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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  007/ノー・タイム・トゥ・ダイ 《ネタバレ》 
ダニエル・クレイグの、そして“ジェームズ・ボンド”の“青い瞳”が、今作では特に印象的に映し出される。 その瞳は、時に怒りを滲ませ、時に強い決意を表し、そして時に愛する人を慈しんでいた。 “ブルーアイズ”こそが、ダニエル・クレイグが演じたジェームズ・ボンドの象徴であり、アイデンティティだった。  2005年に新ジェームズ・ボンドに、ダニエル・クレイグのキャスティングが発表された際には、金髪で青い瞳という従来の“ボンド像”からかけ離れたその彼の風貌に対して批判が殺到したらしい。 ただ、その固執されたイメージからの乖離、古い時代性からの脱却こそが、この俳優を起用した最も大きな狙いだったのだろう。 クレイグ版007第一作「カジノ・ロワイヤル」から足掛け15年経った今、改めてこのキャスティングは大英断だったと言えると思うし、少なくとも僕にとっては、この無骨で厳しい主演俳優こそが「007」だった。   そのダニエル・クレイグ版007の最新作にして、最終作。パンデミックによる1年半以上の公開延期を経て、ようやく日の目を見た今作は、自分の想定以上に印象的な映画作品として、心に残り続ける作品となった。 初回鑑賞後、あまりにも衝撃的でエモーショナルな今作の顛末を思いながら、しばらく思考をまとめることができなかった。 その間、頭の中では、ビリー・アイリッシュが歌唱する今作の主題歌が繰り返し流れ続けていた。 自分が思っていた以上に、ダニエル・クレイグが演じたジェームズ・ボンドと、彼の「007」シリーズが特別であったことを思い知った。 気持ちの高ぶりが収まらず、居ても立っても居られなくなり、今作の感想を綴る前に、クレイグ版007の過去4作すべてを再鑑賞することにした。  過去4作を見返すと、改めてこのシリーズが、それ以前の過去の「007」シリーズとは一線を画する革新的なアプローチの連続であったことを痛感する。 それは主演俳優のビジュアルなどに留まらない。作品世界そのものに対する是非、ジェームズ・ボンドというキャラクターに対する解釈、そしてそれらが今この現代社会に存在した場合に求められる視点と価値観、そういうことをシリーズ通じて真摯に追求し、挑戦し続けていた。 その象徴であり、顕著な結果が、ダニエル・クレイグという俳優が演じた荒々しく、生々しく、故に極めて“人間らしい”ジェームズ・ボンドだったのだと思う。   今作も含めた5作品において、ジェームズ・ボンドは傷つき続け、悲しみ続けてきた。そしてその「傷跡」は、決して単作で消え去ることは無く、シリーズを通じてしっかりと残り続けてきた。 そのさまは、時に悲壮感に溢れ、重々しいけれど、それは、ジェームズ・ボンドという架空のキャラクターが「人生」を得たことの証明だったと思える。  「人生」を得たからこそ、人間には、必ずその“終わり”が訪れる。 今作のタイトル「NO TIME TO DIE」が表すものは、即ち「今は死ぬ時ではない、けれど、いずれ死に相応しい時が訪れる」ということだったと思う。  シリーズ第2作「慰めの報酬」で、ボンドは敵から『手を触れる相手がみな死んでしまう』と罵られる。 彼はその事実と真理を誰よりも深く噛み締め、苦悩し続けていたのだろう。 自分が存在し続ける限り、トラブルは起き続け、大切な人はみな死んでいく。  かつての敵の台詞が全く直接的な意味合いで伏線となり、ジェームズ・ボンドはあまりにも厳しく悲しい顛末を迎える。 ただ、そこにあったのは必ずしも「悲劇」ではなかったと思う。 苦しみと悲しみの果てにようやく得た本当の「愛」。それを守り通すために、彼は自らの苦悩の螺旋を断ち切る。「死ぬにはいい日だ」と言わんばかりに、これまでで最も穏やかな表情で、その時を迎える。 それはやはり、「悲劇」なんかではなく、闘い続けてきた男に相応しい「解放」の瞬間だった。  過去4作を観終えた後、再びこの最終作を鑑賞し、その悲しみと慈愛にむせび泣いた。 寂しいけれど、今はダニエル・クレイグ版「007」をリアルタイムで映画館で観られた世代であったことを幸福に思う。   “007”は去った。でも、これで彼が消え去ってしまうわけではない。 彼が守り通した世界、そして大切な人たちによって、彼の存在は語り継がれ、残り続ける。 そう彼の名は、「Bond, James Bond」
[映画館(字幕)] 10点(2021-10-03 20:26:34)(良:1票)
2.  007は二度死ぬ
ショーン・コネリーが亡くなった。 何世代にも渡って世界中の映画ファンを魅了した偉大な名優を偲び、“007”が日本に降り立った今作を初鑑賞。 やはり、日本人としては特に忘れ難き“娯楽”に満ち溢れた快作だった。 もう50年以上も前の映画ではあるが、そのエンターテイメントは色褪せない。いや、50年という年月を経ているからこそ、娯楽性は幾重にも層を重ねて芳醇になっているようにも思える。  外国の娯楽映画が「日本」を舞台にした場合、その映画は大抵の場合“トンデモ映画”になる。 日本の文化や風俗に対する誤解や偏ったイメージが、現実とは程遠い「日本」を映し出す。 今作もその例にもれず、“トンデモ映画”の一つであることは間違いないだろう。 姫路城を本拠地にした忍者軍団、日本人の漁夫に扮装するショーン・コネリーなど、失笑ポイントは確かにある。  ただし、それ以上に、日本とその文化に対する憧れやリスペクト、そして「愛」をきちんと感じる映画だった。 トンデモ映画ではあるかもしれないけれど、日本人として決して見てられない描写は無かった。 それは、この映画が、日本に対するイメージをただ想像のままに映し出しているのではなく、ちゃんと日本の各地でロケーションを行い、ちゃんと日本人の俳優たちを起用していることが大きい。  現実的にはありえない数々のシーンも、本物の日本の街や自然の中で撮影されているからこそ“つくりもの”には見えないし、丹波哲郎をはじめとした日本人俳優がメインキャラクターとして演技しているからこそ映画世界の中での説得力が保たれていると思う。  若林映子と浜美枝が演じた二人のボンドガールもそれぞれ魅力的で美しいし、トヨタ2000GTのボンドカーも流麗でひたすらに格好いい。  そして、公開から50年以上も経った今となっては、映画の中で映し出される日本の情景や風俗そのものが、日本人にとっても非常にフレッシュに映り、その中で大活躍を見せるジェームズ・ボンドの活劇には、殊更に高揚感が高まる。     コロナ禍の影響で延期を余儀なくされているが、ダニエル・クレイグ版の最終作となる「007」最新作の公開も待ち遠しい今日このごろ。 稀代の英国人俳優の逝去はとても悲しいけれど、その他未見の「007」シリーズ作品や、「アンタッチャブル」や「ザ・ロック」など彼が残した足跡も改めて鑑賞し直したいと思う。  ジェームズ・ボンドがそうであるように、ショーン・コネリーも映画世界の中で何度でも僕たちの前に甦る。
[インターネット(字幕)] 7点(2020-11-02 11:40:51)(良:2票)
3.  ダンケルク(2017)
耳をつんざく爆撃音、ぶつかり合う鉄の質感、あらゆるものが燃え焦げついた臭いが漂ってくるような生々しい空気感。 映画が始まったその瞬間から、「戦場」に放り込まれる。 凄い。と、冒頭から思わず感嘆をもらさずにはいられなかった。 これほどまでに、最初から最後まで“IMAX”で観ることの価値を感じ続けた映画は記憶にない。 この「体感」は極めて意義深い。  第二次世界大戦初期、ドイツ軍に包囲された連合軍は、フランスはダンケルクの海岸に追い詰められる。  この映画は撤退を余儀なくされた連合軍兵たちの「敗走」の様をこれでもかと描きつける。 登場する人物の前後のドラマを一切描かず、無慈悲な戦場での過酷な「敗走」のみをひたすらに映し出すことで、「戦争」を表したこの映画の豪胆さに何より感服する。  映画史には世界中のありとあらゆる戦争を描いた数多の「戦争映画」が存在する。 その数の分、一口で「戦争映画」と言っても、映画表現の“手法”と“目的”は様々だ。 「プライベート・ライアン」のようにリアルな戦闘シーンを究めた作品もあれば、「地獄の黙示録」のように戦場で苛まれた人間の心の闇を果てしなく掘り下げた作品もある。またはチャップリンの「独裁者」のように風刺と情感を込めて、強く反戦を訴えた作品もあろう。  「ダンケルク」は、戦場の「体感」を究めた戦争映画である。 ただ、だからと言ってこの映画が、戦争の「リアル」を描き抜いた映画かというと、それは少し違う。  “本物主義者”のクリストファー・ノーラン監督により、今作も例に違わず極限までCGによる映像処理は避けられている。 本物の空、本物の海、本物の飛行機、本物の船、本物の人間によってすべての映画世界は映し出されている。 それにより、観客はまさに極限まで「本物」に近い“感覚”を味わうことができる。  ただしそれは「リアル」ではない。言い表し方が難しく語弊があるかもしれないが、クリストファー・ノーランは、リアリティを追求するために「本物」を求めているわけではないと思う。 それは、映画という表現方法で「何か」を伝える上で、必ずしもリアリティの追求が「正解」ではないことを、この偏屈な映画監督は知っているからだ。  「現実」に起こったことをありのままに表すよりも、より効果的に伝えるべきテーマを観客に表現する方法は確実にあり、それを導き出すために、本物の素材を使い、スクリーン上で目に映るモノのリアリティを高めるという試み。 その一連のプロセスこそが「映画」をつくることだと、クリストファー・ノーランは信じて疑わない。  そのつくり手の「信念」がこの「戦争映画」には溢れ出ている。 だからこそ、ただただ「敗走」を繰り返すという、あまりに無骨でストーリー性に乏しい映画であるにも関わらず、圧倒的に「面白い」。
[映画館(字幕)] 9点(2017-09-22 23:57:42)
4.  007/スペクター 《ネタバレ》 
フランス女優レア・セドゥーの腰つきがたまらない。イタリア女優モニカ・ベルッチの未亡人ぶりが艶々しい。 劇場鑑賞を終えて、余韻に浸りながら今作を振り返った時、先ず第一に脳裏に浮かんできたものは、“ボンド・ガール”たちの“曲線美”だった。 非常に欲情的な感想が先行してしまっているようだが、これこそが「007」というシリーズが培ってきた娯楽性の在るべき姿だと僕は思う。   前作「スカイフォール」は、50年以上に渡る大人気シリーズの中でも屈指の傑作だった。 特に、現在の“ジェームズ・ボンド”であるダニエル・クレイグ版で「007」にハマった者としては、シリーズ最高傑作と言って間違いなかった。 それ故に、最新作である今作「スペクター」に対する期待は最高値に上がっていた。 ただ同時に、シリーズの中でも極めて“異質”なストーリーテリングと物語の帰着を見せた「スカイフォール」の続編として、どうストーリーを紡ぐのか一抹の不安も確かにあった。  結果としては、当然ながら大傑作だった前作を超えてはいない。 そして、特に今作においては最も肝となるべき悪役の設定の弱さをはじめとして、映画としての完成度においてもマイナス要因が多かったことは否めない。 しかしながら、この映画の、“異質な大傑作の続編”としての在り方、そして“ダニエル・クレイグ版007の集大成”としての在り方は、決して間違っていなかったと思える。   前作「スカイフォール」は傑作だが、ジュディ・デンチがシリーズ最高齢のボンド・ガールとして存在していたこともあり、エロティシズムという点では伸びなかった。 もちろんそれは正当な娯楽性を廃した狙い通りの作風だったのだが、今作はその反動的に、王道的な娯楽性を並べている。 地上、上空、雪上、水上を縦横無尽に駆け巡り、美女の心を鷲掴みにして、「007」という活劇の王道を見せつける。 そういう点では、今作は前作を踏まえての“アンサー”であり、“対”となる作品なのだとも思える。   ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドとなって4作目にして集大成である今作。 そこにあったのは、まさに裸一貫から培ってきた新たなジェームズ・ボンド像がついに完成した様であり、しかるべき道程を経て辿り着いた「原点回帰」という娯楽に対する崇高な美学だった。  ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドは、シリーズを通してあまりに多くのものを喪失してきた。 それは悲壮を胸に秘め続けたあまりに過酷な成熟への道筋だったと思う。 しかし、ついに今作において、彼はすべてを守り切る。 まさにそれは集大成に相応しく、“ジェームズ・ボンド”というキャラクターの一つの完成形だったと思うのだ。
[映画館(字幕)] 8点(2015-12-06 22:57:49)
5.  ダイ・ハード/ラスト・デイ
劇場公開時、足を運ぶか否か迷った。“当たり屋”覚悟で劇場鑑賞しても良かったかもしれないが、やっぱり行かない方が良かったろうと思う。劇場でこの映画を観たなら、より一層の「憤慨」は避けられなかっただろう。  “ロートル”役が板について久しいブルース・ウィリスの“ただの”最新作なのであれば、苦言は大いにあろうが、憤慨するまでには至らないだろう。 馬鹿みたいに派手なアクションシーン自体はそれなりに見応えはあるし、昔腕を鳴らした老主人公が、スパイの息子をフォローしてアクションを繰り広げる展開は、目新しさこそないが基本的な娯楽性は備わっていたと思う。 ただしだ。それはこれが「ダイ・ハード」でなければという話だ。  第一作目の公開から25年の長き月日が経っていようが、端からおっさんだった主人公が完全な老人になっていようが、禿げ上げていようが、この映画に「ダイ・ハード」という冠を付け、客を集めている以上、ただの酷評では留まらない憤慨は避けられないというもの。  まあ何が悪いと聞かれても、「全部悪い」としか言いようがないのだけれど、敢えて一つ絞るならば、アクション映画の大傑作である一作目「ダイ・ハード」に対しての敬愛がまるで無いということだろうか。 一作目程の完成度など求められるわけもなく、それを越えることなど端から望んではない。 ただせめて、シリーズの主人公であるジョン・マクレーンという男の基本的なキャラクター性とか、過去作を踏まえたストーリーテリングとか、この映画がシリーズ作の一つであるということの最低限の「認識」くらいは持たせてほしかったと思う。  ま、この映画の場合、そういうシリーズへの愛着に伴う非難以前に、チェルノブイリでの安直なクライマックスシーンと、見識を疑う“中和ガス”が登場した時点で、完全アウトだけれど……。
[ブルーレイ(字幕)] 1点(2013-10-30 23:31:15)(良:3票)
6.  007/スカイフォール 《ネタバレ》 
良い意味で非常に「懐古的」な作品に仕上がっていることは間違いない。 今作では、時代の流れと共に「スパイ」という役割の時代錯誤感が問われ、存在そのものが追いやられる立場となるというストーリーが描かれる。 そして、今一度「スパイ」という存在の意義と必要性、そして“格好良さ”を「007」シリーズが培ってきたパターンを存分に生かして見せてくれている。  シリーズファンに対してのサービス精神が旺盛な分、往年の過去シリーズ作品の幾つかを観ていないと、面白味が半減してしまう部分が多々あることは否めない。(特に「ゴールドフィンガー」の鑑賞は必須!) アストンマーチンの“赤いボタン”などは、往年のシリーズファンにとっては最高のプレゼントだったに違いない。  そういった全体的にとても懐古的な「007」らしい映画世界は、ジェームズ・ボンドというキャラクターが、「成熟」しつつあるという表現と直結しているように思えた。 このダニエル・クレイグ版「007」シリーズの最大の醍醐味は、ジェームズ・ボンドという絶対的主人公の“未成熟さ”にあると思っている。 一流のスパイと称されるにはあまりに未成熟な故、この新シリーズにおけるジェームズ・ボンドは、あらゆるものを「喪失」してきた。この最新作においても、結果として彼はあまりに“大きなもの”を失ってしまう。 その「不完全さ」が、良い意味でも悪い意味でも「007らしくない」という評価を生んだことは明らかだろう。  ただ、今作ではそんな主人公ジェームズ・ボンドが、徐々に「007」らしさを見せ始める。それは即ち世界最高の諜報部員に相応しい「余裕」が垣間見えてくるということだ。 主人公に徐々に備わってきた「007」らしさ、それはまさに数々の過酷な「喪失」からの「誕生」であり、そこから「成熟」に至るプロセスこそが人気シリーズを「リブート」することの最大の価値だということを高らかに物語っているように思えた。  史上最高齢の“ボンドガール”との別れに惜別の念を感じつつも、新M、新Q、そして新マニー・ペニーの相次ぐ新登場には、もう問答無用にニヤニヤしながらエンドロールを迎えるしかなかった。  さあて、喪失からの誕生、そして成熟までの準備は整った。次作では、ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドの“集大成”を見せつけてほしい。
[映画館(字幕)] 9点(2012-12-06 12:26:34)(良:1票)
7.  007/ゴールデンアイ
5代目ジェームズ・ボンドとなったピアース・ブロスナン版「007」シリーズの第一作目。自分自身の世代的には(1981年生)、最も馴染み深い「007」映画であってもいいはずだろうが、ようやく初鑑賞に至った。 今作の後の「トゥモロー・ネバー・ダイ」と「ワールド・イズ・ノット・イナフ」は公開時に観ていて、正直なところそれぞれ満足度が低かったことが、ブロスナン版の「007」に対する評価を確定付け、ひいては同シリーズ全体に対しての魅力減に繋がっていたように思う。  今作は、当時低迷していた同シリーズの人気を回復させ、批評的にも興行的にも成功したという評価だったので、今さらながら期待して観た。 結論としては、決して悪くはないけれど、特筆して「面白い!」ということも決してないというところか。  映画を構成する様々な要素があまりに“見慣れている”ということに尽きる。 事件の発端も、悪者の企みも、主人公のピンチとそれの回避方法も、あらゆる場面で「まあそうなるんだろうな」と容易に予測がついてしまう。 当然ながら目新しいワクワクハラハラなんてあるわけがなかった。  またこのシリーズの特徴からすれば、“ボンド・ガール”に色気がないことも致命的だったかもしれない。イザベラ・スコルプコ演じるキャラクターは、コンピュータ技師という設定もあってか、終始露出が少なく、「007」ならではの娯楽的要素を欠いてしまっていたと思う。 敵方の“裏・ボンドガール”を演じたファムケ・ヤンセンは、分かりやすいほどにエロい言動を繰り広げ色気はあるのだが、“超ハードS”なキャラクターなのでちょっと引いてしまった。  ショーン・コネリー版やロジャー・ムーア版の過去のシリーズ作品のように、もう少し時が経てば、オールディーな風合いが加味されるのかもしれない。 しかし、今の時点では中途半端な古臭さばかりが目につき、マイナス要素の方が大きいことは否めない。
[DVD(字幕)] 5点(2012-11-23 02:21:02)
8.  007/私を愛したスパイ 《ネタバレ》 
ロジャー・ムーア版の「007」を初めて観た。 自分の両親の世代では、「誰のジェームズ・ボンドが一番か?」という質問に対して、ショーン・コネリーとロジャー・ムーアで二分するようだ。 もはや死語として風化しつつあるこの時代ならではの“ダンディズム”こそが、“ジェームズ・ボンド”というキャラクターに与えられた性質であり、確かに両者ともタイプは違うが演技から溢れ出んばかりのダンディズムが印象的な俳優だと思う。個人的には、ショーン・コネリー版に一票入れたい。  アクションシーンについては、現代の最新作と比べるとやはり愚鈍に見えてしまうことは否めない。しかし、「面白いアクションを見せよう!」という気概は充分に伝わってきて、その気概こそがこの映画シリーズの娯楽性そのものだと思えた。  ジェームズ・ボンドが雪山からダイビングしユニオンジャックのパラシュートが爽快に開くアバンタイトルにアガり、 “ボンド・カー”のロータス・エスプリが水中を突き進んでいく様にアガり、 “ボンド・ガール”として終始主人公と同伴するソ連の女スパイの格好がいちいちエロいことにアガる。  また悪役キャラクターの存在感も際立っており、アクションシリーズならではのエンターテイメント性を高めていると思う。 今回のボンド・ガールにとってジェームズ・ボンドは恋人の仇のはずなのに、結局最後はなし崩し的に“よろしく”やっちゃう顛末も、「なんでやねん!」と突っ込みを入れつつも、問答無用に親指を立てたくなった。  過去作の良いとこ取りな感じで、様々な要素や描写が盛り込まれているタイプの映画なので、その分尺がいささか長めだけれど、もし自分がこの映画を1977年当時に映画館に観に行ったとしたならば、やっぱりこれくらいのボリュームは欲しいと思うところだろう。
[DVD(吹替)] 7点(2012-11-23 02:18:05)
9.  007/ゴールドフィンガー
今のダニエル・クレイグ版の「007」シリーズは大好きで、公開を控える最新作も今年最注目のアクション映画の一つだ。 一方で、往年のシリーズ作品も何作かは観たけれど、それほど面白さを感じてこれなかった。古いアクション映画ならではの愚鈍さが目についてしまい、“世界トップクラスのスパイ”という主人公のキャラクター設定において説得力を感じなかったことが大きな要因だと思う。  しかし、シリーズ第3作目となる今作においては、任務そっちのけで状況やところ構わず方々の美女に“色目”を使うショーン・コネリー扮するジェームズ・ボンドの“らしい”キャラクター性が際立っていて良かった。 “うつつ”を抜かす対象となるボンドガールたちも、それぞれ美しく魅力的だった。囚われの身の中で、飛行機内の東洋系のメイドにまで好色の目を見せるショーン・コネリーのニヤケ面が可笑しかった。  ただし、今作の場合、悪のボスのキャラクターについては、ただの“成金デブオヤジ”でしかなく、悪役として特筆すべき卑劣さや恐怖感を微塵も感じなかったことは残念だ。 また、その後に予定されている展開ありきのボンドカーの秘密機能など、諸々のご都合主義な部分は多く、突っ込みどころは枚挙に暇が無い。  まあしかし、ただの古めかしいアクション映画の範疇には留まらないこのシリーズの魅力と、それに伴う娯楽性は充分に堪能出来ると思う。 シリーズ第3作目にして、あらゆる「定番」が確立した作品でもあるらしいので、様々な"お決まりごと”を楽しむことを前提として観ることができれば、何の問題もない。  惜しむらくは、ラストはこの作品のタイトルに相応しく、黄金漬けになり死に絶えた悪役の指のアップかなんかで終わってほしかった。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-11-15 00:12:03)
10.  ダークナイト ライジング
見事、クリストファー・ノーラン。 ジョゼフ・ゴードン=レヴィット演じるジョン・ブレイクの「本名」がさりげなく明かされるエピローグのシークエンスを観ながら、この新しいバットマンシリーズを完結させた鬼才監督を思わず賞賛したくなった。  「ビギンズ」でバットマンという周知のヒーローをまったく新しい「黒色」で塗り替え、様々な要素が重なり“伝説”とまでなった続編「ダークナイト」でその「黒色」を漆黒の闇にまで更に深めた同シリーズ。 否が応にも世界中の期待は高まり、ハードルはその分高まった完結編だったと思うが、ベールを脱いだその出来映えは素晴らしかったと思う。  165分と非常にボリュームのある長尺だが、決して「長い」と感じることはなかった。 序盤の展開に対して冗長な感覚も覚えたが、それらも含めてシリーズで描かれたことのすべてが、ラスト30分の怒濤のクライマックスで意味のあるものとして昇華される。 大富豪のブルース・ウェインが蝙蝠男のコスチュームを着て闘う理由は何なのか、この世界における「悪」とは何なのか、そして「ヒーロー」の意味とは何なのか。 シリーズを通して突き詰められてきたそれらのテーマが、過不足なく描きつけられていたと思う。  前作において完全に悪役に食われてしまったヒーローを、更に滅茶苦茶に打ちのめした上で「復活」させる。そういう娯楽映画としての王道をきちんとプロセスとして描きつつ、独特のシリアス性を併せ持たせる。 その卓越したエンターテイメント性が何を置いても素晴らしい。  “ジョーカー”により闇にまで深まったヒーローの黒い造型を丁寧に浮かび上がらせ、遂には白い光に転じさせてみせた。 一作目、二作目の両作を踏まえて描き出されたストーリーと顛末は、クリストファー・ノーランが導き出したこの世界観に合致したとても真っ当な「結論」だったと思う。まさに「THE DARK KNIGHT RISES」というタイトルに相応しい。
[映画館(字幕)] 8点(2012-07-29 12:05:07)
11.  007/ロシアより愛をこめて
どうにも掴めない……。 と、いうのが往年のアクション映画を観て幾度となく感じてきた印象である。  映像の稚拙さやテンポの悪さ。それらは、現在のアクション映画のめまぐるしい程の映像に慣れ親しんでしまっているからかもしれないが、とにかく全編通して間延びしてしまう。 悪役との格闘シーンもごちゃごちゃともみ合うばかりで、結局あっけなく終わってしまい、盛り上がりきれない。  初代ジェームズ・ボンドのショーン・コネリーは、さすがに若く格好良い。ただし、これも現在と比較しての映像の稚拙さによるところだろうが、スーパー諜報員のわりにはどうも動きがフツーというか、アクション性が低い。  現ジェームズ・ボンドのダニエル・クレイグとショーン・コネリーが闘ったとしたら、絶対にクレイグが圧倒するだろうなあと思ってしまった。
[ブルーレイ(字幕)] 5点(2009-12-26 14:08:47)
12.  ターミネーター4 《ネタバレ》 
この映画は、「ターミネーター」という映画シリーズのSF性をどういう風に捉えているかによって、その是非は大いに変わってくるのだと思う。 まず理解しなくてはならないことは、この映画シリーズの各作品は必ずしも一連の時間軸上で連なってはいないということだ。  今作はそうしたシリーズのSF性を、根底に据えた上で、過去の名作に依存しないオリジナリティーをもって描き出されていると思う。  コンピューターに「自我」が芽生えたことに端を発した終末戦争のおいて、人類としての「自我」を忘れまいと戦いに臨むジョン・コナーの姿は、過去の作品において「未来からの情報」として語られつつも、決して描かれることのなかった抵抗軍指導者の圧倒的なカリスマ性を見事に表現し切っている。  そして、過去と未来、更に未来と過去を繋ぐためのキャラクターとして登場するマーカス・ライトの存在性は、まさにキーパーソン。その役割は本作のみにおけるものだけでなく、シリーズ全体をある意味において繋ぎ止める重要なキャラクター性を秘めている。  そして、崩壊し乾き切った空気の中で繰り広げられる圧倒的にメカニカルな迫力性は、明らかに独自の世界観を構築している。   シリーズの各作品それぞれで描かれる「未来を変えるための戦い」とその顛末は、結果的に幾つもの”パラレルワールド”を生じさせたのだと思う。  第一作目の「ターミネーター」で、ボディビルダー上がりのアクション俳優が、文字通りの「殺人マシーン」として過去に送られた時点で、未来のパターンは無数に枝分かれした。 美少年のエドワード・ファーロングがジョン・コナーである「T2」も、醜男のニック・スタールがジョン・コナーである「T3」も、それぞれが枝分かれした時間軸での“別世界”だと考えれば、途端に納得しやすくなる。  今作の最大の価値は、そういった一連の時間軸上に存在する様に見えて、実はバラバラの世界観を描いていた映画シリーズを、更に全く違う時間軸と、世界観を描き出した上で、繋ぎ止めてみせたことに他ならない。  密かに期待していたT-800(=?)の絶妙な登場シーンも含め、色々な意味で楽しみがいのある秀逸なエンターテイメントだ。
[映画館(字幕)] 8点(2009-06-17 01:15:15)(良:2票)
13.  タロットカード殺人事件 《ネタバレ》 
永遠の“女好き”ウッディ・アレンが、新たなディーバとしてスカーレット・ヨハンソンを迎えた第二作。  連続殺人事件を追うという主題に反してコメディ要素たっぷりのストーリーテリングの中で、いかにヨハンソンを魅力的に映し撮るか、その部分に徹底的に心血を注いだウッディ・アレンは流石だ。 他の作品ではクールな役柄が多いスカーレット・ヨハンソンだが、そのセクシーさを保ちつつ、見事にコメディエンヌぶりを発揮していて、終始ニヤニヤしながら観てしまった。  邦題がいかになミステリ調なので、サスペンスフルな展開を期待していると肩すかしをくってしまうだろうが、ウッディ・アレンという監督を知っている人であれば、相変わらずの調子に安心感を覚えつつ、良い意味で終始“のんき”に楽しめる作品だった。  ヨハンソン演じる主人公に終始振り回されながら、大事なところであっさりあの世いきしていしまう道化的な役割を自らに当て込むあたりにも、ウッディ・アレン独特のらしさと、コメディ作家としてのある意味でのプライドを感じられた。 もう80歳近い高齢のはずだが、これからも楽しい映画をつくり続けてほしいものだ。  スカーレット・ヨハンソンの魅力に酔い、ウッディ・アレンのユーモアを心ゆくまで堪能する。そういう愛すべき映画だと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2009-02-22 13:07:16)
14.  007/慰めの報酬
ダニエル・クレイグが“ジェームズ・ボンド”に扮する新007シリーズの第二作目。 前作「カジノ・ロワイヤル」の完成度がとても高かったので、必然的に続編への期待は高まっていた。 そしてもって、今作「慰めの報酬」も極めて完成度の高いエンターテイメントだった。「賞賛」に値する。  やはり、ダニエル・クレイグが良い。 ショーン・コネリーやロジャー・ムーアが演じた往年の「007シリーズ」に愛着がある世代にとっては、無骨でスマートさがないクレイブのボンド像は、お気に召さないという評価も聞く。 が、敢えて「未完成」のジェームズ・ボンドを描き直し、そこにダニエル・クレイグというワイルドさと危うさを秘めた俳優を配したことは、一つの趣向として圧倒的に正しい。  そして、そこにはこれまでのシリーズにはなかったシリアスさとリアリティがある。  「殺しのライセンス」というものが実際にあったとして、それを与えられる者に絶対的に必要なことは、「自らの感情をひたすらに抑えつける」ということだろう。 ただし、そんなことが端から出来る人間などいるわけがない。たとえいたとしても、そんな人間は“ヒーロー”として決して魅力的でないと思う。  “ライセンス”を与えられ、そこに求められる“絶対性”を極限の状態で徐々に越えていくプロセスこそ、クレイブが演じるこの“007”シリーズの醍醐味であり、これまでのシリーズにはない魅力だと思う。
[映画館(字幕)] 9点(2009-01-25 02:49:03)
15.  ダイ・ハード4.0
十数年ぶりにまたもや巻き込まれてしまった全米一“不運”な男、ジョン・マクレーン。結論、この男、衰え知らず。 いや、正確に言うと、だいぶ衰えてはいる。第一作目の彼などと比べると、老け込んでいることはもはや明らかであり、もう風貌的には初老という印象さえ覚える。 が、その「不完全さ」こそ、ブルース・ウィリスという映画俳優を一躍スターダムに押し上げたジョン・マクレーンというキャラクターに他ならない。 ちょっとおかしな話だが、スマートで血みどろにならないマクレーン刑事など誰も見たくはないのだ。  おまけに今回の敵は、サイバーテロ。全米を揺るがすほどのバリバリのデジタル集団VS全米一のアナログ刑事という構図は、彼のキャラクター性を際立たせると共に、とてもユニークな対比を見せる。 「ダイ・ハード」シリーズでは、マクレーン刑事の奮闘ぶりと同時に、彼をサポートする「相棒」のやりとりも重要なファクターだと思う。今作では青年ハッカーとコンビを組むわけだが、アナログ豪腕刑事とデジタル貧弱オタクの間で生じるギャップの中でのかけあいは、娯楽性に溢れ、絶妙なバランスを生んでいた。  久しぶりに文句なく楽しめるアクション映画を観たという感じがする。 無味乾燥的な映像美の中で、アニメの「ルパン三世」ばりに何でもありのアクションシーンが連続して、息をつかせない。  「ダイ・ハード」といえば、「主人公VSテロリスト」という構図のアクション映画の金字塔的映画なわけだが(まあ正確にはこのシリーズに出てくる敵はテロリストではないのだが)、そのシリーズの最新作にふさわしい優れたアクション映画だったと思う。  そして、その第一作「ダイ・ハード」で大スターにのし上がり、以降20年間にわたってエンターテイメント映画の主人公で体を張り続けているブルース・ウィリスという男は、実のところかなりスゴイ俳優なのではないかと思ったりした。
[映画館(字幕)] 8点(2007-07-14 09:13:42)(良:4票)
16.  007/カジノ・ロワイヤル(2006) 《ネタバレ》 
「007」シリーズにそれほど愛着があるわけではないので、賛否両論の“新ボンド”ダニエル・クレイグが「ジェームズ・ボンドにふさわしい」かどうかは実際定かではないが、個人的な感想としてはかなり良かったんじゃないかと思う。  ジェームズ・ボンドが“007”になるまでの物語というだけあって、今作のジェームズ・ボンドはあらゆる意味で“未成熟”である。「殺しのライセンス」を貰ったばかりであるが故、任務に対する繊細さに欠け、過去のシリーズ作品でのボンドが常に携える絶対的な“余裕”が無い。いろいろな意味で不器用で、非常に“感情的”である。 そこにダニエル・クレイグという俳優の無骨でワイルドな風貌も加味され、今作のジェームズ・ボンドはまるで“ジェームズ・ボンドらくしない”。 冒頭のシーン、ターゲットを問答無用に追いかけ回す様に、英国諜報員007の紳士的なスタイルは微塵も無い。 たぶん多くの人が「こんなので007としてやっていけるのか?」と不安を感じずにはいられなかったことだろう。  が、そういう“未熟さ”とそこからの“成熟”こそ、今作が描く“ジェームズ・ボンド”であり、そのボンドを演じる俳優としてダニエル・クレイグという俳優はとてもふさわしかったと思う。 数々の名優が演じてきた映画史に残るスーパースターを演じることは、非常に困難なことだろうが、この俳優独特の「憂い」を携えた存在感は、新たなジェームズ・ボンド像としてふさわしく、今後の期待を存分に感じさせる。  「007」としての資質を問われ、敵の策にまんまとハマッて死にかけ、騙され、ボンドにとっては一種の「悲劇」とも言える結末を迎える。 が、ラストカット、「Bond,James Bond.」という言い放ったその姿は、まさに“ジェームズ・ボンド”そのものだった。 文字通り“新たに始まった”007シリーズに期待していきたい。
[DVD(字幕)] 8点(2007-05-27 18:48:18)
17.  ターミネーター3
ジェームズ・キャメロンが監督をしないと分かった時点で期待はしていなかったが、正直、名作「ターミネーター」「ターミネーター2」の続編としては最悪の作品に終始してしまった。キャメロンの世界観であったロボットによる終末戦争を予感させるメタリックな空気感が皆無だったことは、監督が変わってしまったことで仕方ないにしても、結局終末戦争は回避できないという顛末では前作までの意味がなくなり、その価値を下げてしまうものだ。ストーリーの理屈は分かるが、今シリーズとして決して導いてはいけない結末だったと思う。エドワード・ファーロングが成長した姿がニック・スタールなる無名俳優なのもやはりビジュアル的に納得できない。「T2」と比べると老けたことは確かだが、歳を感じさせないシュワルツェネッガーの存在感に+1点。
1点(2004-02-04 19:48:53)
18.  007/ワールド・イズ・ノット・イナフ
まだ3作ほどしか観ていないが、個人的に007シリーズにはヒットがない。今作においては、中途半端なアクションと歯切れの悪い展開によって、あまり娯楽性すら感じることができなかった。観ていないので分からないけど、過去のシリーズの方がやはり面白いのだろうか。
2点(2004-01-30 14:45:34)
19.  ダンサー・イン・ザ・ダーク
あくまでも徹底的な悲劇に私の心は揺らぎっぱなしだった。基本的に悲劇は苦手だし好きではないのだけれど、この映画が描くものはもはや好きとか嫌いとかそういうレベルではない。辛い現実を覆い隠そうとするかのような濃厚な幻想でのダンスシーン。哀しいまでに躍動的に歌い踊るその姿は、誰が何と言おうとも私は「幸福」そのものだと言いたい。幻想であろうと何であろうと、彼女が生きぬいたその様は、「悲劇」さえも越えた深い深い「幸福」だったに違いない。
[映画館(字幕)] 10点(2003-12-12 01:34:50)(良:1票)
20.  第三の男
個人的には古き名作サスペンス映画には、あまり感動を覚えることがない。今作もその例にもれず、いまひとつインパクトに欠けたまま終わってしまった。感覚的に濃厚さはあるにはあるのだが、ストーリーには淡白さを感じずにはいられない。ただ超有名なラストシーンを見られただけでよしとする。
4点(2003-11-18 01:04:20)
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