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はち-ご=さんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 327
性別 女性
年齢 37歳
自己紹介 知的障害を持つ23歳女性です。
1週間に40時間働いているから多分社会人だと思うけど
今は旦那や発達障害者仲間とルームシェア生活です。

知能指数は11歳ですが、
この映画レビューサイトでは
見よう見まねで大人びた文章で気取らせて貰っています。

ちなみに登録自体は旦那がやっていますので
■妻投稿■がついているのが私です。
あ、でもそうじゃないので一人称が「僕」なのも
実は私が投稿していたものもあったり
「ドラえもん」とか「A」とか(^_^;)

インターネットの書き込みは初めてに近く
インターネットルールは一通り勉強したつもりですが、
「場の空気を読む」などの高度な技術は難しいので
そんな時にはスルーしてください。

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61.  火山高
マトリックスそのものは好きじゃないが、それがパロディーにされていくのを見るのは大好きだ。そしてそれを学校でやってしまうという心意気には圧倒。しかし無茶苦茶な設定だからこそ、それを面白くするためには作り手の表現者としての志が必要なのであって、この映画はそれが空回りしてしまっている。全ての元凶は「しびぼうろく」ネタだ。こんな得体のしれないネタをなくし、単純に「ありえないパワーを持った不良が支配する中学校にやってきた主人公が、学園の平和のために戦う」という感じにすれば、間違いなく高得点を入れていたと思う。
[ビデオ(吹替)] 6点(2008-01-29 23:11:34)(良:1票)
62.  バンビ、ゴジラに会う
妻投稿■私は旦那と地下鉄に乗るとき、一番前の窓から線路を見るのが好きなんですよ。地下鉄の駅間はだいたい2分なんですけど、洞窟探検みたいでとても面白いですね。といっても東京ディズニーシーのアトラクションよりは面白くないと思いますし、千葉モノレールの一番前よりは普通かな(*^_^*)でも、電車の中でうさんくさい広告を見せつけられたりするよりは絶対面白い。九段下から飯田橋、飯田橋から永田町を移動するだけのことなのに、ちょっと凄いことをしたような気分になることは間違いありません。■あと、給料日前で電気も食料もないときなんかは、防空頭巾(関東だと小学校で貰いますよね)をかぶって蝋燭の火で友達の畑で採れたイモや小麦粉で作った水団を食べることにしています。これが結構勉強になるんですよね。食事時間は2分。2分なんだけどただカップめんをわけあうよりはよっぽど有意義な時間ですよ■2分以下を舐めてはいけません。東京ディズニーランドにいけば2分のスリルを味わうために90分並ぶ人も多いですし、イルカタッチも2分ですし、アイドルやジャニーズと20秒握手するために北海道まで行くファンもいますし、殴るけるを2分されていたら1週間は跡が残りますし、北朝鮮のミサイルが日本に到達するのや、地震情報、会社面接、人工呼吸は2分が勝負です。■で、この映画は私にとって有意義な2分だったか…そんな考察は野暮ですね・・・・■まあ、このレビューを皆さんが読むのにかかった時間(推定2分)よりは価値はあるでしょう。
[インターネット(字幕)] 7点(2009-09-27 02:47:22)(良:1票)
63.  ゴジラVSメカゴジラ 《ネタバレ》 
妻投稿■図書館で鑑賞(今日は怪獣シャワーですね)■さて、平成初期のゴジラVSシリーズをよりにもよって「お子様映画」ではなく「大人映画」と見てしまうのは多分私の幼さなんだと思います。そのうえで断言すれば、世間で評価されている平成ガメラシリーズは「人間が支配している現実世界」に非日常的怪獣が偶発的にぶつかってきているのに対し、ゴジラVSシリーズが描いているのはそもそも「世界を支配しているのは実は人間ではない」世界なんだと思うんですよね。つまり「世界を支配しようとする人間とそれに対抗しようとする怪獣との戦争(と思い込んでいるのは人間だけだけど)」を描いているのだから、プロパガンダ戦争映画みたいに(リアリティの名前の下に)人間メインばっかりに描く必要はなく、だからVSゴジラは「怪獣の目線」カメラで怪獣が街を闊歩する様子が演出されていると思います。つまり「怪獣プロレス」は描きたいものズバリなわけです。■そうした趣旨で描かれているシリーズなわけだから、いつかは人間が怪獣目線で本格的に戦う兵器が出るのではと思っていたけど(スーパーXやメカキングギドラにその前兆はあった)、本作と次回作のモゲラがそうだったんじゃないでしょうか。■映画では人間と怪獣の戦争だけど、両者の武器である科学vs破壊が火花を散らす一方、母性と生物的同族保護本能が両者を結び付けるなど、なかなか一筋縄ではいかない脚本もあり、リアルで濃厚だけど人間視点から見たためにある意味善悪二元論に陥っている平成ガメラや、少年ジャンプもどきみたいな「努力、友情」という人間の感情ばかりメインにしているミレニアムシリーズとは違った良さをたたえている作品ではないかと思うのですが、どうでしょうか■音楽が凄い好き。
[ビデオ(邦画)] 8点(2009-09-29 20:05:39)(良:1票)
64.  ちづる 《ネタバレ》 
妻投稿■「相手のありのままを見つめる」という事はどういう事なんだろう。この映画で20歳の知的障碍者で見た目は美人女子大生で仕草もかわいいちづるはお母さんのお金を盗む。愛する人がそういう事をしたとき、私はどうすればいいんだろう。そりゃ、インターネットで知的障碍者が犯罪を犯したニュースを見たとき、私なんか「こいつ牢屋に閉じ込めるべきだ」(罪を犯した知的障碍者に対する同じ知的障碍者からの目線は、自分が犯罪者とひとくくりにされてしまう分、健常者の世論以上に厳しい)と言うだろう。でも、この映画はそういうある種インターネットユーザー的な簡単な「断罪」とは別の方向に作品を持っていこうとする。■映画でお金を盗んでお母さんとバトルするちづるがカメラに向かって話しかけるシーン。これによって、作品はマイケル・ムーアのドキュメンタリーにあるような「カメラがただそこに存在しているだけ」というものではなく、「カメラを通じて観客がそのコミュニケーション世界に存在する」映画なのだという事に私は気づかされた。そのうえで「相手と向き合うという事はどういう事なのか」という一生答えの出ない命題に悶々と観客に突き合わせるコンセプトは、画面の前で観客が安穏とできない分、かなり怖いことなのかもしれない。■そして多分、「人と向き合う」という事はどういう事か」監督も明確な答えを出していない。しかし、ちづるを「障碍者」「かわいい20歳の女の子」という記号で受け取る(監督の自省にも受け取れる)という事をまずやめてみよう…という意志は感じさせる。人間を何かでひとくくりにすることは複雑な社会では仕方がないのかもしれないし、それに「盗み」が関わるならむしろ記号化はしなければいけないと思う。しかし、「記号化こそ真理」というような世の中は爬虫類の世界だ。そういう考えが蔓延している昨今、この映画はスパイスとして十分な効能を持っていると思う。
[映画館(邦画)] 8点(2011-11-16 02:53:02)(良:1票)
65.  ハリー・ポッターと炎のゴブレット 《ネタバレ》 
ハリー・ポッターは大好きな作品だが、この映画はときおり面白いおっと思うようなシーンはあるものの、何かすべてが中途半端で映画としては面白くない。1作を1映画にまとめるのは無謀すぎるのだと思う。「ロスト」とか「プリズンブレイク」「24」みたいに連続ドラマでやってくれた方が絶対成功するし全てのエピソードが生きてくると思う。映画でやるならオリジナルストーリーでいい。面白い要素がいっぱい詰まった世界観なので、名監督や脚本家が作家主義に走って暴走してくれれば、あるいは現代社会に風刺的な俊作が誕生するのではというのが、俺の楽しい妄想だ。
[映画館(吹替)] 5点(2008-01-31 00:56:15)(良:1票)
66.  GODZILLA ゴジラ(1998) 《ネタバレ》 
妻投稿。■模倣というのは単なるパクリではなく、オリジナルに対する勉強とそれに対抗できる自分の解釈が模倣者には求められるのだと私は思う。その点からすると私はこの映画を支持できる。少なくとも監督は日本の怪獣というものは人間が上を見上げるものだということを理解しているからだ。■その上で解釈を変えてみた・・つまりゴジラの頭と人間の頭を結ぶ直線と地面との角度を、日本版の30度未満から、80度以上に変えてみたのだ。ゴジラがイグアナになったのも、この解釈の違いから来ている。あまり速度の出ない直立二足歩行の日本版だったら、80度90度の位置から人間が見上げる描写を描くにはかなり無理のあるものになっただろう。しかしティラノサウルス型になったことで、「人間の持つ巨大生物に対する畏怖」の描写に新たな要素が加わったのではないかと私は思った。■本作はアメリカの核実験に対する反省が表現されていないと非難されているが、怪獣映画を作るには軍隊の協力を得ないと作るのは難しいので、ストレートには表現できないという妥協はあると思う。それでも人を襲うためでも侵略のためでもなく、魚をとるためにマンホールから悠々と現れるその姿は現実のホホジロザメやライオンを見るときに感じる畏怖詠嘆が表現されていると思うし、それを米軍が発砲して全部がめちゃめちゃになる場面はそれなりにメッセージ性があるのではと思う。■ただラストのジュラシックパークとロストワールドには萎えた。
[DVD(吹替)] 9点(2009-04-14 20:09:02)(良:1票)
67.  グエムル/漢江の怪物
旦那に代わって妻投稿。この映画はモンスターパニック映画につきものの、大勢の犠牲者と怪獣の屍の上で感傷に浸る主人公とヒロイン連中に対するアンチテーゼではないかと思う。ガメラ、仮面ライダー何でもいい。夜道を家に帰る端役女性が突然その命を通り魔的に奪われる。次の瞬間には主人公の図々しい日常が描かれ、被害女性の今までの人生や、彼女の帰りを待っていた彼氏が変わり果てた恋人を前に嘆き悲しんだり、家族が蒸発した娘を必死で探すであろう事実はなかったことにされるような展開に、きっと制作者は違和感を感じていたのではないか。それが、この映画における葬式のシーンやラストの唖然とする結末など、頑張って努力した主人公の家族が悲惨な運命を背負う描写へとつながったんだと思う。あの女の子の遺形はモンスターを際立たせるために殺された映画やテレビの中の無名の人々の墓標ではないかと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2009-01-02 03:12:21)(良:1票)
68.  ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団 《ネタバレ》 
最高のショーだとは思わんかね。ハハハ、見ろゴモラがごみのようだ。
[ビデオ(邦画)] 8点(2009-02-11 17:23:50)(笑:1票)
69.  魔女の宅急便(1989) 《ネタバレ》 
施設の女の子4人で図書館で見ました■妻投稿でーす。さてこういう純情な女の子の映画において、女性監督が作る主人公の女の子より、野郎生物が監督する主人公の女の子の方が輝いているというジングスが私の中にはあります。特にこの作品は女の子の繊細な気持ちを描いた女性作家の原作を野郎生物の監督が妄想を膨らませて作ったのだから、名作にならないわけがありません。■■右側通行で自動車が通行する様子も、中心市場から住宅地、公園、郊外の現代マンションまでリアルに再現された町並みも、夜空の軍の輸送機も、飛行船も、パトカーも、製鉄所も、行き違い中に現れた高速急行列車も、そこにあるのは、なるほど、鉄道模型好きの男の子らしい拘りですが、実はそのすべての拘りは主人公の女の子と対になってその存在を際立たせる背景なのではないかと私は思います。飛行船がいかつかったり、街並みがリアルだったりと、背景が男の子的であればあるほど、手前に移る魔女の女の子はかわいく見えるものなのです。(■■こういう男の子の監督にとって主人公の女の子を際立たせるのはヒラヒラした衣装でも「愛の力」「変身」でもなく、宮崎監督は冒頭のキキのお母さんの言葉を借りて、「俺はそういう手法は取らない」とはっきり宣言してしまっています。この映画は海の見える欧州の街のセットを背景にキキのゆれる女心を表現した、宮崎駿の妄想絵画なのです。
[レーザーディスク(邦画)] 9点(2009-05-05 01:57:27)(良:1票)
70.  センター・オブ・ジ・アース(ブレンダン・フレイザー主演) 《ネタバレ》 
妻投稿■「小説の映画化」「ドラマの映画化」「実話の映画化」「アニメの映画化」というのはあったけど、最近は「ブログの映画化」というものがあって、挙句の果てには「ジェットコースターの映画化」かい!!!! どうせだったら「東武伊勢崎・日光線前面展望の映画化」とか出ないかなあ。■それはともかく、私は3Dどころか5Dくらい行っちゃっていると思う東京科学博物館のドーム型立体映像で、「地球の内部とマントル」とかいう映像を見ているので、こんな地底世界はまずあり得んという予備知識を持って見てしまうし、水も岩も化石もいかにもネズミーランドあたりのアトラクションのジオラマっぽくて、要は世界の全てが主人公を殺さないようにうまく仕掛けられている感じがする。■となると、これは「テレビで見るアトラクション」と言う事で、うちら夫婦を登場人物に自己投影して楽しむ事にするけど、それなら出来としては酷くもない。特に磁石岩の場面は「浮遊感」という分野に新たな要素を付け加えたんじゃないだろうか。■だが、そういう楽しみ方をしようにもガイドのお姉さんの服装は許せん。あれはアトラクションゲートをくぐると現れるネズミーランド職員で、「ツンデレ要素」を加えたガイドという設定に見えるんだけど、あの服装、あの谷間のサービスを、夫婦でアトラクションを楽しもうとした私たちの前でやる行為は万死に値する。ホラ、旦那は私とではなくガイドと楽しもうとしているし(-_-;)
[地上波(吹替)] 5点(2010-08-23 19:36:08)(笑:1票)
71.  コレクター(1965) 《ネタバレ》 
妻投稿■昨今のワイドショーみたいに主人公の異常さを際立たせるわけでも、「今の世の中はどうなっちゃったの?」という問題提起をするわけでもない。旦那に「ぶっちゃけた話、主人公を応援していたでしょ」と聞くと「あの男が『僕は君とわかりあいたいからあんなことやこんなことはしない』と上品ぶるまでは」と素直に言っていたあたり、「道端のかわいい女の子をクロロホルムで誘拐してあんなことやこんなこと」という「健全な」男性諸君の妄想を極めて忠実に映像化したものだと思う。■しかし、その後どんな下水な凌辱劇が待っているのかと思いきや、主人公は女の子に優しく接する。しかしその「優しさ」が怖い。私が知る限り「優しさ」と言うものをここまで怖く描いた映画はない。主人公の「異常さ」よりも「優しさ」といった通常は素晴らしいとされる感情をここまで怖く描いたこの映画の勝利だろう。■そういえば現実世界でも(私自身の経験値にすぎないが)女を強姦する上司って凄く優しい。自分が強姦している女の子をまるで運命共同体のような言い方で接してくる。女の子はその支配下において加害者の愛情(愛玩)を受け入れる義務がある。しかしそれでも加害者は満足出来ない。暴力で勝ち取った愛情など信用できないからだ。■さすがに監禁や強姦は極端だろうが、それでも相手をピンで止めるような「優しさ」は日常生活の至る所で見られる。気を付けないと。
[ビデオ(字幕)] 10点(2010-08-13 01:04:57)(良:1票)
72.  クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 《ネタバレ》 
昭和ノスタルジーとは何かよく分からないが、僕の子供時代は先生、子供、地域社会からの暴力、いじめ、吊るしあげなんかでズタズタの地獄だった。はっきりいってあの時代には戻りたくないし、思いだすだけで吐き気がする。そういう奴らが子供時代に戻りたい、あのころは良かったなんて言い出しているのかと思うと鳥肌が立つし、中盤の「子供狩り」という名の幼稚でグロテスクなエゴをむき出しにする大人達、しんのすけを置いてきぼりにしてトラックに乗ってどっかいっちゃう連中に、僕は他のレビュワーさんとはおそらく違うテーマを感じ取っていた。しかしそうした仕打ちを受けたしんのすけ、春日部防衛隊のその後のバスカーチェイス、そして家族がいる事、1人じゃないということは素晴らしい事・・・それを堂々と相手にぶつける誇り高き態度は、確かに「感動」というものを僕に与えてくれた。「しんのすけ、お前すげーよ」・・・奥さんが出来たばかりの僕は、そして僕の奥さんも、しんのすけにそう言ってやりたい。お前は大人たちのエゴに勝ったんだ。「空が青いぞ」といいながら。
[地上波(邦画)] 10点(2008-04-29 23:42:23)(良:1票)
73.  ドラえもん のび太と鉄人兵団 《ネタバレ》 
妻投稿■■よく一方的に子供が殺されて「戦争ってかわいそうだよね」「だから戦争はしちゃダメだよ」で終わるアニメって流されるけど、この映画も目指すものは変わらない。しかしこの映画は、ただ悲惨な状況を見せて大人の事情をうやむやにしたまま「戦争の恐怖」を子供たちに叩き込むような作品ではなく、その前の段階の「忍び寄る戦争の怖さ」を描きながら、「なぜ戦争は起こるのか」「それとどう戦っていくか」までを責任を持って自分なりの答えを提示した良心的な作品だと思う。■■何より私が感心したのは、敵側がカッコいい兵器を持っていて、かわいい女の子が活躍していて、奴隷解放と自由と民主主義を信じている事だ。そんな彼らがどうしてこんな怖い奴らになってしまうのか(直接見慣れた街を破壊するのではなく、「そこを素通りして都心中枢を爆撃するために大量のトンボのように見慣れた街を通過していく」というシークエンスは「これから私たちの住む世界で侵略戦争がはじまる」という事をリアルに表わしているようでとても怖い名場面)という疑問の結論を、この映画は多分ドラえもん史上もっとも美しい名場面で読者に提示しているのだと思う■■最後、ドラえもんの活躍ではなく、ある種都合のいい展開のために地球は救われる事になるのだが、別に「根性」「勝利」を描く趣旨の映画ではないのだから、私は別にかまわない。圧倒的な武力の前に故郷を征服される絶望、民主主義国家の国民だからこそ持つべき人間愛を、多分戦争になったら立ち位置が大きく変化してしまうであろう男の子sideと女の子sideのそれぞれから、悲しみと涙で描いてくれているから。
[DVD(邦画)] 10点(2010-03-07 11:37:32)(良:1票)
74.  ロボッツ 《ネタバレ》 
ムカつく奴はひっぱたいてやれという創作態度が不満だが、自分の子供が箱になって届き、それをオヤジが組み立てていくというシーンから続く一連のストーリーに感動した。あれは子供映画じゃ「人身売買」や「デザイナーベイビー」といった現実世界の問題が邪魔してなかなか出来ない場面だろうが、これを入れた事で「なぜ人間(?)は生まれながらに尊い存在なのか」を人間の出産とは違った形で、なおかつプラモデル好きの僕みたいな自閉少年にストレートで伝わってくる方法で表現してくれたことを高く評価したい。「人間は粗大ゴミじゃない、1人1人が尊い存在なんだ。旧式でも壊れていても」というありきたりなメッセージを、対象を錆びついた粗大ゴミ的ロボットに置き換える事で再度大声で主張している点も、頭のネジが4本ほど抜けた池沼少年である僕にとっては特別だった。しかし「夢」というキーワードや「生存」というキーワードがおとぎ話の域を出ていない点が残念。この点も人間と違った方法で、でも人間にストレートに伝わるようなアイデア展開だと良かったと思う。
[DVD(吹替)] 7点(2009-01-22 04:05:19)(良:1票)
75.  死ぬまでにしたい10のこと 《ネタバレ》 
24歳な妻投稿。他者の死生観にあれこれ言う権利はないですし、現実にそういう人が周りにいても、私はその人の意志や価値観を尊重するよう努めるでしょう。でも映画は映画の中の主人公と映画を見ている観客という主人公がいて、それがある意味で一心同体になるものだと私は思っています。つまりこれは「私ならそうする」価値観で、その前提で書きたいと思います。■■■人が死ぬという事は「何でもしていい」と言えるほど重たいことではない・・・という事です。「死ぬまでにしたい10のこと」は余命宣告された人間の専売特許ではありません。人間は誰でも明日生きていられる保証はないんです。それなのに「何でもしていい」なんて言ったら社会秩序はなくなるし、倫理や愛や信頼もなくなると思います。この映画は何だかんだで「人間の命は愛や倫理よりも大事」と言っているんじゃないかと・・・。■■■じゃあ、私ならどう生きるべきか・・。知的障害者、AIDS患者、精神病者な私が「死ぬまでにしたい10のこと」を作るとしたら、「これが出来るまで死ねるか」という内容のものにします。だから旦那や友達に堂々と自慢できるような事にしたいです。
[DVD(吹替)] 4点(2009-01-24 19:58:49)(良:1票)
76.  コドモのコドモ 《ネタバレ》 
妻投稿■■ミリオンダラーベイビーでも書いたけど、私の知的障害仲間で性的虐待で出産したダチがいるし、私自身11歳くらいの知能ながらレイプ被害の経験がある。個人的に「性」の問題をタブー視するほど人間世界は平和とはとても思えないので、こういうテーマを扱う事に関しては共感できるし、映画ってのは脚色や美化をするものだから(観客がそうじゃないと思う事の方が怖いと思う)、重いテーマが脚本家によって純粋ドラマからドロドロドラマにまで広がるのはむしろ大歓迎だ■■が、それでも私はこの映画を許す気にはなれない。理由は「くっつきっこ」の一点だ。赤ちゃんを「ジュブナイル」のテトラや「のびたの恐竜」のピー助みたいなポジションにしたい都合上、「性の意味を知らないでやっちゃった」という脚本にしたかったのはわかる。だが、実際は7歳だろうと8歳だろうと「性」の意味がよくわからない知的障害者だろうと、性器を触られたりひっつけたりされる事はPTSDや解離性障害などという形で、大人になってからも一生「生存」「幸福」「希望」の概念が根本からひっくり返されるくらいの生傷を心に負う事になる。ガキだろうと砂利だろうと絶対に一個の人間が「くっつきっこ」なんて自分からやるはずがない。これは美化や脚色ではなく題材に対する悪質な「ナメている」だと思うし、「小学生の禁断の性愛」を描いていた方が何百倍もマシだと思う。■■とりわけこの映画は「命の大切さ」を描く話らしい。私個人は「命の大切さ」を共通前提の存在として無邪気に信じると大変なことになると思うけど、でもどうしてもそういうテーマを描きたいなら、上記の「くっつきっこ」は本末転倒だろう。どうも最近「命の大切さ」を描く話だと「タブー」を扱う事が許される空気があるようだが、「タブー」は多くの場合「命の大切さ」が通用しないからタブーなのだ。脚色や美化の仕方を間違えると、相反する矛盾を描いた作品ゆえにとんでもない間違いを引き起こすいい例だと思う。
[DVD(邦画)] 2点(2010-01-02 05:16:03)(良:1票)
77.  日本以外全部沈没 《ネタバレ》 
妻投稿■この映画は断じて笑わせる映画ではないです。むしろ私にいろいろ思い出させて見ている最中ものすごい寒気を感じさせたという点では、「日本沈没」以上に人間の末路を描いた警鐘じゃないかと思います。その証拠に「もう理性的である必要はない」と思った時の大統領の狂いぶりは凄いリアルです(だからネクタイが星条旗になっているのは「倒錯したリアル」を損なわせていて減点)。■知的障害の私の経験を書くと禁止されている「卑猥で気持ち悪いレビュー」になるので、敢えて世間一般の実例を出せば「スタンフォード監獄実験」というものがありますよね。自分と相手に極端な力関係(上司と部下というレベルではない)があると、歯止めが利かなくなるというあれです。作中では「私たちの社会に適応できないとどんな目にあわされても文句は言えない」と日本人が言って、メイドさんに残飯と屋根だけでいろんな事やらせるというシーンがあります。「こういう事を実際に社会に生きる自分たちがそんなことをするはずがない」と思っている人は「下らねえギャグ」と認知するだろうし、その見方は正しいと思います。でもそういう事が「成熟した社会」でありうると知ってしまった(「思いこまされた」と書こうとも思ったのですが、一応こっちの表現にします)人にとっては、このシーンはギャグとは180度離れた場面じゃないでしょうか。■「生きるという事は、命以外を全て犠牲にすること」。これはお母さんに「この言葉が正しいかどうかはわからない」という前置きと一緒に授けられた言葉です。絶対権力者の邪悪な支配欲を満足させないと泥船に乗せられる(という形の暴力を受ける)外国人は過去と重なる事もあり他人事とは思えませんが、私は少なくとも老人ホームの米兵役みたいに相手の邪悪な心に付け込んでお金をもらう生き方はしたくないです。これがこの映画から感じたメッセージです。■減点対象は上記のネクタイとラストの蝋燭の場面。藤岡弘の最期。あんな奴らの無意味な恍惚より、素敵な絵本を書いた妊婦さんやアカデミー賞俳優とキャサリンの運命が気になります。
[インターネット(字幕)] 8点(2009-10-09 05:53:16)(良:1票)
78.  ゴジラVSキングギドラ 《ネタバレ》 
妻投稿■ごめんなさい。投稿者数50人で平均点5.00点という奇跡とも言うべきシンメトリーを私が壊してしまいます。■それはともかく、この映画のキーワードはズバリ「1991年」。私がまだ6歳だったころお母さんと映画館で見て、最近見直しました。この時代は冷戦が終わり、バブル真っ盛りで未来志向の時代。この映画もビオランテまで確実にあった黒とこげ茶色に非常口の緑を加えた「昭和的映画世界色」が一気に廃されています。司令部のデザインも前衛的だし、暗闇のシーンが多かった前二作と違って昼間のシーンを多くして、ゴジラ1984では真っ暗な中に立ちはだかっているだけだった新宿副都心の未来さを際立たせています。未来人のネタや過去や未来に縦横無尽に飛ぶストーリー、キングギドラまで未来志向にしてしまうあたりには、「ゴジラというSFを使い、どれだけ映像の世界で未来を描けるか」に果敢に挑戦した作品だと言え、2009年の今見れば合成や映像技術にダサさも見えますが、このダサさも「懐かしさ」と「未来」が複雑に融合した独特の味を見せてくれています。VSシリーズではビオランテと並んで凝ったストーリーですが、ビオランテとは対極にある方向性を見せていると思います。ゴジラザウルスがタイムスリップする際にわざとらしい感動的な光のオーブを見せるのではなく、CGで浮き上がったゴジラザウルスの形が細かいパーツごとに消えていくのと交互に見せる演出はかなり秀逸。キングギドラとゴジラが交互に敵味方になったり、人類の科学力故に主人公の苦肉の決断がよりシッチャカメッチャカな事態を生みだす堂々巡りともいえるお話は、ゴジラのメッセージを「未来」という絵具で表現した結果ではないかと思います。
[DVD(邦画)] 8点(2009-06-01 22:23:38)(良:1票)
79.  映画 聲の形 《ネタバレ》 
妻投稿■■■■■■この映画を見て思ったことは「あの植野ってアマを殴りてぇ」という事だ。勿論グーでだ。物事の騒動はほとんどこいつのせいだ。こいつは自分の願望を叶えたいばかりに他人を偽善者として見下し、自分勝手な理由で相手に罪悪感を感じさせ、被害者意識丸出して喋っているうちに熱くなって暴力を振るう。(抵抗できないという意味での)弱い人間を洗脳して支配するタイプだ。将来はあのメガネの担任みたいな奴になるんだろうな。■■■■■■■■じゃあなんで彼女は殴られないのか。リアリティーの為か? いや、この映画でのリアルは手段であって価値ではないはずだ。リアルが価値ならば成立しない場面がいくつもある。■■■■■■■■■■■■この物語は障害者の物語ではなく、「いじめをしていた」「いじめを黙認していた」「いじめから逃げた」「いじめを自己肯定している」人間の物語だ。この映画ではいじめの中心人物だったヤショウが一番まともに見える。その行動が自己救済を動機にしていたとしても(これは「いじめてたのは自分だけだ」という言い訳にも現れており、監督はあえてそれを隠していない)、そもそもいじめに死ぬほどの罪悪感があるからこそ自己救済が必要なわけであって、結果的に少しずつ被害者や家族から許されていく。対してその救済を邪魔しているのは、そもそも罪悪感も償いの意思も持たない連中だ。その連中の醜さが作中ではさりげなく、それでいて確実に表現されている。■■■■■■■■■■花火大会の最中、彼女が自殺しようとしてヤショーが落ちるシークエンス。SF作家の山本弘はブログで「強引」と言っていたが、私はあれを見てランス・フォー・トリアーを思い出した。あれは硝子の激情だったに違いない。西宮硝子が目を見開いて夜の橋へ走り出し号泣したとき、彼女は小学生の時のヤショーのような激情で彼を殺してしまった事に泣いたのだ(いとさんが死んだ時の妹のと全く同じシークエンス。あの時ヤショウは死んだのだと思う)。目の前に将が現れたのは彼女の幻想だったに違いない。そして彼が回復して学校で全てに許されるのは、彼の死後の物語に違いない(そう確信したのは、マリアの台詞と同時期にDVDで見た「心が叫びたがっているんだ」との比較)。■■■■■■■■■■■■いじめていた連中は結局最後までそれを悔やまず、自分たちは「許す立場」にあると思っている。彼らが制裁を受けたり悔やんで光落ちする描写はない。その恐ろしさこそ「いじめをしたり黙認したりした」観客へのメッセージだ。ラストはヤショーの幻想であり、いじめっ子だった観客の幻想である。
[映画館(邦画)] 9点(2016-10-22 00:53:37)(良:1票)
80.  ザ・コーヴ 《ネタバレ》 
妻投稿■旦那の日本語訳で見ました。映画の内容はイルカがいかに素晴らしい生き物で、それを殺戮する和歌山県太地の人たちとそれを容認する日本人たちがいかに残虐な民族であるかと言う事が描かれています。プロパガンダとしての質はやらせ感のおかげでマイナスですが、冒頭の光影逆転で表現された日本の風景、太地町なのにやたら京都っぽい神社仏閣が出てくる描写、水俣は明らかに日本文化に対する嫌悪感で満ちていまる事はわかります。■■私はこれを当然の描写だと考えています。なぜならこの映画はイルカを虐殺する事が許せない、イルカを救いたいという人たちが作った映画であり、彼らにとってイルカを食っちゃう文化はあってはならない文化だからです。■私はイランで性暴力被害者の女の子が処刑されたり、同性愛というだけでクレーンで首を吊らされている事に凄い嫌悪感を感じていて、そういうものを容認するイランの社会に不信感を持っています。もし私に金と能力がありそれを映画にする事があったら(馬鹿なので私自身が首つり死体にされる可能性が高いですが)、あっちの文化や政治的な事情抜きにしてこっちの価値観のみでザ・コーヴも真っ青なプロパガンダ映画を作ってみせます。日本人の方も自然保護団体の非合法行為に合法的な生計を邪魔される太地町の人や、欧米植民地において行われた「先住民」という名の「動物」の虐殺を描いた映画を作ってもいいのです(その時はせめてもう少し完成したプロパガンダでよろしく)。■■「それでは中立な映画が出来ない」「映画人同士での和解が出来ないじゃないか」と思うかもしれませんが、映画は中立でなくてもいいのが私の持論です。双方、あるいは片方だけでも見たものをしっかり自分で考え、自分なりの「中立」を見つけるのは、視聴者の役割なんだと思います。■■それにしても「殺していい存在」「殺しちゃだめな存在」の境界って何なんでしょうね。製作陣はどう考えているのか一度聞いてみたいと思います。ちなみに私は人間同士の強弱に差がありすぎたり、世の中が荒れていたりして「自分の人権を侵害されるリスクを減らす最大の方法は他人の人権を守る事」という原則が成立しない場合、人間も動物も命の大切さにおいては変わらなくなると思います。北朝鮮なんて牛一匹殺したら銃殺でしょ。
[インターネット(字幕)] 7点(2011-02-22 07:08:10)(良:1票)

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