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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  気狂いピエロ
倦怠から手応えのあるものを求めて逃げ続ける話。そしていつものごとくあっけなさに収斂していってしまう。自然の曖昧な色調の美しさと原色の対比。あと「煙」ってのもある。サロンでの倦怠のタバコ。高速道路で燃えてる車の煙。ラストだって爆発といった瞬発的な快感が、次第に曖昧な煙に分解してしまうわけだし。最初の逃走シーンのイキのよさ。カメラがグルグル回り、室内・ベランダを回る人の動きが、車に乗り込んでいくまで、なんとも快感。ガソリン代踏み倒し新しい車へ。中断するサスペンス調の音楽。こういった疾走の快感を、どうしても倦怠で受け止めなくちゃならないのが、ゴダールの世界観なんでしょう。世界はいつもあっけなさに待ち伏せされている。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-19 09:43:40)
22.  去年マリエンバートで
一番楽な解釈は「記憶とはこうあやふやなものです」なんだけど。去年のことか今年のことか分からなくなる迷宮としての庭園と建物。ラストで逃げようとする二人が今年なのか(去年だったらこうして今年出会う必要がない)、それならそれを回想している話者は、いつの時間に所属しているのか。手すりから落ちた男、夫に撃たれた妻は誰の想像なのか、などありまして、結論のない推理小説なのだ、と割り切ってしまえれば、一番いいのだが。引き出しから写真が出てきて…なんてあたり、ゾクッとする瞬間は多々あります。ゆったりとした移動の美しさは、間違いなく実感。フランス語ってのは、こういう元気のない映画にはピッタリですなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-13 10:01:16)
23.  キッド(1921)
終わり間近「夢の国」の場になる。登場人物たちが羽根を生やして失楽園を演ずる。いちおう子どもを失ったチャップリンの内面世界ととれるが、ジェラシーとかイノセントとか、それまでのストーリーからは浮いていて、現代人の目にはとてもヘン。これは活動写真が見せ物だった時代の名残りと思うのが一番いいのではないか。ワイヤーアクションで舞台の芸人が飛びかっているような見せ物。古いミュージカル映画のラスト近くにも、筋から自由になった長めのダンスの見せ場がよく置かれる。私は勝手にカデンツァ(協奏曲のコーダ近くにある独奏者の見せ場)と呼んでいるのだが、あれも映画が見せ物だった時代の名残りではないかと想像している。映画がストーリー(筋)に屈伏させられないよう抵抗しているようでもあり、ああいう無意味が氾濫する場を終盤に用意するのは、もと見せ物客だった観客に対するサービスだったのではないか。日本の昔の村芝居では義経が人気だったので、ストーリーに関係なく「さしたる用はなけれども」と言いながら義経が舞台を通り過ぎた、という話はよく聞く。決して無意味が無価値ではなかったかつての演劇の活力を、映画は受け継いでいたはずなのだ。舞台が意味に覆われてしまったイプセン以後の近代演劇のほうが異常なのである(いま思ったのだが、植木等の「およびでない」のコント、大好きだったが、これと関係してないか)。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-05-25 09:36:48)(良:1票)
24.  気違い部落
日本に紹介されるトルコやアフリカの映画では「土地の掟」の苛酷さがしばしばテーマになる。日本にはなかったのかっていうと、正面からぶつからなかっただけで、曖昧に受け入れたナアナアの民主主義の裏で、「因襲」は「世間体」などと姿を変えて生き続けた。『青い山脈』だって『砂の女』だって、けっきょくその日本の社会の閉鎖性を描こうとしており、渋谷実もそれをたびたびテーマにした。戦前の『母と子』の男性社会批判の視線は、本作でも主人公の妻である淡島千景にある。ただせっかく森繁の解説者を導入するという秀逸なアイデアを用いたのだから、村の渾沌をドキュメンタリー的に提示した前半の手法で全編を貫く勇気が欲しかった。後半は伊藤雄之助が裁き手になって、分かりやすいドラマになってしまう。ま、そうなりそうなところで、ストレプトマイシン売ってしまうなんて展開になり、あそこらへんの持って行き方はいいんだけど。チョボイチやってるとき父の死の知らせが入った中村是好の反応や、死んだバアさんの入れ歯を使う藤原釜足のギャグで笑う。奥様と呼ばれたくてアッパッパを着て階段の上に立つ三好栄子がやはり凄い。葬式のあと庭で踊るとこも。
[映画館(邦画)] 7点(2013-05-22 09:59:35)
25.  キクとイサム 《ネタバレ》 
イサムが帰ってこないところがいい。あっちはあっちで頑張っているんだろう、という余韻が残る。お婆さんも頭痛かったわけで、自分の死後のことも考えなければならないし子どもたちもいとおしいし、子どもたちの幸せを考えてはいるんだけど、どうすれば一番いいのか分からない。このお婆さんの「分からない」はそのまま作者の「分からない」でもあるんだろう。首吊り失敗は『にんじん』を思わせるが、朗らかに描かれるだけに、決意の痛みも伝わってくる。差別ということ。ちょっと振り返る視線、ひそひそ話。しかし実際に田舎にこういう子が来たら人目を引くだろうし、心理的にハッとするのも差別になるのか、などと考え出すと難しい問題です。「売れ残り」と言ったり、赤ん坊事件がわざとではないかという噂が立ったりするあたりの残酷さが水木洋子の腕。積極的に排斥しようとはしないが、出てってくれれば地域としては波静かで歓迎、という形での差別なんだな。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-25 09:48:12)
26.  喜劇 にっぽんのお婆あちゃん
これはもう邦画脇役大会というか、配役眺めているだけでニコニコしてしまう。おっとりの東山千栄子、いいとこの女中の浦辺粂子、満州帰りで英語の岸輝子、ナイチンゲール勲章(『ひめゆりの塔』!)の原泉、ドラ焼を盗ったらしい村瀬幸子、そしてもちろん北林谷栄に飯田蝶子。男も、山本礼三郎、上田吉二郎の二大悪役に喧嘩させ伴淳を遅れて登場させる憎さ。中村是好、渡辺篤、菅井一郎、殿山泰司もいる。ジッパーを上下させているのは何て言ったっけ。斎藤達雄のドクター、まだ忘れてないか、看護側で市原悦子、織田政雄、小沢昭一、ちょい役の警官に渥美清(まだちょい役で当たり前の時代だったのか)。こういう贅沢を社会派監督に提供してもらえるとは思わなかった。家族と一緒より養老院のほうが幸福かもしれないという『にんじん』みたいな見方を提示し、でも養老院だって極楽というわけではなく、ドラ焼き食べた疑いが掛かったりするように、そうそうノビノビしていられるわけでもない。フォークダンスの暗鬱さが秀逸。全体はユーモア優先で、こういう映画も作るのか、と思っていると、最後のミヤコ蝶々の家族描写がずっしりリアリズムで、監督の本性が剥き出しになった。「お風呂行かないんですか、行かないなら行かないとおっしゃってくれなくちゃ」。題材が題材だから、もっと展望があってホッとさせる展開にしてほしかったが、社会派は暗く問題提起しないといけないらしい。音楽がモダン、60年代は50年代と違うな、と思いました。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-12 09:59:55)
27.  魚影の群れ
こちらの心が不純なせいか、長回しのシーンはつい撮影風景を想像してしまっていけない。クレーン移動は心地よいけど。拳と十朱の再会シーンと追っかけとか。父と婿の、というより先輩と後輩の和解シーンはちょっとホロッとした。たとえ本人が死んでも本人がやっと釣ったマグロを捨てるわけにはいかん、このことで初めて漁師仲間に入れてもらえた、ということで、忠臣蔵の勘平みたいなものか。この仲間に入れてもらえぬ焦りが重要なモチーフであった。この閉鎖性は否定されるべきものだが、漁師の側からすれば「あんまりいい仕事じゃないよ、娘に苦労はさせたくない」という気持ちもあり、しかしマグロ獲りの誇りも強く、娘の亭主は漁師でなければならぬ、と思うわけ。そういうあれこれがあるので、ラストの「マグロ一匹百万円か、いい仕事だべなあ」のセリフが生きてくる。最初のマグロ釣りのシーンが一番の迫力だった。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-09 09:57:31)
28.  恐怖の報酬(1953) 《ネタバレ》 
これをいま現在観ると電力会社と原発労働者がどうしたってかぶさって見えてきてしまう。60年、封切り時に生まれた赤ん坊が還暦を迎えようという時間を経ても、石油資本が電力会社に代わっただけで社会構造はぜんぜん変わっていなかったわけだ。映画の主役はイヴ・モンタンだが、本作で一番記憶に残るのは相棒のおっさんジョーだろう。前半、トラックが出発するまでかなりの時間をさいて、このジョーという男の凄味を描いていく。腹のすわったいっぱしのワル。それがトラックを走らせていくと、だんだん腰が引けてきておどおど逃げ腰になっていくとこ。非情な男だったのだろうが、石油資本の非情さの前では赤子同然なのだ。そこに彼の老いの無惨も重なり、いかにもフランス映画的な味が出ている。ただサスペンス映画として見ると、そっちのほうに重みが掛かりすぎたかな、という気もした。ラストのオチも微妙なところで、フランス的な皮肉(こういうのもエスプリっていうのか)は効いているが、ずっと映画の背後に感じられていた石油資本のどす暗さがあれで薄れ(元をたどっていけば、思わず調子に乗って蛇行運転せずにはいられないほどの恐怖のプレッシャーを与えた石油資本に行き着くのだが、画づら見ているとマリオの愚かさのほうが前面に出てしまう)、話がショートショート的に軽くなってしまった気もした。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-05-06 10:12:25)
29.  吸血鬼ノスフェラトゥ(1922)
あのポーズ、肩をそびやかして目を大きく剥いているのは、あれは恐怖に「襲われた」側の表情でもあるんだよな。舌なめずりをするような気分を表現するのに、ああいうポーズを取らせる効果ってのは何なんだろう。たしかに不気味なんだ。彼自身が背後からそそのかされて血を吸ってるって感じなのかな、純粋な悪はその背後にあるって言うような。あるいは過度の恐怖と過度の歓喜は同じ戦慄を呼び起こすと言うか。とにかくこの映画にはドイツロマン派の気分が満ちている。ペストの恐怖と重ねられて独特の暗鬱なロマンチシズムが溢れている。とりわけ光景、城の入り口付近や、フッターの向かいの建物、恐怖をゆっくり運び込んでくる帆船のしずしずとした動き、災いの町と化したブレーメンの縦に続く石の道(その白い道をペストの犠牲者の黒い棺が運ばれていく)。どれも素晴らしい。ノックを追い掛け回す群衆にはドイツ民話の雰囲気もあるが、やがてラングの『M』でも描かれるだろう未来のナチズムに通じる「迫害するドイツ群衆」の基本形が、ここですでに提示されていたのかも知れない。白黒反転はいい効果を出してたが、コマ落としはちょっと滑稽(当時の映写方法だとそうでもなかったのかな)。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-09-14 10:07:32)(良:1票)
30.  キートン西部成金 《ネタバレ》 
キートンはアメリカにおけるヒーロー像をひとつひとつ自分流にパロディにしていったってところがあるが、これではカウボーイ。牛を移動させるのがカウボーイの仕事、キートンは真赤な悪魔の格好をして牛の大群に追われつつ走る(もちろん画面は白黒だが)。笑った笑った。まずあの単純さがいい。牛を早く進めるためには赤いものを動かせば良い、という知識から、直線的に悪魔の衣装に飛躍してしまえる身軽さ。単純さを望んだがためにかえってヤヤコシイ目に遭ってしまうパターン。それは一途さと言ってもいいわけで、牛のブラウン・アイへの純愛も最後まで貫かれる。一途ってことは人の迷惑を気にしないことでもあり、町中を牛の大群を連れて歩くことに関する社会的配慮を、いっさい無視できる感覚でもある。それでいて特定の女性の視線は気にしてしまうんだけど。つまり特定のものだけが見えて社会全般が見えなくなってしまうのか。だから「世間知らず」ってことにも通じて、牛の乳しぼりで缶を置いたまま向き合って座ってたりするわけだ。変に執着するってのもあるな。いつも食事に遅れていた彼が、真っ先に駆けつける執念。いろんな要素があって、しかしそれらが総合されるとキートン的としか言えない存在にちゃんとなってるんだ。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-28 09:56:32)
31.  キートンのラスト・ラウンド
世間知らずのいいとこのボンボンが、恋のためにその安逸の世界から思わぬ状況に挑まねばならなくなる、ってパターンがキートンでは多いんだけど、そのときの当惑して心細そうに直立してる姿を見るだけで、もう嬉しくなっちゃう。まずお坊ちゃんぶりの山の生活で笑わせるが、ヒロインが登場し二人でテーブルで肘を突いて話しこんでいると、次第にテーブルがめり込んでいって、普通のピクニックのような自然な腹這い状態になる。ヒロインが現われることによって生活が変わっていくであろう予感。嘘からトレーニングをしなければならなくなる。何しろ拳闘選手。練習のシーンだったか、スカンスカンと空振りしながら相手と組んでいるときの動きなんか最高だった。手の動きと目線とが食い違ってて、もちろん相手とも合っていない、悲劇的で滑稽なダンス。で、最後はコケにされていたことが分かると憤然と名誉のために頑張ってしまえるパターンで、他の傑作群と比べると後半がちょっと弱かったけど、でもいいんです、あのお顔とお姿を見られればそれでもう。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-14 09:57:19)
32.  キートンの空中結婚
突然化け物屋敷で始まり、スーッと滑り台で外の道へ出てくる。悪夢と日常が「滑るように」つながっている。で次のデブのオバサンが出てきたとこで潰されたりもする。美女につられてボートの洞窟めぐり、ヒジテツ食ってぼろぼろ。次にまったく脈絡なく気球に引っかかったまま飛んでいくことになり、自分の撃った猟銃で墜落。で川になるのか。ここで先の女性といろいろあるわけ。つまりね、どんどん話の設定は脈絡なく展開していくんだけど、なにか持続するものもあるの。女性とか、猟銃とか、あと気球も最後に出てくるし、デタラメなりのルールが敷かれていて、統一感を維持していく。大袈裟な類推をすると、現代芸術の苦労ってのが感じられるのよね。たとえば20世紀の無調音楽も、デタラメやってるようでいて、なんか終わりでは終わったなって感じを出せるようになっている。磯崎憲一郎の小説も、どこに連れられていくのかと心配になるが、終わりでは終わったな、って思える。固定された形式を壊した後の芸術の展開の方式ってのは、それぞれが独自に案出しなければならなく、生まれたばかりのコメディ映画も、それなりの話法を生み出す試行錯誤があったのだろう。…なんてことを思うのは、まあ後の人間で、穴のあいた魚籠に永遠に魚を入れ続けている間に、せき止めた川の水位がどんどん上がっていったら面白いだろうなあ、といった喜劇人の本能的なカンをつないでいっただけなんだろうけど。
[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2011-07-03 12:12:28)
33.  危険な年 《ネタバレ》 
白人が無力にアジアから退場していって幕になるってところが、この作品の眼目でしょうな。もう自分の正義を振り回せない。西洋人がアジアを見るときの戸惑いが、そのままフィルムに定着しているようなところがある。変にビクビクしてしまうところ。昔の西洋映画のアジア観とは、ずいぶん違ってきた(といってもオーストラリアってのが微妙な位置にある西洋人社会で)。しかしなんといってもビリーね。あのキャラクターの印象は強烈。いい意味での憂国家なの。俺はここで生きるしかないんだ、という切実さがある。記者仲間のドローンとゆるみきった雰囲気、ベトナムへ行きたがっているわけ。よその「もっと面白いところ」へ行ける連中。けっきょくそれは帰る安全な場所があるからなわけで。群衆デモシーンに迫力があった。共産地区の田舎の風景と不安が重なるあたりのうまみ。メル・ギブソンが友情のために走ってくるが間に合わない、っつうのは出世作のラストと同じ。友情を描く作家なんだなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2011-03-09 12:28:02)
34.  木と市長と文化会館/または七つの偶然 《ネタバレ》 
とにかくいつものように人々が喋りあう。対立してはいるんだが非難には至らず、グツグツ煮込んでいるような楽しさに転じていくところが、この監督の人柄か、けっきょく庭を開放してのルノワール的パーティーでのミュージカルになってしまう。こうくるとは思わなかった。ドキュメンタリー的なインタビューシーンの対極のよう。それぞれが自分の主張を歌い、何も本当の解決にはなっていないんだけど、人の世の楽しさを遠望するような位置に監督は退いていく。これ少しズルいなあって気もしたが、少女によって導かれた夢として見るべきなんだろう。ぜんぜんカドがない世界。登場人物のすべての出会いが実になごやかなんだ。市長と教師の娘との出会いに至るまで。どこでも市長ってものは文化施設を造りたがるのか。もっとも建設業界からのリベートのために建ててるんではないらしいところは違う。
[映画館(字幕)] 7点(2010-11-27 09:59:28)
35.  昨日消えた男(1941) 《ネタバレ》 
本格推理ものの設定が珍しく、一同揃っての解決篇に至る礼儀正しさ。第二の犯行のとき、犯人に影で姿を現わさせるのも正しい。そして間にはさまれるオトボケの数々、「アホウもの、汝の名は女」とか「あなた~と呼べ~ば」とか「助けられたり助けたり」と、きっと当時の場内は沸いたであろう。時局を思わせるものと言えば、まあ悪漢が実は転覆を図る大塩平八郎の一味、ってことぐらいで、それだってそれほど「スパイに注意しよう」ってメッセージと感じられるほどのものではない。つまり至って娯楽主義に徹していて、立派なほど国策に非協力的。長屋の連中のなかには、自分で作った人形にうっとりしている人形師などもいて、ちょっと前のモダニズム時代の猟奇変態ものの空気を残していたりもする。雨の長屋で始まり、雪を経て快晴の長屋で終わる正しさ。目明しが雪の庭を調べていて、カメラが左へ動いていくと、塀の上に文吉がしゃがんでいてやりとりがあり、そのあと文吉と一緒に塀を越えるまでがワンカット。ただ渡辺篤・サトウロクローの「なるほどね」「いやまったく」は、売れない漫才が一生懸命言葉を流行らせようと反復しているようなミジメさが漂った。
[映画館(邦画)] 7点(2009-12-24 12:03:55)
36.  巨人と玩具
昭和30年代、焼け跡の頑張りの時代に、さらに笑顔の時代の層が加わった。無表情で顔つき合わせてしゃべりまくる、ってのを増村の一つの型とするなら、その対極にモデルの笑顔がある。特定の何者にも向かっていない、漠然とした大衆に向けられたコマーシャル用の笑顔。その笑顔を裏打ちするのは、甘いキャラメル、子ども向けという姿勢、夢の宇宙服といった“やさしさ”で、それが宣伝合戦の苛酷を際立たせる。ただがむしゃらな姿勢だけで頑張れた戦後が、さらに複雑ながむしゃらさを要求してきた。高松英郎のモーレツ課長は、ちょっと“日本”を強調しすぎていたようにも思ったが、あの時代あんな感じだったのだろうか。ザラリとしたユーモアがよく、ストーリーの上ではこの喧騒をマスコミぐるみ批判しているわけだけれども、作者は半ばここに溢れているエネルギーに感嘆しているようでもある。野添ひとみの気味悪さが圧倒的。この空疎な笑顔の時代は、現在に至るまで続いているわけだ。この頃の映画はしばしば途中に歌がはいるが、そういう約束事があったのか。
[映画館(邦画)] 7点(2009-07-01 12:10:12)
37.  奇跡の海 《ネタバレ》 
タイトルも手持ちのカメラで撮る徹底ぶり。このドキュメンタリータッチが、ラストの感動を嘘っぽくさせないのに成功してたのだろうが、長時間手持ちでやられると生理的につらく、船酔い状態になるのは何か考えてほしい。この人の初期の映画では珍しく催眠術が出てこない。でも主人公ベスが、この世とこの世ならぬとことの境界にいるような人で、神との対話を一人で繰り返しているのなぞ、一種の催眠術であろう。神を中継して人を愛する、ってのが向こうの考え方なんだろうなあ、一番こっちには分かりにくいところ。愛の証を見せなければならない相手としての神。そして試練という考え方。夫の懇願によって為されるふしだらの判断は神まかせになる、生け贄という考え方にも通じていく。フロイド学派ならなんか説明してしまいそうだけど、あちらの神の話になると、根本のところの分からなさばかりが際立ってしまう、とりわけデンマークの映画では。章の境にはいる絵葉書カットが実に美しいが、こういう美には溺れない映画にしようとした監督なのであった。
[映画館(字幕)] 7点(2009-05-19 12:17:24)
38.  キサラギ 《ネタバレ》 
キサラギ役のコに出演依頼するとき「君だと絶対笑いが取れるんだ」と正直に説明しただろうか。いや、していまい。「小栗旬が熱狂的なファンというアイドル役で、君のキサラギって役名が題になってるんです。ん~大丈夫、全然芝居は難しくないよ」などと言ったであろう。どれも嘘ではないから詐欺罪で告訴するのは困難だ。冷血なマネージャーが「これで君もブレイク必至さ」と後押しする。嬉しくって田舎のお父さんにも、今度主役をやります、とメールを送っただろう。田舎のお父さんは、地元ではなかなか見られないので、東京まで出てきて鑑賞したかもしれない。映画なんて若いときに『天と地と』を最後に見て以来だ。いつ娘の顔が出てくるかとドキドキしながらスクリーンを食い入るように見ている…。芸能界とはむごい世界だ。しかしそれにしてもキサラギが顔を見せた瞬間の「ウワーッ」というノケゾリ感は圧倒的だった。けなげじゃないか、実にけなげじゃないか。あのコにも5人くらいのファンクラブが出来てるかもしれない、ちょっと検索してみよう。
[DVD(邦画)] 7点(2008-04-23 12:20:54)(笑:1票) (良:3票)
39.  気球クラブ、その後 《ネタバレ》 
ケータイだけでつながっていた緩やかなグループが解散し、青春は終わったなあ、って思う話。社会人となったそれぞれが、都会の上空に浮かぶ気球を見上げるシーンがあって、もしかすると最初のシナリオではあそこをラストシーンに予定していたのではないかと疑っている。でも永作博美の泣き笑いが圧倒的に素晴らしかったので、編集の段階で順序を入れ替えたということはないか。実際この映画の印象は、平凡な青春もので終わるところを、あのラストの永作で一段濃く刻みこまれる。ついに地上での生活に降りてこようとしなかった「うわの空」のムラカミさんへの、切々としたもどかしい想いが堰を越えて溢れだし、その童顔の眼にはいつ狂気に振れてもおかしくない光すらアンバランスにきらめき、演出ではなく演技であれだけぞくぞくさせられたことは、最近めったにない。
[DVD(邦画)] 7点(2008-02-16 12:27:29)(良:2票)
40.  嫌われ松子の一生
なにか切羽詰った状況に立たされると、もうとにかくその場から逃れるために、あとでさらに面倒なことになると分かっていても、つい嘘をついてしまう性格、…分かるなあ。追いつめられると、そんなことでしのげるとはぜんぜん期待もしていないのに、ついおどけた顔をしてしまう性格、…これもしみじみ分かっちゃうなあ。徹底的に己れを殺して流されていく人生、彼女はそういう人生を積極的に選んだのかもしれない。ミュージカルとしては刑務所の場がノッてたと思うけど、この監督は川の土手を描くときが一番いいんじゃないか。
[DVD(邦画)] 7点(2007-07-29 12:20:16)(良:1票)
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