681. メリー・ポピンズ
実はミュージカル映画が好きである。 「好きな映画のジャンルは?」と聞かれて、何を置いてもそう答えるわけではないが、ミュージカルシーンを観ていると、自分の想定以上に、高揚していることに気付くことが多い。 その「高揚感」は、遠い昔から自分の中に刷り込まれているような気がする。 人生で初めて観たミュージカル映画が、この「メリー・ポピンズ」だった。そして、それはイコール人生で初めて観た実写映画と言えるのだろうと思う。 幼少時、自宅にあったこの映画がダビングされたVHSを、他のディズニー作品やジブリ作品と同様に、何度も何度も繰り返し観た。 当然ながら小さい頃は、この映画のストーリーの意味なんてまったく分かっていなかったろうと思う。 やんちゃな姉弟の前に現れた不可思議な教育係が、世にも不思議な体験をさせてくれる映画という認識に過ぎなかった。ただひたすらに楽しくて、ワクワクしながら観ていた。もちろん、それで良かったと思う。 そうして自分自身が成長していく過程で、ふいに観たくなり、何度か今作を観返した。 その度に、小さい頃は知らなかった世界観や人間模様を感じ、映画としての面白味がどんどん深まった。 自分の子供の誕生を数ヶ月後に控えたこのタイミングで、再び「メリー・ポピンズ」を観た。 またこれまでには生まれなかった感動を覚えた。 この映画は、メリー・ポピンズの魔法に彩られたファンタジーだけれど、その中心には親と子の普遍的な心のふれあいが存在する。その主軸が、この映画を決して古びさせない要因だと思う。 本当に素晴らしい映画だ。この映画を何度も何度も観られる環境で育ててくれた両親に感謝したい。 [CS・衛星(字幕)] 10点(2011-03-23 16:59:50) |
682. キック・アス
数ヶ月前、某ニュースサイトのトピックスで、今作に主演した御年13歳の女優が注目の的に挙げらていた。 記事に掲載されていた本人画像を見て、「これ、ほんとに13歳か?」と、あまりに魅惑的な表情に唖然としてしまった。 それが、この映画の“スーパーヒロイン”を演じたクロエ・グレース・モレッツだ。 撮影当時は11歳の彼女が、放送禁止用語を連発しながら、悪党を次々に“虐殺”していく。 極端な娯楽映画であることは重々認識していながら、ほんとうに久しぶりに、「これは教育的によくない映画だなあ」心底思いながら、終止ほくそ笑み続けた映画だった。 アメコミのヒーロー映画は大好きで、散々観てきた。きっと、この映画の製作陣も、アメコミが大好きで、数多のヒーロー映画を心からリスペクトしているのだろうと思う。 そういうことを踏まえて、敢えて言いたい。 「サイコーに面白いヒーロー映画だ!」と。 冴えないオタク学生が、マスターベーション的ヒーローと成ることからストーリーは転じ始める。 実際、その“テイスト”だけでも充分にコメディ映画としては面白い。 “彼=キック・アス”を単独の主役として貫き通したとしても、娯楽映画として確実に評価に値する作品に仕上がっていたことだろう。 ただ、この映画が一筋縄ではいかないのは、前述の“11歳のスーパーヒロイン”の存在に他ならない。 主人公“キック・アス”の存在が、クロエ・モレッツが演じる”ヒット・ガール”と、ニコラス・ケイジ演じる“ビッグ・ダディ”のコンビを引き立たせるための“前フリ”となった時点で、映画は劇的に加速していく。 そして、最終的にはしっかりと“主人公”を活躍させてくれるという、分かりきった“くすぐり”が、問答無用にテンションを高揚させてくれて、深夜にも関わらず、馬鹿笑いが止まらなかった……。 「バットマン」をはじめとする“ヒーロー映画”のパロディに端を発している映画であることは間違いないが、その範疇をひょいっと越えた、唯一無二の娯楽性を携えたオリジナリティ溢れる“ヒーロー映画”の誕生だと思う。 P.S. そして、13歳の時に出演した「レオン」で一躍スターダムにのし上がったナタリー・ポートマンが、アカデミー賞主演女優賞を受賞したこのタイミングだからこそ、 クロエ・グレース・モレッツの、女優としての将来性には期待せずにはいられない。 [ブルーレイ(字幕)] 9点(2011-03-20 01:23:50)(良:1票) |
683. ソーシャル・ネットワーク
映画の中で、主人公は自らが創り上げたサイトの在り方に対して頑なに言う。 「クールじゃないと駄目だ」と。 そのセリフどおり、この映画は、ひたすらにクールにそしてシンプルに、「今この時代」の成功と挫折を描き切っている。 「事実をもとにした映画」というものは、星の数程もある。今年のアカデミー賞において、今作と賞レースを争っているのも、実在の英国王を描いた作品だ。 ただし、数多のそういった映画に対して今作が特異なところは、描かれる「事実」が遠く過ぎ去った過去ではないということだ。 「フェイスブック」という、今この瞬間もそのテリトリーを全世界に広げていっているソーシャルネットワークサイトの成り立ちと、創業者の生き方。この映画で描かれるすべてのことは、ほんの数年前のことであり、継続中の「事実」である。 主人公の生い立ちやバックグランドなんて一切描かず、彼の感情さえも大部分において明確には描かれない。 ただただシンプルに、主人公がこの数年の間で、“何をどうしたか”そして“何が起こったか”ということのみを、クールに描き連ねているだけだ。 普通に考えれば、酷く淡白で退屈になりそうなプロットにも関わらず、映し出される映画世界は、クールやシンプルという形容に反して生々しく、不思議な程にドラマティックだ。 主人公が発する膨大で慌ただしい台詞は、そのまま、今の世界に溢れ行き交う「情報」を表している。 目まぐるしい映画のスピード感は、変化し続ける世界と、そこで急激な成長を遂げたSNSの姿そのものであり、その一つの「中心」に存在する人間の避けられない“在り方”を如実に表現していると思った。 正直なところ、鑑賞前は今流行りの媒体を描いた軽快でポップな映画なのだろうと思っていた。 しかし、そうではなかった。この映画は、今この時だからこそ描けて、そして今この時だからこそ観られる決して“普遍的ではない”ドラマだと感じた。 逆に言うと、今この時だからこそ、最大の価値を見出せる映画だとも思う。 その特異性も、自らが生み出したSNSの「価値」をひたすらに高めていった一人の男の「成功」と「孤独」を描いたこの作品に相応しい。 [映画館(字幕)] 9点(2011-02-27 09:36:19)(良:3票) |
684. 9<ナイン> ~9番目の奇妙な人形~
《ネタバレ》 タイトル通りに、“奇妙な人形”の「奇妙」な映画だった。ただし、その「奇妙」さが、決して映画としての“深み”に直結しているというわけではなく、想像以上に「淡白」な映画と言わざるを得ない。 ふと目覚めたつぎはぎの奇妙な人形、背中には意味深な「9」と文字。「荒涼」と化した世界に降り立ち、謎に溢れた冒険が始まる。 オリジナリティに溢れたクオリティーの高い映像は冒頭から圧巻で、印象的なイントロダクションに期待感は益々深まる。 しかし、そこから繰り広げられるストーリー展開は、王道的というよりもチープ。 破滅した世界に残された9体の人形と、世界を破滅させたマシンとの攻防は、アクション性が想像以上に高い反面、プロットに工夫が無い。 映画としては成立しないだろうが、台詞やモノローグ一切無しで、クオリティーの高い映像をひたすらに流しっぱなしにした方が、よっぽど「面白い」と思わさせるような、中身の無い勿体ない映画だったと思う。 [DVD(字幕)] 4点(2011-02-26 10:35:27)(良:1票) |
685. RED/レッド(2010)
決して嫌いじゃない。が、もっと面白くする方法はいくらでもあったと思う。 老いても尚、こういう役どころのアクション映画で堂々と活路を見出すブルース・ウィリスは、相変わらず精力的だと思う。 その主演映画がまだまだ“面白そう”に思えるのは、彼自身の類い稀なスター性故だろう。 ただし、主演映画が多い分、良作と駄作の振れ幅も大きいことも、彼の映画の特徴と言える……。 引退した凄腕CIAエージェントたちが、老体に鞭を打って、急襲してくる現役エージェントたちを撃滅していく様は、非常にエンターテイメント性に溢れ、それを豪勢な名優たちが演じるのだから、映画としては尚更魅力的だった。 特に、ジョン・マルコビッチのキレっぷりと、まさかのヘレン・ミレンがマシンガンを問答無用にぶっ放すというコンテンツは、絶大なオリジナリティーだったと思う。 しかし、キャラクターに対するぶっ飛んだ設定が、残念ながら映画自体に反映しきれていない。 そもそもが“マンガ”なのだから、そこに現実的な整合性など必要もなく、ひたすらに荒唐無稽な世界観を突き通すべきだったと思う。というか、そういう映画世界を見たかった。 序盤の爆発的なテンションが、クライマックスに近づくにつれ、どんどん降下していくことも致命的だったと思う。 もしクエンティン・タランティーノやロバート・ロドリゲスが監督を務めていたら、こういう結果にはならなかっただろう。 [映画館(字幕)] 5点(2011-01-31 16:31:08)(良:2票) |
686. トイ・ストーリー3
今年、「断捨離」なんて言葉が話題になった。自分と物との関係を見直して、暮らしや人生を調えていくプロセスのことだそうだ。 人間は、その人生をまっとうしていく中で、様々なことを取捨選択している。 その最初の選択が、実は“おもちゃ”に対してのことなのかもしれない。 もちろん僕も幼少期にはたくさんのおもちゃで遊んだ。お気に入りは、トミカのミニカーや、ダイヤブロックの人形で、この映画の冒頭と同じように、“彼ら”を駆使してひたすらに空想の世界に没頭した。 でも、29歳になった現在、当時遊んだおもちゃで現存しているものは、ほぼすべて無くなってしまった。 どこかで無くし、誰かに譲り、そして捨てたのだろうと思う。 普通、記憶にも留まらないその「選択」を、この映画は最上のエンターテイメントをもってして物語る。 大学生になる“持ち主”が、自分たちをどうするのか。 大学生活に連れて行ってもらえるのか、屋根裏の物置に追いやられるのか、保育園に寄付されるのか、捨てられてしまうのか……。 そこからおもちゃたちのアドベンチャーが始まる。 ピクサーの魔法によって文字通り魂が吹き込まれた“ウッディ”をはじめとするおもちゃたちの躍動感と感情が凄い。 人間たちが現れ、ただの“おもちゃ”として振る舞う様にも、しっかりと感情が滲み出ている。 エンターテイメント性溢れるアドベンチャーを経て、おもちゃたちは、自分たちが持ち主に本当に愛されているという「幸福」を知る。 そして、おもちゃたちが選んだ自分たちの進むべき道。その「選択」が素晴らしい。 何かとの大切な“つながり”は、避けられない“別れ”があってはじめてその真の価値が見出されるものかもしれない。 あまりに愛くるしいこのおもちゃたちの映画に、そういうことを感じた。 [ブルーレイ(字幕)] 9点(2011-01-17 23:40:25)(良:3票) |
687. ベスト・キッド(2010)
この映画、過去のヒットシリーズのリメイクであることはもちろん間違いないけれど、ただリメイク映画と言ってしまうことは「失礼」だと思える程、“良い映画”だと思う。 かつてのヒット映画では、当時ほぼ無名の日系人俳優が演じた役柄を、あのジャッキー・チェンが演じているというだけで、あらゆる面で映画としてのインパクトが高いことは明らかである。 しかし、もっともこの映画を確固たるものに足らしめている要因は、ウィル・スミスの息子ジェイデン・スミスの存在感だ。 この子役、その才能が間違いないと思うからこそ、敢えて“ウィル・スミスの息子”という冠を付けたくなる。 その“芸達者”ぶりは、父親のそれそのもので、この子供が本当に小さい頃から父親のパフォーマンスをしっかりと見続けて成長してきたのだろうなということを想像させる。 彼の身体能力、存在感、そして演技者としての表現力の高さが備わったからこそ、この映画は想定よりも一つ上のレベルに達したと思う。 子役の成熟には様々な弊害がつきものだが、父親共々ハリウッドを代表する良い俳優に育っていってほしいなあと思う。 現代のハリウッドを代表する表現者のDNAとカンフー映画の世界的スーパースターが、北京の街並の中で絶妙なバランスで合致した幸福な映画だと思う。 ただし、このテンションで締めるのであれば、やはりエンドロールにはNG集を用意してほしかったなあ……。 [DVD(字幕)] 8点(2011-01-16 10:47:06)(良:2票) |
688. ハリー・ポッターと謎のプリンス
最終章前の“つなぎ”的な要素がありありと伺えるシリーズ第6作目。 明らかに、前作「不死鳥の騎士団」の盛り上がりを一旦トーンダウンさせて、次の最終章まで引っ張りましたという感じが拭いきれず、特に原作未読でファンでない者とってみると、この章自体が「不要」と思えてしまった。 ラスボスであるヴォルデモード卿のバックボーンを描く過程は、物語全体において不可欠な要素だったと思う。 しかし、そこに毎度お馴染みの魔法学校でのほんわかエピソードや主要キャラクターらの恋模様が、必要以上に絡んでくるので、ストーリーの焦点がぼやけてしまっている。 敵方のディティールを描くのであれば、主人公らのエピソードなど脇に追いやって突き詰めていった方が、映画作品として締まったように思う。 まあしかし、ここまでくればもう最後まで観るしかない。 本当は一年くらいかけて過去のシリーズ作を観ていくつもりだったのだけれど、結局3日間で未見だった4作品を観尽くしてしまった。 残るは現在公開中の最終章のみ。ここまでの伏線や思惑が一体どう解消され、世界的人気シリーズを締めくくるのか。 こうなりゃこの勢いのまま劇場まで足を運ぼうか……。 [ブルーレイ(字幕)] 5点(2011-01-05 17:07:30) |
689. ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
シリーズ第5作目にしてようやく「ハリー・ポッター」というエンターテイメントの面白味を味わえるようになった気がする。 この物語は、表面を何重にも“お子様向け”のファンタジーでコーティングした飴玉のようなもので、飽きるような甘ったるさを何層も溶かしていくと、やっと深い旨味に到達する。 そしてその旨味に達すると、前の甘さが懐かしく、大切なものだったということに気づかされる。 そんなわけで、物語全体が核心に向けて突き進んでいく5作目で初めて、全編通して鑑賞に堪える面白味を備えた映画作品として仕上がっていると思った。 主人公が両親の敵であり最大の敵であるラスボスに立ち向かっていこうとする様は描いた今作では、そのための礎となる自分自身の確固たる”居場所”と共に闘う“仲間”を見出していく。 そのくだりは極めてベタでストーリー展開として目新しさはないが、シリーズ4作目までの時に回りくどいほどの長い長い物語が伏線となり、ベタさを”王道的”とも言い換えられる説得力を備えていると思う。 世界的人気シリーズの面白味にようやく気づいた反面、やはりこのシリーズは”お子様向け”だと改めて思う。 それは、自分自身がきっちりと“お子様”の頃に、第1作目「賢者の石」を観て、自身の成長と共に各作品を観ていけていたなら、どの作品に対してもその時々に応じた面白味を感じることが出来たであろうと思うからだ。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2011-01-05 13:49:09)(良:1票) |
690. ハリー・ポッターと炎のゴブレット
シリーズ第四作目。それが児童文学である原作そのものの売りなのかもしれないけれど、魔法学校生活の中の”たわいもない”シーンが、まどろっこしくて眠気を誘う。 プロダクションが巨費を投じるイベント映画でもあるだろうから、これでもかと様々な要素を盛り込んで尺が長くなってしまうことも仕方がないのかもしれないが、特別にファンでない者からすれば、「もっとコンパクトにしてくれよ」と正直感じてしまう。(まあ、じゃあ観るなということになるだろうけれど……) 今作では、三大魔法学校の対抗戦という、この手の物語にはよくありそうな“つなぎ”の要素がメインに描かれるため、真に迫った緊張感が無いまま、映画が展開していく。 「これは前作に比べて、ずいぶんと“子供向け”の要素がぶり返してきているな~」と眠気に耐えながら、というか途中で睡眠を挟みながら、ようやくクライマックスを迎え、そこで映画のテンションは一転した。 “ラスボス”であろうヴォルデモード卿がついに復活し、いきなりハリー・ポッターと対峙する。 公開中の最新作の予告編で登場しているこの悪役の造詣を見て、その派手さの無い”気味悪さ”がいやに印象強く残っていた。 そして、今作のクライマックスでの登場シーンはせいぜい十数分程度だが、映画の雰囲気を一変する抜群の存在感を放っていた。エンドロールで初めて知ったのだが、演じているのがレイフ・ファインズだと知って、即座に納得した。 ストーリー自体にも明確な「死」が描かれるなどしており、「ハリー・ポッター」の物語全体が終幕に向けて転じていく様には興味を掻き立てられた。 [ブルーレイ(吹替)] 6点(2011-01-04 16:24:17) |
691. ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
2002年の「秘密の部屋」以来、実に8年ぶりに「ハリー・ポッター」の続編を観た。別に公開されている最終作を映画館に観に行こうと考えているわけでもなく、ただ正月の気まぐれだ。 第二作目までを観て、この作品がどう転んでも“お子様向け”であることを見せつけられたことが、8年間見向きもしてこなかった理由だった。 このシリーズ3作品目も、トータル的に見れば“お子様向け”であることは否めないし、児童文学の映画化である以上、そのことが悪いと評する理由はないと思う。 ただ、前2作品に比べると、監督が変わったこともあり、ダークな映像世界には雰囲気があったと思う。 まあゲイリー・オールドマンを副題にもなっている囚人役で登場させておいて、ベタベタなクリスマス映画に仕上げる方が逆に難しいかもしれないが。 こうなれば公開を控えている最終作も含めて、何とか今年中にシリーズ全作品観てみようとは思っている。 [ブルーレイ(字幕)] 5点(2011-01-03 20:43:44) |
692. デイブレイカー
バンパイアが全世界を支配した近未来。残り僅かな“人類”は血液補填のために大企業に「飼育」されている。 という設定は、新しく、非常に興味をそそられたので、大晦日前の気忙しい中、街の映画館まで観に行った。 イーサン・ホーク演じる主人公ももちろんバンパイアで、血液供給会社のエリート血液研究者をとして勤めている。 その目新しい設定から期待していたストーリーは、バンパイアであることが「正常」である世界における価値観と、そこから展開する新しい視点のドラマ性だった。(藤子・F・不二雄の短編「吸血鬼」は絶品!) しかし、残念ながら繰り広げられたものは、結局残された人類とバンパイアの対立の構図で、極めて凡庸だったと言わざるを得ない。 そもそも主人公がバンパイアであることが面白いと思ったのに、彼が人間の血液を摂取することをはじめから嫌がっているようでは、ストーリーに深みが生まれるはずも無い。 ダークな映像世界の中の独特の味わいには非凡さも垣間みれたが、オリジナル性が高いとは言えず、ストーリーのチープさと粗さをカバーするまでには至っていない。 主人公のキャラクター性にイーサン・ホークは合っていたけれど、せっかく脇に据えたウィレム・デフォーやサム・ニールのキャラクターに特筆する程のインパクトがなく、勿体なく感じてしまった。 今年の観納めとして観に行った映画だけに、殊更に残念な部分が際立ったように思う。 [映画館(字幕)] 5点(2010-12-31 16:37:06)(良:1票) |
693. 恋はデジャ・ブ
十数年に渡って、この映画のジャケットをレンタルショップで幾度となく見続けてきた。 そしてその度に、「若いビル・マーレイが出ているチープなラブコメなんだろうな」と思い続けてきた。 何より、「恋はデジャ・ブ」という邦題がださ過ぎる。恐らく、多くの映画好きの日本人が同じような印象を持っているんじゃないかと思う。 ところがこの映画が、アメリカの歴代映画ランキングの「ファンタジー」部門で8位にランキングされており、驚いてしまった。 そして追い打ちをかけるように、TSUTAYAの“発掘良品”の企画棚に並んでいるのを観て、この映画の存在を知って十数年目、初めて手に取った。 いやあ、良い映画だった。まさに“8位”、まさに“発掘良品”に違わない。 自尊心ばかりが強い意地の悪い主人公が、嫌々訪れた田舎町で、“或る一日”を抜け出せず、繰り返し繰り返し同じ一日を生きなければならなくなる。 良いことも悪いこともすべてが繰り返され、主人公は時に楽観し、時に悲観し、心情の浮き沈みさえも繰り返す。 人は誰しも、とても良いことがあっても、とても悪いことがあっても、「また同じ一日をやり直したい」と思う。 では、実際にそういう状況に陥ったとき、果たして何が出来るのか?ということをこの映画はひたすらに描き出す。 永遠に繰り返される一日。それはやはり“悲劇”であり、“恐怖”だと思う。 何を成功しても、何を失敗しても、目が覚めると”ゼロ”に逆戻り。 その儚さは、「一日」に“始まり”と“終わり”があることの「価値」を雄弁に語る。 ラブコメであるこの映画は、恋の成就とともに一応ハッピーエンドを迎える。 ただそのハッピーエンドには、また繰り返される一日が表裏一体で存在しているようで、何だか怖い。 ビル・マーレイが演じる主人公は、繰り返される一日に苦悩しながら、人生における様々な発見と経験を得ていく。 この映画は、“同じ一日”を繰り返して描くことで、人生にまったく“同じ一日”なんてものは無いということを、ファンタジックな辛辣さの中で物語っている。 最後に……やはりこの邦題だけは最悪だ。 [DVD(字幕)] 8点(2010-12-28 17:41:18)(良:3票) |
694. 知りすぎていた男
ああ、もうしかしたらこうなるのかもな。こうなったら面白いな。 と、卓越したサスペンスの中で、その先の用意されているだろう「顛末」に期待が大いに膨らんでいく。 しかし、ストーリーは想定外に”ストレート”に展開し、“ストン”と終わってしまう。 アルフレッド・ヒッチッコックの作品を観ていると、決まってそういう感想を抱いて、「これでおわり?」と思いながらエンディングを迎える。 残念ながら、この作品もその例に漏れなかった。 ある幸福な家族が北アフリカでの旅の途中、「陰謀」に巻き込まれる。 最愛の息子をさらわれ、誰も信じられない状況の中、夫婦は自分たちのみで息子の奪還に挑む。 映画は北アフリカの情緒感の中から始まり、「何が起こっているのか?」というミステリアスな導入部分から途端にトラブルに放り込まれる感覚は、上質な緊迫感に溢れていたと思う。 ただやっぱりストーリーの展開に面白味が無い。 主人公たちがバタバタとトラブルに巻き込まれるばかりで、意外性や衝撃性がまるでない。 逆に、無駄にぐだぐだとした惰性のシーンばかりが目についてしまう。 五十数年前の映画に、現在でも通用するような“驚き”の提供を期待することは酷なことかもしれない。 でも、それが映画史を代表するサスペンスの巨匠の映画というのであれば、やはり期待はしてしまう。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2010-12-10 12:10:40) |
695. 裏窓(1954)
もう10年以上前のことなので白状するが、中学生の頃、自室での勉強の合間の気晴らしで、窓から見える公園の様子を双眼鏡で眺めていたことがある。 住宅地の中の何の変哲もない公園なので、特に何があるということでは無かったが、それでもいろいろな人がいろいろな表情で過ごす様を“覗き見”することは、大きな声では言えないが好奇心をかき立てられた。 詰まるところ、この映画は、そういう誰しもが持つちょっとした「好奇心」を、仰々しく膨らませたサスペンスなのだと思った。 窓から見える近隣住人に対してふと生まれた「疑念」。それが主人公の中でどんどん膨れ上がって、自らを「危機」に運んでいく。 彼の「疑念」は正しいのか、間違っているのか。このサスペンスのハイライトはまさにその部分で、観客はその狭間で揺さぶられる。 アルフレッド・ヒッチッコックの「名作」との誉れ高い作品なので、期待感は強かった。 ヒッチコック独特の心理上ので緊迫感は流石だと思った。 ただし、「結末」については、他の同監督作品と同様に”物足りなさ”を感じた。 もう60年近く前の映画なので、一概に現在の価値観ではかるべきではないとは思う。 映画の手法としてこの映画が確立しているものの価値は揺るがないだろう。 しかし、ラストもう「一転」させてくれないと、現在の映画ファンは納得できない。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2010-12-09 12:13:16) |
696. ヘアスプレー(2007)
素晴らしい。まさにこれこそがミュージカル映画だ。 歌って踊ることが大好きなおデブちゃんの女子高生が、テレビスターを夢見る。それに当初は反対する巨漢の母親。その母親役をなんとジョン・トラボルタが演じている。 そう聞くと、なんだかエディ・マーフィのコメディ映画みたいな印象も受けるが、ある意味、圧倒的に正統な楽しさに溢れるミュージカル映画に仕上がっている。 数日前に豪華俳優陣を揃えて大ヒットブロードウェイミュージカルを映画化した「NINE」を観たばかりだった。「NINE」は流石に豪華な大ミュージカル映画だったが、あくまで舞台ミュージカルの映像化という範疇を抜け切らなかった点が、ミュージカル映画好きとしては残念だった。 でも、今作は、映画だからこそ表現出来るミュージカルシーンをきちんと見せてくれる。 主人公の女子高生が、丸々とした愛らしいルックスで朝の街を歌い踊りながら登校するシーンからはじまり、ロケーションとカメラワークで多面的でバラエティ豊かなミュージカルシーンに溢れている。 ストーリーなんて二の次で、とにかく見ているだけで「楽しい」。ということこそ、ミュージカル映画が持つべき根本的な魅力だと思う。 その本質をしっかりと押さえつつ、“他人と違う”ということを肯定しその価値を魅力的に示すことで、あらゆる「差別」の否定にまで繋げたストーリー構成も良かった。 何と言っても、ジョン・トラボルタを自らの体型にコンプレックスを持つ母親役に配したことが、最大のファインプレイだろう。 やや引きこもり気味だった母親が、新進的な娘に刺激されて徐々に自分を曝け出していく流れは、トラボルタがどういう俳優か知っている人にとっては予定調和過ぎる要素ではあるが、巨漢の母親に扮した彼がBigな尻を振り乱し歌い踊る様は問答無用に爽快だ。 そして、すっとぼけてはいるけど理解のある人格者の父親を演じたのは、名優クリストファー・ウォーケン。 まさかトラボルタとウォーケンが「夫婦役」で共演し、愛に溢れたミュージカルシーンで共に歌い踊るとは……、拍手。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2010-12-05 23:15:59)(良:2票) |
697. スネーク・フライト
《ネタバレ》 ギャングが証人抹殺のため、獰猛な毒蛇の大群を飛行機に忍び込ませ全乗客ごと墜落させてしまおうとする。 その滅茶苦茶な設定の段階で、このB級映画の成功は確約されたのかもしれない。 数年前にレンタルが開始された時点で、サミュエル・L・ジャクソン主演ということもあり、「一見の価値」はあるだろうと確信していたのだが、ようやく鑑賞に至った。 良いね。予想通りに良い「B級パニック映画」だった。 ヘビ嫌いの者にとっては思わず目を背けたくなるようなヘビの大群の問答無用に“ウジャウジャ”な様が、まず容赦ない。 それが完全密室の飛行機内を席巻するわけだから、その恐怖感は他のモンスターパニックとは異なり、リアルな分精神的に怖い。 むかつく脇役キャラがお約束のように酷い殺されたり、意外な脇役が窮地を救ったり、思わぬ恋模様や感動が生まれたり……。 ストーリーに内容なんてあってないようなもの。 でもそれが、この手の映画の「王道」であり、それを貫き通しているこの作品の価値は高い。 惜しむらくは、「犬」が生き残っていなかったこと……。最後の最後で飼い主の元へ戻ってくるシーンを期待したのだが。それがあれば更に痛快感がプラスされていただろう。 [DVD(字幕)] 6点(2010-12-05 23:10:01)(良:1票) |
698. アガサ・クリスティー ミス・マープル2 スリーピング・マーダー<TVM>
アガサ・クリスティの「ミス・マープル」シリーズの映像作品を初めて観た。 謎を解き明かす主人公が地味な老婦人ということで、それほど興味はそそられず恐る恐る観始めたが、冒頭から繰り広げられる上質なミステリアスに途端に引き込まれた。 婚約を機にインドからイングランドへ移ってきたヒロインが、何かに導かれるように訪れた売り家にて、養生時に見た「殺人」の記憶が突然蘇ったことから、それまで眠っていた事件が目覚める。 ヒロインと事件にまつわる人々が入れ替わり立ち替わりし、複雑な人間模様があらわれてくるくだりは、アガサ・クリスティらしいストーリーテリングで、事件の真相と並行して導き出される隠された人間ドラマが秀逸だった。 ソフィア・マイルズが演じたヒロインが、蘇る記憶に苦悩しながらもアグレッシブに過去の人間関係を辿っていくので、ミス・マープルの存在性が薄く感じてしまったことは如何なものかと思う。 が、一つのミステリー作品としての完成度は極めて高く、オールドイングランドを舞台に洗練された文体の世界観を堪能できた。 [CS・衛星(吹替)] 7点(2010-12-05 23:04:13) |
699. コララインとボタンの魔女
「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」の監督が新たに描き出した独特のアニメーションが印象的な作品だった。 ストーリーは極めてオーソドックスで、特に新しさや興味深いものは無い。が、それを充分に補って余りあるアニーメーションのクオリティーの高さを堪能できる映画だと思う。 外国映画を鑑賞する際、言語が理解できないのであれば、基本的に字幕で観るべきだと思っている。 ただし、アニメ映画の場合は、必ずしもそうするべきではないと思う。 特に、今作のように細やかに作り込まれたアニメーションそのものに魅力がある作品では、日本語字幕を追うことで世界観を堪能し切れなくなる。 声優経験が少ない俳優を吹替え版キャストに起用することには難色を感じるが、アニメのキャラクターたちの見せる言動をそのまま“感じる”ことが重要だと思う。 今作の場合、主人公の声を演じた榮倉奈々のパフォーマンスには、新鮮味と同時に多少たどたどしさを感じたけれど、主人公の母親&魔女役を演じた戸田恵子の声優としての技量が安定して発揮されているので、映画として安定して観られたと思う。 ティム・バートンが絡んでいないので、「ナイトメアー~」や「コープス・ブライド」のような世界観の圧倒的な深みはない。 その部分でやや物足りなさは感じたけれど、卓越したセンスに裏打ちされた完成度の高いアニメ世界を見せてくれる映画だとは思う。 [DVD(吹替)] 6点(2010-12-05 23:03:13) |
700. 渚にて
《ネタバレ》 終末戦争の果て、確実に「滅亡」に突き進む顛末を描きながら、この映画では、爆弾が爆発するシーンも無ければ、人が絶命するシーンすら無い。 残された人間たちの、“最後の時”を迎えるまでの僅かな日々を、淡々と描き連ねる。 「悲劇」に対する悲壮感も、感動も努めて排除されているように思う。 だからこそ、異様とも言える「恐怖」をひしひしと感じる。 この映画に“救い”は無い。 核戦争により滅亡を決定づけられた人類。かろうじて直接的な被害を逃れたオーストラリアにて、残された日々を生きている。 すがるように追い求める幾つかの「希望」は、次々と儚く崩れさっていき、全世界を覆い尽くそうとしている放射能汚染により、着実に滅亡に突き進んでいる。 「希望」を失った人類たちに残された道は、ただただ淡々と“その時”まで生きること。 その人間模様をそのまま淡々と描き、ラスト、無人となった街のカットで締める潔さに、映画としての多大な説得力と、テーマに対する真摯さを感じた。 冷戦の最中、核の脅威を描いた幾つかの名作に共通することは、決して安直なハッピーエンドを描かないことだ。 人類が直面する「危機」に対して、極めて真剣に問題提起を試みている結果だと思う。 今、そういう映画はほとんど無い。 冷戦という時代背景はもちろん過去のものだが、だからと言って、“脅威”が消え去ったわけでは決してない。 今日のニュースでも“となり”の国の半島で起こった「愚行」を延々と伝えている。 “脅威”に対する危機感の薄れ。 そのことこそが、今の時代に最も恐怖すべきことのような気がしてならない。 [DVD(字幕)] 8点(2010-11-23 23:03:38)(良:2票) |