 [DVD(字幕)] 2点(2006-11-21 21:25:15)(良:1票) |
252. イノセント・ラブ(2004)
《ネタバレ》 個人的に苦手としているコリン・ファレルだ。 しかし今回は、人間離れしたどちらかというとよりサルに近い役であったので、例のサル顔もあまり抵抗なく見られた。 それにしてもひどい邦題で、これは「さいはての家」で行くべきでしょう。(故鷺沢萌の〝さいはての二人〟を思い出します) ジョニーの男遊びを見ながら、どうせそんなことになるであろう、とだいたい想像はついてしまう。 というか、ロビン・ライトが出ると、エイズオチになるのはなぜか?という気もしますね。 これはジョニーがエイズにならなければ、「田舎に飽きたクレアが家出を繰り返す」とかそんな程度の不幸で終わる話なわけです。エイズですべてをオトすというのはなあ。やっぱり「フォレスト・ガンプ」の2番煎じの感は免れない。 男性の作り手は男2人に女1人の三角関係を描くのが好きみたいです。(「スリーサム」といい、「レスザンゼロ」といい)そこのところに、私は「夫や父親としての役割が2分の1で済んだらどんなにいいだろうか」という男性側の隠れた願望を感じてしまう。 「2分の1ならやってみてもいいんじゃないかな」とかね。表向きはマッチョ神話で生きてきたアメリカだからこその、隠れた願望と言えるのではないか。 クレアは、ジョナサンがエイズで闘病して死ぬところを娘に見せたくない、ということで出て行ったのでしょうが、「自分は接着剤でしかなかったのか」という思いも当然あったでしょう。クレアにしてみれば、本当に愛していたのはジョナサンで、ゲイのジョナサンと人生を分かち合うために、ジョニーを交えた三角関係で妥協したというのが本音でしょうから。進んでいるように見えたって、女なんですから。あくまでもジョナサンとの1対1の関係の次善策として、変則的な関係を選んだと私は見る。 そういう意味で、出て行ったことに説得力を持たせるためには、お母さん化したロビン・ライトより、まだ女としての欲望や生々しさが感じられるもう少し若い女優さんにしたほうがよかったかなあ、という気がしました。ちょっとシワが目立ちすぎるな。 特筆すべきは、サルに近いジョニーという人に、手に職を持たせ、プータローでなく職業人として位置づけたところです。これが映画に厚みを持たせたと思う。フツウならホームレスになるか誰かに養ってもらいがちなところですが。 NY生活での70年代ファッションなども楽しめます。 [DVD(字幕)] 8点(2006-11-21 21:22:16) |
253. ウォーク・ザ・ライン/君につづく道
《ネタバレ》 〝アイデンティティー〟の見事な出来に期待のマンゴールド監督だが、残念なことに、主役の二人がミスキャストだったと思う。 存在感のある兄貴に死なれた不出来な弟、ということで、実生活でもリバーに死なれたホアキンを配した、というあたりの理由は分からないでもない。 が、ホアキンはすでに顔にも首にもでっぷり感があらわれている堂々の中年男、また、ジョニーというヤサ男にはそぐわない厚みのあるマッチョ系なのであった。 ジョニーというキャラは、子供の頃から〝マジメに労働すること〟に興味のない奴なのですね。こういう性格は一生変わらないみたいです。〝汗水たらして働くこと〟とか〝家賃や公共料金の支払い〟については、「自分とは関係ない役割」と無根拠に思いこんでいる男です。 良くいえば、〝夢を食って生きている〟かもしれないが、実際は単なる〝社会不適応者〟でしかありません。身近に居たら、かなりの迷惑。〝王子〟に生まれついたわけでもないのに、こういう人って、時々いますよね。たいがい、家族や友人に面倒を見てもらって、一生を終えるタイプです。ジョニーにはたまたま音楽の才能があったから、それだけでは終わらなかったというわけだが。 こういう危なげのあるキャラクターを演じるには、ホアキンは〝しっかり者〟に見えすぎる。彼自身の性格は、ジョニーとはあまり似ていないんでしょう。 リース・ウィザースプーンのジューンは、〝明るすぎる〟〝清潔すぎる〟〝屈託が無さすぎる〟。 赤ん坊のころから舞台裏で育ったという彼女、ショービジネスの世界しか知らなくて、2×で、子供をほったらかしてツアーに出ているうえに出演者のジョニーとデキてしまう彼女。 どうです、リースが演じているからこそ、清潔そうに見えますが、彼女のやっていることは、いわゆる「すれっからし」以外の何者でもない。実際のジューンは、もっと〝ヤバそうな女〟であるはずだ。 そもそもジョニーのような男は、女性を守って生きていくタイプではなくて、落合信子さんのような年上のたくましい女性に〝いい子いい子〟してもらいながら、やっと人生が送れるタイプ。ヴィヴィアンのように「あんたは私を幸せにする義務がある!」と主張するような依存心の強いタイプとは合わないのです。 だから、ジューンというのが〝落合夫人〟のような女性だったら、ジョニーが惚れ込む理由にも説得力があるのだがなあ、と思うのでした。 [DVD(字幕)] 6点(2006-11-19 12:55:01) |
254. アルフィー(2004)
《ネタバレ》 リメイクらしいけれども。御本家のことは全く知らない。 己のルックスに激しく自信のあるアルフィーくんが、〝女は顔と体〟と割り切って遊んでいたところ、あるときを境にすべての女からNOを食らって、ハタと己の人生を見つめなおす。というお話です。 私はアルフィーの話というのは、特別かっこよくて遊んでいる男の人に対する警告ではなくて、ほとんどすべての男性に向けたものなのだと思うのです。 「何を言う、俺は小谷野敦も真っ青のもてない男だ。アルフィーとは何の共通点もない」とおっしゃるなかれ。結婚相談所に来るような男性でも、アルフィーはちゃんと飼っています。要するに男の人は、女性がクモの巣を張って自分をターゲットにしていると感じると、本能的に逃げ出したくなるようにできている。教則本〝ルールズ〟はその点では全くもって正しい。 たぶんアルフィーというのは、何万人に1人のプレイボーイなどではなくて、フツウの男の人の中にも少しずつ住んでいる普遍的な存在だと私は思う。アルフィー含有率には個人差がある、というだけのことでしょう。 映画の主人公アルフィーはそれが度を越している男で、その原因は母親の愛情に恵まれなかったことにあるということになっているらしい。が、くどいようだが男性の方は、みんな間違いなくアルフィーを飼っている。〝特定のもてる男〟の遠いお話、という鑑賞法は違うと思います。 恥ずかしながら私は昔、何度もアルフィー化した男性にふられたことがありますが、その中でも最もアルフィーだった男性と、2番目にアルフィーだった男性および全くアルフィーぽい容姿でないけれどどたんばで逃げた男性までもが、皆幸せに結婚したと聞いています。だからというわけでもないが、映画アルフィーのような悲惨な結果になるというケースは少ないのではないかという気もする。ということで、映画のアルフィーが女たちに総スカンを食らっている状況は個人的にちょっと気分がよくなるのでした。 ジュード・ローといえば女を口説いているところしか思い出せない、という彼は、アルフィー役にぴったりだったといえます。若さを保つのがギリギリのところの年代であったことも、はまっていたと思う。 [DVD(字幕)] 8点(2006-11-18 21:56:45) |
255. ブギーマン(2005)
《ネタバレ》 終始うっすら笑ってしまいました。 この子があんまりにも怖がりなもんで。 疎遠だった母親が死んで、久しぶりに帰郷する、というパターンは「ライディングザブレット」を思わせます。作り手はキングとか好きなんでしょうね。 これそんなに悪くないです。B級にしたらマトモな仕上がりだと思う。(ラストのドタバタを除いて) 同じスティーブン・ケイの「デッドマン・コーリング」と比べても、こちらのほうがよいと思います。 終盤までの出来が悪くなかっただけに、ラストがお約束のCG一本締めに終わってしまったのが残念だが、そこに至るまでのティム君がひたすらビビって暮らしている様子なんかは、けっこういいと思います。 主演の俳優さんも、いいですね。若い頃の太川陽介に似ているのだが。自然でさわやかな嫌みのない演技だと思います。有名じゃなくても、このくらいできる子がいるのは喜ばしいですね。って、なんだか「ギミーヘブン」の安藤のあまりのひどさと比べるとレベルの差に悲しくなってくるけどね。ちなみにケイト役の子は、シガニー・ウィーバー似ですね。(しっかりエラも張っているし) しかし男の子の怖がりって、どうしてこんなに笑ってしまうのかしら。 [DVD(字幕)] 7点(2006-11-17 21:46:04) |
256. イン・ザ・カット
《ネタバレ》 原作、監督、プロデューサー全部女。〝作り手〟はずばり「男の作った映画ばっか幅を効かしてるんじゃないわよ」女軍団である。 それも、一筋縄ではいかない強面のおばさんたちだ。男性のスタッフはさぞやビビっていたことだろう。 不思議なことに、NYでの撮影でありながら、どうにもヨーロッパ感がする。原因は「いまいち汚い」ことだろうなあ。ここでは、新しい建物とか、ツルツルしたものが一切映っていない。加えて、屋内はどこも小汚く、何日も掃除していそうにない。これが「ユーガットメール」と同じNYか?という感じがします。 〝人間〟も同じ。毎朝シャワーをあびてヒゲを剃っているような小奇麗な人など1人も出てこない。 ここにメグ・ライアンだ。クリーンで小奇麗なアメリカを体現してきた彼女。しかし、他の出演者と同じく、カンピオンの手にかかると、髪はボサボサ、服はヨレヨレ、今朝はシャワーを浴びてませんというそこはかとなく不潔な仕上がりに。メグ・ライアンをここまで不潔っぽく撮れることはすごいかもしれない。 さて、〝切り傷〟とはなんなのか、それは「男性に傷つけられてしまうという恐怖」ですね。 ここでは、スケートの場面にも表れているように、心理的にも、肉体的にも「好きになった男性は私を傷つける」という意味です。切り刻んでほしいという隠れたM心理ではなくて、怖れです。 フラニーはそれをずっと怖れていたのだけれど、マロイにのめりこんで、「ケガをするかもしれないけどそれでもしかたない」と思ってしまうわけです。そしてやっぱり危ない目にあってしまいますが、自力で切り抜け結果オーライとなるわけで。恐怖を克服したというおはなしですね。別に強烈なセックスを強調しなくても成り立つ話だと思うんですけど。 ジェニファー・ジェイソン・リーは、あんなキューピー体型で堂々の下着姿、すごいと思います。自分ではあの体型についていったいどう思っているのか、とても興味があります。 このごろ個人的に気に入っているケビン君、今回もイケてました。彼は、「ビューティーショップ」のオカマ美容師とかほかにもカメオ出演があるけど(きっと人がいいのだろう)毎回強烈な印象を残します。「バイバイママ」でも、ちょっとしか出ませんでしたね。ケビン君はこれからもカメオ俳優として(も)がんばってもらいたい。 *マロイ役をレグイザモにしたら、かなりイケたのではないかしら。 [DVD(字幕)] 6点(2006-11-14 23:06:44) |
257. ダ・ヴィンチ・コード
《ネタバレ》 映画「ダヴィンチコード」そのものよりも、その周辺について興味深い現象が起きている。 例えば、私の居住地域はまあほとんどロー・クラスの住民しか住んでおらず、当然民度も低い。よって通っているのも場末のショボいツタヤであるのだが、ここでは先週の解禁日もその翌日も「ダヴィンチコード」は全巻出払っていたという状態であった。ヨドバシでは、題名を大声で連呼し、DVDが野菜のように叩き売られていた。 今週、ひととおり内容を見てみて、さらに疑問は深まった。 なぜそんなに「ダヴィンチコード」が見たいのか?〝ダヴィンチコード〟なのに? ここでいう〝ダヴィンチコード〟なのに?は、当然「いくらトム・ハンクスが主役を張っているとはいえ、タカが辛気臭い宗教映画(しかもバタもの)ではないか」という意味である。 もっというと、「クリスチャンなど日本人の1%しかいないではないか。しかもここは果てしなく民度の低い○○○(地域名が入る)ではないかあ!解禁日から張り切って借りてる奴のうち何人が常日頃から宗教に興味があるというねん」であった。 話題と宣伝により雪だるま式に底上げされたあげく、内容などに全く関係なく○○○の住民でさえ先を競って借りていった「ダヴィンチコード」…その周辺がイタすぎると私は思う。 さて、その作品については、「オドレイ・トトゥがアメリカ人の役者と絡むのはミスマッチすぎてダメ」「だいたい私はヨーロッパ人の女が舌足らずの英語をしゃべるのがあまりにも汚く聞こえて耐えられない」によりドンドンドーンとランクダウン。 ハンクスが最も得意とする「どんな観客をも酔わせる微妙な感情表現」がほとんど必要のない脚本であるので、全然彼である必要もなかった。ひたすらストーリーを追っているだけの映画であるから、かえってトム・ハンクスという役者が発するあたたかみがうるさく感じられてしまうくらいなので、もっと才気走ったクールな役者を配するべきであった。 冒頭で、M修道僧サイラスのマゾ描写を無駄なくらいしつこくやったくせに、期待してたら単なる鉄砲玉扱いで尻つぼみに殺してしまうし。 ラングドンというのは、特殊な視覚能力があるという設定らしいのだが、それについてもなんの補足も説明もなくご都合な感じのみ残る。ご都合といえば全編これご都合なのだが。 私としては、「ギャザリング」とか「悪霊喰い」と同レベルの宗教映画と位置づける。 [DVD(字幕)] 5点(2006-11-11 00:03:56)(良:1票) |
258. オーメン(2006)
《ネタバレ》 感動的なダメさであった。 この間ご本家を見たばかりなので、どこが同じでどこが違うかはっきり分かってしまった。 ほとんど元祖に忠実な運びであった。が、ここまで忠実にしたのにこんなにダメになるというところが、なんだかすごい気がする。 脚本は元祖と90%同じなんだから、何がダメって演出もダメだがやっぱり一番ダメなのはキャスティングだな。あとライティングを明るくしすぎ。清潔すぎ。こんなんヨーロッパと思えない。 リーブ・シュライバー、そこそこのエリートさは漂うものの、貫禄がなさすぎる。毒気が全くなくて、いい人に見えすぎる。去勢されたボンボンて感じだ。おまけになんだか顔が丸くて太りすぎ。ダメだ。 ジュリア・スタイルズ。ボーン・アイデンティティ2に出てた人ですね。この人の顔に似合わず野太い声は迫力があって好きなんだが。ダメだ。全然エリート外交官の奥さんじゃない。ケイトというのは、お嬢さんなんですよ。だから、非常事態に賢く立ち回れなくて、ウツになって、死んで(殺されて)しまうの。お嬢ということは、もっとツンとしてなくちゃいけない。親しみやすくてはダメ。「あたしに気安く口をきかないで」と顔に書いてあるような美人じゃなくちゃいけない。だから、この人じゃダメ。 この夫婦というのは、二人とも常日頃から他人に命令口調でものを言っている人たちなわけです。ところが、命令の言葉が全然板についてない。「お願い」しているみたい。 庶民じゃないはずの夫婦なのに、そこらのマクドナルドでハンバーガー食べてたとしても違和感ないでしょ。ダメダメ。 首吊りナニーも、唯一で決め手のセリフが全く迫力もなく果てしなく印象が薄いし、新聞記者も、ただのいい人で毒気なし。ブーゲンハーゲンなんて親切に説明しすぎのこれまたいい人。ミア・ファローは不気味だが、不気味さと主人に媚びない対立ぶりでは元祖が勝る。 結果的に、ほとんど同じ脚本でここまでダメにできるという実験にさえなってしまった哀れなリメイク…感動的なダメさである。 [DVD(字幕)] 3点(2006-11-03 23:41:43) |
259. デッドマン・コーリング<TVM>
《ネタバレ》 これってテレビムービーじゃないのかなあ。 アン・ヘッシュはけっこうキレイだけど、わりと胸が小さい。 婚約指輪を古道具屋で買ったりするあたりが、「ありえない」気もするが、文化の違いなのだろうか。ましてや、その持ち主が殺されていたりしたら、日本だったら「破談」間違いないであろう。かなり期待以下の作品だった。 [DVD(字幕)] 4点(2006-11-03 14:50:10) |
260. ジャケット
《ネタバレ》 ジェニファー・ジェイソン・リーだったのか! なんということでしょう。彼女もすでに堂々のシワ女優の仲間入り。「マシニスト」のときよりさらに老けていた。「アニバーサリーの夜」は遠くなりにけり…。 ちょっと気になるのが取ってつけたような湾岸戦争ですね。全然テーマと関係ないでしょう。なんのつもりだか。要らない要らない。 「またしても〝ジェイコブ〟か?」とも取れるような出だしでしたが、方向性は「バタフライエフェクト」でした。エイドリアン・ブロディを使ったことで、「バタフライ」のような軽さは皆無となり、どこまでもいつまでも画面を暗くする結果となりました。いやほんとに、写っているだけでこんなに画面が暗くなる俳優さんもめずらしい。こういう俳優さんはほんとうは使いにくいでしょう。しかしまあ、今回のような話にはギリギリの線でマッチしていたのである。かなりのギリギリだが。キーラ・ナイトレイとのラブシーンはかなり無理があったと思うけれども。 いやべつに、これがマット・ディロンであろうが、サル顔のコリン・ファレルであろうが、この役じたいは誰がやってもそれなりになってしまう役どころだと思う。ということは逆に、誰を使うかによって、全く違った味わいになるということだろう。 そこに果てしなく暗いエイドリアン・ブロディ。この世の不幸を一身に背負ったかのようなその顔面。枯れ木のような肉体。(実は脱ぐとマッチョだったりするところもエグイ気がする。) この顔が最強の武器になることもあるという、不思議な効果を生んだ作品といえます。死体安置所のボックスが世界一似合う男と認めよう、ブロディよ。 脚本としては、荒れた生活をしているジャッキーを先に見せまくったことで、ラストの健康そうなジャッキーが生きてくる、という古典的ながらの決め技を褒めておきます。まあ、そのへんがこの映画の技のすべてとも言えるかも。 それにしてもママさんはぜひお疲れ顔のデボラ・カーラ・アンガーにしてほしかったところだ。残念。 [DVD(字幕)] 7点(2006-11-02 22:59:59)(良:1票) |