1. ブラックブック
《ネタバレ》 ネタばれますのでご注意を。 ややこしいので一貫してエリスでいこうかと思いますが、物語がはじまってから彼女が知り合う人間の中で、「信用してしまいそうだけど絶対に信用してはいけない人間」はいったい何人いたでしょうか。 私の計算では、ファン・ハイン、ハンスの2人だけです。意外に感じられると思いますが、フランケンとかナチの将軍のように「悪い奴」と顔に書いてある人間は、信用してしまう可能性はまずないので安全なのです。彼らは脅威ではない。 本当の脅威は「信用してしまいそう」な人間のほうです。エリスはその2人を信用してしまいます。 けれどもわりとのん気に育ったらしきエリスは、そんなこと見抜けるわけがなく次々と騙されるわけです。 しかし、本当は、エリスが信用した相手のほとんどが、つまりその2人以外が「信用してもいい人間」だった、ということのほうが驚かなくてはいけないのかもしれない。 居心地の悪かった最初の隠れ家の住人も、次のヨットの彼氏も、川の虐殺から逃れたエリスを救ってくれた農家の人々も、ハンス以外のレジスタンスのメンバーも、愛するムンツェも、愛人仲間のロニーも、「信用してもいい人間」だったのです。 ということは、この混乱の時代にあって、世の中のほとんどの人間は信用してもよくて、その中にとても邪悪な人間が2人いました、というようなバランスになる。広いお花畑の中に、2箇所だけ地雷が埋まってる感じ。 エリスは信用してはいけない人間を信用してひどい目にあいますが、めげずに最終的には信用してもいい人間と共に復讐を遂げます。そうですたぶん、人は、地雷が埋まっているからといって、お花畑を歩かないわけにはいかないのです。 貴金属や現金で話が始まってキブツのシーンで終わるということは、この映画が、ユダヤ人が長年の習慣を捨て財産を動産から不動産に持ち替えたプロセスを描いたものといえるでしょう。 評価をいただいたあとですが一部訂正しました。エスねこさんご指摘ありがとうございました。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2008-07-21 00:29:54)(良:4票) |
2. クジラの島の少女
《ネタバレ》 おそらく作り手が己のルーツに敬意を捧げた作品であるとともに、フェミニズムの映画なのですね。 「フェ」と言っただけでそっぽを向かれそうですが、どう見てもそういうメッセージが込められた作品なんだから仕方ない。 マオリの族長の家系というシチュエーションを借りたうえでの、「男の子じゃなかった」という理由でいろいろな不便や面倒を感じながら成長してきたすべての女の子へのメッセージ、癒し、でもあるのだと思う。 マオリの人々の祖先は、約1千年前にニュージーランドに移住して住み着いた。何百年か経つと、そこへヨーロッパ人がどんどん入ってきて、数においてマオリのほうがマイナーになってしまった。 けれど、パイケアの祖父コロのように、「高貴な血」をもつ長たちは、文化と伝統の灯を絶やすまいとそのことのためだけに生きている。個人は100年もすればどうせ死ぬ。個人が死んだ後に引き継ぐことができるものは文化だけだ。文化が引き継がれなければ、人はただ生まれて死ぬだけの存在になる…族長コロを見ていると、その信念が痛いほど伝わってくる。 パイの父は優しいが弱い男であったため、妻の死に耐えられず育児も教育も後継者としての義務もなにもかも放棄してヨーロッパへ逃げた。そして何年かしたら、考え方もふるまいもヨーロッパ人になっていて、金髪碧眼の女と勝手にくっついていた。彼は族長の重責を担うには優しすぎたのだ。 後継者探しにやっきとなった祖父のもとで「男の子じゃない」というだけで、隠れて棒術の練習をしなければならないパイ。自分より劣る男子たちが祖父から教わっている内容を、物陰からじっと観察するパイ。…このへんではもう完全にウルウルしてしまっていけない。 世界中の女の子たちは、みな多かれ少なかれパイケアと同じ経験をしてきている。 心の中で、何度「パイケアのような優秀な子が男子だったら」と思ったかしれない祖父が、「女子でも後継者」と認めるまでには、クジラの座礁という不思議な現象とパイ本人の命をかけることが必要だった。「優秀」というだけではダメなので、本当に女子の行く先には難題山積である。 ラストで不肖の父が戻ってきているあたりは、やりすぎハッピーエンドの感があるし突っ込みたくなるところだが、とりあえずは祖父とパイケア両人の健気さにやられました。泣きます。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2008-07-16 20:06:09)(良:2票) |
3. エニグマ
《ネタバレ》 これはなかなか質の高い力作だ。ミック・ジャガー入魂のプロデュース作品だけのことはある。「いっとき話題になって消えていくより残る作品を」という彼の言のとおりだ。 悪い女にだまされて滅入っているうぶな数学者、という超プライベートなつかみから入って、話が全世界的に放射線状に広がっていく感じはストーリーづくりとしては面白い。 また、戦時中の隠された解読基地というドンパチやっていない場所で、どのように「戦争」を描くのか、ということにも細かな配慮がされている。例えばケロイドだらけの元海軍の片目の情報員、受信基地の女性兵士の発言(自分達の役割は意味の分からない暗号を受信して伝えるだけで戦っていることになるのか)、カチンの森でのドイツ軍による発掘作業、など。戦争映画の棚にあるのに、誰一人血を流して死ぬ場面を写さず、戦争の裏側を描く。ひとつの試みだ。 ヘスターという新しい女性像を登場させて、「女の頭脳が男より劣っているなんてことはない」なんてこの時代に言わせてしまう。彼女は現代でも堂々通用する女性であり、「守られるだけじゃイヤ。あたしだって何かやれるわよ!」というパンチの効いたたくましい女なのだ。このヘスターのキャラが効いていて、基地内での男ばっかの政治的な人間関係でげんなりした女性客をシラッとさせずつかんでいく。しかもブリジョン並みの豊満ボディに変身したケイト・ウィンスレットはなかなか可愛く(甲乙つけがたい)、なおかつ女性の嫉妬心も煽らない、グッドなキャラである。ケイトはいつもこれくらい太っていてもよいのでは。 そしてジェレミー・ノーザムの嫌らしさといったら見逃せない。まんま50年前の映画から抜け出たようなそのクラシックな容姿、イギリス紳士は常に身だしなみをかっこよく、そしてやることはえげつなく。いいですねー、ノーザム。俳優さんとしては、古典的な容貌が邪魔して使いにくそうだが。私はディカプリオだのブラピだのと受けを狙った顔立ちよりこういう正統派のハンサムを見ると、なにか「感動」に近いものを感じるなあ。生き残っていた絶滅保護動物を見るような。 あ、ダグレイ・スコットのアスリート並みの全力疾走は一見の価値あり。早回しか?というほどのド迫力だ。数学者にしてあの徒競走走り、デキる。 [DVD(字幕)] 9点(2006-08-27 21:48:03)(良:1票) |
4. 舞台よりすてきな生活
《ネタバレ》 見てる人少ないみたいだけど、良いですよ。何一つかっこよく見えないケネスブラナー。これでラストまでどうやってもたせる、と思いますが、ロビンライトよし、女の子のキャラよし、ほのぼのに仕上がっています。主人公からすると「嫌いなにんじんを食べてみたらとても好きになった話」て感じかな。しかし「もの書きが主人公」ものは、芸がないのでここらへんでなんとかしてほしいものですな。 [DVD(字幕)] 9点(2005-11-20 15:43:09) |
5. ファイト・クラブ
《ネタバレ》 「ゲーム」は好きだけど、「セブン」は嫌いだ。そして、これは好き。 なんだか「アメリカンサイコ」を思わせる雰囲気。オチが分かっていたら、絶対楽しめない。 しかし、情報なしで見たので楽しめてよかった。ブラピは軽ーく楽しんでやってる感じ。セブンの時の力みがだいぶとれたようだ。「スパイゲーム」のリラックスぶりといい、やっぱり主役じゃないほうがいいのかも。ブラピ、今からでも脇役へ転向して助演男優賞を狙え! [ビデオ(字幕)] 9点(2005-11-13 20:53:51) |
6. ターミネーター3
《ネタバレ》 今回TV放送でしみじみ見直してみたら、なんだ…とんでもなくよくできているじゃないか! やはりモストウ、あなどれない。 なにしろ、これは50%コメディだったのだ…しかも、「ドハハ」笑いを一切用いない(というか、1と2からの流れで使えなかったのだろう)中での、この笑いのセンス…すごい。 ローケンが瓦礫をはねのけてすっくと立ち上がるその無表情、これだけで、もう笑いがとれているじゃあないか。生まれたてのようなベビーフェイスに鋼鉄の肉体。ひとたび何かにぶつかれば、その効果音は「ゴン!」…みごとなコントである。とにかくローケン部分はほとんど笑えるのだ。 そして、シュワちゃん部分は、明らかに笑いをとる事を狙ったシーンではなく、ジョンやケイトとの会話部分に、見事なコントが盛り込まれている。その際のジョンのリアクションが難しかったことだろうと思う。だって、「ターミネーター」3部作であるからには、あからさまに「コント」だと分かってはいけないんだもの。 そして、「サルだサルだ」とバカにしていたジョン役のニック・スタールも、よく見ればそんなに悪くないではないか。 そりゃあ、オーランド・ブルームのようなホモくさい美形ではないにせよ、ジョン・コナーというキャラの程よくスレた感じがその目元あたりにちゃんと出ている。「放浪」してきた感じを出しつつ、なおかつコントと分からないようにコントをこなすということで、なかなかがんばっていると思う。 そしてシュワちゃん。やっぱりあの鋼鉄ボディはCGくさいよなあ、とか、スタント多用したんだろうなあ、とかいうことも、もう、どうでもいいんだどうでも。 だって、ターミネーターはシュワちゃんでなくてはならないのだもの。 もはや「3」においては、シュワちゃんはその老体にムチ打って、画面に映っているというだけで、許されるのだ。今回も、語り草となるようなキメのシーンもモストウはちゃんと用意してあったのだけど…銃弾を口からプッと吹いて「二度とするな」ってとこね。やっぱりモノマネはされないのかなあ。ちょっと残念。 3回くらい見ると、あまりの面白さにやめられなくなります。メチャメチャ笑えます! [DVD(字幕)] 9点(2005-11-13 20:37:22)(良:1票) |
7. スパイ・ゲーム(2001)
《ネタバレ》 すばらしい。ちゃんと映画になっている。やっぱりレッドフォードは安心。万年同じ髪型を何とかしてほしいけれど。ブラピはエラが張っているけれど、今回は許す。ブラピ出演作で唯一彼にシンクロできた。それまでは、「顔のことは言うな」という態度がありありで、「俺の演技だけみてくれ」とばかりに汚なづくりにはげんでいるように見えた。この作品では名実ともにレッドフォードの手のひらに乗せられて、肩の力が抜けたのではなかろうか。「顔がきれいでもべつに過剰に意識しなくたっていいんだ、だって往年の美男子といっしょだもん」的なリラックス感がうかがえる。ブラピのレッドフォードに対する熱い視線には、演技以上のものを感じる。よかったね、ブラピ。目線を変えたスパイ映画。「息子」的な役割を演じるブラピはリアリティあり。 [ビデオ(字幕)] 9点(2005-11-07 22:28:03) |
8. ボーン・アイデンティティー
《ネタバレ》 ハリウッド感を排そうと努力したアクション映画。ポテンテが出ただけで、たちまちヨーロッパ。なんでこうもアメリカ女と違いますかね。アメリカが舞台であっても、ポテンテが出てたらヨーロッパになると思われる。なんとなく、「清潔感を出さない」というところにポイントがありそうな気も。べつに「不潔」に見えるわけでもないが。心底「マットかっこいいー」と、涙しそうになったのは、ポテンテの元彼宅から出て暗殺者を始末する場面です。なんというスピード「感」、なんという無駄のなさ「感」。マットってこんなにしびれるほどかっこよかったっけ?しかし、「2」を見て、やっぱりかっこよく「撮って」たんだー、と気づいた。ヨーロッパ「感」と、しびれるマットの姿を味わう作品です。 [DVD(字幕)] 9点(2005-11-01 21:35:23)(良:1票) |
9. バイオハザード(2001)
《ネタバレ》 これ好きです。人物もプロダクツもおおむね美しい。アンダーソン好きです。この作品ですばらしかったのは、殺人レーザーの出る通路の場面。すごい緊迫感。ここを見ただけで「見てよかった」感発生。あの黒人の隊長さん、これでは出番が少なかったけど、あそこだけで充分強烈。欲をいえばスロモ画面は個人的にはいただけない。ごまかしてる感がただよってしまう。ナマで勝負してほしい。アンダーソンはスロモなしでも充分いける。 [DVD(字幕)] 9点(2005-11-01 21:23:22) |
10. ラン・ローラ・ラン
《ネタバレ》 バタフライエフェクト…よりこっちが先だけども、父の不倫とか出生の秘密とかおいしいネタをうまく使って料理しているところがいい。 最初のパターンの際の父の反応が個人的にウケまくってしまった。 一分のスキもなくあそこまではっきり拒否されると、ものすごく気持ちがいい。 意味不明の無敵の絶叫はなにか「ブリキの太鼓」を思わせる。 そもそもで女に理不尽な要求をして助けを求める男は放っておく、というパターンもあってもよかったな。私ならほっておく。 ポテンテごつい。走る走る。やっぱり美人じゃないけどポテンテの場合はそこがいいのだと思います。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2011-03-21 21:42:55)(良:1票) |
11. わが教え子、ヒトラー
《ネタバレ》 「善き人のためのソナタ」に主演したウルリッヒ・ミューエの遺作となったのだそうです。まっ今回も主演だし、「遺作」になっても悔いはない内容だったのではないでしょうか。 ブラックギャグのオンパレードですが、わりとイヤミなくゲラゲラ笑ったりするシーンもありました。 〝ヒトラー悪いやつ=作品上でとことん貶めて当然だ〟という意識が前面に出ず、〝ヒトラー=被虐待児の成長後〟というふうにここではとらえられている。〝貶めてやれ〟的なギャグなら、笑えないですよ。確かに、明らかにヒトラーに屈辱的なポーズを取らせたりしていますが、そこも「訓練中」ということでちゃんと笑えるようになっている。 そして、ゲッペルス以下の側近や将校らがヒトラーに負けず劣らず腹黒いやつというようにバランスが取られていまして、この作品世界ではヒトラーは人間として扱われています。 私もヒトラーは「悪魔」ではなく「人間」だったと想像していまして、「ヒトラー最後の12日間」を見た際に「このヒトは幼少時にあまりおもちゃを買ってもらえなかったのではないか」と書いたのですが、ここでは「父親の虐待」が原因だというようになっていましたから、それがホントならあながちはずれていなかったような気がする。 通説ではユダヤ人の悪徳高利貸しに苦しめられた経験が原因と言われているようですが、ここではすんごく踏み込んで「父親はDV男でユダヤ人の血を引いていた」とまで言っている。ついでに「インポだった」とまで断言しているけど…。ヒトラーの場合、故人の尊厳とか存在しないわけよ。 死んでいるからといって、しかもとんでもない悪さをしたからといって、どんな仮説でもフィクションに仕立てていいのかという道義的な問題もあると私は思っている。 「戦争末期のヒトラー時代の映画かあ…。軽い気持ちで見るには内容が重すぎる。」と、私も思っていたけれど、どんどん引き込まれます。大丈夫です。 教授は長男に責められてゲッペルスと取り引きしようとして失敗して、友人との電話でそのことに気がつきますけど、知らないふりをしたまま自分さえ騙そうとしましたがゲロったりしているところを見ると、良心は騙せるものではないのです。ユダヤ人教授はべつに聖人ではなく、人間は複雑な存在で、そしてヒトラーも人間だったのでやっぱり複雑に生きた。さて彼を「悪魔」と言ってそれで済むでしょうか。 [地上波(字幕)] 8点(2010-08-19 00:50:58)(良:1票) |
12. 過去のない男
《ネタバレ》 うう。 「お母さんはどうした」って、あのセリフが引っかかってしようがないのですが、そうすると花守湖さんのおっしゃるとおりなのでしょうか。なぜあそこで妻の母の話が出る。 そうすると根本的に違う話になってきます。私はうっすらと「過去がない人間がいったいどうだというのか」と考えながら見ていたのですが、素直に見ると「過去がなければ悪意ももたない」というふうに見ることができます。 この話でもっとも重要なのは「悪意と善意」です。ぜったい悪意がありそうな人が、実はそうでもなくて助けてくれるという、私たちが通常認識している「この世界」とは違う世界がここにある。 「過去がなければ悪意をもたない」のなら、「悪意は過去に原因がある」であり「過去の出来事が人に悪意をもたせる」でしょう。 けれどけれど、花守湖さんの説のとおり、そして「お母さんはどうした」を素直に受け止めるなら、カレは「過去があるけど意図的に悪意を捨てようとしていた」になります。そして作り手はカレに何も説明させないので、うっかりと見過ごしてしまいそうになります。 すると、溶接工なのに「オレは農民だから」とじゃがいもの処分方法についてしつこく説明するとかいう部分はなんだったのでしょうね。身元を隠したいなら港で突然溶接作業を手伝ったのはなぜなのか。 カレの行動は謎だらけで、カウリスマキの意図は解明できません私には。 とりあえずカレは「悪意を捨てる」ことに成功しました。意図的にか、図らずもかは不明ですが。 そして1人も魅力的な容姿の人物が出てこないこの作品を見て、うすぼんやり思いました。私たちは若くなくても、美しくなくても、お金がなくても、役に立たなくても、〝生きていてもいいのだ〟と。それどころか〝恋をしてもいい〟だし〝他人の善意に甘えてもいい〟でさえあるのです。 こういう感想を抱かせる映画はあんまりない。死にたい気分の人はぜひ見てほしい。 それから「なぜ電車の中で寿司を食う!ジャパニーズ・サケを飲む!クレイジーケンバンドのムード歌謡を流す!」!! この監督は馬づらの女性が好みみたいです。なかなかひねった趣味です。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2009-05-02 12:59:26)(良:2票) |
13. 善き人のためのソナタ
《ネタバレ》 ヴィースラー大尉はおそるべき無私生活者で、家族もなく、その住み家も生活感のないホテルのような部屋だった。唯一の趣味は仕事、規律に従うことを何より重んじ、曲がったことが許せない。そんな彼の生きがいは他人の嘘を暴くこと。嘘を暴き、秘密を告白させることすなわち他人に勝利する瞬間である。そうしてヴィースラーは他人に勝ち続けているので、私生活が無くても精神の均衡を保てた。 けれどドライマンの盗聴という、他人との直接対決無しでの秘密の収集作業は、ヴィースラーの精神状態をおびやかした。盗聴によって秘密を知りえても、彼には勝利の味も達成感も他人を組み敷いた優越感も感じられなかった。彼は尋問によって喜びを得る人間として成立していたため、盗聴向きの人間ではなかった。 子供とボール遊びをし、美人女優を恋人にし、誕生日にはパーティーに人が集まり、友人たちの心配をし、気が向けばピアノを弾く。そんなドライマンの生活と、暗い屋根裏で盗聴機器に囲まれ何時間も過ごしたうえ、誰も居ない無機質な部屋に帰りデブな売春婦(しかもショートタイム)しか相手にしてくれないヴィースラーの対比が見事である。二人は陰と陽。光と影。 私の解釈では、ヴィースラーは政治的に共感したというよりはドライマンたちを家族のように感じ、彼らの一部として関わってみたくなったのである。 その序章として、バーに入ってきたクリスタに話しかけてしまう。ドライマンの代わりに忠告してしまう。あげくは彼らの代わりにタイプライターを隠すところまでエスカレートする。 私はヴィースラーのとった行動を、レジスタンスを助けたというようないわゆる「いい話」レベルには考えたくない。これはもっと、純粋に個人的な問題なのだ。 ドライマンがヴィースラーを問い質したとて、彼は決して真実を語らなかったと思う。だからあのようなやり方で謝意を示したことは、リアリティにこだわる意味でも映画のしめくくりとしても最良であった。 ひとつ残念なのは女性の扱いで、女性はクリスタしか出てこないというのに彼女は薬物依存で他の男とも寝るうえ、最後は秘密を暴露して恋人を窮地に陥れるという、甚だ情けない人物としてしかも死んでしまうというところ。それならばー、せめてもう一人、頼りになるマトモな女性を出して比較させるべき。「だから女は信用できない」死んで償え、で終わるのは納得いかない気がするぞ。 [DVD(字幕)] 8点(2008-07-28 19:23:38)(良:2票) |
14. グッド・ガール
《ネタバレ》 ジェニファー・アニストンにジェイク・ギレンホール、今ならジャストでホットなキャストである。 警備員役で出演もしているという脚本家のマイク・ホワイト、この人は非常に微妙な感覚を持った逸材と思いました。 この話は徹底して「ジャッジ」することを避けています。演出もしかり。にもかかわらず、題名にも現れているように、実は〝いいことと悪いこと〟についての話なのである。「あらら」と観客が眉をひそめるようなシーンが次々に出てくるわけだが、「ジャッジ」を無視してどんどん次の展開が続く。普通の人の日常を綴った脚本であるのに、なかなかうまいと思う。 「断らない女」ジャスティン。なぜ彼女は「NO」と言いきれないのか。避妊も要求せずに不倫するわ、脅されれば仕方がないから夫の友人とも寝てしまう。彼女は「断れない」のか「断らない」のか。ここが重要です。 ジャスティンは自分の人生が失敗したと思い込んでいる。つまらない。ツイてない。子供もできない。神様は不当であるという被害者意識もある。だって私はそんなに頭も悪くないし、まだババアでもないし、結婚のために大学まで諦めたのに。それに見合うものを与えられていない。 というわけで、他人の要求に応じても応じなくても、どっちでも大して変わりはない、それで人生がどう変わるわけでもない、と思った彼女は「いいことか悪いことか」を判断するのをやめてしまったのです。倫理的な思考を停止した。だから、「断らない」のだ。どうでもいいので、無責任に「断らない」をやっているうちに、どんどん大変なことになっていく。 戦争もなく、飢えてもいない、夫婦共に健康で、ちょっとバカだけどやさしい夫がいて、住む家があって、自分の仕事がある、これが幸せと思えないところにジャスティンの問題がある。ホールデン(トム)にしても、住む所も仕事もすべて親がかり、食うに困らないモラトリアム青年、どこがどう不幸だというのか。だけど、彼は「死んでしまいたい」くらい不幸だと思っている。 つまり「不幸」とは、「不幸だ」と思っている人のことなのだ。見る者ひとりひとりが、ふと「自分はそんなに〝不幸せ〟だろうか」と振り返る。この作品はそのことを教えてくれ(ようとしてい)る。(淡々とした演出は、説教くささを消す効果がある)…どちらかというと、少し人生に揉まれた後の大人向けの作品と思う。 [DVD(字幕)] 8点(2006-10-28 12:35:29) |
15. 隠された記憶
《ネタバレ》 うううん。 どうなっているんだ。 頭がこんがらかって大変だ。 てことはー、あいつがあいつに頼んで団地の部屋で父ちゃんには知られず隠し撮りしてたってこと?てことは、自分の父ちゃんが団地に行く日を感づいていたわけ? そんであいつはテープを撮って渡していただけってこと? てことはあいつは父ちゃんに会ってもらって一言でも謝って欲しくて、それでやったのよね。 ビノシュがピエールとカフェで話していた内容が全然分からない。 カフェの会話だけでもせめて英語ならと、字幕の解読に挑もうとしたら日本語字幕しかないし。奥さんていったい誰の奥さんよ。日本語字幕の人!ほんとにあの訳でいいんですか。責任とってよね。 この映画は、ラストの実家の庭のシーンが最もインパクトがありますね。 あんな遠景からワンカットで、音楽もなにもなく、すごい映像だね。こんなのあんまり見たことないな。間違いなく車の中で、手足を縛っているよね。「縛っているな」というのを「見せずに」、観客の想像力だけで表現してしまう、ハリウッドの監督なら間違いなく車内の手足のカットを手ブレで見せるだろう。 またここのシーンは、人種・階級間の力関係、「彼らは何をしてきたか」を固有の登場人物を超えて普遍的なものとして表現している。そこんとこが、すごーい。うまーい。 「何も覚えていない」から「俺は何もしていない」になり、「俺のせいじゃない」になり、「俺は悪くない」になるという、まるで犯罪者の尋問のようなジョルジュの情けなさよ。どうです、この徹底的にずるくて弱い一人の40男の姿。 やましさのあるジョルジュに比べ、アルジェリア人のの表情の穏やかなこと。たった一言、「あの時は悪かったな」とどうして言えないの。ジョルジュの愚かさがとても悲しい。たぶん、その一言で相手の心は少しは癒されたと思うのです。確かに俺にとってかけがえのない、たったひとつの天国へのハシゴを蹴落としたのはお前だ、でもほんの子供だったんだし、お互いの立場もいろいろあったしな。もう40年も前のことだ。そう思ってくれたかもしれないのに。 同じ「子供の頃の悪事によるやましさ」を描いた「ファイナルカット」を思い出しますが、もちろんあんな駄作とは雲泥の違いだ。やはり映画とはどこまでも〝人間をどう描くか〟なのでしょうか。 「衝撃のラスト」のとこは、一回早送りで見てみると分かりやすいです。 [DVD(字幕)] 8点(2006-10-07 22:42:37)(良:1票) |
16. ゴスフォード・パーク
殺人ミステリーにひねりを加えたやつが撮りたかった、という監督。 殺人ミステリーには全然なっていないけれど、なんとも重厚なできあがりとなった。 殺人ミステリーでなければなんなのかいえば、もちろん重厚さをかもし出すモトとなったザ・階級社会なのだった。 ご丁寧にエンドロールのキャストまで、主人と使用人が別になっているというこの凝りよう。 このところ「オーメン」は見るわ「エニグマ」は見るわ井形慶子は読むわでどうにもイギリスづいているのですが。 実は第1次大戦が終わって第2次世界大戦が始まるまでの間のイギリスの不労階級と使用人の織り成す生活というのは、私にとってはどうにも懐かしいものなのであった。もちろん自分がそうだったからではなく、ミス・マープルとかエルキュール・ポワロの読みすぎのためである。 アルトマンという人はほんとにパーティが好きなのね。ごちゃごちゃ人を集めて撮るのがいいわけですね。「ウェディング」ではそれほど使用人に重きが置かれている感じはしなかったですが。 ここでは「上」と「下」に水と油のように分かれている階級生活が余すところなく描かれる。 手練のアルトマンは、もちろん階級社会の「是非」を問うような無粋な目線で撮ってはいないが、なくても話が成立するのに意識して「不安定要素」を入れている。小金持ちの「平民」の娘と結婚した貴族のカップル、役者修行であることを隠して使用人のふりをしたアメリカ人、ディナーをサーブしているときに思わず旦那様をかばって対等の口をきいてしまったエルシー。わざと「水と油」の境界が揺らいでいるところを見せる。階級生活を営む人々にとってはさぞかし「地震」のようなものであろう。 全然ミステリーでないまま「階級生活はかくあるのかすげーなー」「井形慶子の言うとおり、塗りすぎてドアにヒビ割れがしているな」「貴族は女と金のことしか考えてないのかやっぱり」などと思っているうちになんとなく終わってしまう。そしてそして。 ああジェレミー・ノーザムの弾き語りのすばらしいこと!どうやらクリストファー・ノーザムという人の手が入っているらしいのだが、なんというタレントフルな家族なのかしら。またエンディングの歌のすばらしいことといったら。これがイギリスの田園風景にかぶるわけですからもう、ダメ押しされたようなもの。KO負けです。こんな芸まであったとはノーザム、顔だけじゃない。 [DVD(字幕)] 8点(2006-09-09 23:17:56) |
17. クローン・オブ・エイダ
《ネタバレ》 この監督さんのことは全く知らないし、1回目視聴後はエイダがティルダ・スウィントンだということすら気付かなかった。これはもしかして、何回見ても、エイダとの交信が可能になった仕組みはわからないようになっているのでは?ラストで子供にエイダの記憶が移植されていることが判明するが、その理由も。私の貧しい想像では、どうにかしてエイダのDNAを手に入れて、その並列を打ちこんだあげく、自分のDNA情報をなんらかの形で組み合わせたのか?もうそれは他のレビュワーさんにおまかせしたい。 ともかく死んだ人間の情報を集めて「育てゲー」をやってるようなものと思おう。このエイダが次から次へとものすごい哲学的な深いことを言うんだわ。とくに終盤。いちいちポーズにして「今の言葉の意味は…」とかみしめてから、次のセリフに行かないとついていけないくらいだわ。これはたぶんかなりフェミニズムな映画で、エイダを「全く新しい女性像」として描いている。男や子供になんら価値を感じず「他のもの(研究)」に取り付かれている女性。エイダが「名を残す」ことをしきりと希望するのは、逆に「女が名を残せない透明人間のような存在」であったことを言っている。つまりはエイダの生きた時代、女とは子孫製造マシーンであり、歩く「内助の功」であった。エイダは「透明人間」でなく「人間」として成功したかった。男と同じ肉体的時間的条件で研究がしたかった。才能ある女性なら当然思うことだ。でもできなかった。けれどラストで「自分の人生には不満足だけど死んでいく」ことを選ぶ。 「死があるからこそ生きることはすばらしい」この言葉、よくよく考えても分からないほど深い。エイダがもしもこの作品の通りの女性だったとしたなら、生まれるのが100年以上早すぎたということだ。いつの時代も、早く生まれすぎた人間は一生苦しんで生きる。その人生は本人にとっては「悲劇」そのものだが、他人からは「天才」または「変人」と呼ばれる。 ティルダのビクトリア朝的な美しさ、入魂の演技は文句無しだが、主役の女優さんのカギ鼻にどうしてもなじめなかったので彼女に感情移入できなかった。ショートカットにしてからなおさらコワい。魔女顔だと思う。 [DVD(字幕)] 8点(2006-03-02 21:14:52) |
18. ウィスキー
《ネタバレ》 秀作である。たぶんウルグアイに住むユダヤ人のオヤジの話だろう。結論から言うと、「ウィスキー」とは、「ヤコボの人生に足りないもの」を意味しているのである。それは「うるおい」みたいなものだ。ヤコボはよく働いて、お母さんの介護もして、普通なら褒められる人間であって、全く悪人ではない。ところが、彼は「楽しみ」というものを知らない。「カチカチ」といろんなスイッチをつけたり消したり、飲み水の衛生状態に気をつけたり、壊れた物や穴の開いた壁は気になって放っておけないし、しごく「規則的」に生きているのである。一方マルタは女であるから、タバコやラジオやたまに行く映画など、自分の楽しみを持っている。そんなマルタが、「妻のふり」を頼まれた時、「もしかして自分のことをちゃんと人間として見てくれていたのかも」と期待してしまったのは当然だ。ところが、「夫婦生活」でも全く態度が変わらないヤコボ、「人生には楽しみが必要だと思ってる男」弟エルマンの登場により、マルタの心は揺れる。そして帰りのタクシーの中の涙。あれは、「やっぱり私のことは道具としか思ってなかったんだ」である。そりゃそうだ。「妻のふり」の礼にお金を渡したうえに見送ってもくれないんだから。ラスト、靴下製造マシーンのうなりをひたすら写すショット、これが「ヤコボは他人をマシーンと同じような道具としか見ていなかった」の意味である。それで、まあ私は思った。「ヤコボみたいな男の方が多いよね。」悪い人じゃないんだけど、ケチで鈍感で人の話を全く聞いてなくて、おまけに見栄っ張りで(結婚しているふり)、「女」といったら若い女としか認識していない(レストランでヤコボは若い女をねっとり見てる)、髪型を変えても全く気がつかない、そーゆー男。なんだか、ヤコボ的な男って、日本には余裕でいっぱいいるように思う。その意味で、男子の皆さんには大変ためになる映画ですよ。反面教師のつもりでご覧ください。高校生くらいのお子さんには「こういう男性になってはいけませんよ。」と見せるのもよいでしょう。ついでに、ヤコボ状態のまますでにオヤジになっている人は今からでは遅いです。 [DVD(字幕)] 8点(2006-01-21 23:27:31)(良:3票) |
19. パーフェクト・カップル
なかなか面白く見られた。キャシーベイツがレズビアンというのにたまげた。実生活のことはよく知らないけど。「アリ」なようで「やめてー」なようで、もはやこの世のものとは思われないそのりりしいゲイ姿。完全に主役より強烈になっちゃってた。そういえばこないだシュミットさんで彼女の胸を見てたまげたばかりだ。 トラボルタなんていつでもトラボルタだけど今回は「某大統領のフリしてます」なめずらしい役どころ。確かにあのドーナツ屋シーンは特筆モノ。ぼそぼそしゃべってるしさ。いつもまぶしそうな目だしさ。モノマネとしては下手だったけど、「それなりの《トラボルタがやってる》クリントン」ではあった。ところで「ビョーキ」の亭主を持ったらどのように生きていけばよいか、現在世界で最も含蓄のあるアドバイスができるのはヒラリーに間違いない。ぜひ聞いてみたい。べつに実生活には役立たないが。仁科明子と対談なんていかがでしょう。 [ビデオ(字幕)] 8点(2006-01-10 22:03:22) |
20. スケルトン・キー
《ネタバレ》 これまでのハウスものとは実は根本的に違っていたのだった。迫害され抑圧された人間の勝利のひとつの形ともいえる。しかし、じつは「誰々さんに乗り移られてしまった」と思いこんでいるだけの話かもしれない、ともいえる。それもまた勝利ではあるけれど。被害者側が、乗っ取る側の人間を良く知ってから(ここの経過は「呪いを信じるようにしむける」と言われる経過である)ことは行われるのだから、良く知らない人間が成り代わったのならともかく、「思い込み」説も消すことはできないのだ。ラストで現れた友人を「誰?」ということで「思い込み」説が打ち消されるかに思われるが、そうとまで言いきっていないのがこの作品と思われる。 タバコや指輪、レコードなどの伏線も慎重に配備され、スリラーとしてのデキもまずまず。 なによりも「ブードゥー」「フードゥー」と奴隷時代の黒人社会の関係をハリウッド映画で主軸に扱ったことは評価するべきであろう。なお、DVD特典の「ジョンハートの朗読」が素晴らしい。プランテーションにおいて、支配階級である白人が「黒人は知能が低くて人間未満である」と思い込んだそのワケが、おぼろげながら見えた気がした。答えは宗教だったのではないか。キリスト教では神様以外の人間はみな平等に価値があるのであるから、黒人を「人間である」と認めてしまったなら、奴隷労働に従事させることは、神様の決めたことに反してしまうのだもの。 カメオ出演のマーチンシーン、どっかの回想シーンで出てくるかと思ったけど出なかった。これの監督が、妙に悲しい目をしたイギリス人だったとはなあ。(K-PAXの) [DVD(字幕)] 8点(2005-12-29 14:16:07)(良:1票) |