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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  ボクたちはみんな大人になれなかった
昨年(2021年)暮れにティザームービーを観た時点で、“予感”はあった。 ただそれ故になかなか観られず、Netflixのマイリストに入ったまま数ヶ月。ようやく鑑賞。 結論として、“予感”の通りに、少なくとも自分にとっては「特別」にならざるを得ない映画だった。  40代半ばの主人公が辿ってきた二十数年間を遡ってつぶさに描き出された映画世界は、同じ年代、同じ時代を過ごしてきた者として、まさにタイムスリップしたような感覚に包み込まれる。 僕自身は、東京という街でずっと暮らしてきたわけでもなく、二十歳前後の数年間をあの街で過ごしただけだけれど、それでも、この映画の主人公と同じ時代にあの場所で感じた空気感を思い出し、希望、欲望、羨望、絶望、あらゆる感情をひっくるめた感覚が蘇ってくるようだった。  実際は、「絶望」なんて感じるよりも前に、僕は夢半ばであの場所から去ってしまったが、「もし」あのまま憧れと願望にしがみつき、留まっていたならば……と考えると、主人公が辿った人生模様とどこか重なるようで、正直心が乱れて落ち着かなかった。  映画を彩る環境や美術や衣装、小道具に至るまで、映し出される画面のディティールを追っていくだけでも懐かしく、感慨深い。 安いラブホテルを探した夜、シネマライズの行列、「スワロウテイル」のポスター、浅野忠信が表紙の雑誌「H」、“グリコ”の娘の娼婦役と歌声、野猿、BiSH……、この映画世界の「時代」に散りばめられたすべてが、堪らなくエモーショナルだった。   つらつらと懐古的なことを並べると、世代的にドンピシャの40代のおじさんがノスタルジーに浸るだけの映画のようにも聞こえてしまいそうだが、そうではない。(と思う) 本作は、「普通の人生」という普遍的な概念の中で、思い悩み、時にもがき、時に抗うすべての人間のための映画だったと思う。  人間誰しも「フツー」というフレーズに少なからず拒否感や嫌悪感を覚える時期があるものだ。 「自分は他人とは違う」「何かができるはず」「こんなはずじゃなかった」と、焦りや後悔は、人生を通じて常に付き纏う。 でも、結果的に、ほぼすべての人は、フツーに人生を送り、フツーにその終着を迎える。 そこには、諦めもあれば、妥協もあるだろう。そして、悲劇にもなろうし、幸福でもあろうと思う。 それが即ち「人生」だ。  気が付けば46歳になっていた主人公が、コロナ禍で静まり返る深夜の東京の街で、ふと昔を振り返り、そして気づいたことは、「フツー」であることを、無意識的に恐れ、拒絶し、ないがしろにし続けてきた反面、実は知らず識らずの内に受け入れてしまっていた「現実」と、見過ごしていたその「真価」だったのだろう。 ラストシーンで主人公が発する「ホント、フツーだわ」という言葉には、過ぎ去ってしまった時間に対する後悔、「フツー」を直視することを避け続けてしまったことへの悔恨、そして、それらと同時に確実に存在していた自らの“フツーの人生”の“フツーの輝き”を愛おしむ思いに溢れていた。   「ホント、フツーだなあと思って」と悲しげに背を向けた最後の夜の彼女。 「うれしい時、悲しい気持ちになる」と涙を浮かべた最初の夜の彼女。 そこに、主人公が若かりし日に汲み取りきれなかった何かがあったのかもしれないし、無かったのかもしれない。  ボクたちはみんな大人に“なれなかった”のか、“ならなかった”のか、“なってしまった”のか、それとも……。鑑賞者一人ひとりの人生とその時の心情によって、その末尾は変わり続ける。
[インターネット(邦画)] 10点(2022-05-07 00:34:48)(良:1票)
2.  暴走パニック 大激突
いやはや、なんともトンデモナイ。 大胆で、猥雑で、非常識。時代を越えた昔の映画に対して、現在の倫理観と照らし合わせることはナンセンスだと思うが、あまりに自由で、あまりに奔放でエキサイティングな映画世界には、いまや「羨望」の眼差しを向けざるを得ない。  先日鑑賞した「狂った野獣」に続いての渡瀬恒彦主演作(同年製作)だったが、やっぱりこの時代のこのスター俳優の存在感と“アクション”は唯一無二であったろうことがギンギンに伝わってくる。 80年代生まれの者としては、渡瀬恒彦という俳優を認識した頃には、すでにサスペンスドラマに多数出演する好感度の高いテレビ俳優という印象が先行しており、渡哲也の実弟という立ち位置もあり俳優としてそれほど強いインパクトを感じたことはなかった。 しかし、この時代の彼の佇まいと雰囲気は、アクの強いダークヒーローであり、あらゆるアクションシーンを自分自身でこなしたという逸話も伝説的だ。 本作においても、決して正々堂々としたヒーローではなく、姑息さや残酷さも持ち合わせた犯罪者であるというキャラクター性が、ダークヒーローとしての存在感と哀愁を際立たせている。  そしてそこに「深作欣二」という巨大な劇薬が混ざり、映し出された映画世界は娯楽の混沌と化している。 中盤、本筋と外れたところで、或る変態医師のアブノーマルプレイがじっくりと映し出された時には、思わず「一体何を見せられているんだ」と困惑し呆然としてしまったが、それすらも最終的には娯楽の混沌の一要素としてまかり通してしまう圧倒的なエンターテイメント力にひれ伏すしか無かった。  クライマックスで待ち受けていたのは、タイトル通りの大暴走と、大パニック。 主人公のみならず、川谷拓三、室田日出男ら演じるこれまたアクの強い脇役たちや、通りすがりの端役に至るまで、それぞれが孕んでいた狂気性が爆発し、泥と爆音と共に入り乱れる様はまさしく阿鼻叫喚。 この時代を生きるすべての人間たちの鬱積が撒き散らされているようだった。  現代の最新カーアクション映画の筆頭といえばご存知「ワイルド・スピード」シリーズだが、50年近く前のニッポンに“元祖ワイルド・スピード”と呼ぶに相応しい映画が存在していたことを、ハリウッドの映画人たちは知っているだろうか。 あ、クエンティン・タランティーノ以外でね。
[インターネット(邦画)] 8点(2022-04-16 00:39:11)
3.  僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46 《ネタバレ》 
まず率直に感じたことは、良い悪いは別にして、彼女たちの“本音”が表れている映画ではなかったなということ。 「嘘と真実」というタイトルが表していたものは、秘められていたコトがこのドキュメンタリーでつまびらかにされるということではなく、この映画で語られる言葉そのものが、「真実」でもあり「嘘」でもあるということだったのではないかと思う。  彼女たちが発する「言葉」は、今まで数々のメディアで発信されてきたものと同様に、やはりどこか拙く、意識的にも、無意識的にも、本当のコトを吐き出しきれていない印象を覚えた。 それに相反するように、劇中で映し出される数々のライブパフォーマンスでは、彼女たちの内情が激しく吐き出されているように見えた。  そして、気付く。この映画のタイトルが「僕たちの嘘と真実」であるということの意味に。  “私たち”ではなく、“僕たち”である。  即ち、このドキュメンタリー映画で映し出されているもの、または映し出そうとしたものは、「欅坂46」というアイドルグループを構成する“彼女たち”のありのままの姿などではなく、彼女たちが作品の中で表現してきた「主人公=“僕”」の真の姿だった。  平手友梨奈というカリスマを象徴的に中心に据え、「欅坂46」という群れが一体となって作品の中で体現し続けてきた「僕」。 作品に登場する「僕」とは、どのような存在だったのか? 彼女たちにとって「僕」とは、どのような存在だったのか? この映画が突き詰めようとしたことは、そういうことだったのだ。  メンバーたちの虚空を掴むようなどこかぼやけた言葉の理由も、ライブパフォーマンス描写の中でのみくっきりと浮かび上がってくる輪郭も、その対象が「僕」であったことを踏まえると途端に腑に落ちる。  ただ、そこに「意味」はあっただろうか。  少なくとも、この“終幕”のタイミングで遂に公開されたドキュメンタリー映画として、このアプローチが意義深いものだったとは思えなかった。  なぜなら、多くのファンにとってこの映画で伝えられたことは、既に理解しつくしているコトだったからだ。 作品の中に登場する「僕」の存在性と、彼が内包する葛藤と矛盾、それらすべてを体現する平手友梨奈の苦悩、そして「欅坂46」との関係性。 それらは、「欅坂46」の作品やパフォーマンスを通じて、表現され続け、伝えられ続けてきたものであり、もはや概念的なものである。  5年という年月の中で、「欅坂46」が作品を通して表現し創造してきた概念。 ファンの一人一人がそれぞれに受け取り、理解してきたその真理を、敢えてドキュメンタリー映画の中で伝える必要があっただろうか。 それは、彼女たちが文字通り魂をすり減らして生み出してきた作品の世界観と、それに共鳴してきたファンの心情を侵害するものではなかったか。  ならばドキュメンタリー映画なんて観なければいいと言われそうだが、それも少し違う。 個人的に、このドキュメンタリー映画で観たかったものは、やはり、「欅坂46」というアイドルグループを表現してきた彼女たち一人一人の「声」であり、人間としての「姿」だった。  卒業・脱退メンバーも含めて、彼女たちのこの5年間における表立っていない「声」や「姿」をもっと反映してほしかったと思う。  無論、そうしたからと言って、彼女たちの“本音”のすべてが聞こえるとは思わない。 それでも、「黒い羊」のMV撮影終わりに、他のメンバーと乖離するように一人立ち尽くす鈴本美愉しかり、インタビュー中「ここでは話せない」と吐露する小林由依しかり、センターに君臨する平手友梨奈のカリスマ性を嫉妬と敬意をにじませながらじっと見つめる今泉佑唯しかり、表現しきれていない彼女たちの何かしらの思いは、今作の端々からも伝わってくる。  ファンが欲したのは、「僕たちの嘘と真実」ではなく、「私たちの嘘と真実」だったと思うのだ。  このドキュメンタリー映画鑑賞後の数日間、複雑な感情が入り混じりながら、「欅坂46」の5年間に思いを巡らせた。 「発信力」という観点に絞るなら、良い意味でも、悪い意味でも、彼女たちは作品を通じた“パフォーマンス”がすべてだった。 そのことがアイドルグループとしての“ひずみ”や“鬱積”、そして危ういバランスに繋がっていったことは否めない。  それは、類まれな才能に酔ってしまい、「運営」としてコントロールすることを放棄した大人たちの責任でもあろうし、一つのイメージから殻を破ることが出来なかった彼女たち自身の責任でもあろう。  ただ、その危うい偏りが、あのエモーショナルを生んだのであれば、それは圧倒的に正しいことであり、やっぱり「正義」だったと思うのだ。
[映画館(邦画)] 6点(2020-09-06 23:54:09)
4.  僕らはみんな生きている
くたくたに疲れた出張帰りの機内で、ひっさしぶりにこの映画を観た。 バブル期の日本映画独特の滑稽な欺瞞に溢れてはいるのだけれど、無性に胸に迫るものがあった。 曲がりなりにも“日本のサラリーマン”を10年続けてきて、彼らの悲哀としぶとさが身に染みる。  真田広之、山崎努、岸部一徳、嶋田久作という存在感たっぷりの4人の演者が、海外赴任のサラリーマンのある種の軽薄さと狡猾さと哀愁を体現している。 4人が織りなす文字通りの“サバイバル”である処世術の様が時に笑えて、時に笑えない。   発展途上国の内戦に巻き込まれた主人公たちが映画の中で繰り返し叫ぶ。  「私たちは、日本のサリーマンです!」  それは、はじめは銃撃戦をすり抜けるための「逃げ口上」であった。 それがストーリー展開に伴い、自分と日本の企業文化に対する「怒り」となり、終いには「誇り」として高らかに宣言される。   ぶっとんだコメディのように見えるけれど、今の時代でも星の数ほどの“日本のサラリーマン”が、世界のあちこちで汗を流し続けていることだろう。
[ビデオ(邦画)] 8点(2017-08-27 00:58:22)(良:1票)
5.  ポテチ
伊坂幸太郎の短編小説の映画化。 原作が短編小説とは言え、一本の映画にするには物語構造自体が薄すぎたように思う。 このお話自体が嫌いなわけではないけれど、醸し出されるポップさが少々あざとすぎるようにも見え、登場するキャラクターたちに総じて実在感がなかった。 現代劇として映画化する以上は、一定以上のリアリティは不可欠なわけで、その部分を担保できなかったことは大きな敗因と言えるだろう。  ストーリーテリングの中心に「野球」が存在するわけだが、そうである以上、「野球」をもっと象徴的に描く最低限の巧さがほしかった。 勿論、低予算の中編であるから贅沢は出来なかったのだろうが、ラストの球場シーンがまったくもって「プロ野球」に見えなかったことには失笑を禁じ得なかった。  流行作家としての伊坂幸太郎の小説は好きだし、いくつかの映画化作品も概ね面白く観ている。 今作も決して全く面白くないということではないけれど、他の作品と比較して捻りと毒気が弱いことが、大いに物足りぬ。
[インターネット(邦画)] 4点(2017-07-20 23:33:15)
6.  ホッタラケの島 遥と魔法の鏡
充分に予想出来たことではあったが、いかにもフジテレビらしい表面的なポップさが、“際立つ”というよりは、“鼻に付く”ファンタジー世界の映像的なクオリティーの高さは認めつつも、やっぱりハマれなかった。 可愛らしさとユニークさを押し売られているようなこの感じは、このキー局から発せられる“娯楽”すべてに共通するもので、個人的にこの数年特に嫌悪感を覚えてしまう。  ストーリーは極めてありきたり。「不思議の国のアリス」的な導入から始まって、他の作品で何度使い古されてきたか分からない“死別した家族との心の交流”が、特に何の工夫も無く描き出されていた。タイトルからしていかにもでダサ過ぎる。 ありきたりでも何でも、お話として説得力が備わっていれば、充分に観れる筈だが、主人公をはじめとするキャラクター達の言動における「理由」が非常に曖昧で、薄っぺらい。 完全に、「そういうストーリーだから」という理由が先行する形で、アドベンチャーが繰り広げられるので、感情移入をすることが出来なかった。  娘をもつ一人の親としては、ラストのくだりに対してはどうしても涙腺が緩んでしまったけれど、それはもはやこの映画によるものではなく、あまりに普遍的な親の心情によるものでしかない。  その他諸々注文をつけたくなる部分は数多い。 いくらなんでもあれだけ危険な目にあって無傷ということに違和感を感じる。 「不思議の国のアリス」的な導入なのだから、むしろがっつりと“夢オチ”にしてしまって良かったと思う。 「夢だったのかもしれない」と思わせた方が、主人公自身が自らの中で心の成長を遂げたことが際立つし、押し付けがましい世界観にも幾分納得がいったと思う。  最終的には、綾瀬はるかが声優を担当したヒロインの、微妙にエロい短いスカートの丈の印象だけが残る「不純」なアニメ映画に仕上がってしまっており、残念なような、嬉しいような……。
[インターネット(字幕)] 3点(2013-06-05 23:36:31)(良:1票)
7.  ボーン・レガシー
アクション映画として“見所”は確実にある映画だとは思う。しかし、あまりに"巧くない”映画であるということも確実に言え、故に著しく面白味に欠ける映画に仕上がってしまっている。  “ボーンシリーズ”は好きだったし、主人公に抜擢されたジェレミー・レナーは昨今の再注目株だし、レイチェル・ワイズは大ファンだし、エドワード・ノートンの絡みにも期待していた。 が、終わってみると、すべてが「中途半端」という言葉に尽き、“本筋”には遠く及ばない「番外編」という印象に終始した。  敗因は色々あろうが、序盤から最も気になったのは、テンポの悪さだ。 “ボーンシリーズ”は、決してド派手なだけの描写に頼らないスピーディーでリアルなアクションシーンが魅力だったが、アクションシーンの質そのものは一定の水準を保ってはいるものの、全体的なテンポがあまりに鈍重で間延びしてしまっている。  更には、組織に追われる主人公がヒロインと共に逃避行を繰り返すという、お決まりであまりに工夫の無いストーリーテリングが、退屈さに拍車をかける。 アクションシーン自体も、他の映画で何度も観たことがあるようなシーンが繰り返されるばかりで、目新しさがまるで無かった。  そしてストーリーそのものは単純なのだろうが、作戦名等の専門用語が無駄に羅列されたり、所属がよく分からない存在感の薄い登場人物が続々と登場したり、ふいに過去の描写が挿入されたり、“ボーンシリーズ”とのリンクが無意味に強調されたりと、ストーリー構成をいたずらに難解にしているように思えた。  脚本家出身の監督なのだから、アクションシーンの多少の劣化はまだしも、ストーリーそのものがあまりに稚拙なことには、言い訳の余地はないと思うし、“ボーンシリーズ”を描き出した人だけに残念な限りだ。 もしこのまま再シリーズ化しようというのならば、再び脚本家に専念することをお勧めする。
[映画館(字幕)] 4点(2012-10-06 17:03:19)(良:2票)
8.  ボーイズ・オン・ザ・ラン
無様な男と、無様な女、そのありのままの「無様さ」を“綺麗ごと”なんて完全無視して描きつけた“ヘン”な青春映画だった。  主人公は玩具メーカーのうだつが上がらない29歳の営業マン。援交相手の醜女に逆切れされ、憧れの同僚とはいい感じになりつつも、肝心なところで大失態を繰り返し、挙げ句ライバル営業マンに寝取られる始末……。 最初から最後まで汚れまくりで、良いことなんてほとんどない。  実は、自分自身29歳の営業マン。仕事の合間にネクタイを締めたままこの映画を観ていた。 “イタイ”主人公の姿に笑いつつ、キワドいリアリティが突き刺さってきた。  自分がものに出来なかった女の仇を討つため、軟弱な主人公は“ブチ切れ”、鍛え上げ、「タクシードライバー」のトラヴィスと化す。  普通の青春映画であれば、主人公の「達成」をもって爽快感を導き出すのだろうけれど、普通の青春映画ではない今作は、それすらも許さない。 主人公が終始「無様」なまま、この映画は終焉する。  映画を観終わり、再び仕事に戻るため、土砂降りの中を営業車で走った。 けれど、僕の心は何故か晴れ晴れとしていた。 それは、この映画が無様で阿呆でしょうもないけれど、確かな「勇気」に溢れているからだと思う。  主人公は何も達成しない。ただただ己の小さな自分の人生を走る。その様は決して格好良くないし、転びまくる。でもその目を背けたくなる程に痛々しい等身大の姿は、問答無用に胸に迫る。
[DVD(邦画)] 8点(2010-10-10 02:03:50)(良:3票)
9.  僕たちの戦争<TVM>
現代社会に生きる人間が、戦時中にタイムスリップしてしまい、戦渦に巻き込まれていくという設定はよくありがちだが、容姿が全く同じ人間が時代を越えて入れ替わってしまうという設定はちょっと新しい。  そして、その対象をそれぞれの時代を生きる「若者」にすることで、リアルで敏感な感情がダイレクトに伝わってくる。 まったく違う時代と環境を生きてきた二人が、突如として放り込まれた時間と場所の中で、混乱しつつも感情豊かに対応していき、それまでに見出す余地もなかった「意識」を生み出していく様は、実に胸に迫るものがある。  「戦争」というある種の固定概念が定着している題材の中で、決して暗く堅苦しくならず、「若者」を主題にするにふさわしい“瑞々しさ”で描き出した演出と演技はとても良かったと思う。  戦渦の中、特攻として最期を迎える寸前の主人公(現代人)は、猛々しく叫ぶ。  「正しい戦争なんかない」  この作品で描かれるのは、単なる戦争の愚かさではない。「戦争」という時間、「現代」という時間、それぞれに生きる人間たちの「普遍」である。 「戦争」を、そして「現代」を、新たな“世代”と“言葉”によって語られるべき時代がきていると思う。 
[地上波(邦画)] 7点(2006-10-02 23:41:03)
10.  亡国のイージス
「やってくれた」 最新鋭のイージス艦から、赤い爆炎と共に闇に放たれたミサイルの様を見た時、そう思った。 それは、今まで日本の映画ファンが押し潰してきた、ある思いいに対する“答え”を見たからだ。すなわち、「日本ではエンターテイメント大作は作れない」という失望と諦めに対する答えである。 この映画は、そういう長い間の負のイメージを払拭させる力を感じさせる作品だと思う。 ただし、その“答え”は、ただハリウッドのように派手に映像を描きつければいいということではない。もっとも重要なのは、「日本人が日本人を描く」という至極当たり前の要素である。 アクション性豊かなだけな日本映画であるならば、今までにもあっただろう。 しかし、そこに映画としての力強さは無かった。それは、日本人として“日本”という国を描いてこなかったからだと思う。 例えば、1999年の韓国映画「シュリ」にあったのは、まさにそういう要素ではなかったか。韓国という国が、朝鮮民族そのものを見つめ、描いたからこそ、あの映画は世界に興奮を与えたのだと思う。 そのことを、この映画に関わるすべての“表現者”たちは、理解し、見事に体現して見せた。 
[映画館(字幕)] 9点(2005-08-01 16:20:31)
11.  僕が僕であるために<TVM>
SMAP主演で描かれる青春群像ドラマ。たしか正月のドラマスペシャルだったと思うが、ストーリーは意外に悲劇的で個人的には好きになれない内容だった。主題歌として流れた尾崎豊の同名曲が印象的だった。
[地上波(邦画)] 3点(2004-03-12 02:39:13)
12.  火垂
「萌の朱雀」の秀逸さに感服し、大いなる期待をもって観た河瀬直美監督の新作だったが、あまりに抑揚のない展開に退屈感が大きかった。独特の淡々とした空気感はさすがに非凡なところはあるが、「萌の朱雀」で見せた感慨深い心情世界を伺えることはなかった。次作に期待したい。
[映画館(邦画)] 2点(2003-12-25 18:02:24)
13.  ポストマン・ブルース
面白い映画がないからと言って俳優から監督に転向しただけあって、SABU監督によるこの映画はただならぬ面白さに溢れている。ヤクザを巻き込み、警察を巻き込み、殺し屋を巻き込む郵便配達員の暴力的なまでの疾走は、そのままこの映画自体のエネルギーへと直結する。圧倒的なまでのストーリー展開にもはや言葉はいらない。
[ビデオ(邦画)] 8点(2003-12-05 23:13:34)
14.  ホーホケキョ となりの山田くん
鑑賞前は「なぜジブリが?」という感じだったけど、実際観てみると「されどジブリだ」という印象を受けた。大層な制作費に対する是非はあるが、アニメーションのクオリティだけ見てみれば流石のクオリティの高さだったと思う。ジブリ=宮崎ワールドではなく、ジブリ=秀逸なアニメーション映画と認識すれば、多様性という面でそれなりに価値ある作品であると思う。
[地上波(邦画)] 5点(2003-12-05 17:05:08)
15.  ホワイトアウト(2000)
ついに日本でもそれなりなアクション大作ができたのかなと期待したが、結果は「やはりこの程度か…」という具合だった。今までと変わらず何か足枷でもあるのか言いたくなる中途半端な演出にはほんと辟易してくる。これならば、原作を韓国に渡して映画化してもらったほうがよっぽど凄い映画に仕上げてくれそうである。佐藤浩市をはじめとする脇役陣は良かったが、織田裕二&松嶋奈々子の主演コンビの演技は映画レベルではなかった。
[映画館(邦画)] 2点(2003-12-05 16:27:54)
16.  ポーラX
悲劇的、あるいは破滅的すぎて非常に心地が悪かった。個人的には明らかに駄作と言うしかないが、こういう映画は観客の好みに大いに左右されるものだと思うので、好きな人は相当に好きなんだろうと思う。もちろん私は二度と見るつもりはない。
1点(2003-11-29 13:37:35)
17.  鉄道員(ぽっぽや)(1999)
自分がそうなんだけど、若い年代の人は、この映画で高倉健の存在感を初体験したのではないかと思う。雪景色にたたずむ健さんはひたすらに渋く、不器用で、もはや神聖化されている日本の男らしさを感じる。脇を固める俳優陣の演技も良く、ベタな話ではあるけど、感動させられる。
7点(2003-11-25 14:39:10)
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