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1.  シザーハンズ
まずFOXタイトルのとこに雪が降っている。子どもに昔話を語る老嬢、窓の外に古城。一転してピンクやイエローのカラフルなおもちゃのような非現実的な町。古城だけでなくそれを際立たせる世間の造形がちゃんとある。抜けるような青空。そしてD・ウィースト。うまい人だなあとは思ってたけど、「単純」を的確に演じられるうまさってあんまりないよ。化粧品のセールスに荒れ果てた古城に入っていく人を自然に演じられる。でエディの登場。他人に触れることが出来ない、一種の加害妄想の現実化なわけ。社会適応の訓練。学校で紙切りやるのなんか楽しい。その彼が盗みを手伝わされちゃうとこからフランケンシュタインの怪物的哀しみが出てきます。武器を捨てて出てきなさい、って言われたってね。群衆によって化け物にされていく。芸術家の不幸の話でもあるか。人に触れる手の代わりに、創造するハサミを得てしまった男。寓話の映像化として最良の成果。
[映画館(字幕)] 9点(2013-07-31 09:40:03)(良:2票)
2.  知りすぎていた男
トーキー初期作品をリメイクした本作は、音が明晰になった喜びが随所に踊っている。主に二つの音が重なること。次第に靴音が二つになったり、賛美歌に合わせた会話、銃声とシンバル、ケセラセラと口笛、などしばしば観客は耳を澄ます喜びを味わえる。一つのものが無理に二つに分けられる緊張と、二つの異なるものが無理に一つに合わされることから来る緊張。一つであるべき靴音が二つに分離していく驚きから、無理に二つに分けられていた母子が一つのメロディで重なっていくまで。本作や『北北西…』など、とにかく盛りだくさんにした作品がヒッチにはあり、『裏窓』のような集中していく作品よりは軽く見られがちだが、この満腹感もそうとうなもので、同じくらい好きです。
[映画館(字幕)] 9点(2012-12-25 10:04:03)
3.  十二人の怒れる男(1957)
アメリカ映画の好きな裁判ものだが、やる気のなかった国選弁護士の代わりに一人の陪審員が奮闘する法廷後の話になっていて、次第に覆っていく面白さは裁判ものの常道だが、「それで食ってる」弁護士でなく、本来ならチャッチャッと済ませてすぐ帰りたい「面倒ごと」に付き合わされてる一般人にしてあることで、「正義とは」というテーマがより際立った。そして意見を持つことの大変さ、それを表明することの大変さというテーマも浮き上がり、そっちのほうが本作のキモではないか。別に無罪を証明しなくてもいいんで、「有罪にするには合理的な疑いがある」って比較的低いハードルでも、11人の反対者の22の冷たい瞳に囲まれると、私だったら…と自信がなくなりそうな場。そういう逃げようと思えば逃げられる場で自分の少数意見を表明すること。こういう勇気を賞揚するのが、アメリカのいいところだ。おとぎ話とか、お涙頂戴とか、こういう場面で来そうな反発がいちいちいリアルで、観てるほうの心のなかで動く反対意見をちゃんと残りの11人が表明していく。議論の質を落とさない。そして少しずつ同調者が増えていく。ここも大事なところで、なぜかとりわけ日本では「ブレる」ということが、さも悪事のように言われがち。でもそれがなくては議論する意味がないわけで、反対意見に最大限想像力を働かせ、自分の意見と闘わせた上で、それでも意見を変えない・あるいは変える、というのは同質のことのはず。悪いことではない。日本の「ブレない政治家」ってのは、反対意見に耳を塞いでるだけで(ラスト近くのリー・J・コッブのように)、あとは「おとぎ話」「お涙頂戴」と切り捨てるのなんか、まったく映画と同じですな。というわけでアメリカ映画の最良の部分がここにある。室内劇でありながら夏の暑さを描いた映画としてすぐに思い出されるってのも凄いことだ。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-10-11 10:11:32)(良:1票)
4.  色彩幻想
画面に縦線が出てきて、それがそよいだり、きらきら輝いて砕けたり、遠退いたりする抽象画アニメ。言ってること分かってもらえるかなあ。「ファンタジア」にちょっとアイデア似てるのあるけど、ずっとデリケート。最も純粋な映画とは、って考えるとき、必ずこのノーマン・マクラレンのアニメが思い浮かぶ。この人には、動かないアニメ「灰色の若い牝鶏」という傑作もあって、空がいつのまにか野原になり、月が卵になり、それらが星になり、と画面が静かに変容し続ける世界。動きの美としては「パ・ド・ドゥー」というこれまた傑作がある。洒落た感覚の「ドッツ」。「隣人たち」は人間のコマ撮りアニメ。「いたずら椅子」での物体への感情移入。「天体」では、奥へ奥へと向かう前後の動きを平面のスクリーンで表現する。映画を一番音楽に近づけた映像作家だろう。/「天体」(フィルムセンターで上映されたときの邦題)は本サイトに登録されている「球の配列」とたぶん同じだと思うが、こちらにまとめて書かせてもらった。
[映画館(字幕なし「原語」)] 9点(2008-02-04 12:25:56)(良:1票)
5.  JAWS/ジョーズ
水面上でのはしゃいだ世界と水面下の低音弦がうごめく世界、この対比って以後の監督の作品でもしばしば見られ(恐竜ランドの柵のあっちとこっち)、遊園地のはしゃぎが恐怖に転換するのが好きで、またそれがうまいんだ。そもそもが最初の犠牲者が海面ではしゃいでいるとツーッと横に動くのが、なにか新式の遊具のような不思議さがある。遊ばせていた犬が戻ってこない、捕まえようとしつらえた罠のエサが桟橋ごと持っていかれる、どれもレジャー気分が恐怖に転換する。その裏返しのようにふざけた子どもの偽鮫が銃で囲まれたりもする。海開きのはしゃいだ気分が(はしゃがねばいけないような気分が)恐怖の背景として最適。後半は舞台が海に移って社会が恐怖に対面する装置はなくなってしまうが、ドレイファスとショウの「男の張り合いもの」で楽しめる。これもアメリカ映画の好んだ設定だ(あるいは『黄金』など、男三人ものか)。ショウが空缶を片手で潰すと、ドレイファスも紙コップを潰す。船のなかでの傷自慢も楽しい。冒頭の若者たちの描写に、70年代の映画だったな、と思った。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-11-11 09:43:39)(良:1票)
6.  自由を我等に
社長が友情に負けて、ワルガキのように晩餐会をコケにしていくあたり。あの晴れ晴れとした感じは、この時代のフランス映画で特に見られるものではないか。ラストの式典での風も素晴らしい。まだサイレントのココロが残っているのだろう。リアルである必要のなさ。リアルであらねばならないという強迫観念がなかった時代。蓄音機工場ってのが、いかにもトーキーに入った時代を示している。つい後世の我々が思ってしまうように、トーキーになったことにそう戸惑っていた訳ではなく、その時代に作れる映画をただ作ってみたらこうなった、という汽水域ならではの豊かさと見たほうが当たってそうだ。
[地上波(字幕)] 8点(2013-10-16 09:33:54)
7.  新学期 操行ゼロ
俯瞰で撮るとドキュメント的になる。対象と同一平面だとドラマとして共感できる点を探しながら見ているが、上からの視線だと観察的になる。だからこそ非ドキュメントのスローモーションで羽毛が舞う場になると、その効果が絶大になるのだろう。いかにも「普段」ではない。そもそも映画という表現の軸にある対立は「記録」と「幻想」だと思っているもので、本作の俯瞰とスローモーションの対立には「まったくそうだ」と思わずうなずいた。それとフランス映画にある「自由万歳」の精神、それが硬直した・スローガン的なものでなく、「だらしなさ万歳」や「のんき万歳」にもしばしば通じているのが、いいと思う。
[映画館(字幕)] 8点(2013-10-08 09:37:51)
8.  ジプシーのとき
シュールリアリズムって、欧米の「正統」文化史観からだと「こういうのもありました」と傍系的に見られるけど、もっと広く捉えるとスペインあり南米ありこの東欧ありと、もしかしてそっちのほうが主流なんじゃないか。ごく自然に超能力が描かれる。空缶移動、壁を這い回るスプーン、七面鳥。あの七面鳥が死んでこの一家に不幸がやってくる。主人公も悪の道に入って行っちゃう。盗みに入った家で思わずピアノを弾いてしまうエピソード。空中浮遊もよく出てきたが、あれいい。雨の野を駆け出していくお父さん、合唱が入るところで“まいった”と思いました。民族の力、いうか。ジプシーってなんか遠く離れた東洋の我々にはロマンチックな雰囲気があるが、ヨーロッパ人にとっては、魔法を使う犯罪者のイメージがあるよう。古い推理小説ではよくそんな扱われ方をしてたし、だいたい差別用語になっちゃって、今はロマって言わないといけないんでしょ。ジプシーの扱われた歴史は、たぶんユダヤ人とともにヨーロッパを考えるとき大事なんだろう。主人公の顔が良く、ちょっと頼りなげで、組織の中にいればひょうきんな人気者だけど、外に出るとグレちゃいそうな弱さがある。そこらへんに実感があった。/このころユーゴの映画がよく公開されてて『アーティフィシャル・パラダイス/カルポ・ゴディナ監督』ってのもあった。フリッツ・ラングの東欧での青春時代を描くの。20世紀初頭の演劇や詩やカメラに漬かっていたある階級の雰囲気と、その崩壊の予感が味わい。ラング作品のネタ探し的楽しみもあった。
[映画館(字幕)] 8点(2013-09-17 10:06:19)
9.  ジェイコブス・ラダー(1990) 《ネタバレ》 
どの自分がどの夢を見ているのか怪しくなっていく、って話だが、似た設定の『トータル・リコール』が後半面倒になったのか活劇に逃げたのに対し、こちらはじっくりその怪しさを楽しんだ。まずベトナムで始まり、それが地下鉄での目覚めになり、通り過ぎていく列車の窓に見えるあやかしの人々…って順にたどっても大変なので、一番不気味な振動する顔のイメージに行きましょう。気色悪いですな。ベーコンの絵のイメージだそうで(『ラストタンゴ・イン・パリ』のタイトルで覚えた画家)、表情がうかがえない・何かにとりつかれて振動させられてるって感じがある。映画はだんだん死体のイメージが漂い出してくる。頭に腫れ物のある病院の受付。病院の廊下は次第に廃墟になっていく。天使に導かれてヤコブの階段を上っていくんだな。さあ往生しなさい、って。うらみつらみなしで従容と上っていくところに傷ましさが湧き上がる。本人があまり無念と思ってないところ。このころアメリカ映画は死への興味・死後への興味が盛んだったんだ。
[映画館(字幕)] 8点(2013-08-14 10:01:43)
10.  自由はパラダイス
繰り返し繰り返し脱走する少年、それも何と言うか「魂がみなぎってるような顔」でないのがいい。斜視で、ただ見てるぶんには、ちょっとひねくれたところのあるおとなしい少年。これが抵抗者の表情なんだろう。施設でうまくやってたほうが楽なのに、でも出てしまう。いちおうストーリーとしては父に会うために、いう設定があるが、それを越えて人が自由を必要とする根源的な衝動みたいなものまで感じさせてくれる。最初は蝿がカメラに止まるような南の町、ここから北へ。ただの少年が次第に不敵に見えてくる凄味が作品の芯で、それがラストでワッと少年として泣き崩れる(彼が感情を見せる瞬間)。自由とは、こういう寒々とした風景の中を繰り返し逃げ続けることなんだ。途中で出会う駅員、金持ちの少女、下船を手伝ってくれる農婦たちとの接触も味わい。
[映画館(字幕)] 8点(2013-07-10 09:06:12)
11.  獅子座
獅子座の運勢は30代はぶらぶらしてて40代になると幸運か不幸かハッキリするんだって。幸福になるってんじゃなく、いいか悪いかハッキリするってところがミソ。曲がりなりにも社会人だった主人公がルンペンになっていくのを、関数のグラフを眺めるように描いていく。このテンポの堂々としたとこ(人が不潔になっていく関数でもある)。金銭が正確に表示される。友人に渡さなかった6フランで9フランのパンを買ったり、推理小説の古本10冊で400フランとか、彼の金銭出納簿がキチンと観客の頭に書き込まれていく。とりあえず目的ありげな通行人になって社会人を装うんですな。鞄はまだ持っている。でも衣服の汚れなどで、だんだん街中で浮いていってしまう。それを糊塗しようとするんだが、それも面倒くさくなって、服のしみを取るより、そのしみの側に転がり込んでしまう。恵んでもらう経験が、社会人としての誇りを放棄した瞬間か。ここらへん実に実感迫ります。セーヌの遊覧船から落ちた菓子袋を石を投げてこっちに寄せようとしたり。イタリア映画だったら重いネオリアリズモの題材が、フランスはエスプリの笑いに仕上げている。苦笑いだけど。ゴダールがベートーベンの弦楽四重奏曲15番の第2楽章中間部を繰り返し聴く場があり、のちの『カルメンという名の女』(全編にベートーベンの弦楽四重奏が流れた)を思い合わせると、これはゴダール本人の好みのスケッチなんだろう。
[映画館(字幕)] 8点(2013-06-10 09:38:59)
12.  詩人の生涯
人形ではなく切り絵アニメ。沈んだタッチが美しい。その分ラストの赤いジャケツが鮮やかになる。母の血の色。唐突に巻き込まれていく母。脇で疲れ果てて眠っている若者。「その糸は持っていかれては困るような気がするんだけどな」。そして凍りついていく描写の数々が素晴らしい。赤いジャケツが若者の背に負ぶさっていくところ。老婆や糸買いの女の顔がいい。何度もチェコのアニメに賛辞を寄せるなどアニメーション好きだった安部公房は、自作の映画化のなかでも本作を気に入っていたらしい(やがて川本がチェコでアニメを撮ることになるのだが)。労働者が液体人間になっていく「洪水」などと同じく、プロレタリアSFとでも呼べる初期の傑作短編が原作で、独特の終末が進行していくイマジネーションの奔放さが圧倒的。
[映画館(邦画)] 8点(2013-05-13 12:38:15)
13.  12人の優しい日本人
『12人の怒れる男』って、これ日本だったら、ってついつい考えつつ見てしまう。三谷さんもそうだったんだろうな、と凄く腑に落ちた。その感想文をドラマにしたような本作は、単なるパロディではなく、日本人論として良く出来ている。①まず情から入ってくること。被告に同情するか否かが、ポイントになる。②個人より団体戦になる。チームが出来てしまい、無罪派は有罪派に負けるなっ、で気勢が上がる。③傷害致死で妥協しようと、落としどころを探る。ここらへん、いちいち笑ったが、日本社会のいろんな場面で目にしていることばかりで、そうそう笑っててもいられない。④休憩時間で雑談っぽくなると、みなけっこう喋りだすのもリアル。一番分身のように感じたのは上田耕一で、議論とか会議とかは向いてないんです、と逃げ腰。議論がほとんど喧嘩として神経を傷めつけてくる。でも何か役に立たなくちゃと思い、有罪・無罪と書かれた専用の投票用紙をせっせと作ってる。「縁の下の役割りなら一生懸命手伝います、そっちやりますから議論は勘弁して」というスタンス。これ分っかるなあ。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-01-17 09:55:48)(良:4票)
14.  真実の瞬間(1991)
こういう敢然と闘いましたって話より、転向した者の苦衷とか、波に乗って告発して回った者の内面を描くほうが意味があるのではないか、などとブツブツ思いながら観ていたが、でも公聴会のシーンでは興奮しちゃった。アメリカ映画は、やっぱりこういう切り口が一番合う。狂った流れを止めようとする者の勇気は、何度でも何度でも賞揚しなければならない。流されたものの分析よりまずその目の前の勇気を褒め称える、これがアメリカ映画。ここから勇気が広がっていくことに希望を持つ。楽天主義かもしれないが、なんらの説得をも含まない強制させるだけの言葉の冷たさがクッキリ描かれているから、この楽天主義の必死さも伝わってくる。アメリカの楽天主義が説得力を持つとき、その裏には必死さがある。狂った正義は怖いけど、それを止めるのも正義感しかない、ということを繰り返し学んでいるからだろう(繰り返しても身に付かないってことか)。
[映画館(字幕)] 8点(2012-11-17 09:51:01)
15.  シコふんじゃった。
学園スポーツものだけど、若大将もやらなかった相撲。学校名が実在のを引っ繰り返してるだけという、堂々の手抜きが潔い。教立大学に本日医科大学。単位と引き換えに一日だけ入部し、しかしホンキになっていくという設定。青春ものの爽やかさを、当時は久しぶりに感じられた映画だった。前半狭いところで話が進んだのち、パッと合宿で緑が広がり、土手と空、ここで「悲しくやりきれない」が流れ出すと(ある限られた世代だけかも知れないが)グッときてしまう。そうなのだ、青春って言ったら、土手で友と語らうものなのだよ。向こうの畦道を本日医科大学の面々がまわし姿でランニングしていると、さらにジーンとしてしまう(考えてみれば変な映画だ)。青春ものでありながら、主人公に恋が絡まないのも珍しい。一応夏子さんがいるんだけど、彼女は冬吉を向いてて、彼女には春雄が向いてて、彼にはでぶの正子さんが向いてる。秋平君は青春の渦の中心の穴的存在のよう。この手のシモネタでくすぐられていいのかと抵抗しつつも、下痢をこらえる竹中直人の深刻な表情には、やはり笑わされた。ラストに流れる「林檎の木の下で」でまたグッときちゃう。
[映画館(邦画)] 8点(2012-10-28 09:38:17)
16.  商船テナシチー
なんか山本周五郎の世界よ。人間が描けている、ってこういうのを言うんだろう。お調子者だが現在をいとおしむ男と、いつも自分で決められない男、そしてドキッとするような恋する女の残酷。「彼女笑ってたか」って手紙を託された男に尋ねるんだよなあ。まだ踏ん切りがついてない、っていうか、風景に別れたくないっていうか、つまり後ろ髪を引かれる思い。夢と今いる場所と。人生は厳しい。すべてのエピソードが厳粛な出発につながっていく。それは友情の限界であり、本当の人生の始まりであり、故郷を捨てることであり、記憶の一つの段落であり…。デュヴィヴィエって、情感過剰気味でクレールやルノワールより一段低く見がちなところがあるけど、やはり名を残す人だけのことはありますな。キモのところで日本人の好みとうまく重なっているのか。
[映画館(字幕)] 8点(2012-10-19 09:55:44)
17.  シンデレラ(1950)
小さな仲間・助力者ってのがディズニーアニメの特徴で、小さなものと大きなものの対比が作品を膨らませている。小さなものから見た家と、シンデレラから見たお城が比例関係になっている。ネズミが階段を鍵持ち上げていくとこなんか、お城の階段を縮尺している。猫とネズミによって脇で語られる小さなギャグが、本筋でのイジメに話を自然に戻している。それがどうしたって言われても困るんだけど、そうやってスケールの違う二つの世界で話を往復させることによって、物語の世界構造をしっかりとさせてたんじゃないか。ディズニーアニメにおける悪役ってのはいつも魅力的だが、とりわけ本作の継母はピカイチ、助演女優賞ものだ。アニメは性格や役割りをここまで純化できるって見本。王様と家来のベッドでの弾みながらの会話もアニメならではの楽しみ。泣けるのはネズミたちが作った衣装を(製作過程も素晴らしいのだが)、小鳥が扉開いて見せるとこからで、妖精ばあさんが奇跡を次々に起こしていくあたりが頂点。考えてみるとあのばあさんかなり唐突なんだけどね。
[映画館(吹替)] 8点(2012-04-15 09:53:00)
18.  白雪姫
動きの滑らかさには圧倒される。この丁寧さがアニメーションにとっていいことだったのかどうかは分からないが、とにかく「すごい」と思わせられる。特に白雪姫の動作・表情は完全に役者のそれで、動物たちと絡むシーンで面白い。あと、井戸の底の波紋とか小人たちの洗濯シーン、魔女のリンゴに垂れる液、眠った姫のまわりの雨および涙とろうそくの涙、など水・液のイメージが鮮烈。固いものより柔らかいものを描くときにアニメは独特の味が出る、継母のマントとか(『くもとチューリップ』の波紋や、『話の話』のテーブルクロスや、アニメにおける柔らかいものの表現ってのは研究に値する)。そうか、小人の家の掃除を見て今になって気がついたんだが、『略奪された七人の花嫁』の前半はこのパロディだったんだな。あと小人たちのダンスシーンなど見せ場があるのだが、どうも締めの取ってつけたようなハッピーエンディングへの移行が少々物足りない。ま、あえてアニメで見せる部分がないので、これでいいのかも知れないけど。
[映画館(吹替)] 8点(2011-05-24 09:53:22)
19.  人生は琴の弦のように
これはまず「地形」の映画である。盲目の主人公が見ることの出来ない遠景から、足もとの斜面に至るまで、作者の慎重な選択が感じられる。監督はかつてテレビのインタビューで、パゾリーニが好きだと言っていたが、その影響もあるかもしれない。しかし黄河のほとりのうどん屋シーンの不思議な緊張感はオリジナルなものだ。怒涛渦巻く背景を生かした地形の中で、セリフの少ないドラマが演じられる。地形が観客に与えるインパクトは強烈で、非日常の世界に・それも東洋的な光沢を持った神話の世界に一気に連れ去ってしまう。シートウが恋人の顔を地形になぞらえて手で探っていくシーンがある。盲人が視線の代わりに手でもって恋人の顔の上を放浪し、触覚が視線になって未知に向かい合ったわけだ。またこれは「音楽」を巡る映画である。『黄色い大地』からすでに、彼の映画では音楽が重要な役割りを演じてきたが、本作で前面に押し出された。人々に和をもたらす彼の琴、最後は自分のために弾き切ろうとする。が、主人公は芸術に裏切られる。人のためでも自分のためでもなく、芸術はそれ自身のために存在するという無慈悲さが剥き出しになる。芸術に魅せられるとはどういうことなのか。それでも音を掻き鳴らさないではいられない人間の可憐さのようなものが感じられても来るのだ。さらにこれは「放浪と定着」の映画でもある。村人は二人の盲人を神として歓迎するが、定着は許さない。おそらく定住したらただの乞食になってしまうのだろう。民俗学的なテーマでもあろうが、芸術=非日常のありように関する問題でもある。大きな争乱を一気に鎮めてしまう力は偉大であると同時に恐ろしくもある。そのようなものには居座ってもらっては困る、時々訪れて去っていくのが一番いい。芸術とはそういうきわどい存在なのだろう。謎のようなうどん屋の女将の歌に「誰だって自分の家にはいたくない」というリフレインがあった。女=妻というものがそもそも定住の象徴なのに、その女が放浪へ導く歌を暗示している。彼女はけっこう重要な存在で、芸術に関わってしまった人間の皮肉な運命そのものを操っているミューズなのだろうか。ああ、なんかとても多層的に観られる映画であった。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-20 12:27:19)
20.  シテール島への船出
花売りの老人が幻影であれは実際の父親なんだという見方と、花売りの老人を主人公にして作った映画だという見方と、二通り出来て、そのどちらにも収まりきらない曖昧さに、慎重に宙吊りにされている映画。冒頭のプラネタリウムからして、嘘の宇宙と捉えるか、本物の宇宙を縮小したものと捉えるかで分かれちゃうわけだし。老人の32年後の挫折を、こんなに美しく歌っていいのだろうか、もっとトツトツと語るべきなんじゃないか、という気もし、それはこの映画の構造を「逃げ」ととるか「絶妙な仕掛け」ととるかという判断にもよる。難しいところだなあ。この構造によって、後半旧港のシーンが浮わつかなかったというメリットはあった。映画としての緊張度は断然前半のほうが優れていたが、港の不思議な寓話性は、そのままリアリズムの話で続けられたらちょっとシラけただろう。最初からオハナシかもしれない、という用意がしてあることでスンナリ入れたけれど、これは考えようによってはズルイと言えなくもないわけで、うーん、難しいなあ。けっきょく現実からも理想からも裏切られ、彼が得たのはあの長方形の国だった、という厳しい突き放しを、こんなに美しく描いてしまう監督って。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-13 09:59:28)(良:1票)
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