1. 孤独な天使たち
《ネタバレ》 冒頭の母に対する息子のいかがわしい言動に、おいおい『ルナ』の焼き直しかよと。母が運転する車に息子が乗ってる図やその背景からも『ルナ』をなぞってる。が、腹違いのお姉ちゃん登場で、ありゃ?今度は『ドリーマーズ』ですかと。といった具合にベルトルッチは過去の自身の作品を想起させる人物設定でもって観客を戸惑わせる。まだそこにいるのかと。久しぶりの再会だというのに何も変わらんのかと。しかしこの映画、センセーショナルな性描写もなければどこかの国の革命やら戦争やらが背景に潜むこともない。むしろ何も起こらない物語なのだ。ベルトルッチなのに。なのに面白いこれ如何に。他者との接触を拒み続ける少年の内側に姉という遺物が混入する。強い姉ゆえに拒めず、そして弱い姉ゆえに守ってゆく。その心理の移ろいの妙。地下室から度々出ざるを得ないときの冒険譚。デビッド・ボウイをバックに歌い踊るシーンの「映画的」としかいえないような現実離れした感動のシーン。物語的には何も起こらない数日ではあるが少年の人生にとっては決定的な数日となる。それを証明するのが今まで見せたことがない表情を切り取るラストカット。『大人は判ってくれない』(トリュフォー)と同じ手法だ。たぶんこれ以上に雄弁なラストシーンはない。 [映画館(字幕)] 8点(2013-06-06 17:39:22) |
2. コクリコ坂から
説明不足と言われている点については全く文句はない。べつに「海」が何故「メル」かなんてどうでもいい。「海」は友達から「メル」と呼ばれている。それでいいじゃん。でもそういったところとは全く別の部分で不満がある。どうにものれないのだ。まるで『千と千尋の神隠し』の湯屋のような魅惑的な内部構造を持つカルチェラタン自体はいいのだが、そこが初めて映し出されたときも、掃除中も、お披露目時も、全然心躍らないのだ。いちいち父と比べられるのもかなわんだろうけど、どうしてもその見せ方になんらかの違いがあるとしか思えない。差し込む光の中に埃がキラキラしてるところなんて細やかなこともしてるんだけど。 自転車の滑走はたしかにスピード感があった。おおっと一瞬目を見張った。でもそこに『崖の上のポニョ』の海の上を走るポニョのような躍動感はない。背後の絵が猛スピードで動いているだけで顔に風が当たっているようにも見えない。顔といえば学生たちの平面的な顔。最初は時代設定からして、ちばてつやの「ハリスの旋風」あたりのバンカラ漫画へのオマージュなのかと思ったんだけど、海の顔も少しうつむくと途端に平面的になっている。ということは技術的な問題なのかなと。それともどこに拘るかという問題か。そういった部分でもいちいちくじかれた作品でした。 [映画館(邦画)] 5点(2011-11-04 15:11:44)(良:2票) |
3. 孤高のメス
家の前の小さな道を挟んですぐに海がある。大きな湖かもしれないけど。で、なんと見た目、ほぼ海抜0m。なんとも絶好の漁村ロケーションだ。にもかかわらず、何故に標準語よ。ちょっとだけ田舎っぽい響きのようにも聞こえるが。そもそもこの作品は、都市部に比べて設備の整わない地方の病院が抱える問題をテーマにしている。だからこそここはしっかりと「地方」を強調すべき「方言」の出番でしょ。絶好のロケーションにしたって一瞬映されるだけで、なんとしてもこの画が欲しいといった類のものではない。リアルでキレイな手術シーンにいくら力を入れても、こういうところをないがしろにしちゃいけない。 [DVD(邦画)] 3点(2011-09-26 17:01:32)(良:1票) |
4. ゴダール・ソシアリスム
画面いっぱいの海。画面いっぱいの波。玉虫色の船内カジノ。風が奏でるノイズ。エロおやじのような少年。あいかわらずのぶつ切り音楽。あいかわらずのパレスチナとホロコーストとピアノの音。あいかわらずの映画の引用。そしてなんのこっちゃなお話。前作『アワーミュージック』で「別格」であることをまざまざと見せ付けたゴダールであったが、今回私の中のその「別格」というハードルが仇となったのか、どうにもこうにも面白くなかった。見ているあいだじゅう、あまりのつまらなさに3点とかつけちゃおうかとも思ったのだが、いちいちハッとさせられる美しい映像に、或いはオオッとうならされる見たことのある画面にまたしてもしてやられるのだ。船の濡れた床の美しさにはびびった。 [映画館(字幕)] 6点(2011-04-11 15:06:10) |
5. 告白(2010)
中島監督の前作『パコと魔法の絵本』と前々作『嫌われ松子の一生』に私が1点という低い点をつけているのは何もかもを映像では語らずに言葉で語っているからなんだけど、深田恭子の独り言のようなナレーションで進んでゆく『下妻物語』が6点なのは何故か。例えば『パコ~』で絵本の物語が言葉で紡がれてゆくのも『嫌われ~』で言葉が歌となってストーリーを語ってゆくのも全然かまわないのだ。大事なところ、伝えたいところまで全てを言葉にしちゃうからダメなんだ。『下妻物語』には伝えるべきメッセージなんてなく、ひたすらエンターテイメントギャグ映画だったから良かったのだ(人物の行動をちゃんと映画的に処理していたし)。そしてこの『告白』もまた登場人物それぞれの独白という言葉で進んでゆくが『下妻物語』同様にメッセージなんてものはなく、ひたすらマンガ的エンターテイメントであるから「重要なところを言葉で語っちゃう」ことを回避し、結果その部分での私の大幅減点も免れることになる。独白が必ずしも真実ではなく、イコール・ストーリとならないのもいい。が、そのことを訂正してゆくのも他の者による独白でしかないわけで、例えば少年と少女の関係が少年側からと少女側からでは全く違うということだって一つの画で現せることは出来るのだ。もちろんそれぞれの独白が違う事実を語ることに面白さがある作品なのはわかる。でもその一つの画を「伏線」として出すくらいしてくれないと、私の中での高得点はあり得ない。あしからず。 でも5点は合格点ですから。 [映画館(邦画)] 5点(2010-10-28 13:49:13)(良:1票) |
6. 今度は愛妻家
仕事もせずにフラフラして妻にはいつもえらそうで、その妻はというと文句を言いながらも天然ボケで和ませながら結局は大きな懐で夫を支える。一昔前なら当たり前だったかもしれないこんな夫婦のカタチも今では非常に奇特なカタチになるのではないだろうか。そんな時代錯誤感をまず感じた。いつの映画やねんと。ほとんどが夫婦の自宅のリビングルームを舞台としているため、どこか舞台劇的でもあるのだが(と思ったらやっぱり戯曲の映画化だった)、途中まではそれが良く思えて、最後のほうはそれが良くなく思えたのだが、たぶんその途中までというのはその場所に薬師丸ひろ子がいるからというのが大きい。それほどに薬師丸ひろ子がいい。すごくかわいかった。豊川、薬師丸の貫禄を消し去った余裕の演技、落ち着いた口調はセンスのいいコメディを見ているような気にさせられた。途中で外に出るところも開放感があって良かったし井川遥の意味深で優しい表情も良かった。一方後半の薬師丸不在のパーティシーンの皆が皆すばらしい滑舌でセリフが飛び交う様はまさに舞台劇のまんまという感じでうんざりした。後半、もうちょっと屋外が映されたらとも思ったんだけど、どうだろう。 [映画館(邦画)] 5点(2010-05-20 15:54:06) |